チェンマイにいる、私の知り合い。
2人目に電話をかけた。


でも彼女も、実際の所、チェンマイの人ではない。
多分、もっと田舎の、チェンライ県の人だ。


日本に帰る前、最後にチェンマイに遊びに行った。
例のごとく飲み屋に行ったりしていて、そのときに飲み屋で働いているミンと知り合いになった。


ミンは山の中の村の出身だそうで、村には学校がなかったのだという。
で、キリスト教の牧師だか神父がきて、教会の学校で初等・中等教育を受けたのだという。


タイの人は、割と簡単に自分の家や下宿に、他人を招き入れる。
女子なのに、男子たる私を部屋に入れる事にそれほどの懸念がない(ように見える)。
ミンも飲み屋を出て、彼女の家に行って、いろいろな話を聞かせてくれた。


それで、今回もチェンマイについて、彼女に電話をかけた。
「おーい。元気か?仕事中か?」と聞くと
「そうそう。仕事中よ。」
「明日さ、昼間、暇なんだけど」
「じゃあ、2時過ぎに電話してよ。その頃には起きてるから」


昨日も電話かけておいたので、そういう約束になっていたのだが、いちおう電話してみた。
ホテルへの道すがらに、彼女の仕事場はある。
ついでなので寄ってみる。


店の外で座っている人たちに聞いてみる。
「ミンは中?友達なんだけど?」
「あら、友達なの。呼んだげるわ」
しばらくして、出てきた。
「あら、来たの?」
「元気そうだな。仕事中だね。明日、また電話するよ」


ミンはなんだかこってり塗りたくっていた。
翌日聞いたところによると「店の化粧担当のオカマさんが、こってりと塗りたくる」のだそうだ。
仕事の邪魔をするのも悪いので、「じゃあ、明日」と辞する。


翌日、昼ごろ、ミンのアパートに行った。
降りてきたミンは「ルームメイトが寝てるから、喫茶店行きましょう」と言った。
ノーヘルで新車のスクーターにまたがったミンに「ヘルメット要らないの?」と聞くと「嫌いなのよ、いつもは夜だから警官もいないし。つかまっても100バーツ罰金払えばいいだけよ」とのお答え。


茶店でもろもろのお話。
ルームメイトは忙しい店で働いてるが、自分が忙しい店に行ってあくせく働くのは嫌だ、とか、店での厚化粧は化粧担当のオカマの好みなのだとか、脱力系の雑談を2時間ばかり。
ミンの出勤時間が近づいたというので、店を出る。
私のホットコーヒーと彼女のアイスコーヒー。あわせて60バーツだったと思う。
席を立とうとすると、彼女が「いいわよ、あたしが払う」と言う。
「いいよ、それくらいは持ってる」と私が言っても「今度、高い所にいったとき、あなたに払ってもらうわ」と笑っていた。
茶店のおっさんもそれを聞いて笑っていた。


別の機会に飲み屋でおっさんたちに次のような感想を言ったことがある。
「この国の女の人は、二度目に会うとすでにお母さんみたいな口の利き方をする。「ご飯ちゃんと食べてる」とかね。アレは何なんだ?」
おっさんたちは苦笑していた。
自分たちを取り巻く現実に苦笑していたのか、それともそんな事を女の子に言われてしまう私のヘタレぶりに苦笑していたのか、真相は今でもわからない。


☆おまけ
山の中の道でぺちゃんこになっていた蛇。

そもそもチェンマイには人に会いに行ったのだ。


日本からメールして、電話番号と住所を聞いた。
タイについてから電話をして「明日、昼の1時過ぎにお宅に伺います」と約束した。
家はチェンマイ・ナイトサファリの近く、という。
看板は見たことがある。空港の近くのはず。
近くまで行けば、何となく場所はわかるような気がしていた。
地図を見るのは、嫌いなのだ。特にバイクの時は。


ホテルのフロントのおばさんに「ナイトサファリってどこでしたっけ」と聞くと、薄汚れた地図を出してきて、あれこれと説明してくれた。
が、人のよいおばさんの説明はあまり役には立たなかった。
そのまま出発。


鉄道の駅からナイトサファリへ行くには、旧市街の外側を走るスーパーハイウェイを使えばいい、と今はわかる。
でも、おばさんの説明ではそこまでわからなかった。
少し遠回りになっても、わかりやすいように旧市街を東から入って南に抜けて空港を目指す。


ナイトサファリの近くに行くと、路標に村の名前が出てきた。
村まで5キロ、とある。
途中から片側2車線の道が、1車線ずつになり、大丈夫かと少し不安に思うが、そのまま直進。
知人の住む場所は、新しく宅地造成された場所らしい。
道沿いに派手な看板が立っていた。
近いかなと思うが、たどり着かぬまま、路標の距離表示がゼロになった。
要するに、私はすでに到着している。


