Hatena::ブログ(Diary)

地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

2017-02-22

『都はなぜ移るのか 遷都の古代史』

794年に都となった京都はその後明治になるまでの1074年もの間、都でありつづけたのに、何故それ以前の都は短期間に幾度も遷都されたのか?
本書(仁藤敦史著、芳川弘文館歴史文化ライブラリー333、2011.12刊)は、さまざまな遷都を経てやがて平安京に至り「動かない都」になった理由を、それまでの都はまだ未熟な段階にあり、「ここが都である」ことを宮殿やインフラなどの「モノ」によって示すことはできたけれども、地方の豪族たちを従えられなかったことや、経済の未発達等がたび重なる遷都の原因だったとします。

最終的には、条坊により区画された空間ユニットの中に、位に応じて、(いろいろな主人がいるのではなく)王権のみに仕える都市貴族が定着しなければならず、そうしないと都としてのまとまりがつかず、そのような凝縮した都市空間ができるためには、政治経済構造そのものがそうなりうる段階に達していなければならなかった。けれども、そのようになるためには時間がかかり、645年から数えても794年までに149年を要しています。
難波宮(645-)についても、外交の窓口を開いて置けた時代のものであって、663年に白村江の戦いで敗れたあとの首都は、防衛上の理由から少し引っ込んだ近江に移されるなど、内政・外交および造都(都市計画)の面で十分の形になるまでには紆余曲折があったと理解できます。

そのように考えると、飛鳥(明日香)から数々の都を経てやがて平安京へ結実するプロセスが動的に、かつ進化プロセスとして理解できるとともに、794年以降不動となった京都という首都において、おそらくは初動期においてさまざまな工夫=都市イノベーションがあったのだろうと想像します。

〈都市イノベーション開墾・おわり〉

難波宮(大阪と都市イノベーション(その3))

いよいよ「都市イノベーション開墾」も最後の2話。日本ではじめての都市計画生成過程を都市イノベーション的視点で開墾します。

まだ「日本」というまとまりがあいまいだった頃、大陸や半島との外交や内外の交通の拠点として選定された難波宮難波津。
前期難波宮は、いわゆる「大化の改新」をすすめるために、645年に孝徳天皇によりその建設が決められたとされるもので、後記難波宮と合わせて、現在、大阪城に南接するその場所において大規模な発掘調査が行われ、次々と新しい発見がなされています。最近の例でみると、国立病院機構大阪医療センターの一角にて、「難波宮NW15-1次調査」の現地説明会が2016年12月3日に実施され、その後、その発掘場所は埋め戻されています。病院のホームページには「遺跡調査」のコーナーがあり、2017年1月時点の「お知らせ」では、「この貴重な遺跡を損なわないように新病院を建設いたします」とされています。今後どうなるのでしょう。

まだ本格的な都城のなかった飛鳥時代から藤原京へ、そして平城京の時代へと遷移するなかで、それら都からの脱皮やそれらとの補完関係(特に外交と水運)を模索しながら、少なくとも平安京に都が移るまでの間、重要な役割を担った都市として注目されます。
この場所。大阪城もそうであるように、上町台地の突端(北端)に位置する、おそらくこの地を支配しようとする者なら誰もが都や城を築こうとするであろうポイント。信長がてこずった大坂本願寺もここにありました。
東アジアに開かれた古代王宮・難波宮』(新泉社(遺跡を学ぶ095)、2014.8刊)は、まだ進化途上にあるそうした難波宮の意義を特に外交面に着目して描いた図書のようです。注文したので明日にも届きそう。考古学と歴史学建築史学と都市計画の接点にある、ワクワクするテーマです。

[関連記事]
纏向遺跡 (都市イノベーション読本 第80話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130205/1360047676

