Hatena::ブログ(Diary)

地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

2017-09-20

「全国まちづくり会議2017in横浜」の開催迫る(10/7土,8日)

「都市計画家協会」が開催する「全まち」が、いよいよ今年は横浜で開催されます。
https://www.jsurp.jp/全国まちづくり会議/

現段階の上記URLをみると、横浜をめぐるさまざまなまちづくりがすべて出そろうような勢いで、ということはこの分野の関係者がたくさん登場するような感じにひしめいています。
場所は横浜市立大学。駅からすぐなのでとても便利。

上記サイトにさらに具体的情報が追加されると思われます。ねらいを定めて、ヨコハマまちづくりに接してみてください!

2017-09-19

『PROSPERITY WITHOUT GROWTH』(Second Edition)

政府レポートとして2009年3月に執筆されたものが評判となり、2010年にEarthscanから出版(2012年に邦訳『成長なき繁栄』)。17の言語に翻訳されたものに大幅に手を加え2017年にRoutledgeから出版されたのが本書です(Tim Jackson著)。地球環境からの制約と、行き詰まりをみせる資本主義と、真の豊かな生活の追及という3つの課題を、「成長なき繁栄」との切り口から突破することができるとする内容。専門書というより政策提言、あるいは啓蒙書。ただし本書の背後にはマクロ経済学があり、こうした「成長なき繁栄」のマクロ経済に「現実的に移行できることがモデル的に解けた」などという部分(補注がふられている)を本当は理解したり発展させるべきなのでしょう。
さて、まずは「成長なき(without growth)」というややショッキングな表現の解説から。そもそも「資本主義(capitalism)」の一般的定義が、「市場経済」とは異なり「成長」を前提とするものなので、そうした前提は取り払うという意味であえて宣言している。しかし、「The end of capitalism?」(p222-225)かというとそうでもなく、ここでは「?」がつけてある。つまり、本書の提案は現在のような「casino capitalism」「consumer capitalism」ではない、政府の積極的なかかわりを求め地域コミュニティの能力などを活かすという意味で(資本の私的所有を前提とする資本主義に比べて)「less capitalistic」である。つまり、一般にいわれる「ポスト資本主義」を論じています。論としてはまだまだおおざっぱですが、出発点としては共有できそうな議論です。以下、興味深いと感じた点を2つあげます。
第一。第3章の「Prosperityを再定義する」の「Happiness wars」(p55-61)で、「幸福度」研究の成果についてふれ、p58で世界各国のGDPと幸福度の関係(同じくらいのGDPでも幸福度は大きく異なる)を示したあとp61において、「繁栄とは短期的な覚醒と長期的なセキュリティとの良好なバランス関係である」と定義。つづく「Bounded capabilities for flourishing」においてセンの議論と関係づけるなど、目標とする「prosperity」の要件や内容を深く吟味しています。
第二。政策を議論する第9章「Towards a ‘Post-Growth’Macroeconomics」の「Governing the commons」においてオストロムの成果をとりあげ、コミュニティーによる効果的なモニタリングを行うなどの条件があれば「コモンズの悲劇は起こらない」、また、「政府の役割は市民が繁栄できるcapabilitiesを用意することである」(p200)などを議論しています。(地域・近隣レベルでのガバナンスがどのような条件のもとで有効かの議論。)
最後に。世界中の読者がいる本書のエピソード。著者が国連の会議で「growth dilemma」についてスピーチを行ったところ、司会者が「このような「成長(growth)」の議論は既に成長をとげた贅沢な国だけの議論なんでしょうかねぇ?」とエクアドル代表の大臣に質問。すると、「もし「成長」が利己心と消費が基本となる社会に達することを意味するのでしたら、私たちは「成長」したくありません」との返答だったと。(プロローグに紹介されている。補注6番に参考資料)

[関連記事]
・『さらば、資本主義』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151019/1445253859

2017-09-12

CILの話(その4):集めた資金を使っていないそれぞれの事情

開発の用途と広さに合わせて賦課金(levy)を徴収するCIL(Community Infrastructure Levy)制度がどうもうまくいっていないのではないかと、国も対応に乗り出そうとしている様子を伝えたのが(その3)
本日手にしたPlanning誌2017.8.18号の冒頭および20-21頁に、Planning誌が独自調査した結果(20-21頁)と、それへの見解(5頁)が出ていて、なかなか興味深い内容です。
まずは結果の方。2013年末までに徴収をはじめた初期32自治体のこれまで(2017年半ば頃までと考えると、短くとも3年半経過)の徴収額は166.3百万ポンド(1ポンド140円として約233億円)だったのに対して使われたのはたった16%(26.2百万ポンド)。いったいどうなってるの、というのが素朴な問いかけ。
以下、当該自治体の見解(言い訳)、使わせるためのアイデア、Planning誌の見解(5頁の論説)の順にみていきます。

まず、当該自治体の見解はさまざまです。最初にはじめたNewark and Sherwood(インフラへの配分0%)は、リーマンショック後の景気後退で当初の見込みに達せず、優先的に進めようとしていたインフラ整備ができない状態と説明。平均的にたくさん徴収できているロンドンの中でも稼ぎ頭のWandsworth区(インフラへの配分8%)は、集めたらすぐ使えなんて言わないでください。ちゃんと、考えていますから(例としてタウンセンターの一方通行化)と説明。続く2番目の稼ぎ頭のロンドンブレント区(同0%)。戦略的プロジェクトの合意形成に時間がかかっている。先月、ウェンブリー地区の都市再生に配分することを決めたばかり、と解説。以下、「成長ゾーン」の指定がかなうかどうかで判断する(つまり時間待ち)ケース、インフラ整備計画の精査に時間がかかっているケース、最近ようやくまとまった資金が集まってきたのでまだ使っていないケース。
一方、徴収と使用の時間差を「問題」とみての批判者の意見(の一端)が冒頭の論説で紹介されていて、それは使用期限を設けて使わさせるというもの。

さて、この論説記事の軍配は?
タイトルにあるように、「未使用分がたまっていること自体は問題ではない」というものでした。使っていない自治体側の言い分は理解できる。むしろデッドラインなんか設けたら意味の無い使われ方に流れてしまうでしょう、と。
今回の(その4)と、1つ前の(その3)を合わせるとだいたい論点は整理されており、あとはこの制度をどうするかの結論を出すのか、当面運用でやっていきましょうとなるのかが見所です。

2017-08-28

地方創生の手がかりとなりそうな特徴ある都市はどこに?

昨日の毎日新聞に、野村総合研究所が実施した「都市の成長力ランキング」についての記事が掲載されていました。これはおもしろいと、原データにあたるべくいろいろトライしたのですが、さすがにデータそのものは出ていません。最大限正確な情報をもとに、この調査の意味を類推してみます。
まず、「都市の成長力ランキング」というのは微妙です。実は、本調査の「タイトル」にあたるものはどこにも見あたりません。「成長力」とか「潜在成長力」は確かにメインの軸として分析されていて新聞記事でもそれを使っていますが、「成長」という概念自体の幅を広げた、あるいは地方都市のめざす「別の道」を探ろうとしたところにこの調査のおもしろさがありそうです。
第二。分析方法を最も客観的に示しているのが2017年7月5日の第255回NRIメディアフォーラムで使われた(とされる)スライドの22-27枚目。特に、「風土」「基盤」「環境」の3要素のうち「風土」「環境」分野では住民アンケートによる評価項目が多数含まれています。ただし、どのような設問だったかなどの客観情報は書かれておらず、設定したライフスタイル別にどの指標を使ったのかも書かれていないので、正確なところはわかりません。また、全国の100都市を選んだとしており都道府県を網羅しつつ県庁およびその次の人口規模の都市などが選ばれたり選ばれなかったりする感じです。しかし北海道は8都市、愛知県は6都市が選ばれているなど、バラツキはあります。
第三。「総合ランキング」だけでなく、「ポテンシャルランキング」や「ライフスタイル別ランキング」などの評価を行ったところが本調査の最大のおもしろみだと思います。1つだけ例をあげます。4つある「ライフスタイル別ランキング」のうち「子育てしながら働ける環境がある」の第1位は松本市。そのあと、前橋市佐賀市鹿児島市上田市福岡市長岡市熊本市奈良市出雲市と続きます。「地域コミュニティの絆が強く、家族と過ごす時間も多い傾向にあり子供を見守る環境にある」「医療や買い物が充実し生活コストも安いため、市民の生活満足度が高い点も特徴」「治安や安全性が高いこと、公園や緑地など憩の空間が充実しているなど子育てには重要な要素も満たしている」といった解説が付されたライフスタイルです。先週も佐賀市の中心市街地の衰退をめぐってゼミでも議論になったところですが、「駐車場だけらけで困った状態」のこの都市の課題を考える際に、このような尺度を当てて考えてみることも重要ではないかと思います。
第四。(欲をいえば)データやアンケート設問そのものや100都市の選定根拠を公表していただくか、アクセスしやすくしていただくことを望みます。そうすると例えば、4つのライフスタイル別の結果と「総合ランキング」「ポテンシャルランキング」との関係など、いろいろな切り口で都市の状況や課題や可能性を探れそうです。既に取り組んでいる最中なのかもしれませんね、、、

2017-08-22

『Localism and neighbourhood planning』

Sue Brownill and Quintin Bradley編著、Policy Press2017刊。
近隣計画の5年間の運用も踏まえて、都市計画の世界に「近隣計画」という分野を持ち込んだ意味と意義、効果について広く論じた重要な書。副題に「Power to the people?」と慎重に「?」が付されていますが、基本的には近隣計画の可能性をポジティブにとらえ、新たな都市計画の可能性を拓く議論が展開されます。
15章構成のうち8章は編著者の少なくとも片方が論じているので、この書はオムニバスというよりも、編著者2人の研究成果をまとめた学術書といえそうです。重要そうな論点や本書のおもしろさをいくつか記します。

