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地下生活者の手遊び このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-07-02 個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない

そもそも君らに個性などない


皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊びで紹介した非常勤の美術講師と茶飲み話をしましたにゃ。彼によると、「ある種の【囚われた】タイプがどうも最近増えてきたのではないか」というのですにゃ。

「その、ある種の【囚われた】タイプってどういうのなのかにゃ?」

「他人と同じことをやりたくない、というやつ」

「そういうの、昔からいただろにゃ?」

「増えてるし、かたくなになっている」


音楽もそうなんだろうけど、美術についても実は「理系」といっていい部分が結構ありますにゃ。遠近法とか色彩理論とかいうプロとしては身につけなければ話にならにゃー理屈はほとんど理系的なアタマの使い方を必要とするし、デッサンの構図には「正解」といっていいものがありますにゃ。このあたりの基礎理論とか「正解」をシカトして、とにかく「他人と違ったこと」をやりたがるんだそうな。


「具体的に言うと、どんなふうなのかにゃ?」

「トマトを1つ、モチーフに渡したら、わざわざ「ヘタ」のところを描かない」

「へ?」

「トマトをわざわざひっくり返して描こうとする」

「そんなもん、白黒写真で撮ってもトマトとわかりにくいよにゃ」

「うん、しかも下手なので常人には何が描いてあるか理解不能」

「下手のヘタぬき」

「あいかわらずつまらんな」


「最近の若いものは・・・・」とか言い始めるのは知性の退行と感性の硬直化を示していることはこの美術講師もわかっているのだけれど、どうしてもこういうタイプが最近増えているとしか思えにゃーとのこと。


で、なんでこういうのが増えているかという理由なんだけれど、例の「ゆとり」というよりも、「個性重視・個性賛美」なのではにゃーかという話になりましたにゃ。

「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」

「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」

「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」


どっかで読んだもので出典を明らかにできにゃーんだけど、教室で教えている俳句の先生が言っていたことなんだけど

「シロウトに自転車を題材にした俳句をつくらせると、ほとんどの人が【ペダル踏む】というフレーズをいれてくる」そうなのですにゃ。美術においてもそういうことはあるらしい。間違いほど類型的なのだそうですにゃ。


まあ、疑似科学や歴史修正主義においても、馬鹿ほど類型的、ってのは真理だしにゃ。


そういえば、ユング心理学においても、個性化individuationがニンゲンにとっての最終的な課題であると説かれていますにゃ。


「個性などというものが自分にあると思っているから、それを出すのが芸術だと思っている。基礎訓練をしようとしない。基礎訓練の重要さを説くと、「感性」だとか言い出す。どうやら、他人と比べられたくないという心理も個性という言葉が正当化してしまうらしい。個性重視というのは、少なくとも芸術系の科目にとっては害ばかりだな。」

「そういうガキになんていってやればいいかにゃ?」

2人で考えたのが以下

  • 感性とか言っていいのは、感性の鋭い奴だけ
  • 他人と同じことができるようになってから、他人と違うことをすると言え
  • そんなに他人と比べられたくないのか?
  • そもそも君らに個性などない

「言ってやれよ、ガキのためだぜ」

「俺も言ってみてえよ。でも、最近のこどもは本当に脆いんだ」

ハッチハッチ 2008/07/02 18:01 北杜夫「どくとるマンボウ青春記」から。茫洋とした記憶なので、引用は不正確。

旧制高校で「デカンショ」をやっていた昭和20年代初めの子供たち。
生徒「僕は、自意識過剰なんです。」
教師「君たちに自意識といえるような自意識などない!」

最近の若い者は、というか。歴史は繰り返す、というか。

ハッチハッチ 2008/07/02 18:07 >「最近の若いものは・・・・」とか言い始めるのは知性の退行と感性の硬直化を示している

やっちまった orz

かんたろかんたろ 2008/07/02 18:37 学校で教えるのはゲージツとしての絵画ではなくて
絵師のノウハウでエエのではないか

昔 家具を作ってる時に入所してきたヤツが学校で彫刻やってたっていうもんだから
「どーせネジくれた石のまんなかにまーるい穴あけて【空間】とか題名つけて喜んでたんだろw」
とかゆったらまさにそのとおりだった時は悪い事ゆっちゃった気がした

