稲憲一郎展

 「見ることは考えることだ」 ジャスパージョーンズの言葉です。稲憲一郎の作品を見ているといつもこの言葉を思い出します。
 稲さんとは、知り合ってもう随分になります。アーティストとしての長いキャリアと実績のある方ですが、気取りの無い方で、いつもどこの馬の骨相手の芸術論につきあってくれます。
 
 展覧会は、銀座の檜画廊二カ所で同時開催されていて、とても見応えのあるショウでした。僕は二十日に行ったのですが、面識のある大先輩の作品にコメントをつけるというのは、どうも憚られて、ぐずぐずしているうちに今になってしまいました。
 写真の作品は、油彩とオイルスティックとアクリルで描かれています。マテリアルの多様さは、作品自体が、何かの再現や自己主張である前に、描くという行為そのものであるという事を観客に意識させます。
 左のパートは、美しさとか、あるいは有名な景勝地であるとか、そういう外部から付加された意味をもたない、ありきたりで索漠とした風景です。
 右のパートも、実に無造作で、抽象絵画としての美意識や調和を出来るだけ崩そうとしているように思えます。

 何も無い、何も成立しない、という事を知っていてもなお画家が何かを描くとしたら、こういう答えになるのかも知れません。
 芸術家が自己表現と自立を目指したのが、近代の歴史ですが、その先に待っていたものは何だったのでしょうか。
 
 〜ピカソの出現ですべての人は芸術家になった。デュシャンによってすべての行為もまたは芸術だと知った。しかしそれは到達点なのか?出発点じゃないのか?〜

 池田満寿夫氏は模倣と創造の中で、そう語っています。
 すべての人と行為が芸術で、それでもまだ芸術家であろうとする者は何処へ行け

ばいいのだろうか。

 稲さんの作品を見ながら、そんなことを考えた日でした。