肉食の思想

肉食の思想 / 鯖田豊

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)

■食生活に由来したヨーロッパの思想
ヨーロッパで生まれた思想。それらはどこに起因しているか考える言説は少なくないです。それらは環境に原因を求めたり、歴史に求めたり、人種に求めたり、言語に求めたりもするかもしれません。実にさまざまなものです。


本書では、その思想的根底を歴史的・地理的条件に由来する食生活の伝統を断面にして掘り下げます。食生活という低次なレベルを通して高次なレベルである民族思想を分析する点だけでも特徴的で注目すべき理由となりますが、本書にはもう一つ注目すべき点があります。それは日本という尺度を通してヨーロッパを語るという比較文化史でもあるという点です。


この両者を併せ持って進められていく論述は独特です。しかし、十分な実例と統計を基盤として議論が進められていくことにより確固たる説得力をも見せる本書は、ヨーロッパの思想を語る上で参考になる良書である思います。


■肉食と断絶論理、そこから生まれた人間中心主義
ヨーロッパの地理的条件として、その涼しい気温と、広く貧しい土地があります。この環境下では穀物を主食とするほど豊かな生産が行えません。一方、牧畜には適しているため、肉食を食生活の基盤とせざるを得ませんでした。


この肉食を支えたのはキリスト教です。キリスト教では、人間以外の動物は全て人間のために存在するという教えがあります。人間と動物は明確に断絶されているのです。日本人の世界観では、人間も動物も「生物」というカテゴリに属す一種族に過ぎないという意識があり、人間と動物とを明確に区別しません。この点がヨーロッパ(キリスト教)と日本(仏教)の大きな違いといえます。
この人間と動物が断絶されていることを証明し続けるためにヨーロッパではあらゆるところに断絶論理を推し進めることになりました。本来、人間も動物の一種なのですから当然ほとんどの面において人間は動物的です。ですが、キリスト教の教義上、それを認めることができないため、人間は特殊であるということを公に宣言する儀式を作ることになりました。その派生でヨーロッパ特有の思想や制度、社会ができあった論理構成が本書の中心的テーマです。


人間中心主義と現実との妥協を付けるために創り上げられた論理が見事に説明されている話があります。
それは結婚です。
四足動物は人間と共通性があります。家畜が豊かだったヨーロッパでは、動物の性交渉と人間の性交渉が同じものであることに嫌でも気付かされました。ですが、キリスト教によれば人間と動物は断絶されていることになります。そこで使われたのが婚姻制度です。
婚姻儀式で人間に秘蹟を付与することにより、人間の性交渉は動物とは異なった行為であるという言い訳が出来上がるわけです。そのためにヨーロッパでの結婚観は日本のそれに比べれば非常に厳格なものでした。動物と人間が同じものであると認めるわけにはいかないわけですから、動物との差異として14親等以下での結婚を認めない、近親相姦に対する絶対的な忌避など、日本とは違った思想を持つこととなりました。人間は動物とは違うことを何としても証明する必要があったのです。


このような強迫的に人間的なものを追求せざるをえない人間中心主義は、社会組織、身分制度、教育制度、組合制度などヨーロッパのあらゆるものに影響を与えます。肉食とキリスト教が相まって出来上がった思想が、ヨーロッパの思想の根底となったのです。


■日本との差異
日本はなぜこのような人間中心主義が出来上がらなかったのか。その点についても説明されています。


最たる理由は、仏教の輪廻転生思想でしょう。あらゆる生物は輪廻するために結果的には人間は犬にも魚にもなる。だからこそ、人間と人間以外には厳格な断絶はなく、生き物というひとくくりで済むのです。そこからは差別的な思想はうまれず、全てを許容する思想が生まれます。差別・区別を推進する断絶論理とは対称的なのです。


■ヨーロッパの中心にあるのはキリスト教
本書は、肉食という観点を取り入れつつも、やはりキリスト教というヨーロッパの主柱について多くの言説を割いています。本書で、全ての思想の根本原因であるとしている断絶論理とそれを基にした人間中心主義もまたキリスト教の中心的な命題でありますから。ヨーロッパの思想をキリスト教という思想の巨人を省いて説明することは無理難題なのでしょう。


しかし、ただ観念的な論理と歴史を見て回りヨーロッパの思想を説明するのではなく、肉食という人間の生活に密に接した活動から思想が育まれていったという説明は、独創的で、魅力的で、実感できるものです。観念の積み重ねだけで民族全てに浸透するほどの思想ができるはずがないのです。思想というものは生活の中からしか発生することができない。その点に注目してできたのが本書なのでしょう。この点、本書は類書と一線を画すものであり、本書がより大勢の人に薦められる根拠だと思います。