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/02 19:39 >ハッチ
そういえばそういう記述があったよにゃ>どくマン青春記
当時は「君たちに自意識といえるような自意識などない!」といえてしまうあたりが良い。

>かんたろ
その絵師のノウハウちゅうのが、遠近法や色彩理論なわけですにゃ。

梨 2008/07/02 21:43 もったいないですね。せっかく先人が試行錯誤して身に着けた技術が先人に比べはるかに楽に学べるのに。それを拒否してむりやり個性をだすことにどんな意義があるんでしょう。自分が偉大な芸術家とでも思っているんですかね。環境問題にも同じことがいえまして環境問題はウソ系の本を一冊読んだだけで現在の主流の見解は間違ってるとか思い込む人がいるんですね。こういった人に共通しているのが自分と周囲の差別化をはかりたいという気持ちではないかと思うんです。むりやり個性を出そうとする人は結果的に自分の価値を下げてしまう行動をとりやすいのではないでしょうか。

無頼庵無頼庵 2008/07/02 22:04 ピカソはデッサンがめっちゃ上手くて速かったから、いろんなもんをどんどん描いてさらに上手になってったと、どこかで読んだ。

オイラもずっと音楽やってるんですが、個性を獲得するための前段階として、まず人の真似をすることがとっても大事だと思うのですよね。

僕が思う個性って、本人が意図していないのに作品に出てしまう性質のもので、自分で意識的に出そうと思って出せてしまうものは、個性じゃないと思う。

若いときは奇抜な事を誰しもやりたがるものだから、裏返しのトマトを描く事自体はいいと思うんだけど、芸術で飯を食うためには、精神的に打たれ弱いことの方が足をひっぱると思うのねん。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/03 03:36 >個性化individuationがニンゲンにとっての最終的な課題

前にどこかで地下猫のユング解説を聞いたとき、個人と共同体の一と多ちゅうのはそういうふうにも説明できるのだなあと思ったものだ。

個性化を遂げていない普通の人間は全体つまり「一」に傾斜しがちなので、政治的にもどちらかといえば全体志向で、ゆえに国家に依存する傾向が強いのだという見立てもできるかもな。

ヘンリー八世がオーウェル的な高度福祉国家の基礎をつくったとき、彼ひとりが強権ですべてをやってしまうことは不可能であって世論の後押しが必要だった。その「世論」は個性化を遂げていない普通の人間が形成したものだ。

それで20世紀半ばに一気に高度福祉を究極まで推進したナチ国家が現れてそれがぜんぜんうまくいかなかったもんだから急に「やっぱりこれからは個性の時代だ。一はナチスである。一は悪である」みたいに世の中がなってしまったんではないだろうか。

ユングのいう「個性化」というのは一を捨てて多に揺り返す振り子運動みたいな単純なハナシをしているわけじゃないだろう。おそらくそれは、全体が部分であると同時に部分が全体であるような調和を生み出すというアタナシウス的ありさまをめざしたんではないだろうか。フロイトとの軋轢という個人的事情の影響も大きいだろうけど。

そのトマトをひっくり返す子どもも「これからは個性の時代だ」と教えられたために「一かつ多」ではなく「一でない多」をめざすようになったものとみえる。「一じゃなくて多」というのは一回まわって元の位置、つまり「一」になる。つまり彼らがもっとも嫌う没個性というやつだな。w

ypcpn8ypcpn8 2008/07/03 03:45 私もむかしユングが流行りモノになったころ、急に夢日記なんかつけ始めたりしてみんなと同じことをやっていたもんだ。w

個性化というのが個人と共同体の調和だとか、個人のうちでの一と多の調和だとかいう意味であるならば、それは誰にとっても到達するのが困難というか不可能な目標ではある。いや、べつに悲観的な意味じゃなくて。

