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2008-05-27

mixiに鬱日記を書く人たち

結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。」という記事を読んで、自分の周りにはmixiに自らの鬱的感情を吐露する内容の日記を書く人が多いことを思い出した。

別に彼らは普段から鬱な内容の日記を書いているのではなく、ある日突然「今日の日記はものすごい鬱なのでそういうのが嫌な人は見ないでください」という承諾文から始まる鬱日記を書く。コメント欄では普段通り他愛のない会話が繰り広げられ、翌日からは普段通りの日記が始まる。さて、彼らはなぜ突然「鬱」な内容の日記を綴るのだろうか。心理学とはほど遠い自分*1ではあるが、聞きかじった知識で少しだけ書いてみる。

他者に直接語ることの出来ない「心配事」

「自分の心配事を気軽に相談できる他者」という存在は、とうの昔に死んでしまったように思える。というのも、最近は「友人に迷惑をかけないために、相手が親身になってこちらを心配してしまうであろうことは、相手には教えない」というのが普通になりつつあるように思えるのだ。事実、「やさしさの精神病理(岩波新書)」という新書によれば、10年以上前から、他人に自分の悩みを打ち明けないことが「やさしさ」であるという認識が若者の間で蔓延っているのだという。そのような状況の中、自分の悩みを気軽に相談することの出来る相手というのは、存在するはずがない。なにせ、「『誰かに自分の悩みを打ち明ける』というのは、自分の悩みを相手に押しつけることであり、相手にとっては迷惑千万限りない」と打ち明ける側が勝手に思いこみ、打ち明けることを辞めてしまうのだから。

それでも語る必要性

しかしだからといって、自らの持つ心理的な悩みを語る必要性が一切なくなったかといえば、勿論そんなことはない。誰だって人に悩みを語りたいという気持ちは持っているものである。それは、相手から悩みに対する適切な応答が出てくることを期待しているからではなく、自分の心的な悩みを意味があり解釈可能な「言語」という存在によって再構成することで、それを過去から未来へと繋がる人生の文脈に適切に配置することが可能となるからである。あるいはそれは、自分の悩みを整理することにも繋がる。「悩みがあるときは、それを全部ノートに書き出してみると、案外大したことがないことが分かるはず」という助言は様々な場所で見受けられるようになったが、これもそれと同一だろう。即ち他者に語ると言うことは、他者の応答を期待しているのではなく、他者が納得できる形で自らの悩みを整理・再構成するという行為そのものが、それまで漠然とした感情でのみしか存在しなかった悩みを言語化・社会化し、自らの一つの要素として位置付けることを可能にするのである(このあたりは榎本博明氏の書物に詳しい)。あるいは、我々は「語る必要性」から抜け切ることが出来ない生物であるのに、別の側面では「語る」「他人と接点を持つ」ことから逃げているのかもしれない。本当は、それは必要な行為であるのにもかかわらず。

mixiに移行する独白

さて、「語る必要性」が未だ存在するのにもかかわらず、しかし「語る対象」が消失してしまった現在、我々は新たな語る対象を見つけなくてはならない。しかし先に示したとおり、今は直接他人に悩みを打ち明けることそれ自体が「やさしくない」として拒絶される時代である。ともすれば、「悩みを社会化出来るが、一方で他人に悩み(の解決)を押しつけない」独白の方法を打ち出す必要がある。そしてそれがまさにmixiであり、ブログなのではないか。

日記は、読むことを強制される類のものではない。またたとえmixiのシステム上それが強制の色を強く出していたとしても、彼らが最初に掲げる承諾文が読むことの任意性を保証する。そして任意に読むことを期待された日記には彼らの悩みが書かれているわけである。また、コメントすることは、他者が書き込みを承認したこと、つまり独白が一定の納得性と社会性を兼ね備えたものとして、既存の文脈の中に規定可能であることを示す。このようにして、独白はインターネットを経由して承認されるのである。ここでは、具体的な他者が独白の対象として存在しているわけではないが、しかし確実に他者が存在している。他者の心配をする必要もなく、独白を行うことも出来るのである。

前々から指摘している通り、人間関係が希薄になるにつれ、ブログやmixiは逆説的に濃い人間関係の代替を果たすようになっている。ただしここには、本当のSOSのサインが含まれていることが往々にして存在していること(鬱な気分の吐露ではなく、鬱病から来る病状の吐露があること)も忘れてはならないだろう。とはいえ、感情を整理する手段としてmixi・ブログが働いていることは、インターネットにまつわる様々な議論を行うにあたり、頭の片隅に入れておくべき事であるとは思う。

*1:興味はあるけど。医学部行けば良かった。シロクマ先生に憧れる。