小説の文体
ようするに、文体なんてこの程度のものである。もう少し具体的にいえば、メディアにすぎない。書かれているコンテンツが何かという点が問題であって、その本質には影響がない。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/12/post_2291.php
森博嗣氏による。なるほど。
そういえば、結城はふだん、技術書を書くときに「ですます」調で書いているが、物語になっている『数学ガール』は「である」調になっていることに気づいた
(メインの語り部「僕」が「である」調だからですね。『数学ガール/フェルマーの最終定理』でテトラちゃんが証明するときには「ですます」調になってたはず)。