若手とベテランがいいところを出し合う

若手とベテランをいいところを出し合ってる
これは、チームの理想の形のひとつだと思います
これを、継続的にできること
若手は、ベテランのやること、を、吸収して、やる
若手の、挑戦する気持ち、どんどん行動するをだす
ベテランは、若手の模範となるように、やろうとし、また
教えるということで、自らのいろいろに磨きをかける


言葉で書くと、「できそうかな」かもしれないですが
これを継続的にやろう、丁寧にやろうは、そんなに簡単では
ありません


悪くすると、若手とベテランがお互いの足をひっぱりあって
動きが悪くなっていく、になってしまわないでしょうか?


仕事は、一度成功すれば、はい、おしまいではありませんね
継続して成果をだしていくということ、また、ビジネスであれば
売り手、買い手、ともにいいなではないと、継続していけません


私たち、システムを作っていくという、仕事において、インフラと
いっていいものを作るわけですから、まさに使っていていいものを
作っていかないと、うまくまわりません


人と人、どうしたら、報連相がうまくいき、仕事していて
相互に学びがある、いいチームになっていくでしょうか


聞くこと、話すこと
ここをまずは丁寧にやりたいなと思います
「聞くこと」これを丁寧にやるということ、トレーニングがいると
思っています
聞くことが、丁寧にできる人ってすごい人ともいえます


人間は根源的に、なにかを相手に伝えたい、そういう存在だと認識する
ここからはじまります
だから、自分のことを伝えたいもあるでしょうが、まずは相手のなにかを
キャッチする、受け止めるということがうまくなること
ここをやってほしい


お互いが伝えたいことをだして、学びあいがあり、まさに化学変化といっていい
新しい価値が生まれていく。ここをめざしてほしいと思います


先日、ツィッターのなかで、新人研修で、どう本人たちにインプットするか
という視点もあるでしょうが、本人たちからでてくるものを、受け止める
本人たちがもってる思い、やりたいことをひきだす、そういう観点も
大事といってるのをみて、なるほどと思いました


新人研修、まだ、ビジネスのことをなにもしらない、だからインプットを
という考えはあっていいです。だけど割合は、後で考えるとして
本人たちからでてくるものを、受け止める、ここも大事だという観点
いいなと思いました


若手とベテランが、いいところを出し合う
人間と人間。チームであれば、それぞれの良さをだしあってこそ
いいチームといえるのですね
そんなふうに、相手も人間、という視点を忘れないでいたいですね

 

おいしいものをいただく

食いしん坊だから、おいしいものの話は好きだし
関心が高いものと、言えます
そして、おいしいもの好きが話す相手となれば盛り上がります


たぶん、この10年くらいの、外国人の日本に来る目的が
食べ物が多くなったということ、わかるなーなんて思います
もちろん、世界中の料理を食べたなんて認識はなくて
なんですが。


おいしいもの、海鮮。
横浜に住んでいて、三浦半島、伊豆、千葉が近いです
そういう場所にでかけてみると、やっぱり地元だからだなと
思える店に出会えて、おいしい魚介類に会えます


魚は、鮮度が命といっていいでしょう
鮮度のいい魚、手に入るところは行ってみたいですね
じゃあ、釣りはどうなのというと、釣りというのがなかなか
縁がありません
釣りをする人が、ちょこちょこ知り合いになって、その人から
話を聞くと、その楽しさ、おいしさということに心惹かれるのですが


おいしいもの、野菜
今、我が家の野菜の入手先は、主にふたつありまして
ひとつは、メルカート神奈川です
農家直売の、お店です。特に葉物だったり、トマトなど
鮮度がいいものがあって、うれしいです
もうひとつは、大地宅配という、やっぱり鮮度がよい野菜を
毎週届けてくれる、しくみを使います


ドライブにでかけて、新鮮な野菜にあうとうれしいですね
そういうときに、旬なものを感じます


おいしいもの、手作り
時短とか効率化ということが、あたりまえに大事とされるなか
フルタイムで働いているし、確かに時間は惜しい。
だけど、手間をおしんでいたら、おいしいものって、なかなか食べられない
ということがあります
鮮度のよい野菜、肉、魚をひと手間かけていただくから、だから
おいしいものが食べられます


たとえば、土鍋で煮込んだもの
週末に仲間がくるので、なにかあったかいものを作ろうと思います
土鍋での煮込み。だいこん、にんじんあたりを、おおぶりに切って
ベーコン、骨付き鶏、ソーセージもいいでしょう。煮込みます
なぜか、土鍋で煮込めば、金属の鍋とはちがう、おいしさに深みが
でるように思います


