Hatena::ブログ(Diary)

地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

2018-08-09

「強制的包摂ソーニングの功罪」

月刊『UP』に最近連載されている「移民の街・ニューヨークの再編と居住をめぐる戦い」(森千香子著)を毎回楽しみにしています。今回はその「3」で、前回6月号のその「2」の際も言及させていただきましたが(⇒関連記事1)、2018.8号の標記の記事はさらに都市計画的内容で、実際の評価を下すには時期尚早と思われるものの、動いているニューヨークの新しい都市計画について、都市計画の立場から重要そうなことを書き留めておきます。
第一。「強制的包摂ソーニング」が指定された地区について。UP8月号では2016年に8地区を決定したこと、さらにいくつかの地区が候補にあがっていることまでが書かれています。本日出ている最新の2018年6月28日版(「ZONING RESOLUTION Web version THE CITY OF NEW YORK」APPENDIX F)によれば、確かに2016年には8地区が指定されています。その後2017年に31地区が、2018年6月28日までに12地区が指定されて計51地区になっています(出ている図を1つ1つ数えたもの)。
第二。51地区といっても、地区的なひろがりのものから、街区のほんの一部のスポット的なものまで多様で、多くはスポット的もしくはせいぜい1街区くらいのもののようです。
第三。例外的に数街区にまたがるものもあり、さらに、2016年4月20日に指定されたブルックリンのとある地区(このあたりがUP8号で出てくるイースト・ニューヨークと呼ばれるエリアと思われる。あくまで「思われる」ですが)。ゾーニング・マップ17cのかなりの部分を占める大きな指定です。この2016年4月20日の指定が第1号で、第2号は同年10月まで飛んでいるので、ある意味この地区指定が政策の目玉的存在ではなかったかと感じられます。(こうした「強制的包摂ソーニング」が地元から批判されているというのがUP8号の内容)。
第四。この第1号の指定の特徴をストリートビューも使って確認すると、まず、指定の主力になっている東西方向の4本の路線は比較的広幅員の街路に沿った中層建物もみられるアベニュー。直交するストリート側は基本的に対象外とされています。類推すると、開発余力のあるアベニューに側にインセンティブを与えて、そのインセンティブを使った開発業者にはアフォーダブル住宅供給を一定割合で義務付ける(これが「強制的包摂ソーニング」)というもの。その「アフォーダブル」の基準が全市的なもののため当地区の所得水準からみるととても手が出ないというのが反対の理由の1つめ。そそもそもそんな開発がなされると既存の手が届く家賃の住宅が壊されてしまうではないかというのが理由の2つめ。

政策の改善の余地はあるのかもしれません。

この春に訪れたポートランドではホームレスが大きな問題になっていました(⇒関連記事2)。先日の日経新聞(2018.7.15)ではシリコンバレーホームレス問題(7400人に増加。家賃高騰が主要因とされる)が大きな記事になっていました。「強制的包摂ソーニング」のような政策がどこまで「都市イノベーション」政策になれるか。何をもって成功したといえるか。興味は尽きません。

[関連記事]
1.ガーメントセンター運営委員会報告&勧告(2017)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180605/1528178125
2.『THE PORTLAND EDGE』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180311/1520771285

[その他の関連記事]
・『GLOBAL GENTRIFICATIONS』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161214/1481688864
・世界の中産階級
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170627/1498551901

2018-08-07

『史上最大の行事 万国博覧会』

日本語の“バンパク”という語感が心地良く、「そもそも万博とは」などと考えたことがこれまでなかった自分ですが、先週発売された本書に刺激されて、「都市イノベーションworld」の1つに加えます。堺屋太一著、光文社新書957、2018.7.30刊。

まず、その定義から(以下、Wikipedia)。国際博覧会条約によれば、国際博覧会とは「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう。」

引用した訳文が固いのですが、その気持ちはなんとなく理解できます。特に、「人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望」の部分はこれからも大切なことだと感じます。ある時代の、とある一国のどこかの会場で、「達成された進歩」若しくは「将来の展望」を示すことは、必然的にその時代の、その一国の姿や力や文明力や品位やエネルギーを表現することになる、、、
本書は、興行として行われる万国博覧会、なかでも政府が主体となり展示場を各国の負担で建設する「一般博」について論じた読み物。コテコテの自慢話風にも読み取れますが、1970年のバンパクを主導した著者ならではの個性が表出されます。
いつくかバンパクらしいと感じた点をあげます。第一に、テーマとコンセプトの違い。テーマだけでは博覧会を実務化・具体化・興業化できない。1970年バンパクは「人類の進歩と調和」がテーマだったのですが、これはどちらかというと上記国際博覧会の定義そのもの。ではどうしたかという部分が、とても興味深いです。第二は、大きな目標。前例があるとどうしても利権がらみのお役所仕事になってしまうところを、ある意味、皆が開き直って「本当におもしろいことをしよう」との意識で立ち向かったところ。第三に、そのこととも関わりますが、思い切って(まだ無名かさほど売れていない)その道のプロを登用したこと。以上の3つはある意味1970年バンパクの教訓なのに対し、あと2つ、バンパクの意義に関して加えると、第四に、そのバンパクの展示物や展示空間等が引き金となって後の時代に影響を与えること(本書では事例的に言及されているだけだが重要な点)、第五に、かつて「一般博」にカテゴライズされたようなバンパクは極めて少数しかないこと。

国内的にはともかく、万国にとって「達成された進歩」若しくは「将来の展望」を示すこととはどういうことか。これだけテクノロジーが進歩する中で、どうやって「本物のバンパク」が成り立ちうるか。そういうことを考えるきっかけになるだけでも、本書の意義は十分あるのではないかと思います。

[関連記事]
□1970年バンパク関連
・「1970年大阪万博」レガシー
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180521/1526890456
□バンパク関係
・1851年ロンドン万国博覧会と水晶宮
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150629/1435558148
□イベントと都市
・『オリンピックのすべて』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160806/1470469793
・EVENTS AND URBAN REGENERATION
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120731/1343702176
PLANNING OLYMPIC LEGACIES
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140703/1404386372
・Olympicopolis
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140925/1411641596
ロンドンイノベーション(2) : オリンピック下町再生
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170407/1491536652

2018-08-01

(文庫版)『民主主義の源流 古代アテネの実験』

都市計画家のP.Hallが『Cities in Civilisation』の中で、人類史上はじめて芸術が花開いた都としてとりあげたアテネアテネ以外にも古代都市はメソポタミアエーゲ海などにたくさん現れたにもかかわらず、芸術のみならず哲学や民主主義、そしてなによりも人間をみつめるヒューマニズムが一斉に花開いたこの都市は、なぜどのようにそうなったのか。なぜ別の都市ではなくここアテネだったのか。なぜ別の時代ではなくこの時代だったのか。

それらの多くがいまだきちんとは解明されていないなか、民主主義について、より正確にいうと、私たちが「民主主義」と現在呼んでいるものの生成当時の生きた姿とその進化プロセスについてわかりやすく語ったのが本書。1997年のオリジナル版を改題しつつ2016年に文庫化(講談社学術文庫2345)。著者は橋場弦(ゆづる)。ここでは、アテネ民主制発展の起動力となった主要モチーフを「あえていえば」という但し書き付きながら「参加(パティシペイション)」と「責任(アカウンタビリティ)」に設定。これら観点からその進化過程をリアルに描き出します。

ではなぜ民主主義も含めた数々の都市イノベーションがアテネでこの時に起こったか。このような問いを立てているのは今までみたなかではP.Hallだけ。たとえばギリシャの土地は痩せていたからだとか気候が温暖で戸外で議論したり思索することができたなどというよくある説明をP.Hallは1つ1つ取り上げつつ一蹴。『Cities in Civilisation』のp67から68において結論に到達します(⇒関連記事)。まさに凄みのある動的結論。進化の過程に退化の過程も宿ります。

アテネピークが過ぎると、やがて戦争にまみれ隣国に併合されて、学芸の中心はアレキサンドリア(など)に移動。しかしこのプロセスにおいて、どちらかというと「技芸」のうち「技」の充実や合理的科学の進化には結びついていったかもしれないけれども(たとえばローマの都市計画)、都市が市民とともに直接「芸」を生み出し続けた都市国家というのは、その後今日に至るまで現れていないのかもしれません。

[関連記事]
・『CITIES IN CIVILIZATION』(その1) Book One
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170601/1496308112