2017-02-21

『ハンザ 12-17世紀』

まだ近代的な意味での「国」という単位が無かった頃、自立した「都市」が主役となって、交易を通してwin-winの関係を構築。その交易の真髄とは、A地域に無いけれどもB地域では自分で消費する以上に産出するものをA地域に持っていき喜んでもらうこと(で商売になること)。逆の流れもできればなおよい。これに、AとBを媒介するCが加わることで、AもBもCも繁栄する。ハンザはこれらのうち特にCの働きをする開港自由都市です。
北海バルト海からなる海域は、北方における地中海の役割を果たしている。」という文章ではじまる本書は、5世紀にもわたり繁栄を誇り最盛期には200を数えた自由都市間の商業をベースとする強い結びつきを特徴としたハンザについて体系的にまとめられた書です。
みすず書房、2016.12.20刊。フィリップ・ドランジェ著、高橋理監訳。

いくつか興味深い点をあげると、
第一。商売上の「自由」を侵害されそうになった時のハンザの防御手段。基本的にはAが欲しがっている商品を流通させないという経済制裁。税をかけようとする都市(権力)への対抗手段としても、武力で迫ってくる相手に対しても、もかなり有効だったようです。
第二。4箇所の「商館」。いわば、大きな市場の窓口になる都市に置かれていた取引所のような場所で、ノブゴロド、ベルゲン、ブルッへ(ブリュージュ)、ロンドンの4箇所に置かれていました。ただしこの見方はハンザ側からの説明で(本書の目的)、商館の置かれた都市側から歴史を描けばまったくストーリーは違ったものになるはずです。とりわけ既に「City of London Corporation」の形で自治都市化していたロンドンとの関係には興味が湧きます。
第三。「都市」中心の自発的結びつきの崩壊には、「国」を中心とし国内の都市活動を保護しようとする近代化への動きがからんでいたこと。「国」の力のもとで船は大型化し、軍事力は増強され、市場は広域化してもはや地中海北海バルト海では勝負できなくなるグローバルネットワークへと拡大されました。
第四。ついていけなくなったブルッへなどではかえって、当時の栄華がそのまま建物や運河の形で残って今日の「世界遺産」などになっていること。ハンザのリーダーだったリューベックなどにもある程度同じことがいえるかもしれません。

本書全体の「要約」については、この書を読むきっかけとなった2017.2.12の読売新聞書評で。

[関連記事]
・『堺−海の都市文明』(都市イノベーション2020 第66話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141215/1418611574

2017-02-14

この春、2月21日の「みなとまちシンポジウム」を皮切りに“地域”関連行事を連続開催

地域実践教育研究センターをはじめとする横浜国立大学の“地域”関連主体がゆるやかに連携して、この春、“地域”関連行事を連続開催します。
http://ynulocal2017.wordpress.com

その皮切りが2月21日午後開催の「みなとまちシンポジウム」。もうすぐです。
上記URLから入り、該当イベントを「menu」から選んでください。

2017-02-13

2017年4月より新シリーズ「都市イノベーションworld」をはじめます。

今週にも“春一番”が吹きそうな気配。
ブログでも4月から新シリーズ「都市イノベーションworld」をスタートさせます。現在書いている「都市イノベーション開墾」の後継シリーズです。
2016年の間にいろいろあり、これまで『ベルリンの壁崩壊』後の時代だと思ってきた世界が大きく変わりそうです。都市と都市計画の立場からそのような世界をとらえてみたいと思います。
当時、『ベルリンの壁崩壊』後の世界を肌で感じたロンドンにも行ってみようと思います!

