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家修繕日記 Twitter

2013-03-02

水のまち

街中を水路が張り巡らされている九州柳川

f:id:tetsufujiki:20130302152334j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302152130j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302152000j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151553j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151546j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151448j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151331j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151236j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151210j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302151028j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302101711j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302094938j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302094525j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302094514j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302154030j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302153641j:image:w360:leftf:id:tetsufujiki:20130302153603j:image:w360:left

2012-06-01

再建築不可な物件の不思議

f:id:tetsufujiki:20120524113436j:image:w280:right家を建てる土地や中古物件を探されたりした人なら何度か目にする「再建築不可」と記された物件広告。こういう物件をうっかり買ってしまわないようにというのは、最初に教わるところだと思うが、どうしてそんなことになってるのか不思議というか、怪しいというか、ちょっと気になるところだ。

家を建てる時の許認可手続きとして「建築確認申請」があり、建築基準法をはじめとするあらゆる関連法規の基準を満たさない計画には一切許可が下りない仕組みになっていて、これがなかなか厳格に取り扱われる。一方、法律条例というものは年々見直され、どんどん厳しくなる方向にある。そうすると何年も前の法規制に基づいて建てられた建物は今現在の基準を満たさなくなる。ひとことで言うと違法建築となってしまう。ただこれでは法治国家として具合が悪かろうとして国から出された妙案が「既存不適格」という制度だ。現行基準を満たさなくても、建設当時の基準を満たしていればいちおう違法建築ではないというお墨付きとなる。ただし新たに建て替える時は現行規制が適用されるから、そのままでは再築不可となる。

なんちゃってルール

f:id:tetsufujiki:20120504114506j:image:w220:leftしかしこれが二重ルールを生んでいる。なんちゃってもいいところなのだ。それもそのはず、所詮あたらしく建てられる建物は全体の数パーセントに過ぎず、街を見渡せば既存不適格だらけだ。私の実感では建てられた直後にすでに基準を満たせなくなる物件が相当数あり、はっきりいえば既存不適格でない建物が例外中の例外と言ってもいいだろう。たぶん、50年くらいかけて新しい基準を満たした建物に入れ替わっていく算段なのだろうが、その頃にはさらに基準が上がっていて、これでは永遠に既存不適格はなくならないどころか、主流であり続けるだろう。

規制内容のひとつひとつは理にかなったものだ。家の前の道路が狭いと消防車が入ってこれず、火事の時に消火活動が間に合わないおそれがある。階段はひとつよりも二つくらいあると、いざという時に脱出しやすいだろう。こういう知見は、これまでの事故や悲劇からの教訓の蓄積であって、尊いものだ。だから私は、建築基準法の条文のひとつひとつはよくできているなとしばし感心することがある。世界に誇れる建築の安全基準になっていると思う。

国民を守っているようで守っていない法律

しかし残念ながら、その素晴らしい基準を満たしているのは全体の数パーセントでしかない。では、実態はどうなのか。これはおそらく誰も把握していないだろう。せいぜい事故が起こるたびに少々議論される程度だ。最近では広島のホテル火災で死者を出す惨事となったが、行政側は既存不適格だから仕方がないというスタンスだ。法律がなぜ存在するか。国民の安全と財産を守るためとされているが、基準は立派にできていても最後の詰めが甘い残念な法律となっている。解決策はある。我々が新築をベースに理想を追い求める発想からそろそろ脱却して、目の前にあるものの安全性などから目をそらさないことだ。法律を満たしているとかそうでないとか、それだけで済まさないこと。うちの子供たちもそうだが、ルールに対しては比較的に従順だったりする。学校教育がそんな感じなんだろう。けれど、ルールを守ることのそれ以上もそれ以下もない感じだ。本質を考える訓練が小さいころから必要ではないだろうか。

