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えだは

本サイトモー神通信
管理人:TK(@tk3838)

2017-09-07

『釜山行き』 (新感染 ファイナル・エクスプレス)

『新感染 ファイナル・エクスプレス』というクソダサい邦題がついた時点で絶対に見るものかと心に誓っていたのですが、ゾンビ愛によって頑なな心が溶かされ、ついに見に行ってしまいました! とにかく画面造りやアクション設計が新鮮だし、ストーリーの疾走感や、伏線の回収もキレイな物語の構成がお見事! アイデアをギュウギュウに詰め込んだ特濃パニックトレインでした。


■「電車」という舞台設定が何より大正解!

やはりまずは電車という舞台設定が大正義でしたね。とにかくゾンビ映画というものは「倒しても倒してもキリがない」」というゾンビ災害の特性上、ショッピングセンターの昔から主人公パーティが一箇所に籠りがちなんですよね。そこで籠城場所から出るかどうかモメたり、出て行く必然性を見せづらかったりと、ストーリーが停滞してしまいがち。ところがこの映画では、その籠っている場所(電車)そのものが移動しているので籠ってる状態でも「釜山に進行中」というストーリーは停滞しないわけです。しかも「線路が通行止め、乗り換えないと」とか「安全な駅に着きました」とか、パーティを籠ってる場所から自然に出させることもできる。また「車両」という空間的な区切りがあるので、そこを一車両ずつクリアして進んでいくという、『死亡遊戯』とかジャンプバトルマンガみたいな王道のフレームも現出させやすい。考えれば考えるほどゾンビ映画と電車というのは「発明」と言えるほどベストマッチな組み合わせだなと。


■ゾンビの脅威度設定がバッチリ!

電車内という枠組みに合わせたゾンビの脅威度の設定も絶妙なんですよ。ご存じの通りゾンビには走らないタイプと走るタイプがあるわけですが、今回の枠組みで走らないゾンビだと脅威度が低くてイージー過ぎるし、ただの走るゾンビだったらハード過ぎる。だから「走る+ある弱点」で舞台設定に対するジャストな脅威度に仕上がってるんです。しかもそれによって「釜山行きの電車内」という設定が最大限に生きるようになっているという見事さ。「相手の特性を見抜いて、クリアしていく」という過程があることによって、ただ漫然と戦うのとは違って、ステージ(車両)クリアそのものがストーリー進行となって停滞しないわけです。


■キャラクター設定が絶妙!

主人公をただのヒーローにしない登場人物の設定もビューティフルでしたね。嫌な面があったからこそ彼の人間回帰の物語が一本軸になっていましたし。勝ち組エリートの主人公に、妊婦、その夫の巨漢、JK、その彼氏の高校球児、お婆さん、足の悪いホームレス、子供という多様性の見本みたいなパーティ編成。そして嫌なヤツはめっちゃ嫌なヤツ! 『ミスト』の宗教ババァより憎らしいキャラを初めて見ました! 難を言えばコイツをもっとスカッと倒して欲しかったよ……



■ゾンビアクションも合格!

カクカク動いて覚醒するゾンビ描写はフレッシュ。ゴア度は『ワールド・ウォーZ』ほどソフト過ぎもせず、だけど一般の人が拒絶するほどではないという「丁度良い」レベルとなっていました。また上から降って来る系のアクションも多くて新鮮でしたね。これはアニメの『攻殼機動隊』とか『キャプテンアメリカシビルウォー』のアクション設計にも通じるけど、横の動きに、効果的に縦方向の動きが混ざってるんですよね。さらに波飛沫のように放射状に弾ける動きなども加わるから、画面がマンネリにならず、アクションの鮮度が保たれていました。

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2017-08-21 舞台『グランギニョル』

グランギニョル

末満健一脚本・演出による舞台『グランギニョル』を観賞しました。耽美で残酷な世界観は従来の「TRUMP」シリーズを引き継ぎつつ、今回はそれに長身イケメンたちの殺陣による圧倒的な「華」が加わった舞台となっていました。この殺陣は全体の中でかなりのボリュームと頻度で殺陣が差し挟まって来ます。あの作り込まれた衣装を着ての、身体能力が高い肉体の躍動ですから、これはかなり見応えがありました。


