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2008-12-13

「産経新聞」アプリは時代を「戻す」ことができるか−ニューメディアに積極的に取り入るオールドメディア

最初に申しておくと、(言い訳じみたことになってしまうが)私は「情報軟禁状態」にあり、体調的な問題(から肉体的・物理的に情報(インターネットおよび文献資料)へのアクセスを著しく時間的・体力的に制限されている。また同様に思考力や読解力も大幅に低下しているため、本稿が適切な「歴史」を叙述しているかに関しては記憶違いの面も多々あると思われる。よって、その点に関しては十分ご留意の上、下記の文章をご一読いただきたい。

危機に瀕すオールドメディア

インターネットをはじめとしたニューメディアの台頭により、オールドメディアは危機に瀕している、というのはもはや言うまでもなく「常識」となった。今日、とりわけここでは、オールドメディアの代表格としての「新聞」に焦点を当たいと思う。新聞は年々発行部数が減少し、またインターネットの脅威にさらされているため、今後も(「押し紙」などの存在により表面に出ることはたとえなかったとしても)購読部数は減り続けることが予想されている。今、多くの人々が、情報はインターネット上のニュースサイトで済ませ、彼らの新聞を購読しようとはしない、という行動をしつつある、あるいはしている。週刊アスキー連載の「仮想報道」(歌田明弘)によれば、仮に新聞が廃止され、全てがネット配信となった場合、広告収入はかつての10分の1以下になるとされており(「新聞収入はネット版に完全移行すると現状では1/10以下 : 歌田明弘の『地球村の事件簿』」参照)、購読部数の減数は彼らの生命にも直轄しかねない問題なのである。

専用端末「電子ブック」の消滅

2004年ごろ、つまりまだ「Zaurus」や「CLIE」といったPDAが元気であった頃、「紙の時代の消滅」を予期させる端末をソニーおよび松下(現パナソニック)が発表した。それが「電子ブックリーダー」である。電子ブックリーダーは専用サイトから電子書籍を購入し、コンピュータ経由でそれを電子ブックリーダーに転送して内容を読むことができる、というその名の示すとおりの製品であったが、「紙の時代」を消滅させる、という夢物語を実現させることはできなかった。新聞の配達が紙ではなくネット経由になる、というのは脆くも崩れ去ったのである。結局、日本国内において、電子ブック達は2007年に事実上の撤退をしてしまった(「 電子書籍端末売れず──ソニーと松下が事実上撤退 - ITmedia NEWS」参照)。

電子ブックリーダーが持っていた欠点は、コンテンツを「ダウンロードし、転送する」というステップが面倒であったこと、満足なコンテンツをそろえることができなかったこと、製品として値段が高すぎたこと……といろいろあげることができる。しかし、これは直ちに「オールドメディアはニューメディアの時代に、それ自体の形態を保ったまま参入することができない」ということを意味するわけではない。インターネット時代においても、我々が慣れ親しんだオールドメディアの持つ形式(たとえば、新聞の特有のあのレイアウトや、「ページ送り」という概念等がそのひとつといえるだろう)はそれ自体の価値が失われてしまうというわけではないことは、若年層における「ケータイ小説」の爆発的な浸透(それは、オールドメディアは<収入源の点を除けば>ニューメディアの上に「乗っかる」形で生き残ることができることを示す)や、米国における「Kindle」の異常なまでもの売れ行きによって示されている。

「電子ブック」の生き残り

さて、私は今上で「ケータイ小説」と「Kindle」という二つの成功例をあげたが、この二者は「それ自体が通信機能を内蔵し、コンテンツにダイレクトにアクセスできる」という共通点を持っている。「ソニー」と「松下」が敗退し、「ケータイ」と「Kindle」が生き残る理由の一つは、まさにそこにあるだろう。情報へのアクセスはステップ数が少ないほど利便性が高い(なんてことは当然の事実である)。ブロードバンド時代が到来し、それ自体が通信機能を持ち、ダイレクトにコンテンツへのアクセスを可能としたことは、一時的に消滅した「電子ブック」にはない大きな特徴である。

さて、ここで日本の新聞業界に戻る(というのも、日本の市場はかなり特殊であるからだ。ケータイのガラパゴス化にせよ、出版業界の閉鎖性にせよ)。上記のリンクに書かれているとおり、日本の電子出版産業は独自の形態でそれを行うことを断念し、「ケータイ」の上で活動することを志向している。もはや「一人に一台」にまで普及を見せたケータイに焦点を絞ることは当然のことだろう。まさにケータイがガラパゴス的進化を遂げた日本においては、それが「電子ブック」とほとんど同等の機能を持つに至っており、ここにおいて「ケータイ」の中で「電子ブック」は生き残っている、と考えて良い。そして「新聞」も、「ケータイ」を活動の重要な拠点として位置づけていくことは、至極当然のことなのである。収益源の面について口を閉ざしてさえいれば。