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2018-07-31

BEYOND STUDENTIFICATION

何これ?
昨日届いたPlanning誌(2018.7.6号)をペラペラめくっていると、標記の大きなタイトルが。単に人目を引こうとするタイトルかもしれないと用心しつつ読んでみると、それなりにイギリスらしいおもしろい記事なので、エッセンスを書いてみます。
きっかけは、学生向け住宅も各自治体の策定する住宅供給ターゲットの中でカウントすることとする、という昨年11月の政府方針の変更(National Planning Policy Frameworkによる)。学生の嗜好や生活スタイルの変化により、これまで学内の寮などにとどまっていた学生たちが街に出て専用の住宅(purpose-built student bedrooms)を求めるようになった結果、たたでさえ不足している街場の住宅がもっと足りなくなるのではないか、もっと住宅を増やせと政府から強く言われているのに加えてそんな傾向が強まると地元自治体としてはプレッシャーが強まるばかりではないかといった、新たな都市計画課題のようです。タイトルには「BEYOND」が頭についているので、そうした問題をどのように解決すべきかに関する記事だと推察されます。
詳しくは記事を読んでいただくとして、おもしろいのは、そうした街場の学生向け住宅率(おそらく大きな住宅を転用するタイプのものは除く新設の学生専用住宅率)が高い順に都市が並んだ表があり、第1位ヨーク60%弱、第2位オックスフォード、第3位ケンブリッジ50数パーセント、などとなっています。これら上位3傑について上のハコで(p17)地元都市計画の対応が書かれています。ヨーク。新たな住宅はそのニーズがあることを証明しなければならず学生にとって魅力的でなければならない(許可条件)。オックスフォード。街場の学生向け新設住宅は3000戸を超えてはならずそれ以上は許可しない。また開発する場合も主要街路沿いか中心市街地がそうした住宅向きであり、公共貢献を考慮して立地を誘導する。ケンブリッジ。市内の4戸に1戸は市内の2つの大学がらみであることから、学生人口は市の経済と活力に貢献していると認識している。しかしながら他の住宅需要にも応えなければならず、以下の点を考慮する。すなわち学生用住宅開発はより多くのより高度の教育機関とリンクしていることが必要で、公共交通ともそれら機関ともしっかり結ばれる立地であることが期待される。
予測によれば、2020年から2030年の間の18才から21才人口増は17万人以上と見込まれているとのこと。この数字自体も(右肩下がりの日本と比べると)興味深いです。

2018-07-17

都市とは

都市科学部の講義「都市科学A」で、「都市とは」のテーマで理工系の立場から30分時間が与えられて話をしました。少し前の4月のことです。相方がいて、人文系からやはり30分話すとの設定です。そのときの資料をpdfでつけます。
都市とは.pdf 直

話が伴わないと内容が理解できないかもしれませんが、「理工系の立場から」「都市とは」をどうとらえたかは、最後の「まとめ」で言葉にしました。「理工系」といっても自分の立場は都市工学のため、そのような視点です。
しばらく経ってみると、意外にもこのことは、本ブログの「世界の都市の進化と都市イノベーション」の基本的スタンスにもなっていそうだと気づき、組み込んでおくことにしました。
やや素朴すぎるきらいもありますが、何事もまずは第一歩ということで。

[解説]
「世界の都市の進化と都市イノベーション」は、本Blogの「Welcome Page」などから入れます。

2018-07-16

江戸城外堀と清水谷

西郷(せご)どんも昨日からいよいよ後半入り。その親友、大久保利通明治11年に暗殺された清水谷を酷暑の中、初めて通る機会があり、この付近の江戸城外堀も含めてその独特な空間に「江戸」都市計画の生きた姿や、明治初頭の東京の一断面を目撃できた思いを抱きました。
もう少し説明すると、これまで四谷から上智大学に向って外堀の内側を歩く機会はあったのですが、その細い道はその先にずっと続き、やがてホテルニューオオタニを介して清水谷に至ります。ご存じの方には「あっ、あそこネ」くらいの所であっても、そこに彦根藩などもからみ、体験した空間もいろいろな意味で他には無いものとなると、とても貴重な場所に思えてきます。
さっそく『江戸城外堀物語』(北原糸子著、ちくま新書209、1999.7.20刊)を開いてみるとp209に、近年の考古学的成果も踏まえた「図19 寛永13年外堀普請に伴う開発エリア」がありました。それによれば、この付近の外堀を掘って出た土砂を清水谷に埋めたと。埋めたといっても現在清水谷を歩くと谷にいる気分になり、ここを通っていた大久保利通の気持ちになれそうな気もするのですが。
しかし埋立以前の清水谷には多くの寺院があり、それらは四谷方面に移転させることで、江戸城は外側に向って拡張したのだと。

それはそれとして、現在の清水谷の土地利用には何か「ちぐはぐ」感があり、いまだ完成していない気がします。というより、東京の真ん中にあって、忘れられてしまったかのような空間。この付近の外堀もいい意味で忘れ去られてしまったような空間に思えます。
酷暑のこの時期に歩くのがちょうどよいと思えるような、ある意味なつかしい、ある意味これまで見たことのない風景に出会えます。
(また暑い話になってしまいました、、、)

【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-07-04

(文庫版)『ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く』

未解明の部分が多いエジプト文明の都市。そもそもエジプト文明は長い間「都市なき文明」と言われていて、1998年の『古代エジプト 都市文明の誕生』(古今書院。古谷野晃著)でエジプト文明にも都市は存在したことを強調しているものの、「古代エジプト文明は、じつは「都市なき文明」ではなく、「都市をともなった文明」であったことが、徐々に立証されてきている」(p151)。しかし、「エジプトにおける都市起源の問題は、実証研究がむずかしい。永い時の流れのなかで、かつての都市の面影・景観を示すようなものは、そのほとんどが消滅してしまったり、ナイル河の厚い堆積土の下に埋没したりしてしまったからである」(p159)。そもそも「都市」とは何を指すかという定義からはじめなければならないことも含めて、やっぱりわからないことのほうが多い。
本書『ピラミッド 最新科学で古代遺跡の謎を解く』は最新科学によるピラミッドに関するここ20年くらいの最新成果をまとめたもので、ピラミッド自体の解明の部分も多いのですが、ここでは「ピラミッド・タウン」に絞ってその都市イノベーション的様子を紹介します。河江肖剰(ゆきのり)著、新潮文庫2018.4.1刊。2015の単行本に第12章(最新研究解説)を加え文庫化。1998年刊の『古代エジプト 都市文明の誕生』ではエジプト文明の都市を「ピラミッド都市」を含めて12種類列挙し解説しているので、ある意味「ピラミッド・タウン」がわかったとしてもほんの一部しかわからないと考えられなくもないのですが、エジプト文明を象徴するピラミッドの建設のための都市のことがわかるようになると、12分の1というより、かなりの部分がわかるようになる可能性があるのではないかとワクワクします。

ピラミッド・タウン」は狭く考えるとピラミッド建設のための居住地ですが、王がピラミッドをつくるたびに居住地は基本的に移動していた(すぐには無くならないかもしれないがいずれ放棄される)と考えると「ピラミッド・タウン」そのものがエジプト文明の典型的都市といえなくもない。日本だって当初は天皇が変わるたびに遷都していたわけだし。
この著者が関わる発掘作業が最近進んでいて、労働者街である下町だけでなく、身分の高い人が住んでいたと思われる「西の町」の発掘も最新の成果。
まだ発掘の最中で、しかも王の居住地跡が出てくるかもしれないと期待される「下町」と「西の町」の間の土地は現在サッカー場で、現在の下町の子供たちのために作ったもののようです。発掘のためにサッカー場を移転すると決定したあと、「アラブの春」が起こり、発掘作業自体もままならぬ状態に。
本書を貫く視点でおもしろいのは、等身大の人間の側から素直に解読しようとする点です。特に「ピラミッド・タウン」で働いていた人たちは、奴隷のようだったのか、いいものを食べてそれなりに良い職場だったのか。これを「実験考古学」により解明すべく、プロの協力を得て、当時使ったであろう材料と調理法によりパンを焼き、それを考古学成果である住居跡の労働者数に割り振り、どんな生活をしていたかを定量的(カロリーなど)・定性的(ビールや他の食材の推定など)に類推。労働者は「大量消費を享受していた」と結論づけます。

発掘現場のギザも、グーグルの航空写真でみるとジワジワと宅地開発で取り囲まれつつあるようにみえます。下町の子供たちのためのサッカー場もそのあらわれ。カイロという現代都市の拡大が先か、古代エジプトの都市発見が先か。そのような新旧共存・葛藤の動向こそがエジプトのおもしろさ、奥深さなのかもしれません。

