原田ひ香

原田ひ香の、小説の魅力は、おそらく自分でかなり
試食したりして、味、作り方も吟味してる、食べ物の
話だろう


神田、古本屋街のボンディのカレーの
もう、そのカレーのにおいがしそうな描写
その近くの中華屋に、ひまなときにしか
作ってくれない、ウラメニューの存在


ちょっと、この原田ひ香の、食べ物の描写に
ひっぱられて、なにか店をさがしたりが、このところ
多いのに、気が付きます


ビリヤニは、インドの炊き込みご飯ということで
はじめて食べたのは銀座でした
結構辛い、だけどあと引くおいしさ
最近は、自宅近くにある、ときどきいってる
インドカレーの店に、ビリヤニがあるのに気づいて
何回か食べました


私はときどき、自分のことを、食いしん坊で
だから、なにか食べたいとなると、自分で作ったりするんですよと
人に説明したりします


おそらく、原田ひ香は相当な食いしん坊
そうでなければ、食べ物の小説なんて書かないでしょう
いつだか、確か新聞のコラムに、老舗喫茶店の魅力に
気づいた・・・だったら、これを仕事にしてしまおう
取材して、その食べ物を知るということ
これは公開の取材なのかどうかはわからないです
きっと、原田は公開もやるかもしれないけど、非公開で
つまり、自分でお店には取材ですとは言わないで、店を
まわってるのだと、想像します


その理由?は、そのお店が、普段どうなのか知りたいから
なんだと、これまた、想像します


一番最近読んだ(途中ですが)「定食屋 雑」では
たとえば、鶏のから揚げ。メキシコの鶏を使ってるだとか
おいしさの秘密は、その粉のつけかただとか(たぶん、次回
自分で試すと思う)いちいち、でてくる内容が、あれれ?
そんなことあるんだと、以外に思わせるところもあるし
もしかしたらそうなのかもしれない(これ、小説に書くということは
別においしさを保証するわけではないけど、おいしくなかったら
読者としてはやっぱり残念)


以外性のある、リアリティというところを
狙ってるともとれる、感じでしょうかね


食いしん坊としては、おいしいなにかのネタ
それも庶民が手が届くところで、面白い
これは、小説にしちゃっていい、というか、こんな面白い
ネタって、そんなめったにないだろうとも
想像します


作家さんは、自分のまわりで仕事してくれる、編集者だとか
(原田ひ香さんは、そのほかにも漫画家さんとかいるようです)
そういう人と、きっと、食事をしたりがあるのだろうと
想像します
そのときの、食事の内容だとか、その食事に関わる会話とか
覗いてみたい、そういうことを、真剣に思ったりします

パーティの楽しみ方

パーティの楽しさ
人と人が知り合う
そういうだけで、楽しいなと思います
知り合うというのは、実際すでに顔は知ってるということでも
その人の、持ってる何かを知るこれは楽しいこと
といっていいと思っています


なにを知るのか?
それは楽しみ方を知るといっていいいですね
ときどき、まだよく知らない人にする質問
「休日はなにをしていますか?」
好きなことをしてることを、いきいきと語ってくれると
それだけで、うれしくなります


先日、社員が集まって自宅に来てくれた時に
休日なにしていますか?という質問に、複数の人がyoutube
時間使いますということを言っていて、「やっぱり」だとか
「ああ、ありがち」みたいな印象になりました


youtubeを全部否定するわけではないし
特にちょっといいなだったらそれも、利用すればいいねは
思ってることです
だけど、やりたいことの一番がそれ、みたいなことになると
それでいいのかな?みたいにも思ってしまいます


パーティの楽しみ方
おいしいものを、わいわいいいながら食べるということ
おいしいものを、仲のいい人としゃべりながら食べれば
これは楽しいこと、いい時間になること、間違いないですね


今年、我が家でやったパーティのメニューのいくつかの例

鶏のから揚げ コロッケ サラダ

ピザ (サラミ、玉ねぎ トマトソース)(高菜)(キノコ2種類)
和風ポトフ

オープンサンド(ハム3種類)(スモークサーモン)(ディップ(スモークサーモンと
クリームチーズ))(ポテトサラダ)