しかたない。
小さな駄菓子屋らしき家に入り、店番のおばさんに聞いてみる。
住所を書いた紙を見せるが、おばさんは読めない。英語表記だったからだ。
私のいい加減な発音で、やっとこさ地名が伝わったが、おばさんは「そんなところ、知らんなぁ」と言う。


もう少し先か、とバイクを走らせると、警官の詰め所がみえた。
尋ねる。
すると警官のおっさんが「ああ、それなら、ちょっと戻ったところ」という。
進行方向に向かって左側だ、と教えて貰い、急ぐ。


なるほど、田んぼの中に突然、宅地造成された場所が現れた。
近くに行くと、住宅地の入り口には門番がいる。
高級住宅地なんだな、と思っていると、なぜかニコニコしている門番が「なんだい」と私に問う。
「知り合いの家に来たんだ。日本人がいるでしょ。」
住所を書いた紙を見せる。
「ああ、それなら、こっちだ」と門番はわざわざ案内してくれた。
いくつも家がある中の、一軒の前でとまると、その音に気がついたらしく知人夫妻は外に出てきた。
「すみません、ちょっと迷って遅くなりました」と、私が頭をさげると「よく1人でこれたねぇ。何で来たの?」とおじさんが聞くので「アレで」と愛車を指差すと、やっぱり「へぇ」と驚かれる。


いろいろ雑談。
早期退職で夫婦でチェンマイに引っ越してきた2人の話を面白く聞く。


途中からご飯の話。
「タイ料理でお勧めは何?」と聞かれる。
しかし、おばさんは、辛いものがダメで、パクチーコリアンダー)がダメで、癖のある味のタイ料理も苦手だという。
うーん、選択肢が狭まりますね、といいながら、時間はちょうど5時過ぎ。
8時にタイ語の家庭教師の女子大生が来るというので、少し早いが夕食に行こうということになる。


旧市街まで愛車のヴィッツ(海外だからヤリス)に乗せて貰う。
新車でこの車を買うとき「この値段だったら、でっかいピックアップトラックが買えるのに、どうしてこんな小さい車を買っちゃったの?信じられない」と、タイ人の友達に言われた、とおばさんが笑っていた。
そうだ、この国の人々の感性では、車はデカイほど偉い。


旧市街にある焼き鳥の店に到着。
キレイな店で、英語のメニューがある。
食べたことがない料理を注文してみよう、ということで、海鮮春雨サラダ(ヤム・ウンセン・タレー)と空芯菜炒め(パッド・パクブーン)を頼む。

ヤム=すっぱい、すっぱいサラダ
ウンセン=春雨
タレー=海
パッド=炒め
パクブーン=空芯菜
タイ料理の用語の解説

ヤムウンセンの唐辛子は抜いて貰ったが、パクチーを抜いて貰うのを忘れていた。
一口食べたおばさんは「ああ〜〜」と苦々しい声をあげた。

店の場所。黄色い道に四角に囲まれている部分が旧市街の外延。左上の角から少し下った所に病院。その少し南に、レストランがあった。
店の名前は「ルアムチャイ、ガイヤーン-ソムタム(RuamChaiGai yang-Somtam」(焼き鳥とソムタム店、ルアムチャイ=協力)って感じの店名だと思う。
でも、ルアムチャイって店名かどうかはわからない。



食事を終えて、おじさんが修理を頼んでいたという時計屋に行く。
普通の壁掛け時計だが、修理できるというので頼んでみたらしい。
望みどおり修理は完了して、確か150バーツ(450円)。
「電池も代えて貰っちゃった」とおばさんは喜んでいた。


再度、郊外の高級住宅地に戻る。
田んぼのど真ん中に突如あわられる住宅地。
「次はいつになるかわかりませんが」と挨拶して、バイクにまたがる。
田んぼの中の道は、すでに真っ暗になっていたが、程なく街中に入る。


すっかり暗くなった市中。午後8時過ぎ。
もう1人の知人に電話をかけてみる。
「おーい。元気か?仕事中か?」
「そうそう。仕事中よ。」
「明日の昼間、暇なんだけど」
「じゃあ、2時過ぎに電話してよ。その頃には起きてるから」
昨日も電話かけておいたので、そういう約束になっていたのだが、この国の人たちは気まぐれだ。
ホテルへの道すがらに、彼女の仕事場はある。
ついでなので寄ってみる。