[関連記事]
・Sunken cities (アレクサンドリア開墾)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160523/1463991285
纏向遺跡 (日本の邪馬台国の都市だったかもしれない遺跡発掘)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130205/1360047676
・『都はなぜ移るのか 遷都の古代史』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170222/1487760737
ドバイ開墾(10) : ドバイゼーション (カイロ東方の新首都計画)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150911/1441933265

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2018-07-02

新NPPF案 : イングランドの次期都市計画システムをめぐる議論

2018年5月10日をもって、新NPPF案(National Planning Policy Framework案。イングランドのみ対象。2012年に設定以来の大幅改定。)の協議期間が終わりました。次期都市計画システムをさらに変えようとするこの提案にはいろいろな要素を含みますが、ここでは、法定都市計画の基本となるディベロップメントプランの内容の変更提案と、それに対する反応をごく簡単にまとめてみます。

第一。地方自治体は最低限、「戦略計画」を用意しなければならない。このことは既に2017年「Neighbourhood Planning Act」第8条に別の表現で規定していました(development plan documentの中で「strategic priorities for the development and use of land」を明らかにしなければならないとしている)。これまでの都市計画システムにおいて、市町村と広域との調整の困難さから、どちらかというと戦略的計画は廃止して市町村が策定するローカルプランの比重を高めてきたことと、一見逆行する方向です。また、2017年法では「development plan documentの中で」とだけしていたものを「戦略計画」を用意しなければならないと提案したことから、RTPIやTCPAといった専門家集団からは、それは行き過ぎではないかとの反応(反論的意見)が出ています。
第二。政府案ではこうしたことが可能な背景として「近隣計画(これもディベロップメントプランの1つ)」がかなり普及してきたので、ローカルな政策はそちらでも受け止められると考えているようです。「戦略」をどうとらえるかにもよりますが、新NPPF案では「そういう重要なことこそ地方自治体の仕事」と考えているようであり、一方の専門家集団側では、「戦略だけに絞ったら、個々のplace-makingができなくなる」との危惧を強く持っています。
第三。専門家集団側からの修正案としては、たとえばRTPIを例にみると、(ローカルプランの)ローカルポリシーは「can(つくることができる)」ではなく「should(つくらなければならない)」とするか、(ローカルプランがそんなに問題だと思うなら)ローカルプランに規定できる政策の種類を特定したらどうかと逆提案しています。また、第二の点の近隣計画にローカルな政策を担わせるとの政府案も、近隣計画が策定されていない場所では政策ギャップが生じてしまうなどの危惧を示しています。

さて、新NPPFはどのように決着するか?
いずれ近いうちに、政府側から今回の協議結果を踏まえたNPPFが示されるものと思われます。2011年Localism法施行から5年強が経過し、近隣計画が多くの場所で策定中もしくは策定済みという新たな局面を迎えて、今回は「次の」都市計画システムが提案されています。戦略計画の義務化は新たな政策というよりむしろ、基礎自治体が共同してそうした計画をつくることの困難さを強く認識した結果でもあると推察します。
ごく最近のデータでは、EU離脱(まだ交渉中ですが)の影響もあって流入人口が減り人口増加問題は落ち着いてきているようです。
近隣−市町村−広域−サブリージョンリージョン−国−超国家の間の、どこが何を決めるべきかというシステム調整・システム分担の方向を決める、重要な協議といえそうです。

2018-06-29

真夏の夜の夢 : ドバイの5ギガ太陽光発電施設

梅雨が明けたような暑さ。と思っていたら本日、関東では、まだ6月なのに本当に梅雨が明けたと発表されました。この熱波をエネルギーに変えることが容易にできれば、、、

UAEドバイでは、5ギガワットの巨大な太陽光発電施設の建設が進行しています。2030年(予定)に完成すれば原発5基分の発電能力。ドバイでは、この時点の国内のクリーンエネルギー率を25%、2050年までに75%と見込んでいます。
ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム・ソーラーパーク」と名づけられたこの施設(完成時面積214平方キロ)をグーグルの航空写真で見ると、[以下このパラグラフ、2018.7.11訂正]建設中のマクトゥーム国際空港から南東側にさらに砂漠の中に20キロメートルほど入ったあたりに、初期段階の施設が見てとれます。砂漠の中のため214平方キロになったとしても余裕がありそうですが、その規模感にはめまいがしそうです。
アブダビも独自に巨大な太陽光発電施設をつくりつつ、2030年頃になると、アブダビドバイが機能的に一体的となり1000万人大都市圏に成長しそうだというのが「ドバイ開墾(8)」での話。エネルギーと都市の関係の話は同じく「ドバイ開墾(9)」に書いています。
今週の「都市マネジメント」で質問させていただいた海水淡水化コストについては、電力コストが(現時点では)かなりかかっているとのことでした。このドバイの施設では1キロワット時当たり3円ほど(日本では15円ほどかかっている)。その電気を淡水化にも使いつつ、砂漠の上に築きつつある「1000万人大都市圏」をインフラ面で支えていく。ちょうど、2000年前にローマ人が「水道」を遠くから引っ張ってきて100万都市を築いたようなストーリーが目の前で展開していると思うと、人間の不思議さと砂漠の上の都市の奥深さを強く感じます。実際に体験した47度の暑さには「奥深さ」などと言っている余裕は全く無いのですが(⇒「ドバイ開墾(2)(9)」)、、、

[関連記事]
ドバイ開墾(2)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150902/1441159194
ドバイ開墾(8)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150909/1441754845
ドバイ開墾(9)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150910/1441868851

2018-06-20

『地域創造論 Vol.2 』が発行されました

大学院で毎年行っている「地域創造論」のエッセンスを編集した『地域創造論 Vol.2 』が発行されました。今回は「ローカルからの発想が日本を変える、世界を変える。」をメインテーマとし、2015-17年度の3か年で実施した内容をまとめています。
http://www.ynu.ac.jp/hus/sangaku/20397/detail.html
Vol.1にあたる2012-14年度の『地域創造論』は「ポスト3.11の新しい地域像」がテーマでした(⇒関連記事へ)。

Vol.1の最初の年はまさに「ポスト3.11」でしたが、6年間で地域を取り巻く状況は大きく変わりました。一昨日も「大阪北部地震」と名づけられた大きな地震があったばかりです。
けれども、Vol.1、Vol.2を通して、現在の普遍的な地域課題やその解決に立ち向かう地域連携が語られています。

2018年度となり、次の3年間の基本テーマを現在模索しているところです。
Vol.1と合わせて、今回のVol.2を是非ご覧ください。

[関連記事]
・『地域創造論 ポスト3.11の新しい地域像』が完成しました
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150330/1427692708

2018-06-15

短中長期の滞在が可能な住みたい都市

2018年6月15日。「民泊新法」が施行されました。インバウンド需要に本格的に応えるためには、まだまだ課題がありそうです。
ここでは、どのような滞在期間でも「はい、どうぞ。楽しく滞在してくださいね。」と対応できる都市が「選ばれる都市 」ではないか、との視点から、自己体験をベースに、滞在機能を5段階に分けて考えてみます。

第一。ホテルに数日以内。いわゆるホテル需要のほとんどはこれではないかと思われます。リピーターも含めて。
第五。住宅を契約して借りる。2ヶ月から半年以上となると、「住む」ことを前提に物件を探します。それでも永住するわけではないので、家具付きだとたいへんありがたい。日本にはあまりない物件かもしれません。また、「民泊」の視点からもどこからも漏れ落ちている気がします。
第二から第四。このあたりが民泊的範囲と思われます。短期側からいくと、
第二。ホテルは(一般人には)高く調理(レンジでチンも含む)もできないので、ちょっとした設備やサービス付きの「生活」が必要になってくる。コンビニというよりミニスーパーのようなものがあるとうれしい。
第三。ある意味第二と連続的ですが(感覚的には、第二の方はホテルの居室機能がやや生活寄りに。第三の方はちょっとした住宅にフロント機能がついた感じ)、2週間くらい。そうすると、「生活」の比重が高くなってくる。洗濯も必要だしミニスーパーというよりちゃんとしたスーパーがあるとよい。こうなると、まずは初日は買い出しに出かける。
第四。3週間を超え2ヶ月くらいになると、第三的なものでは短期すぎ、第五のような契約をするほどでもないくらいの滞在が必要になる。ロンドンで2ヶ月滞在した準郊外のタウンハウスは、ごく普通の静かな住宅街にあり、大家が平日には3階に暮らし週末には海辺の家に。2,1階を貸していて、最初の1ヶ月は2階。渡されたのは部屋ごとのカギ数個と玄関のカギ。つまり、ハウスの中では(半独立的)共同生活。後半の1ヶ月は1階がまとめてとれて、晴れて「庭付き」生活に。とはいえ、2階の住人もたまに降りてきて庭は共用。契約書ではなく1週間単位で家賃(ハウス代?)を支払う方式でした。今朝の日経の民泊関連記事でも「日本の家主と交流できたのが何よりの思い出」(p2)とあるように、このハウスの「共同生活」でもそうした交流が。むしろ家主が不在になる週末が心細くなるくらいでした。