我らがめいめいこと田村芽実さんの活躍・歌唱も素晴らしく、不幸な役柄の彼女に一縷の希望を見せつつ、『LILIUM』を見た者にはその希望がさらなる絶望であることが理解できてしまう作りなど実に嫌らしく(褒め言葉)、そのシーンでは息を飲む音が周囲から結構聞こえましたね。



ただ脚本としてはかなり整理不足が目につきました。特に殺陣のシーンでは「なんとしても倒す」「絶対逃さない」「逃げ延びる」といったその時点における戦闘の目標が観客に提示されていないため、見ていると同じような面子で同じような戦闘をなんとなく繰り返しているように見えるんですね。特撮ファンには、ちょうど最近の『仮面ライダー』の35話付近の戦闘みたいな感じと言えば伝わりやすいかな。毎回同じ面子同士で戦って、勝負はつかずになんとなく解散して、ストーリーは全然進んでないという……。そんな風だから、アクション面での盛り上がりに、ドラマの盛り上がりが上乗せされないんですよね。新必殺技を披露してもその場限りの盛り上がりで終わっちゃうし、殺陣の最中はお話が止まってしまう。殺陣のシーンが多いだけに、これがかなりテンポの悪さを生んでしまっているように感じました。


整理不足が特に顕著だった例としては、キャラクターA・B・C対イ・ロ・ハの 3VS3の戦いで、AとBがCを先に行かせるために「ここは俺たちにまかせてお前は先に行け!」って言うシーンがあるんですよ。ところがその直後に、残った面子でイがロとハに「ここは俺にまかせてお前は先に行け!」って言うんですよ。いやいやいや! そこは重ねちゃダメでしょうと(汗) 




ストーリー自体もですね、こういう「物語世界の歴史年表」がまずあってその隙間に新たな物語を紡ぐ場合って、盛り上げるのに2パターンあると思うんですよ。ガンダムでの『ガンダム』と『Zガンダム』の間の時代を描いたOVAで言うと、『0080』みたいに「大元の歴史記述に抵触しないミニマムな出来事を描いて、その中での人物描写をできるだけ掘り下げる」か、『0083』みたいに「歴史記述に抵触しない範囲で可能な限り大事感と派手なガジェットを出す」か。だけど『グランギニョル』では悪い意味でのその中間で、大事感はなく、人物描写は掘り下げ不足というちょっと中途半端な印象はぬぐえませんでした。

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2017-07-31 最近見た映画

■『デッドライジング ウォッチタワー』

謎のウイルスの蔓延によりゾンビが大量発生したものの、ワクチンが開発され、ゾンビ化の抑制と感染者の隔離に成功した社会。しかし、ネットニュースの配信者が隔離地域の取材中にワクチンが利かなくなる感染者が続出し……というストーリー。一度ワクチンが開発されているという設定が新鮮でもあるし、最初は軽薄な動画配信者に過ぎだったのに、深刻な事態や感染者の苦悩を目の当たりにして使命感を抱き始める主人公とか、キャラクターの造形も好感が持てるもの。大脱出モノとしても見られるし、ワクチンがどうして効かなくなったのかの謎解きの要素もあるし、軍の陰謀とか、ネット配信とか現代的な要素を盛り込もうとしたり、ストーリー的にもちゃんとしようとしてるんです! ただそのすべてをスコップと日本刀を連結させた自作武器のビジュアルのアホっぽさが台無しにしてしまっている。それスコップ振ったら日本刀の方 自分に刺さるよね!? 何故それを入れた! とも思うけど、なんかそういうどうしようもなくセンスがB級な部分が愛せる一作。

