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2011-04-23

なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか

先日、栃木県にて、クレーン車が暴走し通学途中の小学生をはね死亡させてしまった事故があった。もちろん加害者を擁護することは出来ない。彼はてんかんを持っていた。そして以前にも「未遂」を起こし、かつ薬の服用を怠ったがためにこの事件は起きてしまった。報道の通り薬を飲み忘れたがゆえにこのような事故が起こってしまったのであれば、これは完全に彼の責任であると私は思う。しかし、多くの人がそれでも思うことは、「では、何故彼はクレーンに乗ることを選択したのか?」ということであろう。この事故に関連し、id:goldhead氏は、俺はたまたま子供を6人轢き殺していないだけ - 関内関外日記(跡地)において、SASを患っているという観点から記事を書いていえる。その中で、次のような文章が目にとまった。

だから俺は、クレーン車で6人の子供を死なせてしまったやつのことを考えずにはいられない。彼が症状をおさえる薬を飲んでいなかった理由も、あるいは過去に事故を起こしていたり、その病気を隠してまたその職についた理由もわからない。わからないが、想像せずにはおれない。他人事ではないのだ。果たして俺がたまたま運転する仕事に就いていて、睡眠時無呼吸症候群に気づいたらどうしただろう。その持病があることを明かせば、仕事を失うかもしれないとき、どうするだろう。あるいは、新しい仕事に就けないのかもしれないということを。俺がそこで正しい選択をするかもしれないし、誤るかもしれない。正しい選択をした結果、ひどい不利益に陥ることもあるかもしれないし、誤った選択をしながら大きな失敗をしないですむかもしれない。それはわからない。

誰かが語らなくてはならないと思った。彼がクレーンに乗るという選択を、一度未遂を起こしながらも選ばなくてはならなかった理由について。これからここに書くことはあくまでも推測と私の経験や伝聞によるものである。しかし、「こういう事情もあるのだ」ということを、頭の片隅に入れておいていただきたいと思ったからこそ、この文章を書くことにする。

てんかんという病気は、一般的に精神障害に分類され、精神障害者保健福祉手帳の対象疾患でもある(註:てんかんは脳疾患であり、精神疾患には含まないとする意見も存在し、それは決して少数派ではない。しかし制度上は「精神障害」に分類されるため、このように記載する)。精神疾患には、てんかんの他に鬱病・双極性障害・統合失調症などが存在するが、てんかんや双極性障害、統合失調症は薬の服用を持続することによって「寛解」させることは出来るものの完全に治癒することは出来ない。だから、基本的に(医療技術の発達がない限り)これらの病気を患った場合、生涯にわたって薬を飲み続けなくてはならない。また、寛解と言われる状態は、医師や病気によって異なるものの、多くの人は健常者と同じく生活が出来、普通に働いたり、休暇を楽しんだり、子供をもうけたりすることが出来る。

しかし世間はそう思わない。一般的に、これらの病気があるという事実を明らかにして採用に望んだ場合、かなりの高確率で落とされる。精神疾患というのは未だに根強い偏見や差別が残っており(まさにテレビにおいて「てんかん」という言葉がほとんど使用されないことが、それを端的に示している)、病気を明らかにして就職することはほとんど不可能なのである。

じゃあ「障害者枠」を利用すればいいじゃないか、と思うかもしれない。しかし一般的に存在する障害者枠というのは、ほとんどの場合身体障害者用であって、精神障害者の受け入れを表明している企業は非常に少ない。世の中にはいくつか「障害者用求人サイト」というのが存在するが、求人票をめくるとその多くは「身体」のみであり、「精神」にまで広げられている場合は少ない。これには明確な理由が存在し、身体障害というのは多くの場合彼が死ぬまで永遠に「傷害」がまとわりつくのに対し、精神障害者の場合はそうではないことがあるのだ。いや、そういうと語弊がある。正確に言えば、身体障害者手帳には更新の義務が存在しないが、精神障害者手帳は更新義務があり、さらに「就労している場合は障害認定のハードルが上がる(所見において「日常的に生活が出来る」というのは、障害認定に値しない)」という事実が存在するがために、精神障害者を雇うメリットというのは企業にとってほぼ皆無に等しく、受け入れをする理由が存在しないのである。よって、障害者雇用は精神障害者とは無縁の存在である。

では、「療養所」のようなものはどうか。やはりこれもノーだ。療養所というのは、治療の難しい精神障害者や知的障害者しか受け入れないところが大半であり、間違っても「薬を飲んでいる限り健常者と同じ日常を送ることが出来る」レベルの人間がそのようなところでの就労を認められるケースというのは、残念ながらほとんど無い(ただ、これについては少しはあるらしい)。

それなら最後の砦、「障害年金」や「生活保護」を取得すればいい、となるが、障害年金の受給額は年間100万円程度であり、この程度では生活なんてとてもできやしない。生活保護に関しては、やはり「薬を〜」という事実がある以上、ケースワーカーから就労を促されることになってしまう。様々な制度が存在しているのだが、「薬を〜」レベルの人間というのは、全てにおいてつまはじきにされているのだ。だから、結局のところ、彼らは病気を持っている事実を隠して就労するしかないのである。

