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2010/07/07(水)

tk33082010-07-07

[]4日目

1限は2年生の数A、2限は3-5で12人だけの「ライティング上」のカントク。2限後採点を開始し、昼ごはんも食べずに一心不乱に○付けして3時頃終了。ちなみに講座平均は1組標準が78.2/4組基礎が60.0/5・6組基礎が62.6。そこそこの数字を取ってくれましたので成績が出しやすかったです。

明日はカントク1つと会議が2つ。そうしてあさって数学演習が2冊返ってきてテスト終了。

来週は4限までの短縮授業、再来週は月曜が授業で火曜が2時間授業して全校集会。もうすぐ終わります。

[]全場制覇

池江氏 バトルバニヤンで全場重賞制覇へ

ラストサマーに勲章を。今週の七夕賞に1つの大記録が懸かっている。バトルバニヤンが1着なら、池江泰郎師がJRA全場重賞制覇を達成するのだ。来年2月で定年、引退となる名伯楽にとって残されたチャンスは今回と福島記念(11月20日)しかない。偉業達成へ、厩舎一丸となってメモリアルVに挑む。

記録へ向かって走れ!七夕賞のバトルバニヤンには池江郎厩舎の「JRA全場重賞制覇」が懸かる。前哨戦福島テレビオープンで1着。約1年7カ月ぶりの美酒だった。しかも馬場入り時に放馬しての結果。担当の森田助手が苦笑いした。

手綱をかんでしまったのでハミが外れてしまった。でも、みんなと一緒に退避所へと走っていったので、すぐに捕まりました。中1週ですがカイバも食べていますし変わりないですよ」

前走前から担当になったとあって付き合いは短い。だが、変化はレース前から感じていたと言う。「追い切った後、行きっぷりが変わりました。“自分から進んでいかない”と聞いていたのに、話が違うなと。以前は村本さん(調教助手)が乗っても時計が出なかったのに」。村本助手と言えば、972勝を挙げた往年の名ジョッキーだ。その腕をもってしてもスランプ時は坂路ラスト1F13秒台がやっとだったとか。これは馬の気持ちが変わったとしか表現のしようがない。

デビュー時からここまでの姿を知る池江助手も太鼓判を押した。「ええ感じで来ているみたいやね。前から夏場に向けて良くなっていくところがあるよね」。確かに7〜9月は10走して3勝、2着2回の好成績を残している。暑い時季はこの馬にとって稼ぎ時なのだ。そして注目の記録について。池江助手は池江郎師のおいで開業当初から所属している間柄。この日不在だったトレーナーに代わり、胸の内を語ってくれた。

「先週の競馬ラジオNIKKEI賞でトゥザグローリーが5着)の後に“来週もある”ってコメントしてたでしょ。親方(池江郎師)がそこまで言うということは力が入っているということ。勝ってほしいね」

先週は1番人気を背負いながら達成できなかった。今週こそ。ただならぬ闘志とともに、再び初夏の“みちのく”へ向かう。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/07/07/01.html

[]オグリキャップ

“我が心の Gray ghost”

「ほら、トモの肉がすっかり落ちて体全体が寂しくなってる。怪物と呼ばれた頃の張りもなければ活気もない。可哀想にな。もうレースなんか使わず引退させてやったらいい。そう思わんか、村上」

栗東トレセンG1レースの取材をしていると背後からベテラン騎手(現在は調教師)が声をかけてきた。私同様に彼も調教を終えて厩舎に引き返そうとする芦毛を見守っていた。中央入り当初は黒鹿毛と見間違えるほど漆黒に輝いていた馬体がすっかり灰色に変化したさまはまるで冬枯れした芝生のように映り、心なしか完歩までもが小さくなって見えた。数日前に会話を交わした担当の池江敏郎厩務員も「ここしばらくは右の飛節を悪くしたり、トウ骨を気にしたり。いろいろあったけど、いまは治まっとる。最後ぐらいは格好をつけてくれんかな……」と祈るように話すだけ。まるで元気がなかった。この段階で私はオグリキャップ無印にしようと決めた。中途半端な印をつけるのは馬に対してもファンに対しても失礼だと考えたのだ。

