動画を公開して悦に入る街宣右翼の肖像権は制限されて当然


11月16日(日)、「東村山元市議朝木明代さん殺害事件の徹底究明」をテーマとして再び「政治と宗教を考えるシンポジウム」が開催されるそうです。騒ぐだけ騒いだ挙句に「証拠を見つけ出し、犯人を逮捕・起訴するのは司法に課せられた義務」などと言い出し、その後も再捜査を正当化するだけのまともな論拠を出すことができない、“取材しない、調べない、考えないデマ−ガセ・ジャーナリスト”が何をどう「徹底究明」するのか、楽しみですね。


瀬戸氏におかしな絡まれ方をされた宇留嶋さんはといえば、淡々と〈りんごっこ保育園問題とは何か(第2部)〉の連載を続けています。しばらく間が空きましたから、第18回あたりからあらためて読み直すとわかりやすいかもしれません。なお、第23回第24回は現在進行中の問題を取り上げているので、別に読んだ方がよいでしょう。


りんごっこ保育園問題についてはまた情報が出てきたらあらためて取り上げるとして、今日は、昨日の記事との関連で、軽く肖像権の話をしておきます。


瀬戸氏は、宇留嶋さんが街宣参加者の写真を撮影していたことについて、9月12日付の記事で、「誰かに依頼されているのなら、それはそれで良いのですが、趣味でおやりになっているなら、こちらも余りいい気持ちではないので、次回からは遠慮させて頂こうと思っています」と書いていました。昨日取り上げた記事でも、その部分を再掲しています。


これを受けて、瀬戸氏のブログのコメント欄に次のような書き込みがありました。

へ?参加者全員の写真撮っていたとしたら、肖像権の侵害だから・・・逆に、せとさん側がウルシマっていう人を訴える事が出来るんじゃないんですか?
Posted by 田舎人 at 2008年10月11日 22:35


さらに“なまえ”氏は、「ウリ島」とか「キモ顔のオッサン」とか「汚い人相」などと好き放題の罵声を浴びせながら(これの掲載責任はもちろん瀬戸氏にあります)、次のように書いています(罵声の部分は省略)。

〔略〕
>この写真の方ですが、八王子駅前の演説の時にも現れて、集まった人たち全ての顔写真を取りまくっていました。我々が八王子検察庁に行くと着いて来ました。
↑これって、思いっきり、問題行動ではないですか。
侵害行為以外の何者でもないと思うが、
洋品店訪問の件で、店側を擁護してた人達って、
店主らの人権には拘るけど、
ウリ島のこの問題行動は、スルーしちゃうんですよね。
むしろ、東村山の平和を守っているヒーロー扱いだ。


人のやる事は許さないけど、
自分達がやる分には、何でも許されると言う考え方は、
某宗教信者によく見られる傾向ですよ。
Posted by なまえ at 2008年10月12日 01:41


洋品店襲撃を批判した人たちが宇留嶋さんの写真撮影の件に触れないのは、それが基本的には「問題行動」ではないからです。せめてウィキペディアぐらい見てから発言してはどうなんでしょうか。「肖像権」の項目から抜粋します。

人格権
被写体としての権利でその被写体自身、もしくは所有者の許可なく撮影、描写、公開されない権利。すべての人に認められる。〔中略〕
ただし、被写体が不特定多数の人々に見られることを前提としている場合、及び撮影内容から個人が特定できない場合などは一般的に人格権が認められない。
前者の例としてはイベントに出演したり、デモ行進に参加するといった場合が挙げられる。これらの例では、当人が被写体となることを事前許諾していると認められるため、肖像権を主張できない。


「街宣」も「デモ行進」の場合と同様です。だいたい、街宣の動画をネットにアップして大々的に宣伝し、アクセスが増えた増えたと悦に入ってる人たちに、肖像権を認める余地などほとんどありません。


ちょっと古い判例ですが、北海道学連デモ行進事件でも次のように判示されているそうです(札幌地裁・昭和35年8月17日判決、大家重夫『肖像権 新版』太田出版・118ページより)。

おおよそ一般公衆が自由に通行し自由に観覧できる大都市の公道において、集団示威をして人の好奇心をひく行動に出た以上肖像権の保護を受けない趣旨のもとに公衆の面前に自己らの全姿態を曝しているものと認めるを相当とし、これを写真に撮影することは違法の侵害とはいわれない


肖像権については、松沢呉一さんも黒子の部屋〈あれやこれやの表現規制〉で詳細に検討しており(2008年4月)、次のような条件が(部分的に)満たされれば「肖像権の行使は制限されるべきであり、それによって不利益を受けたところで、法による救済は無理とすべきです」と整理しています(お部屋1459/あれやこれやの表現規制10)。


「公共性、公開性の強い場での撮影であること」
「その写真や映像を公開することに公益性があること」
「撮影の許諾をとりにくいこと」
「風景の中に写り込んでいること」
「被写体があえて人目につく行動をしていること」
「被写体が撮影されていることをわかりながら、それを避けなかったこと」
「やむを得ない事情があること」


もちろん、主催者や演説者以外の一般参加者を至近距離から執拗に撮影するなどの振舞いがあり、制止にも応じなかったということであれば少し事情は異なってくるでしょうが、「余りいい気持ちではない」から撮影はやめろなどと求めることはできません。部外者に撮影されるのがいやなら、それこそ松沢さんが言うように、「うちの中に出撃して、うちの中で演説して」いろという話です。


ついでに、「人のやる事は許さないけど、自分達がやる分には、何でも許されると言う考え方は、某宗教信者によく見られる傾向ですよ」という“なまえ”氏の発言にもつっこんでおこうかと思ったんですが、この記事を書き終えたら少々疲れて、「ゼリー教? 直子教?」ぐらいしか思いつかなくなったので、やめておきます。