Hatena::ブログ(Diary)

地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

2017-07-23

『謎のお雇い外国人ウォートルスを追って』

明治の前半に日本で活躍した外国人技術者は約2300名におよび、土木建築分野だけでも約150名が確認されるといわれます。
1982年に刊行された『明治東京計画』(藤森照信著)において「幕末の長崎に忽然と現われ、明治維新と交叉し、そして彗星のように一筋の光芒を引いて去っていった謎の建築家として知られている」とされた、銀座の生みの親ウォートルスの“謎”に迫ったのが、本年3月15日に発行された本書。

そもそも日本の近代都市計画に多大な貢献をしたばかりか、銀座という、日本を代表する、日本の文明開化のとっかかりをつくった重要な業績を残した人物が“謎”のままではたいへんマズイ状態。
本書は、ウォートルスがどこで生まれてどう育ったかという来日以前の来歴と、「彗星のように去っていった」あとどうしてしまったかという離日後の人生について長年研究してきた「銀座文化史学会」の成果です。
海外調査をはじめ数々の努力の結果、かなりのことがわかってきました。母国においても近年、ウォートルス研究が進んでいるようです。

よく行く銀座教文館で見つけました。銀座文化史学会編集・発行。研究成果の多くは、子供服の「ギンザのサエグサ」の三枝進氏によるもの。頭が下がります。

“謎”はかなり解明されましたが、なぜ彼はこのようなトータルな都市計画に能力を発揮できたのか?
その1つのヒントは、『明治東京計画』の藤森氏の解釈(同時代ライブラリー版p9)にありそうです。都市計画という、総合的な専門性と実践性。本書によってさらに、ウォートルスが母国で培ってきた空間像とそれを支える技術などについてイメージがふくらみます。本当はさらに、ウォートルスの考えを実行に移すための日本政府側の対応(力)などについても知りたいところ。

銀座は未来に向けて進化するのと同時に、過去に向けてもその理解が進化しています。

【関連記事】
・『銀座資本論 21世紀の幸福な「商売」とはなにか?』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150702/1435807577

【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-07-19

『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』

ブランコ・ミラノヴィッチ著(立木勝訳)、みすず書房2017.6.12刊。原著は2016年Harvard University Press。タイトルは「GLOBAL INEQUALITY」。副題は「A New Approach for the Age of Globalization」。実際の内容は訳のタイトルより原題と原副題が忠実で内容そのものを表します。というのも、著者が何度も強調しているように本書の意図は予測にありません。むしろ予測はできないのだと戒めています。また、「大不平等」という内容ではなく、まさに「GLOBAL INEQUALITY」。あえて合わせれば、「グローバルな視点でみる不平等の推移 国内の不平等と国の間の不平等」が本書の内容。7月16日の朝日新聞書評に本書が紹介され、さっそく手に取りました。

本書はピケティの『21世紀の資本』(⇒関連記事1)で扱われていないグローバルな諸国を取り込むことで、世界的な(実際にはアジアを中心とする)中間層の台頭(⇒関連記事2)を数字で示します。「ベルリンの壁崩壊後」におよそ相当する1988年から2008年(リーマンショック前)の所得の伸びに注目すると、超富裕層の一人勝ちではなく、こうした中間層と超富裕層が同程度の伸びになっていること、グローバルで80%の層(上位20%とその次の20%の境目)の所得はまったく伸びていないこと、それはいわゆる先進諸国の中間層に当たる人たちであることを、1本の曲線で示しています(p13)。右を向いた象が鼻を持ち上げている姿に形が似ているため「エレファントカーブ」と表現。本書を象徴する結論です。

けれども、このことはほぼこれまでの認識と一致しているため、本書の結論というより本書の出発点。特に、カーブの意味を過去にさかのぼって解釈することはでき、実際、本書では中世にまでさかのぼったデータも含むさまざまなデータを示して解釈していますが、未来に向かって延ばすことは危険です。とはいえ、「アフリカの国民所得がなぜまだ伸びてこないのか?」「アメリカではなぜこんなに較差がひろがっているのか?」「貧乏なある国に生まれたが故のハンディ(裕福な国に生まれたがゆえのメリットを本書では「市民権プレミアム」と呼ぶ。)を克服するための「移民」という手段はどれだけ正当化されるか?」などをグローバルな視点で考える1つの材料にはなりそうです。

[関連記事]
1.『21世紀の資本』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150104/1420340297
2.世界の中産階級
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170627/1498551901

2017-07-17

祇園祭と都市の姿(京都と都市イノベーション(その4))

曳山の先が電線に妨げられて、「おいおい、このマンションの前、ちゃんと持ち上げてないやん」と急ぐでもなく上空を見上げていると、木の長い棒が持ち込まれて、ヒョイよっと、3本の線を次々にくぐって前進。周囲からは暖かい拍手が。
3年前には、交通整理等のやりやすさから1回にまとめられてしまっていた山鉾巡行を48年ぶりに前後2回に復活。これが本来の姿。本来の姿というなら、前祭の巡行で通る御池通りは元は三条通りだったようで、その復活を望む声も。ただし、かつてはメイン通りだった三条通りはとても狭く、都市計画として開削されたのが御池通り。今では高層マンションが建ち並びます。
一昨年の道路断面のリ・デザインで歩道が広くなった四条通りの信号機は、巡行のじゃまにならないように折り畳み式。その四条通りも宵々山、宵山では歩行者天国となり、暮れゆく風景のなかに鉾が点々と浮かび上がる幻想的な雰囲気に。

大震災や富士山大噴火飢饉や疫病の流行が重なった貞観という時代に、悪霊を鎮めようと「御霊会(ごりょうえ)」としてはじまった祇園祭。
応仁の乱で中断されるも復活したその精神は、近代化による都市のさまざまな変化もはね除けて進化し続けるのでしょう。都市の変化が祭を変え、祭のありかたが都市のありかたをも変えていきます。

[関連記事]
京都と都市イノベーション(その3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170122/1485042921

2017-07-14

横浜居留地と都市イノベーション(その2)

横浜居留地改造及競馬場墓地等約書(1866(慶応2)年=第3回地所規則)」に先立つ「横浜居留地覚書(1864(元治元)年=第2回地所規則)」の第1条では「吉田新田への各国軍事訓練所、および競馬場の設置」が規定されました。「軍事訓練所」と「競馬場」が冒頭に並列で出てくるところに、居留民の「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり」の本音が出ていて興味深く思います。ただし、競馬は1860年に元町あたりで行われたのが日本初とされており、「地所規則」などに頼らずに、すぐにでも実施したかったのでしょう。1866年には幕府が根岸競馬場を建設。第3回地所規則第1条では、第2回地所規則の第1条を廃止して、「代わりに競馬場は根岸にすでに落成しているものを用いること」と規定されました。
(その1)のテニスと同様、運営組織はイギリス人を中心とした「横濱レースクラブ」。けれども山手公園の運営資金が問題となったように根岸競馬場の維持もたいへん。1888年からはじまった馬券の販売によりようやく安定した財源が確保されるようになったとのこと。当時、日本の刑法では禁止されていた賭博にあたるこの行為が、居留地が治外法権だったからこそ可能だったというのは皮肉というか歴史の奥深いところ。イギリスとの間で治外法権が撤廃されたのは1894年、居留地の解除は1899年7月17日のことでした。

現在も、山手のこの根岸競馬場一帯はさまざまな意味で横浜の都市計画の最先端にあります。ひとつは旧競馬場一等スタンドの扱い。訪れてみると、その巨大なスタンドの廃墟感というか歴史的重厚感のようなものに圧倒されます。既に整備された、アプローチの先に富士山が見える芝生広場も含めて、このスタンドを将来に向けて活かすことができれば新しい次元の都市の資源になりうることを予感します。第二は、すぐ近くにある接収地「根岸住宅地区」の今後。返還が合意されており、将来まちづくり計画も検討されています。現時点で行ってみると、立ち入り禁止のフェンスに横文字看板が各所に掲示され、日本とは思えない風景がひろがっています。「根岸住宅地区」は旧根岸競馬場につながっていて、両者を合わせるとかなり広大な面積。居留地プラス接収地の歴史が将来のヨコハマにつながっていくことを実感します。

【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-07-12

『CITIES IN CIVILIZATION』(その3) Book Three

「A Marriage of Art and Technology」と題されたこのパートでは、ハリウッドとメンフィスの2都市がとりあげられます。Book OneのArt、Book TwoのTechnologyが、20世紀前半のアメリカにおいて「結婚」し、新しい都市の大衆文化が花開いたとする内容です。
世界を大きく変えた24の汎用技術について以前、豊田佐吉をとりあげた際に紹介していますが(⇒関連記事1)、Book Twoでとりあげているのはおよそ11番目のSteam engine(マンチェスター)から22番目のInternet(シリコンバレー)までで、それらが特定の具体的な場所で、どのようにして花開いたかを詳述しています。そうした汎用技術が開発されるのに並行して、ハリウッドに映画産業が花開きます。ハリウッドを論じる第18章のタイトルは「The Dream Factory(1910-1945)」。ロスアンゼルス郊外のひなびた地に、ニューヨークの既存映画団体とは一線を画すヨーロッパ系移民らが流入。「スタジオ」を中核とする一種の工場大量生産方式によって映画を生産し系列の映画館をネットワークさせて、それまで一般人が目にするのが困難だったArt(映画)を大衆化。一方、メンフィスでは綿花栽培労働者としてのアフリカ系住民の音楽と、アパラチア山脈を越えてミシシッピデルタに流入した下層白人系住民の音楽とが融合してまったく新しい音楽を創造。これも、汎用技術のおかげでレコードラジオの音楽媒体がArt(音楽)を大衆化。
けれどもハリウッドは「スタジオ」を中心とする巨大システムが、テレビの登場などで維持できなくなり衰退。メンフィスピークも1948-56の短期間とされます。