どのような需要にも応えてくれる都市。長年かけて「永住者」側の住まい方も(量・質ともに)変わり、滞在者側の量も質も変わる。都市として賢く適応しながら「住みたい都市」へと進化していく。

その最初の段階を本日迎えたのかもしれません。

[関連記事]
・街中の外国人
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150429/1430265520
・タタミカプセルホテル(京都と都市イノベーション(その3))
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170122/1485042921
・『文化資本 クリエイティブ・ブリテンの盛衰』(ロンドンイノベーション(7))
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180130/1517303010

2018-06-13

日比谷公園

週末は人々でごった返す「東京ミッドタウン日比谷」にようやく(平日に)行ってみた際、天井の高い4階のフロアの全面ガラス窓の向こうに、今まで見たことのない風景が。
おお、これはすごいと近づいてみると、日比谷公園の緑を少し上から手に取るような眺め。浜離宮の緑をかなり上方から見おろし吸い込まれるようなコンラッド東京からの眺めもすばらしいですが、これくらいの高さからの、これくらいのアングルからの、このような広がりの眺めはこれまで体験したことがありません。

日比谷公園』(進士五十八著、鹿島出版会、2011刊)には、明治36年(1903年)に開園したこの洋風公園誕生までの経緯や、開園後のさまざまな歴史が綴られていて引き込まれます。特に「1章 “西洋”の受容」。何度も描かれた公園プランはそのたびに却下。「文明開化」後の日本の“西洋”のとらえかたや取り込み方、その具体的レイアウトなどの変遷が、図面を通してわかりやすく語られます。そして最後に採用された本多静六の設計案とは。なぜこの案が採用されたのか、、、、意外な結論が導き出されます。
Pride of The Park」と、表紙のタイトル「日比谷公園」の文字の上に打たれたその言葉どおりの日比谷公園物語です。

まだ体験したことのない日比谷公園のいろいろな可能性を探しに、また立ち寄ってみたいと思います。

[関連記事]
神宮外苑
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131026/1382797819
新宿御苑
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131019/1382184659
・“芝公園
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150712/1436671075
品川シーズンテラス
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150530/1432989019

【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-06-05

ガーメントセンター運営委員会報告&勧告(2017)

昨晩、『UP(2018.6号)』をペラペラめくっていると、「都市再開発のフロンティアと人種・エスニシティの境界線」と題された森千香子先生(社会学)の連載が。連載全体のタイトルは「移民の街・ニューヨークの再編と居住をめぐる闘い」で、今回は「2」となっているので、「1」もあるはずと探したところ2018.4号に出ていました。ただし、都市計画的観点からは「2」の内容がきわめて興味深く感じました。というのも、ゾーニングの緩和と居住者の追い出しの関係を議論しているからです。まだ「2」なので、この連載のこれからの展開を楽しみにするとして、、、
すぐに思い出したのが「What to Make of New York’s New Economy? The Politics of the Creative Field」という、『Urban Studies』の論文(2009年、1063-1093)。本ブログでも当時、「ニューヨークの創造産業の変遷やそれを担う主体の動きをとらえた論文は圧巻」と書いています(⇒関連記事)。マンハッタンからブルックリン等に押し出されそうになっている芸術関係者らの組織的葛藤を描いています。そこでもゾーニングの見直しなどの都市計画が大いにからんでおり、都市計画が重要なキーワードになっていることがわかります。

さて、本題はここから。そのマンハッタンから押し出されそうになっている服飾産業を保護しているガーメントセンター特別目的地区の話。ニューヨーク市の特別目的地区については先日、3年の「都市計画とまちづくり」でも扱い、最も今日的な話題としてガーメントセンターの都市計画を補足的に話したばかりです。
標題の報告書が昨年出ています。マンハッタンのど真ん中で起こっている、世界的なクリエイティブ産業を保護・増進するために、特別目的地区として設定している特別なゾーニングを基本的には継承しつつ(他の産業政策やまちづくり施策等ともからめながら)進化させようとする勧告内容が注目されます。
http://manhattanbp.nyc.gov/downloads/pdf/GarmentCenterReport.pdf
この勧告の内容は、ガーメントセンターという特別な場所の都市計画としても注目されますが、ゾーニングの戦略的な見直し方法そのものにチャレンジしようとしている点や、マンハッタンの区長のリーダーシップも、大都市都心部における都市計画とは何かを考えるうえでもとても注目されます。

[関連記事]
・Trajectories of the New Economy(Urban Studies特集)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110823/1314072944

2018-05-29

イギリスで電話ボックスの設置申請をめぐる不服申立て審査が激増しているヘンな話

今届いたPlanning2018.5.4号をペラペラめくっていると、「phone kiosk」という大きな文字と2017/18年度に激増している様子を示す棒グラフが目に留まりました。
イギリスでは計画許可判断に不服申立てをすることができ、最終的には国の機関である計画審査庁が判断を下します。不服申立てされた電話ボックス申請は2015/16年度に34件だったものが、2016/17年度に149件、2017/18年度には激増して1221件になったと。なにコレ???

アンティーク好きなイギリス人がスマホを捨てて公衆電話に回帰したと思いきや、そういうことではなく、実は、電話ボックス壁面に大きな宣伝広告を出す手法が大いに流行しているのが理由のようです。サンプル調査された都市の1つニューカッスルでは、「2015年度には1件だった申請が2017年1月以後158件に達した」(p9)と。「うち86件は却下された(refused)」(同)。
微妙ですね。72件は却下されなかったわけなので、どのような電話ボックスまで許されたかの境界線を見たい気もします。けれども論点はそこではなく、「こんなことでこんなに不服申立てされると本来業務に支障をきたす」という計画審査庁の悲鳴のようなものです。電話ボックス関係だけで全処理件数の7%にも達しているのだと。国の審査庁もたいへんでしょうけれど、地元自治体はその当事者。さきのニューカッスル市では1人の職員が電話ボックスだけにほぼかかりきりの状態。

最後に。もう少しテクニカルにこの課題を解き明かします。
第一。「許可が要らない」範囲を示した「General Permitted Development Order(GPDO)」というルールにおいて電話ボックスは「附則2」の第6章「Communications」に書かれています。住宅の軽微な増築のように、わざわざ時間をかけてまで「許可」「不許可」の審査までしなくてよいでしょう、というのがこのルール全体の主旨です。
第二。けれどもGPDPを実際に読んでみると、その書き方は、「○○○は許される」と一般論を書いたあとで、「許されない」ものがたくさん書いてあります。さらに、「条件」が付加されています。つまり、「許される」範囲を簡単に書くことは意外に難しく、「許されない」ものや、「許される」ための条件をたくさん緻密に書くことによって、はじめて「こういうのだったらよい」ということがわかる書き方です。
第三。電話ボックスが含まれる「Communications」の中の条件として、「prior approval(事前承認)」という項目があり、デザインや見栄えなどの観点から承認しないことができると規定されているため、承認されなかった場合、事業者は不服を申立てることができる、となっているようです。

この問題を解決するため、そもそも時代遅れの電話ボックスの規定そのものを刷新すべきだとか、電話ボックスの広告に対して地方自治体がもっとコントロールできるようにすべき、といった声が次第に強くなっています。
オフィスから住宅への転用問題も、パブ消滅への危機打開策も、この問題も、「どのような開発は認められるか」という国民の利害・関心が強くからむ都市計画上の課題。三者で議論している次元は全く異なるのですが、その議論の仕方や対処の仕方などに注目しています。

2018-05-23

琵琶湖疏水(その2) (京都と都市イノベーション(その5))

67年ぶりに琵琶湖疏水の舟運が復活することを知ったとき、2400メートルもあるトンネルをどう抜けるのかと心配しました(←もう乗ったつもり)。しかし日本の近代都市計画史上とても重要なこの遺産を体験しようとの気持ちが上回り「×」ばかりの予約表の中からなんとか大津−山科区間のみの空きを予約。3月のことです。

その真っ暗なトンネルに入ると、はるか前方に小さな「点」のような出口が見えました。まだ近代土木技術も発展途上だったあの頃、大学を出たばかりの田邊朔郎は、まっすぐ、ごくごく少しずつ標高が下がるようにこのトンネルを掘ったのですね。そのことだけでも十分感動的です。思った以上に急流です。その他いろいろな発見や感動もありました。
ここまできたら、是非、蹴上の「インクライン」も上り下りし、ロームシアターあたりまで乗り付けられるようにがんばってほしいです。応援します。

今回、琵琶湖から疏水に入る入り口で水位を調整する「ロック」も見ました。貴重な遺産です。その操作も含めて琵琶湖の湖面まで達することができるようになれば、とても21世紀的な都市イノベーションだと思います!

