3羽の雀の日記 RSSフィード

2008-11-19

ピンポンダッシュでエア創価と斗うぞ!!!


ワールドワイドウェブさんがブログ「ワールドワイドウェブ的左顧右眄」を開設したということで、さっそくRSSリーダーに加えておきました。最近、RSSリーダーの動作が少し不安定ですが、そのうち落ち着くでしょう。ちなみに、この記事を書いているのは21日(金)の夜です。


ところで、ワールドワイドウェブさんのブログを発見して教えてくれたミハルさんは、こんなことを書いています。


3羽の雀さんとワールドワイドウェブさんの波動は似てるといいましたが、唯一ちがうところがありました。3羽の雀さんは「う○こネタ」が好きですがワールドワイドウェブさんは今のところスルーですので。


ミハルさんもまだまだ甘い香り(柿風味)ですね。ご本人はきっと意図していなかったと思いますが、実は「左顧右眄」(さこうべん)はアナグラムであり、そこにはウンコ関係の言葉が2つも隠されているのです(探してみよう!)。さすがのフェムト波動も、そこまでは教えてくれなかったようですね。(ワールドワイドウェブさん 気に障ったらごめんなさい 「なめてんじゃねーぞこら」と言って許してください)


まあ私としても、いくら好きとはいえ、そろそろウンコの話は大便先輩の松沢呉一さんにおまかせするつもりです。しかし、これから取り上げる「不愉快なんだよーなめてんじゃねえぞこら」事件はウンコ事件と切り離して考えることができませんので、やむをえず今日もウンコネタモードで話を進めていきます。


その「不愉快なんだよーなめてんじゃねえぞこら」事件、すなわち「ウンコと修平を考えるシンポジウム」「政治と宗教を考えるシンポジウム」(11月16日)から柳原滋雄さんが排除された件については、『日本よ何処へ』の11月17日付のエントリーで説明がありました。


要は、いままでさんざん悪口を言われて(しかも言い返せなくて?)腹が立つから、ご退場いただいたというわけです。11月16日付エントリーのコメント欄で言っていたのと同じ趣旨ですね。柳沢さんは「狭量」と書いていますが、私はこういう性格ですから「ケツの穴が小さい」と表現します。これではせいぜいこぶし大のウンコしかひねり出せますまい。


しかも、この説明は現場の状況とはだいぶ異なるようです。柳原さんの報告によれば、瀬戸サンは「創価学会(員)が来たら不愉快なんだよー」と叫んでいました。瀬戸サンも否定していませんので、その通りなのでしょう。しかも、瀬戸サンが聞こえよがしに怒声をあげたために、周りの人間も「スパイが来た」「創価のスパイだ」などと騒いだといいます(TINさんの報告)。


つまり、「このような罵詈雑言を吐く人間を入れるほど、私はお人よしではありません」などというのは後付けで、創価学会の人間にその場にいてもらっては困る、というのが本音だったわけです。柳原さんに「聴かれて何かまずいことでもあるんですか?」と反問されて瀬戸サンが激高し始めたのも、それが図星だったということでしょう。


確かに、西村修平が14分間延々とウンコについて話している様子など、普通は敵(と思っている相手)に聞かれたくはないものです。しかし瀬戸サンは、読者の100%が動物の糞であると考えるであろうウンコ様*1の物体の写真を平気でブログにアップする野太い神経の持ち主なのですから、そんなことを気にする必要はない。実際、動画を堂々とアップして、松沢さんを心から感動させているわけですから。


あるいは、柳原さんがいたら乙骨や矢野・朝木両「市議」が話しにくいという配慮があったのかもしれません。「我々の支援者の一人がこの男をマークしており、すぐに見つけ私に知らせてくれた」という話ですが、柳原さんの顔を一番よく知っているのは散々裁判で相対してきた乙骨正生のはずですから、乙骨自身が瀬戸サンに耳打ちした可能性も否定できないのではないか。

【追記】ちなみに瀬戸サンは11月17日付のエントリーで「乙骨正夫」と書いていますが、正しくは「正生」です。

【追記2】(11月26日)乙骨サンの素敵な表情を見事キャプチャーしたDVDの写真でも、堂々と「乙骨正夫氏」と書かれていました。


いずれにせよ、このような対応をとることにより、“せっかく創価学会の関係者が出てきたのに、反論も質問も討論もせずに逃げ出しやがった”という印象を広く与えることになってしまいました。なんだか子どものピンポンダッシュを思い出します。


その結果、11月17日付〈第三回政治と宗教を考えるシンポジウム:連帯の輪が広がる反創価学会運動〉のコメント欄では、常日頃から瀬戸サンに批判的と思われる人々からはもちろん、支持者と思われる人々(どうせ“支持者を装った創価信者”と認定して済ませるのでしょうけど)からも疑問の声が相次ぐことになりました。


