ワイルドカード1巻「Ghost Girl」 その1

     ゴーストガール、マンハッタンに現る          キャリー・ヴォーン


トリシアに連れられ、ローワー・イーストサイド2番街から地下鉄に
押し込められて駅に着くまで、ジェニファーはどこに向かっているのか
知りもしなかった.

ミッドタウンをを通り越し、ワシントンスクエアパークを過ぎて4駅の間、
ジェニファーはひたすら気をもんでいた。
通勤する会社員の姿も見えなくなっているのだ。
ジェニファーがそのことを口にすると、
「そんな場所じゃないもの、新しい場所で、きっと愉しめるわよ」
トリシアはそう澄まして応えるばかりだった。
両手でトリシアにしがみついてわずかな抵抗を示しながらもタイル張りの
通路を出て階段を上るとヒューストン通りに出た。
トリッシュ、あなた大丈夫なの、ここでどうしようというの?」
そこで辺りを見廻して、トリシアを抱き寄せるようにしてようやくそう訴えたのだ。
こんなにジョーカーがたくさんいるのに出くわしたことなどない。
なにしろ改札に立っている人々の半分はジョーカーときたものだ。
ニューヨークに住んでいるわけではないのだから、ほとんどジョーカーに会うこともなかった。
コロンビアの大学からはどれほど遠くに来てしまったものか・・・
歩いていても、常に一人か二人のジョーカーが目に飛び込んでくる・・
羽があるものや、兎の耳のついたものも珍しくないときたものだ。
どこか痛ましく何か変わっているのだ。
さきほどすれ違った男などは歩いたあとに何かぬめぬめした跡を残して
いるではないか。
あまり見ない方がいいということだろうか。
トリシアに引っぱられるまま路地に出ると、さらに喧騒は増してきて、
「行くのよ、FadsファッズがCBGBで演奏してるんだから、どうしても行きたいの、
あなただってhuffy amd snobby退屈でたまらないという顔してたじゃない」
「私はそんな顔してません」
気を悪くしたように見えないよう気を配りながらそう応えたが、
第一ファッズが何者なのか自体聞いたこともない。
「ともかく行くの、後悔一生というでしょ、悪いことにはならないから」
それでおとなしくついていくことにはした。
それでも手はしっかり掴んだままで一言囁いてみることにしたが、
「家の親なんて、ジョーカータウンに近づいたと聞いただけで卒倒するかも」
と零しているとトリシアに早速釘を刺された。
「駄目よ、何も話しちゃ駄目、いいわね?」
「話さないけど」
言えるわけないじゃない。
、実際、ジェニファーは誰にも話せない大きな秘密をひとつ抱えているのだから。
もちろんそれはトリシアにも話せることではない。
ジェニファーが外に出たがらないのはトリシアが言うように内気だからではない。
それはいつか誰かに見られてその秘密を知られてしまうかもしれないからなのだ。
ジョーカータウンは特に危ないと言えるだろう。
彼らの中には身体が変化しただけではないものも含まれているのだから。
傷を負うような肉体的変化のみならず、なんらかの力を得たものもいるのだ。
彼らに心を読まれたら知られてしまいかねない。
だからジェニファーはそんなことにならないよう振舞っているわけだが、
こんなことになるとは思いも及びはしなかった。
これまで必死に何もない、という態度を貫いてきたというのに。
トリシアときたら。
街を引っ張りまわしたり、
終いにはこんなところまで自分を連れてきてしまったのだ。
トリシアに急かされるまま、
さほど遠くにいくことはないだろうと信じたのがいけなかった。
だから肩の出た黒いミニドレスにヒールの高いサンダルをつっかけて
金髪を結い上げて肩に垂らした格好で出てきてしまった。
トリシアはというと豹柄のホットパンツにぶかぶかのシャツを羽織って
金のベルトで留めているといったいでたちではないか、
まぁヒールはトリシアのものの方が高い気はするのだが。
「こっち、、こっちよ」
トリシアはそういってジェニファーの手をぐいぐい引っ張っているではないか。
スタジオ54のようなお洒落な場所にいくものだと思っていたのだが、
今向かっている場所の見当もつきはしない。
倉庫の並んでいる通りに面したレストランの隣に、
白いawning天幕に落書きのような文字が散りばめられた入り口が見えている。
そしてその周りには屋なしにみえるジョーカーの男女が煉瓦の壁にもたれてたむろ
しているではないか。
トリシアにひっぱられるまま、彼らの間を縫って店内に入ると。
そこにいる人々にはナットも混じっているようだ。
エースもいるかもしれないが。
それは誰にわかるだろうか?