第一。都市の中に「近隣」を設定することの意味を総合的に論じています。あくまで都市計画的アプローチで「近隣」を設定するわけですが、設定することに伴い、その範囲に入るべき領域とその範囲を誰がガバナンスするかの課題が出てきます。
第二。その「近隣」は同質である場合もありますが、特に大都市部においては複雑さが増す場合が多い。そのような近隣での対処の経験が事例豊富に語られます。近隣計画の策定を絶対的なものとせず、結果的には他の都市計画ツールを用いて融合を図ろうとした例が紹介されているなど、実践的にも興味深いです。
第三。そのようなケースも含めて、多様な運用経験が語られていてそれらを読むだけでも興味深いです。ざっと数えたところ、29の近隣計画の事例が紹介されていました(途中段階のものや結果的に近隣計画にならなかったものも含む)。それらのうち9事例は本ブログでも紹介したものですが、特に、ロンドンをはじめとする大都市部での事例(その多くはまだ近隣計画に結果していない)がさまざまな切り口で取り上げられています。
第四。市場が動きやすい都市計画を近隣に肩代わりさせようとする問題も指摘されてきました。本書ではこれまでに議論されてきたさまざまな問題をできる限り誠実に、できれば証拠をあげてその白黒をつけようと努力しています。けれども、実証はしきれない。実証はしきれないけれども、近隣計画の可能性を、単なる主張としてではなく、5年間の運用を踏まえて論じようとしている点が最も優れていると感じます。

まだまだあげればキリはないのですが、今日、身近な環境を自らかかわりながらより良いものとし、場所の個性を磨き、市場に翻弄されるのではなく住みやすい地域を皆で創造する方法が求められています。本書は、副題の「?」にも注意しつつ、それぞれの立場で読める良書だと思います。なお、途中でフランスアメリカ等とも比較しており、それだけでも十分意義深い内容だと思います。

[参考]
・Localism and Planning (イギリス最新都市計画統合ファイル)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20131223/1387799666

2017-08-09

『CITIES IN CIVILIZATION』(その5) Book Fiveに代えて

千頁に迫るこの図書の最後の50頁ほどがBook Five「The City of the Coming Golden Age」となっていて、これまでのOneからFourを統合して未来を予測しようとする内容なのですが、本書が刊行された1998年から既に約20年が経過しており内容が古くなっています。従ってここでは「Book Fiveに代えて」本書の重要な成果を自分なりにまとめてみます。

第一。タイトルの「cities in civilization」とはどういうことだったか。日本語に直すと「文明の都市」となってしまいますが、それでは意味がわかりません。あえて一言であらわすと、本書は「都市イノベーションの歴史」の本です。そもそも都市というところに文明が花咲くわけですが、その「花咲く」瞬間、キラリと光る「何か」を人類の都市の歴史から抽出して並べてみる。そのキラリと光るものが長く続いたかどうかは問わない。むしろそういうものは少なく、むしろ一度あらわれたものは規範とされ(うまくいけば)別の地域、次の時代のイノベーションにつながっていく。キラリと光るものは、文化芸術の開花、技術革新、都市がぶつかった壁を乗り越えること、の3つに分けられそうである(Book OneからFourがその内容)。
第二。たとえば「文化芸術の開花」といった場合、単に「パリではこんなアーティストが活躍した。よかったネ」で終わらず、なぜロンドンではなくパリだったのか。なぜ音楽ではなく絵画なのか、どのような作家がなぜパリで活躍したのか、「活躍」とはどういうことか、なぜこの都市では「活躍」できたのか、といったことまで踏み込み、システムの確立までとらえています。システムとして確立している状態は、経済的にも社会的にも政治的にも噛み合っている状態であって、そのような「Golden Age」のありさまそのものを「civilization」ととらえています。
第三。そうした都市は、たいていはその時代の先端都市にかかわっている。その時代を先取りするような条件が芽吹いた地球上のある地点・地域にかかわっている。その都市を事後的にみてしまうと「大都市」がほとんどなのですが、むしろそれは結果であって、もともと現代でいうところの大都市だったわけではない。むしろ、先端的であったがゆえにさまざまな人々が集まりさらにイノベーションが起こりやすくなり、結果的に都市が大きくなる場合が多かった。けれども「Golden Age」である期間は案外短く、さらなる大都市になりやすいこととキラリと光ることとは別物である。
第四。従って、次の「Golden Age」がどうなるかを予測することはできない。議論することはできるし、これが「都市イノベーションの歴史」であったと過去にさかのぼって取り出すことはできるが、論理的に、次はこうなるとはいえない。ちなみに、Book Fiveで使われているキーワードは以下のようなものです。「information superhighway」「digital revolution」「‘killer’application」「multimedia revolution」「death of distance」「ICT」「sustainable urbanism」「unequal urban world」。「次はこうなるとはいえない」し、言えてしまったらある意味オワリなのですが、私たちは、P.ホールの成果をもとに、さまざまな形で世界の都市を分析したり評価したり楽しんだりすることができ、また、どこに「次」の芽が出そうなのかを探したり、今いるこの都市で何をどのようにすることが都市イノベーションにつながるのかを考えることはできそうです。 <了>

【in evolution】世界の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2017-08-05

『CITIES IN CIVILIZATION』(その4) Book Four

タイトルは「The Establishment of the Urban Order」。
Book Oneがアート(ギリシャからはじまる)、Book Twoが技術、Book Threeがアートと技術の融合ときて現代まで達したあと、このBook Fourでは都市の秩序づけを扱います。むしろ、都市が破綻しないようにイノベーションで乗り切った(乗り切ろうとした)歴史を取り出しています。ローマの水道、伝染病が蔓延した古い都市を異なった方法で克服したロンドンとパリ、超過密問題を交通網の整備や橋やトンネル技術の革新の積み重ねで乗り切ったニューヨーク、車の増大に合わせフリーウェイによるネットワーク化の途を選んだロサンゼルス、戦後福祉国家の模範とされ差別なく国民に住宅や社会サービスを提供したストックホルム産業構造がかわり社会経済が落ち込んだドックヤードを大胆に再生して復活したロンドン
こうして並べてみると、「確かに教科書的にはそうなんでしょうけど、何かおもしろいこと書いてあるの?」との疑問も。まとめのはずの第29章もあまりぱっとしません。

そこで、自分なりの発見をいくつか。
第一。P.ホールは何に興味があるのか。「order」という切り口を何故設定したか。都市が成長するときある壁にぶつかる。とても大きな壁で乗り越えるのはたいへん。逆説的だが、すいすいと先に成長した都市が最初に壁にぶつかる。ローマの水問題が人類最初の壁で、乗り越えるまでの描写は執拗かつ体系的。他の壁もすべてそうです。
第二。壁の乗り越え方はどれも違う。だから第29章をまとめにくかった。あえていえば、「壁にぶつかったからなんとかしようとした」。
第三。ストックホルムだけは、壁にぶつかってから乗り越えられたかどうか書いてない(どちらかというと悲観的)。最後のロンドンも、まだ評価できないと保留しているようにみえます。

人類の都市の進化をこのように大胆にも「壁」を乗り越えることの積み重ねとして描いたところに、このBook Fourのおもしろさがあるのだと思います。

【in evolution】世界の都市と都市計画
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2017-08-02

ロンドンイノベーション(4):クロスレール開業(2018.12予定)を控えた都心再生

ロンドンイノベーション(1)でとりあげた「London Overground」に続いて、「Crossrail」が2018年末に開業を予定しています。ロンドン西方ヒースロー空港レディングから発してロンドン都心主要部を通過し、東方のストラットフォード方面などへ抜ける主要幹線鉄道で、「エリザベスライン」という名称も既につけられています。
そもそもこの鉄道開業によるインパクトは大きいはずですが、駅が設けられる都心部パディントン、ボンドストリート、トッテナムコートロードなどでは開業に伴う直接のインパクトをどう受け止めるかが注目されます。今回はそれらのうち、産官学民組織「The West End Partnership」により2015年に発表された『The West End:Delivery Plan 2015-2030』(⇒資料へ)から注目される事業とりあげます。「People」「Place」「Prosperity」の3章構成のどれもが重要ですが、ここでは具体的な33のプロジェクトが、それらの実施主体、必要コスト、予定時期とともに示されている「Place」をとりあげます。

7番の「Tottenham Court Road two-way」と1番の「Oxford Street West」は冒頭の「Focus」としてパース入りで説明されているので、いわば目玉事業。とりわけ最初の7番の事業は、これまで一方通行だった主要道路を双方向交通としたうえ、月曜から土曜の8時から19時まではバスと自転車だけ通行可とする超歩行者優先路線化をめざしています。予算は5100万ポンド(145円換算で約74億円、Crossrail開業に合わせる計画)。
残りの31プロジェクトをおおざっぱに分類すると、「公共空間(主に歩行者空間)改善」20、「道路空間と周囲を合わせた場所改善」5、「駅(前)空間の施設整備」4、「スクエアの改善とアクセス向上」1、「一方通行の双方通行化」1です。やはり、Crossrail開業により(ただでさえ混雑している)駅近辺の歩行者系キャパシティが不足するので、これを機会に、長年車優先で山積している問題を、公共空間の再配分を系統的・面的・徹底的(?)に行うことで、ロンドン都心部の再生の起爆剤にしようと意図しているものと思われます。ただし、全部合わせても約320億円(不明な2件を除く)の見積もりなので、あまり大きめにみるのも禁物かもしれません。とはいえ、170の民間事業が既に許可を得ているとの記述もあり、Crossrailの効果と公共空間改善効果を、これら民間事業による効果と合わせて(or効果に波及させて)どれだけイノベーションにつなげられるかが勝負所かもしれません。