どれも、若い人は好きかなと選んだメニューです


から揚げやコロッケは、こうしたときの定番と思いますし
ピザは、ほぼ、誰に聞いても嫌いというのは聞いたことが
ないですね


パーティの楽しみ方
話す、ですね
いろんな話ができたら、うれしいですね
できれば、オープンなこと、自分のことも相手のことも
くったくなくしゃべれたら、いい感じです


自宅でパーティをすると、だいたい、7,8人までが限界と
思っています
5人、6人くらいが、ちょうどにぎやかだしいいなはあります


いい季節になってきました
こういう季節が近づくと、外でBBQなんて連想が
すぐ浮かびます
外で食事ができたりしたら、すっごく楽しく、リラックスした
ものになるんじゃないかって、思いますね

いい意思決定

経営者として、仕事しています
この経営者、社長の役割は「決める」ということだと
なにかで読んで、なるほど、と思いました


人間の考えやすいことは、予想がつくことと思います
ところが、リアルに会社を運営していて、予想がつくことだけ
起こるのであれば、こんな楽なことはありません
予想がつくことというのは、実際少ないとも見えます


決めること
それは、その決定を聞いて、いっしょに汗を流す仲間が
「そうだな」「それがいい感じの決め方だ」というように
納得感があるということが、大事です


そのとき、なぜ?なんでこんな決定をしたんだとなると
その仲間と溝ができたりします
そうなのですが、経営者って、現場の人と全く同じ感覚
というのはありえません


予想がつくこと
やや予想らしきものが浮かぶこと
これを、やるしかないということもあります


決定について、ひとつやり方としては、今やってる仕事の目的を
はっきりさせることだといえます
目的がはっきりしていれば、その目的に近づくことになるのなら
進める、そうでないなら、やめるとシンプルに考えられます


ところが、目的をただひとつにしぼっておくというのは
簡単ではありません


SEを育てて、品質の高い仕事をする
「育てる」こと「仕事すること」が相反するなんてことは、日常のこと
ではないでしょうか


育てるの一点に重点をおけば、納期ということが苦しくなります
そうなのですが、育てるということを、おろそかにしていけば
いつまでたっても、会社の発展も、もちろん教える側のさらなる成長も
ありません


つまり、納期を守り、仕事をするということを、やりながら育てるもする
ということを、やらざるを得ないのですね


決めるということ
去年、今年とベアの話が、社会の大きな話題になり
当社でもベアの実施をどうするという、議論があります
結果から言えば、やるのですが、実施する、なぜ?
もっとお金の使い方はある、そういう議論があるということが
健全だともいえます


決めるということ
誰かの昇進について、決める
ある小説ですが、読んでいると、大企業で社長になった人の
なぜ社長になったのかということを、調べてみると、自分の
上司が社長になって、ひきあげてくれた
そういう、まさにアナログであり、かつ、ひとりの人の感覚
ということに頼って、人事が進むということが、書かれていました


ただ、実際人事の決定をするというときに
実際会って、そして会うだけでなく、仕事を通じてその人を
よく知ってということが、いかに、貴重な情報かというのを
知ると、上記に書いたことは、軽々しく、いいとか悪いとか言えないとも
見えてきます


経営者は意思決定が必要です
今日もすると思います

自由と生きづらさ

自由ということは、生きづらいことに
つながってる?のではないかと、最近感じます


核家族化、都市化というのは、おそらくは、地域のしがらみ
だったり、家の束縛といったことを、なくしていく
つまり自由になっていくのに、都合がいいといえるのかも
しれないです


5年前に、親しくなった、越後湯沢の農家で民宿にて
「このあたりも、地域の人が集まってなにかするというのは
もうないね」という話を聞きました
都市。町だから、そうした地域のつながりがない?と思って
いましたが、実は地方、農家も少ない(と、全部をそうして
しまっていいかは、ちょっとまてもあるかもしれないです)


自由にしていい、それはほんとうに、いいのでしょうか
家の束縛、地域のつながりを感じるというのは、自由じゃない
だけど、安心だし、一定のところ、楽だといえる


私は、人と会うのが好きだし、パーティ、好きだし
そうしたなかで、人と人がなにか語ったりして、仲良くなっていくのを
みるのは好きです
先週も、一部の社員を集まての会があって、我が家で楽しみました
そういう遊び方というのも、やっぱり一回だけだったりすると
どうふるまえばいいのか、わからない・・・何回かやってみると
そういうことが楽しいと思ってくれる人も増えるようです