おいしいもの、仲間と食べる
おいしいなと、言い合って、仲間といっていい人と、食べ物を
囲むとのは、至福といっていい時間だと思います
私、人が育つということにおおいに関心があって、そういうことに
自分が関わってる、そういうことに喜びを感じます
その大前提といっていいか、おいしいものをいっしょに食べる時間が
いいなという感覚を、共有していたいと思います


かつて、電気、ガスなどのインフラがない時代
「火を囲む」というのは、人間がしてきた、基本中の基本といっていい
人と人のつながりを、もつ、大きな役割をもった、行動だったと
いっていいと思います
今、現在でも、北欧のある国では、暖炉をもってるということが
各家で、必要と国で定めてるとこと(安全保障の問題も)聞きました


おいしいものを、火を囲んで食べる。人間らしいことだと
言っていいですね

 

思い出のマーニーを読む

思い出のマーニー ジョーン・G・ロビンソン
という作品がとても好きです


主人公、十代前半、の、孤独と再生の物語と
言っていいと思います


最近好きになった、小川糸にもあることだと認識するのですが
再生の物語、ということ、ここに「救い」があるのだと
認識します


こうした再生の物語というのは、今の時代の生きづらさ
ということを、やわらげてくれるとも見えます
それだけ、生きづらさが、大きいとも言えます


先日、ある人から質問されて、自分が十代だったころと
いまとなにがちがうのかと、問われました
それは、と、答えたのが、私が十代の、昭和40年代、50年代
というのはおそらく相当数の人がこれから世の中、そして
そこで生きてる自分を含め、豊かになっていくと信じることが
できたこと、と、伝えました


それでは、今は?
なかなか信じるのが難しいといっていいのではないでしょうか


そのときも、テレビがあって、いろんなことを知ったといっていい
外国の豊かさということも知ったといっていい
日本はまだまだ、相対的に貧しかったということもあります


思い出のマーニー
主人公は、なかなかまわりの人に心が開けない
孤独のなかにいる、孤独から自分ででられないような、そういう
設定です
転地療法を勧められ、そこで出会う、不思議な少女と仲良くなり
そして、アクシデントから別れ、憎しみ、また不思議なことから
許すことができるということまでを書いています


許すことができる
これがほんとに大事なポイントだと思います


無理くり、小川糸の世界につなげてみれば
ツバキ屋文具店シリーズの主人公の鳩子は、自分が子育てをする
という過程で、かつて、きびしく育てられ、反発、憎しみも感じた
祖母との関係を見直し、祖母との、疑似親子の関係を肯定する
つまり、相手を広い意味で許し、そのときの自分も許すことが
できると、読んでもいいのだと思うのです


生きていくというのは、大変です
認識の原点として、許すことができる。そのことはあっていいこと
なんだと、認めるということ
こうしたことから、はじめるのが、ひとつの基本形といっていい
生き方とも言えそうな気がします


生きていくのは大変です
いま、自分が育った昭和よりいいことといえば、人間の多様性を認めよう
という世の中の流れ、ということもひとつ言えると思います
ひとりひとりの、個性を重んじる
これ大事と同時に大変なんですが、ひとりひとりのことをもっと尊重しよう
という態度


こういうことから、個性が育ち、いろんな分野で活躍する人をだす
ということがありそうです


個性は重んじられるということ、大事
それと同時に、社会力といっていい、人とつながる力もつけていきた
そんなふうに、思うのです

令和の時代

今年は令和六年
令和という時代は、まだこれからはじまるといっていいでしょう
どんな時代になっていくのか、楽しみになるような、みんなが
生きていて、うれしいとか、よかった、が増える時代がいいなと
思います


昭和に青春時代、25歳までを過ごした自分としては
昭和に対して、ネガティブな印象はなくて、逆に、平等と思えたとか
これからもっと豊かになると思えた、いい時代だったという印象が
あります


平等と思えた、これから豊かになると思えたって大事なことですね
今はどうなのか?
格差社会に向かってると、感じる。これから豊かになれないのではと
怖くなる
そういう時代なのでしょうか?


少子化が進んでるということは、ありますね
それも日本だけでなくて、おそらくは全世界で少子化は進むのです
そのとき、豊かになれないというのは、日本の昭和のある時期にあったような
高度成長のような、景気のよさはこないということはあるでしょうね
だけど、それはそのまま、景気が悪いといえるのか?


