科学と呪術;「野生の思考」より

最近見つけて愛読しているオッカム氏の「研究生活の覚書」(ここのところ更新がされていなくて残念)に、科学とスピリチュアリズム - 研究生活の覚書という記事がありますにゃ。ここから引用


歴史をみるかぎり、近代的合理的思考様式と前近代的思考様式、あるいは科学対宗教という対立構造自体が立論として間違っているということが分かる。「科学が発展している時代に、なぜこのような霊魂だのの話が出てくるのか?」という疑問自体が不自然で、科学とスピリチュアリズムは、歴史的に常に同じ時期に力を伸ばしていて、それはどちらも「支配体系としての宗教」と対立してきたのである。つまり、オカルト的なものは科学的思考能力の欠如によって発生するとは、歴史的には言えない。どちらもエスタブリッシュな宗教が欠如しているときに、同時に発生するもので、人類史全体からみるならば、「正統宗教」・「オカルト」・「科学」は、相互に補完関係にある。

にゃるほど。

ちゅうことで、呪術と(自然)科学について読書メモと思いつきをまとめてみますにゃ。
※宗教についてはとりあえずカッコにいれておく

で、いきなりレヴィ=ストロースの「野生の思考」から引用


呪術は本体に先立つ影のようなものであって、ある意味では本体と同様にすべてがととのい、実質はなくても、すぐあとにくる実物と同じほどに完成され、まとまったものである。呪術的思考は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒頭、下書、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって科学という別の体系とは独立している。この両者が似ているのはただ形の類似だけであって、それによって呪術は科学の隠喩表現とでも言うべきものになる。それゆえ、呪術と科学を対立させるのではなく、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。

それらは、理論的にも実際的にも成績については同等ではない(呪術もときには成功するので、その意味では科学を先取りしているけれども、成績という点では科学が呪術より良い成績をあげることは事実であるから)。しかしながら、両者が前提とする知的操作の種類に関しては相違がない。知的操作の性質自体が異なるのではなくて、それが適用される現象のタイプに応じてかわるのである。P18 引用者が適時改段


ちゅうことで、ストロースは呪術と科学については「両者を認識の二様式として並置する方がよい」「知的操作の性質自体が異なるのではなくて、それが適用される現象のタイプに応じてかわる」ものだと言っていますにゃ。
では「適用される現象のタイプ」ってどういうことかというと、


科学的思考には二つの様式が区別される。それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、一方はおおよそのところ知覚および想像力のレベルにねらいをつけ、他方はそれをはずしているのである。P20*1


以上の引用部分に加えて、いくつかのキーワードをひろって分類するとこんな感じになりそうですにゃ。

  • 呪術=人間の知覚および想像力のレベルをねらった認識の様式。記号的*2であり、その把握する現実に人間性をもちこむことが容認され、または要求される。
  • 科学=人間の知覚および想像力のレベルを忌避した認識の様式。概念的であり、その把握する現実に対して全的に透明であろうとする。


おお、にゃんかよくある薄っぺらい科学批判のパロディっぽいぞ。
「科学には人間性というものが欠けているのだああああ」とかいうやつのパロディ。
想像力だの人間性だのから免れているから、自然科学は普遍的な精密科学でありえるわけで、自然科学の知的操作に「人間性」を加味しちゃうと、呪術のいっちょあがりということになっちまうわけにゃんな。ただ、科学に対して文句をつけたい気持ち、というものの根っこのひとつはここではにゃーかとも思われますにゃ。まあ、これはこれでなんか僕にはわかるんだよにゃ。この「透明さ」ってのはへなちょこな相対主義と同じくらい胡散臭えにゃ。貴様は酒鬼薔薇聖斗かと。


以下蛇足
このあたりから疑似科学というものを考えると、科学の用語や概念を用いて呪術的思考をするのが疑似科学だと言ってもいいかもしれにゃー。確かに疑似科学独特の用語って記号的だし、知覚および想像力のレベルをねらってるし、人間性の持ち込みウェルカムだし。
また
自然科学の世界で成功しながら呪術的な世界にいってしまうお方って結構いるけど(最近の例だと9.11陰謀論に感染したリン・マーギュリスだろか)、ストロースの言う通りに呪術と自然科学では「知的操作の性質自体が異なるのではなくて、それが適用される現象のタイプに応じてかわる」のであればそれも納得かにゃ?

*1:ここの記述では、呪術と自然科学は両方とも「科学的思考」になっていることに注意が必要。ストロースは、呪術的神話的思考・野生の思考からえられた成果、近代科学以前にえられた技術的成果を「具体の科学」と呼んでおりますにゃ

*2:ストロースによれば「記号とは心像(イマージュ)と概念の結合であると定義できる」