店の外で座っている人たちに聞いてみる。
「ミンは中?友達なんだけど?」
「あ、そう。呼んできてあげるわね」
しばらくして、出てきた。
「あら、来たの?」
「元気そうだな。仕事中だな。明日、また電話するよ」
なんだかこってり塗りたくっていた。
翌日聞いたところによると「店の化粧担当のオカマさんが、こってりと塗りたくる」のだそうだ。
仕事の邪魔をするのも悪いので、「じゃあ、明日」と辞する。
でも、まだ9時。
夜は長い。

校長先生とその日2度目の夕食を食べてから、帰ってきたのが8時ごろ。
満腹でもう眠たかったが、雨も都合よくやんでいたので、予定通り出発。
隣の県まで続く国道は、集落と集落の間は真っ暗。
国道なので、道はきれいで、明るい時は楽しくとばせる道だが、今はゆっくり走る。
そのうちに目もなれてくるだろう。


※今回の旅の参考地図※
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そうこうしていると路上に、竹ざおのような棒が落ちていた。
避けられないので、迷わずそのまま踏む。
「ぐにゃ」とした感覚が、前輪から伝わってきた。
へびだな、と踏む前に思っていた。
1メートル以上はあったので、多分「ングー・ハオ」というデカイやつだ。
時々、農家のあんちゃんが、ぶら下げてバイクに乗っているのを見かけるから、たくさんいるのだろう。
辛く味付けして炒めると美味いが、鎌首を持ち上げたところのかたちから察するに、多分コブラの一種。毒もあるらしい。


振り返って、何を踏んだのか確かめるのも面倒だったので、そのまま行く。
県境の手前にある検問所はいつもどおり素通り。
そこからしばらく上り坂を行くと県境。
そこには小さな祠がある。
ドライバーはクラクションを鳴らし、信心深い同乗者は拝む。
私に信心はないが、時々鳴らす。
暗闇に、薄っぺらいクラクションの音が、小さく響いた。


県境からは下り坂。
走りながら「昔、ここを通った時、とおり雨が降ってきたな」などと思い出す。
帰り道に対向車線に飛び出しそうになったコーナーも。


30分も走れば、山道を抜ける。
ここで出発してから、最初の信号に出会う。
ロンクワン(Rong Kwang)から30分くらいは、片道2車線のハイウェイ。
車なら100キロ超で走れるが、小さなバイクなので80キロ程度で。
それでも30分くらいでプレー県の市街地に入る。
市街地に入る手前で、また警察の検問。
国際免許証を見せると「どこに行くんだ」と警官。
「今日はプレーに泊まって、明日チェンマイに行く」と返答すると「何で行くんだ」と続ける。
「このバイクで行くさ」というと「へぇ、これで。遠いぞ」と不思議そうな顔をする。
これは、いつもの反応。
彼らにとって125CCのバイクは旅の道具ではない。近所までの下駄だ。


イギリス資本のスーパーマーケット、テスコ・ロータスの前を通ると、22時閉店とある。
携帯電話を出して時計を見ると、21時40分。
ありがたい、歯ブラシを買いたかったので、急いで店内に入る。
レジでだべっている女の子に「どこにあるかな、歯ブラシ」と聞いて、購入。


バスターミナルを越えて、市場の近くには漢字の看板が多い。
その中に多分「旅社」と書いてあったはずだ。
それが安宿のしるし。
1泊100バーツ(約290円)。
安いが、部屋は汚い。
とりあえず、水を浴びて、一息つく。
久しぶりに来た町なので、前に行った飲み屋に行ってみる。
私の顔をみたオカマのおっさんが「あら、あなた覚えてるわよ」と言う。
「私もあんたを覚えてるよ」とおっさんを眺める。
「でも、ほかの娘たちはいなくなってるね」と聞くと「そうねえ、みんな田舎に帰っちゃったわね」とのこと。
ふーん、と思いながら、氷を入れたビールを飲んでいると、すっかり眠たくなってきたので、そうそうに退散した。


翌朝、7時前には目が覚めた。
夜は気がつかなかったが、ホテルの隣はバイク屋で、部屋のすぐしたに作業スペースがある。
すでに仕事は始まっていた。
ジャッキアップされたバイクを横目に、スタート。


国道に出る前、ガソリンを満タンにした。
満タン入れても4リッターくらい。100バーツ入るかどうか。
山を抜けた向こうにある次の町は100キロ程度離れている。
さらに今日の目的地のチェンマイはここから200キロくらいの距離だ。
予定到着時刻は11時。
空を見上げると、少し曇っていた。
雨季はまだのはずだが、昨日も小雨がぱらついていた。
降らなきゃいいのにな、と思いながら再スタート。


