加上説

孔子伝でちょっと面白かった話。
墨家の信奉する神が洪水・治水神である 禹 であったことは孔子伝書評のエントリで触れましたにゃ。
ところで、中国神話における聖王といえば 堯、舜、禹 ですよにゃ。


これって、孟子が 禹 の前に 堯、舜 がいるのだという、いわば始源の捏造をやらかしたらしいのですにゃ。で、さらに道教で、いやいやその前に黄帝がいるよ、とさらに始源をつくったんだと。へえ。
これを加上説というらしい。
調べてみると、中国の古代史は時代が古いほどあとから積み上げられたものであるらしく、五帝の前にいたとされる三皇は唐代に「史記」に加えられたということですにゃ。 三皇五帝についてはここを参照。

堯というのは太陽神の性格をもっていたらしいですにゃ。舜 というのは神としての性格はよくわかんにゃーのだが、すんごい孝行息子にゃんね。 舜 について、宮城谷昌光が「布衣の人」という短編を書いていますにゃ(「侠骨記」に収録)。神話的な雰囲気を醸し出している短編だったと記憶しておりますにゃ。商売と放浪の神という性格もあるので、ヘルメス的な感じのする聖王にゃんな。


一方、黄帝は生活用具を初めてつくるとともに、文字、音律、暦などを制定し、また薬草を試用して人民に医術を教えるなど、人類に文化的生活を享受させた最初の帝王であり中華民族の祖とされているようですにゃ。道家民間信仰と混淆して呪術色の強い道教となったとき、老子崇拝にともなって黄帝が崇拝され、自らを黄老の徒と称したということらしいですにゃ。
文化・医学・神仙術・煉丹術(錬金術)・道教・民衆反乱・革命思想などが複合していると思われますにゃ。中国におけるオカルトと反体制の結びつき老荘思想とか道教を軸に展開されているっぽいにゃー。


各々の奉ずる神や聖王がいるときに、敵対者の神を否定するのではなく、自分たちの奉ずる神・聖王をより始源におくという「加上説」はいろいろとオモチロい。