【総括】いのちとこころの人権の森宣言:何の取り組みもせず、当事者の気持ちを無視し、因縁だけをつける矢野・朝木両「市議」


9月26日午後9時半現在、東村山市民新聞」には動きがありません*1。この機会に、〈「東村山市民新聞」の迷宮〉の方で「越境通勤市議」問題関連の項目をせっせとまとめておきました。


そういえば、「いのちとこころの人権の森宣言」をめぐる「草の根」の対応についてもあらためて取り上げようと思っていたのですが、どうせ矢野・朝木両「市議」は言いっ放しで終わり、ハンセン病と人権の問題について真剣な取り組みを行なうことなど金輪際ないのでしょうから*2、この間の経緯を簡単に記録しておくだけにします。


まず、9月2日に矢野・朝木両「市議」を除く全会一致で可決された「いのちとこころの人権の森宣言」の全文は、次の通り(北久保市議のブログより)(追記:9月28日の告示後に東村山市のホームページに掲載された文章をもとに、一部修正〔10月4日〕)。

「いのちとこころの人権の森宣言」
 かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
 ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
 この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
 いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
 私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史の全てを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
  平成21年9月28日 東京都 東村山市


しかし矢野・朝木両「市議」は、今回の宣言を「まやかし」「歴史の『隠蔽美化』」「政治ショー」などと強く批判。東村山市民新聞」トップページでも次のように大書しています(9月26日現在)。



[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/~kakukaweb/006000/jinkennomori.htm:title=東村山市のホームページ]にも掲載されているように、「人権の森」構想は国立療養所多磨全生園の入所者自身が進めてきた取り組みであり、東村山市はこれに協力してきました。森に対する入所者の想いは、柴田隆行「[http://www.soc.toyo.ac.jp/bulletin/44-1Shibata.pdf:title=ハンセン病療養所の森]」(PDFファイル)によくまとまっていますので、ご参照ください。同じ筆者による単行本『[http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9A%E7%A3%A8%E5%85%A8%E7%94%9F%E5%9C%92%E3%83%BB%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%A3%AE%E2%80%95%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E7%99%82%E9%A4%8A%E6%89%80%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B-%E6%9F%B4%E7%94%B0-%E9%9A%86%E8%A1%8C/dp/4784501878/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1254018261&sr=1-1:title=多磨全生園・「ふるさと」の森―ハンセン病療養所に生きる]』(社会評論社)や、『[http://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E7%94%9F%E5%9C%92%E3%81%AE%E6%A3%AE%E2%80%A6%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5%85%89%E3%81%A8%E9%A2%A8%E3%81%A8%E2%80%95%E5%89%B5%E7%AB%8B90%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86/dp/4768476880/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1254018261&sr=1-3:title=全生園の森…人と光と風と―創立90周年記念写真集]』(多磨全生園創立90周年記念事業実行委員会)も出ているようです。


[http://usuimasayoshi.blog98.fc2.com/blog-entry-517.html:title=薄井市議]も報告しているように、渡部市長は[http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/cgi-bin/gikai/settag.cgi?fn=honkaigi/420/12030064.txt:title=平成20(2008)年12月3日の所信表明]で次のように述べ、「宣言」への動きを具体化させました。

 次に、「(仮称)いのちとこころの人権の森宣言」について申し上げます。
 東村山市では、国立療養所多磨全生園の入所者の方が進める「人権の森」構想について、賛同し、その推進に協力してまいりました。国立療養所多磨全生園は、明治42年に東村山市に開設し、平成21年9月で開所100周年を迎えます。
 私は、このまちとともに過ごした100年の全生園の重み、また、これまで継続して行ってきた小・中学校での人権教育の成果を踏まえ、東村山であるからこそできる人権に関する宣言を準備していきたいと考えております。この宣言に向け、今後、庁内での体制を整え、起草委員会等の立ち上げを予定をしているところであります。


平成21(2009)年6月定例会の所信表明では、次のような経過報告が行なわれています。

 さきの12月定例市議会で起草委員会への準備を申し上げましたが、その後、多磨全生園自治会を初めとする市民委員10名、関係所管部長5名の行政委員による起草委員会を立ち上げ、鋭意、草案の検討を進めております。来る9月定例会には、平成21年9月の多磨全生園100周年にあわせ、「(仮称)いのちとこころの人権の森宣言」を提案申し上げたいと考えておりますので、よろしく御理解いただきたくお願い申し上げます。


「宣言」は予定通り9月定例会で採択されたわけですが、矢野・朝木両「市議」がこれに反対したという話を聞いて、9月4日付〈「いのちとこころの人権の森宣言」にも反対した(そしてそれを報告しない)「草の根」矢野・朝木両「市議」〉という記事をアップしたところ、さっそく「東村山市民新聞」トップページに〈創価系元助役主導の「人権の森宣言」のまやかしと全生園人権蹂躪の歴史の隠蔽美化を徹底批判する!〉等の見出しが躍り、新規ページ〈『倶会一処』〉が作成されました(9月5日付)。