ArtとTechnologyが Marriageした20世紀までを一通り描いたこれまでの20章では一貫して、なぜその時代、その都市・地域でそのような技芸が花開いたのか、なぜ別の時代・別の地域ではなくそこだったのかについて分析してきました。その際、ほぼすべての場合において、技芸の生産者と同時に消費者を描き、そこに必然的に生じる流通形態、生産と消費の(空間)を描いています。また、技芸が進化する過程で生じる無数のイノベーションやそれらが世界に与えるインパクトなども示唆します。さらに、「盛」だけでなく「衰」も同時に描くことで、人類史上、1回だけだったその特異性や革新性を浮き彫りにします。

これからBook Four「the establishment of the urban order」に入ります。最後の結にあたるBook Fiveでどのように締めくくられるのか。もうしばらくこの作品とつきあうことになりそうです。

[関連記事]
・『豊田佐吉とトヨタ源流の男たち』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120131/1327977869

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2017-07-04

横浜居留地と都市イノベーション(その1)

今年もウインブルドンテニス選手権がはじまりました。第131回です。
6月30日の記事『開港7都市の都市計画に関する研究』で、横浜居留地では「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり子弟の教育も重要になってくる」「外国人人口もこの頃5000人に達しており、ある意味、新しい外国人都市が1つできたようなもの」とした部分を、都市イノベーションworld的にフォローします。日本の都市の「西洋近代化」の発端のインパクトやイノベーションをいまいちどよく見てみたいと思います。

ウインブルドンテニス場の正式名は「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」。“センターコートに置いてあったローラーが老朽化したため新しくする資金集めを目的に”1877年7月9日から始まったのが現在の選手権とされます(Wikipedia)。そもそも現代的な形でのテニスが考案されたのが1873年12月、翌1874年からテニスが行われるようになったとされます。
では横浜居留地ではどうだったかというと、、、

一般の説明では以下のようになります。「第3回地所規則」といわれる「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書(1866(慶応2)年)」第10条に「山手地区を公開入札で外国人に貸与し、その手数料をその土地の改良費に用いること。山手に外国人のための公園を造営すること」とされたものの公園はなかなか造営されず、1869(明治2)年に居留民代表から再度要望が出されたため、日本政府は約書で約束した土地の代替として土地約6000坪を貸与した。居留民らは自分たちで公園を整備し、1870年に山手公園は開園したものの、公園の維持が困難となり借地料は滞納。日本側も外国側も打開策が見いだせず困惑していたところ、「レディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ」が150ドルまでの地代なら納められると申し出。そこで山手公園の一部をテニスコート化して公園運営は軌道に乗った、と。山手公園で日本ではじめてテニスが行われたのが1876年、クラブによるテニスコート開設が1878年。それが日本におけるテニス発祥ストーリーであると。

とはいえ「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり」的な感覚までさかのぼって考えると、もう少し味わいのある、日本にとっての都市の西洋近代化の意味を深く考える解釈にたどりつきます。『ヨコハマ公園物語』(田中祥夫著、中公新書1553、2000)は山手公園開設を生麦事件(1862)にまでさかのぼって説明。まだサムライが帯刀する旧時代に外国人が一緒に暮らすためには、「行楽」の街づくりを求める外国人対応がとても重要で、彼らにとってみればそれが普段の生活そのもの。1863年には既に第3回地所規則第10条の背景の1つにもなったと考えられる「山手行楽地プラン」がアメリカ公使プリュインから提案されていたとします。

ちなみに「レディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ」のメンバーは女性。1878年に日本初のテニスコートが開設されたので、1877年にはじまったウインブルドン大会には1年遅れです。ただし、ウインブルドン大会は当初男子シングルスのみ。女子シングルスがはじまったのは1884年とされます。

山手公園。やや奥まったところにあり見つけにくいですが、とても雰囲気のある素敵な場所です!

【In evolution】日本の都市と都市計画
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2017-07-01

『CITIES IN CIVILIZATION』(その2) Book Two

Book Oneでは、人類の歴史史上はじめて花開いた芸術(演劇や絵画、音楽など)が、なぜ「その時代のその都市」においてだったのかが深く追及され、意外な結論が導かれました。
Book Twoでは技術が取り上げられます。そのイノベーションは何故その地域でその時、起こったのか?
最初に産業立地論等の理論的成果が吟味され、どうやら“innovative milieu”という切り口が多くの理論に共通していそうだと結論づけ、Book Twoのタイトルはそれを反映しています。「milieu」は「環境」などと訳されますが、どちらかというと、一定の限られた空間の範囲の中にある、さまざまな資源や蓄積、気運などを指しており、イノベーションはそのような環境で(こそ)起こったのだ、ということが、世界史上の6事例につき詳細に分析されます。逆にいうと、何か突発的なものすごい発明がなされたというわけでない。

内容はまさに、マンチェスターグラスゴーベルリンデトロイトシリコンバレー京浜工業地帯、の6事例について、「一定の限られた空間の範囲の中に」「さまざまな資源や蓄積、気運など」が生成され、数えきれないほどの小さなイノベーションと、時々起こる画期的なイノベーションが積み重なって、世界史上1回だけの瞬間が生まれたそのさまを再現します。
“innovative milieu”には自律生成型とトップダウン型(あるいは政府介入型)の2タイプがありそう(前者は英米、後者は独日)との議論もなされますが、シリコンバレーも軍事技術との関係も深いなど、あまり明確な結論とはしていません。また、すでにその栄光が過去のものになっている4地域とは異なり、シリコンバレー京浜工業地帯は進行形。
ある意味、200年ほどしか扱っていないBook Twoのこのテーマからは、確定的な結論は導きにくかったのでしょう。けれども「都市イノベーションworld」的には“innovative milieu”というものの見方に魅力を感じます。何か普遍的な法則を見いだすよりも、6事例それぞれがおもしろく、かつ、例えば京浜工業地帯と他の5事例を比較するだけでも、いろいろな発見のある内容です。特に、欧米以外の京浜工業地帯を分析する第15章では、著者が、これまで知らなかった世界を驚きの目をもって切り込もうとするけれども、なかなか正体がつかみきれないでいる様子が感じられます。逆に、東芝などの企業分析はグローバルになされるのでギクリとさせられるなど、Book Twoに非西洋が1事例はいることで、この種の都市の文明論が将来、真の意味のグローバルなものに発展しそうでうれしく思います。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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2017-06-30

『開港7都市の都市計画に関する研究』(村田明久、1995)

横浜山手を研究している博士課程のSさんに、『開港7都市の都市計画に関する研究』という博士論文知ってる?と聞くと、数日後には机の上に置いてありました!
それはありがたいと読んでみると、日本の近代化、近代都市計画の最初の最初の段階を知るための、開港都市全体をとらえて基礎資料を整理した、たいへん貴重な内容でした。幕末から明治に至る日本の、植民地化は免れたものの不平等条約を結ばされ、ある意味列強からの強い圧力を受けて策定された(対応した)都市計画。その経緯や方法はさまざまでしたが、本論文によれば、7都市の全体像がつかめるので、それらの共通性とともに特異性や相違性などが明らかになり、例えば横浜居留地1つとっても、その真の特徴が浮き彫りになります。

横浜居留地は面積が突出して大きく(明治初期に35万坪、中期に40万坪を超える。それに次ぐ長崎が10万坪ほど、神戸が4万坪ほど。p119に図化されている)、居住地の数が群を抜いて多い(居留地が制度として解消される1899年直前の1897年の数字がp158にまとめられている。横浜の「居住地」は614件。長崎が47件で続く。ただし「雑居地」を足し合わせると神戸が162件(居留地14、雑居地148)で2番目となる)。ということは、ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり子弟の教育も重要になってくる。横浜居留地の学校の多さも大きな特徴です(10件。長崎3件、神戸3件(ただしうち2件は雑居地))。外国人人口(欧米+中国)もこの頃5000人に達しており、ある意味、新しい外国人都市が1つできたようなもの。新たな視点で横浜をみることができそうです。
さきほど「7都市の全体像がつかめるので、それらの共通性とともに特異性や相違性などが明らかになり」と書きましたが、そればかりでなく、7都市全部を合わせたときの、日本にとっての「開国」とはどういうことだったかを考える新たな手がかりを与えてくれた気がします。

【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-06-29

本年度も地域課題実習がキックオフ(7月5日)

横浜神奈川地域を主要なフィールドとして地域と連携しながら活動する「地域課題実習」。
そのキックオフ発表会が、7月5日(水)16:15−18:00の予定で開催されます。場所は横浜国立大学中央図書館メディアホール。これまでの最多となる18のプロジェクトの今年度の活動内容・計画が発表される予定です。

1 モビリティデザインの実践
2 かながわ里山探険隊
3 かながわニューツーリズム
4 都市の自然を楽しむライフスタイル
5 データで捉える地域課題・地域経済
6 現代世界の課題の探索と協力の実践 -ネパール支援プロジェクト
7 販売現場から学ぶ店舗経営
8 横浜で屋台まちづくりを考える-ハマヤタイプロジェクト*
9 New-New Townを考える -郊外まちづくりプロジェクト*
10 シェアハウスのデザイン -欲しいすまいを自分でつくる
11 まちに開いた交流の場デザイン -住宅地の価値をあげる
12 おおたクリエイティブタウン研究プロジェクト
13 市民活動を体験して考える協働型まちづくりプロジェクト**
14 みなとまちプロジェクト
15 ローカルなマテリアルのデザイン
16 人と農業を繋げる -アグリッジプロジェクト
17 ワダヨコ
18 和田べんプロジェクト

なお、8番と9番(*)は、【アーバニストスクール】プログラムにも位置づけられています。
13番(**)は、横浜内外の多くの大学やNPOが参画する「NPOインターンシップ事業」と連携しています。
http://intern.yokohama/index.html
本プログラムを媒介として大学と地域がさまざまな形で連携しています。地域課題実習を含む副専攻プログラム「地域交流科目」はさらに進化していきそうです。


★「地域交流科目」シラバス2017
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/hus/area/17946/26_17946_1_4_170403050027.pdf