令和の時代
心の豊かさがほしいと、誰もが思ってるということが
ありそうです
カフェが増えていますね。カフェでゆっくり過ごすというのが
ひとつの、プチ贅沢と思えます
そうしたことを、大事にしたい、って人増えてるといっていいのでは
ないでしょうか


自分もやります。カフェにおける、プチ贅沢
それは家ではやることがたくさんあるし、もちろんオフィスを持つ人は
オフィスは仕事をする場、であり、作業がいろいろ待ってるという
ことがあるでしょう
そうしたことを、一度、ポンとなげだして(とはいっても、長くても1時間、とか2時間か?)
カフェで、いろいろ忘れて、自分のための時間を過ごす


自分のための、自分の好きなことのための、なにかをする時間
そういうことがほしいという人、多いのではないでしょうか


読書が好きです
人によっては、どこだって読書はできるという人も
いると思いますが、私は場所と時間、雰囲気は大事な
読書のパートナーなんですね


もちろん、読む内容にもよります
自分が一番好きだなと思う、小説家のストーリィを読むと
すれば、それこそ、場所は選ばないということもあります


なにか、学習に近い、知識を得るだとか、考え方を学ぶといった
読書になると、また別だなと思います


読書も、実際いろんなジャンルをまたがってしたほうがいいと
思いながら・・・実際は、偏ってるねって思います


令和の時代
人と人のつながり、ということに自分は、フォーカスしたくなります
比較して、前の時代より、自由になった、といえるでしょう
それは快適ともいえるでしょうが、つながりが不足してるということと
セットだといえるでしょう
家ということ、地域ということ。さらには、宗教等のつながり
なにをもって、つながっていくことが大事、いいことでしょうか??


令和の時代
自由さといっしょに、なにかをしないと、怖いねと思っています

和歌の話

和歌を習ってみたいと思ってから、しばらく経ちます
習ってみたい、という気持ちを、分解すると
「仲間がほしい」「先生がほしい」「いろんな世界を知りたい」
などがでてきます


和歌を楽しんでる人のいくつかを、思い出すと
和歌をひとつの、触媒として、自然を愛でる、人の気持ちを思い
つまりは、いい時間を過ごしているという、感じがします


いい時間を過ごすという意味と、文字で表現するという
ことでは、このブログも共通したものがあるといっていいです
ただ、アプローチがちがうといったらいいか、楽しみの方向は共通な
ものがあるのですが、ちがった進め方、楽しみ方だろうと思うのです


8年ほどまえだったと思います
京都国立博物館にて、三十六歌仙の展示がありました
そのいくつかの、和歌の新しさといったらいいでしょうか
古典性といわれる、今とりだして、味わってみても、古さを
感じさせない良さ、というものを、感じることができました
すごいともいえると思います


月をみて、その優雅な姿にあこがれたり、親ばかと呼ばれる行為を
ついついしてる、自分を恥じているなど、楽しめたのです
(元のうたを一言一句思い出せない)


もっとまえだったか、新聞のコラムに、百人一首を、残してる、こうした
文化があるということが、日本文化のすばらしさを、物語ってるといった
ものいいが、ありました


日本人なら、日本語を大切にしたい、と、漠然と思います
だけど、自分がそのためになにか行動してるのかというと、ほぼ継続してなにか
ということは、ない、とも言えます


和歌を習うということが、日本語を見つめたり、和歌がほんとうに
触媒となって、自然だったり人の心をうたうことができるとしたら
日本語を大事にしてる、といっていいと思います


「さらす」ということに、思い至ります
つまり、自分の気持ちをさらしていく、自分自身をさらすという楽しみ
おそらくは、仲間のなかで、ということが、ほしいところといっていいと
思うのですが、そうしたことができたら、うれしいだろうし、相互に
できる仲間がいたら、さらにうれしいのだろうと、想像します


今日の朝の空は、雲ひとつない、空を起きてから見ることができました
自然がくれた、プレゼントといっていい、美しさです
この美しさ、とても言葉では、表せないなと思いながらそれでも
ちょっとだけ、挑戦はしてみたいなと思うのです


冬から春に向かう、おそらくは、もうひと風、春の風がふけば
冬のいろいろは、どこかに飛んでいくのではと思う、3月の後半
今日は、今日の朝は、空は、まだ冬のなかだぞと思わせるなにかが残ってる
そんなふうに思い、手が冷たいと思いながら、歩きました


和歌、であれば、どんな表現をするのだろうと想像して
今日は筆を置きます

 