たぬき本舗たぬき本舗 2008/07/03 10:00 まあ小難しい「個性」うんぬんというより学校で上から鋳型にはめられる感じ
に対するひねくれってのはあるんでしょうね。
個人的にはトマトひっくり返して本人が楽しいんだったらそこを入り口にいっぺんやれるだけやらせるってのもありなんじゃないかと。歴史修正主義みたいに相手がいる事でもなし、デタラメな歴史マンガから歴史に興味がわくようにどんなことでもまず本人が楽しんでることがその道を続けられる一番の足場なんだから、道具としての技術のためにいきなり嫌悪感持たせちゃうのも本末転倒じゃないかと。

ハッチハッチ 2008/07/03 11:36 高校や大学を卒業した若者を受け入れる企業の側からすると、若者たちに期待したいのは
・他人に配慮した判断と行動ができる
・論理的な思考ができて、論理的な議論ができる
・論理的に首尾一貫した文章をかける
・答えが10桁になる四則演算を間違えない
・情報機器の基本的な使い方をマスターして、情報を入手する方法を知っている
ということです。
(作曲できるとか、絵がうまいということは、事業によるけれど、あまり評価しない。)

高校や大学を卒業したら、ほとんどの人は企業で働くことを選択すると思います。上のようなことができないと、本人が困ることになってしまう。社会にでてからつまづくと、再チャレンジが大変かつ困難だから。
(個人的には、「個性」よりも「基本」を重視してほしいなあ。)

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/03 12:17 >梨

にゃんというか、「無理やり個性を出そうとしている」というより、「個性がある」という前提にたって「個性を出さなければならない」と追いつめられているのではにゃーかとも思えますにゃ。だとしたらガキには辛いことかもしれませんにゃ。


>無頼庵

英数などの「主教教科」での競争に疲れて芸術系にくるというタイプの場合、そもそも打たれ弱いんですよにゃ。絵とか演奏を比較されるというのは辛いことなんだけど、修得すべき技術だとわりきって比較されることを是としなければ、そっちでメシを食うことはかなわにゃーよね。


>わいぴー

死というものを「一」と捉えるか「多」と捉えるかの問題かもしれにゃーね。
死というものを大きな「一」なる流れに還ることだと捉え、その前に個として完成する必要があるものだと僕はいまのところ理解していますにゃ。
もしかして「ボケ」というのは、生きたまま「一」なる流れに片足を突っ込んでしまった状態なのかもしれにゃー。


>たぬき本舗

お初ですにゃ。
梨に書いたこととだぶるんだけど、問題は本人が本当に楽しくやっているかどうかではにゃーでしょうか?
「学校で鋳型にはめられる」については思うところもあるので、エントリにあげますにゃ。


>ハッチ

そのあたりの条件を一括して、「読み書きできる」ことだと僕は思いますにゃ。

junmk2junmk2 2008/07/05 11:28 たぬき本舗さんがとてもいい事言ったです。
何よりも先に楽しさを教えるべきで、楽しめもしない状態で「効率の良い方法」を押し付けられても吸収力自体が著しく下がります。
学校のおべんきょの最大の問題は楽しく無い事だと思いますにゃ(うつった)

え 2008/07/05 11:58 私が学生のころ、遠近法とか色彩理論とかなーんにも教えられずただただ、「この絵を描け」「外の絵を描け」だった教師・・・
結局、学校に教わることなく、独学でしたよ(´ー`)
もはや個性以前の問題でした。

raituraitu 2008/07/05 16:59 守破離の話をしてあげればいいんじゃないですか

うーんうーん 2008/07/05 18:02 挙げられてる話だけだと、どうも単に若さ故の誰にでもある
アヤマチにしか見えない俺は既にゆとり脳なのかもしれない

こういうのにイチイチ目くじら立てて、説明を試みるのも
確かに「大人」ならではの楽しみではあるんですけどね

heahea 2008/07/05 19:49 とりあえず、ある種のコミュニティに限定された話であると感じます。
それを普遍化して語るのはどうかと。

絵のジャンルは違いますがpixvなんかを見てください。同じ絵が並んでいますよ。
個性もへったくれもないですよ。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/05 21:15 >junmk2
「個性」に追い込まれているガキが多いような気がして心配なのですにゃ。楽しく「個性」を発揮しているのならいいのだけれど。