センスはないけど頑張ってるタイプのバカ


■『高慢と偏見とゾンビ

ジェイン・オースティンによって書かれた文学名作『高慢と偏見』を、原文を80%残したままゾンビ小説に改変した世にも奇妙なマッシュアップ小説の映像化。この映画のアホな 素晴らしい所は、衣装や背景などを徹底的な作り込んで18世紀末のイギリスの田舎町や上流貴族社会を作り上げていること。ゾンビシーンを除けばちゃんと『高慢と偏見』の映画として成立し得る高級なビジュアルを作り上げているんですよ。言ってしまえば出オチになってる一発ネタのために費やした努力のあまりの量に、普通のシーンを見ている時でも「アホや… アホや…」という感慨がしみじみと湧いて出ます。どう考えたってタイトルに「ゾンビ」って入ってる時点でジャンル映画にしかならないのになんで大金かけてそれをしようと思った!?

一見すると取りすましててまともだけど実は常に下半身丸出しなバカ


■『ネイビーシールズ オペレーションZ』

ゾンビが大量発生した封鎖地域のど真ん中での、政府要人の救出任務に就くネイビーシールズの活躍を描く。「最強の軍隊 VS ゾンビ」という切り口なんて面白いに決まってるじゃん! …と思って意気込んで見たらいろいろショボ過ぎて大脱力。まずネイビーシールズが5、6人と少ない上に、アクションも下手でサバゲーおじさん程度にしか見えない! もうこの時点でこの作品のコンセプトがそもそも不成立! CGはあまりにチープ! そしてゾンビは走るタイプなんだけど、まったく演技指導をしてないのか、めいめいがゾンビらしさを出そうとした結果、ビッコ引いたみたいな歩き方になってる! しょ、しょぼい……(汗) ちなみに本当にサバゲーおじさんがゾンビと戦う映画ならそれはそれで見たい。


あと途中でストーリーの都合で、ラストまでに主人公がゾンビに噛まれてないといけないんだけど、その要素を消化するために、主人公はそれまで普通にゾンビと戦闘してたのに、トボトボ歩いて来る少女ゾンビに対して「近づくな。敵じゃない。ホラ、銃を下げたから」とか突然言い出すんですよ。もう単純に、脚本がヘタ!

何をやっても駄目なバカ


■『アフターデイズ・ボディ 彼女がゾンビになった世界』

前作『スリーデイズ ボディ 彼女がゾンビになるまでの3日間』は、ヒロインが行きずりの男との性交によって謎のウイルスに感染してから、ゾンビ化するまでの3日間の恐怖をヒロイン目線でじっくり描いたもの。この続編は前作のラストでヒロインと性向した男のその後の3日間を描いたもの。今回は自分がゾンビ化する様だけじゃなく、自分のせいで家族を含めた周囲の人間に感染が広がっていく様を描き、見る者の嫌悪感を引き出している。「ゾンビの恐怖」じゃなくて「ゾンビになっていく恐怖」を描いた切り口が新鮮。嫌な気持ちになれます!

喜ぶポイントのクセがすごいヤツ

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2017-07-14

石田さんにせよ、Juiceメンにせよ、事情あって新しく入ったメンバーを、みなで受け入れてる姿をファンに向けてあれこれ発信してくれてるのはありがたいなぁ。でもなんかあの子たちの責任でもないのに、ファンに対して気を遣わせてるなぁという気もしちゃうな。



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道重さゆみカワイイバースデーパーティー

■MC

「SAYUMINGLANDOLL 再生」公演は“新感覚のパフォーマンス”主体でMC少なめだったので、休業中の様子をMCでガッツリ聞けたのが嬉しかったですね。なんせ60分の公演予定が95分になったぐらいですからw


でもトークは、娘。時代のアイドル道にストイックな感じはなくなって、ただたださゆ個人の面倒臭い女子感とヤバみがパワーアップしてて、ザ・さゆって感じで最高でした。内容的には家族でハワイで一ヶ月過ごしたってのと、山口の親友が一ヶ月半ほど道重家に泊まりに来て連日遊んでたって話は初耳だったな。


ライブの曲紹介では

「次の曲は歌いたいけどどうしようかなぁと思ったのね。すごくカワイイ感じの若い子の曲だし28歳にもなってって言われるかなぁって。でもそんな風に考える必要はないってわかったんです。私が歌いたい歌を歌い、私がしたいことをしたら、その姿を見て私を好きな人達は喜んでくれるんだって」

今日のMCで感動した部分です。

そうだよ、さゆ!