☆地域実践教育研究センターHP
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp//

2017-06-27

世界の中産階級

近代都市計画、とりわけ「郊外化」の原動力となったのは、いわゆる“中産階級”の増加だったといわれています。少し前の記事「“太平洋の真珠”リマ再考」においても、そうした特徴のある市街地が形成されているのを確認しました。
最近、「格差拡大」や「中産階級の没落」が大きな話題・課題となっていますが、では、そもそも世界にどれほどの「中産階級」がいるのでしょうか。また、それぞれの国において、どのような形で「中産階級」が暮らしているのでしょうか。そうした階級の増加や減少はどのように都市計画(都市イノベーション)にかかわっているのでしょうか。

そんな有り難いデータは無いのではとあきらめていたところ、クレディスイスが出している「Global Wealth Report」の2015年版(⇒資料)にかなりの頁を割いて「世界の中産階級」を分析していたので、注目すべき点をいくつかあげてみます。
第一。2015年時点の国別中産階級人口は、中国が1億900万人でトップです。2位がアメリカで9200万人(ただし、富裕層を加えた「中産階級以上」で計算するとアメリカが1億2170万人でトップ、中国は1億1510万人で2位)。3位が日本で6200万人、イタリア2900万人、ドイツ2800万人、イギリス2800万人、フランス2400万人が続きます。そのあとがインドで2400万人。以下、多くの国が続き、計6億6400万人。大陸別ではアジアの3億300万人がトップ。これが1つ前の記事の空港の性格変化(⇒関連記事)に関係します。
第二。では、それぞれの国の中で中産階級が占める割合はいかほどか。中産階級率に加え、()内に「中産階級プラス富裕層率」を示します。さらに、{1−中産階級プラス富裕層率}の値を[ ]に示します。1位がオーストラリア66.1%(80.3%[19.7%])、2位がシンガポール62.3(78.3[21.7%])、以下、ベルギー62.1(74.4[25.6])、イタリア59.7(68.3[31.7])、日本59.5(68.6[31.4])、台湾59.4(74.6[25.4])、イギリス57.4(69.6[30.4])。アメリカはというと27位で37.7%(50.0%[50.0%])。中国は36位で10.7%(11.3%[88.7%])、インドは46位で3.0%(3.2%[96.8%])です(表には46か国しか書かれていない)。

年次別変化などをみるともっと多くのことがわかりそうですが、わずかこれだけの数字からも、いろいろな重要な点が示唆されます。
「都市は中産階級が動かす」と考えると、新興国における所得の増加や都市需要のすさまじさを実感します。たとえばインドの中産階級人口は2015年で2400万人とイタリアドイツイギリスフランス並みとなったものの国内人口の3%にすぎず、今後人口が15億ほどで世界一となったとき、例えば中産階級が10%になるとすると、1億5000万人。現在は47位以下になっている多くの国にも中産階級が育ち、そうしたニーズに応える都市が必要になってくる。資源もたくさん必要そうです。
「格差」からみると、アメリカの状態は中間が薄く富裕層が相対的に厚い形。このパターンは(意外にも)スウェーデンデンマークに似ています。「一億総中流」といわれてきた日本はまだそれなりに中間層が厚い状態です。

今、『世界の中産階級(The Global Middle Classes)』という本を読んでいます。縮減に向かう都市もあれば爆発的に成長に向かう都市もあるなかで、「中産階級」「中産階級化」「中産階級からの転落」などを量・質の両面からみることで、これからの都市のグローバルな課題の切り口の1つが見えてくるものと期待して。

[資料]
・「Global Wealth Report 2015」
(下記URLに入り、下方の年表から「2015」を選ぶと表示される)
https://www.credit-suisse.com/us/en/about-us/research/research-institute/global-wealth-report.html
(この2015レポートの日本語解説)
https://www.credit-suisse.com/media/production/ai/docs/jp/aboutus/pdf/2015/pr-global-wealth-report-11162015.pdf

[関連記事]
・『Airport Urbanism』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170622/1498097738

[関連ありそうな記事]
・『21世紀の資本』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150104/1420340297
ドバイ開墾(10) : ドバイゼーション
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150911/1441933265
アジスアベバ開墾(5) : 中産階級化の兆候〜21世紀後半に向けて
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170107/1483746707

【In evolution】イノベーションの源泉
本記事を上記リスト(人的資本とイノベーション)に追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885

2017-06-22

『Airport Urbanism』

大学院で開講している『都市マネジメント』では、これからの都市や都市生活を考えるうえで重要な「自動車」「鉄道(駅と街)」「空港」「ホテル」「コンビニ」「ネット商店街」などを、事業者の立場からお話しいただいています。どの分野も技術革新や経営戦略展開がめざましく、毎回、「これからの都市はどうなっていくのか?」と刺激を受けます。新たな都市イノベーションのきっかけになればと思うところです。
今年は「空港」関係が入れられなかったと残念に思っていたとき(空港から都市イノベーションを語るのは実際難しいと思う。にもかかわらず過去の講義では新鮮かつ先端的なお話しをしていただいている)、目にしたのが本書。
Max Hirsh著、University of Minesota Press刊、2016。副題は「Infrastructure and Mobility in Asia」。

空港ものは過去にさまざまな書が出ていますが、本書はアジアにおける空港と都市の関係を論じた最新の書。正確にいうと、中産階級が成長し国境越えの労働移動も頻繁になったアジア都市という先端的動向が空港に与える影響と、そうした文脈でのこれからの都市計画のあり方を論じています。取り上げられるのは香港国際空港香港香港国際空港珠江デルタ都市をはじめ、クアラルンプル、バンコクシンガポールと各々の空港。たとえばもうすぐ開業するチャンギ国際空港(シンガポール)のT4ターミナルがどのように新しいか、新空港を開業した際に閉鎖されたドムアン空港(バンコク)がなぜ再開することになったか、などを蟻の目視点で語ることで、「国際ビジネスマンが使う先端的国際空港」とは大きく異なる現代空港需要や、それを前提としたときの、あるいはこの傾向がさらに進化して20年経った後の、都市と空港の関係や、アジアや世界の都市生活を予兆します。

[空港関連記事]
◆海外
アジスアベバ開墾(5) : 中産階級化の兆候〜21世紀後半に向けて
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170107/1483746707
ドバイ開墾(8) : ドバイ/アブダビ大都市圏
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150909/1441754845
ロンドンの新空港(滑走路)候補地をめぐる話題
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140106/1388995830
ウランバートル
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120717/1342514398
◆国内
・検証・2050日本復活(1)高速化
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160901/1472703122
バスタ新宿
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160601/1464747821
・「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について(案)」が本日から1週間のパブコメ
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160408/1460091890
羽田空港ー海老取川ー日本橋船着場
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150627/1435404017

2017-06-19

1500年の日本の都市人口

「1500年の都市人口」(⇒関連記事1)の日本編です。
応仁の乱で荒れ果て」ていた京都。しかし都市イノベーションworld的に重要なのは、荒れ果ててしまった京都のほうではなく、そのような古いやりかたでは世の中をマネジメントすることができず、商品経済や地方文化が台頭し各地に「都市」が発達して、新しいシステムが軌道に乗りはじめるまでに数々のイノベーションが産み出された点にありそうです。
「1500年の日本の都市人口」とは、まさにその時代の転換点。前回と同様に、ターシャス・チャンドラーによる推定値を、大きい順に並べてみます。

40000 京都(荒れ果てていたが最大)
35000 山口、天王寺、千代(仙台。35000〜36000)
30000 博多、堺、山田(伊勢神宮がある)
28000 柏崎
25000 鹿児島安濃津(三重県津市)、本願寺(大坂。25000〜26000)

原田伴彦(1942)の「室町時代の主要都市人口」というのもWikipediaには出ていて、京都が100000と推定されているなど、いくらか異なりますがここではその差は扱いません。
また、チャンドラーの推定で「天王寺」と「大坂」を今の感覚の大阪と考えてくっつけると60000超となり、京都の首位が危うくなります。けれどもむしろ、近畿圏として堺や山田、安濃津を加えて、京都-本願寺・天王寺-堺-山田-安濃津あたりに日本の中心があり、その他パラパラと地方都市が特に港湾都市としてまあまあ育ってはいた(山口だけが例外)、ととらえた方がよいかもしれません。原田伴彦の推定に出てくる都市をあげると、直江津(30000,1570年代)が目立ちますが、あとは20000人以下の小さな港町や門前町など。いわゆる城下町はまだ未発達の時代。
このあとどうやって城下町(など)の形で都市が進化してくるか。『信長の城』(⇒関連記事2)や『城下町』(関連記事3)は、そのような成果を実証的成果も踏まえて理論的に論じたものですが、むしろ、司馬遼太郎の『箱根の坂』(駿府小田原等。応仁の乱以降1477から1519頃まで)や『国盗り物語』(前半は特に岐阜。1520年代から1550年くらいまで)、現在低視聴率NHK大河ドラマ『女城主直虎』(だいたい1550年以降。駿府や気賀などの街が出てくる。商品経済の発達のさまが、おもしろおかしく描かれている)などによって、あの時代の、最終的に「城下町」が都市計画されてできてくる進化過程がリアルにあぶり出されます!