>え
まあ、それはそれでいいのかもしれませんにゃ。

>raitu
その話に関連したエントリはあげる予定

>うーん
確かに僕が年をくっただけなのかもにゃ、うーん

>hea
いまちらっと見たけど、同じ絵とは思えませんでしたにゃ>pixiv
まあ、無駄に乳のでかいモチーフが並んでいるとは思ったけど。

hea hea 2008/07/06 03:24 なるほど、まともに絵を描いたり見たりしたことが無いみたいですね。
エントリ内の絵画理論も人づてで自身が絵を描く上で実践されたことはないですね?
それでどうも違和感があったのか。納得できました。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/06 04:23 >まともに絵を描いたり見たりしたことが無い

それはどうかな。あなたは地下猫が描いたり見たりしているものを見たことは無いだろう。もっといえば、字は書けなくとも絵を描いたり見たりする経験は誰でもガキのころから持っている。さらに大人になればガッコ行ってるガキがどういう絵を描いているかを日常的に目撃するしメディアにも触れる。絵を描いたり見たりしないことのほうが稀で困難だ。

>実践

ガキにどうやって絵を教えるかという話をしているのだから教える者が上手かどうかは関係ない。マリア・シャラポアはテニスプレーヤーとして一流の実践者だろうけど一流のコーチであるかどうかは不明であるのと同じ話だ。

testtest 2008/07/06 09:51 僕にとって勉強になったエントリでした!
ありがとうございました!

nbnb 2008/07/06 20:45 にゃー。にゃにゃにゃんにゃにゃにゃ〜。にゃんにゃんにゃー。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/06 23:24 >hea
そういうことにしといてくださいにゃ。

>test
そういう風に言われるのは素直にうれしゅうございますですにゃ

>nb
にゃんにゃかにゃかにゃかにゃにゃにゃーん

通りすがり通りすがり 2008/07/07 01:18 型を身につけないと、型破りなことが出来ない。
歌舞伎俳優の誰かが言ってました。

ずばばずばば 2008/07/07 14:33 上の文章は「個性」=人と違う並外れた感性、センス
とした上で進めた議題のため、話がややこしい気がします。
上で進められた「個性」は世の中では「天才」、「才能」と呼ばれる人間性だと思います。
事実的に個性というのは人と違う感性、人間性がある方向に突出した部分を持っている状態だと思います。

「才能」=人と違う並外れた感性、能力
「個性」=人と違う感性、人間性がある方向に突出した部分

ほとんど見た目同じに見えますが実はかなり個性と天才は違います、
が、往々にして世の天才たちはこの個性的とゆうものを持っています、何故かというと
エジソンあたりがいい例になると思います。
エジソンは子供の頃「1+1は2じゃないんじゃないか、泥ダンゴ2つがくっついたらひとつになるんじゃないか、」
と先生にごねて、先生に怒られて帰って来た所それを聞いた母親が学校に「うちの息子はバカじゃない!」
と怒鳴り込みました、これだけ聞けばエジソンの母は間違いなくモンスターペアレントですがここからが
エジソンの母は違います、エジソンをもういいと学校にいかせず自分で勉強を教えさせて息子のために
家に実験室まで作ってエジソンに好きなようにさせました。
こんな母親だからエジソンは発明王になれた、とは少し無理がありますがひとつ分かることは、
人と違うような考えを持つ個性的な人間を作りたいのならまず親や周りの人間が人と違うような考えを持つ個性的で
それこそ人とそりが合わない(合わせられないくらい)じゃないと子供もそうはならないという事です。
早い話学校あたりで個性的な人間を作るとちょっと絵を描かせたり歌を聞かせたり授業数を減らすくらいでは、
中途半端に過保護な親の過保護な意見を聞き入れているくらいでは
中途半端に個性的な人間性しか生まれないのです、それでは人を圧倒するような表現者にはなれません、
それこそ一日中子供にゲームばかりさせましょう、そうすれば個性的なゲーム好き人間が出来上がります。
彼は将来、飯野のような中卒天才ゲームクリエイターになるかもしれないし唯の引きこもりゲームオタク
になるかもしれません、そこで重要なのが教育や勉学です、人と違う考え方だけでは何も生み出せません、
さまざまな情報、経験、努力を積んで初めて自分のイメージした物を音に、絵に、ゲームなどに表現できるのです、
ここで初めてただのゲーム好きの「個性」は「才能」に変化します。
教育者や親達が軽々しく口にする「個性的な人間」、「自由な発想の人間」とは実はとてもイバラの道です。
人と反りを合わせられない、馬鹿なんじゃないか位の感性と、それでも自分の表現を貫き通せる能力、技術力
とゆう相反する両方が必要です、個人的には教育がゆとりだから、、、、とゆうよりいつの時代もこの両方
を持ち続けられる人間は稀なんだと思います。