f:id:tetsufujiki:20120524095834j:image:w360:rightさて、再建築不可の話にもどす。先日見てきた世田谷区内にある長屋は、未舗装の狭い路地に囲まれている。家を建てるための前面道路基準を満たさない典型的な再建築不可物件だ。法律的に家を建ててはいけないということは、国民の安全をおもんばかってのことなのだが、現状で住み続けることは別に構わない。人に貸して家賃を受け取ってもよい。確かに火事が起これば火の手が広がりそうな危険は感じる。一方で自動車が入り込んで来ない静けさがあって、かえってそれが安全かもしれない。そもそも住んでしまえば、それが基準を満たしているとかいないとかは意識することは全くない。借りて住んでいたりすればそんなことを知る由もない。やっぱりなんだか不思議な法律だ。

2012-05-26

賃貸にお住まいの方へ

f:id:tetsufujiki:20120523135026j:image:w360:right親もとを離れてすぐに家を買うというような人はむしろ少数で、ずっと親と同居を続けているような方を除いて、一度は賃貸に住むという経験をしている人は多いはず。そんなごくごく一般的な賃貸住まいだけど、結構誤解をしてる人も多いんだなと最近感じてる。すなわち、家の修理を誰がやるのかということで。

家修繕ドットコムではちょっとした修理の依頼を受け付けているが、そこで意外と多いのが賃貸に住んでるという方からの修理の相談である。きっとこのブログを読んでる方はご存知と思うが、賃借人(借りて住んでいる人)には勝手に借りてる部屋の修理などをする権限がそもそもない。だから、すぐに大家さんに壊れていることを連絡すれば済む。そういうことをユーザー様にお伝えすると、そうでしたとすぐにご納得いただける。しかし、こんな思い違いの根は結構深いのではないか。

修理の依頼までに至る経緯をお聞きしていると、いくらくらいかかってしまうのか心配されていて、だいぶん悩んだ末に相談されたようなことも多い。修理する権限のない賃借人にはそれに要する費用を負担する義務もない。賃借人の使い方が問題でそうなったのなら費用負担もありうるが、大抵はそうでもない。すなわち、悩むだけ損である。あるいは、不具合を我慢して住み続ける見返りも何もない。さっさと大家さんに速やかに修理をすることを要求すればよい。賃料を払っているのだから当然の権利ですらある。

大家さんが逆ギレ!?

むしろ、不具合を放置して、そのことを大家に告げないでいて、被害がどんどん広がってしまうようなことがあると、善管注意義務(善良な管理者としての責任)を問われかねない。元々の被害者であるにも関わらず、「なんで早く教えてくれないの!」と大家側から逆ギレされてしまうんですね。それではあまりに切ない。

私はこのような状況を個々人の「オーナーシップ」の欠如だととらえている。まずは不動産には必ず所有者がいて、その不動産から得られる便益の権利とそれにともなう責任も一義的には所有者が握るという事実の理解が必要だ。そして、その所有者が誰であるのかを常に意識することだ。この理解は誰にとっても生きていく上で必要不可欠にも関わらず、義務教育で教わることがないのが不思議なくらいに思う。

2012-05-03 原点を振り返る

原点をふりかえる

f:id:tetsufujiki:20110809191159j:image:w360:rightもうすぐ会社を設立して一周年になる。続けてこれてありがたいなと思う。けれど、反省も多いし、物足らなさもある。2年目となれば、スピードもあげていろいろやっていきたい。

そもそもなぜこのビジネスをはじめたか?

作っては壊しというスクラップアンドビルドの時代は終わりにしようと言われて久しいが、現実はあまり変わっていない。建物の平均寿命は伸びていないどころか、短くなっているというデータすらある。一方で、古いものの良さをみんな分かってる。エコだなんだという前から、もったいない精神を心の中に持っている。それが日本人。

なのにね。そうなっていないのは何かがおかしい。

建てて壊さないとは、使い続けるということなんだけど、多くの人はたぶん、使い続ける方法が分からないんだと思う(自分もそう)。あるいは使い続けたほうが得なんだよ、ということを推し測るすべを知らない。いや、きっとこの両方なんだろな。分からないんだったら誰かに聞けばいいし、分かる人がそれを教えればいい。そして、教わったやり方をすぐに実践できればいい。

