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2009-01-09 結果において明らかになる、という思考

派遣村叩きに見られる呪術思考(追記アリ


「派遣村」にジミンのおっさんが出かけて、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」と呆言し、公的に叩かれているけれど、ネットのある部分ではとても擁護されているとかにゃんとか。

2chとか やふのコメントとか直接見ると頭に来て仕事にならにゃーので、ここらへんのコピペを見ているわけにゃんが、いやいやいや、これはコピペでもゲロ臭くて鼻がひんまがりそうですにゃ。

「黙って死んどけ」

「若い頃何もしなかったことを棚に上げてよくやるわ」

「どんだけクズなんだよ 派遣は」

「こんなやつらを保護する必要なんかない。自分で何かする必要がないだろ。」

「この件については黙ってるつもりだったが、あえて言うわ。「死ね」/他者からモノを恵んでもらう立場である自覚がない。努力する人は助けたいが、恥の欠片もない猿に恵んでやるものは持ち合わせていない。」

などなど


ニンゲン、ここまでゲロ臭くなれるものなんですにゃー(呆気

さて、このゲロ臭い発言がどういうところからきているか、が今日のお題ですにゃ。


呪術思考

以前にも紹介したレヴィ=ストロースのコトバですにゃ。呪術の支配する世界では、偶然などというものは存在しにゃーということですにゃ。


今これを書いている僕も読んでいる君も、読み書きができてネットを見られる環境にいるわけで、それだけでまずまず上出来の部類と考えていいかもしれにゃー。そして、この「上出来」さというものは僕や君が生まれつき才能があったとか努力をしていたとかいうところに原因があるわけではにゃー。たまたま生まれた場所と時に恵まれていただけのことですにゃ。

アインシュタインゲーテアリストテレスなどという人類史的な頭脳に匹敵するほどの能力を持ちながら、たまたまインドの下層カーストとか、アフリカの独裁政権下、あるいはパレスチナのガザに生まれてしまい、飢え死にしたり虐殺されたり犬のような暮らしを強いられて一生を終えたヒトたちは何人も何人もいると僕は確信していますにゃ。努力もクソもにゃーよな。

僕も君も、ただ単純に運がよかった。

日本に生まれたとしても、例えば母子家庭の平均年収は200万ちょいだっけ?

高校も大学も学費は上がる一方で、母子家庭のガキは高等教育なんてなかなか受けられにゃーな。こんなところに平等な条件での競争なんてものがあるわけにゃー。

親がそこそこ安定した職についてカネを稼いでくれたヒトは、確かに運がよかった。


と、以上のような思考を呪術においてはしにゃーわけです。

「たまたま」「ぐうぜん」「うんがよい・わるい」というコトバは、呪術思考の辞書にはにゃーんだ。

悲惨な境遇にいるということは、それなりの確固とした理由がなければならにゃー。結果には原因がなければならにゃーのだ。そしてイチバン簡単に考えられる原因は、それらの境遇を本人のせいにすることなのですにゃ。こんなのが典型。

だから、被抑圧者・被差別者などに対して「きたない」「ずるい」「能力がひくい」「やるきがない」というレッテル貼りをすることになりますにゃ。


そして、差別する側は、自分たちが差別されていないという偶然から、自分たちは「清く正しく美しい」という結論を引き出すことができるのですにゃ。呪術における全面的な因果性とは、つまり原因と結果が必要十分条件として対応するということであり、結果から原因を求めることは当然なのですにゃ*1


