確かに「文章は接続詞で決まる」と思う。

 光文社新書から「文章は接続詞で決まる」という本が出た。最近の新書は中身よりも題名に価値のあるものが多いが、これは中身も役に立つと思う。読み物として面白いとは言い難いが、自然言語処理をするアマチュアやプロの人は一度目を通しておいてもいいかもしれない。辞書的な用途で使えるような気がする。ちなみに、私にとって自然言語処理は隣接分野であって専門分野ではない。

文章は接続詞で決まる (光文社新書)

文章は接続詞で決まる (光文社新書)

 構成としては、まず接続詞の定義などについての前置きがあり、次に接続詞が丁寧に分類され(ここにページ数が割かれている)、そして接続詞の実践的使用法への言及へと展開していく。全体的に用例が豊富であり、理解しやすい。

 この本を文系の言語学の人たちがどう評価するかは分からないが、接続詞が網羅的に列挙・分類されているという点で理系の言語処理に興味がある人間としてはとても嬉しい。文系の論文には二つくらいの接続詞の違いを述べているものがとても多いが、自然言語処理にはそういう論文は使いづらいのである。ルールベースの処理をするにしても、統計ベースの処理をするにしても、網羅的に書かれていないと参考にしようがない。

 個人的に面白いなと思ったのは、文末の「のではない」なども広義の接続詞に含めているところである。それが学説として広く受け入れられているものなのか、著者独自の主張なのかは知らないが、確かに文末の表現がこなれていないと文章の構造が読みとりづらくなる。

 ここからは、この本に関係のないことを書くが、私は以前から接続の表現に興味があった。私は大学生の頃、文芸系のサークルに入っていたのだが、そこに接続詞の使い方が明らかにおかしい人が何人かいた。そこで私は彼らにその接続詞の使用法のどこがおかしいのかを説明しようと試みたのだが、彼らを納得させることができなかった。そこで初めて、接続詞がおそろしく難しい概念であるということに気づいた。そして同時に、なぜ自分が英語の接続詞を曲がりなりにも理解することができるのかという疑問がわいた。言い換えれば、そんな難しい概念がなぜ異なる言語で(ほぼ)共有されているのか、ということである。実は接続詞というのはまるで難しいものではなく、簡単に説明できるものなのではないかとすら思えてしまうのだが、どの角度から切り込めば簡単になるのかが分からない。とにかく私は接続詞の難しさと易しさに興味がある。