[関連記事]
1.「1500年の都市人口」
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170502/1493734131
2.『信長の城』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130129/1359426558
3.『城下町
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130409/1365473723

【In evolution】日本の都市と都市計画
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2017-06-02

産業革命都市マンチェスター

マンチェスター」と聞いて、何を連想するでしょうか?
先日のテロ事件? マンチェスター・ユナイテッド? (歌)マンチェスター&リバプール?
よく考えてみると、これらは相互に強く関連しているようにみえるのですが、脇道にそれそうなのでそこにはいかず、昨日の『CITIES IN CIVILIZATION』Book Oneの中で、続くBook Twoでとりあげられる最初の都市がマンチェスターになることを紹介したことを受けて、「産業革命都市マンチェスター」について、「都市イノベーションworld」的視点で少し紹介します。(Book Twoについては読み終わったあとで)

一言でいうと、マンチェスター産業革命のおおもととなった、都市そのものが工場であり倉庫であり物流拠点であり(出入口の港はリバプール)労働者住宅街であるイノベーション都市です。普通、「都市でした。」と過去形にするのですが、ある意味、今でも都市のストックそのものが当時のまま残り、「都市です。」と言ってもよいと感じられるような、他にはない、ある意味世界にとってとても貴重な都市だと思います。
ウォーラーステインの『近代世界システム(2011年版)』を紹介した2017.5.13の記事で、「世界の各地が次々に「世界経済」に取り込まれ、その巨大な地球規模の「世界経済」の中で特定の役割を担う(担わせられる)ようになるプロセスが描かれていきます。」と書きましたが、その、取り込んだ側の都市の代表例・象徴例がマンチェスターという都市だととらえて、毎年、そのようなマンチェスターの姿を教養科目「都市と建築」の中で話しています。

例えば、1830年、世界初の鉄道「リバプールマンチェスター鉄道」が走ったのはここマンチェスターでした。と書くと予めちゃんとした機関車があったかのような書き方になりますが、実は、ちゃんとした蒸気機関車になるためにはその前史があり、失敗に終わった、あるいは事業化までには至らなかった数々の途中経過や、そもそも「機関車」のもととなった「機関」がどのように発明されてきたかの前史の前史があり、、、といったことが、ここマンチェスターに来ると手に取るように理解できます。理解できるのは鉄道だけではありません。駅舎も、工場も、倉庫も、運河も、労働者住宅街も、皆そうです。
そうした都市全体が徐々にコンバージョンされて、それぞれの要素がどのように現代に受け継がれているか。それを見るだけでも、「産業革命」という人類の歴史を、決して過去のものではなく、現在にも受け継がれる遺産として体験できるはずです。

【In evolution】世界の都市と都市計画
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2017-06-01

『CITIES IN CIVILIZATION』(その1)Book One

都市と都市計画に関する文明論。Peter Hall著。1998刊の図書を2001年発行のペーパーバック版で読んでいます。「Book One」から「Book Five」にわたる大著です。
「Book One」の「The City as Cultural Crucible(るつぼ)」に続き、以下、「The City as Innovative Milieu」「The Marriage of Art and Technology」「The Establishment of the Urban Order」「The Union of Art, Technology, and Organization」と、都市文明にまつわる個別視点が次第に組み合わさるように議論されていく構成です。

今回の(その1)ではBook Oneについて。
都市の文明をざーっとみると、特定の文化が、ある時代に燦然と特定の都市で花開いたことが見て取れる。なぜか、それはある特定の時代の、特定の都市だけに起こった出来事である。それはどのような出来事だったのか、なぜその都市であって別の都市ではないのか?

Book Oneでは、そのような出来事が最初に起こったアテネからはじまり、フローレンス(ルネッサンス)、ロンドン(演劇)、ウィーン(音楽)、パリ(絵画)、ベルリン(劇場とシネマ)をとりあげて、それはどのようなものだったかを、それぞれについて執拗に分析。さらに、なぜその都市だったのか、それはどのようにして成立したのか、なぜ別の都市、別の時代ではなく、その時代・その都市だったのかを考察していきます。そしてBook Oneの最後において、6つの都市の出来事に共通する、都市文明について考えるうえでの重要な見方について結論を提示します。実際に読んでみると、それぞれの都市における出来事の分析はきわめて具体的かつ執拗で、何度も「こんな長いストーリーを読んでいて、都市計画に関係するのだろうか?」と不安になりましたが、(Book Oneの)最後まできて、これまで認識していなかった、こうした分析を経なければ到達できないであろう場所まで到達していることに驚きました。以下、超要約すると、、、
「特定の文化が特定の時代に特定の都市で花開いたのは、たいていの場合、経済的・社会的な大転換が起こっている只中にある。そこでは、新しいモードが生まれつつある。それが起こる都市は、その時代のいわば中心的な都市である。アテネもフローレンスも、ロンドンウィーンも、パリもベルリンもそうだった。そこには富が集中し、文化を保護したり消費するブルジョアが成長している。そうした都市には国内外から才能をもった人々、特に若者が集まってくる。そういう意味でその都市はコスモポリタン都市なのだ。こうした新参者は、それまでの古い体制には馴染めず、力を発揮する場がなく、当初は貧乏生活を余儀なくされるかわりに、次の時代を切り開くために全エネルギーを集中する。そのなかから一種の革命的な成果があらわれる。それを後押しするのは、保護者・消費者としてのブルジョア、文化を流通させるシカケや資本の蓄積、その文化を大衆的なレベルにまでに押し上げる批評家やメディアであり、なぜそのようなことが可能かというと、それが起こる直前にはその都市には富が集中していたからであり、ますます集中していったからである。けれどもそのような状態はそう長くは続かず、次の時代へとはいっていく。」

Book Twoは、経済・産業面からイノベーションの場としての都市が分析されます。マンチェスターグラスゴーベルリンデトロイトサンフランシスコ周辺、東京-神奈川地域との目次立て。楽しみです。

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2017-05-24

“太平洋の真珠”リマ再考

かつて“太平洋の真珠”“庭園の都市”と言われていたらしいリマ。
スペインが当初、メキシコシティとともに「副王」を置いたリマの印象が、訪れてみるととても良く、なぜそのように感じたかについて、印象の良かった5つの要素〜いずれもオープンスペースのつくり方にかかわる〜をもとに考えてみます。

第一。エクスポジシオン公園(パルケ)。ガイドブックには、国内随一のリマ美術館がこの公園にある、との順番で紹介されているものと思われます。この公園はその名が示すように、国際博覧会が1872年にペルーではじめて開催された場所です。その公園の美しさというかみずみずしさ、とりわけリマ美術館側からみたその雰囲気は、これまでに見たどの公園とも違っていました。現在のリマ美術館も、それまでさまざまな用途に活用されていたものを(設計はイタリアの建築家)、リマ市が1961年に美術館として再生したものです。美術館そのものもとても居心地の良い場所です。
以前あげた文献(⇒関連記事)によれば、リマ美術館の北側を通るグラウ通りはエクスポジシオン公園を横切って二分したとなっています。そのグラウ通りは現在ものすごい交通量ですが、地下にはBRT(メトロポリターノ)のターミナル駅があり、地上部もバスターミナル的機能を果たす、いわば副都心にあたる場所。その喧騒をリマ美術館が遮るように建っているため、エクスポジシオン公園が結果的に冴えた感じにみえるのではと思います。維持管理への力の入れようから、この場所への強い思いが伝わってきます。
第二。サン・イシドロ地区のエル・オリーバル公園。近代都市計画で計画されたと思われる近隣の中に線状に整備された憩いの場。うまく周囲に溶け込み防災広場にもなっているその姿は、なかなか日本では見られません。1街区分西側には、人気レストランなどがあるとされるコンキスタドーレス通りが南北に通っているので、その微妙な距離関係により、他にはみられない、この場所らしい用途の立地を促しているようにみえます。
第三。バランコ中心部のコモンズ風公園(バランコ公園)。古き良き郊外の別荘街的な街の中心にある、落ち着きと品格が感じられる小公園で、公共施設等に囲まれた、今でも皆に親しまれている素敵な場所。このような場所は管理が難しく、また、車との共存も難しく、なかなか見られない。車との共存については、次の第四のような工夫がされた形跡があります(ロータリーだった場所の車道の一部をつぶして歩行者環境を良くしている)。大景観をなす太平洋へとすぐにつながるこのような場所が都心からすぐのところにあるのは、リマにとって貴重な財産だと思います。
第四。サン・イシドロ地区でかなり行われている街路空間のリ・デザイン。そのうちパセオ・パロディ通りは、交差する街路の処理も含めてよくできた公園街路。「パセオ」として道路開設時に設計されたのか、後にリ・デザインされたのか不明ですが、かなり良くできた気持ちのいい空間です。補助幹線の交差部の花壇風広場や、車への対応のための街路断面の再構成など、印象としては、町じゅうのあらゆる箇所でできることをすべてやり「住みたい街」にしようとする一貫した方針があるように感じます。かなり気になる取り組みです。
第五。サンマルティン広場。これまでの4つと比べると最もセントロ寄りの美しいヨーロッパ風スクェア(プラサ)。とはいえ旧セントロではなく、19世紀に城壁を取り払ったあとしばらくして計画された幹線道路整備(ニコラス・デ・ピエロダ通り)の際に計画されたと思われる公共空間。第一のエクスポジシオン公園の起こりもそのような時期の都市計画の成果と思われます。

なぜリマの都市計画に惹き付けられたのか。「都市イノベーションworld」的視点で仮説や推論を交えて整理すると、1)「パルケ(公園)」「アベニーダ(通り)」「パセオ(公園通り)」「プラサ(プラザ)」等の空間計画要素が近代都市計画に取り入れられ、インディアス法によるセントロの都市計画のエリアが拡張される際に、それとは異なる(イノベイティブな)都市計画がおこなわれた(両者の関係、(不)連続性も気になるところ)。2)その過程でスペイン風の要素にフランスイタリア等の要素が取り入れられ、さらにアメリカ都市計画が入る(事業会社もその1つ)。3)そのなかで常にペルー独自の都市が模索された。4)独自の気候・風土・都市住民・計画文化により、独特な魅力をもつ都市が形成され、そうした空間の維持管理、リ・デザインも含めて、リマらしい取り組みがなされている。

[関連記事]
・『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161026/1477460946

[参考文献]
・中岡義介(1978)「南米都市リマにおける戸外空間とその変容について」『日本都市計画学会学術研究発表会論文集第13号』pp.319-324

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2017-05-18

『古代文明の基層 古代文明から持続的な都市社会を考える』

第1章インダス文明、第2章テオティワカン、第3章ヴェネツィアからなる小冊子。東京大学出版会2015.6.30発売(発行は大学出版部協会)。副題が本書の意図を示しています。
解説などはなく、3つの章が束ねられている形のため、以下には「都市イノベーションworld」的観点で興味深かった点を並べるにとどめます。

