鶴見俊輔さんの本いろいろ。。。
●鶴見俊輔さん著 「日本人は状況から何をまなぶか」より
井上ひさしの書いた吉里吉里をふくむ東北の一帯が大災害を受けた今、日本がこれまで身を任せた文明の道を戻ることをおすすめしたい。
江戸時代後半、明治維新を起こす力のあるところから、生きなおす道筋を、政府から号令をかけるのでなく、東北罹災地の生活水準にあわせて生活の設計をやりなおす。
原子炉を一挙になくすのではなくとも、はっきり年限を切って、自然のエネルギーで暮らせる方向に切り替える。
〜中略〜
軍事上必要のない核爆弾を、第五福竜丸をふくめて三度落としたのだから、日米交渉のたびに、まずその事についていやがらせを言って、会を始める。
そのことに対する米国当事者の態度、身振り、言葉使いをかきまぜることをねらうべきだ。
向こうが「リメンバー・パール・ハーバー」と言ってくれば、「へいへい、お代官さま」と言い返してはどうか。
新しい狂言への道が開けるかもしれない。
●鶴見俊輔さんx重松清さん「ぼくはこう生きている君はどうか」より
人生80年時代に必要な気構えとは
・・今のように80,90まで生きるのが当たり前になると、ゴールまで長いじゃないですか。だから昭和30年代あたりまでの老いの哲学と平成20年の老いの哲学は相当違うんじゃないかと。
それが、依然として、定年になったら悠々自適。悠々自適という考え方だと、それで定年後20年、30年生きていくのは大変だと思うんです。
だから松田さんが60を過ぎても現役を続けるために素浪人に戻るというのは「人生80年時代」には必要なことかもしれないと思うんですよ。
重松:この20年ぐらいでお年寄りの言語表現がかなりしやすくなったと思うんです。作家の水上勉さんは最後の数年間はワープロで執筆活動をなさっていましたし、免疫学者の多田富雄さんは、いまパソコンを通じて言語表現をされている。
そういうふうに、言語表現においてハンディを負うと、昔だったら石の地蔵のように黙り込むしかなかったお年寄りに、様々な面での言語のアウトプットをサポートする状況が整ってきたんじゃないかと思うんです。
このブログ、terry2012もそろそろ終盤。
言語表現の場が少なくなっている自分にとって、上記は明快です。
2013はどうするべ〜。。。
ま、流れに任せましょ。
ポーランドのピアニスト。2005年の第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝者。
コンクール参加時点まで、ブレハッチの自宅のピアノはアップライトであった。
ブラボー!
ブラボー!
この所の読書、DVD、美術館
ここ2週間の読書、DVD、美術館をちょっくらまとめておこうっと。備忘録だね。
●根津美術館 柴田是真
先週火曜日に久しぶりに根津美術館に行った。
平日にも拘らずすごい人出。
直近放送の日曜美術館で柴田是真を扱っていたそうです。
だからだね。。この美術館は青山にあっても、里山の中にあるようなひっそりほっこりした美術館だったのだけど。
庭園は変わらずよかったけど。前の佇まいの方がよかったなぁ。
なんて、、、隈研吾さん(建築家)ごめんなさい。
是真の作品は細部まで遊びを含み、抜きん出た技術力と美意識で出来上がっていた。
漆器や、螺鈿に施されたものはぞくぞくするほど。絵より良かったぁ。
根付の飾りも楽しかった。鬼の子と子供が相撲をとってる象牙彫りの作品は思わず微笑んでしまい、その後、すごい職人技に感嘆!
美術館の中央にあるレストランでランチ。混んでいたけど庭が望める絶好の場所に案内してもらった。ラッキー
●DVD鑑賞 『ミス ポター』
ピーターラビットの原作者ビアトリクス・ポターの半生を描いた作品
ナショナルトラストに4000エーカーの土地を託した経緯がよく分かった。
それにしても、今から約100年前のあの封建的なヴィクトリア朝時代に人間であり女性である。という事を貫いてきた素晴らしい方!!
●本
・「ロンドンで家具を知った」 青田専太郎
・「こころに効く断捨離」 やましたひでこ
・人生へんろ 今を生きる30の知恵
・「わが恋の墓標」 曽野綾子
先日、自作のアロマポット(陶器)を初めて使ってみた。
三日月と北斗七星の型抜きから炎の明かりが漏れるようにしたんだっけ。
そうそう今日は新月です。
今日の一品(たまには日常の食事を載せとこネ)
マグロとアボガドのトマトタルタル(TVで紹介していた)
マグロ+アボガドはよくやるけど、まさかトマトスライス缶を一緒にまぜるなんて〜と思ってやってみました。GOOD!
他は、今朝散歩で仕入れた立派な葉つき大根の葉を厚揚げと一緒に生姜も加えて炊き込んだもの。
卯の花、豚の味噌漬け焼き、お味噌汁 など。。
ご住職のいい話
昨日は、父親の三回忌。
2010年の12月11日にあちらへ行ってからあっという間に月日が経ったなぁ。
久しぶりの一同の集まりは楽しく和やかに過ぎ、その様子をきっと喜んで見てくれてるんだろうな。。って思った。
上毛三山の榛名、赤城、妙義に囲まれた曹洞宗のお寺さんで、ゆったりと、ほっこりと時が流れ、般若心経で家の繁栄を、そしてその後三回忌供養のお経を読んでいただいた。
先代の大僧正が亡くなり、現ご住職は学校の先生をやりながらのお勤め。
穏やかで、優しい微笑みが絶えないご住職のお説教は、いつも決して威圧的でなく、通り一遍でなく心から生の喜びを導いてくださるようなお話。
昨日のお話は・・・
お墓やお位牌について。
仏教の発祥地インドでは、亡くなるとすべて土に還すのでお墓や位牌はない。
(この話はなんとなく聞きかじっていましたが)残された者にとって心の拠り所として中国を経て墓や位牌ができあがったということ。
実際、宗教学の統計によると、位牌や墓をもつ文化の人間のほうが、残された人の寂しさを感じる度合いがとても低いそう。
お仏壇にご飯やお線香を供えて、亡き人があたかも一緒にいるかのごとく、時を過ごすことはとっても心の衛生上いいことなんだなあ。。。
こちら側のためのものなんですね。人間の生きる知恵といってもいいのかも。。。
信心深い方にはおこられちゃうかな?
今朝のお散歩にて。
朝日は力強く心身ともにエネルギーを満たしてくれる。。。