「収益源」という問題

ここで持ち上がるのは、やはり「収益」の問題である。新聞を取らず、ニュースは携帯から各新聞社のサイトにアクセスして読む、という人は、ここ数年でかなり増えている。しかしそのようなことがより一般的になってくると、新聞社は収益源を失ってしまうのだ。前述したとおり、広告収入は紙からネットに移行した場合10分の1以下まで下がるとまで予想されている。情報化時代において、端末はオールドメディアにその場所は与えたが収益源は与えなかった。さて、この大きな問題に対し、新聞社はどのように立ち向かえばよいのだろうか。

紙面を<そのまま>掲載する、という産経新聞の挑戦

ここでようやく「産経新聞」の話題になる。産経新聞は先日iPhone上で産経新聞をそのままの形(本当に新聞そのままのレイアウトで(!))で無料購読することのできるソフトをリリースした。当然私も使ってみたのだが、無料で新聞そのものが読めてしまう、というメリットは計り知れないほど多い。というのも、新聞各社がサイトにアップロードしている記事は紙面のほんの一部分に過ぎないし、かといって新聞を購読するのは(月々の負担や「紙の束」の負担などの面もあって)なかなか躊躇してしまうことがある。そのような窒息した状態において、「新聞そのままの形」を新しい端末の上で再現するのは、一種のコペルニクス的転回ともいえるだろう。

挑戦は「ガラパゴス」にも

携帯各社が発表した2008年冬の新モデルでは、iPhoneの影響を受けたと思われるタッチパネル搭載型の端末がずいぶんと増えた。「産経新聞アプリ」の操作性はタッチパネルが無ければ難しいものだが、日本の携帯市場においても大型タッチパネル液晶搭載機種が徐々に増えたと言うことは、同様のアプリがいつ「iアプリ」や「S!アプリ」として登場してもおかしくないことを示している。「紙面をそのままの形で掲載する」というありそうでなかった現実が、今爆発的に普及してもおかしくない現実が目の前まで迫っているのである。

「収益源」を確保できるか

「紙面をそのままの形で掲載するアプリケーション」を公開する、という形を取ることで、オールドメディアは収益源の問題をも回避することができるかもしれない。

我々は紙メディアから離れつつあるが、決して情報から離れつつあるわけではなく、むしろかつて以上に情報を必要としている。現実がポストモダン的、つまり非人間本意主義的になっていく中、我々は各個人の行動において情報から意味を解釈し、それを選択的に消費することによって人間性を保つしかないからである。そしてその情報は、やはり「マスメディア」から入手するしかない、という現実も依然として残ったままである。また、我々は新しいニューメディアの形よりも、まだまだ紙を中心としたオールドメディアの持つ安定的概念に慣れ親しんでいる、という事実もある。

目の前には、あの日崩れ去った夢物語、つまり「紙がそのまま電子媒体に置き換わり、新聞が毎日そこに<配達>される」という状態が回帰しようとしている。その物語の中では、彼らは(それまで掛かっていた印刷や配達に関わる経費を除くことで)今までよりも安い値段で提供することができる(産経新聞に至っては、既に「無料」という実験的決断をしてしまった!)。情報に餓える人々は、ワンステップで膨大な情報にアクセスできるならば、それらのソフトを入手するであろう(既に「産経新聞」アプリのDL数がかなり多いことは、それを端的に示している)。インターネットでの記事配信は「専用アプリを通じた全紙面の提供」に代わり、PV数は「専用アプリのDL数(「購読者数」と言って良いだろう)」に代わり、なおかつそれは、その性質上「インターネット広告費」と「新聞広告費」の間を行く広告収入を広告出稿者に約束させることが可能となるだろう(「東京ガールズコレクション」で行われているおり、そしてホリエモンが構想したように、「広告からダイレクトに商品の契約や購入が出来る」ということが出来るようになれば、紙媒体以上の広告費を稼ぐことも出来るかもしれない)。「電子ブック」の夢は崩れたが、「ケータイの上にアプリケーションとして乗る」というスタイルを取ることで、事実上「電子ブック」が担った同様の期待を、それ以上の高さで「ケータイ−アプリ路線」は担っているのである。

「iPhone」上で始まったのはまだ実験に過ぎないが、ここに「オールドメディア」がニューメディアの中でその形を全く同一に保ちつつ媒体のみを代えるという、かつての夢物語を再び現実化させる可能性が垣間見えている。インターネット時代においてオールドメディアが生き残る一つの方法として、今後の動向を注視する必要があるのは間違いない。我々は慣れ親しんだオールドメディアから別れを告げることなく、むしろよりいっそうそれに馴染んでいく、という一種のパラダイム転換は、果たして成就するだろうか。

個人的な課題

メディアの携帯向けニュース配信サイトには有料で配信しているところもあるけれどそれとの絡み、とかそのへん。まあ、ありゃ配信している情報量が少なすぎるし広告もほとんど貼られていないので「住み分け」可能な気もするが。既存の新聞と同様のデザインで展開されるアプリケーションだとそれが有料課金されても広告があることに違和感を覚えない(有料であることと広告がついていることの排他性が問題とならない)、というのはありそうな気がする。以上。

DesperadoDesperado 2008/12/14 10:24 「・・・間を行く広告収入を広告出稿者に約束させることが可能となる」という文章がありますが、広告出稿者って広告主を指すのであって、広告を載せるメディアのことを普通は「媒体者」と呼ぶような気がするのですが(多分)...。

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