   2008/07/08 15:57 にゃが読みにくい

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/08 19:42 >ずばば

特に異論はございませんにゃー。
もともとが美術における表現の話だったので、ややこしかったのはご勘弁を。
「好き」というのを形にまでするためには、学ばなければならにゃーことは山積みですよにゃ。

   2008/07/08 20:37 You may be able to become one of Picasso’s obscure epigones simply by imitating his artistic style,
but you can never become a Picasso if you skip the process he went through.
-On Campus P.4- つまる所、東大生が使っている教科書より。

ftr223ftr223 2008/07/09 00:30 ガキが、感性うんぬんで自分を語りたがり、
それを受けて真に才能ある天才が、
「自分は日々よい仕事をしようとしてるだけ」と語るのは、
昔から繰り返されてきたことですよね。
だからこの構図はこの先もずーっと繰り返されていくのだろうと思います。
でも、最近のこどもが脆いのならば木っ端微塵に砕いてやるのも情けではないでしょうか?
それが出来ない非常勤美術教師殿も十分繊細というか脆いのでは?
とか思ったりして。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/09 01:06 >ftr223

脆い相手を取り扱うには時間がかかる。脆いといってもその程度も様態も人によって違う。面倒な仕事だ。一人で十人を超える人間をフォローせねばならない先生としては単に手が回らないだけだろう。国営学校のほかの問題と根っこは同じ。ガッコには充分なカネがないんである。しかしその一方、天才的な生徒というのはひとりの教師が一生かかっても普通は出会うことはないから個人差なんて心配しなくてもいいかも、なんて思ったりもするけどね。

グッスリグッスリ 2008/07/09 06:28 極めて封建主義的な考え方ですね。
なぜそんなに型に嵌めたがるのでしょう。
まあ、上記の内容を、しがない美術講師の愚痴と理解するとしても、
生徒の「個体差」が、「個性」に変わるための手助けとサポートをするのが
あなたの仕事じゃないの? といいたくなります。

教科書に書かれていることを金科玉条として問答無用に押し付け、
その枠組みから少しでもはみ出ることを阻害しようとする。

しかし、文化というものは、まんじゅうのアン(技術や技法)だけを舐めて、
皮(個体差)はいらないというような、そんな単純なものではない。都合の
よいところだけを取るだけでは、実態はつかめないでしょう。

「お前にはもともと個性なんてないんだから、オレの言うとおりにやって
ればいいんだ」などという「押し付け」こそ、文化的な行為だとは思えません。
それはどこまでいっても「芸」であり、到底「芸術」にはなりえないでしょう。

まあ、古来から日本で「文化」と呼ばれていたものは、代々師匠が弟子に伝授
していった「芸」であって(それは徳川300年の封建制と鎖国によって確立され
た)、「芸術」ではない(しかも、その大部分は爛熟した大陸の文化をそのまま
導入したもの)、封建時代の遺産に過ぎませんから、そういう考えに陥ってしまう
のはいたし方のないことなのかもしれませんが。

そのような習慣は、芸術の世界だけに限らす、日本の学問や普通の会社の中にも
色濃く残っていますので、致し方ないことかもしれません。しかし、タイトルにも
あるように、少しでも「文化」を標榜するのであれば、「型」を押し付ける教育
は辞めませんか? 封建的な制度に窒息させられ、ギリギリ縛り付けられて身動
きが取れない。そんな土壌からは、芸術的発展、文化的発展は絶対に望めないと
いわなければなりません。