呪物としての貨幣


金持ちであればあるほどカネの機能を理解しており、それを消費することよりもなお、貯蓄することによって得られる効用が高いことを知っているのではないかという仮説である。本当は使いたいけど将来が不安だから貯めるのではなく、貯めたいから貯めるのだ、ということだ。資本主義社会においてカネとは、権力であり、自由である。資本として活用することで合法的な支配関係を実現するし、また、政府(中央銀行)の保証によって将来の不確実性を減免するための数少ない有効な手段としても機能するからだ。メルセデスやBMW、ロールスロイスやマイバッハといった、他人よりいいクルマに乗るのは大層快感なのだろうが、権力や自由を求める人間の欲望と比べた場合、些か見劣りするのも確かだろう。たとえば自身の名声がマイバッハを所有することから生じる名声を上回った場合、つまり消費的な方法によらず名声を得ることに成功した暁には、消費活動の限界効用は貯蓄活動の限界効用を下回るのではないか。大衆は、貯金通帳の数字を眺めることが生き甲斐の貯蓄性向が高い人物について守銭奴的と揶揄し嘲笑するが、その守銭奴的な姿こそが人間の本来の姿のはずだ。有難そうに消費を賛美する人間の方こそが不自然なのであり、資本主義社会の家畜といえるだろう。


http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081229/1230538257 より


ケインズによると、不確実性を避けるために価値を維持する手段としての貨幣に対する過大な需要が発生するとかいうことらしいし、マルクスは貨幣の物神崇拝を語っておりますにゃ。そのあたりのことも考慮された記述なんだろうにゃ。


さて、先日のエントリでマナについて引用しましたにゃ。そちらもできればご覧いただくとして、今回は「盗まれた稲妻 呪術の社会学」よりマナについての記述を引用しますにゃー


マナそのものは、電気のように、いかなる種類の効力にも含まれているような一種の力であり、非人格的ではあるが、人に付着するものである。マナはどんな種類の効力でもあるのだが、社会的効力が最上とされ、基本的モデルであるらしい。それは結果において明らかにされる。誰かがマナを持っていると、その人はそれを使うことができるが、それはまたいつでもどこでも起りうる。すべてのいちじるしい成功はその人間がマナを持っている証明であり、その人間の影響力はマナを持っているという印象を他者に与えるかどうかにかかっている。ある人が首長になるのは、彼が持っているとされるマナによる。さらに、人間の政治力あるいは社会的力がマナであり、またマナであると考えられている。どんな効力もマナである。つまり人間が闘いに勝つ場合、勝利をもたらすのはその人間の右腕なのではなく、マナなのである。


上巻 P302 強調は引用者による


さてお立ち会い。

非人格的ではあるが人に付着し、どんな種類の効力でもあるのだが社会的効力が最上とされ、結果において明らかにされる、というこのマナという呪力。これってほとんどカネのことではにゃーか! 引用した部分において、マナをカネに換えても意味が成りたってしまうのだにゃ。「すべてのいちじるしい成功はその人間がカネを持っている証明であり、その人間の影響力はカネを持っているという印象を他者に与えるかどうかにかかっている。ある人が首長になるのは、彼が持っているとされるカネによる。さらに、人間の政治力あるいは社会的力がカネであり、またカネであると考えられている。どんな効力もカネである。」とかね。


マナのような概念は世界中いたるところにみられるようですにゃ。日本の「カミ」概念はマナ概念に近いようですしにゃ。

マルクスは貨幣が物神化する過程を論じているようですにゃ。もともとマナのような、非人格的で人に付着し、どんな種類の効力でもありえるが社会的効力が最上とされる呪力というモデルがニンゲンの心にあり、それが物象化されたものが貨幣だと捉えれば、マルクスの理路の傍証になるのではにゃーだろうか? また、ケインズのいう、不確実性を避けるために価値を維持する手段としての貨幣に対する過大な需要が発生する、という理路も、この「貨幣=マナの物象化理論」は傍証になるように思えますにゃ。そして、chnpkのいっていることそのまんまでもあるよにゃ。


  • 貨幣はマナの物象化したものであり、呪物である。
  • この呪物は非人格的であるが人に付着し、すべての効力を持つが社会的効力が基本である
  • 呪力の有無は、結果において明らかとなる。つまり全面的な因果性が公準となる。

