fromdusktildawnが正しすぎて屁が出る

秋葉原通り魔事件そのものについては、以前も書いたとおり興味はにゃー。犯人の心理分析に興じたくなるのもわかるけど、それ自体が事件の消費の一形態に思えて仕方にゃーようにも思えますにゃ。
ただ、この事件の語られ方において、いろいろと個にゃん的に気にくわにゃー言説が目に付くので、それらのいくつかを批判しておきたいにゃ。


秋葉原の無差別大量殺傷事件についての7つの雑感 - 起業ポルノから引用


あと内田氏だけじゃなくて、id:fromdusktildawn氏もはてブコメントで書いていたけど、自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理こそが問題だと言う。確かにそうなんだけど、では、どうして惨めに感じてしまうのだろうか。


で、秋葉原通り魔事件が例外的犯行だと思えない理由 - 狐の王国につけられたid:fromdusktildawn*1のブクマコメを引用すると


[秋葉原無差別殺傷事件] ここで言う「貧困」とは単に年収のことではないな。購買力平価ベースで換算しても、地球全体ではむしろ彼は裕福な生活。他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理状態が貧困。


おお! にゃんたる陳腐な強者の論理! 身の丈を知れってか? 星が29個もついてやがるにゃ(げらげら
では、T-norfの「どうして惨めに感じてしまうのだろうか」という問いを僕なりに引き受けてみますにゃ。
そして、fromdusktildawnの「正しさ」を論証してみましょうにゃ。


まずは、アマルティア・センの「不平等の再検討」第7章から引用しますにゃ。引用者が適時改段。


たいそう繁栄したニューヨーク市のハーレム地区の人が四〇歳以上まで生きる可能性は、バングラデシュの男性よりも低い。これは、ハーレムの住人の所得の方がバングラデシュ人の平均的な所得よりも低いからではない。この現象は、保健サービスに対する諸問題、行き届かない医療、都市犯罪の蔓延など、ハーレムに住む人々の基礎的な潜在能力に影響を与えているその他の要因と深く関連している。


問題は、貧困が見られるごく少数の限られた極地に限定されているわけではない。異なるグループの間で見られる所得以外の特徴における極度の不平等は、構造的なパターンをなしている。例えば、The Journal of the American Medical Association誌に掲載されたオッテンらの論文(Otten et al.1990)によれば、三五歳から五五歳の間をとると、米国でのアフリカ系アメリカ人の死亡率は白人の二・三倍に上り、所得格差はこの死亡率の半分しか説明していないという。


所得に関する情報を越えて、社会状況や人々の特徴の広範な多様性にまで踏み込む必要は、以上に見た過酷な問題の性質によく示されている。社会環境は、不十分な医療施設や都市の内部における暴力的な有り様、社会的な介護の不在、その他の要素に深く影響されている。所得の低さは、米国の貧困に影響を与えている多くの要因の一つに過ぎない。
P178


さらに、第8章で記述されているデータを要約してみますにゃ。
一人当たりGNPと平均余命の関係

これらの平均余命は53〜66歳

これらの平均余命は70歳以上

  • 米国 20910ドル 平均余命76歳
  • コスタリカ 1780ドル 平均余命75歳


にゃるほど、早死にすることなく長く生きられる、といったわかりやすい指標において、fromdusktildawnの言う通り、

  • 「貧困」とは単に年収のことではない

ということがよーくわかりますにゃ。さすがにゃんねえ。


では、fromdusktildawnブクマの後半の「他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理状態が貧困。」という主張はどうなのか?


センの厚生経済学のアプローチでは、所得と寿命に見事に相関関係がにゃーことについて、潜在能力アプローチで説明していますにゃ。これは社会科学として非常に緻密なものだと考えるけど、今日のところはパス。センはおいおいやりますにゃ。


ここで進化心理学にご登場願いましょうにゃー。書籍は 進化論の現在シリーズ「寿命を決める社会のオキテ」

寿命を決める社会のオキテ (進化論の現在)

寿命を決める社会のオキテ (進化論の現在)

このシリーズはロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでのダーウィン・プログラムをきっかけとして書籍化されたシリーズで、訳者が竹内久美子とナニなんだけど*2、シリーズとしてはまともなもの(のはず)ですにゃ。
著者のリチャード・ウィルキンソンは経済学学士取得後、医学博士取得。ノッティンガム大学医学部クィーンズ医療センター健康科学部教授。社会と健康との関連について研究しているとのことですにゃ。