【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-05-21

「1970年大阪万博」レガシー(大阪と都市イノベーション(その4))

「このハンバーグは、月から持ち帰った石と同じ大きさですョ!」
「……?、……!」
その徹底ぶりに驚き店内を見回してみると、「世界の国からこんにちは」などのディスプレイが全面に。
これは、「エキスポランド」が破綻したあとプロポーザル方式で選ばれた「エキスポシティ(=ららぽーと)」での一駒。ららぽーともここに立地すると〈1970年レガシー的〉になります。というより、「エキスポシティ 」はただのららぽーとではなく、まさしく「エキスポシティ」になるようデザインされた、ここにしかないららぽーとなのでしょう。
そのような目で万博跡地をみてみると、1970年代に描いた未来都市が2018年の今、現実となって「そこ」にあらわれていたのでした。これこそが「1970年大阪万博レガシー」ではないかと。

第一。国土レベルにアクセス可能な広幅員幹線(大阪中央環状線)が中央を貫き、モノレールがスイスイ客を運びます。その姿は、1970年当時よく描かれていた未来都市の姿そのもののようです。
第二。太陽の塔がその中央に輝き、「人類の未来」をみつめます。この芸術作品の内部を再生・公開しようとする動きは前からありましたが、建築基準法上の耐震問題等でなかなか公開できなかったものが、「48年後」の本年から一般公開(予約制)されています。2018年は1970年からみればかなり「未来」ですが、太陽の塔はいまだに未来をみつめているように見えます。
第三。冒頭のエキスポシティ。1970年当時の未来に「オレも入れてくれ」といった感じで万博記念公園に収まっています。レトロであり現在でもあり、おそらく未来も志向した施設。1970年の万博の入場者は6400万人。エキスポシティは年間でおよそ3000万人が来場する施設です。
第四。エキスポシティができたとき、ガンバ大阪の本拠地「パナソニックスタジアム」もその向かいに完成しました。万博が終わった後できた「万博記念競技場」がサッカーの国際基準に適合しなくなり、民間の募金により建設された新時代のスタジアムとされます。昭和初期の大阪城天守閣再建の際も市民の寄付が殺到したとの逸話も引き合いに出される(呼びかけたのは当時の関一市長。『スポーツ事業マネジメントの基礎知識』東邦出版、p125)など、民間レベルのエネルギーをイノベーションに結びつける力の伝統を感じます。

「レガシー」というと何か過去の遺産をそのまま受け継ぐといったニュアンスが先に立ちますが、未来を指向していた過去の遺産を受け取るとき、それは既に未来的であるといえそうです。その「未来」感の中には「1970年の未来観」や「1970年はあのような熱気だったネ」というレトロを伴う未来感や、「これからのスタジアムのあり方」のような未来観などがごったに入り混じり、万博記念公園一帯に独特の雰囲気を醸し出しているのでした。

[関連記事]
難波宮(大阪と都市イノベーション(その3))
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170222/1487760456
・1851年ロンドン万国博覧会と水晶宮
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150629/1435558148

【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-05-17

アベニュー/ストリート/ブロック(その2)

この3月にポートランドに行く際、60メートル四方の小さな街区に驚いたというのが前回の話(⇒関連記事)。
先週、とある仕事の帰り道。関西からきた専門家A氏が、「大阪の街区が70メートル角のため開発が滞っている面がある」と。文献によれば「40間」とされるこの街区の寸法。70メートルとして掛け算すると4900屐ポートランドの60×60=3600屬鉾罎戮譴仟腓いですが、シアトルの(約)80×80=6400屬鉾罎戮襪4分の3ほどの大きさです。
最近再開発ラッシュの東京では標準街区が60間四方(話を単純化して100メートル角とする)とすると、(実際には街区内が分割されているとしても)10000屬鬚匹使うかの自由度は高くなり、また、大きなビルも建てられる分、開発はしやすいのかもしれません。最近オープンした「GINZA6」をはじめいくつかのビルは、(ビル同士を上空で歩廊でつなぐのではなく)街区をまたいだビルを上空に建てているくらいです(銀座の場合は明治初期の都市計画で方形の街区がタテに2分割され、GINZA6はそれを元に戻した格好)。
そもそも日本では震災・戦災復興土地区画整理事業が行われなかった場所では「街区」すら形成されていない場所も多く、また、過去に都市計画を実施したとしても街区の寸法が現代のニーズに合わない場所も。東京でも震災復興により再生した下町の街区はとても小さい。市街地創造論でも取り上げた高松の市街地は「ひとつひとつの街区規模が小さく、細街路が密度高く配置されており、現在の土地利用ニーズには必ずしも合致していない。」(国土交通省資料による)などとされます。秀吉は当時の京都の街区が大きすぎたため、経済活性化のため、方形の街区の中央をタテに貫通する街路をたくさん通しました(天正の地割。これによりタテ120m、ヨコ60mの街区となる)。

街区が大きすぎるとそれを分割したり路地を通したりとの方向に力が働き、街区が小さすぎるとそれらを上空でつなげたり街区自体を統合したりする力が働く。一方、街区が小さい場合は街並みもほど良い加減になりやすいと考えられるのに対し、大街区になりすぎると持続性に欠ける面も出てくる。

60メートルのポートランドに驚いたあと70メートル(40間)の大阪の話を聞いて、書き留めておこうと思った次第です。

[関連記事]
・アベニュー/ストリート/ブロック
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180313/1520913232

2018-05-02

(映画)『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』

4月の都市科学部の授業で30分時間を与えられ「都市とは」について話すことになりました。その中で、『アメリカ大都市の死と生』(⇒関連記事1)はやはり重要で、特に、近年全訳され追加された第3部の、都市が自らアップグレードしていく(居住者が自らの生活環境を良くしようと努力する)描写は凄いと思うと紹介しました。
4月28日にはじまった本映画は、この古典的名著 を主軸としつつ、以前本ブログでも取り上げた『ジェイコブズ対モーゼス』(⇒関連記事2)の格闘などが映像化されています。緻密な表現という意味ではやはり図書が圧倒しますが、1960年代のニューヨークの様子や、モーゼスが高速道路網のために取り壊していく市街地の姿などを実感しやすいのは映像です。また、ジェイコブズの人となりがこの映像からよく伝わってきました。

「都市計画革命」という副題から見落としがちですが、モーゼスの高速道路を阻止された大きな理由の1つは財政問題でした。超高層公営住宅が荒廃し次々に破壊されたのも(破壊シーンは本映像の中で最も印象的)、計画・設計した空間での生活も、運営管理も困難となったためでした。このことは、反対運動を政治プロセスに載せつつ自らの主張のほうが合理的であると判断させる際の分岐点になっていたのだろうと思います。

半世紀後の私たち。猛烈な勢いで環境が変化しています。1960年代のニューヨークも、ある意味、そのような激変の時代だったのでしょう。ジャーナリストとして、母として、ジェイコブズは近隣の様子、なかでも路上で繰り広げられる人々の様子を毎日観察していました。どの時代にあっても、理にかなっていると信じられることを1つでもつかむことができれば、途はひらけてくるのだと思います。

[関連記事]
1.『アメリカ大都市の死と生(全訳版)』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110719/1311046833
2.『ジェイコブズ対モーゼス ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110719/1311047405
※「ジェイコブズ」を本ブログの「検索」欄に入れると10件ほどヒットします。

『拡張の世紀 テクノロジーによる破壊と創造』

ブレット・キング著、東洋経済新報社、2018.4.12刊。

1つ前の『プラットフォーム革命』が、その動態そのものの描写とその理論化を指向していたのに対し、本書は(プラットフォーム化は前提としつつ、)徹底的にテクノロジーがもたらす人間の未来を描こうとします。それは、Y世代、Z世代と呼ばれる新世代が牽引し、それ以前の世代はむしろそれらへの抵抗勢力になる。Y世代でさえおよそ1980年代以降の生まれなので、私などはその前のX世代(1960年代以降とされる)でさえなく、超抵抗勢力?W世代