もちろん、基礎的な技術や知識は必要です。絵画でいえば遠近法、色彩理論ですか。
音楽なら、楽典や管弦楽法などですね。でも、それらは、人を特定の「型」に押し込め、
文化を形式化したものにするためにあるものではありません。よく、「邪道」などと
悪口を叩く輩がおります。未来永劫、流儀どおり「型」を守ってゆくのが「正道」であ
り、「本道」だという思い込みがあるから、「邪道」などという認識が存在するので
はないでしょうか。

「芸人」や「職人」を育てるなら「封建制度」もいいでしょう。そこからある程度は
文化的なものは生まれるでしょう。でも、「他人と違うことをやりたがる」感情を
頭から否定してしまうのはいかがなものか。そのような教育の下からは巧みな「表現」
など生まれないでしょう。どうか、「基礎」や「型」を超越したところにある「個性」を
獲得するための手助けを、未来の芸術家たちのためにしてあげてください。

fukusukefukusuke 2008/07/09 07:01 >グッスリさん
西洋においても、独創的な芸術や文化は非常に封建的な「職業芸術家」や「職業音楽家」、「職人ギルド」の中から生まれてきたんじゃなかったでしょうか?
>「他人と違うことをやりたがる」感情を頭から否定
された中から出てこれない個性など、その程度のものではないかと思ったりもします。行き過ぎかもしれませんが。

GeorgeGeorge 2008/07/09 13:04 >グッスリ
これどーみても本文まともに解読できてないだろ
今の正道を教えるか、敢えて邪道を教えるか、方向性を含め放任して金だけもらうか、
教師ってのはそれぐらいしか選択肢がないものだ
その理論だと教師は何もしないほうがいいことになるぞ

「いちおー王道はこっちです」「邪道の人はわりと没個性です」
このエントリをまとめると内容はこんだけだ
そして
>生徒の「個体差」が、「個性」に変わるための手助けとサポートをするのが
…基礎なんだって書いてるだろ
それが授業に必要ないと言うのなら、その生徒は何のために学校に来ているんだ?

このエントリのタイトルはつかみやすく短くなっているが、本来は
「オンリーワンという流行歌の型に嵌った没個性絵師」ではないのかな
ピカソが「10万枚練習してから個性は出る」と言ったのも有名な話

…自分は作曲家だけど、実際に活動している人間であればあるほどわかる内容だと感じるよ
絵を描いている人間も、実際に活動している人間ほどこのエントリをそう感じるんじゃないかな

グッスリグッスリ 2008/07/09 18:37 fukusuke様
>西洋においても、独創的な芸術や文化は非常に封建的な「職業芸術家」や「職業音楽家」、「職人ギルド」の中から生まれてきたんじゃなかったでしょうか?

違います。

ああ、そうか。分かりました。
あなた方は、業界を指導し牽引していくクリエータを育てたいのではなく、クライアントや
スタジオの下僕となり言いなりになって働くクリエータを生産したいのですね。

>「他人と違うことをやりたがる」感情を頭から否定
された中から出てこれない個性など、その程度のものではないかと思ったりもします。

そうです。全く正しい。極論というか、それが現実ですよ。否定されて「はい、そうですか」
と素直に引き下がってしまう弱い精神しかないクリエータは、プロとして活動を続けていく
ことは出来ないでしょう。そういう意味では正しい。

かつては権力や支配層が「思想と猥褻の検閲」をしたものですが、今は売れる商品だけを増や
し流通させるために、「資本による検閲」が始まっています。マーケティング技術を駆使し、
儲かるものしか作らない、利益の出る製品しか認めないというのは、儲からない内容を資本が
検閲しているということなのです。今は、そこかしこにスターリンやジダーノフがいて、強度
と独自流通性のあるクリエータとその作品を潰そうと躍起になっている。そう現状を踏まえる
と、本文のような主張は実にもっともらしく読めます。商品として流通する作品に個性は必要
ありません。

ですが、例えばデュシャンの『泉』のようなカウンター的な作品でさえ、「商品」として流通
してしまう時代ですから、基礎的な技術だけ会得し、クライアントの言うとおりの作品を制作
しているだけでは、「その他大勢」の中に埋もれてしまうのがオチでしょう。市場には、最新
作の、これだけは見ておけというものですら把握していけないほど商品が溢れているのです。