つまり、貨幣は呪物なのだからその欠如に「たまたま」「うんのよしあし」などというものはあってはならにゃーのだ。すべては自業自得であり、自己責任となる。


合理的・科学的な思考というのは、レヴィ=ストロースに言わせれば「栽培された思考」であり、表面的なものにすぎにゃーそうだ。呪術思考によって捉えられた「経済」とは、たぶん「呪力の循環」なのではにゃーかと思われますにゃ。


共通善に従わない敵を排除せよ

共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊びというエントリで共通善について述べましたにゃ。

共通善というのは、宗教共同体などで典型的に採用されるもので、その内部の善男善女にとっては必須と感じられるものであるが、その善を共有しない者にとっては抑圧的であり、現実的に排除される危険がある。思想を共有しないだけで排除の危険があるのは自由主義とはいえないので、自由主義においては共通善は採用されない。自由主義において共有されるのは、「やってはいけないこと(いわば共通悪)」である。善を共有しようとしない自由主義を、善男善女は嫌う。

などということを書きましたにゃ。


派遣村叩きをしているヒトの心理を分析すると、こんな感じだろうかにゃ

派遣村で文句をいっている連中というのは、呪力が欠如している(=カネがない)。それは本人に原因がなければならない。その原因とは、努力するとか自己の価値を高めるとかいう「共通善」に従っていないことに帰せられる。

我々が多少なりとも呪力(カネ)をもっているのは、我々の行いが正しく、善にのっとったものだからである。派遣村の連中に呪力が欠如しているのは、連中が善に従わなかったからである。これらは結果において明らかになっている。

共通善に従わない者は排除しなければならない。それこそが善である。枯渇しつつある呪力を、連中に分け与えるわけにはいかない。


にゃっはっはっは。ファンタジー系のゲームとかマンガの設定みたい。

まあ、今回の経済危機を「カネ=マナ」と置き換えてまとめれば、ゲームの設定ができあがるかもしれにゃーな。


結果において明らかになる

「全面的な因果性をその公準とする」と「すべては結果において明らかになる」は同じことであり、これが呪術思考の特徴といえるでしょうにゃ。この思考は、陰謀論や疑似科学(歴史修正主義も含む)と非常に親和性がよろしいでしょうにゃ。

自分にそこそこの呪力(経済力)がある場合、それは自分の正しさのゆえであり、自分の気にくわない者に呪力がある場合、それは犬神などの悪しき呪術(陰謀)などに帰すわけだにゃ。そして、共通善(自分たちの価値観)に従わないものは冷酷に排除する、と。

まさに無敵の思考法にゃんね


ちなみに、飢えや極端な貧困はほとんど普遍的に悪なので、悪を共有したうえでそれをなくそうとするのが自由主義というものだと僕は考えていますにゃ。


追記 19:50ごろ

ブクマコメのいくつかに応答

id:matsunaga民俗学

呪術思考についてのとらえかたが偏っている(偶然はないという考え方は、必ずしも弱者排斥に結びつかない)

おっしゃるとおり。

あえて偏った捉え方で述べている自覚はありますにゃ。例えば、王殺しなんかも「偶然はない」から導けますしにゃ。

また、呪術は自我の確立には必須の心的操作だとも思いますにゃ。


id:Britty 文化人類学, 貧困, 経済, ネットウォッチ

マナ概念を用いてレヴィ=ストロースとマルクスの貨幣フェティッシュ論を接続(丸山圭三郎かアルテュセールを経由させてる?)/論はやや粗い。呪術の全面的な因果性と充足理由律の違いを説明できるのか

粗いとの指摘はおっしゃるとおり。

マナ概念と貨幣フェティッシュ論との接続と、派遣村叩きの心性についての考察は、本来は別立てにすべきでしょうにゃ。しかし、マナ=カネ論をなるべく多くのヒトに読んで欲しくてタイムリーな話題とつなげて統一性と精確さを犠牲にしましたにゃ。