では、引用しますにゃ


集団の健康を研究することから、人間を再び社会的に見る視点が導入されてきている。それによって我々がいかに社会環境に影響されているかもわかってきた。問われているのは単なる肉体的な健康ではなく、心理社会的な満足度なのである。さらに、それらの影響は個人的な心理や環境だけに影響するのではない。集団全体の心理社会的な満足度に強力に影響する社会経済的な構造を持つという一面もあるのである。P19


心理社会的なものが健康格差の中心にあるのだという主張がなされていますにゃ。こうした主張を裏付けるのは、先ほど「不平等の再検討」から引用、要約したようなデータ、それと人間以外の動物における社会的な地位のもたらす生理的な影響ですにゃ。
さて、「不平等の再検討」にあるようなデータのダーウィニズム的解釈としてウィルキンソン

  • 健康にとって問題となるのは絶対的な収入や生活水準でなく、相対的な収入と社会的地位である

と主張しますにゃ。


こういう見方が妥当であることは、格差が少なく、貧富の差が小さい社会ほど健康状態が良い傾向があるという事実から確かめられている。先進国で言えば、平均寿命が最も長い国は最も格差の少ない国であり、それは最も経済的に恵まれた国ではないのだ。今やその証拠が、先進国と、先進国とまでは言えない国の関係において山ほど集まってきている。P24


収入格差が小さいところでは、貧しい者が相対的に少ないからだけでなく、どんな収入のレヴェルにおいてもより健康的な傾向があるからこそ、平等に近いことと健康とは、関係があるのである。P25


そして、収入格差が小さく、健康状態のよい社会の例として、二次大戦前のイギリス、ペンシルバニアの小さな町ロセト、1970〜80年代の東ヨーロッパ、最後に、そして最も成功した例として日本が紹介されていますにゃ*3


また、食べ物や物理的環境を一定に保ったうえで、サルの社会的地位を人為的に操作する実験からも、社会的地位が健康において重要な役割を果たすことが確認されているようですにゃ。その生理的機序もある程度わかっているみたいにゃんね。
このあたりまで書く余裕はにゃーのですが、基本的には性選択とかストレスが関係した話のようですにゃ。


さらに、収入格差と相関する数字があげられていますにゃ。

  • 収入格差が小さい地域ほど、住民たちは地域共同体の生活に深く関与する傾向がある
  • 共同体の関係が強いほど、平等な社会的態度をとり、権威主義を嫌悪する

さらに

  • 収入格差と暴力犯罪、殺人事件の発生率の相関関係もはっきりしている


さあ、やっぱりfromdusktildawnは正しかったわけだにゃ。

  • 「他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理状態が貧困。」

これを
「他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観」は人類にとって普遍的な「心理状態」であり、それこそが健康をも損ね、共同体を破壊し、権威主義を呼び、暴力犯罪を誘発する「貧困」である、といろいろ補って読めばいいだろ、ぶわっはっはっはっはー。
「正しい」でやんのー。


ここで言う「貧困」とは単に年収のことではないな。購買力平価ベースで換算しても、地球全体ではむしろ彼は裕福な生活。他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理状態が貧困。


貧困は確かに年収のことではにゃーよな。
購買力平価ベースで換算しても、地球全体ではむしろ彼は裕福な生活。」なんてのは何の意味もにゃーカス理屈だと、字が読める人ならわかったはずだにゃ。
「他人と比較して自分の暮らしが惨めだと「感じる」という主観的心理状態が貧困。」という発言からは、貧困という概念に関する知的な探求をした形跡も、貧困というものについての想像力も見られにゃー。ただただ陳腐でしかにゃー強者の理屈、まさに心理的な貧困があるだけですにゃ。
ぷー。


さて、進化心理学、センの厚生経済学、犯罪などの絡みについて、もうちょい突っ込みますにゃー。

*1:はてな村の外の人は知らにゃーかもしれにゃーが、超人気ブロガー

*2:この本の解説での竹内のはずしっぷりには脱力したけど

*3:僕たちは日本という国の偉大さをはきちがえていにゃーだろうか?