市内から出る道が国道に合流する。
信号のところの道路標識には、左折すれば「デーンチャイ(Den Chai)」とある。
デーンチャイまでは、2車線のハイウェイ。
デーンチャイにある曲がり角を南に下れば、バンコクまで続く。


デーンチャイには、鉄道の駅もあるが、これは国道から少し離れたところにある。
デーンチャイの交差点には「ようこそ、ランナー王国へ」と書かれた大きな看板がある。
ランナー王朝とは北の都チェンマイの王権のことだ。
南部のスコータイやアユタヤなどとは別の国だったわけだ、厳密には。
意地悪な私は「ランナー王国の王様は、今、どこにいるのだろう。葦原将軍とか熊沢天皇みたいなことには、ならないのかねぇ」とか思いながら、この交差点を北に向けて直進した。


曇っているので、涼しい。むしろ少し寒いくらい。
国道には数百メートルごとに道路わきに次の町までの距離を書いた路標を見る。
地名はタイ語で書かれているが、何度も同じ地名を見るので、一度では解読できなくても、そのうち読めるようになる。
最初100以上あった距離が、そのうち50になり、20以下になる頃、ガソリンが減ってきた。
ガス欠にはならない計算だがなあ、と思いながら、抑え目に走って、何とかラムパーンに到着。
山を越えて、町が見えたところにあるガソリンスタンドで給油。
ついでに小雨がぱらついてきたのでカッパを着た。


ガソリンスタンドのところに、これも1時間ぶりくらいの信号がある。
直進すれば市街地、左折すれば市街地に入らずに次の町まで続く国道に抜けていく。
用事もないので、ラムパーンは素通りして、左折。


ラムパーンからチェンマイのすぐ南にあるラムプーンまでは山の中の道であることは同じだが、ずいぶんと立派な道が多い。
北の都チェンマイに近づいてきたことを実感できたりするが、油断しているとガソリンスタンドがなかったりする。
ラムパーンからチェンマイは100キロちょっとなので、給油なしでいけるぎりぎりの距離。
チェンマイの手前にはラムプーンがあるので、さっきみたいにガス欠を気にする必要はないので、安心。


チェンマイに向かう道で、再度大きな坂道を登る。
古いトラックやバスがゆるゆると走るのを尻目に急ぐ。
この山を越えてしばらくするとラムプーン、さらに田んぼの中を走る直線のハイウェイを30分くらい行けば、チェンマイに至る。


チェンマイの町を取り巻くハイウェイから、旧市街に入るには、ちょっとしたコツがいる。
私はチェンマイ駅の近くにあるホテルに泊まる予定だったので、駅を目指す。
適当に曲がったら、少し北に行きすぎていた。
方向さえわかれば後は簡単なので、ホテルにすぐついた。


一泊300バーツ(約600円)。
市街地からは少し遠く、外観は少々古びているが、部屋はきれいで、ケーブルテレビ完備、クーラーもついてこの値段。
同じ値段で扇風機しかなくて、門限まであったりするゲストハウスなんぞに泊まる気がしなくなる。


荷物をとりあえず部屋の中に入れようと、エレベーターで3階に。
あまり頭を使わずにエレベータを降りてすぐの扉があいている部屋に入った。
荷物をおいて外に出て鍵を閉めようと思うと、鍵が合わない。
もらった鍵は312号。部屋番号は322号。
おや、間違えた。
フロントに行って、あいてる部屋にはいちゃったけど、そっちでいいかい?と聞くと簡単にOKが取れた。
フロントのおばさんが「だめよぉ。かわいい女の子の部屋に間違えて入ったら」と、ニヤニヤ笑いながら、新しい鍵をくれた。

そして金曜日。
チェンマイで数日過ごした後。
朝、チェンマイを出発。
途中で降った雨に足止めを食らったが、300キロをバイクで走り終えて、何とか帰ってきた。


昼3時。
まだ早いか、と思いつつ、約束どおり学校に行く。
校内にある倉庫。
倉庫の端っこに机を置いて居場所が作ってある。
そこに行くと、用務員のおっさんたちが何やらやっている。
「おお、先生」と年かさのジャルーン、「ちょうどいい。もうすぐ、肉とビールがくるから」と言う。
すぐにビニール袋に入れた赤身の牛肉とビールが到着。


肉は七輪の炭火であぶり焼き。


一緒に内臓の液(胆液か?)を入れて苦くしたスープ。


キンキンに冷やしたビールに氷を入れて飲む。


ビール、追加で買ってこい、とジャルーンが100バーツ出した。
「先生、何か食いたいものあるか?」と聞くので、「ルー、食いたい」とリクエスト。
「今日は、俺もお金あるんだ、はい」と私も100バーツ(300円)を出す。
おっさんたちは「いいよ、いいよ、お客さんだし、出さなくて」と言うが、「ついでにスープも買ってくればいいしさ」と無理矢理、握らせる。
スポンサーの気分だが、たったの300円だ。
ちなみに100バーツは瓶ビール3本分。