しかし、新規ページの中身はといえば、20年前の「天声人語」を中途半端にコピペしただけ(9月5日付〈「徹底批判」「猛省を」と言いながら「天声人語」をコピペするだけの矢野穂積・朝木直子両「市議」(いのちとこころの人権の森宣言)〉参照)。その後、9月6日付更新で大量の加筆が行なわれ(9月7日付更新でも若干の加筆修正)、ほぼ現在の内容になったわけです(9月7日現在の魚拓)。


矢野・朝木両「市議」の見解は〈▼「人権の森宣言」(創価系元助役が主導し自公連立ムラ市長が利用しただけの政治ショー上演)〉という囲み記事にまとめられていますので、それぞれお読みになって判断していただければと思いますが、行政や共産党をあれこれと批判しながら、自分達がこの問題に関わってどのような取り組みを行なってきたのかは一切報告していません。


9月6日付の記事の冒頭でも脱力気味に触れておきましたが、こんなことしか書けないこと自体、まともな取り組みをやってこなかったことを白状しているようなものです。

朝木明代議員は福祉関係者とのかかわりが深く、全生園入所者の人達との交流や、職員の人達、そして社会復帰した全生園入所者の方々ともおつきあいをさせていただいたし、矢野議員も国際障害者年前後のころから全生園入所者との交流が多くなり、現在でもFMラジオを通して交流がある。朝木直子議員も、子供のころから、知っている全生園入所者らのみなさんもいるほどだ。


そういえば、東村山市議会は平成19(2007)年12月20日に「(仮称)ハンセン病問題基本法の早期制定を求める意見書」を採択していますが、矢野・朝木両「市議」はこれにも(採決の時に退席することによって事実上)反対したのでしょうね。平成7(1995)年6月28日に採択された「『らい予防法』を廃止し、新法の制定を求める意見書」の時は、どうだったのでしょうか。


「東村山市民新聞」の更新に話を戻しますが、上記の囲み記事を掲載した後は、言い訳めいた提言と佐藤市議への因縁を付け加えただけ(9月7日付)。


 全生園設置100年を政治利用した自公連立ムラ市長は、『倶会一処』の再刊と全国図書館等への配布運動くらいは、罪滅ぼしとして率先すべきではないか。(090906)
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「傍聴席には全会一致での採択を信じて自治会の皆さんも詰め掛けておられました」
  などと何も知らずにトンチンカンな発言をする、市民派のポーズだが、実は
「創価系無所属」の佐藤まさたか「市議」の無知蒙昧ぶり
居住できない保育所施設内に「転入」したなどとまだ強弁しているが、早く、妻子の住む日野の戻り、子育てに専念することだ。子供を放って置いて、なぜ、知りもしない東村山市に一知半解に口を出し続けるか!?
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 どこから、「全会一致での採択を信じた自治会の皆さん」といえるのか?!
 「創価系無所属」佐藤「市議」は、その根拠を示すことだ。


佐藤市議の言葉は、佐藤市議ブログ〈一般質問初日に〉(9月3日付)に記されていたものです。文字通りの因縁ですから、いちいちつっこむ必要もないでしょう(追記:“日野に帰れ”云々については「東村山市民新聞」の迷宮〈「越境通勤市議」問題〉を参照)。上の方では


「一方、草の根・矢野、朝木議員には、市民多数から『全生園100年の歴史があるのに、あの程度の宣言をしていいのか?』と異議を伝えており、中には共産系の元教師の方までいたという」


とも書いていますが、佐藤市議に因縁をつける前に、「市民多数」というのは何人を意味しているのか(声を寄せたのが「共産系の元教師の方」1名だけだったとしても、矢野・朝木両「市議」にとっては「多数」になりかねない)、具体的にどのような声が寄せられたのか、その声に応えるために何をしようとしているのか、明らかにすればよろしい。「『倶会一処』の再刊と全国図書館等への配布運動」とやらも、どうせ単なる思いつきで書いただけでしょうが、今後フォローがなされるのかどうか、心の片隅にメモしておくとしましょう。


その他、細かい更新についてはTomatotic-jellyさんが拾ってくれていますので、そちらを参照。


なお、


「政治哲学ゼロ(助役のイスをめぐって創価癒着元暴力団が暗躍した)創価系元助役」トップページ



という点についても、ちょっと調べてみたらいろいろ疑問が湧いてきました。もっとも、長くなりましたし、そもそも「宣言」とは関係のはない話ですから、またにします。こんな話をいちいち持ち出すこと自体が「創価」レッテルの政治的利用であり、最も醜い「政治ショー」にほかなりません。(追記:10月4日付〈「いのちとこころの人権の森宣言」その後〉で簡単に取り上げておきました。)

*1:午後10時半ごろ(22:27:51)、「最終更新日」のみ9月27日付に修正された模様。

*2:たとえば、2007年8月2日ごろに掲載された「朝木議員の決意」(売春防止法改正要求)について、その後一切のフォローアップがなされていない件を想起されたい。2009年5月18日付〈いくら振り回してももはや用をなさない「伝家の宝刀」〉など参照。