そして休みの間にそんなしたいことをたくさんしたというさゆ。今まではオフの日は次の仕事のための休養に充てていたけど、休業中はいろんなことをして楽しかった、世界が広がったと、とっても嬉しそうに語ってくれました。



■『渡良瀬橋

ライブ2曲目はさゆにとっては挑戦であるしっとり聴かせるスローバラードの『渡良瀬橋』。ちょっとグラッとして「吊り橋かな?」と思う所はあったけど無事に渡り切った! さゆ歌上手くなってる! 大好き!(吊り橋効果)



モーニング娘。からのお祝いVTRにて

石田 < この前道重さんに会ったのが嗣永さんのラストライブだったんですけど、道重さんが私の前の席で良い匂い過ぎてコンサートに集中できなかった


フクちゃん < おぉい!


一同 < まーまーまーまー


荒ぶるももちヲタをみんなでなだめて、

「でも石田さん(ももちコンで感動して)めっちゃ泣いてましたよね」

とフォローが入って(小田さん?)大団円。

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2017-07-02

嗣永桃子ラストライブありがとうおとももち

ももちのラストライブは最初から最後まで、演出も組み立てもパーフェクトな内容だと思いました。バラード曲に生の感情を滲ませつつも、直後に『ゆるしてニャン体操』ではぐらかしてみたり、そういったバランス感覚も完璧。自分の感情に耽溺することはなく、あくまで客に見せるパフォーマンスであることを意識した内容でした。そして何よりファンを「ももちがいない日常」にちゃんと送り出してくれたような気がしました。


そして多くの人のももちへのリスペクトを感じるライブでもありました。私はアイドルさんたちには皆あんな風に尊敬されて旅立っていって欲しい。本人が幸せになるのは当たり前として、多くの人を幸せにしたんだから、その分ちゃんと尊敬されていて欲しい。


人を幸せにする職業はたくさんあります。極論すれば全ての仕事の究極の目標はそれだと言ってもいい。ただアイドルは、本来ならば大人から幸せにしてもらうはずの期間をそのことに捧げます。そのことが普通の職業とは決定的に異なります※)。これはアイドルの本質であるが故に、普通の人がアイドル産業およびアイドルオタクを嫌う理由とも直結しています。大人が寄ってたかって、子供としての受益期間を放棄させているようにも見えますから。


例え本人の夢と引き換えであっても、大人が子供を利用して商売をしている。それを娯楽として大人が楽しんでいる。それは一面事実です。その卑しさはアイドル産業従事者とアイドルファンが宿命的に背負う原罪と言っていいでしょう。でもだからこそ、アイドルに関わる大人たちは、彼女たちの幸せを心から望みます。彼女たちから「普通の青春」を奪っているという自覚と罪悪感があるからこそ、普通に過ごしていたのでは決して味わうことがなかった感動の高みに彼女たちが到達することを無心に願い、彼女たちの夢を後押しします。


先日見たももちのラストライブとは、そうした関係の最も幸せな結実と言えるものでした。慣れないはずの野外会場での見事な設営に、音響に、そして映像演出に、彼女に関わった大人たち全てが、彼女の旅立ちを最高のものにしようと意を尽くしてくれているのが伝わりました。そして多くの後輩から尊敬を受け、多くのファンからの愛情を受け、誰よりも幸せだと胸を張って卒業していく彼女の姿こそは、アイドルに関わるすべての大人への許しであり、救済であり、福音であったと思うのです。


だからありがとう、ももち。

15年間、最高のアイドルであり続けてくれてありがとうございました。



※)そういった意味でやはり青春期間が終わってからアイドル活動を始めた中澤さんは特異であり、彼女がそばにいることで初期モーニング娘。はアイドルのなんたるかの輪郭が際立ったのだと思います

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