2017-02-11

ダダーブ

地球上の「都市と都市計画」をめぐる人類の大き課題という意味で、“世界最大の難民キャンプ”といわれるこのキャンプのことを取り上げることにしました。ケニア東部のソマリア国境近くにあり、30万人を超えるソマリア難民を受け入れています(最大時には50万人)。
一昨日、ケニア高等裁判所が、これら難民キャンプの閉鎖を決定したケニア政府の判断は、ケニア共和国憲法27条および28条に違反するとの判決を出しました。政府はこれを不服として控訴するとしています。自国民を保護するのは政府の責任との立場から。

「都市イノベーション開墾」も第96話。世界に「住みたい都市」が増える一方で、このような新しい現実も増えているように思います。難民キャンプで生まれた世代も増加。ささやかな映画館が唯一の娯楽施設との記事も出ていました。google mapでもはっきりとダダーブの様子がつかめるだけに、そしてこのようにつかめるということ自体はせいぜい1990年代以降のことであるだけに、ダダーブを「つかめる」(と思う)ことと、ダダーブという〈都市〉の問題解決がきわめて難しそうだと感じることのギャップがあまりに大きすぎて、何度もこのテーマは取り上げないでおこうと考えました。
けれども、「ささやかな映画館が唯一の娯楽施設」のような視点に可能性も感じます。30万人の〈都市〉計画。いずれ元の問題が解決されて〈都市〉は無くなるかもしれないけれどもしばらくは続きそうな〈都市〉。
このような現実は決してイノベーション的ではないものの、現実として存在するこのような〈都市〉問題の解決は都市イノベーション的なのだと思います。

[関連記事]
アジスアベバ開墾(3) (都市イノベーション開墾 第88話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170105/1483584215

[関連資料]ケニアの隣国ウガンダの例が中心ですが、『地域創造論』の第8章(p92-105)に、K先生の報告(講義録)が掲載されています。下記URLの「成果報告書」欄『地域創造論 ポスト3.11の新しい地域像』からダウンロードできます。
http://www.chiki-ct.ynu.ac.jp/40resrep/index.php

2017-02-10

セントポール大聖堂の背後に建設中の高層ビルが問題になっているようです

本日届いたPlanning誌2017.1.13号によると(p10-11)、セントポール大聖堂の背後に42階建てのビルが建設中で、それが問題になっているようです。

「背後」といっても、これはリッチモンドパークから見たセントポール大聖堂の背後の景観の話で、具体的には、ロンドンオリンピックパークに建設されている「Manhattan Loft Gardens」。リッチモンドパーク−セントポール大聖堂−「背後」のビルの間の距離はかなりあります。
ネットで検索すると、この建物自体にも興味は湧きますが、そちらにそれずに解説すると、ロンドンのマスタープランである『ロンドンプラン』の一部をなすLondon View Management Framework(LVMF)というルール(⇒資料へ)上には、確かにリッチモンドパークからの「Protected Vistas」が定められており、セントポール大聖堂を含むその視線内にはこうしたビルが建てられないようになっているのですが、微妙なのは、ロンドンオリンピックパークにまでその線は伸びて表現されてはおらず、見方によっては建てられるし、別の見方によっては建てられない、という状態。
ロンドンオリンピックパークの開発許可を担当する「Olympic Delivery Authority」に確認してみると、この建物は2011年に許可された物件。当時、この敷地セントポール大聖堂の「Protected Vista」の制限を受けるとは事業者も言われておらず、当時の計画許可を判断する委員会に出席していた地元ニューアム区の議員もそうした議論はなかったとしています。もし「Protected Vista」の制限を受けるとなればHistoric England(当時はEnglish Heritage)をはじめとする公式の協議団体に情報が回っていたはずで、そうなっていれば「強力に反対していたはずだ」とのこと。

さて、都市計画は、セントポール大聖堂の何キロメートル背後にまで線を引っ張っておかなければならなかったのでしょうか?!?
この記事にはロンドン市長の見解や、いやいやそんなことばかり考えていたらロンドンの活気が失われてしまうという開発側の意見などが最後に出ています。

[資料]London View Management
https://www.london.gov.uk/what-we-do/planning/implementing-london-plan/supplementary-planning-guidance/london-view-management