「過ぎたことを言っても仕方ありませんが、むしろ柳原氏に討論を持ちかけても良かったのでは?」

「何故、創価信者をその場に残し討論しなかったのでしょうか?/折角、向こうから飛び込んできたというのに非常に残念な対応です。/それとも創価信者に何か探られるとまずいことでも有ったのですか?」

「〔誹謗中傷には〕怒って当たり前です。/何故、討論して論破してやらなかったのか?」

「推測するに政治運動の主張というのは拡声器によるやりっぱなしの一方通行で、このようにジャーナリストから反論を受けるのは瀬戸氏にとって初体験であったのではかろうか?」

「チャンスが向こうからやってきたのに・・・排除してしまったなんて。残念。/街宣では『信者出てこい』って強気な瀬戸様達の行動としては残念です」

「せと弘幸先生は、すでにネットや街宣などによってその存在が周知されている方でいらっしゃるので『ここまで馬鹿にされて怒らない人間などいないでしょう。』とはおっしゃらずに、せめて公開質問会へと展開していただければ大変有意義な内容になったのではないでしょうか。/今では多くの人々にそのお顔とお名前が広く知られた政治社会運動家であり評論家であるというお立場です。ですから『このような罵詈雑言を吐く人間を入れるほど、私はお人よしではありません。』とはどうかおっしゃらず、次の機会にはぜひ公開討論で論破してください」(せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会)

「瀬戸氏には、どんな立場の人間でアレ、公平な議論はしていただきたかった。これでは、反創価の人間が集まったカルト集団の集会と揶揄されても反論しようがありませんよ。差し出がましいようですが、意見の違う人締め出すようなお考えは、早々に直された方が賢明かと思います」

「街宣の時に、公衆に向かって以下のような〔「創価学会、出てこい!」等の〕叫び声も上げておられましたよね。それなのに、実際に創価学会系のライターとみなしている人が現れたら、議論拒否ですか。あまりに卑怯ではありませんか?」

「せっかく層化が来てくれたのですよ。ぜひ、せと先生らと公開討論をさせるべきでしたね。何で帰らせたのですか」

「ご都合主義でエキセントリックな姿勢に幻滅の度合いを深めざる得ません。公開討論に持ち込んで頂けたなら、いろいろなことが白日のもとになって今後の糧になったと思うので、非常に有意義になったことでしょう。/何故そうしなかったのか?/多分真っ当に正面からでは論破できなかったんじゃないですかね」

「散々ブログで中傷された瀬戸さんの心情は当然理解出来ます。/しかし、今では一ジャーナリストを飛び越えて保守運動の指導者の一人なのですから、怒りを抑えて徹底議論をしてほしかったです。せっかく鴨が来てくれたんですから」


ちょっと前の〈【番外編】朝木事件ウオッチャー・ブログの正体(7):急に沈黙した創価御用ライターとジャーナリスト〉(11月7日付)では、宇留嶋さんと柳原さんの名前を挙げて、「まぁ〜彼らも正常な感覚だけはお持ちなのだということなのでしょう。しかし、折角こちらは問題点を挙げているのですから、反応して頂きたかったということです」などと余裕ぶっこいて書いていただけに、なおさらですね。「反応して頂きたかった」のなら、その場で答えてもらえたかどうかはともかく、質疑応答の時間にでも発言を求めればよかったのに。


ちなみに、瀬戸サンがご立腹の「罵詈雑言」の数々ですが、瀬戸サンはタイトルの一部を列挙しているだけですので、Tomatotic-jellyさん作成の「柳原滋雄コラム日記 目次 東村山編」PDF版を活用して、柳原滋雄コラム日記の元記事にリンクを張ってみました。


他に、〈取材しないジャーナリスト「第2号」〉、〈“便利屋”の「乙骨某」に頼るしかなくなった「某右翼」〉というのもあります。また、タイトルにはなっていませんが、最近では「ウンコに脅える程度の右翼」とも痛罵されています。


瀬戸サンは、柳原さんがつけた上記のような見出しに立腹して「マトモな人物とは思っていません」と述べているわけですが、柳原さんが根拠もなくこのような表現を用いているのかどうか、それぞれご検討ください。


なお、根拠もなく他人に罵詈雑言を浴びせる人たちはよりいっそう「マトモな人物」ではないと考えられますが、そのような観点に立った場合に矢野・朝木両「市議」がいかにマトモでないかについては、9月10日付〈口汚い「市議」たち〉参照。


【追記】(11月25日)

そういえば、〈【連載】朝木明代元東村山市議殺害事件(15):創価学会信者・ジャーナリストの反応〉(9月14日付)には、「この方〔柳原さん〕のブログに書かれた内容については、今後反撃していきたいと思います」なんて書いてありました。あっはっは。

*1:日本語が不自由な一部の方々のために注記しておくと、これは「うんこよう」と読み、「ウンコのような」という意味です。けっして「うんこさま」という敬称ではありませんので、誤解なきよう。