と、その一連をサービスとして提供すればいいんじゃない?そうすれば世の中変わっていくよね。

だから、やってみるだけなのさ。

2012-04-06

リフォームの不安

f:id:tetsufujiki:20120226150252j:image:w300:right

お客様から鋭いご指摘をいただいた。

扉の調子が悪かったものを修理した。ちょっとしたリフォームだった。無事に終わってよかったですね、という軽い気持ちで最後に感想をお聞きしたが、工事の途中では不安でたまらなかったということを吐露された。私自身は工事をするわけでもなく、あくまでも最適な業者さんをご紹介するだけではある。ただし、単なる紹介に終わらないように、工事がきちんと終わるまで見守る姿勢をとっている。私の役割は「安心していただくこと」だと考えている。

しかし、それが十分ではなかった。私の慣れもあるのかもしれない。これくらいの工事なら簡単だと思ってしまった。けれど、お客様は何もかもが初めてで、しかも見知らぬ工事業者の人が家に入り込んで作業をする。それだけでも不安があるのかもしれない。

結果としては職人の腕がすこぶるよかったこともあり、終わってからは大変満足をされたが、途中の不安については大きな課題をいただいたと感じている。

(写真と文章は関係がありません。イメージです。)

2012-01-29

新サービス商品化プロジェクト

f:id:tetsufujiki:20120129140758j:image:w260:left今、新しいサービスの導入を試みている。私はちょっとした修理やリフォームでも気軽にできるように主にインターネットを活用してそのサポートをしているが、そんな部分的な貼り替えや塗り替えをやる時にでも、やはり気の利いた色やデザインを選んだほうがずっと満足できるということを常々感じている。しかし、これが結構むずかしい。

まず、そもそも部分リフォームのカラーコーディネイトは新築よりもずっと高度なスキルを必要とする。新築かあるいは丸ごとリフォームであれば全ての素材をゼロからトータルにコーディネイトできる。しかし部分リフォームの場合はこうはいかない。リフォームしない箇所との色合いのバランスを考慮しなければならない。このことを無視すると悲しい結果になる。しかも古い個所はただでさえも色あせなどしていてみすぼらしいことがある。これと新しい部分とが混在すると、お互いの古さ新しさが際立ってしまう。このバランスを図らなければならない。

また、一流のデザイナーは部分リフォームにあまり関心がない。一案件あたりに投下される費用が少なく、そこから得られるフィーも少ないから、一流デザイナーが関わりようがないとも言える。したがって、部分リフォームでは工務店の設計部門で色選びに対応しているが、これもレベルの差が著しいので当たりはずれもある。正直言うとデザインと呼べるレベルでアドバイスできる工務店がどれくらいいるだろうか。(もちろん高いデザイン力を持ったスタッフを豊富にそろえるところも多くあります!)

f:id:tetsufujiki:20120129132222j:image:w320:leftそれで、そんな「簡易コーディネイト」をちょっとの費用で受け付けるサービスを始めた。今日はその現地相談の日だった。クライアントがご購入予定の中古マンションは、築年数が少なくまだ中はきれいでリフォームの必要がないくらい。けど、あえてリビングだけは壁紙を張り替えて自分らしくされたいということだ。ご紹介したデザイナーは要望内容を敏感に読み取り、すぐさま持参したサンプルを広げ、色の組み合わせの提案をあざやかに展開していった。決まったのは植物をモチーフにしたいわゆる「リーフ柄」2種類とグリーンのアクセントウォールとの組み合わせとなった。こういう大胆なコーディネイトは素人ではためらってしまうだろう。これはプロの領域だ。残念ながら普通の工務店レベルではできないと言っていい。