あと、丸山もアルチュセールも経由させてはにゃーです。このアイデアは、ストロースのいうゼロ記号を考えていて思いついたものですにゃ。


id:Gedol 社会

「マナ」は「武力」と置き換えることも可能だったりする。あと派遣村叩きは単なる「自分がそうならないために行う呪い」だと思うぞ、魔術的には。

それもおっしゃるとおり。

でも、僕の議論とも矛盾はしにゃーと思う。


自分のエントリにつけられたブクマコメの中で、特に理のある批判的意見についてはスターをつけるように心がけていますにゃ。応答すべきものには応答もするつもり。


ところで昼前にあげて現在で60弱のブクマをいただき、読んでいただいてタイヘンうれしいのだけれど、なぜかホッテントリ入りしてにゃーです(嗚咽

時間的に僕の前の記事も後の記事も、ブクマ数が当記事より少なくてもホッテントリ入りしているというのに。さては呪いか陰謀か!?

せっかく書いたものは読まれたいとは思っているので、残念だにゃ。どうなっとるんだろ?


(どうでもよい再追記)20:00ごろ

あれれ?

http://b.hatena.ne.jp/hotentry にはあがってるにゃ。

http://b.hatena.ne.jp/hotentry/diary のほうにはあがってにゃーのだが。

なんでだろ? こんなことはじめてにゃんな。仕様の変化か?


つまらんことを書いて自己顕示欲を晒してしまったよ、にゃっはっは。

まあ、己の馬鹿は削除せずに晒しとこ。

*1疑似科学にはまってしまうヒトにもよくあるパターン

かんたろかんたろ 2009/01/09 13:31 マナと神道なんだけど
共通するのは「再生可能性」なんだと思うんだな
神道のカミ概念に於いてはカミも一種のケガレである
そのケガレはあくまでも内包される可能性としてのケガレであって
古い神話にあるようにカミとて力を失うことと再生する事の繰り返しサイクルからは逃れられないのだ
おれはマナも一種のケガレではないかと思っている
マナのある南洋の土人文化では政治的行為や権力は一種のケガレだ(今村仁 労働)
貨幣を媒介した交換もケガレ行為であるがためにケガレを請け負う政治的権力者がその責任に於いて行うものとなっている
これらは突出した力や偉大さはそこを頂点として力を失っていく予感的にケガレであるということではないかと思っている
あるいは元々存在するカミ概念に内包されるケガレが転化したものとして力や富に対するケガレ感というものが出来上がったのかもしれない
神道的にマナを見るとそういうケガレ感から理解した方がわかりよいような気もする

ただ 地下猫の言う呪術思考の因果論は神道的にはあまりない
神道の基本は偶然であって人間の力の及ばぬ強大な力に対して人ができるのはただ祈ることだけである
その祈りとその内容の因果関係が非常に薄い

おれはなんでもかんでもケガレ感から見てしまうのだけれども
ハケンについての様々な悪口は日本人のケガレ感ではないか
神道的にはケガレと力は拮抗するべきものでバランスよく持ってなければならんのだ
ケガレ=マナ=貨幣と見る事ができるならば
いずれそのハケンの人間にも再生可能性はあるのだが今一時的にケガレの状態であるということで
様々な文句はそれに合理的あるいは社会的要因を勝手にぶら下げたただの言葉でしかないのではないか
ただ言霊ってもんがあるからね
言ってしまえばそれがあらたなケガレ要因となってしまう
人間の健康な再生を阻むものは許してはならんという点で自由主義と神道は通じるw

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/09 14:25 にゃるほど、マナ=カミ=ケガレ=貨幣→権力行為・労働 か。
そのあたりの繋がりで、王殺しなんかも説明しやすそうですにゃ。