1歳上のタマモクロスを“史上最強の芦毛”として惚れ込んでいた私にとって笠松からやってきた芦毛は天敵だった。最強馬は1頭だけでいいのだ。最初に栗東トレセンの調教で凄い動きを見せたときも“ダンシングキャップ×シルバーシャークならあれぐらいは走るさ”と冷ややかだった。しかし、“Gray ghost”と呼ばれたネイティヴダンサーの血脈を考えると突然変異的に怪物が出現する可能性は十分にある。中央緒戦のペガサスSを大楽勝したときも“能力の高いマイラーさ”と敢えて高い評価を避けた。しかし、3戦目の京都4歳特別では2着馬を5馬身切って捨て、関東初見参のニュージーランドT4歳Sでは馬なりで他馬を7馬身ぶっち切った。クラシック登録のなかったオグリキャップはその後古馬に挑戦して高松宮杯で古豪ランドヒリュウをも一蹴。想像を絶するポテンシャルの高さに圧倒された。“これぞ怪物”と舌を巻くしかなかった。

1988年、秋の天皇賞。1番人気は中央入り後に重賞6連勝、前哨戦毎日王冠では年長のダービー馬を難なく退けたオグリキャップ。2番人気は下級条件からG1天皇賞(春)宝塚記念まで7連勝中のタマモクロス。この芦毛2頭の最強馬決定戦はファンを熱狂させた。このとき私が競馬ブック紙面でつけた予想は◎タマモクロスオグリキャップの1点だけ。先輩記者に「予想をなめとる」と注意されたが、「勝負になるのはこの2頭だけ」と反論。有り金すべてを自分の本命馬の単勝につぎ込んだ。結果はタマモクロスが勝利したが、喜びには浸れなかった。位置取りと流れが勝敗の明暗を分けたが、最後までひたむきに駆けるオグリキャップの姿に心を動かされた。古馬として円熟期を迎えつつも繊細で気難しさが目立つタマモと完成途上の若駒とは思えない重厚さと強靭な精神力を併せ持つオグリ。世代交代が間近に訪れる予感があった。

それからについては改めて取り上げる必要もないだろう。オグリキャップは初代国民的ヒーロー・ハイセイコーを凌ぐ活躍を続け、その注目度の高さは社会現象にまでなった。しかし、競走馬はあくまで血の通った生き物である。マイルCS(1989年)の奇跡的な勝利に鞍上が思わずもらい泣きし、連闘で挑んだジャパンCでは世界レコードで勝利したホーリックスに肉薄して見守る側を唸らせたが、それ以降のオグリキャップは間違いなく疲弊していた。その後は5戦して安田記念を1勝しただけ。1990年秋は天皇賞ジャパンCで6、11着と見せ場もなく大敗。ひとつの時代は確実に終焉を迎えようとしていた。冒頭に書いたのは最終戦となった有馬記念の1週間前の話。日本中の競馬ファンにとってオグリキャップは過去の馬になりつつあった。

この年の有馬記念は極めて静かに流れた。ハナを切ったオサイチジョージの1000メートル通過タイムは63秒8。途中から3ハロン連続して13秒台のラップを刻むまるで条件戦のようなスローペースだ。“これでは前残りの決着になる”と誰もが思った刹那、中団に位置していた1頭がポジションを押し上げた。それまでの長手綱をジワッと絞り込んで重心を心持ち前に移動する騎手に喚起される形で馬自身が気力を振り絞る。この瞬間に勝ち馬が決まった。終わってみればタイムも内容も平凡な有馬記念だったが、体内に残された僅かひと滴の闘争本能でラストランを先頭で駆け抜けたオグリキャップ。私にとってその姿はまさに“Gray ghost”であり、王者としての矜持を守り通した走りには全身に鳥肌が立った。25年間の競馬記者生活において予想上で敢えて無印にした馬に勝たれながら後悔の念を抱かなかったのはこのレースが最初にして最後だった。

http://www.keibado.ne.jp/keibabook/itw/column.html

JRAの追悼サイトはこちら

[]プロキオン

登録馬はクリーン/グロリアスノア/ケイアイエーデル/ケイアイガーベラコスモセンサー/サマーウインド/シャイニングアワー/セレスハント/ダイショウジェット/タマモホットプレイ/タートルベイ/チャームナデシコ/ティアップワイルド/トーホウアタック/ナムラタイタン/プロセッションマイプリティワン/マカニビスティー/マルカベンチャー/マルブツサクラオー/メイショウシャフト/ワールドハンターの22頭。世間ではナムラタイタン・サマーウインド・グロリアスノア・マカニビスティーを上位と読んでいますが、私の軸馬はコスモセンサー

実は今度の日曜、ある人と「阪神行こう!」と約束しているのですが雨のよう。朝のうち町内会の公園掃除もあるし選挙もあるしある人も体調悪いよう。どうしましょうかねえ。