第一。古代都市そのもの、さらには古代から今日に至るつながりについては、まだほとんどわかっていない。正確にいうと、わかろうとしたのはつい最近のことで、まだ仮説がいくらか(場合によっては多すぎるくらい)出されている段階です。
第二。インダス文明の代表都市と考えられるモヘンジョダロについては、中央集権的文明ではなく、ネットワーク型の都市ではないかとの仮説が提示されています。運搬に使われた船は「メソポタミア、ペルシャ湾岸、イランオマーンからやってきました」(p23-24)とされます。中央集権的でないとすると、誰がどのような意図でモヘンジョダロを都市計画したのか。以前とりあげた『メソポタミアとインダスのあいだ』では、「都市というものに精通し、それまで都市というものを見たこともないスィンド地方の人々に、完成度の高い都市の設計図を提示することができたのは、イランの都市住民であった可能性が最も高い。熟考された都市計画による、整然たる都市モヘンジョ・ダロの建設は、熟練の都市設計者の指導の下でおこなわれたことは明らか」とされていますが、これも仮説。とはいえ、両者は、モヘンジョダロが「ネットワーク型の都市」だったとする点では一致しています。この先の成果が期待されます。
第三。テオティワカンについては、「紀元前後から紀元後500年代ぐらいまで榮え」(p28)たとされ、1200年頃に、廃墟となっていたそれをアステカ人が発見し、後々まで崇拝の対象としたため、コルテスがやってきて1521年にテノチティトランを破壊したときも生き延び(廃墟の状態だったため、破壊する必要がなかったからと思われる。)現在に至っているようです。考古学的成果のうえに描かれたテオティワカン全図(p30)には迫力もあり、この都市が「英知の集積としての都市」(第2章副題)とするその内容にも興味を引かれるところですが、(現役の)テノチティトランを破壊してそのあとにカトリック大聖堂を建てたとされるコルテスの気持ち(役割/野望)を理解しようとすると、遭遇した30万都市テノチティトランの大神殿の迫力のほうがはるかに真に迫り、その時点において、テオティワカンも含め営々と築いてきた中米の古代文明の進化が形のうえで最期の時を迎えたのだと改めて感じます。先日、そのカトリック大聖堂を訪れたとき、ミサの最中でした。そのあと大聖堂の隣にあるテノチティトランの発掘現場(テンプロ・マヨール)をうろうろしていると正午近くになり、その大聖堂の鐘がかなりの時間をかけて鳴り響くのでした。
第四。ヴェネツィアを扱った第3章の副題「交易都市から文化都市へ」との視点でとらえた内容は新鮮でした。ベネチアの覇権が衰えたあと「分散的な都市から統合的な都市へとシフト」(p60)し空間的にも都市が刷新されていく様子が示されています。『古代文明の基層』との観点からは、古代ローマとのつながりに関する近年の考古学的成果が少し書かれていました。

[関連記事]
・『メソポタミアとインダスのあいだ』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160108/1452225986
・『十二世紀ルネサンス
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160110/1452394891
・『ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151213/1450009146

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2017-05-13

『近代世界システム(2011年版)』と都市・都市計画

ウォーラーステインの同書(1974〜)が改訂されて、2013年に訳書が出ました。名古屋大学出版会
正確にいうと、1974年から始まったこの著者の刊行は4巻まで出て終わる予定だったものが、「おそらく第七巻にまで及ぶかもしれない計画も立てている」(2011年版への序)、とされている未完の書です。ウォーラーステインは1930年生まれのため2011年で81歳。おそるべき巨人です。
なかでも近代世界の出発点を16世紀にまでさかのぼり、大航海により新大陸が「発見」され「世界経済」として地球規模でのシステムが立ち上がり進化しはじめたとするグローバルヒストリーをうちたてたことは、(やや話は違いますが)プレートテクトニクスにより地震のメカニズムを説明しようとした1960年代のパラダイムシフトに似た出来事のようではなかったかと想像します。

ここでは、第一巻が近代都市を考える際にもそのスタートとして重要と考え、1つ前の1500年を扱った記事、2つ前の「1492年」に接続するあたりの話を中心にします。

1521年、テノチティトランが陥落。そのアステカの中心都市を破壊して、まさにその上にメキシコシティを建設。1533年、インカの中心都市クスコ占領につづき、そこを破壊してスペイン都市計画によりクスコ建設。利便のため海岸近くに1535年、リマ建設に着手。
しばらくの間、これらメキシコペルーに「副王」を置き中南米を経営。その間、1536年アスンシオン、1538年ボゴタ、1541年サンチアゴ、1580年ブエノスアイレス(最初の建設は1536年だが1541年放棄)を建設。その他の都市も必要に応じて都市計画がなされ、それら都市計画は1580年「インディアス法」第四編として体系化されます。
これら諸都市は各地域経営の拠点となり、「資本主義的企業体に転化した」(第一巻、p95)エンコミエンダにより鉱山開発、プランテーションを展開。
こうして南北アメリカは「世界経済」システムの一部となりヨーロッパに一体化していきます。
ウォーラステインの議論はこのあと第二巻、第三巻と続き、世界の各地が次々に「世界経済」に取り込まれ、その巨大な地球規模の「世界経済」の中で特定の役割を担う(担わせられる)ようになるプロセスが描かれていきます。「周辺」に位置づけられてしまった地域には厳しい現実が待っている。しかしシステムの中心となるべき「中核」争いもたいへんなもので、「中核」でいられる時間はそう長くはありません。

あくまで近代を「世界経済」の視点で描いたもの、という制約はありますが、このような視点で都市をみると、近代世界システムの一部をどのように担ったかの歴史が年輪のように見え隠れするはずです。

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2017-05-11

リポジトリーのシステムが刷新され、「地域実践教育研究センター」成果に「8-4-61」の分類番号がふられました

一昨日、新しくなったリポジトリシステムに「地域実践教育研究センター」の2016年度成果がアップされました。
リポジトリ自身がこの4月に刷新されたばかりで、たいへん検索しやすくなっています。
たとえば、「地域実践教育研究センター」にはじめて「8-4-61」という分類番号ができ、今後、いろいろな成果物がアップされていくものと思われます。

一昨日アップされたコンテンツは以下のものです。
◇「8-4-61」に入る
https://ynu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=786&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&page_id=13&block_id=21
※階層の根元にある「Root」からはじめると検索しやすいです。

2017-05-02

1500年の都市人口

コロンブス新大陸を「発見」した頃の世界の都市人口をみることで、近代化がはじまる前の世界の勢力分布のようなものをとらえます。

1500年当時の推定(ターシャス・チャンドラーによる)によれば、北京が672000人と最大でした。この頃の京都応仁の乱で荒れ果て40000人(106位)にすぎません。第2位がヴィジャヤナガル(南インド)500000、3位がカイロ400000です。
2位のヴィジャヤナガルは沿岸部にマンガロールやカリカット等多数の港をもつ南インドの中心都市。
このあとチャンドラーの推定では、杭州250000人、タブリーズ(イラン)250000人、イスタンブール200000人、ガウル(インド西ベンガル)200000人が続きます。
このあとようやくパリの185000人が出てきます。イタリア都市もそのあとちらほら。当時、ロンドンはまだ数万人にすぎなかったようです。

まだ人口面でみればアジア中心で、ヨーロッパではようやくレコンキスタが終結。さて、ということで「発見」した新大陸に、コルテスを待っていたのは人口30万人を擁するテノチティトランでした。チャンドラーのリストには入っていないので、1500年時点での世界第4位はアステカの中心都市テノチティトランとします。
さらにピサロが向かったインカの中心都市クスコは人口20万人を擁していたといわれるので、(かなりおおざっぱですが)それは185000人のパリより大きかったとします。これもチャンドラーのリストには入っていません。
そうすると5位が同数で杭州タブリーズ、7位が同数でクスコイスタンブールとガウル。このあと10位がパリ。

大航海時代で幕が明ける近代化によってこのあと関係は逆転。

しかし1500年から500年後の現在、都市人口を指標とするなら、関係は再度逆転しつつあります。地球上の人口そのものの増大を伴いつつ。

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2017-04-21

1492年 : レコンキスタと大陸発見

イブンバトゥータがサハラ越えの旅に出た1351年から141年後の1492年1月2日、グラナダが陥落し、レコンキスタはここに終結したとされます。この「1492年」はまさにコロンブスがアメリカ大陸を「発見」した年。コロンブスは1492年8月3日に、ジブラルタル海峡の北西200キロほどのところにあるパロス港を出港。ついに10月11日に陸地を発見したとされます。
世界の歴史を変えたこの「1492年」という年の意義と意味を、「都市イノベーションworld」的興味でもう少し突っ込んでみます。

第一。ジェノバの船乗りだったコロンブス大航海への援助を働きかけたのは1484年末頃とされ、それはポルトガル王に対してでした。しかし王は興味を示さず断念。結果的に1486年、スペイン王に話が通じ、さらに待つこと6年。グラナダ陥落により財政的負担が緩和されたこともあり、コロンブスの計画は十分折り合いがつけられると判断した財務長官が女王を説得する形で計画が認められたとされます。
第二。ポルトガルはその後もあくまで従来型の「東回り」にこだわったのでした。それであればベネチアの商人マルコポーロ等によってもたらされた情報や経験にもとづき、陸伝いどんどん先まで行くことが可能と判断したのでしょう。実際、1513年にはマカオまで到達。その後、1543年には種子島に鉄砲がもたらされています。「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」などということを誰が信じるでしょうか。けれどもスペインは、「西回り」で必ず陸地の東端に着くはずだと主張するジェノバの船乗りと組み、リスクとリターンを天秤にかけ、賭けに出たといえそうです。もしかすると「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」との科学的思考に馴染めるほどの革新的思考回路を受け入れる土壌ができつつあったのかもしれません。
第三。その結果、アメリカ大陸の大半はスペインの手に。ポルトガルは出遅れて、1500年にブラジルを発見。2つの条約により、地球は2分割されています(最初のトルデシリャス条約(1494)では南米大陸だけに線を引いたため、これでは地球を分割したことにならないと後で気づき、サラゴサ条約(1529)によりもう1本線を引いたと解説されている)。線を見たままに説明すると、ブラジルから「東回り」でアフリカアジアを通り日本付近までがポルトガルの勢力範囲。その日本付近から太平洋をまたいで南米ブラジルの手前までがスペインの勢力範囲。これまで気づかなかったのですが、この線によると、種子島を含む日本列島の大半はポルトガル側、北海道の東半分がスペイン側です。なんと乱暴なことでしょう。けれどもその500年前の乱暴な出来事が、レコンキスタの終結による住み分けも含めて、そのままその後の世界の歴史となるのでした。