2017-02-03

EU離脱「白書」とイギリス都市計画

昨日(2017.2.2)、イギリスEUから離脱するに際しての戦略を述べた「白書」が公表されました(⇒資料1)。
そこには都市計画に直接言及した部分は見当たりませんが、離脱関係で少しさかのぼると、10日ほど前に、新たな産業戦略を示す「緑書(green paper)」が発表されていました。「緑書」は「白書」の手前の、これから政策化・法制化したいと考えている政府の方向を示すもので、2017.1.23に発表されたこの緑書への意見提出期日は2017.4.17と定められています。
この緑書では都市計画に関連して、主に地域開発やその主体、財源等に関する戦略が書かれています(特にp119-129)。これらはEU離脱後の地域政策の方向を示すと同時に、メイ政権における地域政策を方向づけするための提案ととらえられます。提案のどこに対して意見を求めているかについても「Questions」によって示されています。

[資料1]EU離脱戦略白書(2017.2.2)
https://www.gov.uk/government/publications/the-united-kingdoms-exit-from-and-new-partnership-with-the-european-union-white-paper

[資料2]産業戦略緑書(2017.1.23)
https://www.gov.uk/government/consultations/building-our-industrial-strategy

[関連記事]
EU離脱イギリス都市計画の課題
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160721/1469098361

2017-02-02

「みうらからはじめる研究会(第2回)」を3月11日午後に開催します

人口減少に悩まされる三浦半島の活性化に取り組もうと、神奈川県の「個性あふれる地域づくり事業」に応募・採択され進めてきたプロジェクトの成果報告を中心に第2回「みうらからはじめる研究会」を開催します。

地域コミュニティが主役となる谷戸地域の新しいまちづくり、歴史的遺産を維持再生しながら地域活性化につなげるプロジェクト、エコミュージアム活動のネットワーク的展開といった異なる切り口での取り組みを持ち寄り議論します。

■第2回「みうらからはじめる研究会」
日時 2017年3月11日(土曜) 13時30分〜16時
場所 横須賀市産業交流プラザ(京急汐入駅前すぐ)
案内はこちらです。みうらからはじめる研究会2.pdf 直


[関連記事]
・“みうらからはじめる”:地域コミュニティが主役となる学民連携事業(2016.10.3記事)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161003/1475463700

2017-01-27

ヨコハマのシティブランディングマガジン『PeRRY』創刊される

2017年1月10日に『PeRRY』というマガジンを創刊したと、横濱まちづくり倶楽部から記念すべき第1号が届きました。
なかなかいいです。
そもそもあの黒船のペリーが「Perry」と綴ること、あまり認識していませんでした。「rry」だと雑誌のタイトルにみえないので「RRY」なのかなぁ?などと考えながらペラペラめくってみると、いろいろな発見や驚きが。(内容は見てからのお楽しみに。)
たとえば。うしろの方に折込みで、「横浜港入港客船」というページがあります。そのものも楽しいのですが、書かれているのは2017年の1月から6月まで。「とすると、このマガジンは年2回発行するのかな?」と、ネットで『PeRRY』を検索すると「不定期」と紹介されています。このような発想自体を覆すようなマガジンなのかもしれない、、、!!

実際、「このような発想自体を覆すような」という噂も周囲から聞いたような気もします。いったいこの『PeRRY』は何者なのか???
詳しくは、横濱まちづくり倶楽部HPまで(http://www.e-hamaclub.com/)。

2017-01-24

横浜山手芸術祭(第11回。2017.1.29-2.26)

大寒から立春までのこの時期、外に出かけることも少なくなりがち。
と思っていたら、横浜山手で地道な活動をつづける博士課程のSさんから「横浜山手芸術祭」のパンフレットを手渡されました(⇒資料1)。「今年もまたこの季節ですね!」

