B型肝炎訴訟 大阪地裁

 14日には大阪地裁で私が意見陳述をすることになり、陳述原稿を作っている。30年の歴史が徳島肝炎の会にはあり、その間いろいろな活動をし思いもあるので、うまく表現できるか心配でもある。
 昨日の札幌地裁での和解協議では、裁判所の所見が出されたが、その内容には前進面(一応原告の全員救済ができている)もあるが、原告からしたら物足りない部分もある。賠償金額が薬害C型肝炎と比べて低いのは納得がいかないが、原告たちの最大の思いは、今後安心して生活ができ治療ができる環境の確保にあるのではないか。
 和解協議がたとえ成立したとしても、国が今後どのような肝炎対策を作るかが大きな課題として残る。原告は健康な体を奪われただけでなく、健康な心・幸福な家庭をも奪われていることを、国がしっかり認識してほしいと思う。しかし、国に今後を一任するのではなく、患者が納得する体制・政策を作るには、今まで以上に被害者である患者が、持続的に声を上げていく必要がある。個々の患者の声だけでそれは実現はしない。患者が患者団体に結集して、自分たちの要求を練り上げ、関係諸団体と協力して地道な努力を積み重ねることが求められているのではないだろうか。そういう意味で、患者・被害者の苦労はまだまだ続く。
 10日には、「守大助さんを支援する徳島の会」の新年会が徳島市眉山かんぽの宿」であり、妻と参加した。早朝に徳島市は雪が降ったそうで、少し雪が残る眉山への登山道を1時間ほど歩いて会場まで行った。正月、千葉刑務所にいる守さんのところへは、520枚もの年賀状が届いたそうで、支援の輪が着実に広がっていることが理解された。春には再審請求が行われようとしている。B型肝炎訴訟でも守さんの冤罪事件でも、国の意図的な怠慢のために、国民が涙している。


写真は宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 鯛抱き童子 96歳の時の作品