最後に。これが最も重要な点と思われる第四の点。レコンキスタに伴う都市計画から、新大陸におけるインディアス法による都市計画への連続性です。横山和加子の研究(⇒参考文献)によると、レコンキスタにより「異教徒から奪取した土地には、王権が国境防衛のための辺境都市を建設させた。国王はそれらの都市に対し司法権、市民の代表による自由な市政、市の共有地の所有とそこから市民への宅地・農地配分の権利、時に貢租やその他の税の免除、亡命者の保護権や市民の前科・法的追訴の取消、封建貴族や教会権力からの保護などの様々な権利を与えて、それらの都市の保護育成に努めた」とされます。しかしレコンキスタが終息局面に向かうとともに中央集権化を図る国王によってさまざまな権利が剥奪されます。それを踏まえて横山氏は自身の既往論文に拠りつつ、「新大陸に渡ったスペイン人達が、自弁の武力によって征服した土地に都市を建設し、国王から付与される数々の特権に護られて自律的・自治的市政を享受する都市貴族となるという、カスティリア都市の伝統を夢に描いていたことは想像にかたくない」としています。

(参考文献)
横山和加子(2005)「インディアス法にみるスペイン系植民都市の建設」(『植民都市の研究』JCAS連携研究成果報告8)

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2017-04-20

『イブン・バットゥータと境域への旅』

香港経由のアジスアベバ便は、700年前にイブンバトゥータが通った海の道の上空を一直線に飛びます。

700年前、この海の道を伝った中国とイスラムの交易がさかんになり、ヨーロッパアジアがゆるやかにつながります。バトゥータは港市に停泊中のさまざまな船に何が積まれどこに行くのか、荷主は誰で船員はどこのひとたちかを観察するばかりでなく、実際に乗せてもらい、次の国を訪れていきます。
その少し前、モンゴルが巨大な帝国を築いてやはりアジアヨーロッパを自由に往来できるルートがひらけたため、イブンバトゥータは海の道と陸の道を使って25年の長旅に。
家島彦一著、名古屋大学出版会2017.2.20刊。副題は「『大旅行記』をめぐる新研究」。4月2日の読売新聞書評が出ていたのがきっかけです。

なぜイブンバトゥータの旅を「都市イノベーションworld」に加えるのか。

第一。そもそもこの頃のことがよくわかっていないこと。『ハンザ』(⇒関連記事)は組織的な分、ようやく体系的に理解が進んできた例ですが、こちらはイスラム世界の「境域」やその結節点の港市(都市)での13〜16世紀頃までの交流がどうなっていたかを理解しようとするもので、資料や考古学的成果は断片的でしかない。バトゥータの成果はそれをつなげて理解できる(きっかけになる)。
第二。「境域」への旅であること。「境域」は、ある時代の文明と文明の境目にあり、常にリスクにさらされる一方、それはチャンスにもつながる、ワクワクする驚異の世界のはず。実際、バトゥータの『大航海記』の正式名は、『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈物』というのだそうです。これは現代にも通じるはず。
第三。バトゥータが25年の東方への長旅を終え、旅そのものを終えようとした50代に、さらにサハラ越えの旅に出たその理由と意味。本書によれば、それは、「レコンキスタ」によりイベリア半島で劣勢に立たされていたイスラム勢力が、自ら(バトゥータは、ジブラルタル海峡をはさむアフリカ側のタンジール出身。)の足元を固めるためその背後にあるサハラ越えの地域との結びつきをしっかりしたものにしようとする、歴史的・政治的な意図のもとにバトゥータに課された命令だったのではないかと。さまざまなサハラ越えルート沿いの都市や地域での生活の様子がかなり詳細に描かれていることをその理由にしています。
第四。本書に盛り込まれた地図の詳細さ。その頃、どのような都市と都市がどうやって交易していたか。何を交換していたかが詳しく記されています。渡すものはこちらの産物。欲しいものはこちら側に不足しているもの。当時より、日用品のみならず金などの資源が強く求められています。これがやがて次の時代に「黄金の国」を求めて我先にと争う歴史のエンジンとなっていくのでした。

[関連記事]
・『ハンザ 12-17世紀』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170221/1487635910

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2017-04-19

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(3):ロンドン初のビジネス近隣計画レファレンダムがこの夏に予定されそうです。

ロンドンではこれまでに5つの近隣計画が運用を開始。6番目の「Highgate」のレファレンダムの日程も決まりました。
さらに7番目となりそうなのがCentral Ealing近隣計画。もうすぐレファレンダムの日取りが発表される予定です。この近隣計画はビジネス近隣計画のため、住民による投票と、ビジネスを営む主体による投票の2つの投票。
http://www.centralealingforum.com/
[2017.7.25追記:投票は10月12日(木曜)に設定されました。]

場所は「イーリング・ブロードウェイ」というロンドン西部のちょっとしたターミナル駅周辺エリア。ビジネス近隣計画第一号となった「セントラル・ミルトンキーンズ」が大規模ニュータウンのタウンセンターだったのと比較すると、ごく普通の地区中心的なエリアで、イーリングの区役所もあります。そうした場所でのビジネス近隣計画ということで注目しています。

[参考]
・Localism and Planning (イギリス最新都市計画統合ファイル)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131223/1387799666

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(2):区をまたぐHighgate近隣計画のレファレンダムが6月29日に予定されました。

成立すればロンドン第6号となるHighgate近隣計画のレファレンダムが予定されました。[2017.6.23追記:実施日は7月6日に変更された。]
http://www.highgateneighbourhoodforum.org.uk/plan/
この近隣計画はカムデン区とハリンゲー区にまたがる近隣であるHighgateの計画で、このようなタイプのものはロンドンで初。

Planning誌2017.3.24号(最終頁)にこのような「Cross-boundry」型の近隣計画が12事例出ていて、うち、既にレファレンダムを通過した「全国第一号」はFreshford & Limpley Stoke近隣計画であること、ロンドンのHighgateは2番目になることを解説。12事例のうち7例がロンドンであるのも特徴です。
たとえばウエストミンスター区のFitzroviaは隣のカムデン区にまたがっていたため、Westはウエストミンスター区の近隣計画として、Eastはカムデン区の近隣計画として分割された例もあることを考えると、「Cross-boundry」型の近隣計画はどのように運用するのだろうかと興味もわいてきます。(1)であげたサイトにはロンドンで進行中の107の近隣計画への取り組みリストがあり、その78番の「Crystal Palace & Upper Norwood」は5区にまたがっているとされます。
http://media.wix.com/ugd/95f6a3_6959f94874da4bdeb082ca6babad79dc.pdf

ところで、「Highgate」はハムステッドヒースに隣接する著名な住宅地でもあります。そのような場所での近隣計画への取り組みそのものも、とらえてみたいところです。

[2017.7.25追記:投票は予定通り行われ、本近隣計画は多数の「yes」により成立しました。]

ロンドンにおける近隣計画の最新動向(1):各区のマスタープランとの関係

近隣計画のレファレンダム通過件数が300件を超えました。100件から200件までに9か月、200件から300件までに9か月ということで、普及のスピードは衰えていません。(下記『Notes on Neighbourhood Planning』19号(2017.3発行)の最終頁参照)
https://www.gov.uk/government/publications/notes-on-neighbourhood-planning-edition-19

大都市ロンドンの進捗状況が芳しくないことについては何度か本ブログでも紹介しましたが(⇒関連記事)、ここにきて、その原因の一端に迫る客観的調査結果が公表されました。その仮説は、「近隣計画が普及しない原因は、それが公式の都市計画マスタープランの一部であることを上位計画できちんと説明していないからではないか?」というものです。(以下がその報告書pdf。サイトはhttp://www.neighbourhoodplanners.london/)
http://media.wix.com/ugd/95f6a3_6d2d4b5b624c44fd963fedcea470d28d.pdf

各区のマスタープランの定性的分析のため、例えば普及度合いと記述度合いの統計的分析のようなものではありませんが、1つの見方として興味深い結果が得られています。
まず、各区のマスタープランにおける近隣計画の位置づけを分析。マスタープランが近隣計画制度創設後に策定されたものか、その前の時代の古いマスタープランのままかによっても区別しています。位置づけがはっきりしている度合いにより4つに分類。
第一カテゴリーは、近隣計画をしっかり位置付けている区。クロイドン、ウエストミンスター、カムデン、サザク、タワーハムレットの5区が該当します。2017年末に採択予定のケンジントン&チェルシーも加えると6区に。
第二カテゴリーは、近隣計画をいくらかは位置付けている区。15(13区に加え2つの開発公社エリア)が該当。
第三カテゴリーは、ほとんど位置づけないか全くふれてもいない9区。以前、「近隣計画」ではない別種のまちづくりが進んでいるからではないか、などの仮説を検討しましたが、さらに分析するとおもしろいかもしれません。この報告書でも、リッチモンド区などで独自の「ビレッジプラン」等の取り組みがあると指摘しています。
第四カテゴリーは、区のマスタープランが旧制度の頃の古いものである5区。その改定作業を待たないと判定はできないとしています。

普及が遅い原因として他にも、ロンドンプランにも記述が無いこと、近隣計画の審査プロセスにおける技術基準が無く判断方法がばらばらであることなどを指摘。さらに、居住者組合やコミュニティグループなどに対しても、都市計画マスタープランの協議過程において積極的に近隣計画制度そのものをマスタープランに位置づけるように声をあげるべきと提言しています。

[関連記事]
・近隣計画を立てる気配の無い自治体はなぜそうなのか?
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160302/1456880824