毎年渡されるたびに、少しずつ芸術祭の内容がふくらんできているように思います。西洋館をはじめ横浜山手にある多くの施設や人々が協力・開催するもので、たとえばエリスマン邸ではこの期間に多数のコンサートが開かれるのに加え、2月11日にはシェイクスピアの「空騒ぎ」の朗読も。
街づくりに関係しそうなものとしては、同じくエリスマン邸で歴史講座「横浜山手150年 地域の歴史遺産を次世代に繋ぐ」が2月17日に開催されます。ベーリックホールの「ピアノが案内する横浜の歴史とまち」。2月15日です。どうやってピアノで案内するのでしょう??。個人的には山手234番館の小林みのる写真展(2月23〜28日)も見てみたいです。ブラフ18番館そのものにもまた行ってみたいと思います(自分の家感覚が味わえる)。この期間、横浜地方気象台も公開されます(土日祝日休み)。普段は体験できない歴史的建造物をじっくり味わうよい機会ですね。

横浜で秋や春に行われる他行事とも連携して、「Open House London」(⇒資料2)のような、全市的な取り組みになっていくこともイメージできます。「Open House London」がNPOにより設立され運営されているように、この横浜山手芸術祭もNPOなどで構成される「横浜山手芸術祭実行委員会」が主催するものです。

[資料]
1.横浜山手芸術祭パンフレット(pdf(3MB))
http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/author792de/docs/ece30b0f0a77b853a785ac719ec77081d25b3942.pdf
2. Open House London(HP)
http://www.openhouselondon.org.uk/index.html

2017-01-23

「都市計画と都市イノベーション〜ヨコハマを通して考える」

先週開催された「まちづくりセミナー」(都市計画協会主催)で、「都市計画と都市イノベーション〜ヨコハマを通して考える」というタイトルで話をする機会をいただきました。
主な対象は自治体職員。「右肩下がり」「消滅可能性都市」などという元気の出ないご時世の中で、どのような着想で都市計画・まちづくりに携わればよいかを、横浜を通して考えてみようとしたものです。せっかく横浜で開催するので、ということで横浜を「ヨコハマ」としつつ、歴史的視点から「都市計画と都市イノベーション」の関係をつかんでみようとしたものです。

そのように準備してみると、普段きちんと考えていなかったことが整理でき、意外なおもしろい結論が出てきました。
第一。「イノベイティブな都市計画を進めた要因」としては、外圧や大災害や外からの圧力など、対処しなければならない要因がそれぞれの時代に強く働いた。
第二。「誰がそれを担ったか」については、 「都市計画」というと行政が中心のようにみえるが、むしろ、居留地の外国人であれ民間企業であれ市民であれ、それぞれの時代にやむにやまれぬニーズや現実があり、それを行政が真剣に受け止め「都市づくり」に転じた。
第三。「具体技術等」については、あえて法則性をあげるとすると、現場のニーズを行政的に現実的に受け止めつつも、1)既存の制度に頼ることなく(頼れるものがなく)、2)行政だけで解決するのではなく公社や融資や民間人の力や外国人の力や市民の力を最大限借りながら、3)その枠組みづくりやシクミづくりにおいては行政がリードして、4)その場その場の特殊解を積み上げてきた、そして、5)常により良いものをめざした結果、6)そこにイノベーションが起こり、7)そうした精神がヨコハマで伝えられてきた。

特に第一の点がこのような結論になったことは意外でした。「イノベーション」というと何か特別なシカケや特別な人材がからんでいて「他にはできないことをやった」風に考えがちですが、設定としてはある意味自然に出てきたものでした。もしそうだとすると、それぞれの地域で「対処しなければならない要因がそれぞれの時代に強く働」いたときに、どれだけ第二、第三の切り口を地域独自に打ち出し実行できるかがやはり基本ではないのか、今もまさにそのような時期にあるのではないか、ということで話を終えました。
ブログの「都市イノベーション開墾」もこれが第93話。「ヨコハマを通して考える」今回の話もまだ粗削りの状態ではありますが、まずはこのような機会を与えていただいたことと、最後まで聞いていただいたことに感謝いたします。

