コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

霖(ながめ)*

季節モノ、ということで。長雨がなまって「ながめ」。和歌などでは「眺め」と掛けて使われることもあるそうで。梅雨や秋雨などの降り続く長い雨のことを言う。「ながめ」という語感がいい。雨に林という字もいい。

ちなみに秋の長雨、秋雨のことを「秋霖(しゅうりん)*」と言うらしい。「秋雨前線」などの言葉の方が一般的だが「秋霖前線」とも言うようで。

梅雨、秋雨は冬と夏の大気が拮抗し、押し合いへし合いしている状態。空気と空気がぶつかって動かない部分に前線が停滞するそうで。これが南に押し切られると本格的な秋から冬へと。ちなみ上図のように、もう今年の秋雨前線は出現している。

しかし、梅雨はみんなけっこう気にするけど、秋霖ってないがしろにされてるような気がする。梅雨ほどはっきりしてないからなぁ。ちょっとかわいそう。

賞味期限

しんどくて昼間寝ていたら、今度は夜が寝られない。というわけでまた雑記でも書いてみる。

昼間は微妙に熱かったのでクーラーつけて寝ていた。うつぶせ寝で寝ていた。何が悪かったのか分からないが、起きたら寝る前よりも気分が悪かった。とりあえず飯を炊いて、昨日の残り物で晩飯。舌の味蕾がラリっていて何を食ってもおいしくない。

食い物といえば、私は賞味期限を異常に気にしてしまうタチだ。昔からそうだったわけではないが、いつの頃からか、腐ったもの、賞味期限が切れたものを異常に嫌うようになってしまった。卵や牛乳などでも、1日でも賞味期限が切れると気持ち悪くなる。さすがに1日過ぎたくらいなら我慢して食べるけど、本当は食べたくない。2日過ぎるとかなりきつい、3日過ぎるともう食えない。

賞味期限のないもの、たとえばジャーの中の御飯なんかも同じだ。1日ならよいが、2日ジャーの中に放置されていた御飯はさすがに食べる気になれない。微妙に変な臭いするし、腐ってるとは言わなくても変質してることは確かだ。食えない。

今日も、一昨日の夜に炊いた御飯を捨ててしまった。冷蔵庫に入れておけばよかったのだが、忘れていたのだ。捨てたのは1/3合ほど。ダイエット中なので、1合炊いて2回食っても残ってしまうのだ。わずかとはいえもったいない。お米さん、米農家さんゴメンナサイとつぶやきながら捨てた。

食べ物の腐敗を異常に気にするようになったのは、そういうことに無頓着だった母親の影響も大きかったと思う。酸っぱい味噌汁、酸っぱい煮物なんかは日常茶飯事。時には朝一番で出されたカレーが酸っぱかったこともある。ドレッシングなんかは賞味期限が切れてから1年2年経っていても平気で使うし、とにかくそもそも賞味期限を見るということさえあまりしない。そのくせ味見はしない。「大丈夫大丈夫」といいつつ出された食べ物が何度大丈夫ではなかったことか・・・・・・。

そんなわけで身に付いた防衛本能が度を越してしまった、のかもしれない。

ちなみに私の血液型はO型だ。たいていのことには大雑把なO型だが、それぞれにそういう「ここだけはゆずれない」という変なこだわりを持っているような気がする。私の相方もO型なのだが、相方のこだわりは「ホコリと毛」。床にそれが落ちているのがたまらなく我慢できないらしい。とあるO型の友人は、CDのケースや本の端っこが折れるのを異常に嫌っていた。こだわりというよりも神経質と言った方がしっくりくるかもしれない。A型の神経質さとはまた違う、「変な」神経質さ。

ああ、また脱線しまくりだな。元々本筋なんかないのでどーでもいいか。

しかし賞味期限がどうこうなんていってたらいざというときにサバイバルできないだろうなあ、といらぬ心配をしてしまう。まあ、そういう状況になったら腐ってても食うしかないか。

不思議な少年、訂正

昨日のマーク・トウェイン版、不思議な少年について。昨日の記事を書いて懐かしくなったので、少し本を読み返してみたら、記憶がけっこう違っていたことに気づいた。

小人は戦争をはじめたのではなく、二人でいがみ合いをはじめたのだった。サタンはその二人を指先で潰して捨てた。その潰された二人の小人を見て他の小人達が泣いたり騒いだりしはじめたので、うるさいとばかりにすべての小人を潰してしまった、という話だった。

ここでついでにマーク・トウェインについてもう少し。今はなき旺文社文庫から「ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)」という本が出ていた。これはマーク・トウェインのスピーチや手紙、言葉などから格言を集めたものだ。世界一の大嘘つき、ユーモラリスト*1と呼ばれた彼の、毒と愛に満ちた格言集だ。この本、若き日の私にとってのバイブルと言っていいほどに私の考え方にしっくりときた本だった。いまでこそこういう毒舌は満ち溢れているが、まだキリスト教会の力が強いあの時代にこういう発想をして、それを言葉として発することができたというのはやはり凄いと思う。しかもただ毒なだけではなく、今の日本人でも分かるようなニヒリズム、ユーモアを交えて。

いくつか抜粋してみる。

神が創りたもうた
最も気高き作品とは?
人間なり
何者がそれを発見せしや?
人間なり
 アダムは結局は人間だったのだ。---これで事情がはっきりする。彼がリンゴを欲しがったのは、そのリンゴが食べたかったからではない。ただそれが禁じられていたから、というだけのことだ。そもそもの間違いは、蛇を禁じておかなかったことにある。もし禁じておけば、アダムはきっと、蛇を食べてしまったろうから。
 人間が善悪の別を知っているという事実は、人間が他の動物よりも知的に優れていることの証拠だ。しかし、人間が悪事を働くことができるという事実は、それができない他の動物よりも道徳的に劣っていることの証拠だ。

こんな感じ。この年になってみるとさすがにちょっと子供っぽいとユーモアだと思うところもなきにしもあらずだが、それもまたトウェインの良いところ。ただ頭が固くなって柔らかいユーモア心を失っていくことだけが良いことではない。

ちなみに「ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)」は絶版なので、いまでは中古でしか手に入らない。数はけっこう出回ってるようなので、ネットの中古本を探すとすぐに見つかると思う。続編の「また・ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-5)」もあるが、こちらは少し品薄かも。

最後にもうひとつ。

悲しみは、ひとりで充分に味わうことができる
しかし、喜びを充分に味わうためには
誰かに手伝ってもらわねばならぬ
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*1:ユーモアとモラリストを合わせた造語