[資料]
『The West End:Delivery Plan 2015-2030』(下記URLにあります)
https://westendpartnership.london/publications/

[関連記事]
ロンドンイノベーション
(1) London Overground
(2) オリンピック下町再生
(3) 外資からみた都市イノベーション

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに入れました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2017-08-01

主たる居住を目的としない住宅開発の禁止をめぐる裁判(近隣計画をめぐる新トピック(3))

「AWARDS2017」を特集したPlanning誌2017.7.3号をペラペラめくっていると、「近隣計画賞」という賞があり、それがセントアイヴズに贈られているのが目に留まりました。まだ行っていない憧れの地、セントアイヴズ。イングランドの西に張り出したしっぽのような半島の最西端付近にあるリゾート地、芸術家の集まる町。ウィキペディアでもその紹介文の最後に、「多くの観光客を集め、近年では過熱気味である」としています。

今回の受賞理由は、表題のとおり、セントアイヴズ近隣計画の中に、主たる居住を目的としない住宅開発を禁止する規定があったためデベロッパーに訴えられて裁判沙汰となったものの、この近隣計画自体はリーゾナブルにつくられており近隣計画自体のもつ可能性が(裁判官からも)高く評価されたことによります。Planningのこの号のp25にはその法的意義が詳しく解説されています。
それらも参考にして少し説明すると、第一に、ウィキペディアでも説明されているように「多くの観光客を集め、近年では過熱気味である」結果として多数の別荘開発が行われて地価が上昇。そのような別荘には年間を通してほとんど人は住んでいないのに、地価ばかりが吊り上げられて、本当にここで生活しようとする人が困った状態になっている。第二に、一般論として「主たる居住を目的としない住宅開発を禁止」することはきわめて難しく、本ケースにおいてもデベロッパー側の言い分によるとそれは、オーナーの人権を阻害するとされていました。第三に、実際の制限の実行手段としては開発許可手続きの際、開発条件としてそのような利用でないこと、そのような利用にならないことを付す方法によりポリシーを実現することとなり、それを不服として事業者が異議申立てすることになるわけですが、既にそうした申立ても却下される実績ができ、近隣計画の政策が支持されたという実績ができてきています。

こうなってくると少し心配なのは、こうした受け身の政策だけでセントアイブズはこれから大丈夫なのか?という点です。近隣計画の中では抑制的な政策ばかりでなく開発的な要素もみられること、近隣計画とは別の「Action Plan」という形で計画策定を進めようとした形跡もみられることなどとも合わせ、持続的まちづくりの行く末を見守りたいと思います。

2017-07-23

『謎のお雇い外国人ウォートルスを追って』

明治の前半に日本で活躍した外国人技術者は約2300名におよび、土木建築分野だけでも約150名が確認されるといわれます。
1982年に刊行された『明治東京計画』(藤森照信著)において「幕末の長崎に忽然と現われ、明治維新と交叉し、そして彗星のように一筋の光芒を引いて去っていった謎の建築家として知られている」とされた、銀座の生みの親ウォートルスの“謎”に迫ったのが、本年3月15日に発行された本書。

そもそも日本の近代都市計画に多大な貢献をしたばかりか、銀座という、日本を代表する、日本の文明開化のとっかかりをつくった重要な業績を残した人物が“謎”のままではたいへんマズイ状態。
本書は、ウォートルスがどこで生まれてどう育ったかという来日以前の来歴と、「彗星のように去っていった」あとどうしてしまったかという離日後の人生について長年研究してきた「銀座文化史学会」の成果です。
海外調査をはじめ数々の努力の結果、かなりのことがわかってきました。母国においても近年、ウォートルス研究が進んでいるようです。

よく行く銀座教文館で見つけました。銀座文化史学会編集・発行。研究成果の多くは、子供服の「ギンザのサエグサ」の三枝進氏によるもの。頭が下がります。

“謎”はかなり解明されましたが、なぜ彼はこのようなトータルな都市計画に能力を発揮できたのか?
その1つのヒントは、『明治東京計画』の藤森氏の解釈(同時代ライブラリー版p9)にありそうです。都市計画という、総合的な専門性と実践性。本書によってさらに、ウォートルスが母国で培ってきた空間像とそれを支える技術などについてイメージがふくらみます。本当はさらに、ウォートルスの考えを実行に移すための日本政府側の対応(力)などについても知りたいところ。

銀座は未来に向けて進化するのと同時に、過去に向けてもその理解が進化しています。

【関連記事】
・『銀座資本論 21世紀の幸福な「商売」とはなにか?』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150702/1435807577

【In evolution】日本の都市と都市計画
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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-07-19

『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』

ブランコ・ミラノヴィッチ著(立木勝訳)、みすず書房2017.6.12刊。原著は2016年Harvard University Press。タイトルは「GLOBAL INEQUALITY」。副題は「A New Approach for the Age of Globalization」。実際の内容は訳のタイトルより原題と原副題が忠実で内容そのものを表します。というのも、著者が何度も強調しているように本書の意図は予測にありません。むしろ予測はできないのだと戒めています。また、「大不平等」という内容ではなく、まさに「GLOBAL INEQUALITY」。あえて合わせれば、「グローバルな視点でみる不平等の推移 国内の不平等と国の間の不平等」が本書の内容。7月16日の朝日新聞書評に本書が紹介され、さっそく手に取りました。

本書はピケティの『21世紀の資本』(⇒関連記事1)で扱われていないグローバルな諸国を取り込むことで、世界的な(実際にはアジアを中心とする)中間層の台頭(⇒関連記事2)を数字で示します。「ベルリンの壁崩壊後」におよそ相当する1988年から2008年(リーマンショック前)の所得の伸びに注目すると、超富裕層の一人勝ちではなく、こうした中間層と超富裕層が同程度の伸びになっていること、グローバルで80%の層(上位20%とその次の20%の境目)の所得はまったく伸びていないこと、それはいわゆる先進諸国の中間層に当たる人たちであることを、1本の曲線で示しています(p13)。右を向いた象が鼻を持ち上げている姿に形が似ているため「エレファントカーブ」と表現。本書を象徴する結論です。

けれども、このことはほぼこれまでの認識と一致しているため、本書の結論というより本書の出発点。特に、カーブの意味を過去にさかのぼって解釈することはでき、実際、本書では中世にまでさかのぼったデータも含むさまざまなデータを示して解釈していますが、未来に向かって延ばすことは危険です。とはいえ、「アフリカの国民所得がなぜまだ伸びてこないのか?」「アメリカではなぜこんなに較差がひろがっているのか?」「貧乏なある国に生まれたが故のハンディ(裕福な国に生まれたがゆえのメリットを本書では「市民権プレミアム」と呼ぶ。)を克服するための「移民」という手段はどれだけ正当化されるか?」などをグローバルな視点で考える1つの材料にはなりそうです。

[関連記事]
1.『21世紀の資本』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150104/1420340297
2.世界の中産階級
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170627/1498551901

2017-07-17

祇園祭と都市の姿(京都と都市イノベーション(その4))

曳山の先が電線に妨げられて、「おいおい、このマンションの前、ちゃんと持ち上げてないやん」と急ぐでもなく上空を見上げていると、木の長い棒が持ち込まれて、ヒョイよっと、3本の線を次々にくぐって前進。周囲からは暖かい拍手が。
3年前には、交通整理等のやりやすさから1回にまとめられてしまっていた山鉾巡行を48年ぶりに前後2回に復活。これが本来の姿。本来の姿というなら、前祭の巡行で通る御池通りは元は三条通りだったようで、その復活を望む声も。ただし、かつてはメイン通りだった三条通りはとても狭く、都市計画として開削されたのが御池通り。今では高層マンションが建ち並びます。
一昨年の道路断面のリ・デザインで歩道が広くなった四条通りの信号機は、巡行のじゃまにならないように折り畳み式。その四条通りも宵々山、宵山では歩行者天国となり、暮れゆく風景のなかに鉾が点々と浮かび上がる幻想的な雰囲気に。

大震災や富士山大噴火飢饉や疫病の流行が重なった貞観という時代に、悪霊を鎮めようと「御霊会(ごりょうえ)」としてはじまった祇園祭。
応仁の乱で中断されるも復活したその精神は、近代化による都市のさまざまな変化もはね除けて進化し続けるのでしょう。都市の変化が祭を変え、祭のありかたが都市のありかたをも変えていきます。

[関連記事]
京都と都市イノベーション(その3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170122/1485042921

2017-07-14

横浜居留地と都市イノベーション(その2)

横浜居留地改造及競馬場墓地等約書(1866(慶応2)年=第3回地所規則)」に先立つ「横浜居留地覚書(1864(元治元)年=第2回地所規則)」の第1条では「吉田新田への各国軍事訓練所、および競馬場の設置」が規定されました。「軍事訓練所」と「競馬場」が冒頭に並列で出てくるところに、居留民の「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり」の本音が出ていて興味深く思います。ただし、競馬は1860年に元町あたりで行われたのが日本初とされており、「地所規則」などに頼らずに、すぐにでも実施したかったのでしょう。1866年には幕府が根岸競馬場を建設。第3回地所規則第1条では、第2回地所規則の第1条を廃止して、「代わりに競馬場は根岸にすでに落成しているものを用いること」と規定されました。
(その1)のテニスと同様、運営組織はイギリス人を中心とした「横濱レースクラブ」。けれども山手公園の運営資金が問題となったように根岸競馬場の維持もたいへん。1888年からはじまった馬券の販売によりようやく安定した財源が確保されるようになったとのこと。当時、日本の刑法では禁止されていた賭博にあたるこの行為が、居留地が治外法権だったからこそ可能だったというのは皮肉というか歴史の奥深いところ。イギリスとの間で治外法権が撤廃されたのは1894年、居留地の解除は1899年7月17日のことでした。

