「一日一問」解答と魯迅展


 本書は、7月に大阪に行った際立ち寄った古書店で購入したもの。魯迅逝去40年記念として、中国で開催された魯迅展が、日本にも来た。日本では、日本中国文化交流協会中国新聞社・日本経済新聞社の共催で1976年10月に仙台、11月に東京、12月に名古屋、77年1月に神戸、2月に広島で開催されている。もう、当時から48年も経過している。このときの中国は文化大革命の時期で、「文革」は1966年から1977年まで続いた。文革は、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動であったが、実態は遠くかけ離れている。
 従って、この魯迅展のパンフもその影響を大きく受けている。パンフの「序」には毛沢東の「新民主主義論」から、「結びの言葉」も毛沢東の「延安の文学・芸術座談会における講話」から一文を引用している。当時の中国は毛沢東の一言一句すべてが尊重され、それ以外の魯迅評価は認められなかったと言ってよい、不幸な時期であった。
 「序」ではこう書かれている。「魯迅は中国の文化革命の主将であり、かれは偉大な文学者であったばかりでなく、偉大な思想家、偉大な革命家であった。魯迅の背骨はもっともかたく、かれには奴隷の根性やへつらいの態度がいささかもなかった。これは植民地、半植民地人民のもっとも貴重な性格である。魯迅は文化戦線で全民族の大多数を代表して敵陣に突入した、もっとも正しい、もっとも勇敢な、もっとも断固とした、もっとも忠実な、もっとも情熱的な、空前の民族英雄であった。魯迅の方向こそ中華民族新文化の方向である。」
 魯迅展では中国の資料のほかに、日本での開催に合わせて日本に残された資料も展示された。
 書棚を調べてみると、中国の日本向けの雑誌「人民中国」の1976年10月号が出てきた。

 そこには、「今年の10月19日は魯迅逝去40周年記念日、9月25日は魯迅生誕95周年記念日にあたりますので、本誌は、中国革命と人類進歩のために事業に、輝かしい闘いの生涯をおくった偉大な革命家、思想家、文学者魯迅についての特集を組むことにしました。」とあった。
 単なる魯迅展ではなく中華人民共和国 魯迅展」というところが、当時の中国の社会状況を如実に表している。

 先日の解答は、次の通り。

 見にくい様なので、解答を書く。中国・阿Q正伝・東北大学周恩来太宰治・口語体・内山完造。全問正解の方はそこそこの魯迅通と言ってよいだろう。



 我が家の郷土玩具  山形・相良土人形  鯉と童子  7代相良たかし作  1987年5月購入


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○仲がよいとか言われる仲で 膝にまとめる糸ツ屑
○宿屋の廂(ひさし)に飛ぶ雲のいろ 朝の歯に泌む青林檎
○縁台から見る銀河の冴えに ラムネ飲み干す玉の音