ジャルーンは昔、言っていた。
「先生はさ、俺たちと飲むけどさ、普通はね、大学出たような人はこっちに来て飲まないんだよ」。
なるほど、階級社会ってヤツなのね。
そういう事情はありつつも、私はおっさんたちと飲む。
そういう時、おっさんたちより私は年下なわけで、だからジャルーンが払うのが基本的な空気ということになるわけだ。


ルーは私の好きな豚肉の刺身+生き血。
スナック菓子のようなものを振りかけて食べる。



ついでに牛肉の内臓のスープも買ってきた。
これは本当に美味い。
すじ肉や内臓が柔らかくなるまで煮込んである。
ここには苦い内臓液は入っていないらしい。



お金が余ったのだろう、牛肉のタタキも買ってきた。
タタキには、葱や唐辛子などのスパイスが満載されている。



ついでに買ってきたビールは3本。
さっきは5人で6本無くなったところ。
今、3人残っていてる。
肉を全部食べて、ビールがなくなる頃、私はすっかり酔っぱらった。
勿論、酒豪揃いの用務員たちは涼しい顔をしていた。

朝、8時半。
しばらくの間、泊めて貰う予定の知り合いの家に到着。
隣の県まで続く国道沿いにその家はある。


数ヶ月ぶりに会うおばさんに挨拶。
高校生の娘はすでに登校していた。
娘に特別に用はないが、娘に預けておいた私のノキア製携帯電話に用があった。
おばさんに聞くと、最近は娘がその携帯電話を使っているという。
彼女は私が前に働いていた学校の生徒。
学校から帰ってくるのを待つのも面倒。
挨拶方々、学校に行くことにする。


門番をしている警備員のおっさんに挨拶。
どこから先に行っても良かったが、一番手前にあった社会科の教員室に行く。
教員室にいた先生に「お久しぶり」と挨拶。
「6年2組、どこにいますかね?」と聞く。


タイの学校は、中学1年から高校3年までが、同じ学校にいる。
義務教育は中学3年までだが、中学1年を1年生、高校1年を4年生、という。
私が探す娘は、高校3年生なので、6年生。


時間割をみると、彼女はもうすぐ私がいる校舎にやってくるらしい。
教室を移動する生徒たちを眺めながら待つ。
教室間を移動する生徒たち


学校にもよるが、タイの大きな学校では、生徒が科目ごとに教室を移動する。大学のようなものだ。
学校が大きくなると、移動距離も大きくなる。
勿論、生徒たちはのんびりと教室の間を移動するので、開始時刻が曖昧になるのは仕方ない。
しかし、そもそもこの国の学校では時間通りに授業を開始することが不可能な理由がある。


タイの学校には休み時間が存在しない、のだ。


例えば、1時間目が8時半から9時半だとすれば、2時間目は9時半から始まってしまう。
授業は終了時間に合わせられるので、1時間目を9時半に終了した生徒たちが、次の科目の教室に移動し勉強し始めるのは10分以上してから、ということになる。
先生たちもそれを見越しているので、時間通りに教室に行くなどという野暮な真似はしない。
生徒がやって来ることを見計らって、えっちらおっちら教員室から教室へ出向くのだ。
留学生やタイの学校で働く外国人教師は例外なく、この不思議な時間割に面食らうことになる。


本館と校庭


6年2組の連中は、彼らが中学3年生の時に教えたことがある。
顔見知りも多い。
すっかりおっさん顔になったヤツが「オハヨー、先生」と私の顔をみて挨拶をする。
「おう、優秀だな」と答えて、娘の所在を聞くと「ああ、もうすぐ来ます」との答え。
その通り、娘はやってきた。


親戚のおっさんに会った時のような恥ずかしそうな顔する娘に「おい、俺の携帯はどうなってる」と聞くと、娘は「あ、ここに」と取り出す。
「で、俺のSIMカードはどこにあるんだ?」というと「わたしの机の上の・・・私にしかわからない所にあります」という。
仕方ない、じゃあ学校から帰ったら、どの携帯にでもいいから、俺のSIMカードを装着してくれ、と頼む。