ともかく用心してできるだけ口をきかないことにしようと思い定めていたところで
ドアの脇にいる男が入店料を集めているのが目に飛び込んできて、
ジェニファーが鞄から5ドル出したところで、トリシアが小突くようにして声を
かけてきた。
「もう5ドルだしといてくれない?見当たらないから」
そう言って縋るような視線を向けているではないか。
帰りのタクシー代より高くついてしまった。
そう内心ぼやきながら5ドルをトリシアに手渡した。
そうしていつもつきまとってくる何かに追われているような感覚を
振り払えないまま店内に入った。
明かりは薄暗く、
黒い壁にはステッカーやスプレーで書きなぐったような文字が
踊っている。
一方の壁沿いにはバーカウンターがあって、奥に続くドアも
見える。
コーナーにはステージがあって、バンドが演奏していて、
その横の壁には手書きのポスターが張られていて、Sonic Youthソニック・ユースと書かれている。
実際Youth若いのだろう。
ギタリストの一人はブロンドを靡かせたワイルドな感じの女性なのは
わかったが、彼らは皆仮面をつけている。
パンクをきどっているかジョーカーなのだろうが。
その両方かもしれないが。
もう少し近づいてみないことにはなんともいえまい。
その演奏は甲高く、ダンス向きではないようだ。
実際誰も踊っていはしないが、
動いていないというわけでもない。
ステージの周りの人々は身体をぶつけ合いながら、
ステージに群がろうとしているように思える。
女性のギタリストがメインボーカルのようで、
ギターのうねりと叩きつけるようなドラムといった
伴奏より高い叫びがかろうじて聞き取れる。
彼らの汗が髪から飛び散っているのが見て取れる。
ライトの熱に炙られているかのように、
トリシアが身体を揺らしながら何かキーキー言いはじめた。
「**じゃない?」
「何?」ジェニファーは叫び返さなければならなかった。
「Heyやぁ!ドリンクはどうだい?」
痩せぎすで暗い色の髪をして、かすれた文字で
Ramonsレーモンズと書いてあるTシャツを着た男が二人の前に
進み出てそう声をかけてきて、
トリシアがその男と腕を組んでまたキーキー言いだしたではないか。
それを見てジェニファーが驚いていると、
今度はモヒカン刈りの男たちがジェニファーの前に出てきた。
おそらく髪を尖らせて軍服を着たパンクの男や、
スプレーで書き殴った文字のTシャツを着たコンバットブーツを履いた男や。
鎖をじゃらじゃらさせた男もいて喧嘩を始めるに違いないと妄想を逞しくしていたが
そうはならかった。
実際のパンクというのは彼らのような人々をいうのだろう。
パンクといえども普通の人々とそんなに変わりはしない。
破れたジーンズに黒いTシャツを着て、多少口が悪い程度なのだろう。
仰々しくメタルをつけて、喧嘩っ早いわけでもないのだ。
一方女たちの服装は男たちと違って、二人と同じく着飾ってはいるが、
髪を染めたり手を加えたりしていて、短いショーツに、色タイツを着けて、
高いヒールに大きなピンクのイアリングにピンクのリップグロスをひいて、
きらきらしたアイシャドーを際立たせていたりする。
ステージの近くにいたカップルなど完璧だった。
雑誌に載っているモデルのようで、高価な白いスーツの男と、
銀のジュエルのついた黒いカクテルドレスを着た女が紫煙をくゆらせている。
それには目を奪われたが、他はそれほどでもない。
普通に見える人々もいる。
若い普通ななりの大学生ばかりといったところか、
カラーコンタクトくらいは入れているかもしれないが、
それにしてもジェニファーは疎外感を覚えてならなくなった。
自分が彼らと違うことを知ったらどんな態度を示すだろうか、
だから知られてはならないのだ。
慎重に行動すべきなのだ。

ジョーカーもいたが最初はわからなかった。
仮面をつけてわからないようにしている者達がそうなのだろう。
もちろんNat常人が仮面をつけていることもありうりるだろうが。
区別がつかないとしても、それはたいした問題ではないだろう、と
己に言い聞かせながら。

彼らから視線を逸らし、幾分控えめな装いの人々の方に視線を向けた。
ジーンズにTシャツといったなりで、10歳くらいは年嵩に思える。

ジェニファーは息を切らせてトリシアを揺さぶって、
ミック・ジャガーかジェリィ・ホールはいないの?」
と声をかけたが、
トリシアは顎からジンとトニックの混じったような匂いを撒き散らせながら
ゆっくりと振り返って興奮した調子でこう返してきた。
「彼ったらDavid Byrneデヴィッド・バーンとのことを話すのよ」と。
デヴィッド・バーンなんて奴のことなど、
知りもしないというのに……