あえて「ディスラプション」と表現された、テクノロジーが旧勢力を徹底的に破壊していくさまの描写には凄まじいものがあります。まさにイノベーションそのもの。これらによりもたらされる近未来。人間の能力や生存そのものが「拡張され」大きく変わります。
では、そうした近未来人が住む都市はどうなっているか。本書の冒頭に示される4人の職業やライフスタイルをよく読むと、例えば、大都市都心部では自動運転以外は禁止する法案の審議が進んでいるなど、テクノロジーと法律の葛藤が各所にあらわれます。2023年のニューヨークロンドンでは自動運転法案は「今のところ優勢ではなかった」(p36)とされますが。
しかしそれは2023年の話。先にいくと、土地利用やサービス、その提供者はかなり変化します。ドローンなども含む広義のロボットが等比級数的に普及しはじめ、2032〜33年頃には世界人口(人間)の数をロボットの数が追い抜くさまがp199に紹介されています。

【in evolution】イノベーションの源泉
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885/

2018-04-22

『プラットフォーム革命』(ロンドンイノベーション(8))

P.ホールが『Cities in Civilization』の最後のパート「Book Five」で見通すことが困難だった都市文明の将来。あまりに変化が激しく、人間が置かれた状況が大きく変貌しています。

標題の図書に入る前に、都市の新しい経験から。
ロンドンのロイヤルオペラハウスでつい先日上演されたバレエを日本で観れるというので、行ってきました。といってもこれは映画の話。20数ヵ国の1000館にも迫る映画館で、少しずつ期間は異なるものの、ロイヤルオペラハウスオペラバレエが上演されています。付随してオーケストラも。このシリーズでは1年を前半、後半に分け、観てきたのは後半6演目の1作目。3幕構成のため、ちゃんと幕間もあり、その間は、ロンドンコベントガーデンにあるこの劇場の内部の様子が固定カメラで映し出され、臨場感を演出します。
ブログでは世界中に「住みたい都市」が増えて相互に自由に行き来できることをめざしていますが(Welcome Page参照)、もしこうしたバーチャル化が精度高く進むと、世界のどの都市においてもロイヤルオペラハウスを体験できるのかと思ったりしました。

さて、この『プラットフォーム革命』(英治出版、2018.2刊。読むきっかけとなったのは毎日新聞2018.4.15「今週の本棚」(松原隆一郎の評))。プラットフォームを介してプロデューサーと消費者を結びつけることで、ありとあらゆるニーズをビジネス化します。そのビジネスモデルを、かなり理論に近い領域にまで迫りつつ解説します。何か新しいことがわかるというより、読み手の関心によってその思考にヒントを与えるような整理がされている書、ととらえました。プラットフォームビジネスを成功させたい起業家、売れるアプリを模索する開発者、プラットフォームを構築し業務を新展開したい経営者、こうした経済現象を理論化したい経済学者、、、など、など。

さきほどのロイヤルオペラハウスビジネス、誰がプロデューサーなのでしょう。また、究極の世界展開はどこまで可能なのでしょう。
かくいう私。ロイヤルオペラハウスのリハーサルしか観たことがありません。最後はやはり「本物 」。季節も良し。またロンドンに行きたくなってきました。

【in evolution】イノベーションの源泉
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885/

2018-04-17

「市街地創造論」がはじまっています。

隔年開講の大学院科目「市街地創造論」が先週より始まりました。
市街地創造論2018.pdf 直

前回2016年度の内容を2年分新しくしました。オリンピックなどの都市とイベントを扱うテーマは小さくし、人口減少が進み新たな都市構造をつくる話題を設けました。東日本大震災からの復興を2年分新しくし、その他のトピックもそれぞれ2年分更新しています。横浜市用途地域見直し作業がはじまっているのでその話題を加え、先月訪れたポートランドブータンのかわりに入れました。
こうしてみると、2年というのは短いようでさまざまな変化があります。

[2018.4.24追記:すべてのプロジェクト等について基本的に「その後」をフォローし評価・考察しているため、イノベーションの持続性や評価の変化について毎回議論することになります。このことはこれまでの視点とは異なるため、「都市イノベーションworld(2)」に追加して組み込みます。]

2018-04-01

八戸からいわきまで・2018春(2)

2018年4月1日、嵩上げされた新市街地に、「JR陸前高田駅」がオープンしました。被災した場所から内陸寄りに移動しています。ちいさな駅舎は前駅のイメージを引き継ぐもので、窓口も設けられています。駅前広場はこれから工事が行われ(今は場所だけとられている)、2018年9月にオープン予定。レールの無いBRT(バス)による運用ですが、「陸前高田駅」ができたことは、復興が進んでいる象徴のように感じます。
2年前、延々と高く盛られた土砂を見上げながら、どうしても計画に描かれた復興の姿を想像できなかった自分。
その2年後。嵩上げ部分が平らにされて新たな大地となり、中心部には昨年4月、図書館も組み込んだショッピングセンター「アバッセたかた」がオープンし、その周囲には新たな店舗等が建ちはじめました。公園には三世代で楽しむ市民の姿も。
2年後の2020年をイメージできる段階まできました。丘陵部から降りてくる幹線道路や、丘陵部を横断する新しい道路もかなりできてきたので、都市としての全体のつながりも感じられるようになってきました。

2年前に三次元の復興の姿がどうしてもつかめなかったもう1つの町、志津川
その志津川も、特に、区画整理事業の範囲の川の東側の整地が進んで新しい地盤があらわれ、「まちなか再生計画」の中心施設「南三陸さんさん商店街」が昨年3月にオープンして多くの観光客でにぎわっています。低地部はこの施設も含めて非居住地とされました。
これに対して、町民の復興はむしろ国道45号線に沿って、復興計画で「新志津川駅」と想定していたあたりに至る区域や、台地上の都市機能集積区域などが中心になっています。
前者の目玉は昨年7月にオープンしたスーパーマーケット(アップルタウン)。それまで町外の遠くまで買い物に行っていた町民にとって待望の施設。区画整理事業の申出換地で産み出した大きなブロックへの出店です。また、後者の区域でも高台移転した新町役場が昨年9月にオープン。他の都市機能とともに、町の中心性を高めています。
現在、この2つの区域を直接結ぶ道路の仕上げ段階で、これができると、町の主要部の一体感が出てくるものと思われます。これらを結ぶBRT(バス)の新駅や新ルールも先日発表されました。

以上のように、2年前に最も想像が困難だった、大規模な嵩上げを伴う2つの町の復興がここまできました。
2年前に「もう少し時間がかかりそう」としていた大槌も、嵩上げされた町中に多くの建物が建築ラッシュで、2019年3月に復旧が決まったリアス線の鉄道新駅のプラットホームや線路、駅前広場が姿をあらわしています。

[2年前の状況]
八戸からいわきまで・2016春(その1)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160315/1458029813

[参考]
【統合ファイル】東日本大震災復興
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120305/1330943180

2018-03-30

新しい都市計画システムの構築に向けて(1)

「新しい都市計画システムの研究」として行ってきた「近隣レベルの都市計画を統合する新たな都市計画システムの研究」がまとまりました。
今回は、近隣レベルの「まちづくりプラン」「まちづくりルール」「エリアマネジメント」などの成果を、どのようにしたら都市計画の体系に組み込めるかの研究です。現行の都市計画法が半世紀前のものであるため(1968年法)そこに接続させることには無理が生じると判断し、2018年時点での新しい都市計画法そのものの理念や構成を設定したうえ、その新しいシステムの中に位置づけています。
新しい都市計画システム1.pdf 直

[参考]
【研究ノート】新しい都市計画システムの研究
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150424/1429839716

2018-03-25

八戸からいわきまで・2018春(1) [=「浜通り地域の復興の現状(その6)」]

東日本大震災から7年。
最も困難な課題からの再生を模索している2つの課題に絞り、2020年頃までのプロセスを想像します。1つは原発被害からの復興。2つめが、大規模盛土を伴う復興。

まず、1つめの課題から。「避難指示解除」から1年が経過した町民の「帰還率」は富岡、浪江共に数パーセント未満とされますが、まちなかの状況は、かなり異なってみえます。