2017-01-22

タタミカプセルホテル(京都と都市イノベーション(その3))

京都駅にほど近い七条通り。あまり高い建物が無い中に、ほっそりと立ち上がったその建物は、世界初の“タタミカプセルホテル”。もともと外国人観光客が多かった京都にさらに外国人客が急増。いかにも日本的な「カプセルホテル」という発明(?)に、別の意味でこれぞ日本といえるタタミを組み合わせるとは、、、(唖然)。
京都の都市イノベーションで秀吉をテーマにした(その2)の次がタタミカプセルホテルというのもとても勇気が必要ですが、それだけ、このところの宿泊施設等の急増は、京都の風景を大きく変えているのではと直観します。
町家型宿泊施設も急増。
京都市で許可を受けた宿泊施設は京都新聞によると、2013年度が48件、14年度79件、15年度246件、16年度7ヶ月間で396件(単純に1年分にすると約680件)。うち町家型のものが年度別に8件、25件、106件、132件(年間に直すと226件)。町家は何万とあるため割合でみると多くはないように見えますが、町を歩くときわめて多くなっていると感じます。「カプセルホテル」に「タタミ」風に表現するなら、「純粋町家」に「多国籍短期居住」。使い方に相当な気を使っていることも観察できます。
町家だけでなく近代建築や寺社仏閣が街並みを構成し、通りから一本入るといかにも京都風な風景。そうした中に新たな要素が増加するとともに、全般的な観光地化等によって、都市イノベーションがジワジワと起こっているように思います。そのエネルギー秀吉が京の街全体をつくりかえた規模には比較しようもありませんが、宿泊施設、町家バル、学校も含む近代建築の再生利用、新たなサービス施設(着物レンタルなど)、空地上のカフェ等々によって、「京都」の街はさらに一歩進化しつつあるようにみえます。

[関連記事]
京都と都市イノベーション(その2)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160912/1473662656
京都と都市イノベーション(その1)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130305/1362457545

2017-01-20

『アステカ王国』『インカ帝国』

今から500年前の1517年、最初のスペイン人の探検隊がユカタン半島に到着。その2年後にコルテス率いる隊が上陸。人口30万人を擁し当時世界最大だった都市テノチティトラン(現在のメキシコシティ)に迫り、1521年にアステカ王国は滅ぼされたのでした。
というのが一般的な世界史の説明だとすると、1つめの図書『アステカ王国』(文献1)は、副題が「文明の死と再生」とされるように、たしかに〈王国〉という入れ物は滅ぼされたものの、その後、スペイン人との結婚や伝統の堅持等のあらゆるプロセスを経てやがて文明が「再生」され今日までつながっていくさまを、「エスノヒストリー」という学術的方法によって描き出しています。
インカ帝国』(文献2)の方も基本は同じ。
コルテスに征服のノウハウを教えてもらいつつ、ピサロは1533年、首都クスコに無血入場。ここにインカ帝国が滅びたのでした。
というのが一般的な説明だとすると、特にインカ帝国の場合、その帝国システムを支えていた地方のリーダー(カシーケ)をうまく活かして帝国を統治したこと、高原の標高の上部、中央部、低層部に立体的に使い分けられていた土地利用システムや、高原から海岸につながる道をはじめとするインフラシステムを受け継ぎつつ、徐々にスペイン風のやり方を導入していったことなどにより、たしかに〈インカ帝国〉という入れ物は滅ぼされけれども、人的資源や文化的・伝統的資源は形を変えたりスペイン文化に融合しながら今日までつながっていることを強調しています。

これら2つの王国・帝国が旧世界に取り込まれて世界のウェブが1つに統合されたと解説するのが『世界史 人類の結びつきと相互作用の歴史(機Ν)』(文献3)。現在のインターネット「www.」の原型がこのときに生まれ、webの要である都市が世界的に結びつけられたといえそうです。エチオピア付近で「約400万年前、類人猿に近い彼らが意を決して木から降り、サバンナに足を踏み入れ」(文献3、気p17-18)てから世界中に散らばった人類が4億人ほどにまで増え、ついに世界が一体化したのでした。