呪術というのはいわば操作体系にゃんから、偶然というのは考慮したくにゃーのだろうと思われますにゃ。「ただ祈る」ってのは操作ではにゃーからね。

僕もサヨクを返上して、かんたろ のように自由主義神道でいこうかにゃ?
しかし、僕はテンノー嫌いだから、いきなり分派になっちゃうにゃー。

VoyageVoyage 2009/01/09 15:09 >ケガレ

私、荒廃を感じさせる貧困環境に育った「失うもののない」傍若無人タイプ(成り上がりに多い)や、
極端に運が悪い、どうしようもない不幸を背負ってる人は確かに苦手なのよ。悪運がこっちに感染しそうでさ。

でもそれはそれとして、「自分たちは正しいから安全地帯にいる」と他人に石を投げる鈍い連中は大嫌いだわ。
ああいうやつらが、スピにはまって、「先祖の前世が悪いからひどい目に遭う」って他人に言えるのねえ。
本村さんのような犯罪被害者にだって「先祖が悪かったんですかね」とか言うのよ、スピ糞はさ。
こういうスピ糞みたいなやつらって、再生を前提とするケガレどころじゃない絶対悪みたいな汚さだと思うのよね。

かんたろかんたろ 2009/01/09 15:45 平家物語の無常観なんかもブッキョー的に解釈する人が多いけど平家物語なんかもブッキョー的無常観で説明する人が多いけど
実際にはあれは神道的ケガレ感の現れではないかと思うんだけどね
ただ神道的ケガレの概念があまりに感覚的なものになっているので言語化しづらい為にブッキョー的言語で表現してまって その結果日本の仏教観までが変化したっちゅーことではないだろうか?
よく日本人に芯からの絶望やニヒリズムなんぞないよとか言ってしまうんだけど
古代からの再生信仰みたいのが存在しているというのがおれなりの論拠なわけなんだ
この再生って概念はオモシロくて
言ってみれば明るい絶望とでもいうような「どのみち死ぬ しかしおれという個性は死ぬが生命は復元する またそうならなければイカン」という諦観を通り越して「あまりにあたりまえ」な自然主義思考に直結する
さらには「昨日も明日も同じでおれもおまえも同じで」という時間軸も個の存在も無意味化させるものにも繋がっていくだろう

神道は基本的に全てを飲むが その再生を阻むものに対してはカミがキョーレツに怒る
あるいはその無意味性を阻むものに対しても同じだ
その為にはあらゆるドグマから解放されていなければならない
本居の「からごころ批判」はそのへんの話だと思っている

そのへんは欧米人にはわかりにくいとこじゃないかな?
こんなこというと怒られるかもしれんが
キリストの受難も一人この世のケガレを背負って死にまた再生してという古代宗教の感覚的残滓ではないかと思うし
キリスト教のさまざまな儀式もケガレ祓いとそこからの再生という世界移動みたいな意味合いも大きいのではないか
王殺しなんかはストレートにつながるね
背負わせて殺すにはダントツの権威が備わっていれば好都合だ

>テンノー嫌い

あはは 近代憲法という法哲学の上に古代宗教の感覚的残滓がのっかっているという痛快観はタマランw

かんたろかんたろ 2009/01/09 15:49 >スピ糞

結局のところ その言ってる事がキライというより
感覚に余分な理由を付けて しかもそれが根拠なしというアタマの悪さがキライなんだよな それw

十二支十二支 2009/01/09 18:38 >キリストの受難

余談ながら
キリストの系図を読みますと、セムから発生してるのが書かれていて、セム族と言うのはモンゴロイドとなります。イエスの生まれたのは、ナザレと言う町に成り、今イスラエルが攻撃を仕掛けてるあたりになりますが、この辺りの住民が黄色人種菜のを見ても聖書の記述は正しい事になります。そこで問題なのはカトリックなどで用いられる白人イエスは何処から来たか?
と言うことです。

protein_crystal_boyprotein_crystal_boy 2009/01/09 22:10 派遣は「ケガレ」ってかんたろの見立てからすると
派遣村叩きってのは「安全地帯」からの傲慢っていうよりも
自分も同じようになってしまうかもしれないっていうか
「ケガレ」に伝染することへの恐怖からの逃避じゃないのかなぁ。
本当のお金持ちやエリートなんかはそんなこと感じないから
自民党の片山さつきとかは派遣村と対話できるんじゃないの。

hashillaneyehashillaneye 2009/01/10 04:35 >仕様の変化か?
http://d.hatena.ne.jp/Hamachiya2/20090110/hotentry
これかな?

