【文徒】2016年(平成28)1月19日(第4巻10号・通巻697号)

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1)【記事】軽井沢スキーツアーバス事故報道で、新聞各紙が犠牲者の顔写真を軒並みSNSから転載
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】

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1)【記事】軽井沢スキーツアーバス事故報道で、新聞各紙が犠牲者の顔写真を軒並みSNSから転載

思った通り、1月15日に軽井沢で発生したスキーツアーバスの事故をめぐっては、死亡した12人の大学生について、事件や事故・災害などの際にお決まりの「お涙頂戴」的な報道がテレビや新聞で行われた。
こうした報道に記者(岩本)は毎度のことながら眉をひそめるのだが、17日の日曜日の朝日新聞(東京本社版)朝刊の39面(社会面)を全ページ使って掲載された「学生12人 描いた夢」には思わず目をむいた。そこには例によって、犠牲者たちの顔写真が、それぞれの人となりについて描いた記事に合わせる形で載せられていたわけだが、その12人の顔写真のうち、実に10人までがSNSからの転載だったのだ。写真の下に書かれていた引用元から数えた内訳で言うと、本人がアップしていたと思われるfacebookのページ(以下FB)からの転載が8人、所属していた大学のサークルのFBからの転載が1人、twitterからの転載が1人、かつて所属していた高校の運動部のブログからの転載が1人、友人提供が1人、という具合だ。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1J43P4J1JUTIL00N.html
かつてはこうした事件や事故における犠牲者の顔写真の手配、いわゆる「ガン首取り」は新聞社や週刊誌に入った新米記者が、これも修業とばかりに上司から言い渡される仕事だということで相場が決まっていた。悲嘆にくれる遺族や友人たちにひたすら頭を下げてお願いしたり、あるいは犠牲者がかつて通っていた学校の卒業アルバムを探したり……といった作業を、発生から葬儀までの極めて短期間の間に行わなければならなかったわけだが、今やSNSの普及によって若い記者たちも苦役から解放されたというのか。それにしても……と思っていたら、さっそく佐々木俊尚がこの件をFB上で取り上げ、すぐさまFBユーザーたちからのコメントが殺到していた。
https://www.facebook.com/sasaki.toshinao/posts/10154029823812044?pnref=story
佐々木は次のように言う。
《亡くなった被害者なので、本人からの許諾は当然得られていない。でもたぶん、法的には問題はないという新聞社の判断なんだと思う。しかしこのようなかたちでSNSから被害者顔写真を転載することへの倫理的な是非についてはもう少し議論していかなければならないんじゃないかな》
《わたしは個人的には、今後はプライバシーという概念はかなり流動的になり、他人によってさまざまなかたちで流用されるような事態を防ぐことは難しくなっていき、結果としてプライバシーという概念自体がゆるやかに溶け出していくと考えているので、こういう方向性は避けられないと考えている》
《同時に新聞社という「社会の公器」がこのようなかたちで個人のプライバシーを流出させることについては、それが社会からどう受けとめられるのか?という覚悟をもってきちんと説明をすることも必要だと思う》
《新聞社がマイナンバーやビッグデータを「監視社会」的と批判するのであれば、自身がフェイスブックから個人の写真を流用することも「監視社会」的であると捉えなければならない。逆にフェイスブック流用を良しとするのであれば、安易な監視社会批判が果たして妥当なのかきちんと考え直して欲しいとも思う。》
概ねバランスの取れた見解だと思うが、これに対してユーザーからは次のようなコメントが寄せられている。
《本文自体は親族に取材された内容でSNSからの引用ではないので(一部は違いますが)、あまり違和感を感じませんでした》
《報道って無許可でいいんです。その根拠は、憲法の「公共の福祉」です。勘違いしている人が大勢いますけど、日本が憲法で保障している国民の権利や自由は、決して絶対無制約ではなく、あくまで「公共の福祉に反しない限り」という限定的自由です》
《自分の顔写真や一部の投稿を「公開」に設定しているが、無断使用や転載を許可したわけではない。少なくとも、自分が想定した文脈(コンテキスト)以外の目的で利用されるのは承服しがたい》
《事件現場として撮影するのに問題はない。が、この場合、被害者、犠牲者の過去の写真であって純粋な報道写真と違うものとも考えられる》
以上のような議論が沸き起こり、佐々木も後から「追記」で改めて自らの考えを説明し直している。ちなみに同日の事故報道におけるSNSからの犠牲者写真の転載は、朝日だけでなく他紙も行っていた。
「ガ島通信」で藤代裕之は「実はソーシャルメディアが出所であると明示しているのは朝日新聞だけ。読売新聞、毎日新聞をコンビニで購入して確認したところ、出所は明示していないものの朝日と同じ写真があることが分かりました」と、各紙の当日紙面の写真も添えながら問題提起している。
http://gatonews.hatenablog.com/entry/2016/01/17/135840
《朝日の記事を批判する人もいますが、「どこからか」入手して掲載したというスタイルより、朝日の記事のほうがソーシャルメディアの時代に適した記事の書き方と言えるでしょう。(略)個人としてこの問題を捉えるなら、誰もが見えるところに何らかのコンテンツを公開するということは、報道、批評、研究に引用されても仕方がないということです。なお引用は許可を得る必要がありません(無断引用という言葉は間違い)》
《それでも、どことなく「これでいいのか」という違和感は消えないと思います。それは、そもそも報道に顔写真が必要なのかという根本問題があるからでしょう》
《今回のスキーバス事故でも、容姿についてタイトルに出したまとめサイトもあり、拡散されています。このことからも分かるように、顔写真の掲載を続ける理由には読者や視聴者が望むからという側面があるのです。(略)もし、新聞社が報道機関として信頼と価値を高めたいのだとすれば、ソーシャルメディアで簡単に「引用」できたとしてもあえて掲載せず、遺族から許可を得るなど丁寧に取材していくべきです》
以上、私も「無断引用(というか引用が適正ならば無断が原則)」した次第だが、最後に一つだけ所感を述べる。
こうしたケースにおけるSNSからの顔写真の引用・転載は、かつてマスメディアが上記のようなガン首取材によって時に遺族や友人たちの心情を逆撫でしながらも死者の顔写真を報じることについて社会から批判を浴びた際に「読者や視聴者が望むから」「あくまで報道目的です」などと答えていたところに、新たな(あるいはそれに代わる?)言い分を与えたようにも思える。即ち、「本人が認めたうえでネット上に公開されていた顔写真を使うことに何か不都合はありますか?」「別にご遺族が悲しみに沈んでいたところへ無神経にズケズケと乗り込んで無理やり写真をとってきたわけじゃないからいいじゃないですか」といったものだ。
確かにそれで筋は通るだろう。しかし「そう答えておけば、あとは何ら後ろ指をさされることなどないのだ」と、自らの行為を省みることがなくなれば、おそらく何かまた別の問題を生む温床になるようにも思えるのだ。
(岩本太郎)