こんなサービスが広まっていくと、家を持ち続けることの楽しさも増えるだろうと思う。気が向いたら、家の中を少しずつリニューアルしていけばいいのだから。

2012-01-24

大家さんとIT系

f:id:tetsufujiki:20120119105216j:image:w360:left大家さん考の続きを書きたい。サラリーマン大家さんの本業はどんなかということだが、これは薄々感づいていたのだが、なぜかIT系が多い。先日お会いした方もやっぱりというか思いっきり某世界的なIT企業にお勤めだった。そういえば某大家さんコミュニティの主催者の方も本職はITだったっけ。なお、どちらかというとSE系が多いように思う。不動産IT。リアルとバーチャル。この一見相容れないふたつの共通点は何だろうか。

こうなると、この理由をいくつか推測したくなる。ひとつは、「エクセル」ではなかろうか。不動産投資にはエクセルが欠かせない。複雑な複利計算でいちいち電卓を叩いていられない。かといってヤマ勘で処理できるものでもない。しかし、IT系の人は、電卓をいじるような感覚でいとも簡単にエクセルをあやつれる。実は世の中にはエクセルが苦手という人もいる。この差はとても大きい。

ふたつめとしては、情報収集力である。これもインターネットを屈指できるか否かにかかっているが、IT系の人はこれも簡単にクリアする。気の利いた検索キーワードで欲しい情報を瞬時に入手する。この能力は不動産投資の時でも運用時でも両面で重宝する。

三つめは、逆説的だが実は不動産ITとで似ていることである。象徴的なのが、システムのことを「アーキテクチャ」と呼ぶことだ。アーキテクチャとはもともと「建築」のことで、個から全体へ全体から個へと統合するイメージで両者はとても似ている。そこから派生して、業務の受発注に関わる業界構造が似ている。例えば、設計→構築→保守という流れは、システムでも建築でも全く同じだ。このプロセスマネジメントする時の勘所に共通点が多い。したがって、システムの仕事をされている方は、建築系の業務に伴うある種の複雑さに抵抗なく入り込むことができる。これができる人とそうでない人の差は大きい。こうして、無意識にIT系を本職とする方は不動産マネジメントにも強くなっているのだろう。すなわち、成功する大家さんにIT系が多いという結論だ。

これにさらに融資の審査が通りやすいなどの要因もプラスして、IT大家さんが広がっているのだと推測する。これを裏返してみると、不動産のプロと言えどもITが苦手と言ってるようでは、素人の大家さんにも及ばないということもあり得るだろう。よく不動産業界は遅れていると言われるが、その状況を草の根的に変えつつあるのが実はこういった大家さん方ではないかと私は期待している。

2012-01-22

大家さんという生きざま

f:id:tetsufujiki:20110510135145j:image:w360:right先日、日本を代表する大家さん組織を運営するお二人の方と話をした。国内には、個人の不動産経営者であるいわゆる大家さんは300万人いると言われる。一方でこのような組織に加入している大家さんはごくひと握りで、数パーセントにも満たない。たいていは独学で試行錯誤しているか、管理会社にただ振り回されている状況にある。しかし世帯数で全国の五分の一にあたる大家さん経営の賃貸住宅の質向上は、日本人の住環境のレベルアップに不可避だと常々考えている。それには、まず賃貸経営そのものがうまくいっている必要がある。お二人が育てているような大家さん同士が研鑽し合うコミュニティが広がっていくことが今後の鍵となるであろう。

なぜ大家さんなのか。まず、管理会社ではだめなのか、と思われる方も多いと思う。管理会社もプロではあるが、主体的な判断という点では限界がある。また、管理会社の収益源として管理フィー以外に仲介手数料修繕工事管理手数料などがあることがあり、これらインセンティブが必ずしもオーナーの利益と一致しない。それに加えて、長期的な視点はやはり苦手だ。管理会社がオーナーの長期的利益を真剣に考えることは稀である。オーナーも目先の利益を重視することもあるが、結局は将来的に成功しなければ不動産投資をする意味がないことに気付く。