[文献]
1.知の再発見双書19、創元社1992
2.同06、創元社1991
3.マクルーニ親子著(福岡洋一訳)、楽工社2015

[関連記事]
・『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』(都市イノベーション開墾 第77話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161026/1477460946

2017-01-07

アジスアベバ開墾(5) : 中産階級化の兆候〜21世紀後半に向けて

安全上の問題から多くの途上国において閉鎖的な開発(ゲイティッド・コミュニティー=要塞都市化)がひろがっています。「共生都市」アジスアベバでは以下のような中産階級化のあらわれが観察できますが、現在のところ、開発形式はオープンで、それをガードマンや警察官らのソフトウェアで補完している感じです。商業モールの入口では必ずボディチェックを受けます。

まず、空港のあるボレ地区には多くの大使館が立地するなか、(観察するに)ここ数年で多くの中規模商業モール、複合施設、ホテル、マンションなどが建設されています。開発規模は大きくはなくそう高くもなく(せいぜい10数階)、基本的に低層階に商業・サービス・オフィス機能を抱えつつ街並みを形成。コンテンツのレベルがあがるほど車利用が多くなり建物前が混雑していますが、まだ深刻な状態には至っていません。角にあるテラスでおいしいエチオピアコーヒーを飲みながらくつろげるその雰囲気は、なかなかのものです。あえていうと、代官山を少し上に積み増しつつ複合度を高め、少しゴチャゴチャさせた感じでしょうか!??
ボレ空港から都心部に至る「アフリカ・アベニュー」の通り沿いは建設ラッシュ。これから数年のうちに大きく変貌しそうです。特にこの通りはアジスアベバに出入りする世界の人々が第一印象をもつはずの通り。建築工事ばかりでなく、沿道のいたる所でインフラ設備関係の工事も行われています。いくつかの大使館(日本大使館含む)、カフェ、中小規模のスーパーマーケット、レストラン、ホテルなどが並びます。
「郊外」といえる地域も急速に変貌しつつ拡大。まだ300〜400万人都市であることから、そのスピードは驚愕するようなものではありませんが、近い将来に向けて大都市圏計画が重要な時期になっていることは間違いありません(⇒(3)へ)。ライトレール東西線に乗って東の郊外までいくと、周囲には中規模の中・高層開発がたくさんみられます。

中産階級化という意味で今後注目されるのは、国内的には現在まだまだ低い都市化率がどう推移するか。国連と共同で出している最新の「Ethiopian Urbanization Review」の推計(想定)によれば、現在20%弱の都市化率を、2025年に30%弱と想定しています。過去の他国の経験によれば都市化率の上昇と平均所得の上昇とに正の相関がみられるようです。この間、現在労働力となっていない若い世代(⇒(2)へ)が労働年齢に達し、1人当り平均所得も2025年時点で2000ドルの手前までいくであろう、との想定です。(現在は500ドル程度。目安として2000ドルを超えると「中所得国」)。
国際的には、ボレ空港がアフリカハブ空港であるのと同時にアジスアベバアフリカハブ都市として「“常春の”高原都市(⇒(1)へ)に住んでみたいね、そこで仕事もしたいね、一度は行ってみたいね」などとなり、安全も評価されて、他にはないタイプのグローバル都市になっていく可能性を感じます。2025年から2050年へ。そして2100年へ。