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2)【本日の一行情報】(岩本太郎)

◎昨日(1月18日)朝に関東地方を見舞った積雪では、もはやお決まりごとのように首都圏の鉄道網が朝から大混乱。各駅の構内では足止めを食らった通勤・通学客で溢れかえった。そして今では、そうした混乱の模様も、その足止めを食らった通勤・通学客らが持参のスマホなどを使ってソーシャルメディアで送り出す0次情報の集積として瞬く間に拡散する。JRの主要な通勤路線4つが交差して普段でも乗り換え客が錯綜する赤羽駅では「イライラした乗客が『殺すぞ』とブチギレ」たほどだったらしい。
http://matome.naver.jp/odai/2145307252877423601
かつての国鉄ストライキや順法闘争が頻発した時代には、怒った通勤客が暴動を起こして駅や車両を破壊する「上尾事件」(1973年)のようなトラブルが発生した。
https://www.youtube.com/watch?v=whOHE9-Nz2s
ネットの世界でも増幅された「ブチギレ」が、いつかリアルな通勤時間帯にも不測のトラブルを引き起こしてしまう危険性は少なからずあると思う。というか、たぶん日常的にもあちこちで起こっているのだろうが。

◎ジャーナリストの後藤健二がIS(イスラム国)によって殺害されたとされる事件から1年を迎えたことを受けたシンポジウム「ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか〜取材現場からの自己検証」が1月15日に文京シビックセンターで開催された。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2681060.html
私(岩本)も会場で見ていたが、議論の多くは「なんで日本のメディアやジャーナリストが日本から遠い中東などの戦場を取材する必要があるんですか?」「そんなのBBCやCNNに任せておけばいいじゃん。だって日本人にとっては中東だパレスチナだと言われたって、普段の生活の中では全然関係も関心もない、遠い世界の話ですよ?」といった世間からの声にどう答えるか? といったテーマに集中し
ていた。
私が思うに、上記のような意見は、大半の日本人が「日本のメディアやジャーナリストは、日本国内に住む日本人のニーズに適う情報を伝えてこその存在なのである」と思っているからこそ出てくるものであり、日本のマスメディアもまたそうした暗黙の前提のうえに成り立っているからだろう。
このシンポジウムにパネリストとして出席していたアジアプレスの石丸次郎や綿井健陽らの仕事も別に日本国内だけで評価されるべきものではないし、戦場の最前線では様々な国籍や出自を持つジャーナリストが活躍している。彼らのほとんどは何も母国だけに情報を伝えようと思っているわけではないだろう。
と言うと、「現実問題として日本のジャーナリストによる戦場からの報道に対して、国際市場で目下どれだけ評価がなされて需要があるのか」「そうは言っても今の日本のメディアやジャーナリストによる報道は日本国内でしか商品価値を持たないという現実がある以上は仕方ないだろう」といった反論も返ってくるところだろうが、とはいえ本来「日本のメディアやジャーナリストは日本国内でしか通用しない」などといった括りは何もないはずなのである。
単に「日本のメディアやジャーナリスト」イコール「海で囲まれた天然の国境の中で暮らす、日本語という固有の言語しかほぼ通用しないコミュニティの中で自らの市場価値を確保しなければ生き残っていけない存在」であると、この国に暮らす多くの人々はおそらく信じて疑わない。だからそこを食い破るような主張がなかなか説得力を持ちえないという、切ない現実も確かに存在するのだが。