そしてそのような人間は、多くの場合「精神障害者手帳」の認定基準を満たしていたとしても、社会生活において不利益になる事があるため、手帳の取得を行わないことが多い。最近では、自立支援医療の適用も断る場合があるという(保険の書類を会社に見られたとき、これらの制度を利用していると一発で「アヤシイ病気を持っている」とバレてしまうため)。まさに、自分の中に存在している爆弾がいつ炸裂するか、あるいはその存在がばれてしまうのか、そういうことにビクビクしながら日常を送っていくしかないのである。社会によって、彼らは「普通に」生活することを潜在的に強要されている。そうでなければ、明日の食事にも困るような生活が待っているのだ。それなら、そうなってしまうならクレーンに乗り続ける。たとえ僕が加害者と同じ境遇にいたとしても、やはりクレーンに乗ることを選択しただろう。「明かして事務作業やらしてもらえればいいのに」というのは簡単だ。だが、事情は違う。明かしてしまったら、そもそも雇ってもらえないのだ。

だからこそ、私は彼に対して迂闊に何かを言うことは出来ない。単純に何かを言うことは、構造上不可能なのだ。もちろん、事故について責任を負うべきなのは彼である。しかし全てを自己責任に回収しても良いのか、という疑問は残る。彼のような存在を作り出してしまったのは、まさに我々の生活している、この社会構造それ自体のだから。

彼はそのことを忘れたかったのかもしれない。だがこれだけは言える。誰もが簡単だと思っている「薬を飲む」ということ、それはまさしくそのような「現実」を強く認識する瞬間を自分から作り出すことであり、生きるために苦痛の上に苦痛を塗り重ねる、その作業を「自発的に」行わなくてはならない苦しみを伴っているのであるから*1

そしてまた、病気なのだから夢をあきらめろというのは(クレーン乗車は彼の夢だった)、まさしく我々は、片方で「普通」の生活を強要しながら、もう片方では「お前は普通ではない」と言っていることを示している。どこまでを「能力的な問題」とし、どこまでを「病気の問題」とするのか。あるいは、我々は、意図的にこの両者を混同することで、彼を「社会」の内部に規定しているように見せかけながらも、それでいてそこから実質的に排除しているような、空白の場所を作り出してはいなかっただろうか。このような実情を、彼はどう心の内に処理すれば良かったのか。私には分からない。

お詫び

タイトルと内容がずれているのは全くその通りです。内容を正確に現すならば、「クレーンに乗らなくてはならなかったのか」ではなく、「病気の事実を隠して仕事をしなくてはならなかったのか」です。ただ、彼の意志をどこまで尊重すべきなのか、そして病気によってそれはどこまで制限されて良いのか、というのは、私に判断できる問題ではないと言うことも明記しておきます。

*1:前文と矛盾しておりますが、飲まなくてはいけない事実は強く認識していながらも「薬を飲むことをいやがる」人間というのは多く、そのためにこのような記述をしております。あくまでも「そういう人もいる」という話であり、本人がどうであったかは分かりません

szksszks 2011/04/23 20:57 「未遂」ってなんでしょう。

Usus_magister_est_optimus_tUsus_magister_est_optimus_t 2011/04/23 22:25 彼の夢がパイロットだったならどうなのでしょうか。社会構造の問題でしょうか?能力の問題ではありませんか?

pppSpppS 2011/04/23 23:44 精神疾患に根強い偏見が残っているのは分かりましたが、この事故を起こした人間を引き合いに出すのは間違っています。

彼がてんかんだと分かっても、重機という走る凶器を運転させ続けていた会社があるのに、他に選択肢が無い、というのは違うでしょう。建築関係だけでも運転無しの仕事は他にたくさんありますし、そこでも雇ってくれるはずです。
もし、夢だったクレーン乗車を続けていきたいと思っていたなら、少なくとも薬は飲むべきでした。
今回の彼は、社会構造の問題からクレーンに乗る仕事しか選べなかったわけでも、クレーンに乗るという夢を誠実に追っていたわけでもありません。
また、1度や2度起こした事故で、たまたま運悪く6人死ぬことはありません。より多くの「あわや」な事故を確実に起こしています。

