「葦は葦でも考える葦」からタイトル変更です。
くだらないことでもいいから、書きたいから書くのです。
白銀 希光 のWebsite "Cyber Trash" Home へ / フォトライフ / ブックマーク
Tuesday, May 25, 2010
第23回「う」宇宙
昨年度後期(下半期)に放送大学で宇宙論に関する科目を4科目も履修しました。こう書くとかなりキツそうに思えますが、被っている内容も多い上に、試験問題も簡単なものでしたし、しかも教科書の持込が許可されていました。放送大学の試験はたいていの科目ではごく簡単な内容です。私のとった科目がたまたま簡単なだけだったからかもしれませんが。しかし、こうなっている理由は放送大学の最終的な目標は試験にパスして単位をとることではなく生涯学習として学びの場・学びの機会を与えることにあるからだと私は思っています。授業料が高かったりとまだ問題は何点かありますが「学びのきっかけを国民に与える」という意味では放送大学は一役買っているのです。放送の視聴だけなら無料で出来ますし。放送大学は「日本における開かれた大学」という英名を持っています。いわば「国民の大学」なのです。
宇宙論に関しては学びはしましたが試験に向けて焼付け刃的なものになってしまい、試験から4ヶ月もたった今では内容を忘れつつあります(汗)。しかし、印刷教材は手元にありますからいつでも復習は可能です。
ちょっと横道にそれました。というわけで、宇宙論に関しては私も一通り目を通してきたわけですが、宇宙とは何だろうということがすごく不思議に感じますよね。ビッグバンにより宇宙が出来る前は虚数時間があったとか、まったくもって常識的な想像を超えた理論が展開されていますよね。宇宙論は哲学に近いものであるのかもしれません。
なぜ私たちの太陽はできたの?
なぜ地球はこんなに恵まれた環境なの?
本当に不思議がいっぱいです。私は神のようなものが実在するのではと思っているのです。ビッグバンを生み出した神が。
我々は生まれる前、正確には両親の精子と卵子が合体する前にはこの地球から観測可能な宇宙の外にいたと私なりに思っております。どんな技術をもってしてもこの宇宙の中からは観測不可能な宇宙というべきでしょうか。そして死んだあとはまたそこに戻るのです。ちょっとこれは非科学的かもしれませんが…。
エネルギーと質量は等価ともいいますが、人が死ぬとその瞬間に体重が数十グラム減ると聞いたことがあります。その分のエネルギーこそが魂なのではないでしょうか。肉体とは別に魂は実在すると思います。我々は死んだあとにはただ理想の世界が存在することでしょう。永遠の楽園というべき場所が。
ちょっと今回は哲学的な要素を含んだ小難しいお話になってしまいました…。いいかえれば、宇宙は無数に存在するのです。というか我々の技術の限界で観測できる範囲外にも宇宙は存在するのです。我々のビッグバンから始まった宇宙には地平線があるといわれています。その地平線の向こうには何があるのでしょうかね。あるいはビッグバンの前には宇宙のすべてが大きさが限りなくゼロにちかい「粒」に凝縮されていたとも言われますが、実はその粒は無数にあってパラレルワールドがあるのかもしれません。
これに関してはもっと議論を続けたい事項でもあります。「神」と「科学」は違うように見えて「神」は「科学」を支配しているのかもしれません。普遍的なものにも興味があります。どこへ行っても変わらない普遍的なもの。物理学や数学に興味のある私としてはなんだかわくわくしちゃう世界だったりもします…。
あなたの分身が、あなたの相棒が、実はこの宇宙の外にいるのかもしれません。この世でのおつとめを終えたあと再会できるかもしれません。このように不思議な世界はどんどん空想上では広がります。
我々みんな宇宙を持っていてそれは我々みんなで一つとして同じものはないでしょう。私が赤だと思っている色は、あなたには青に見えるのかもしれません。私は青葉を見て春を感じますが、あなたは紅葉を見て春を感じるのかもしれません。私は紅葉を見て秋を感じますが、あなたは青葉を見て秋を感じるのかもしれません。言葉では「あお」「あか」でも感じているものが違うのかもしれませんね。
宇宙は宇宙の数だけある。私はそんなしゃれたことを最後にいっておきたいと思います。