自由に生きる
それは、めざしたほうがいい、姿といっていいでしょう
だけど、やっぱり責任や、判断といったことが、伴う
生きること、生き方といったことが、どうも探しにくい
というか、変化がはげしい、今の世の中、なかなか「モデル」
といったこともみつからない。だから、いい、だからチャンスだと
そういうことも言えるけど、うまく変化をチャンスにするのも
やっぱり、エネルギーがいります


自分はなにができるのか
若い人が生き方をさがすことの、手伝いかなと思います
人とつながるのが、どうも下手にみえる
いいえ、つながっていますよ、と言いたい人、どうもそのつながりって
上っ面じゃないのかななどと、心配する


若い人が人とつながる・・・
私、誰かの自宅に呼ばれて、なにかということを、うまく利用してきた
そういうふうに、思います
その人の家で、じっくり話す
そういうことは、仲良くなるのに、本当にすごくいいことといっていいのですが
実は少なくなってるということじゃないでしょうか?


パーティはとても楽しくできました
可能な限り、「さぼっていいところは、さぼる」
ということで、紙皿とか、紙コップを使って、洗ったりということは
減らし、料理も、できれば手作りがいいですが、ときには
食材買ってくるということもありでやる


楽しいパーティ、またやりましょう
そして、つながるということがいいなという人を増やしたいですね

 

相手を仲間と思うとき

仲間だったら、相手のことを気にするね
そう、まずは気にするということがありそうです
チームビルディングということを、社内でよくいいます
チーム、人と人がつながってること、を、まず思います


仲間になるということが、どうも下手なんじゃないか
そういうことを、くりかえし思います
社会として、プライバシーが重視され、相手の気持ちだったり
おそらくご本人が、思ってる、大事なゾーンには
ふれない、という方向が、進んでるのは、もちろん
知ってるつもりです


ですが、東日本大震災をへて、そうした、つながりがうすいということが
しんどいのだ、と、気づいた人も多いと聞きます
つながっていない、そうなれば、まさに災害のとき、危険が増す
また、困ったときに、助けてくれる機会が減るのです


都会に住んでいて、日常で「困ったこと」ないですよ
と言いたい人はいるかもしれません。いいえ自分自身だって
災害のような、困ったことは、日々のなかでは確かに忘れてる
ということはあります
ですが・・・


例えば、学びということを、主体的にしようとすれば
すぐ気づくこと
つながりが少なければ、学ぶ機会は減ってしまいます


京大の山際先生の言葉
「人間は、他人とやりとりすることで、学ぶ」


このこと、ほんとにそうだなと思います


仲間になるということ。相手にとって、耳が痛いと
思うことも、あえて、伝えるという気持ちがあること


人間はまちがいをするし、気づいていないで、本人が望んでる
方向と別のことをやっているってことは、あるのだろうと
思います
若いうちなら、まず「迷う」ということが多いと想像します


そういうとき、仮にしんどいかもしれないけど、「あるべき姿」って
こうじゃないか
そういうことを仲間だから、伝える
こうしたこと、何度か経験があって、それは「痛い」のですが
「良薬は口に苦し」の言葉があるように
すごく大切な、ことだと思い出すことができます


生きていくというのは、ときにしんどいことも
やっていかなければ、うまくいきませんね
それを、ひとりぼっちで、乗り越えるのは本当に大変です
仲間とつながってる、そういう感覚のなかで、乗り越える
これが、思う、やってほしいことになります


生きていく、たとえば、働いて、対価を得る
これは、プロとして、相手がなるほどと思うからなりたつ
ということを、覚えておきたいものです

小説を楽しむ

小説の世界で楽しむ、その楽しみ方といったこと
それは、その小説を読む人の数だけあっていいと思います


昨年から、小川糸、森沢明夫という、作家の作品に出会うことが
できたのは、とてもうれしいです
小川糸については、テレビでした。NHK 「趣味どき」という
番組で、キッチン、およびその持ち主を紹介していくという
ストーリィがあり、昨年小川糸が登場しました


キッチンと、その人を知るというのは、私にとっては
とてもいいもの、に見えます。単純に自分が大事にしてること
自分が好きなこと、これが共通なのだと、すっと理解が進みます