タイの携帯電話は、ほとんどプリペイド式。
携帯電話の会社は3つか4つくらいあるが、携帯電話屋に行ってSIMカードを買い、SIMカードを手持ちの携帯端末に装着すれば、使用できるようになる。
SIMカードは大体100バーツ(約300円)もしない。
各携帯電話会社ごとに料金プランは色々あって、私は使用頻度が低いので、1分2バーツ(約6円)の標準プランを選ぶ。
1度電話料金を入金すると1年間使うことが出来る。
通話料金の安いプランでは1度の入金を使える期間が短く設定されている。


携帯電話の本体をかえなくても、SIMカードを交換するだけで簡単に番号を変更できる。
そのためタイ人は頻繁に番号を変える。
そういう事情があるからか、タイ人は全然知らない番号からの着信でも、必ず出る。
知らない番号は着信拒否、という文化はないのだ。


相手だけでない。時すらも選ばずに着信にはこたえる。
例えば、授業中でも先生は携帯電話にこたえる。
時計代わりに私も携帯電話を教室に持ち込んでいたが、たまにかかってくると生徒が「先生、出て下さい」と言う。
さらには式典の最中でも、かかってきた電話には出る。
講演会の途中で「今、講演中だから、後でかけ直す」と電話に出て説明した講演者を、私は見たことがある。


とはいうものの、タイ人は普段から小さな声で穏やかに喋る。
携帯電話でも同じように小さな声で喋るので、バスの車内やレストランで通話している人がいても、あまり邪魔な感じはしない。


本館内部


用事も終わったので、階下に行くと4年1組がいた。
2年前、私はこのクラスの副担任のまねごとみたいなことをしていた。
確かにほぼ全員の顔に覚えがある・・・が、名前はかなりの部分忘れている。
意地悪なヤツは「先生、あたしの名前、覚えてますか?」というので、胸の刺繍を指さして「ほら、ここに書いてあるじゃないか」と返答。
タイの学生の制服には生徒の名前が縫いつけられている。
名前くらいは読めるので、こういう場合は助けになる。


数学の授業だが、教室に先生はいない。
1時間、ひたすら黒板に書いてある方程式をノートに写して、その授業は終了。
先生は最初と最後にちょっと説明しに来ただけだった。
成績順に1組から8組ぐらいまでクラス編成してあり、このクラスは優等生ばかりが集まっているので、こういう授業でも十分にクラスは成立する。


ついでに各教員室に行って挨拶。
ひとまず皆に挨拶したので、帰ろうと校門の所に行くと、飲み仲間だった用務員のワンチャイが草刈りをしていた。
「おーい、元気か?」と聞くと「ああ、先生」と汗まみれの顔を出した。
どうだい、最近も飲んでるのか?と聞くと、「へへへ」と笑う。
「俺がこっちにいるうちに、いつものように牛肉の刺身で一杯やろう」と誘うと、「いいねぇ」とワンチャイは笑った。
「俺は、今日からチェンマイに行って、金曜には帰ってくるから、その夕方に。みんなに言っておいてくれ」といって学校を後にした。
各校舎の間には木

「バイクの整備はちゃんとしてある。ブレーキパッドは交換した。」
と、知人は言った。
事前に日本から「いつものバイク、貸して下さいね」と電話で頼んでおいた。
さっきバスターミナルに迎えに来てくれた時も、彼はそのバイクに乗ってきていた。


ソニック125
後ろにくくりつけた不格好なケースが私の荷物



タイホンダ製、ソニック125。
現在都会に下宿している彼の娘の愛車。
彼女の趣味なのだろうか、派手な黄色。
アンダーボーンフレーム型、つまりスーパーカブのようなかたちをしている。
スリッパでもギアチェンジ出来るように、チェンジペダルもカブと同じ。
それでも一応「スポーツモデル」ということになっていて、円心クラッチではなくて普通のバイクと同じようなクラッチがついている。
タイでは一般的なかたちのバイクだが、私にはカマキリのように見える。


タイのバイク事情は簡単だ。
スーパーカブ型のバイクが圧倒的多数派。
ここ数年はスクーターが増えてきている。
アチェンジがめんどくさいという物理的理由より、ちょっと割高なスクーターが物欲を刺激するらしい。
きれいなおねえさんは、だいたい、ちょっと高めのスクーターの新車に乗っている。


数は少ないが、普通の形をしたバイク―アメリカンやレーサーレプリカも走っている。
時々、レーサーレプリカタイプのNSR150に太ったおばちゃんが乗っているのを目撃して、複雑な気分になる。
スリッパ履いて割烹着のおばちゃんが、レーサーで買い物・・・。


TIGERというタイのメーカーがある。
このメーカーのバイクは安いが少数派。
タイホンダ、タイヤマハ、タイスズキの方が多数派。
おそらく関税の関係で中国製のコピーモデルはタイでは見られない。
3月にラオスの首都ビエンチャンに行ったところ、相当量の中国製のコピーモデルが走っていた。


