『はつゆきさくら』1stインプレッション-2(シロクマほか)

今回はシロクマから始めましょうか。グルルルシロ!(いろいろ台詞あるけれど、「ル」はBGM名の3文字より4文字の方が落ち着きが良いと思っている私)

相変わらずネタバレ全開なので、未プレイの方は要注意。
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あややシナリオが前日譚であればシロクマシナリオは後日譚的なところを含むものではありますが、そこに至るまでにも、いろいろと見るべきものがあります。

1月16日の模擬授業シーンの以下の部分は、このゲームのエッセンスを伝えています。
後から振り返ってみると、極めてエモいこの台詞群が、オーラスまでの心理的変化を示唆的に言い表していることに気づくでしょう。

そして、このようにエッセンスだけで提示されると、例えば『智代アフター』あたりの麻枝准作品との近似が逆に析出されてくるような気がします。特に、ラストへの道筋を、シナリオの途中での冗談のようなやりとりの中で先んじて示してしまうことは、『智代アフター』でも明示的に行われており、このような手法の近似にも思うところがあります。

【シロクマ】「X×Y=W」
【シロクマ】「解けない。たどりつけない答え――」
【シロクマ】「いけた、と思った瞬間に、闇に閉ざされる、絶望」
【シロクマ】「Xが笑っている。Yが泣いている。答えが見つからないと、泣いている」
【シロクマ】「それでも、たどりつかなければならない」
【シロクマ】「たとえ、物理法則を歪めてでも……」
【シロクマ】「手に入れたい、真実がある」
【シロクマ】「全ての因果律を越えて、ただ、たどりつきたい」
【シロクマ】「それが、答えだ!」
【桜】「何の解決にもなっていないよ?」


【シロクマ】「見つからない……答えが、みつからないよう」
【シロクマ】「どこかに、消えてしまった」
【シロクマ】「確かに、手に入れたと思ったのに」
【シロクマ】「この手のひらを、零れ落ちて、失ってしまった」
【シロクマ】「答えが、どこかに行ってしまったんだよぉ」
【シロクマ】「答えぇ……」
【竹田】「沈む一方じゃない」


【シロクマ】「いくつもの出会いの果てに、たどりついた」
【シロクマ】「かけがえのない答え」
【シロクマ】「この年を決して、忘れないだろう」
【シロクマ】「いくつ季節がめぐっても……」
【シロクマ】「1392年。いざくにとういつ、南北朝
【シロクマ】「振り返れば、いつもそこに君がいた」
【一同】「……」
【竹田】「普通に語呂で覚えた方が早くない?」

「振り返れば、いつもそこに君がいた」の台詞で、右側遠めに桜の立ち絵が出ることと、南北朝統一が、初雪と桜の婚約というある意味統一的なものに掛けられていて示唆的過ぎるというか仕掛けが巧妙すぎるというか。ある意味シロクマ本編をここで相当喰っています。

【シロクマ】「シロクマ、生まれてはじめて、誰かのためにって思ったよ」

はベタだけれど、合格発表直前に逃げたくなる気持ちや、受験に失敗して、現実逃避するという揺り戻し、揺れ動きがあって一直線に向かわないところが、とても普通の市井に住む人間らしいとは思います。

更にシロクマに説教を垂れている初雪自身がそのことを乗り越えられているわけではなく、自分自身も同じような揺らぎの中に過ごしており、そのような状況にいることそのものが、初雪がゴーストチャイルドである、いや、ゴーストチャイルドのままでいる、というところと直結しているので、他人事ではないわけです。

このような点は、芳乃さくら68歳に見られるように(ナニソレ)、一度越えたはずの物事も、立場や状況、自分の立脚点が変われば、同じ課題がぶり返す、という点も指し示しており、成長とはそう単純な物事ではない、というところとも合わせて見ると、「桜の精霊」と自身を例える初雪が切実に思えてきませんか。思わないですかそうですか。

この辺りは、校長が入学の挨拶とも思えないような辛口の祝辞

【校長】「辛いことや、退屈なこと。下らないと思うこともあるでしょう」
【校長】「手応えのあることばかりではありません。いつか、希望にあふれていた未来から、あらゆる意味が消失し、荒涼とした場所に放り出されてしまったと思うときもあるかもしれません」(原文は「放り出さて」(ママ))
【校長】「それでも、歩き続け……たどりついたなら、そこにはあなたなりの祝福が、春が待っていることでしょう」

を述べる辺りも同様ですね。でも、我々は、奇麗事ばかりではない、こういう話をすべきなのかもしれません(上から目線)。この辺りも『智代アフター』で一度得たはずの幸福がするりと手から零れ落ち、放逐され、長い逡巡の後悟りの境地に至った(言い過ぎ)彼女の道筋を校長が語っていると考えてもいいですね。って被りすぎ。

春に至れなかった後日譚部分は、何かに囚われ続けてしまうこと、それがポジティブな印象のものであっても、ネガティブな印象のものであっても、根はそう変わらないのかもしれないということも含めて示唆性があると思いたい。

最後、留学に向かうシロクマ改め望月宝の姿が、髪型やリボンの位置を含め、某アイシアに見えるのは、何かのゴーストのせいですかそうですか。
でも結ばれなかった芳乃さくら以上に扱いが酷いと。


……ここまで書いて、この濃度でやっていくのが辛くなってしまったので、以下はまずはあっさりと。

あずま夜。他人から受けた罵詈雑言という呪いは、いくら前向きに頑張ろうと思っても本人自身を縛り付け、踏みとどまらせてしまう、という話。夜自身も凹みつつ前向きになろうとしつつ、何度も揺り戻しが来てしまうこと、心理的退行の象徴としてロリキャラのナイトメアがいること辺りは置き方としては明快だったかなと。

東雲希……というか、むしろ妻の方に注目してしまった私。若いうちは建前、理念、理想(本文中は正義感)を貫くことが美しく、正しいと思いがちだけれど、そのような想いを貫いてしまうことでかえって茨の道というか隘路に至ってしまう可能性が高いこと、そして、本人は忘れてしまっているが、そのような茨の道を歩んでしまったのが初雪という先達であること。妻には剣道部顧問の来栖(男)先生が庇ってくれたことにより先の道を遺してくれたにもかかわらず、理念に殉じようとしてその道を自ら潰してしまうとすること、などが同じ道を歩んでいる同士、という感じになったところはあると思います。そこに合わせて希のアホなまっすぐさが心に届くと。まあテキストに書いているとおりなんで。
オトナが、自分の不全感、不達成感を次の世代の者に押しつけ、と捉えられそうではあるのですが、受け止めて、耐えて生きろと。

まあ、ここまでをまとめると、新島夕的オトナのなりかた。みたいな感じですかね。
「Presto」歌詞で言えば「まだらな道のヒーロー」(まだらとは、一直線に成長に至らず、酸いも甘いも美醜も全て呑み込んでいる、という意味にとる)という感じですね。

あとは、希シナリオ中で竹田と金崎も、単に可愛く不良しているだけではなく、それぞれ、捻れている課題を有していて、それを提示してくるあたりですかね。あまり真剣にはならないけれど、抱えているものは何かしらあるみたいな。

今日のところはこの辺で。