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2008/01/25(金)

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[]ウオッカ行きま〜す(アムロ口調で)

昨年のダービーウオッカ(牝4=角居)が、G1ドバイデューティフリー(3月29日)への参戦を表明した。すでに同期のライバルであるダイワスカーレットフェブラリーSドバイワールドCのローテーションを明らかにしている。この春は牝馬の強力ツートップがドバイで海外の強豪と対決する。昨年のダービーウオッカが、今年初戦に予定している京都記念(2月23日)をステップにドバイへ遠征することが濃厚になった。角居師が24日、明らかにした。ドバイ諸競走にポップロックデルタブルースなど14頭の管理馬を登録している同師は「出るとすればウオッカになるでしょうね」と語った。

ウオッカドバイワールドC(ダート2000メートル)、ドバイシーマクラシック(芝2400メートル)、ドバイデューティフリー(芝1777メートル)に登録しているが、本線はデューティフリー。昨年、アドマイヤムーンが優勝したレースを目指すことになる。牝馬で64年ぶりにダービーを制したウオッカだが、その後は苦闘続き。宝塚記念で8着に敗れると蹄球炎で凱旋門賞遠征を断念。秋華賞はライバルのダイワスカーレットに後れを取る3着。その後は蹄球炎の再発でエリザベス女王杯当日に出走取り消し。有馬記念も11着に沈んだ。それでも、陣営は挑戦し続ける姿勢を崩さない。有馬記念後も緩めずに乗り込まれており、24日は坂路を軽快に2本駆け上がるなど順調に調整されている。同馬が芝2000メートル以下の距離に出走するのは昨年の桜花賞(2着)以来。距離短縮で、あのダービーの剛脚が復活する期待も膨らむ。

今週末にも日本とアラブ首長国連邦の間で衛生条件に関する取り決めが行われ、それに基づいてドバイレーシングクラブとJRAの間で検疫内容などが決まる見通し。それを受けて、ウオッカの遠征プランが具体化することになる。

ドバイ諸競走 ドバイのナドアルシバ競馬場で行われる招待競走。世界最高賞金レースのドバイワールドCを筆頭に、シーマクラシック、デューティフリー、ゴールデンシャヒーン(以上G1)、ゴドルフィンマイルUAダービー(以上G2)など、さまざまなカテゴリーのレースが同じ日に行われる。日本馬はステイゴールドハーツクライシーマクラシックアドマイヤムーンがデューティフリー、ユートピアゴドルフィンマイルを制している。

<デューティフリー 日本馬23頭登録>ドバイデューティフリーには日本馬23頭が登録。ウオッカのほかにメイショウサムソンダイワスカーレットの名前もあるが、サムソンシーマクラシックスカーレットはワールドCに回るため、実績面からウオッカが選出されるのは確実。その他の有力どころは、ピンクカメオアドマイヤオーラコンゴウリキシオーなど。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/01/25/01.html

ウオッカがデューティフリー、サムソンシーマクラシック、そうしてダイワスカーレットワールドカップを勝てば最高です。

[]明日だけ

あさっては父の引っ越し先の抽選があり「来てくれ」と言われているので競馬はできず。だもんで参戦機会は明日だけ。2008年になって毎週○万円ずつ利益を上げているのでそれが続くかどうか。

[]良い人は早く逝く

小宮さんのこと(和田)2008/01/25(16:08)

目の前に突きつけられた事柄が、あまりに予期しない衝撃的な事象だった場合、頭が真っ白になって言葉を失うというのは本当でした。どこかで覚悟というか、心の準備をしていたつもりでも、です。

今週号の週刊誌の推奨コラムで、高柳先輩と林TMが触れていたので気付かれた方もいらっしゃると思いますが、長年、我が社の名物トラックマンとして活躍した小宮均さんが、さる1月14日に永眠されました。60歳でした。

日本一顔の広いトラックマン”という異名を取った人で、その人脈の広さはとてつもなく、実際、訃報が入った直後から、同業者はもちろんのこと、競馬会の職員さんや、馬主さんなどから矢継ぎ早に問い合わせの電話が入ったほどでした。

在職中の05年11月に病に倒れ、約2年2カ月の闘病生活。その期間中も現場復帰の執念たるや凄まじく、入退院を繰り返しながらも、現実にレース後のインタビューに検量室へ、という時期もあったのです。

しかしその当時でも、知り合いの馬主さんに挨拶しようとして、相手の方が一瞬、小宮さんだと判別するのに苦しむ、というシーンに何度か居合わせました。そのくらい痩せこけた体でも、競馬場に姿を見せ、笑顔を見せ続けた人でした。

たまに、どうしてそこまでして、と感じることもあったのですが、検査のために再入院する際など、

「和田よ〜、競馬場に行けないのは寂しいな」

と口にしていました。その言葉が全てを物語っているのでしょう。

無論、私などが闘病の苦しみを理解することは到底できません。ただ絶対現場主義の自分としては、競馬場に行けない寂しい気持ちだけは理解できるだけに、言葉に詰まるばかりでした。

考えてみれば、私は小宮さんの後半生の20数年ほどの付き合いしかなく、したり顔で追悼の文章を書くにふさわしい人間ではないでしょう。だから、思い出話は私なりにいくらでもあるのですが、長々と書くのはやめておこうと思います。

ただ、病に倒れた後、2カ月に1度くらいの割合で携帯に連絡を頂き、経過を報告して貰ったり、こちらの近況を報告したり。今にして思えば最晩年に頻繁にやりとりをさせて貰ったことになります。それだけに記憶の中のイメージが濃厚なものですから、ショックが覚めやらぬ中、気持ちを奮い立たせて書き記すことにした次第です。

昨年の11月9日に、

「また築地に再入院だよ〜」

という電話を貰ったのが最後になりました。満足にお別れの挨拶ができなかったのが心残りです。

安らかにお眠り下さい。

あ、いや、そうだその時、

「もう一度、一緒にオート(レース)行けるといいな」

って言ってたじゃないですか。

約束を忘れちゃいけませんよ小宮さん……。(和田)

http://wwwblog.keibabook.co.jp/pagewada/2008/01/25.html#160837

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