守大助さんを支援する徳島の会役員会、大栗清實医師顕彰碑除幕式

 11月29日は毎月恒例の「守大助さんを支援する徳島の会役員会」が徳島市であったので参加した。役員会の前には徳島駅前で署名活動を行なった。今回は日本国民救援会による「なくせ冤罪全国いっせい宣伝行動」の一環として行なった。暖かくて、宣伝しやすい日よりであった。参加者は10名、あいにく駅前は人出が少なく、署名15筆、チラシ配布150枚であった。
 役員会の報告では会員数476名、仙台高裁宛の再審開始を求める署名が949筆、池田パンフ普及661部であった。来年2月の総会までに会員拡大をどうするかなどを話し合った。また、点滴ボトルの中に三方活栓を通して本当に筋弛緩剤を入れることができるのかのDVDを見た。また、花島パンフ(2009年2月14日の徳島の会総会での花島伸行弁護士の講演)の読み合わせを行なった。
 次回、12月21日の役員会・忘年会を決めた。


 今日(11月30日)は10時から大栗清實医師顕彰碑除幕式が阿南市の健生阿南診療所であったので、徳島肝炎の会の近藤事務局長と参加した。大栗清實医師については、8月25日のブログで紹介した。
 児嶋誠一徳島健康生協理事長の開会挨拶、山本茂喜顕彰碑をつくる会事務局の経過報告のあと、関係者が紹介され(湯浅良幸さんは「阿南市の先覚者たち」第一集で大栗清実のことを書いている)、岩浅嘉門阿南市長、長瀬文雄全日本民医連副会長の来賓祝辞があった。除幕は故人の孫娘二人が務めた。息子にあたる大栗丸人さんから故人の人柄の紹介も含めた謝辞があった。丸人さんは、私の囲碁の師匠でもあるが、診療所ができた年の三月にその二階で生まれたといっていた。
 多くの人の挨拶のなかで「労働者・農民の病院を作れ!」のアピールについて触れられたが、現物を見た人、読んだ人は少ないのではないだろうか。
 40年近くも昔、四国民医連に勤務していたころ、「四国医系学生夏季集会」というのがあった。私もその事務局をしていた。会議のときにこのアピールのことが話題になって、峠一夫さんが持っていることを知った。峠さんは「原爆詩集」で知られる峠三吉の兄で、当時全日本民医連の副会長をしていた。私は、東京に出張の折、全日本民医連の事務所に立ち寄り、アピールを見せていただいた。B4版のざら紙に謄写版で印刷されたものであった。コピーをとらせてもらったが、今はどこにあるかわからない。
 増岡敏和さん(東京民医連の事務で詩人、広島県出身)が全日本民医連出版部から「民主医療運動の先駆者たち」という本を1974年1月に出版しており、大栗についても書いている。その冒頭は、「日本における無産者診療所運動は大栗清実の名によって開けられた。大栗清美は、日本で最初の無産者診療所である『大崎』無産者診療所の初代所長であり、やがて結成された日本無産者医療同盟の委員長であった。」
 またこの本の中にアピールが掲載されているので紹介したい。


 どうも字がはっきりしない。

 労働者 農民 学生諸君
 荒れ狂う××支配下に於いて、労働者農民小市民大衆は未曾有劣悪なる生活を強ひられてゐる。失業貧困無知無力のどん底に陥れられた無産大衆は、更に襲い来る傷病に対して、どうすることも出来ぬ苦痛を経験しなければならないではないか。塵埃に埋もれた工場の過労から来る肺病、頻々として起こる負傷不規則な生活を強ひられるための神経衰弱、不適当な栄養関係のための脚気等々近代資本主義、社会制度が我々に課した疾病は数え上げるにいとまない。これ等の病気に対して、我々の健康は只の一つでも保証されてゐるか?
 断じて否だ!
 ブルジョアと地主の支配する社会では「仁術」であるべき医術さへも完全に独占され労働者農民市民の前にはすべての病院は閉ざされている。
 我々は病気になっても金がないため、医師の診療を受けることを幾度か躊躇し空しく病人を危篤に陥らしめなければならない。致命的な怪我をしても「保証金」が積めないために入院を拒絶される。薬代が滞っているからといって、死に瀕しても往診を断られる。「健康保険」で搾られる上に、医者からは被保険者であるために粗悪な薬しか貰えない。
 かくの如く我々の健康は誰からも保証されてゐない。我々の病気を治すためには我々自身の病院を持たねばならぬ。労働者農民の健康は労働者農民自身の組織が保証せねばならない。かかる意味において我が救援会は即時我々の診療所を持たねばならぬ。救援会支持の若干の献身的な医師薬剤師看護婦等は健康を奪われたる労働者農民のために、進んでその専門技術を提供する事になった。そのためには家屋費諸機械薬品の購入費として先づ第一に五千円を募集する。
 凡ての工場から農村から学校から、一銭二銭の零細な基金を集めて送れ、大衆的支持によって我等の病院を建設しやう。
 労働者農民の病気を労働者農民の病院で治せ!
 建設基金五千円を工場農村から送れ!
 労働者 農民の病院設立万歳!
   一九二九年三月十五日
     解放運動犠牲者救援会病院設立基金募集委員会 

 このアピールは、全日本無産者芸術団体協議会の機関紙「戦旗」四月号(1929年)に掲載された。
 「××」のところは「天皇」だろうか。



 中央は湯浅さん。右端は碑面揮毫の書家の西南龍さん。


 謝辞を述べる大栗丸人さん。

 祝辞を述べる岩浅嘉門阿南市長。

 祝辞を述べる長瀬文雄全日本民医連副会長。

 除幕する孫娘。


どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○ちょっと間抜けた陽がさす朝の 歩道へのっそり犬が来る
○東京今宵の小さな風は 俺の背中を吹き抜ける
○町をつつんで降る夕立へ 電車も駆け出す橋の上


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