タイで作られるバイクは200CCのバイクが最大。
それ以上の大きなバイクは輸入されたもので、ごくごくまれに1000CCや400CCのバイク、あるいは250CCのオフロード車を見かけることもある。
乗ってるのはお金持ちか外人の観光客。レンタルバイクで借りたものなのだろう。


さてソニックだ。
前回3月、ラオスに行った時も、タイ・ラオス国境の町ノンカーイまではこのソニックで行った。
あの時も多分、1000キロ以上走ったので、車の様子は分かっている。
ガソリン1リットルで大体35キロくらい走る。
でもタンクが4リッターくらいしか入らないので、結局100キロちょっとでガス欠になる。
よって県境の山を越える時、時々、ガス欠になりそうで、どきどきすることになる。


知人はWAVE100というカブ型のバイクも持っている。
WAVE100では一度、バンコクまで片道700キロの道のりを乗っていった。
別の機会にはチェンマイから更に山奥にあるメーホンソンまで、これも片道600キロくらい乗った事がある。
どちらもゆっくり走った覚えはないが、ガソリン1リットルで40キロ以上は走った。


荷物も積みやすいし、本当はどちらかと言えばWAVE100の方がよい。
でもソニックを用意してくれたのだから「まぁ、ソニックでもいいか」と考えた。
ソニックソニックでとてもよいバイクで、明日の目的地、チェンマイまでの道のりの大半は山道なのだから、速いバイクの方がいい。


8月に滞在中のガソリン価格は、レギュラーが31バーツ。ハイオクが32バーツだった。
正確にはガソリンではなくてガスホール=エタノールを混ぜたガソリン。
亡命中のタクシンが積極的に導入し、タクシンが失脚した後の政権も優遇税制が続いているらしく、普通のガソリンより2割程度安い。
でも今年の3月はレギュラーガスホールが20バーツ程度だったような記憶もあるので、それに比べるとまた随分と高くなった。


8時過ぎ。
知人が出勤するという。
彼は少し山に入った学校の校長先生なのだ。
毎日、いすゞピックアップトラックで通勤している。
荷台に荷物を載せて貰い、丁度通り道にある、私が泊めて貰う予定の家まで運んで貰った。


「夕方、電話してこい。ご飯を食べよう」と校長先生は言った。


後日撮影したタイ・ミャンマー国境の町、メーサイにあるスーパマーケット「ロータス」の駐輪場。
前列、1台をのぞき、全てカブ型のバイク。

夏休みを使って2週間程度、去年まで住んでいた所に遊びに行った。
旅行といえば旅行。
あまり他人に適用できるような旅程ではないと思うが、自分でも忘れないように記録を残しておこうと思う。


8月3日の昼、15時頃、機内で飲んだビールに顔を赤くしながら、バンコクスワンナプーム空港に到着。
ここに来るのはこれで何回目かは忘れた。
確かに綺麗な空港だとは思うが、個人的には、前のドンムアン空港の方が使い良い。
要するに伊丹空港関西空港の関係だ。


ドンムアンは比較的、町中にある。
北部の大都市、チェンマイに向かう路線に「ドンムアン駅」がすぐ向かいにあるので、その気になれば空港から直接、夜行列車に飛び乗ることも出来る。
スワンナプームは郊外。
バンコクの終着駅フアランポーン駅から車で1時間弱。
長距離バスのターミナルからもやはり1時間弱。
線路は出来ているが、未だ鉄道は運行していない。不便だ。


空港から、私の目的地である長距離バスターミナルがあるモーチットまで、タクシーだと300バーツ〜500バーツ程度かかる。
1000円から1500円だが、すでにバーツの感覚に酔っている私には、高い。
缶ビール1本が25バーツなのだ。
だからバスに乗るのだが、これがめんどくさい。
空港の前には鉄道の駅や市内に向かうシャトルバスはあるのに、なぜか長距離バスターミナル行きのバスがない。
海外旅行するような連中は、長距離深夜バスには乗らないということか。


まず空港から少し出た所にある、空港バスターミナルまでの無料シャトルバスに乗る。
AとかBとか書いてあったが、両方ともバスターミナルにはたどり着いてるみたいだったので、やってきたバスに乗る。
10分くらいで空港バスターミナル。
路線バスの乗り場と中・長距離距離バスの乗り場が並んでいる。
切符売り場は複数あるので、自分の行きたい場所を伝えて「バスある?」と聞いてまわる。
バンコクの路線バスは「501」だの「551」だの「081」だの、色々な番号があって、きわめて複雑。
乗り換えないといけないので、デカイ荷物を抱えた私には面倒。