2017-04-15

『平安京はいらなかった』×『坂東の成立』

古代東アジアに生まれ出てきた「日本」という国と、その内部構造ともいえる「都」−「坂東」という日本国土の2極体制の生成過程を同時に理解することを可能にする2冊の図書を取り上げます。
平安京はいらなかった』(桃崎有一郎著、吉川弘文館、2016.12.1刊。歴史文化ライブラリー438)と『坂東の成立』(川尻秋生著、吉川弘文館、2017.2.10刊。「古代の東国」第2巻)です。

オリンピックや「人口減少社会」などにからんで、東京への一極集中が話題にならない日はない昨今。朝のNHKドラマ「ひよっこ」でも、1つ前の東京オリンピック開催を控えた東京への1極集中を描いていますね。
では、東京(関東)と京都(京阪神)という2極体制による日本の国土というのは、いったいいつ頃から、どのようにしてできてきたのか。
これまでの自分の理解が、せいぜい「北面の武士」から平氏、源氏が育ち、やがて鎌倉幕府が開かれて、、、という意味で平安末期頃からととらえていたのに対して、『坂東の成立』を読むと、はるかそれ以前の、ある意味、大化の改新の頃から日本の「都」をしっかり定めようとしたその反作用として、軍事力供給地域としての「東国・坂東」が成立したのだということが、近年の考古学・歴史学の成果として示されていて、驚かされました。

一方、『平安京はいらなかった』は、中世の研究者からみて不必要に思える、たとえば平安京の広すぎる朱雀大路がなぜ、誰にとって必要だったかを読み解くなかで、対外勢力から身を守りつつ日本の中心が「ここ」であることをあえて示すための「劇場都市」として当初は設計され維持管理しようとしたとします。従って、300年続いた唐が907年に終焉して大陸からのプレッシャーが弱まると虚勢を張る必要もなくなり、「見せる」ための都は「住みやすい」実用的な都市へ作り替えられて、中世の「京都」へと移行したのだと。

「坂東」の地はいわば日本の“動かない都”を成立させ維持するためのバックアップのための地域として、あるときは東北方面を従えるための前線基地として(「征夷」)、あるときは大陸や半島からの脅威から身を守る前線基地への軍事力供給源として(「防人」)国づくりを支えたとするのが『坂東の成立』。それは、「征夷」が行われていた時期には「防人」への投入人数は薄く(対外防衛の必要性が低い時期)、坂東から「防人」に人員を割いていた時期には「征夷」は控えていたという実証研究により説得力を増しています。

このような理解は、「日本」の都市の成立、とりわけ京(阪神)と坂東・東京という国土構造のもとでの役割分担の発生・進化をとらえた新たな視点といえ、国内事情だけでなくアジア的古代世界の進化プロセスの中で再解釈することではじめて見えてきた新しいヒストリー(ストーリー)といえそうです。

【in evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-04-14

CILの話(その3) : この制度は有効に機能しているか?

開発から一定額を徴収して(levy)それを地域に再投資することで地域価値を高めようとするCIL(Community Infrastructure Levy)がうまく機能していないのではないか?
との問題意識から、この2月に政府から報告書が公表されました。これもPlanning誌2017.3.10号(p11)に出ている話題です。(⇒関連記事)

2017年2月に公表された「CIL REVIEW TEAM」による国の報告書(⇒資料1)では、「CILは有効に機能していない」として、制度そのものを改革することを勧告しています。2008年に創設されたこの制度の普及が鈍く、ある自治体ではやっているのに隣の自治体ではやっていないなどの弊害を指摘しつつも、開発に一律の負担を課すCILの方法自体は他の方法(特にセクション106と呼ばれる交渉を通じてケースバイケースで負担を課す方法)に比べてフェアーで透明性が高く評価できるとして、以下の3点を勧告しています。1)大規模敷地はセクション106で、それでカバーできない中小の開発はCILで対応する、2)CILの「L(levy)」は「T(tarrif)」と変更して徴収額はぐっと減額し薄く広くとれるようにする、3)大都市部では特定目的に限った戦略的な徴収方法(Mayoral CIL=市長CIL)がとれるようにする。

Planning誌2017.3.10号の記事では、ロンドンでは、Crossrail2(都心を地下で横切る鉄道)に目的を限定してロンドンが徴収しているMayoral CILは予想以上に効果が上がっていると指摘(⇒これも2月に公表されたもの。資料2)。一律に、薄く広く徴収する「わかりやすい」制度であることが功を奏していると解説します。おそらくこれは政府報告書の勧告3)にイメージされているものと思われます。

今後の議論の行方が注目されます。

[CIL関連記事]
・その1(制度紹介と、特に近隣計画との関係)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131007/1381153630 (2013.10.7記事)
・その2(制度運用上の課題と成果)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141028/1414490131 (2014.10.28記事)

[資料]
1.政府報告書(政府ページにリンク。一番上が報告書)
https://www.gov.uk/government/publications/community-infrastructure-levy-review-report-to-government
2.ロンドン報告書(直接pdfに)
https://www.london.gov.uk/sites/default/files/mcil_review_feb17.pdf

2017-04-11

ACVの話(その4) : 許可不要の用途変更をめぐる国会審議

ACV(Asset of Community Value)は、2011年ローカリズム法で創設された制度で、ローカルな価値をもつと地域住民らが考えるパブや歴史的資源等を登録すると(手続きは当該自治体が行う)、たとえば地域住民が愛用するパブがデベロッパーに買収されマンション開発されようとした際、一定期間をかせい資金調達パブを守ることができる可能性が高まる(はず)、といった趣旨のシクミです。既に登録数は全国で2000件ほどに達したようです。(⇒関連記事(その1)から(その3)へ)
その趣旨のとおりに地域資源を守るのは大変なのですが、より根本的なところで都市計画制度に問題がある、と、パブを「一夜のうちに」失い家具店になってしまったブライトンの住民ら(Dyke Tavernという愛するパブが転用されてしまった)から制度是正の請願があり、現在、国会で取り上げられて審議中です。
これはPlanning誌2017.3.10号p6-7に出ている話。

イギリスの都市計画では、用途変更に対して計画許可が必要なのですが、類似用途内の変更にはさすがに許可までは不要でしょう、ということで、用途クラスA4のパブをA1の小売店にしたり、A2の金融サービスにしたり、A4のカフェに転用する場合には許可が不要、としています。
2017年2月28日になされた上院(House of Lords)でのパブをめぐる真剣な審議をみてみると、この「許可不要」規定のために、イギリス国民の愛するパブが「1日10軒も減少して」おり、これはACV以前の、都市計画制度そのものの根本的問題である。パブからの転用は計画許可必要とすべきだ、との支持意見が複数述べられます。これに対して、反対意見や、「もっと調査をしてから判断すべき」といった慎重論などが長時間にわたり展開。最後に「そろそろ採決を」との声に促され、採決の結果、278対188で、上院で採択となりました。

この法案修正を含む「Neighbourhood Planning Bill」の審議はほぼ最終段階。5月頭くらいには女王の裁可が下されるものと思われます。

[関連記事]
・下記(その3)に入ると(その1)(その2)につながります
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140603/1401771016

2017-04-07

ロンドンイノベーション(3) : 外資からみた都市イノベーション

EU離脱交渉開始を控えた3月27日、カタール政府イギリスへの投資を、EU離脱があってもなくても、5年間で50億ポンド(140円換算で7000億円)行うと発表しました。
といってもピンとこないので例をあげると、あのロンドンで最も高い「シャード」はカタール政府資本が95%所有しています。以前の記事で書いた「ハロッズ」(⇒関連記事1)も、2010年にエジプトの富豪から15億ポンド(同2100億円)で購入。カタールとしてもずっとはオイルマネーに頼れないので、長期的にリターンを生み出し続けるであろうシャード1本、ハロッズ1軒なら安い買物。事実、カタールはこれまでイギリス不動産株式等に400億ポンド(同5兆6000億円)投資。少なくともこれまでは、成長都市ロンドンはおいしい投資先になっていました。
サッカープレミアリーグのチームそのものの買収のみならずユニフォームへの企業名広告費、それらを世界に発信する放映権、民営化が進んだ公共サービスの運営権なども含めると、ロンドンという都市は世界の人々(資本家のみならずそれを消費しようとする人々も)による共同作品といえなくもありません。
そのような目で見ると、海外からロンドンにやってくる新住民も、ロンドンというチャンスに自分自身を投資。それがプラスである限り、全世界から人々はやってきます。そのスピードが速すぎ、しかも制御不能になった(と強く感じた)ことが、EU離脱に傾いた大きなきっかけになってしまいました。

イギリスEU離脱によって投資の主役がいくらか入れ替わるかもしれませんが、また、量的にもいくらか落ち込みがあるかもしれませんが、ロンドンイノベーションはこれからも続くだろうと期待します。

[関連記事]
1.『銀座資本論
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150702/1435807577
2.チェルシーがバターシー発電所サッカースタジアムに?
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120606/1338954485

【in evolution】世界の都市と都市計画
ロンドンイノベーション(1)(2)(3)をリストに入れました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

ロンドンイノベーション(2) : オリンピックと下町再生

イーストエンド」といえば日本でもある種の固定イメージが湧いてくるものと思われますが、そうした都市問題の山積した地域の再生をどのように果たすかは、以前より都市計画上の大きな課題でした。(1)の「Overground」の環状部が経由する東部地域の代表的名前をあげると、ホワイトチャペル、ショーディッチ、ホクストン、ダルストンなどです。今でこそ「ダルストン、ホクストン、ショーディッチ、といった下町の注目エリア」などと書けますが、それは、「イーストエンド」が21世紀になる頃からジワジワとジェントリフィケーションしはじめ、2005年にオリンピック招致が決まった際、「Overground」などの投資を行って、さらにその動きを下町再生へとつなげようとしたあとの状態です。