富岡。駅が機能し、区画整理事業が駅前から内陸方面にかけ行われて、ホテルや集合住宅・アパートなどが立ちはじめています。富岡川手前には面的に戸建住宅団地がつくられ、入居が始まっています。その奥にはクリニックモールやスーパーマーケットがあり、生活の基盤もできてきています。2018.4からは(生徒数はきわめて少ないものの)小中学校も7年ぶりに再開。その小中学校がこの中心にあるため、再開の意味は大きいと感じます。国道6号をはさんで向こう側(内陸側)が旧市街地。帰還率が低いなか、あちこちで建設工事が行われています。よくみると、空き地が多く、かなりの建物が解体された様子。解体中の建物も見かけます。
目を駅の東側に転じると、鉄道と海にはさまれたスペースは除染土(袋)の仮置き場となっていて、仮置き場が撤去されたあとに、新たな土地利用が計画されています。駅をまたぐ道路も工事中。
このように、「今」という瞬間に町の再生への動きを感じます。(「再生の動き」の中には復興事業そのもののエネルギーも含まれる。)
なお、富岡には1つ北に「夜ノ森」地区があり、「帰還困難区域」の中で先行して除染を行い避難指示解除をめざす「特定復興再生拠点区域」390haの計画が先日認定されました(2018.3.9)。

浪江。富岡を「動」とすると、浪江のまちなかは「静」でした。正確に言うと、国道6号の角にローソンがあり、そこから(以前はバリケードがあり入れなかった)町へ入っていくのですが、その入り口付近を除くと、商店街には人の気配がありません。浪江駅も寂しい雰囲気。町中を回ってみても同様です。ローソンのある国道6号と駅の間の距離がかなりあることも「静」の要因かもしれません。
そのローソンから町に入った所に町役場があり、ローソンとの間に仮設店舗群ができています。そこにもう1つミニローソンが入っていて「お客の多くは町役場の人」と店員さん。
歩いただけでは、2020年を想像することはかなり困難でした。土曜だったからなのか、、、7年後のこの様子は、なかなか言葉では言い表せません。

「特定復興再生拠点区域」はさきの富岡町夜ノ森の390haに加え、大熊町に880ha、双葉町に555ha、浪江町に661ha設定されました。計2466haは「帰還困難区域」33700haの7%。「除染で5年以内に避難指示が解除され、計画的・効率的な公共施設が整備可能な規模」とされます(2018.3.19日経新聞による)。
3つの「特定復興再生拠点区域」を通る
常磐線は「2019年度末」の復旧をめざしています。

[2年前の状況]
八戸からいわきまで・2016春(その3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160516/1463389716

[参考]
【統合ファイル】東日本大震災復興
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120305/1330943180

2018-03-20

「みうらからはじめる研究会(第3回)」を開催します。

明日3月21日午後に、「みうらからはじめる研究会(第3回)」を開催します。
詳しくは、地域連携推進機構HPをご覧ください。
http://www.chiiki.ynu.ac.jp
facebookはこちらです。
https://www.facebook.com/miuraht/

「ネクストアーバンラボ」が発足し、次々と地域連携活動の報告会、研究会、講演会などが機構HPに掲載されています。
合わせてよろしくお願いします。

[参考]
【研究ノート】豊かな縮減都市研究プロジェクト
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150421/1429585284

2018-03-13

アベニュー/ストリート/ブロック

ポートランドで最も興味をもったのは、およそ60m四方の小さな街区(ブロック)です。事前ミーティングでこのことが話題になり、「本当?そんな小さいわけないでしょ」などと、当初は信じられなかったのですが、歩いてみるとある意味、ポートランドという街の雰囲気を決定づけるのがこのことではないかと思えてきました。少しこのことに注目して都市イノベーションworld的テーマにひろげてみます。実は、今回は「都市イノベーションworld」第50話。いつものようにここで一旦区切り、改めて4月から「都市イノベーションworld(2)」をはじめます。

第一。なぜポートランドの最初の都市計画レイアウトの際、60メートル四方にしたのか。山崎(『ポートランド −世界で一番住みたい街をつくる』p38)によればそれは、「街を開発した地主たちが、角地が多い方が賃料を高くとれると目論んで」計画された、とあります。では、類似他都市はと、おおざっぱに測ってみると、北隣のシアトルはおよそ80メートル角。面積が6400屬搬腓くなるため所々で背割り線が入り2分割されます(6400÷2=3200。ポートランドの60×60=3600に近くなる)。さらにカナダに入りバンクーバーをみると50m×130メートル。面積6500屐少し飛んでニューヨークは山崎の同書で274m×80mと紹介されています。面積21920屐0柄亜薄暗くなったNYを274mの辺に沿って歩いた際、なかなか角までたどりつけず不安になったことを思い出します。「アメリカで最小といわれている」(山崎同書、同頁)60メートル角の街の雰囲気は独特なものです。昨日、バルセロナ帰りのN先生は400メートルを3で割ったバルセロナ市街地は巨大に見えたというようなことをおっしゃっていました。(←道路部分もあるため街区は113.3m四方。ただし街区の角が削られている)
第二。ブロックに注目すると第一のような見方になりますが、そもそもブロックとはアベニューとストリートで切り取られた結果でもある。そうすると、60メートル角という「最小」のブロックを成立させる道路とは、どういうものか。これも歩いてみるとかなりの驚きで、特にストリートはとても狭い。ストリート側が狭いのは一般的とはいえ、そうしたところにLRTがゆっくりと、ゴトゴト音を立てながら行ったり来たり(正確にいうと、「行ったり」or「来たり」。道路が狭くアベニューもストリートも一方通行になっているため)しているのを見ると、「おお、こういう風になるのか。」とまた驚かされます。さきほどの解説を受けるなら「賃料を高くとれる」ようにするにはあまり道路が広すぎるのもよくないし狭すぎるのもいけない。
第三。ところどころに入っているイレギュラーな部分が興味深い。特にポートランドでは第8と第9アベニューにあたる道路の間の街区幅が半分ほどしかなく(ストリート間は60mのまま)、そこが線状に公園化されている(左右の道路部分も含めるとそれなりの幅になる)。その線状公園に沿って大学や文化施設が立ち並び、多様で独特な雰囲気をつくっている。当初計画ではこれをずっとつながる緑道にするはずだったが、民間に売却されてしまったりして一部できなかった部分がある。
第四。この「できなかった」部分について、「できなかった」のか「まだつなげるつもりで事業化の最中」なのか考えるのもおもしろいのですが、逆に、現状の未完成的な部分もおもしろい。例えば一ブロックのみが独立してスクエア風に開発・再生された箇所があり、そこは驚くほど立体的にさまざまな交通機能を支えているほか、スクエアを取り巻く土地利用との関係をつくっている。

以上、まるでパズルのような話ではありますが、横浜関内はどう設計されたのか、ポートランドシアトルバルセロナとどう違うのか、どこが似ているのか、東京都心部はどうか、、、などとこだわってみると、いろいろなことが見えてきそうです。 <都市イノベーションworld・おわり>

[参考]
【コンセプトノート】都市イノベーション
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141110/1415588957

2018-03-11

『THE PORTLAND EDGE』

とある仕事で、初めてポートランドに行ってきました。ごく短期間のため都市そのものへのコメントは控え、かわりに、ポートランド州立大学の教員らが中心になって2004年に同大学から発刊された標記図書について紹介します。
Conny P. Ozawa編。副題は「Challenges and Successes in Growing Communities」。

一言で本書の特徴をいうと、手放しでポートランドは良いとする情報が多いなかで、また、その裏返しとして問題点をあげて、行きすぎたやり方を批判する言説もあるなかで、できる限り客観的に、できる限り進化プロセスをていねいに紐解いて、ポートランドが達成したことは何だったを2004年時点でしっかり押さえていることです。
しかしながら本書の魅力は単に客観的であるというよりも、自らも何らかの形で関わってきたそれぞれのテーマに責任と愛情と誇りをもち、できるだけ正確に、かつ前向きに各章が書かれていることにあると思います。
2004年から14年後の2018年のポートランドにも大きな課題があることを頻繁に聞きました。
なかでも2004年に既に書かれていたホームレス問題は、(おそらくは全米で問題になっている貧富の格差問題を背景としながら)ポートランドで深刻になっているととらえられていて、様々な政策も検討されているようです。

改めて考えれば、課題の内容こそ違えど、当時の深刻な課題に時間をかけて真剣に立ち向かった結果、イノベイティブな成果が積み上げられてきたといえます。このことは、2章全体を通して強く強調されていますし、他の章でも個性豊かに描き出されます。ある意味、各章の著者の顔や研究実践の姿そのものが思い浮かぶような感じがします。

取り組みの結果の指標ともいえる「住みたい都市」度については、またの機会に考えます。

2018-02-22

紀元前後の都市人口

「1500年」からさかのぼって「1200年」「800年」ときました。最後は「紀元前後」とし、「100年」のチャンドラーの推定人口をみてみます。

ローマ 450000
洛陽 420000
セレウキア 250000
アレクサンドリア 250000
アンティオキア 150000
アヌラダーブラ 130000
プルシャプラ 120000
カルタゴ 100000
呉(蘇州) 90000-100000
スミルナ 90000