とはいえ、基礎は重要です。『泉』は「たんなるアイデア」と貶す人がいますが、デュシャン
は基礎や芸術の特性、業界の慣習を知っていたからこそ、あのような大それたことが出来たの
です。誰でもデュシャンになれるわけではありません。しかし、基礎の枠組みから出ようとせ
ず、人の言いなりにしかならない。これでは、よいアイデアすら出てこないでしょう。

基礎の重要性を説くためなら、「はじめから個性などない」などという必要はないのではない
でしょうか。トマトをひっくり返してデッサンしたり、「ペダル踏む」と俳句に誤用して入れ
てきたりするのは、個性云々の問題でなく、シンプルに、そうしてはならないということを
「知らなかった」だけでしょう。特に前者の場合、単にいたずらでひっくり返しただけかもし
れない。私も常にいたずらをしたり、やわざと理解できない振りをしたりして、ずいぶんと教師
を困らせましたっけ。

間違えが類型的なのは当たり前のはなし。どこかで先入観や刷り込みがあるんでしょう。まあ、
歴史修正主義や疑似科学の場合、学閥やイデオロギー、ビジネスをやりやすくするため、故意
に誘導していることもあるので、その背景は複雑ですが。それこそ、知識や論理的な思考のあ
るなしに深く関わってくる問題ではありますが。

また、上に上げられている4つの言葉ですが、残念ながらそれらは教育現場で生徒に言っては
いけないセリフです。新任の教師にありがちな類型的な間違えといえるでしょう。それらのセ
リフは、有益な批評や示唆を与えることを面倒くさがっている人々が用いるもので、これによ
り、アイデアを刺激するための質問を返す機会を自ら握りつぶしたり、優れたアイデアを持っ
ていそうにないという先入観によって生徒をやりこめてしまうようになるのです。ある程度真
理は含んではいるものの、同僚の教師が生徒にそんなことを言っていたら、すかさずフォロー
にまわるところです。

教師たるもの、生徒に「押し付け」だけはしたくないもんです。生徒が間違えてきた時が、考え
ることを身に付けさせるいい機会だと思うのですが、いかがなものでしょう?

ftr223ftr223 2008/07/09 21:35 すみません、過去に美術を学んだものとして二つ。
一つは「芸術家は職人の中からしか生まれ得ない。」ということ。
(これは美術の基礎中の基礎であってあらたまって言うことでもないですが)、
もう一つは、日本の文化が芸術ではなく芸に過ぎないなんて何にどう接したらそのようなことが言えるのでしょうか?
西洋美術史から始まって、その過程で東洋美術を再認識し、その二つを学んだ身としては理解できない考え方です。
というか、Georgeさんもおっしゃってますが、グッスリさんは本文に述べられていることを曲解しているとしか思えないのですが。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/09 23:19 >グッスリ

>教師たるもの、生徒に「押し付け」だけはしたくないもんです。

だったら年度始めの授業で一回だけ生徒に向かって「キミらの創意工夫はすべて容認されている。キミらに創造性の発露の全権を委任するからよろしくやってくれたまえ」と言えば済む話だ。

先生はそれ以後は学校に来なくていい。生徒も家庭でそれぞれ自由にやればよい。これは皮肉ではなくて、私個人は家庭教育のシステムに問題を認めないから言ってるだけなんだけども。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/09 23:52 >グッスリ

>マーケティング技術を駆使し、儲かるものしか作らない、利益の出る製品しか認めないというのは、儲からない内容を資本が検閲しているということなのです。

国家がちょっかい出さなければ問題ない。

「検閲」というのは地上の最高権力だけが持つ権能だから私企業には「検閲」の概念すらない。売れないモノを作っていると飢え死にするから他者の要求に応えるモノを作るだけのことだ。

それが嫌だとワガママを言うのであれば、再び国家権力のもとに戻って「売れないモノを作っても死なないように国家による高度福祉を芸術の分野でやってください」と請願すればよい。

運がよければ芸術活動を福祉対象にしてもらえるかもしれないし、奇特なロビイストや圧力団体にめぐり合って政府に圧力をかけてもらえるかもしれない。

しかしその次にどうするのだ?多くの人がその福祉対象になろうと参入してくる。自分の気に入らないタイプの芸術とも付き合わねばならない。どんなタイプの芸術も保護されるからだ。そのとき「あいつの芸術は芸術でないから禁止してください」と請願するのだろうか?