現在も、山手のこの根岸競馬場一帯はさまざまな意味で横浜の都市計画の最先端にあります。ひとつは旧競馬場一等スタンドの扱い。訪れてみると、その巨大なスタンドの廃墟感というか歴史的重厚感のようなものに圧倒されます。既に整備された、アプローチの先に富士山が見える芝生広場も含めて、このスタンドを将来に向けて活かすことができれば新しい次元の都市の資源になりうることを予感します。第二は、すぐ近くにある接収地「根岸住宅地区」の今後。返還が合意されており、将来まちづくり計画も検討されています。現時点で行ってみると、立ち入り禁止のフェンスに横文字看板が各所に掲示され、日本とは思えない風景がひろがっています。「根岸住宅地区」は旧根岸競馬場につながっていて、両者を合わせるとかなり広大な面積。居留地プラス接収地の歴史が将来のヨコハマにつながっていくことを実感します。

【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2017-07-12

『CITIES IN CIVILIZATION』(その3) Book Three

「A Marriage of Art and Technology」と題されたこのパートでは、ハリウッドとメンフィスの2都市がとりあげられます。Book OneのArt、Book TwoのTechnologyが、20世紀前半のアメリカにおいて「結婚」し、新しい都市の大衆文化が花開いたとする内容です。
世界を大きく変えた24の汎用技術について以前、豊田佐吉をとりあげた際に紹介していますが(⇒関連記事1)、Book Twoでとりあげているのはおよそ11番目のSteam engine(マンチェスター)から22番目のInternet(シリコンバレー)までで、それらが特定の具体的な場所で、どのようにして花開いたかを詳述しています。そうした汎用技術が開発されるのに並行して、ハリウッドに映画産業が花開きます。ハリウッドを論じる第18章のタイトルは「The Dream Factory(1910-1945)」。ロスアンゼルス郊外のひなびた地に、ニューヨークの既存映画団体とは一線を画すヨーロッパ系移民らが流入。「スタジオ」を中核とする一種の工場大量生産方式によって映画を生産し系列の映画館をネットワークさせて、それまで一般人が目にするのが困難だったArt(映画)を大衆化。一方、メンフィスでは綿花栽培労働者としてのアフリカ系住民の音楽と、アパラチア山脈を越えてミシシッピデルタに流入した下層白人系住民の音楽とが融合してまったく新しい音楽を創造。これも、汎用技術のおかげでレコードラジオの音楽媒体がArt(音楽)を大衆化。
けれどもハリウッドは「スタジオ」を中心とする巨大システムが、テレビの登場などで維持できなくなり衰退。メンフィスピークも1948-56の短期間とされます。

ArtとTechnologyが Marriageした20世紀までを一通り描いたこれまでの20章では一貫して、なぜその時代、その都市・地域でそのような技芸が花開いたのか、なぜ別の時代・別の地域ではなくそこだったのかについて分析してきました。その際、ほぼすべての場合において、技芸の生産者と同時に消費者を描き、そこに必然的に生じる流通形態、生産と消費の(空間)を描いています。また、技芸が進化する過程で生じる無数のイノベーションやそれらが世界に与えるインパクトなども示唆します。さらに、「盛」だけでなく「衰」も同時に描くことで、人類史上、1回だけだったその特異性や革新性を浮き彫りにします。

これからBook Four「the establishment of the urban order」に入ります。最後の結にあたるBook Fiveでどのように締めくくられるのか。もうしばらくこの作品とつきあうことになりそうです。

[関連記事]
・『豊田佐吉とトヨタ源流の男たち』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120131/1327977869

【in evolution】世界の都市と都市計画
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2017-07-04

横浜居留地と都市イノベーション(その1)

今年もウインブルドンテニス選手権がはじまりました。第131回です。
6月30日の記事『開港7都市の都市計画に関する研究』で、横浜居留地では「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり子弟の教育も重要になってくる」「外国人人口もこの頃5000人に達しており、ある意味、新しい外国人都市が1つできたようなもの」とした部分を、都市イノベーションworld的にフォローします。日本の都市の「西洋近代化」の発端のインパクトやイノベーションをいまいちどよく見てみたいと思います。

ウインブルドンテニス場の正式名は「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」。“センターコートに置いてあったローラーが老朽化したため新しくする資金集めを目的に”1877年7月9日から始まったのが現在の選手権とされます(Wikipedia)。そもそも現代的な形でのテニスが考案されたのが1873年12月、翌1874年からテニスが行われるようになったとされます。
では横浜居留地ではどうだったかというと、、、

一般の説明では以下のようになります。「第3回地所規則」といわれる「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書(1866(慶応2)年)」第10条に「山手地区を公開入札で外国人に貸与し、その手数料をその土地の改良費に用いること。山手に外国人のための公園を造営すること」とされたものの公園はなかなか造営されず、1869(明治2)年に居留民代表から再度要望が出されたため、日本政府は約書で約束した土地の代替として土地約6000坪を貸与した。居留民らは自分たちで公園を整備し、1870年に山手公園は開園したものの、公園の維持が困難となり借地料は滞納。日本側も外国側も打開策が見いだせず困惑していたところ、「レディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ」が150ドルまでの地代なら納められると申し出。そこで山手公園の一部をテニスコート化して公園運営は軌道に乗った、と。山手公園で日本ではじめてテニスが行われたのが1876年、クラブによるテニスコート開設が1878年。それが日本におけるテニス発祥ストーリーであると。

とはいえ「ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり」的な感覚までさかのぼって考えると、もう少し味わいのある、日本にとっての都市の西洋近代化の意味を深く考える解釈にたどりつきます。『ヨコハマ公園物語』(田中祥夫著、中公新書1553、2000)は山手公園開設を生麦事件(1862)にまでさかのぼって説明。まだサムライが帯刀する旧時代に外国人が一緒に暮らすためには、「行楽」の街づくりを求める外国人対応がとても重要で、彼らにとってみればそれが普段の生活そのもの。1863年には既に第3回地所規則第10条の背景の1つにもなったと考えられる「山手行楽地プラン」がアメリカ公使プリュインから提案されていたとします。

ちなみに「レディズ・ローンテニス・アンド・クロッケー・クラブ」のメンバーは女性。1878年に日本初のテニスコートが開設されたので、1877年にはじまったウインブルドン大会には1年遅れです。ただし、ウインブルドン大会は当初男子シングルスのみ。女子シングルスがはじまったのは1884年とされます。

山手公園。やや奥まったところにあり見つけにくいですが、とても雰囲気のある素敵な場所です!

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2017-07-01

『CITIES IN CIVILIZATION』(その2) Book Two

Book Oneでは、人類の歴史史上はじめて花開いた芸術(演劇や絵画、音楽など)が、なぜ「その時代のその都市」においてだったのかが深く追及され、意外な結論が導かれました。
Book Twoでは技術が取り上げられます。そのイノベーションは何故その地域でその時、起こったのか?
最初に産業立地論等の理論的成果が吟味され、どうやら“innovative milieu”という切り口が多くの理論に共通していそうだと結論づけ、Book Twoのタイトルはそれを反映しています。「milieu」は「環境」などと訳されますが、どちらかというと、一定の限られた空間の範囲の中にある、さまざまな資源や蓄積、気運などを指しており、イノベーションはそのような環境で(こそ)起こったのだ、ということが、世界史上の6事例につき詳細に分析されます。逆にいうと、何か突発的なものすごい発明がなされたというわけでない。

内容はまさに、マンチェスターグラスゴーベルリンデトロイトシリコンバレー京浜工業地帯、の6事例について、「一定の限られた空間の範囲の中に」「さまざまな資源や蓄積、気運など」が生成され、数えきれないほどの小さなイノベーションと、時々起こる画期的なイノベーションが積み重なって、世界史上1回だけの瞬間が生まれたそのさまを再現します。
“innovative milieu”には自律生成型とトップダウン型(あるいは政府介入型)の2タイプがありそう(前者は英米、後者は独日)との議論もなされますが、シリコンバレーも軍事技術との関係も深いなど、あまり明確な結論とはしていません。また、すでにその栄光が過去のものになっている4地域とは異なり、シリコンバレー京浜工業地帯は進行形。
ある意味、200年ほどしか扱っていないBook Twoのこのテーマからは、確定的な結論は導きにくかったのでしょう。けれども「都市イノベーションworld」的には“innovative milieu”というものの見方に魅力を感じます。何か普遍的な法則を見いだすよりも、6事例それぞれがおもしろく、かつ、例えば京浜工業地帯と他の5事例を比較するだけでも、いろいろな発見のある内容です。特に、欧米以外の京浜工業地帯を分析する第15章では、著者が、これまで知らなかった世界を驚きの目をもって切り込もうとするけれども、なかなか正体がつかみきれないでいる様子が感じられます。逆に、東芝などの企業分析はグローバルになされるのでギクリとさせられるなど、Book Twoに非西洋が1事例はいることで、この種の都市の文明論が将来、真の意味のグローバルなものに発展しそうでうれしく思います。

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2017-06-30

『開港7都市の都市計画に関する研究』(村田明久、1995)