ここではダルストンにある「The Print House」を通して、「下町再生」の一例をみてみたいと思います。この「The Print House」。以前「「London」とはどういうところか」(⇒関連記事)で、「「絶大な存在感を示す」ダルストンの元工場に目は釘付け。」と書いたあの建物です。「Overground」のおかげで、ロンドン西部方面からも容易に到達できるようになりました。
元々、1868年に建てられたアート系のペイント工場で、1948年に会社が郊外に移転するまで使われていたものです。この建物に1980年に入居したのが、1977年に設立された「Bootstrap」という社会企業。貧困問題を抱えるこのダルストンにおいて、失業者と一緒になって活動を展開。現在に至ります。1階部分のカフェや屋上ガーデンが目立ちますが、基本的にこの建物(正確には「The Print House」のほか連続する他の2つの建物にまたがる)は地域の雇用を支え起業を促すワークスペースとなっていて、6万平方フィート(5400)のフロアに180社500人ほどのクリエイターや企業などが入ります。職業訓練などのプログラムや地域コミュニティイベント等によって、地域の社会経済に大きく貢献。『Brutus』では「今やこのビルはイノベーションと活気で満ち溢れている」「新しい発想と原動力が人と街を元気にすることを証明した」と絶賛。

この「The Print House」をきっかけに知ることになったのが、「ハックニー・ソサエティ」の「Love Local Landmarks」というプロジェクト。イングリッシュ・ヘリテージから助成を受けて2010年に共同ではじめたものです。
区内にある448の地域的価値のある登録建物を調査し、2013年9月にウェブサイトを立ち上げ成果を公開しています。
http://hackneybuildings.org/about
「The Print House」はその中の1事例にすぎません。「「London」とはどういうところか」では「地」と「図」をめぐる自己問答をしていますが、ある意味、ハックニーでは「図」こそ目立たないものの、ローカルな味わいのある「地」が少しずつ元気と誇りを取り戻しつつあるといえるのかもしれません。

[関連記事]
・「London」とはどういうところか
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150505/1430825902

2017-04-06

「地域連携推進機構」がスタートしました。

「地域実践教育研究センター」を包含しながら、さらに大学と地域の連携を強化するため、この4月、「地域連携推進機構」がスタートしました。
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/hus/area/17945/

◼「地域実践教育研究センター」
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/

2017-04-05

副専攻プログラム「地域創造科目」が本年度もはじまります。

地域創造科目」が本年度もはじまります。
シラバスは以下のアドレスから。
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/hus/area/17948/26_17948_1_4_170403050112.pdf
まずはオリエンテーションに参加してみてください。

□大学院生対象「地域創造科目」のオリエンテーション
日程:4/12(水)
時間:昼休み
場所:建築学棟(N5-3棟) 1Fの大会議室

副専攻プログラム「地域交流科目」が本年度もスタートします。

「地域交流科目」がさらに充実して本年度もスタートします。
シラバスは以下のアドレスから。
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/hus/area/17946/26_17946_1_0_170403050027.pdf
まずはオリエンテーションに参加してみてください。

■学部生対象「地域交流科目」のオリエンテーション
日程:4/13(木)、4/14(金)、4/21(金)
時間:昼休み
場所:中央図書館メディアホール

ロンドンイノベーション(1) : London Overground

ロンドンイノベーション」と題して、都市や都市計画の新しい姿を探ります。

その1。London Overground。
ロンドンオリンピックがはじまった2012年7月25日に一度取り上げた「London Overground」(⇒関連記事)。今回久しぶりにロンドンを訪れて、最もイノベーションしていると感じたのがこれです。ロンドン交通局に移管される路線等にロンドンの立場から「Overground」という呼称を与えつつトータルにブランディングした、「ロンドン地下鉄(Underground)」と対をなす交通サービス。
https://tfl.gov.uk/maps/track/overground
なかでも、「Zone2」と呼ばれる都心周辺部あたりをぐるっと一周するルートを都市計画したそのアイデアとプロセスはいかにもプラグマティックなイギリス的取り組み。「不要になった」「縦割りだった」「ずっと使われていなかった」インフラをクリエイティブに蘇らせたその手腕というかねばりというか、またどこかでゆるい、しかしトータルでみるとすごいその成果のどこがイノベーティブかを簡単にまとめます。

第一。使ってみてはじめてその意義の大きさを感じました。それまでは、「ぐるっと回れる環状線ができてよかったね」くらいに見えていたのですが。
まず、都心に入らないで周回できる。混雑回避という面では、本人にとっても、地下鉄への負荷の面でもプラスです。また、つい先日サンクトペテルブルグ地下鉄テロがあったように、安心安全面で「地下鉄を使わなくても」中距離移動できるのはありがたいこと。
ダルストン、ホクストン、ショーディッチ、といった下町の注目エリアから、ハムステッドヒース(北)やクラッパム(南)などの人気エリアを通ります。
第二。新たなポテンシャルの増大。
シェパーズブッシュに象徴されるように、地下鉄駅と乗り継げるようになることで結節性が増し、巨大モールが立地(時間的関係は未確認)。そうでなくても全体的にインナーシティの利便性がかなり高まったと考えられます。
周回ルートからははずれますが、副都心的結節点にまで成長したストラットフォードへの乗り入れは最重要。そもそも2012年のオリンピックは、失業や荒廃にあえぐロンドン東部地域の再生が目標とされました。そうした地域を貫きつつ国際的ターミナルとなったストラットフォードまで抜けることで、沿線にいろいろな機会が増え、沿線開発も進んでいます。
第三。維持もままならない鉄道路線をある意味「かき集めて」、それでも足りない部分を短期決戦で新設。また、可能な限り既存施設を改修したり、地下鉄等との乗り継ぎ施設を加えるなど、小さな工夫も全部まとめれば相当なもの。駅間が長い場合、沿線開発デベロッパーに資金負担を求めつつ周辺整備。2009年9月に供用を開始した「Imperial Wharf」駅周辺の「チェルシーハーバー」開発がその例です。
第四。「Overground」などというこのプロジェクト全体のネーミングだけでなく、ブランディング戦略が徹底しています。

体験してみて、このプロジェクトはロンドンの都心の外側に「新たな回廊」を加えたのだと直観します。そしてその効果はロンドンのさまざまな場所や機会をつなげ、沿線の機能更新を促し、都心に集中しがちな機能を少しほぐすような役割を果たすことといえそうです。
(速度はゆっくりですが)列車は次々にやってきます。乗降客数もうなぎのぼり。「Overground」全部合わせた数字ですが、開業した2007年度が3000万人弱。2011年度に1億人を超え、2015年度は1億8440万人まで増加。今後もいろいろな延伸・改修計画が。成熟社会にふさわしいノウハウが詰まっていそうです。

[関連記事]
London Overground
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120725/1343188590

[都市の「新たな回廊」に関連する記事]
・『WHERE WE WANT TO LIVE』(アトランタの「Belt Line」)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160418/1460979206

2017-04-01

世界の都市の進化と都市イノベーション

新シリーズ「都市イノベーションworld」をはじめます。

第1話は、世界の都市の進化をめぐるストーリー(ヒストリー)。
都市・都市計画の進化をめぐる2つのリスト(⇒関連記事)を統合すると、以下の6つの区分ができそうです。
1)「日本」にまだ都市(文明)がなかった頃の世界の都市文明の形成動向、2)「日本」の中心が形成される力となった(アジアでは唐を中心とする)古代都市文明システム、3)それぞれの地域の結節点がそれぞれの都市を形づくる分散的・創発的な中世の都市化、4)世界の一体化と都市の近代化、5)ベルリンの壁崩壊後の自由主義経済に翻弄される都市、6)都市の未来。

1)はルイス・マンフォードはじめこれまでの名著で豊富に述べられていますが、2)の研究は途上で、この頃、長安を中心とするアジア世界に加え、バクダッドがイスラム圏の中心、コンスタンチノープルがキリスト圏の中心でした(『長安の都市計画』)。
3)の中世ローマ帝国の流れからヨーロッパ中世が語られるのが一般的。けれども関連記事のリストにあるように、アラブ世界からヨーロッパへの流れや、北ヨーロッパの交易、アジア海洋都市間の動きも見逃せません。
4)もヨーロッパからアメリカが独立する流れに偏っており、中南米アフリカアジアからみた「近代都市化」の意味・内容・結果と課題を同時にとらえることが必要です。大航海後の植民化であれ、帝国拡大による新拠点形成であれ、都市の側からみれば、都市計画する主体が誰か、どのような思潮や目的、技術等がかかわったかによって、都市の進化の方向や程度が左右されました。
5)の「ベルリンの壁崩壊後」の自由主義経済に翻弄される都市という歴史のくくりは、まだ仮設的なものです。ロシアモンゴル中国ベトナムなど大きく体制転換した諸国だけでなく、インドアラブ諸国も、ある意味日本も、国内法、とりわけ不動産関連法を変えて外資を導入。都市の風景が大きく変わりました。この部分は新しすぎて、まだ歴史として描かれていませんが、関連記事リストにある諸文献を意識的に横につないで読むと、この時期の特質が浮かび上がります。
そして6)の「未来都市」へ。1)から5)、特に3)以降の都市のつくられ方を読み取りながら2100年くらいまで延ばしていくとどうなるか。「アジスアベバ開墾」は、一般に“最貧国”などと呼ばれるエチオピアのこの都市を「未来都市」的にとらえたものでした。現在の問題解決ばかりでなく、固有のポテンシャルや未来の可能性に着目したものでした。

ロンドンに来ています。昨日はパーラメント・ヒル(ハムステッドヒース)に登り、超高層ビルが乱立しはじめたロンドン都心部パノラマを眺めました。1週間前には国会付近でテロがあったばかり。3日前にはEU離脱手続がはじまりました。歴史は少しずつ変化しはじめました。リスクを抱えながらも、都市の役割はますます高まっていると感じます。

[関連記事]
・【in evolution】世界の都市と都市計画
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
・【in evolution】日本の都市と都市計画
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-03-24

「みうらからはじめる研究会」のfacebookを開設しました。

「みうらからはじめる研究会」のfacebookを開設しました。
https://www.facebook.com/miuraht/
これまで2回分の研究会(2016.11.3、2017.3.11)に寄せられたコメントなどもアップしています。
少しずつコンテンツを充実していく予定です。

[関連記事]
・「みうらからはじめる研究会(第2回)」を3月11日午後に開催します
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170202/1486020447
・【研究ノート】豊かな縮減都市研究プロジェクト(BLOG内file)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150421/1429585284