mao_mk68mao_mk68 2009/01/10 07:21 ゲロとおっしゃるからには美醜の観点がおありなんでしょう。
美しい理論と美しくない理論のどちらでも問題を証明出来る場合は美しい理論を採用しますわな。
神道が主に採用するケガレは祓うことでキヨメられるのですが、派遣をケガレ扱いすることはキヨメるプロセスを次に想定しているからでしょうか。
ケガレをキヨメることで神が生まれるという神話を持つ日本人は新たなケガレに敏感で、それキヨメることで神を新たに生もうとする。
派遣村に関してはそういうキヨメの力学が働いているのでないでしょうか。

かんたろかんたろ 2009/01/10 23:28 まー ケガレそのものの意味あいを誤解されると「切られたハケンがケガレ? なんだそりゃ」って話になるんだけど

>伝染することへの恐怖

そゆのはあるでしょーなー
しかしここで
言わねばならんのは たぶん二宮金次郎的な道徳至上主義への批難だ
彼らのハケンたたきはイズムなんだろね
イズムだから当然「べき」であって「べき論」と「である」の差異に気付かない御仁の多いとこが問題なんでしょーな
神道なんかべき論ないからねw

protein_crystal_boyprotein_crystal_boy 2009/01/12 15:08 まぁ、ケガレであればキヨメれば再生するんだと思うけど
派遣の人が再生するためのキヨメには
荒ぶるカミによる破壊と再生が必要なのかもね。

かんたろかんたろ 2009/01/12 15:42 三好達治が戦後の詩で「それでも情緒は春のやうだ」とうたっている
失うだけ失えばそこから春が来るというのは日本人的に正しい認識かもしれない
正直言ってこの不況におれは少しうきうきしてるw

次郎次郎 2009/01/13 13:15 エントリーをとても面白く読ませてもらいましたが、個人的には派遣村たたき自体は僻みが原因のように感じます。
要は「お前らは甘やかされて(社会的に援助される)いるが、俺なんか誰にも助けられず自力で歯を食いしばってやってきてるのに、きぃぃぃ悔しい」みたいな感じですね。

どうも僻みが入ると他者の言葉が聞こえなくなるように見えます。天羽さんに関するエントリーで「琴線に触れる」と言った事を書きましたが、僻みが入るのと琴線に触れるというのは非常に関連が深いんじゃないでしょうか、と思う次第です。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/13 13:59 あいかわらずの遅レス申し訳にゃー

ケガレがマナと似たものだとするなら、伝染することはアタリマエってことになりますにゃ。派遣村を叩くってのは、ケガレが伝染しにゃーようにするための呪術的防衛なのかもね。まあ、くりぼうも同じようなこと言っているけど。

>かんたろ
いや実は僕もこの不況にうかれぎみ。100年に1度の破壊ってのはうれしいよにゃ。

>次郎
呪術ってのは僻み根性の正当化だともいえるわけで

VoyageVoyage 2009/01/14 09:22 不況にわくわくする人ってけっこういっぱいいるんだなあ。
「対岸の火事」「他人の不幸」だから?