司法国防治水を除くいかなる分野にも国家が介入すると物事はうまくいかなくなる。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/10 00:45 そもそも音楽も絵画も彫刻も建築も詩も物語も、人知を超越した知られざる何かにささげるためのモノだった。つまりゲージュツは個人が個人のために苦闘する対象ではなかったし、個人の楽しみのために創造したり消費したりするモノではなかったのだ。

しかしだからといってテクニックがどうでもいいという話にはならないのだ。

むしろ超越した何かにささげるのであるから人間に与えられた最高度の巧みさを求めねばならないわけで、芸術の動機が宗教的であっても人文主義的であってもなにがしかの苦悶や闘いが必要とされることには変わりない。
私個人のシューキョー的背景にもとづいていうならば、たとえば旧約聖書には「芸術はしかじかの基準を満たせ」などというような細則は何もない。ただ「上手にやんなさい」とだけ言われている。

そこではじめて個人が神と向き合うときに個人としてどうやって芸術にかかわっていくかという話になる。しかし個性がどうのこうのという話はそこでは問題にされていない。

しかしだからといって個が無視されてよいという話にもならないのだ。

移動時代のイスラエルの天幕や定着時代の神殿の制作にたずさわって巧みな技を見せた職人の氏族名と個人名は今でも旧約に記述されて残っている。

これら旧約イスラエルの芸術は一と多を何かの方法で表すものでなくてはならなかった。それをささげる相手であった神は世界から完全に隔絶して世界と全くかかわりを持たないと同時に、神は世界のすみずみにいまして世界と重複していると考えられていたからだ。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2008/07/10 10:47 日本の芸術が西欧のそれに劣るという植民地的な発想をするヒトがまだいるんですにゃー。
例えば現代美術って、個性とかコンセプトでがんじがらめになって立ち往生しているのににゃ。
一応いっとくけど
ここにでてきた美術講師って、おおきなコンペで受賞している現役のアーチストだにゃ。現代美術は食えにゃーので、講師をして糊口をしのいでいるわけですにゃ。

ypcpn8ypcpn8 2008/07/10 13:15 >現役のアーチスト

本物のアーチストだったらなおさら個性偏重派のいい加減な仕事には我慢できんだろうなあ。しかし残念ながら個性偏重派にはアーチストのアートを尊敬する感覚も薄いだろう。「ああそれは他人の個性ですから私には関係ありません」みたいな。

基礎設計が脆弱な手抜き建築物としっかりした建築物とに同じ価値を与えて「両方とも流通させろ」と主張するに等しいことを言い張るのが個性偏重派なのだろうし、個性偏重派はその類の「民主化」は善であると思っているのだろう。

metamorphmetamorph 2008/10/12 18:55 こんにちは。
社会学的な考察として土井隆義『〈個性〉を煽られる子どもたち』が参考になると思います。さらに詳細な議論は同著者の『非行少年の消滅』で読むことができます。さらに同系列の問題を扱った著作として、社会学者の森真一の一連の著作、著者複数の『みんなぼっちの世界』、浅野智彦『若者の変貌』、鈴木健介『カーニヴァル化する社会』などがあります。
俗流若者論で叩かれている香山リカの解離に関する論考も、根拠が薄いだけで上記の著作群と同じ問題を独自の視点で扱っていると言えます。

userinjapanuserinjapan 2009/07/16 17:29 自分でも同じように言うことは有るし、ここに書いてあることは凄くよく分かるけど、ただ、教師はそういう幼稚で青臭い反発もフフ〜ンと余裕綽々で受け止める度量を持って欲しいと思います。仮にこれ位でイラッと来たりいちいち呆れてたりしたら、教師も未熟に過ぎるのかと。

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