名張毒ぶどう酒事件の奥西勝元死刑囚(昨年10月に89歳で死去)と、再審開始決定で釈放された袴田事件の元被告・袴田巌、さらに彼らを支えてきた家族の姿を描いたドキュメンタリー映画『ふたりの死刑囚』を、名古屋市東海テレビが制作した。16日からポレポレ東中野名古屋シネマテークで上映中だ。
http://mainichi.jp/articles/20160112/ddh/041/040/004000c
プロデューサーの斉藤潤一(48歳)は取材に対して「公平中立な内容ではない。冤罪の可能性が高いと考え、覚悟を決めて偏向報道した」とコメントしている。放送法の第四条に定められた「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を意識のうえで敢えて挑発的な発言をしたのだろうが、なかなかいい度胸だ。なお、袴田事件の舞台である静岡では、浜松で暮らす袴田巌とその姉の日常を、武蔵野市在住の映画監督・金聖雄が追ったドキュメンタリー『袴田巌 夢の間の世の中』の先行上映会が1月31日に静岡市で開催される。
http://mainichi.jp/articles/20160113/ddl/k22/040/084000c

大阪市で全国初となるヘイトスピーチを抑止するための条例が1月15日の大阪市議会で可決されたが、この審議の最中に傍聴席から「日本人の人権を守れ」などと声を上げて議場にカラーボールを投げ込んだ50歳の男が逮捕された。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1H6T45J1HPTIL02L.html
条例成立を歓迎する主にリベラルの側の人々はこの行為を当然批判しているが、批判の仕方には少し用心が必要だろう。なぜなら特定秘密保護法が採決された2013年12月の参議院本会議場で、法案に反対して傍聴席から議場に靴を投げ込んだ男性に対しては、同じく法案に反対していたリベラルの側の人たちが支援活動をこれまで展開してきたからだ。今のところ「靴なら良いのにカラーボールはダメなのか?」といった声はそれほど上がってきていないようだが。

◎あの「ロス疑惑」における殴打事件の元裁判官だった弁護士の木谷明が、当時の裁判長(故人)による「日本中が有罪と信じているこの事件で、どうして裁判所だけが無罪を言い渡せるのか」といった発言を含む評議の内容を、昨年8月に法律専門誌の『判例時報』で公開していた。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201601/2016011800029&g=soc

SMAP「解散」を報じた1月13日付『日刊スポーツ』の一面で、大見出しの下の位置に広告を出していた関西地区の「スーパー玉出」をめぐって早速ネット上ではお祭り状態に。
http://togetter.com/li/925018
ただし当のスーパー玉出自身はネット上の騒ぎに対して特に何か動きを見せているわけでもないようだ。withnewsの電話取材に対し、玉出の担当者は「社内では話題になっていないので分かりません」「電話もかかってきていないので、反響の大きさは分かりません」「社内は普通の日常です。お答えできることがなくてすいません」などと語ったという。
http://withnews.jp/article/f0160113001qq000000000000000G0010901qq000012912A
以前であればこうしたケースでは当事者に対する問い合わせや、いたずらなども含めた電話が殺到したものだ。玉出の担当者のコメントが事実の通りであればだが、何となく現在のネット民たちの物事の面白がり方や行動特性などが垣間見えるようでもあり、興味深い。

◎「日本一厳しい広告規制条例」をとっていることで知られる兵庫県芦屋市が、市役所庁舎の壁に大きく掲げられた市章も「屋外広告にあたる」として撤回しようとしたものの、議会などからの異論を受けて撤去の方針を撤回したという。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201601/0008716568.shtml
ちなみに関東地方では、茨城県土浦駅前に建つ商業ビルに入っていたイトーヨーカドーが撤退したのに伴って昨年9月に移転してきた土浦市役所のロゴと市章が、かつてテナントのロゴが入っていたであろう位置に大きく掲げられており、常磐線の車内からもよく見える。
http://toshoken.com/news/2288

◎池袋で昨年11月にオープンした”泊まれる本屋”の「BOOK AND BED TOKYO」は、開業から2ヶ月を経た今も連日満室になるほどの盛況が続いているという。
http://news.line.me/list/oa-mainichi/1jyb0w0x2ffw3/1je9w0mh6vdr6?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none

TBSラジオで1986年から放送されてきた平日朝の人気長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」が、4月改編で終了するという。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1593533.html

アメリカの『Penthouse』が紙媒体を諦め、電子雑誌に移行する。
https://hon.jp/news/1.0/0/7345

◎2013年にアメリカ国内に開局したアルジャジーラアメリカが、わずか2年半で閉鎖されることになった。理由としては「視聴率の低迷」のほかに「原油価格の下落」もあるとの見方も。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35076211.html

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3)【深夜の誌人語録】(岩本太郎)

砂漠に水をまくような作業であっても、まかない限りは万が一に出てくる芽も出てこない。