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221461087/

台風がきて、自分の家が流れる可能性があっても楽しいもんかねえ。
どーもよくわからん。

VoyageVoyage 2009/01/14 13:49 >対岸の火事だから

でも、派遣村たたきの人たちが、「対岸の火事」ではなく「ケガレ感染の恐れ」の裏返しで喜んで派遣を叩くのだったら
不況・破壊を喜ぶ人たちは、「ケガレ感染マンセー」「泥遊びしたい」ってノリなのかな。

gryphongryphon 2009/01/14 22:40 我々がかろうじて食え、派遣村の皆さんが現在困窮している差は「偶然」の要素が大、というのは賛成です。
それは同時に「食い物にして儲けている、億万長者の陰謀家がいる」とか、「これも小泉構造改革のツケか。(日刊ゲンダイ風)」というような形で(過剰に)、その部分への「因果関係」を求める風潮への批判にもなりますね。
意図するかしないかはともかく「あなた方の困窮は『運』の結果に過ぎません」「たまたまです」というのは。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/01/14 23:29 >V
いや、不況の波を僕もぶっかぶっておるにゃ。給料は削減だわボーナスは出にゃーわで、この状態が続いたらガキを高校にもやれんわ(げらげら
しかし
だからこそオモチロイともいえますにゃ。他人事だったらこんなにウキウキしにゃーと思う。まさに泥遊びの気分。
ある1線を超えるまでは、ビンボは楽しいよ。


>gryphon
呪術って、ひと言であらわせば「因果性の過剰」だと僕は思いますにゃ。
彼ら・僕らの困窮も、あるいは富貴も、「たまたま」がベースにあると思うのですにゃ。「たまたま」をベースにしにゃー思考って、すんごく暴力的で冷酷だよね。

ypcpn8ypcpn8 2009/01/15 00:02 >VTA

破壊への期待感には二種類ぐらいあるんじゃないか。「新秩序が生まれるかもしれない」という、あまり確実性はないけど、閉塞しまくっている現状が変わることに対する期待があるわけだ。まー、このような視点だと、破壊というのは本来ならば無用のプロセスであるからワクワクするよりむしろ不機嫌になる人が多いだろう。破局が訪れることは当然だと思っていたのだから、それが現実になった時点で溜め息をつくしかないかも。しかし破壊によって世界が終わるわけではないから希望がなくなってしまうこともない。そういう意味での「ワクワク」だとは言える。

もうひとつは「みんないっしょに公平に奈落の底へ落ちたい」という平等主義的自滅的な破壊欲求にもとづく期待感だろうな。これは恨みの感情の満足がゴールであるから、破壊の後に訪れる創造を特に待ち望んでいるわけではない。「自殺と殺人は心理的には同じ地平にある」という地下猫の見立てにも沿っているものだ。殺人率が低いといって喜ぶ前に殺人に占めるアモック型殺人の発生率や自殺率がどうなっているのか調べたほうがよい、という意見はそのあたりを指して言われる。

ypcpn8ypcpn8 2009/01/15 00:14 >因果性の過剰

機械的な世界と呪術的な世界とは別物だと昔は思っていたけども、呪術的な世界というのはかなり機械的なんだよな。

現実には論理では扱うことのできない領域があるにもかかわらず、そういうブレを吸収するための遊びもバッファもなくて世界の振動がもろに伝わってきて体がガクガクしているけどそれを無理やり力づくで押さえつけて世界を論理に従わせようとする強大なゲバルトへの欲求、みたいなものを感じる。呪術師とその追従者の姿はメシア国家崇拝者の姿でもある。

ypcpn8ypcpn8 2009/01/15 00:45 >破壊というのは本来ならば無用のプロセス

経済恐慌は破壊というよりは誰も意図しなかった破局といったほうがよかったな。しかしその原因は飽くまでも明らかな意図にもとづいている。

恐慌は経済の自然現象なんかじゃないのだ。中央銀行制度と部分準備預金制度がある限り永遠に繰り返す。これは国家規模で私たちがやらかしてきた「偽金を使った経済活動」という倫理的頽廃のオトシマエをつける時がきたということなのだ。

ところで経済恐慌から少し話題は変わるけども、シントー的には破壊や破局や死は「無用」じゃないんだよな。それはサイクルの一部であって最高に熟した実りの時が最高にケガレているという見方をするならばそれは自然なことだといえる。

しかし銀行制度の話に戻るならばそれは「自然」に属さないので少し違う話かも。w

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