横浜山手を研究している博士課程のSさんに、『開港7都市の都市計画に関する研究』という博士論文知ってる?と聞くと、数日後には机の上に置いてありました!
それはありがたいと読んでみると、日本の近代化、近代都市計画の最初の最初の段階を知るための、開港都市全体をとらえて基礎資料を整理した、たいへん貴重な内容でした。幕末から明治に至る日本の、植民地化は免れたものの不平等条約を結ばされ、ある意味列強からの強い圧力を受けて策定された(対応した)都市計画。その経緯や方法はさまざまでしたが、本論文によれば、7都市の全体像がつかめるので、それらの共通性とともに特異性や相違性などが明らかになり、例えば横浜居留地1つとっても、その真の特徴が浮き彫りになります。

横浜居留地は面積が突出して大きく(明治初期に35万坪、中期に40万坪を超える。それに次ぐ長崎が10万坪ほど、神戸が4万坪ほど。p119に図化されている)、居住地の数が群を抜いて多い(居留地が制度として解消される1899年直前の1897年の数字がp158にまとめられている。横浜の「居住地」は614件。長崎が47件で続く。ただし「雑居地」を足し合わせると神戸が162件(居留地14、雑居地148)で2番目となる)。ということは、ビジネスと同時に生活が営まれており、がゆえに競馬場テニスコートが欲しくなったり子弟の教育も重要になってくる。横浜居留地の学校の多さも大きな特徴です(10件。長崎3件、神戸3件(ただしうち2件は雑居地))。外国人人口(欧米+中国)もこの頃5000人に達しており、ある意味、新しい外国人都市が1つできたようなもの。新たな視点で横浜をみることができそうです。
さきほど「7都市の全体像がつかめるので、それらの共通性とともに特異性や相違性などが明らかになり」と書きましたが、そればかりでなく、7都市全部を合わせたときの、日本にとっての「開国」とはどういうことだったかを考える新たな手がかりを与えてくれた気がします。

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2017-06-29

本年度も地域課題実習がキックオフ(7月5日)

横浜神奈川地域を主要なフィールドとして地域と連携しながら活動する「地域課題実習」。
そのキックオフ発表会が、7月5日(水)16:15−18:00の予定で開催されます。場所は横浜国立大学中央図書館メディアホール。これまでの最多となる18のプロジェクトの今年度の活動内容・計画が発表される予定です。

1 モビリティデザインの実践
2 かながわ里山探険隊
3 かながわニューツーリズム
4 都市の自然を楽しむライフスタイル
5 データで捉える地域課題・地域経済
6 現代世界の課題の探索と協力の実践 -ネパール支援プロジェクト
7 販売現場から学ぶ店舗経営
8 横浜で屋台まちづくりを考える-ハマヤタイプロジェクト*
9 New-New Townを考える -郊外まちづくりプロジェクト*
10 シェアハウスのデザイン -欲しいすまいを自分でつくる
11 まちに開いた交流の場デザイン -住宅地の価値をあげる
12 おおたクリエイティブタウン研究プロジェクト
13 市民活動を体験して考える協働型まちづくりプロジェクト**
14 みなとまちプロジェクト
15 ローカルなマテリアルのデザイン
16 人と農業を繋げる -アグリッジプロジェクト
17 ワダヨコ
18 和田べんプロジェクト

なお、8番と9番(*)は、【アーバニストスクール】プログラムにも位置づけられています。
13番(**)は、横浜内外の多くの大学やNPOが参画する「NPOインターンシップ事業」と連携しています。
http://intern.yokohama/index.html
本プログラムを媒介として大学と地域がさまざまな形で連携しています。地域課題実習を含む副専攻プログラム「地域交流科目」はさらに進化していきそうです。


★「地域交流科目」シラバス2017
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/hus/area/17946/26_17946_1_4_170403050027.pdf

☆地域実践教育研究センターHP
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp//

2017-06-27

世界の中産階級

近代都市計画、とりわけ「郊外化」の原動力となったのは、いわゆる“中産階級”の増加だったといわれています。少し前の記事「“太平洋の真珠”リマ再考」においても、そうした特徴のある市街地が形成されているのを確認しました。
最近、「格差拡大」や「中産階級の没落」が大きな話題・課題となっていますが、では、そもそも世界にどれほどの「中産階級」がいるのでしょうか。また、それぞれの国において、どのような形で「中産階級」が暮らしているのでしょうか。そうした階級の増加や減少はどのように都市計画(都市イノベーション)にかかわっているのでしょうか。

そんな有り難いデータは無いのではとあきらめていたところ、クレディスイスが出している「Global Wealth Report」の2015年版(⇒資料)にかなりの頁を割いて「世界の中産階級」を分析していたので、注目すべき点をいくつかあげてみます。
第一。2015年時点の国別中産階級人口は、中国が1億900万人でトップです。2位がアメリカで9200万人(ただし、富裕層を加えた「中産階級以上」で計算するとアメリカが1億2170万人でトップ、中国は1億1510万人で2位)。3位が日本で6200万人、イタリア2900万人、ドイツ2800万人、イギリス2800万人、フランス2400万人が続きます。そのあとがインドで2400万人。以下、多くの国が続き、計6億6400万人。大陸別ではアジアの3億300万人がトップ。これが1つ前の記事の空港の性格変化(⇒関連記事)に関係します。
第二。では、それぞれの国の中で中産階級が占める割合はいかほどか。中産階級率に加え、()内に「中産階級プラス富裕層率」を示します。さらに、{1−中産階級プラス富裕層率}の値を[ ]に示します。1位がオーストラリア66.1%(80.3%[19.7%])、2位がシンガポール62.3(78.3[21.7%])、以下、ベルギー62.1(74.4[25.6])、イタリア59.7(68.3[31.7])、日本59.5(68.6[31.4])、台湾59.4(74.6[25.4])、イギリス57.4(69.6[30.4])。アメリカはというと27位で37.7%(50.0%[50.0%])。中国は36位で10.7%(11.3%[88.7%])、インドは46位で3.0%(3.2%[96.8%])です(表には46か国しか書かれていない)。

年次別変化などをみるともっと多くのことがわかりそうですが、わずかこれだけの数字からも、いろいろな重要な点が示唆されます。
「都市は中産階級が動かす」と考えると、新興国における所得の増加や都市需要のすさまじさを実感します。たとえばインドの中産階級人口は2015年で2400万人とイタリアドイツイギリスフランス並みとなったものの国内人口の3%にすぎず、今後人口が15億ほどで世界一となったとき、例えば中産階級が10%になるとすると、1億5000万人。現在は47位以下になっている多くの国にも中産階級が育ち、そうしたニーズに応える都市が必要になってくる。資源もたくさん必要そうです。
「格差」からみると、アメリカの状態は中間が薄く富裕層が相対的に厚い形。このパターンは(意外にも)スウェーデンデンマークに似ています。「一億総中流」といわれてきた日本はまだそれなりに中間層が厚い状態です。

今、『世界の中産階級(The Global Middle Classes)』という本を読んでいます。縮減に向かう都市もあれば爆発的に成長に向かう都市もあるなかで、「中産階級」「中産階級化」「中産階級からの転落」などを量・質の両面からみることで、これからの都市のグローバルな課題の切り口の1つが見えてくるものと期待して。

[資料]
・「Global Wealth Report 2015」
(下記URLに入り、下方の年表から「2015」を選ぶと表示される)
https://www.credit-suisse.com/us/en/about-us/research/research-institute/global-wealth-report.html
(この2015レポートの日本語解説)
https://www.credit-suisse.com/media/production/ai/docs/jp/aboutus/pdf/2015/pr-global-wealth-report-11162015.pdf

[関連記事]
・『Airport Urbanism』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170622/1498097738

[関連ありそうな記事]
・『21世紀の資本』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150104/1420340297
ドバイ開墾(10) : ドバイゼーション
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150911/1441933265
アジスアベバ開墾(5) : 中産階級化の兆候〜21世紀後半に向けて
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170107/1483746707

【In evolution】イノベーションの源泉
本記事を上記リスト(人的資本とイノベーション)に追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885

2017-06-22

『Airport Urbanism』

大学院で開講している『都市マネジメント』では、これからの都市や都市生活を考えるうえで重要な「自動車」「鉄道(駅と街)」「空港」「ホテル」「コンビニ」「ネット商店街」などを、事業者の立場からお話しいただいています。どの分野も技術革新や経営戦略展開がめざましく、毎回、「これからの都市はどうなっていくのか?」と刺激を受けます。新たな都市イノベーションのきっかけになればと思うところです。
今年は「空港」関係が入れられなかったと残念に思っていたとき(空港から都市イノベーションを語るのは実際難しいと思う。にもかかわらず過去の講義では新鮮かつ先端的なお話しをしていただいている)、目にしたのが本書。
Max Hirsh著、University of Minesota Press刊、2016。副題は「Infrastructure and Mobility in Asia」。

空港ものは過去にさまざまな書が出ていますが、本書はアジアにおける空港と都市の関係を論じた最新の書。正確にいうと、中産階級が成長し国境越えの労働移動も頻繁になったアジア都市という先端的動向が空港に与える影響と、そうした文脈でのこれからの都市計画のあり方を論じています。取り上げられるのは香港国際空港香港香港国際空港珠江デルタ都市をはじめ、クアラルンプル、バンコクシンガポールと各々の空港。たとえばもうすぐ開業するチャンギ国際空港(シンガポール)のT4ターミナルがどのように新しいか、新空港を開業した際に閉鎖されたドムアン空港(バンコク)がなぜ再開することになったか、などを蟻の目視点で語ることで、「国際ビジネスマンが使う先端的国際空港」とは大きく異なる現代空港需要や、それを前提としたときの、あるいはこの傾向がさらに進化して20年経った後の、都市と空港の関係や、アジアや世界の都市生活を予兆します。