キッチンが好きということは
ほとんどの場合、友人なりを自宅に招いて会食するのが
好きということがあります
小川糸がそうでした
機会があれば、小川糸さんの料理をぜひいただいてみたいと
思いました


小川糸はエッセイも人気でちらみしたのですが
そのなかで、本を書く、その伴走する人といっていい、編集者を
自宅に招いて、会食する、という場面があっていいなと思いました


小川糸、たとえば、編集者と喫茶店だとか、先方の事務所で
打ち合わせするより、会食をしていろいろ話したりしたほうがずっと
仲良くなれますと、語ります


このこと、これも単純化していえば、ただ、言葉、つまり頭で
いろいろやるのより、胃袋もいっしょに使ってやると、仲良くなれる
そういうことと、思っています


人と人が仲良くなれる
これは、とっても大事なことといってもいいし
私にしたら、日常的というか、繰り返し、何度でもやりたいことの
ひとつです
まして、その相手が、なにかしら、今後続いてなにかやるとなれば
ぜひ、してみたい


もちろん、やり方はその場、その相手、状況などで選んだほうがいいですね
自宅がいつも最適ともいえないでしょう
だけど、選択肢のひとつとして、自宅に招くということがあると
やり方がとっても、豊かといったらいいか、いいですよ
一度、お店で会食して、そのあと自宅に招くということも
いいと思いますし
いきなりでも、全然だいじょうぶということもあります


小川糸のキッチン、ちょっと興味津々です


作家がみせてくれる、世界というのは、小説で楽しんでみて
いいなとなれば、とてもそれだけで、楽しいといっていいでしょう
今、というかこの令和の時代、家族で過ごす、家族がいい感じで
存在するということが、とても大きく、また、ぜひみんなそうしようといった
価値として、あるといっていいかなと思います


小川糸の、見せてくれる、家族のあれこれは(作品の一部からみえるといいますか)
とても、あこがれる、こわれかけても、だいじょうぶみたいな、安心感
そして、家族っていいんだと思わせてくれる、あたたかさでしょうか
感じますね


キッチンから小説へ、そんなつながりが楽しいです

SNSの楽しさの再発見

SNSで知り合っている人
そんな人がいて、実際偶然リアルで知り合い、そのあとで
実はSNSでつながっていた人だと、わかる
これは、きっと、あることともいえるし、そうなったら
親しくなるのだろうなと、想像します


SNSではないです。前から知っていた、知り合いについて
実は共通の作家が好きだということがわかって、ぐんと
その人との距離が縮まったと思えたということが
あります


この逆というのは、実際、そんなに簡単ではないとも
いえます。お互いよく知ってる、そして、たぶん、感性ということも
重なるところがあると思える人と、あるアーティストだったり
小説を読んで、その楽しさ、また自分が受け止めるところを
共有できるのかというと、それは稀といっていいことだろうと
想像します


人間の感情の、いろんなアンテナ、また感じるつぼといった
ことは、かなり複雑で、そうそう、あたるということは
少ないとも思います


こういうふうに書いてみて、冒頭に書いた、SNSで、なにかしら
自分の感情のつぼといったことを、共有できてる相手というのが
いるということは、楽しいとかいう、レベルを超えて、かなり
すごい、つながりだということも言える、と気が付きます


だいぶ前のSNS上、mixiでした。mixi上でのやりとり
そのとき、オンラインで親しくなった、正確にいえば
間接的にはつながりがある、ある人を仲立ちとすれば、
つながってるともいえる人がいました
その人が、自分の親子の関連の話題を、SNS上にふっていて
そのことが、半ば我がことのように、思えた自分がコメントをして
それについて、書いた本人がコメントバックしてと
そんなことをして、オンライン上ですが、親しくなったことを
思い出しました


ときどき、SNSでのやりとりを多くしてると、どうかすると
偶然のチャンスというのが減ってしまって、おおげさにいえば
人生の宝物になるものを、自ら、手放してるといったような
そんな感覚をもっていたのです


ただ、オンラインでつながって、そういう、気軽さ、またつぼに
はまったコミュニケーションというのができてしまうということ
これが、実は、いままでには(SNS以前には)なかった、親しさ
出会いの楽しさがあるということも、みつけられるような
そんな感じがしてきました