さすがに???の都市名が多いですね。調べてみると「セレウキア」は「アンティオキア」の前の現イラク地域の中心地。「アラヌラダーブラ」はスリランカ中北部の、「プルシャプラ(現ペシャワール)」は現パキスタンの、いずれも仏教で栄えた都市。「スミルナ(現イズミル)」は現トルコエーゲ海に面する都市。なお、チャンドラーの推計値は低めになっていると評価されていて、ローマの人口「450000」も他の推計では一般に「1000000」とされます。
最後に「洛陽」の420000ですが、以前の記事(⇒関連記事1)で「順帝の時代(125〜144年)には、首都洛陽の「太学」(大学)は240房、1850室の大規模なものとなり、太学生の数はやがて3万人を超えるにいたった」とする文献を引用しています。水道を遠くから引いてきたローマの技術力もすごいですが、大学生が何万にもいたとされる洛陽もすごいです。
念のため、これ以前に人口1000000に達していたと推定されているのは唯一、紀元前100年の頃のアレクサンドリアです(⇒関連記事2)。

[関連記事]
1.纏向遺跡再考〜グローバルな視点から (2017.10.12)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20171012/1507782004
2.Sunken cities (アレクサンドリア開墾)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160523/1463991285

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-02-21

800年の都市人口

「1200年」からさらにさかのぼって、まだ古代の帝国的な都市システムが力をもっていた頃の「800年」の都市人口をみてみます。
日本で平安京に都が移された頃、東アジアでは長安を中心とするゆるやかな都市文明が栄えていたのと同じように、コンスタンチノープル(キリスト教の中心地)やバグダード(イスラム教の中心地)を中心とするまとまりが形成されていた、、、その頃の古代世界都市システムの様子を都市人口から見てみるとどうなるか。

チャンドラーの推定都市人口で大きい順に並べてみます。
バグダード 700000
長安 600000
洛陽 300000
コンスタンティノポリス 250000
平安京 200000
コルドバ 160000
バスラ 100000
ラサ 100000
フスタート(カイロの前身) 100000
レイ(イランの古代都市) 100000
ここまでで10都市ですが、もう少しあげると、
アレクサンドリア 95000
蘇州 84000
武昌 84000

洛陽は当時の中国の副都的存在(⇒関連記事へ)ととらえると、上位3都市がそれぞれのサブ・グローバル圏の中心です。とはいえ、「コンスタンティノポリス 250000」というのは他の2つに比べるとかなり小さい。東ローマ帝国の中心都市として建設されたこの都市も7世紀に入るとイスラム勢力に押されて帝国の領土を縮小。上記コルドバ」も711年には征服されたあとの状態です。さらにコンスタンティノポリスの人口は「746年のペストの流行の際には、人口は最低水準(7万人?)に落ち込んだ」(『ビザンツ文明』(文庫クセジュ)、2007、p71)。西ローマ帝国は既に476年に滅亡しており、都市という意味ではヨーロッパは個別分散的なものだった。たとえばロンドンは国内的には主要な交易都市であったものの1100年になっても18000人にすぎません。

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-02-20

1200年の都市人口

これまで、都市システムがグローバルに展開しはじめた「1500年」、産業革命に伴う都市の近代化への圧力が高まった「1850年」を都市イノベーションの節目として描いていますが、「1500年」の1つ前の節目を「1200年」とします。

「1200年」の世界の都市人口を、チャンドラーの推計により大きい順にみると、
杭州 250000
フェズ 200000
カイロ 200000
パガン 180000
鎌倉 175000
アンコール 150000
コンスタンティノポリス 150000
パレルモ 150000
マラケシュ 150000
セビリア 150000
ここまでで10都市ですが、参考のためもう少しあげると、
北京 130000
南京 130000
パリ 110000
広州 110000
開封 100000
バグダード 100000
他に100000なのが、ディムヤート、平安京、大理(中国雲南)

中国の諸都市が目立つほか、カンボジア(アンコール)やミヤンマー(パガン)の中心都市の中心性が高かったことも興味深いです。できたばかりの鎌倉が「世界第5位」になっているのも発見です。当時台頭してきた武家が開いた都市としていわば社会実験的なものだったといえるかもしれません(1250年には4位、1300年には5位でしたが1350年には25位までのリストから姿を消しています)。

ここでは文明と文明がせめぎ合っていた西方に着目します。
マラケシュ/フェズ−ディムヤート(ナイル河口)/カイロバグダードアフリカ側の地中海等に沿ってイスラム都市が並び、セビリアパレルモ(シチリア島)が向き合っていた。向き合っていたどころかイスラム勢力からセビリアスペイン側に取り戻したのは1248年。南イタリアに到来したノルマン人がイスラム支配下のパレルモを陥落させたのが1060年のこと。「取り戻した」「陥落させた」などと書くとそうした一面だけに注意がいきがちですが、このような国際都市においてこそ当時最先端だった科学をアラビア語から翻訳して「十二世紀ルネッサンス」が花開いたのでした(他にはトレドやピサ、ヴェネチアなど(『カラー版 地中海都市周遊』(中公新書)などでそうした都市の空間的魅力が味わえる)。

そうしたグローバルなスケールでのイノベーション的葛藤を除けば、どちらかというと国内的な動向、もしくはせいぜい地域的な動向、あるいは地域間交流・交易が当時の都市を取り巻く環境だったと思われます。日本に限れば、907年に唐が滅んだあとはしばらく「外圧」が弱くなり、13世紀末の蒙古襲来もなんとか食い止めると、16世紀前半頃までは国内事情で都市や地域が変化していったと考えられます。
しかしながら「中世に固有な都市類型について、共通認識が得られていない」(『岩波講座 日本歴史(中世2)』(2014)「中世都市はなかった?」p255)状態で、あえていえば「市(いち)・宿・津・湊・寺など」の交易都市(町)に都市特有の景観がみられたとされています(同書p278)。


【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-02-19

雪山の大景観と地域イメージ

昨年1月早朝、横浜の研究室から南アルプスらしき雪山(甲斐駒ケ岳など)が見えていることを発見しました。一般にこの時期の景観はうっすらと冠雪した丹沢山系の左手にひときわ高い白妙の富士というもので、皆が見ているこうした都市景観は、それぞれの地域、それぞれの季節によって大切にされてきたものと思われます。先日、はじめて藤沢市新市庁舎での会議があった際、そのフロアの廊下の正面に冬の午後の光を浴びた大きな富士が構えていて感動しました。最上階には議会関係施設とうまく住み分けながら配置された展望施設があり、湘南の海までかなり広角に「わが町」を展望できます。

この季節の地域の大景観。冠雪した山がくっきりと見えることで、いつもは気づかない新たな発見があります。少し前に書いた近江商人の湖東(⇒関連記事1)からはじめ関東方面に向います。
この季節、湖東から湖西方面をみると、まるでバンクーバーのようです(←イメージ。現在開催中の冬季五輪に影響されているかもしれない)。その山々はずっと奥の日本海方面まで連なっていて地域の広がりを感じます。雪に覆われた伊吹山が転換点となって関ヶ原を抜けると、前方に御嶽山が、その少し左手に北アルプスの(と思われる)峰々が見えてきます。御嶽山は角度をかえつつ、手前の状態(山の高さや眼前の土地利用等)によってさまざまな見え方をして、岡崎を少しすぎたあたりで山かげに隠れます。ここから愛知/静岡界を越えて富士山(および南アルプス)の冠雪が見えてくるようになるまで「遠景が見えない区間」なのですが、1ヶ所だけ、豊橋の少し手前あたりでアルプスの(と思われる)峰々が見える区間があります。今まで気づきませんでした。また、静岡県に入ってほぼすぐのあたりから富士山が見えていることに気づいたのもつい最近のことです。富士山は単独でも景観としてすばらしいですが、「南アルプス富士山」「富士山愛鷹山」「富士山丹沢」などのさまざまな組み合わせによって、地域ごとの景観を個性的なものにしているのでしょう。

本日は雨水。こうして地域ごとの景観をくっきりと浮かび上がらせた冠雪が解け始めて、次の季節にはどのような景観が心に残るようになるのでしょうか。

[関連記事]
1.『コミュニティー・キャピタル論』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180122/1516620969
2.三島富嶽三十六景
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140428/1398651165
3.海の県道223号(静岡県)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140412/1397269299