[空港関連記事]
◆海外
アジスアベバ開墾(5) : 中産階級化の兆候〜21世紀後半に向けて
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170107/1483746707
ドバイ開墾(8) : ドバイ/アブダビ大都市圏
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150909/1441754845
ロンドンの新空港(滑走路)候補地をめぐる話題
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140106/1388995830
ウランバートル
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120717/1342514398
◆国内
・検証・2050日本復活(1)高速化
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160901/1472703122
バスタ新宿
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160601/1464747821
・「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について(案)」が本日から1週間のパブコメ
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160408/1460091890
羽田空港ー海老取川ー日本橋船着場
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150627/1435404017

2017-06-19

1500年の日本の都市人口

「1500年の都市人口」(⇒関連記事1)の日本編です。
応仁の乱で荒れ果て」ていた京都。しかし都市イノベーションworld的に重要なのは、荒れ果ててしまった京都のほうではなく、そのような古いやりかたでは世の中をマネジメントすることができず、商品経済や地方文化が台頭し各地に「都市」が発達して、新しいシステムが軌道に乗りはじめるまでに数々のイノベーションが産み出された点にありそうです。
「1500年の日本の都市人口」とは、まさにその時代の転換点。前回と同様に、ターシャス・チャンドラーによる推定値を、大きい順に並べてみます。

40000 京都(荒れ果てていたが最大)
35000 山口、天王寺、千代(仙台。35000〜36000)
30000 博多、堺、山田(伊勢神宮がある)
28000 柏崎
25000 鹿児島安濃津(三重県津市)、本願寺(大坂。25000〜26000)

原田伴彦(1942)の「室町時代の主要都市人口」というのもWikipediaには出ていて、京都が100000と推定されているなど、いくらか異なりますがここではその差は扱いません。
また、チャンドラーの推定で「天王寺」と「大坂」を今の感覚の大阪と考えてくっつけると60000超となり、京都の首位が危うくなります。けれどもむしろ、近畿圏として堺や山田、安濃津を加えて、京都-本願寺・天王寺-堺-山田-安濃津あたりに日本の中心があり、その他パラパラと地方都市が特に港湾都市としてまあまあ育ってはいた(山口だけが例外)、ととらえた方がよいかもしれません。原田伴彦の推定に出てくる都市をあげると、直江津(30000,1570年代)が目立ちますが、あとは20000人以下の小さな港町や門前町など。いわゆる城下町はまだ未発達の時代。
このあとどうやって城下町(など)の形で都市が進化してくるか。『信長の城』(⇒関連記事2)や『城下町』(関連記事3)は、そのような成果を実証的成果も踏まえて理論的に論じたものですが、むしろ、司馬遼太郎の『箱根の坂』(駿府小田原等。応仁の乱以降1477から1519頃まで)や『国盗り物語』(前半は特に岐阜。1520年代から1550年くらいまで)、現在低視聴率NHK大河ドラマ『女城主直虎』(だいたい1550年以降。駿府や気賀などの街が出てくる。商品経済の発達のさまが、おもしろおかしく描かれている)などによって、あの時代の、最終的に「城下町」が都市計画されてできてくる進化過程がリアルにあぶり出されます!

[関連記事]
1.「1500年の都市人口」
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170502/1493734131
2.『信長の城』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130129/1359426558
3.『城下町
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130409/1365473723

【In evolution】日本の都市と都市計画
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2017-06-02

産業革命都市マンチェスター

マンチェスター」と聞いて、何を連想するでしょうか?
先日のテロ事件? マンチェスター・ユナイテッド? (歌)マンチェスター&リバプール?
よく考えてみると、これらは相互に強く関連しているようにみえるのですが、脇道にそれそうなのでそこにはいかず、昨日の『CITIES IN CIVILIZATION』Book Oneの中で、続くBook Twoでとりあげられる最初の都市がマンチェスターになることを紹介したことを受けて、「産業革命都市マンチェスター」について、「都市イノベーションworld」的視点で少し紹介します。(Book Twoについては読み終わったあとで)

一言でいうと、マンチェスター産業革命のおおもととなった、都市そのものが工場であり倉庫であり物流拠点であり(出入口の港はリバプール)労働者住宅街であるイノベーション都市です。普通、「都市でした。」と過去形にするのですが、ある意味、今でも都市のストックそのものが当時のまま残り、「都市です。」と言ってもよいと感じられるような、他にはない、ある意味世界にとってとても貴重な都市だと思います。
ウォーラーステインの『近代世界システム(2011年版)』を紹介した2017.5.13の記事で、「世界の各地が次々に「世界経済」に取り込まれ、その巨大な地球規模の「世界経済」の中で特定の役割を担う(担わせられる)ようになるプロセスが描かれていきます。」と書きましたが、その、取り込んだ側の都市の代表例・象徴例がマンチェスターという都市だととらえて、毎年、そのようなマンチェスターの姿を教養科目「都市と建築」の中で話しています。

例えば、1830年、世界初の鉄道「リバプールマンチェスター鉄道」が走ったのはここマンチェスターでした。と書くと予めちゃんとした機関車があったかのような書き方になりますが、実は、ちゃんとした蒸気機関車になるためにはその前史があり、失敗に終わった、あるいは事業化までには至らなかった数々の途中経過や、そもそも「機関車」のもととなった「機関」がどのように発明されてきたかの前史の前史があり、、、といったことが、ここマンチェスターに来ると手に取るように理解できます。理解できるのは鉄道だけではありません。駅舎も、工場も、倉庫も、運河も、労働者住宅街も、皆そうです。
そうした都市全体が徐々にコンバージョンされて、それぞれの要素がどのように現代に受け継がれているか。それを見るだけでも、「産業革命」という人類の歴史を、決して過去のものではなく、現在にも受け継がれる遺産として体験できるはずです。

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2017-06-01

『CITIES IN CIVILIZATION』(その1)Book One

都市と都市計画に関する文明論。Peter Hall著。1998刊の図書を2001年発行のペーパーバック版で読んでいます。「Book One」から「Book Five」にわたる大著です。
「Book One」の「The City as Cultural Crucible(るつぼ)」に続き、以下、「The City as Innovative Milieu」「The Marriage of Art and Technology」「The Establishment of the Urban Order」「The Union of Art, Technology, and Organization」と、都市文明にまつわる個別視点が次第に組み合わさるように議論されていく構成です。

今回の(その1)ではBook Oneについて。
都市の文明をざーっとみると、特定の文化が、ある時代に燦然と特定の都市で花開いたことが見て取れる。なぜか、それはある特定の時代の、特定の都市だけに起こった出来事である。それはどのような出来事だったのか、なぜその都市であって別の都市ではないのか?

Book Oneでは、そのような出来事が最初に起こったアテネからはじまり、フローレンス(ルネッサンス)、ロンドン(演劇)、ウィーン(音楽)、パリ(絵画)、ベルリン(劇場とシネマ)をとりあげて、それはどのようなものだったかを、それぞれについて執拗に分析。さらに、なぜその都市だったのか、それはどのようにして成立したのか、なぜ別の都市、別の時代ではなく、その時代・その都市だったのかを考察していきます。そしてBook Oneの最後において、6つの都市の出来事に共通する、都市文明について考えるうえでの重要な見方について結論を提示します。実際に読んでみると、それぞれの都市における出来事の分析はきわめて具体的かつ執拗で、何度も「こんな長いストーリーを読んでいて、都市計画に関係するのだろうか?」と不安になりましたが、(Book Oneの)最後まできて、これまで認識していなかった、こうした分析を経なければ到達できないであろう場所まで到達していることに驚きました。以下、超要約すると、、、
「特定の文化が特定の時代に特定の都市で花開いたのは、たいていの場合、経済的・社会的な大転換が起こっている只中にある。そこでは、新しいモードが生まれつつある。それが起こる都市は、その時代のいわば中心的な都市である。アテネもフローレンスも、ロンドンウィーンも、パリもベルリンもそうだった。そこには富が集中し、文化を保護したり消費するブルジョアが成長している。そうした都市には国内外から才能をもった人々、特に若者が集まってくる。そういう意味でその都市はコスモポリタン都市なのだ。こうした新参者は、それまでの古い体制には馴染めず、力を発揮する場がなく、当初は貧乏生活を余儀なくされるかわりに、次の時代を切り開くために全エネルギーを集中する。そのなかから一種の革命的な成果があらわれる。それを後押しするのは、保護者・消費者としてのブルジョア、文化を流通させるシカケや資本の蓄積、その文化を大衆的なレベルにまでに押し上げる批評家やメディアであり、なぜそのようなことが可能かというと、それが起こる直前にはその都市には富が集中していたからであり、ますます集中していったからである。けれどもそのような状態はそう長くは続かず、次の時代へとはいっていく。」

Book Twoは、経済・産業面からイノベーションの場としての都市が分析されます。マンチェスターグラスゴーベルリンデトロイトサンフランシスコ周辺、東京-神奈川地域との目次立て。楽しみです。

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2017-05-24

“太平洋の真珠”リマ再考

かつて“太平洋の真珠”“庭園の都市”と言われていたらしいリマ。
スペインが当初、メキシコシティとともに「副王」を置いたリマの印象が、訪れてみるととても良く、なぜそのように感じたかについて、印象の良かった5つの要素〜いずれもオープンスペースのつくり方にかかわる〜をもとに考えてみます。

