『銀の匙』(中勘介) 〜 【忘れっぽい天使】(吉松隆、ハーモニカ:崎元譲)

銀の匙 (ワイド版岩波文庫)

銀の匙 (ワイド版岩波文庫)


思い出はいつもふいにやってくる。


マドレーヌがきっかけになることもあれば、銀の匙がきっかけになることもある。本箱の引き出しの小箱のがらくたにまぎれている銀の匙から、ふいに自分の生れたときからの思い出がとめどなく流れ出す。産まれたときえらく難産で全身に疱瘡があり、それを直すために銀の匙で漢方を飲まされていたことにはじまり、こどもの日々が丁寧にすくすくと書かれていく。

だが、「こども」の描写なのではない。こどもの眼を通してこどものひとつひとつの日常を語っていく。そしてこどもの成長に連れ、表現までもが成長していく。まさに幼心がそのまま眼前で成長していくのを見ることとなる。宮沢賢治が鉱物的透明性を発揮するなら、中勘介は植物的透明性を発揮する。物語としての展開があるわけではないのだが、知らぬ間に伸びていく植物を見せられるような気分に襲われる。詩人をめざした中勘介らしい。

ある晩縁側へ出て庭で花火をあげるのを見てたらきれいな女の人が菓子を包んできて

「あげましょう」

といった。私はその人が「げいしゃ」だということを小耳にはさんでたが、「げいしゃ」といえばなんでも人をだましたりするこわいものらしい。その「げいしゃ」がそばへよってきて かわいいお子さんだの、年はいくつ だのといいながら、肩へ手をかけて頬ずりしないばかりに顔をのぞく。私はいいにおいのする袖のなかにつつまれて返事もし得ずに耳まで赤くなって手すりにくいついていたが、ふと これは自分をだましにきたのだ と気がついたら急に恐ろしくなって、しゃにむに袖の下をすりぬけて母のところへ逃げ帰った。

前編が書かれたのが一九一一年、中勘介が二十七歳のとき、カンディンスキーらの青騎士平塚雷鳥らの青踏派が闊歩する青の年であった。後編は一九一三年、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の刊行がはじまった年である。『失われた時を求めて』は、以後全七巻が刊行されたのはプルーストの死後五年たった一九二七年だった。

「現実は記憶のなかにつくられる」といったのはプルーストであったが、『銀の匙』を読んでいるとこれが自分の思い出のように思えてくる。なんだかむかし一緒に遊んでいたような、そんな気がしてくる。幼心というものは、いつでも動きだせるものらしい。『銀の匙』に触れると、そのまま自分の幼心までもが歩きだしてしまう。

文体にだって仕掛けがほどこされている。文体そのものも静かに滑るように成長していく。

ある晩かなりふけてから私は後ろの山から月のあがるのを見ながら花壇のなかに立っていた。幾千の虫たちは小さな鈴をふり、潮風は畑をこえて海の香りと波の音をはこぶ。離れの丸窓にはまだ火影がさして、そのまえの蓮瓶にはすぎた夕立の涼しさを玉にしてる幾枚の葉とほの白くつぼんだ花がみえる。私はあらゆる思いのうちでもっとも深い名のない思いに沈んでひと夜ひと夜に不具になっていく月を我を忘れてながめていた。……そんなにしているうちにふと気がついたらいつのまにかおなじ花壇のなかに姉様が立っていた。月も花もなくなってしまった。

描写描写というけれども、これほどまでに丁寧にこころをなぞっていく描写にはとんとお目にかかったことがない。言葉はこれほどまで、こころをさしだすことができる。流行の言葉も良いのだが、たまには上質の言葉をご堪能あれ。


さて、そのまま空気の襞に溶けてしまいそうな幼心たちには吉松隆の【忘れっぽい天使】を。ハーモニカの音が銀の匙に重なれば、きっと天使が降りてくる。


ところで、ぼくの銀の匙、どこに置いたっけ。