一番奥のバス乗り場の中・長距離バス乗り場から、モーチット行きのバスが出ている。
古いが一応クーラーがついていて運賃は40バーツ。
1時間弱の乗車時間を考えれば、これに乗るのが一番よい。


しかし、このバスにも問題はある。
このバスをモーチットで降りた後、長距離バスのチケット売り場までが、なかなか遠いのだ。
荷物車を持ったあんちゃんやおっさんが「荷物運ぼうか?」と声をかけてくる。
「この荷物は軽いんだよ」とかわしながら、バスターミナル内の市場を通り抜けていく。
久し振りの熱気の中では、それだけでしっかりと汗をかいてしまう。


長距離バスは同じ行き先でもいくつかのバス会社があってそれぞれ微妙に違うので、出発時間と運賃を聞かねばならない。
グリーン車であるVIPバス。一等車のP1(ポー・ヌン)と二等車のP2(ポー・ソーン)。
長いことVIPバスに乗っていないのでその値段を忘れてしまったが、たしか私の目的地ナーン県までVIP=700バーツ、P1=570バーツ、P2=400バーツ、という感じだったと思う。
最近の私はP2のバスで全く不満はない。
ちょっと狭いが、隣に座る人次第でなんとでもなる。
おねえさんならむしろ好都合だろう。
だいぶん前、隣に小さい子供でラッキーと思ったら、深夜、ずっとそのガキに蹴られ続けたこともあったが。
とにかく400バーツ弱の二等車P2のチケットを購入。
夜の7時半過ぎに出発して600キロ以上離れた目的地ナーン県に到着するのは朝6時前。
10時間弱、深夜バス的には、大したことはない。


車内にテレビがある。
バスが動き出すまでは、地上波のテレビドラマを放映。
京阪電車の特急なみの乱れた映像に辟易するが、久し振りのタイドラマを懐かしく観る(多分、このドラマ)。
意外なことに、タイの深夜バスは大概の場合定刻に出発する。
出発してしまうとテレビの映りは悪くなるのでVCDに切りかわった。
「マッハ」や「トムヤムクン」のトニー・ジャーの主演するアクション映画をやっていた。
よくわからんヘンな映画で、知らないうちに終わっていた。


バンコク都心部は、それなりに渋滞している。
あちらこちらの屋台やネオンを30分くらい眺めていると、郊外に出る。
あとは田舎道。
窓外に見覚えのある場所を見いだしたり、うとうとしたり。
最初の1時間で、いくつかのバス停で停車して客が乗ってきた。
私の隣の席は、おっさん。


インターチェンジでの便所休憩が2回くらいあった。
でも私は外には出ない。
売ってる土産のお菓子を買う気にはならないのはもとより、1回3バーツをとられる便所にわざわざ行く気にもならないからだ。
バスターミナルの便所も有料。
空港を出た15時から、次の朝の6時まで、私は便所にいかないと決めていた。
飲まないより、出さない方が、ある意味においては難しい面がある。
とはいうものの、のどが乾いたので、バスターミナルで買った水を少し飲む。
ターミナルの待合いフロアには、セブンイレブンとローカルなコンビニがある。
最初、セブンイレブンに行くと、1.5リットルの水が20バーツ。
おかしい、もっと安いボトルがあった筈、と、もう一方の店に行くと、14バーツのものがあった。
すごく得した気分で購入。


しかし、こうやって得した6バーツも、電話をかけたらすぐになくなった。
明日の朝、バイクを借りに行く知人への電話と、明後日チェンマイで会う約束をしてる知人への電話。
いずれも携帯電話だから、高くつく。
20秒程度で1バーツ。


何度か目が覚めて、気が付いたら見覚えのある山道。
目的地についていた。
バス停に到着。
数ヶ月前と何も変わらない。
荷物を抱えてチケット売り場の軒下に。
知人の家はすぐそこだが、まだ時間が早い。
とりあえず小用をたそうと思って、バス停のはずれ、田圃の入り口に行こうとすると、突然知人が現れた。
 私 「あ、どうも。おはようございます」
 知人「なんだ、着いたなら、どうして電話してこない」
 私 「いえ、今、到着した所で、小便をしようかと思っていた所だったので」


家に到着すると、知人は「とりあえず、水でも浴びろ」と勧めた。
この地の人々は、朝、必ず水を浴びるのだ。


私が水を浴びてる間に、知人が市場で買ってきたおかずで朝食。
タケノコのスープ、冬瓜のスープ、魚のそぼろ、魚の干物。
テレビでは、動物園のパンダの名前を決めるとかいうニュースをやっていた。