第一。エクスポジシオン公園(パルケ)。ガイドブックには、国内随一のリマ美術館がこの公園にある、との順番で紹介されているものと思われます。この公園はその名が示すように、国際博覧会が1872年にペルーではじめて開催された場所です。その公園の美しさというかみずみずしさ、とりわけリマ美術館側からみたその雰囲気は、これまでに見たどの公園とも違っていました。現在のリマ美術館も、それまでさまざまな用途に活用されていたものを(設計はイタリアの建築家)、リマ市が1961年に美術館として再生したものです。美術館そのものもとても居心地の良い場所です。
以前あげた文献(⇒関連記事)によれば、リマ美術館の北側を通るグラウ通りはエクスポジシオン公園を横切って二分したとなっています。そのグラウ通りは現在ものすごい交通量ですが、地下にはBRT(メトロポリターノ)のターミナル駅があり、地上部もバスターミナル的機能を果たす、いわば副都心にあたる場所。その喧騒をリマ美術館が遮るように建っているため、エクスポジシオン公園が結果的に冴えた感じにみえるのではと思います。維持管理への力の入れようから、この場所への強い思いが伝わってきます。
第二。サン・イシドロ地区のエル・オリーバル公園。近代都市計画で計画されたと思われる近隣の中に線状に整備された憩いの場。うまく周囲に溶け込み防災広場にもなっているその姿は、なかなか日本では見られません。1街区分西側には、人気レストランなどがあるとされるコンキスタドーレス通りが南北に通っているので、その微妙な距離関係により、他にはみられない、この場所らしい用途の立地を促しているようにみえます。
第三。バランコ中心部のコモンズ風公園(バランコ公園)。古き良き郊外の別荘街的な街の中心にある、落ち着きと品格が感じられる小公園で、公共施設等に囲まれた、今でも皆に親しまれている素敵な場所。このような場所は管理が難しく、また、車との共存も難しく、なかなか見られない。車との共存については、次の第四のような工夫がされた形跡があります(ロータリーだった場所の車道の一部をつぶして歩行者環境を良くしている)。大景観をなす太平洋へとすぐにつながるこのような場所が都心からすぐのところにあるのは、リマにとって貴重な財産だと思います。
第四。サン・イシドロ地区でかなり行われている街路空間のリ・デザイン。そのうちパセオ・パロディ通りは、交差する街路の処理も含めてよくできた公園街路。「パセオ」として道路開設時に設計されたのか、後にリ・デザインされたのか不明ですが、かなり良くできた気持ちのいい空間です。補助幹線の交差部の花壇風広場や、車への対応のための街路断面の再構成など、印象としては、町じゅうのあらゆる箇所でできることをすべてやり「住みたい街」にしようとする一貫した方針があるように感じます。かなり気になる取り組みです。
第五。サンマルティン広場。これまでの4つと比べると最もセントロ寄りの美しいヨーロッパ風スクェア(プラサ)。とはいえ旧セントロではなく、19世紀に城壁を取り払ったあとしばらくして計画された幹線道路整備(ニコラス・デ・ピエロダ通り)の際に計画されたと思われる公共空間。第一のエクスポジシオン公園の起こりもそのような時期の都市計画の成果と思われます。

なぜリマの都市計画に惹き付けられたのか。「都市イノベーションworld」的視点で仮説や推論を交えて整理すると、1)「パルケ(公園)」「アベニーダ(通り)」「パセオ(公園通り)」「プラサ(プラザ)」等の空間計画要素が近代都市計画に取り入れられ、インディアス法によるセントロの都市計画のエリアが拡張される際に、それとは異なる(イノベイティブな)都市計画がおこなわれた(両者の関係、(不)連続性も気になるところ)。2)その過程でスペイン風の要素にフランスイタリア等の要素が取り入れられ、さらにアメリカ都市計画が入る(事業会社もその1つ)。3)そのなかで常にペルー独自の都市が模索された。4)独自の気候・風土・都市住民・計画文化により、独特な魅力をもつ都市が形成され、そうした空間の維持管理、リ・デザインも含めて、リマらしい取り組みがなされている。

[関連記事]
・『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161026/1477460946

[参考文献]
・中岡義介(1978)「南米都市リマにおける戸外空間とその変容について」『日本都市計画学会学術研究発表会論文集第13号』pp.319-324

【In evolution】世界の都市と都市計画
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2017-05-18

『古代文明の基層 古代文明から持続的な都市社会を考える』

第1章インダス文明、第2章テオティワカン、第3章ヴェネツィアからなる小冊子。東京大学出版会2015.6.30発売(発行は大学出版部協会)。副題が本書の意図を示しています。
解説などはなく、3つの章が束ねられている形のため、以下には「都市イノベーションworld」的観点で興味深かった点を並べるにとどめます。

第一。古代都市そのもの、さらには古代から今日に至るつながりについては、まだほとんどわかっていない。正確にいうと、わかろうとしたのはつい最近のことで、まだ仮説がいくらか(場合によっては多すぎるくらい)出されている段階です。
第二。インダス文明の代表都市と考えられるモヘンジョダロについては、中央集権的文明ではなく、ネットワーク型の都市ではないかとの仮説が提示されています。運搬に使われた船は「メソポタミア、ペルシャ湾岸、イランオマーンからやってきました」(p23-24)とされます。中央集権的でないとすると、誰がどのような意図でモヘンジョダロを都市計画したのか。以前とりあげた『メソポタミアとインダスのあいだ』では、「都市というものに精通し、それまで都市というものを見たこともないスィンド地方の人々に、完成度の高い都市の設計図を提示することができたのは、イランの都市住民であった可能性が最も高い。熟考された都市計画による、整然たる都市モヘンジョ・ダロの建設は、熟練の都市設計者の指導の下でおこなわれたことは明らか」とされていますが、これも仮説。とはいえ、両者は、モヘンジョダロが「ネットワーク型の都市」だったとする点では一致しています。この先の成果が期待されます。
第三。テオティワカンについては、「紀元前後から紀元後500年代ぐらいまで榮え」(p28)たとされ、1200年頃に、廃墟となっていたそれをアステカ人が発見し、後々まで崇拝の対象としたため、コルテスがやってきて1521年にテノチティトランを破壊したときも生き延び(廃墟の状態だったため、破壊する必要がなかったからと思われる。)現在に至っているようです。考古学的成果のうえに描かれたテオティワカン全図(p30)には迫力もあり、この都市が「英知の集積としての都市」(第2章副題)とするその内容にも興味を引かれるところですが、(現役の)テノチティトランを破壊してそのあとにカトリック大聖堂を建てたとされるコルテスの気持ち(役割/野望)を理解しようとすると、遭遇した30万都市テノチティトランの大神殿の迫力のほうがはるかに真に迫り、その時点において、テオティワカンも含め営々と築いてきた中米の古代文明の進化が形のうえで最期の時を迎えたのだと改めて感じます。先日、そのカトリック大聖堂を訪れたとき、ミサの最中でした。そのあと大聖堂の隣にあるテノチティトランの発掘現場(テンプロ・マヨール)をうろうろしていると正午近くになり、その大聖堂の鐘がかなりの時間をかけて鳴り響くのでした。
第四。ヴェネツィアを扱った第3章の副題「交易都市から文化都市へ」との視点でとらえた内容は新鮮でした。ベネチアの覇権が衰えたあと「分散的な都市から統合的な都市へとシフト」(p60)し空間的にも都市が刷新されていく様子が示されています。『古代文明の基層』との観点からは、古代ローマとのつながりに関する近年の考古学的成果が少し書かれていました。

[関連記事]
・『メソポタミアとインダスのあいだ』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160108/1452225986
・『十二世紀ルネサンス
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160110/1452394891
・『ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151213/1450009146

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2017-05-13

『近代世界システム(2011年版)』と都市・都市計画

ウォーラーステインの同書(1974〜)が改訂されて、2013年に訳書が出ました。名古屋大学出版会
正確にいうと、1974年から始まったこの著者の刊行は4巻まで出て終わる予定だったものが、「おそらく第七巻にまで及ぶかもしれない計画も立てている」(2011年版への序)、とされている未完の書です。ウォーラーステインは1930年生まれのため2011年で81歳。おそるべき巨人です。
なかでも近代世界の出発点を16世紀にまでさかのぼり、大航海により新大陸が「発見」され「世界経済」として地球規模でのシステムが立ち上がり進化しはじめたとするグローバルヒストリーをうちたてたことは、(やや話は違いますが)プレートテクトニクスにより地震のメカニズムを説明しようとした1960年代のパラダイムシフトに似た出来事のようではなかったかと想像します。

ここでは、第一巻が近代都市を考える際にもそのスタートとして重要と考え、1つ前の1500年を扱った記事、2つ前の「1492年」に接続するあたりの話を中心にします。

1521年、テノチティトランが陥落。そのアステカの中心都市を破壊して、まさにその上にメキシコシティを建設。1533年、インカの中心都市クスコ占領につづき、そこを破壊してスペイン都市計画によりクスコ建設。利便のため海岸近くに1535年、リマ建設に着手。
しばらくの間、これらメキシコペルーに「副王」を置き中南米を経営。その間、1536年アスンシオン、1538年ボゴタ、1541年サンチアゴ、1580年ブエノスアイレス(最初の建設は1536年だが1541年放棄)を建設。その他の都市も必要に応じて都市計画がなされ、それら都市計画は1580年「インディアス法」第四編として体系化されます。
これら諸都市は各地域経営の拠点となり、「資本主義的企業体に転化した」(第一巻、p95)エンコミエンダにより鉱山開発、プランテーションを展開。
こうして南北アメリカは「世界経済」システムの一部となりヨーロッパに一体化していきます。
ウォーラステインの議論はこのあと第二巻、第三巻と続き、世界の各地が次々に「世界経済」に取り込まれ、その巨大な地球規模の「世界経済」の中で特定の役割を担う(担わせられる)ようになるプロセスが描かれていきます。「周辺」に位置づけられてしまった地域には厳しい現実が待っている。しかしシステムの中心となるべき「中核」争いもたいへんなもので、「中核」でいられる時間はそう長くはありません。