ピザの話

みんなピザが好きだな
これは、ずいぶん前の記憶
八ヶ岳のふもと、ピザと、燻製がおいしいと書いてあった
ペンションに、社員旅行ででかけました
ついて、ランチでピザでした
みんなおいしそうにピザに食いつきます


それから、大好きな漫画、クッキングパパにて
ときどき、でてくるピザのシーン
ときには、キノコを主体にしたピザだったり、お漬物
そして、もちろん、トマトソースの定番のもの、だったりと
ピザって、実は発想しだい、いけると感じたのです


3年前に、キャンプに誘われました
そのキャンプ場には、ピザ窯があって、あ、これでピザ
焼いてみたいと思いました


自宅でやるとなると、この窯の代わりになるものが
必要になります。今思ってるのは、オーブンとホットプレートです
食べ盛りの人が、数人集まるとなれば、オーブンだけだと
間延びしちゃいますよね
ホットプレートも動員して、どんどん焼きたいですね


ピザ窯で焼いたときは、感覚として7,8分で焼きあがります
このくらい早ければ、窯はひとつでも、相当な人数の人が
食べても、間に合いますね
けれど、自宅のオーブンだと、だいたい15分くらいは、かかると思った
ほうがいいですね


千葉県君津市 カズサの郷 愛彩畑と呼ばれる、農産物の直売所に
寄ったら、ピザ窯で焼く、ピザを食べられるレストランがあって
うれしくいただきました
やっぱり専用の窯があるというのは、すごいですね
火が大きいということです
火と、焼く対象のものの、バランスということがありますね


ピザをシェアしていただくというのが楽しいですね
人間って、火のそばで、食べ物をシェアしあうということが
もともと、食事ってそういうもの、だし、食べ物をシェアする
という行為が、とても親近感を感じやすいということがあって
いいやり方といっていいです


人間って、協力しあうこと、助け合うということ、これがないと
生きていけないのですよ。人間の根源的といっていいことに
他人とやりとりしながら、学ぶということがあります
そうした前提にたつと、いかにつながってる仲間がいるのか
そういうことが、ほんとに大事な、要素として浮かぶと思っています


ピザをシェアする
ただ、それだけかもしれないですが、そのことをやったことのある仲間と
やったことのない人、感覚的に、気持ちの近さがちがうと思います


いろんな準備とか、場所の確保とかあるのですが
やっぱりいっしょに食事もして、仲間として感じる機会って
大事だよねと、思っています

 

信州

信州に繰り返し行くようになって、その景色に
ぞっこん、って気持ちがあります
安曇野、この景色のすばらしさ。もう15年以上まえ
そのときだって、もう何度も訪れていた安曇野
見晴らしのいい、池田町立美術館、別名、北アルプス展望美術館
ここで、安曇野を描いた画家、山下大五郎に出会いました


山下の描いてる、安曇野の風景は、山があり、田んぼがあり
広い、土地がある。抑えた色調でかつ、明るい、透明感といって
いい世界。その絵をみてから風景をみると、それまで見えなかったのか
と思うような、世界がまた目に映ったのですね


山下大五郎の絵をみて、楽しんでる自分
そのことが、絵をみる楽しさを知っていてよかったと思いますし
旅の楽しさとアートがつながるっていうのはこういうことか
と、また自分がうれしくなる、そんな気持ちになります


「楽しむことができる」そういう、心の働きというのを
大事にできる。これは生きることの達人といっていいのでは
ないでしょうか


絵をみる。これを楽しめる
実際子供のころは、誰もが画家であり誰もが詩人なんだと
誰かがいっていますが、そのとおりで、少なくとも子どもは
素直に色だったり、形をみて楽しみ、詩人が感じる感性を
もってるのだとも、感じます
そういう素晴らしい、感性というのを、大人になっていく
なかで失ってしまう
絵を楽しめるようになるというのは、心をとりもどすということに
なるのではないかと、感じます


山を見る。海を見る
そうしたことが、心の栄養になって、潤っていく
そういう気持ちを大事にしたいと思います


山を眺めるということ。その山をみたいなら、山から少し離れて
平地をはさんで、別の高いところ、山なり丘に登るということが
いいのだと、信州に行くようになってから、気づきました
そして、安曇野はその意味で理想的な場所なんですね
複合扇状地の、広い平らな土地をはさんで、東に北アルプスから
連なる山々、西にも山が、小川村や信州新町に続く山があります


山をみながら、深呼吸する
ただ、それだけでも、きっと山のなにかいいところを
少し体のなかにいれることができる
そんなふうに思います


山が見たいですね
東山魁夷の描いたような、山、憧れますね
信州は、何度でも行きたい、場所になりました