法人オーナーとの違いに関して言うと、副業的大家さんに注目したい。いわゆるサラリーマン大家さんだ。本業の会社勤めによる収入がありながら、傍らで賃貸経営を秘かに楽しんでいる人たちだ。不動産経営も決して片手間でできるようなものではないが、かといって専業でやるほどでもない。いいテナントに恵まれれば黙っていても収入が来るが、かといってそれだけで食っていけるようになるにはかなりの投資資金が必要だ。結論として、副業として賃貸経営をするくらいがベストということだ。

また、長期的視点を持てるところもサラリーマン大家さんが上手だと思う。法人オーナーと言っても、日常レベルの意思決定は所詮雇われ人がやっている。彼らも長期的思考が苦手な人種だ。毎期毎期の営業成績を追及していかなければならないからだ。不動産経営での良い意思決定をするには長期的視点が欠かせない。不動産経営の勝負は息が長いものだ。世間で「不動産屋」と言われている人たちはイベントに注目する。売買や建設のようなイベントによって儲かる商売だ。一方、大家さんの関心は経営にある。この違いは点と線くらい異なるものだ。点よりも線を描くほうがずっと複雑だ。そんな難題に挑戦し続ける大家さんを僕は応援していきたい。

2012-01-20

厄年の心構え

f:id:tetsufujiki:20120116134616j:image:w360:left今年は厄年だと気構えていたら、どうも数え年で後厄ということらしい。この辺りややこしく感じたが、今のところ健康状態もいいから、今年もこのまま乗り切りたいところだ。

この厄年を気にする習慣も単なる迷信でもないようで、厄年に限って入院することもあるなど、ひょっとしたら医学統計的にちょうど体にガタがくる一定に年齢というものがあって、それが積み重なって先人の智恵となっているのかもしれない。だから油断ならないというわけだ。

建物にも同じようなことがある。一般的なオフィスビルなら、22歳から25歳くらいだ。この時期にまず空調機の故障が急に増え始める。エアコンが効かないと夏場は中にいられないほどになるから、修理に待ったなしだ。その対応が遅れると、そのうちに外壁改修の時期を迎える。これも放っておくと雨漏れで大変なことになるから、手をつけざるを得ない。しかも、このふたつはなかなか大きな費用が必要なもので、重なると資金不足になってしまう。これが悪循環のはじまりとなることもあるから、まさしく厄年である。

これを防ぐには、まず厄年を受け入れることからはじめたい。若い頃とは違うのだという自覚が必要だ。それが長生きへとつなげる先人の知恵である。

2012-01-15

大倉山のもうひとつの顔

f:id:tetsufujiki:20120114095503j:image:w360:left東急東横線大倉山と言えば、エルム通りをはじめギリシャ風の建物が並ぶ商店街として有名だ。また、大倉山公園など緑を抱く広大な丘陵地を中心に、閑静な住宅街が続く。その傍らに知る人ぞ知る「大曽根商店街」がある。

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ここはかつて綱島温泉街の一角として栄えた。綱島温泉は、昭和初期には「横浜箱根」や「東京の奥座敷」とまで呼ばれたが、今ではその名残りの銭湯は2軒しか現存せず、その1軒である「太平館温泉」がこの商店街にひっそりと残る。

この商店街もだいぶん「住宅地化」が進んでいて、商店街らしい人通りもない。けれども、肉屋や魚屋など1軒1軒のぞいてみると、この商店街のもつ歴史とたくましさをひしと感じる。一方で建物は老朽化し、下ろされたままと思われるシャッターも錆で赤くなっている。これは今、日本中でも見られる光景だ。しかも、よく地方都市の話題で出てくるのだが、実はすでにこんな都心部でも同様の現象が進行している。

おそらくこのまま住宅街に変わっていくのが市場原理であろう。大倉山は人気の駅で住みたい人もたくさんいる。しかし、せっかくの歴史や街のもっている独自性を活かされず、どこにでもあるような住宅地にしていってしまうのは、なんとももったいない。こういう街を次の世代に美しい形で残していきたいなと思う。

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