悲しい記憶、デシモ再びクリーニング

50日祭が終わったので、祭壇などを片付ける。家の中がほぼ普通の生活の景色に戻る。年末の大掃除も含め、徐々に親父が居た形跡が無くなっていく。

昨日の50日祭では、孫が親戚に囲まれ笑顔を誘い、昨今の経済状況や近況を語り合い、親父の死という非日常的な出来事は過去の記憶となっていく。葬式も含め、人の死後、様々な行事やら慣習をこなしていく内に悲しみという辛い記憶が忘れ去られていく。これらは辛いという感情をどこかに追いやるシステムなんだろうなと感じる今日この頃。

そういえば悲しいことが。再び、キャップレス万年筆デシモを洗濯してしまう。あの辛い記憶が蘇る。(前回の状況:下写真)

今回は、幸いにしてペン先は無事のようで、洗剤を落とす意味でペン先や本体をぬるま湯で洗浄し、本体内部をしっかり乾燥させて組み直してみる。大丈夫のようだ。親父を失うような歳になって、どうも記憶が曖昧になり、物忘れやうっかりミスが多くなってきている。

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