あくまで近代を「世界経済」の視点で描いたもの、という制約はありますが、このような視点で都市をみると、近代世界システムの一部をどのように担ったかの歴史が年輪のように見え隠れするはずです。

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2017-05-11

リポジトリーのシステムが刷新され、「地域実践教育研究センター」成果に「8-4-61」の分類番号がふられました

一昨日、新しくなったリポジトリシステムに「地域実践教育研究センター」の2016年度成果がアップされました。
リポジトリ自身がこの4月に刷新されたばかりで、たいへん検索しやすくなっています。
たとえば、「地域実践教育研究センター」にはじめて「8-4-61」という分類番号ができ、今後、いろいろな成果物がアップされていくものと思われます。

一昨日アップされたコンテンツは以下のものです。
◇「8-4-61」に入る
https://ynu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=786&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&page_id=13&block_id=21
※階層の根元にある「Root」からはじめると検索しやすいです。

2017-05-02

1500年の都市人口

コロンブス新大陸を「発見」した頃の世界の都市人口をみることで、近代化がはじまる前の世界の勢力分布のようなものをとらえます。

1500年当時の推定(ターシャス・チャンドラーによる)によれば、北京が672000人と最大でした。この頃の京都応仁の乱で荒れ果て40000人(106位)にすぎません。第2位がヴィジャヤナガル(南インド)500000、3位がカイロ400000です。
2位のヴィジャヤナガルは沿岸部にマンガロールやカリカット等多数の港をもつ南インドの中心都市。
このあとチャンドラーの推定では、杭州250000人、タブリーズ(イラン)250000人、イスタンブール200000人、ガウル(インド西ベンガル)200000人が続きます。
このあとようやくパリの185000人が出てきます。イタリア都市もそのあとちらほら。当時、ロンドンはまだ数万人にすぎなかったようです。

まだ人口面でみればアジア中心で、ヨーロッパではようやくレコンキスタが終結。さて、ということで「発見」した新大陸に、コルテスを待っていたのは人口30万人を擁するテノチティトランでした。チャンドラーのリストには入っていないので、1500年時点での世界第4位はアステカの中心都市テノチティトランとします。
さらにピサロが向かったインカの中心都市クスコは人口20万人を擁していたといわれるので、(かなりおおざっぱですが)それは185000人のパリより大きかったとします。これもチャンドラーのリストには入っていません。
そうすると5位が同数で杭州タブリーズ、7位が同数でクスコイスタンブールとガウル。このあと10位がパリ。

大航海時代で幕が明ける近代化によってこのあと関係は逆転。

しかし1500年から500年後の現在、都市人口を指標とするなら、関係は再度逆転しつつあります。地球上の人口そのものの増大を伴いつつ。

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2017-04-21

1492年 : レコンキスタと大陸発見

イブンバトゥータがサハラ越えの旅に出た1351年から141年後の1492年1月2日、グラナダが陥落し、レコンキスタはここに終結したとされます。この「1492年」はまさにコロンブスがアメリカ大陸を「発見」した年。コロンブスは1492年8月3日に、ジブラルタル海峡の北西200キロほどのところにあるパロス港を出港。ついに10月11日に陸地を発見したとされます。
世界の歴史を変えたこの「1492年」という年の意義と意味を、「都市イノベーションworld」的興味でもう少し突っ込んでみます。

第一。ジェノバの船乗りだったコロンブス大航海への援助を働きかけたのは1484年末頃とされ、それはポルトガル王に対してでした。しかし王は興味を示さず断念。結果的に1486年、スペイン王に話が通じ、さらに待つこと6年。グラナダ陥落により財政的負担が緩和されたこともあり、コロンブスの計画は十分折り合いがつけられると判断した財務長官が女王を説得する形で計画が認められたとされます。
第二。ポルトガルはその後もあくまで従来型の「東回り」にこだわったのでした。それであればベネチアの商人マルコポーロ等によってもたらされた情報や経験にもとづき、陸伝いどんどん先まで行くことが可能と判断したのでしょう。実際、1513年にはマカオまで到達。その後、1543年には種子島に鉄砲がもたらされています。「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」などということを誰が信じるでしょうか。けれどもスペインは、「西回り」で必ず陸地の東端に着くはずだと主張するジェノバの船乗りと組み、リスクとリターンを天秤にかけ、賭けに出たといえそうです。もしかすると「地球は丸い。がゆえに「西回り」でどんどん行けば必ず陸地の東端に着くはず」との科学的思考に馴染めるほどの革新的思考回路を受け入れる土壌ができつつあったのかもしれません。
第三。その結果、アメリカ大陸の大半はスペインの手に。ポルトガルは出遅れて、1500年にブラジルを発見。2つの条約により、地球は2分割されています(最初のトルデシリャス条約(1494)では南米大陸だけに線を引いたため、これでは地球を分割したことにならないと後で気づき、サラゴサ条約(1529)によりもう1本線を引いたと解説されている)。線を見たままに説明すると、ブラジルから「東回り」でアフリカアジアを通り日本付近までがポルトガルの勢力範囲。その日本付近から太平洋をまたいで南米ブラジルの手前までがスペインの勢力範囲。これまで気づかなかったのですが、この線によると、種子島を含む日本列島の大半はポルトガル側、北海道の東半分がスペイン側です。なんと乱暴なことでしょう。けれどもその500年前の乱暴な出来事が、レコンキスタの終結による住み分けも含めて、そのままその後の世界の歴史となるのでした。

最後に。これが最も重要な点と思われる第四の点。レコンキスタに伴う都市計画から、新大陸におけるインディアス法による都市計画への連続性です。横山和加子の研究(⇒参考文献)によると、レコンキスタにより「異教徒から奪取した土地には、王権が国境防衛のための辺境都市を建設させた。国王はそれらの都市に対し司法権、市民の代表による自由な市政、市の共有地の所有とそこから市民への宅地・農地配分の権利、時に貢租やその他の税の免除、亡命者の保護権や市民の前科・法的追訴の取消、封建貴族や教会権力からの保護などの様々な権利を与えて、それらの都市の保護育成に努めた」とされます。しかしレコンキスタが終息局面に向かうとともに中央集権化を図る国王によってさまざまな権利が剥奪されます。それを踏まえて横山氏は自身の既往論文に拠りつつ、「新大陸に渡ったスペイン人達が、自弁の武力によって征服した土地に都市を建設し、国王から付与される数々の特権に護られて自律的・自治的市政を享受する都市貴族となるという、カスティリア都市の伝統を夢に描いていたことは想像にかたくない」としています。

(参考文献)
横山和加子(2005)「インディアス法にみるスペイン系植民都市の建設」(『植民都市の研究』JCAS連携研究成果報告8)

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2017-04-20

『イブン・バットゥータと境域への旅』

香港経由のアジスアベバ便は、700年前にイブンバトゥータが通った海の道の上空を一直線に飛びます。

700年前、この海の道を伝った中国とイスラムの交易がさかんになり、ヨーロッパアジアがゆるやかにつながります。バトゥータは港市に停泊中のさまざまな船に何が積まれどこに行くのか、荷主は誰で船員はどこのひとたちかを観察するばかりでなく、実際に乗せてもらい、次の国を訪れていきます。
その少し前、モンゴルが巨大な帝国を築いてやはりアジアヨーロッパを自由に往来できるルートがひらけたため、イブンバトゥータは海の道と陸の道を使って25年の長旅に。
家島彦一著、名古屋大学出版会2017.2.20刊。副題は「『大旅行記』をめぐる新研究」。4月2日の読売新聞書評が出ていたのがきっかけです。

なぜイブンバトゥータの旅を「都市イノベーションworld」に加えるのか。

第一。そもそもこの頃のことがよくわかっていないこと。『ハンザ』(⇒関連記事)は組織的な分、ようやく体系的に理解が進んできた例ですが、こちらはイスラム世界の「境域」やその結節点の港市(都市)での13〜16世紀頃までの交流がどうなっていたかを理解しようとするもので、資料や考古学的成果は断片的でしかない。バトゥータの成果はそれをつなげて理解できる(きっかけになる)。
第二。「境域」への旅であること。「境域」は、ある時代の文明と文明の境目にあり、常にリスクにさらされる一方、それはチャンスにもつながる、ワクワクする驚異の世界のはず。実際、バトゥータの『大航海記』の正式名は、『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈物』というのだそうです。これは現代にも通じるはず。
第三。バトゥータが25年の東方への長旅を終え、旅そのものを終えようとした50代に、さらにサハラ越えの旅に出たその理由と意味。本書によれば、それは、「レコンキスタ」によりイベリア半島で劣勢に立たされていたイスラム勢力が、自ら(バトゥータは、ジブラルタル海峡をはさむアフリカ側のタンジール出身。)の足元を固めるためその背後にあるサハラ越えの地域との結びつきをしっかりしたものにしようとする、歴史的・政治的な意図のもとにバトゥータに課された命令だったのではないかと。さまざまなサハラ越えルート沿いの都市や地域での生活の様子がかなり詳細に描かれていることをその理由にしています。
第四。本書に盛り込まれた地図の詳細さ。その頃、どのような都市と都市がどうやって交易していたか。何を交換していたかが詳しく記されています。渡すものはこちらの産物。欲しいものはこちら側に不足しているもの。当時より、日用品のみならず金などの資源が強く求められています。これがやがて次の時代に「黄金の国」を求めて我先にと争う歴史のエンジンとなっていくのでした。

[関連記事]
・『ハンザ 12-17世紀』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170221/1487635910

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