以上から、彼はクレーンに乗らないことも選べましたし、乗り続けたとしても今回の事故を起こさないことはできたと考えます。

冒頭でもおっしゃっている通り、自分を「薬を飲んでいる限り健常者と同じ日常を送ることが出来る」状態に維持すること、過去に起こした無数の失敗体験から走る凶器を運転するリスクを想像して管理することの二つを無視した彼は完全な責任を負うべきです。

thirthir 2011/04/24 00:30 私は「彼には責任がない」と言いたいわけではありません。批判の方向性を考慮しなくてはならないということが本旨です。

eudaeuda 2011/04/24 00:56 えーと、手帳を持っていて、職がないです。
確かに、“もし上記のようだったとして、だからといって、罪・過失が相殺される”わけではないと思います。それらの点について、上のコメント各位に反論はできません。
まあ、ただ小生は後天的に手帳を持つ立場になり、職もそれと相まって崩れていった経験からするとその困難さは半端ないです。
もう一度。タイトルと内容がミスマッチではあります。でも、本文の大筋においては“あるあるー。って俺のことだよ”と強くコメントを残したいです。
まず、手帳を持って職を失うと、職業訓練が事実上受けられません。通達等があるわけではありませんが、職業訓練は“通して受講できること”が要件と言われ、担当医に“欠席せずに受講できるお墨付き”をもらわないとダメだと言われました。
お医者さんは“この患者を休ませるに値する”という書面は出しますが、“健康を保証する”という書面は出してくれません・出せません。そのうえ、歩ける、目も見える、であるにもかかわらず、“手が震えていませんか?”“ろれつが回っていないかと言われませんか?”などと言われ、職を探してもらうどころではありません。だから、そういう精神疾患の障害者ではないと言うことにすれば、健常者扱いしてくれますか?と聞くと、窓口の人は“構わない”といいます。
換言すれば、上記は ー てんかんだと言うと、クレーン乗っちゃだめだと言う。じゃあ、てんかんじゃないことにしてくださいって言うと、ああ、それならいいよ。 ー っていう構図の第一歩ですよ。
だから、薬のみ忘れて事故を起こしたら、相当の過失として罪を負う。それでいいじゃないですか。
一回職にありついたら絶対離せないんですよ、この手の人たちは。

MozhaiskijMozhaiskij 2011/04/24 01:33 >だから、薬のみ忘れて事故を起こしたら、相当の過失として罪を負う。それでいいじゃないですか。

それでは今回死んだ子供たちの立場はどうなるのですか。ただ罪を負えばそれでいいというわけではありません。もう子供たちはこの世に帰って来ないのです。

bearcatbearcat 2011/04/24 09:21 言えるのは、精神障害者だろうがなんだろうが、
その人個人には生きる権利がある、ということだな。
これらの背景を元に親の気持ちを想像すると
得も言われぬわな・・・

pegasus_Apegasus_A 2011/04/24 09:32 彼の行為はとうてい許されるものではないし、擁護するつもりもない、。
ただ、てんかんにたいする社会的な差別がその裏にあるという指摘には、なるほどと感じた。
一面ではあるが、差別が人を殺したのだ。
じゃ、誰が誰を差別したのか。
僕は、はっきりとした認識はないが、だからこそこれまで一度も差別をしなかったという自信はない。
ということは、例えわずかであっても、どこかでこの殺人に加担した可能性はあるということだ。
差別を減らすのは、やはり知ることだと思う。
このエントリに出会えて、よかったと思っている。

humino_chloehumino_chloe 2011/04/24 13:46 私は欝で会社を辞めました。
回復してきて、職を探したときに職業紹介のアドバイザーに、「病気を申告して雇ってもらうのは難しい」と言われました。
そして、暗に「病気を隠して応募するように」とも言われました。
当たり前だけれど、リスクのある人間を雇いたい会社は無いのです。
それは責められません。
リスクのある人間が避けられた結果として、リスクがあるのにそれを宣言しない・できない人員が点在する、地雷原が形成されている、というのが現状だと思います。
一方にはノーリスク信仰の社会があり、一方には消せないリスクである個人がいる。
リスクを避けるのではなくて、カバーするような社会になればいいのにな、と思います。
今回のケースなら、彼が病気を申告できて、会社が薬の服用を確認するように気をつけてくれれば、実はリスクがもっと低くできたかもしれない。
人が死んでいるのに、地雷がわがまま言いやがって、と人は思うのかもしれないけれど。

kabechoro3kabechoro3 2011/04/24 18:55 事故はおこしてほしくないし、事故に会いたくもない。
加害者に責任を負ってもらったところで、被害者が亡くなったら取り返しがつくはずもない。
持病があって就職が難しいってのは分かるけど、持病を隠して就職するなら、何もクレーン車の運転手じゃなくてもいいんじゃないかな。

phantophanto 2012/04/16 00:20 新たに癲癇事故が起きてしまい、関連エントリをウロウロしてたら目に付いたのでコメントを。

社会的差別を受けてるから隠してもしょうがないと言ってるのではなく、
社会的差別がある限り隠す人が出てくるからそっちに目を向けて、と読みました。

>それでは今回死んだ子供たちの立場はどうなるのですか。ただ罪を負えばそれでいいというわけではありません。もう子供たちはこの世に帰って来ないのです。
事故を起こした当人を裁くのは当然として、
癲癇やその他障害持ちを差別しても、隠して生きていく人が増えるだけで、このような事件が増えるだけではないでしょうか。

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