読み聞かせ

明日、銀座で知ってる人が、朗読の会に
でると伺い、行ってみることにしています


好きなまんが、「クッキングパパ」にて登場する
とても、品のいい、年配、おそらくは60代かなという
女性が、ボランティアで、保育園にて、読み聞かせの会を
開くというシーンがあります
読み聞かせの、世界にはいった子どもたちは、まるで
その絵本のストーリィに自分がはいりこむような
ここちいい、経験をします


2年ほどまえに、読書会をやったときに、小説の楽しみ方は
自分が感情移入できるかどうか、ではないか?
という話がでて、なるほど、と思ったことがあります
そのときの、題材は、川端康成の「古都」で、主人公?に
見える、二人姉妹は、あまりに「理想化」された姿で
自分として、感情移入はできないと、言う参加者がいました


感情移入というのが、確かに、ストーリィを楽しむ
ひとつの方法であることは、確かですよね
ただ、それだけ?って思うこともありますけど


読み聞かせにもどって、クッキングパパにでてくる
読み聞かせによって、そのストーリィにはいりこむ
経験って、もしかしたら、その後、本を読むときの
なにかしら、ガイドの役目になるかもしれない、とも思います


これももう5年ほど、まえでしょうか、伊藤玄二郎さんと
関東学院の学生さんがやってる、建長寺における
読み聞かせの会を、覗かせてもらったことがありました
そのとき、感じたのは、読み手の気持ち、つまり
読み手の本気度というか、気持ちの強さが、聞いてる側を
引き込むなということですね


これは、舞台でも言えることと思うのですが
演じてる、その役者の気持ちが、観客を巻き込んでいくという
ことが、基本にあるのでしょう
「極意」といっていいことは、観客側は、その本気度みたいな
ものを、意識しないで、引き込まれるということ、にも
なろうかと思います


ほんのちょっとだけ、読み聞かせ的なものを
ボランティアのお手伝いでやったとき
思ったのは、「ナマ」の演者が目の前の、なにか
というのは、子供たちは慣れていないということです
だから、演ずるまえに、なんとなくでも、仲良くなっておくと
ノッテ、くるということがあります


こうしたことは、すべてに通じる
人間と人間のつながりの、話につながってるとも
言えます