アジスアベバ開墾・おわり〉

2017-01-06

アジスアベバ開墾(4) : インフラ整備と都市エネルギーの未来

2系統のLRTが十字を描くように開通しました(南北線が2015年9月、東西線が同年11月)。サブサハラで初めて。中国資本によるプロジェクトです。キャパシティが小さい(車両編成が短く運転間隔が長い)ためか、「いつも満員」と評価されています。最初は日本式にとギュンギュン詰めのところに無理して乗ったところ不評だったため(ごめんなさい。)、よく観察し、また乗客とコミュニケーションをとりながら何度も乗るうちにむしろ皆から親切にされ、よい思い出になりました。けれどもキャパシティ不足は否めず、今後の交通政策はあいかわらず重要です。
むしろなんといっても特徴的なのは、道という道に人々が溢れ出ていて、歩いている人がとても多い。特に目立つのはそれなりに整備された幹線道路沿いに多くの人が歩く、歩く、歩く。頻繁に小さな乗合バスへの乗降があちこちでありますが。幹線道路整備にかなり力を入れている(と思われる)なかで、まだ自動車の普及がさほど進んでいないためにそのギャップが路上空間にあり、その隙間のような空間に、物乞いや歩行者や靴磨きや工事現場の人たちも含めて、アジスアベバに暮らす人びとのようすがずっと展開している、といった感じでしょうか。
こうしたインフラ整備が、たとえば鉄道の更新(ジプチ−アジスアベバ間の鉄道。2016年10月開通)なども含めて急ピッチで進んでいますが、エチオピアならではの事業として、ここでは巨大ダム計画「Great Ethiopian Renaissance Dam」をとりあげます。

ナイル川スーダンで分岐して「青ナイル」となりエチオピアに入った所に建設中の、6000メガワットの発電力をもつこのダムは、完成すれば売電も可能な重要な産業施設です。けれども下流で最も影響を受けるエジプトから深い憂慮の念が示されたため、「エチオピアが必要なのは電力であって水ではない。一時的にせき止められても基本的に影響は小さい」と説明するなどして、2015年に暫定合意に達したというもの。国内でも移転住民への補償問題や環境への影響が心配されています。2017年7月に完成予定。満水になるまで5〜7年を要すると見積もられています。
しかしここで注目したいのは、エチオピアが2010年時点の「水力電力率」が89.7%と、世界でもトップクラスであること(ちなみに日本の電力約100000メガワット強のうち水力は7000メガワットほど。他のほとんどは火力発電)。石油にも原子力にも頼らないままどこまで経済成長できるか。近年では地熱発電も期待されているようで(JICAの2015年レポートでは2037年までに最大5000メガワットと試算(全体で20000〜30000メガワット))、21世紀後半にさしかかる頃にアジスアベバは、100%の自然エネルギーによる、世界で最も進んだイノベーション都市になっている可能性もありそうです。

最後に。“常春の”高原都市であるせいか、ホテルには空調設備さえありませんでした(一応探したが見つからず)。

2017-01-05

アジスアベバ開墾(3) : 多数の死者まで出したマスタープラン改訂の意味

共生都市」とは、「である」という状態をあらわすのと同時に、「常に葛藤はあるがそれらを賢くマネジメントできる力が備わっている」ことだということが、まだ結果は見えていませんが、現在進行中のマスタープラン改訂プロセスから見えてきそうです。
アジスアベバは諸民族が連邦を形成して人為的につくったエチオピアという国の、これもまた人為的にその境界を定めた首都であるとともに、オロミアの中心都市でもあります。
アジスアベバの人口が増加し将来もさらに発展しそうなため、現市境の外側に「Special Zone」をつくって都市計画をおこなうマスタープランの提案を2014年春に行ったところ、オロミアの土地に一方的に提案されたとの怒りが爆発。騒然となり、死者140名を出すまでに。その原因を探ると、大きく以下のように整理できそうです。

構造的には、アジスアベバという都市そのものがオロミアの一部にあり、市域を大きく拡大して都市計画を行うためには十分な合意形成が必要だったにもかかわらず、一方的に計画が発表されたことによります。実際の計画プロセスは、アジスアベバ周辺地域の代表者も入るジョイントプロジェクトとして進められてはいたようですが、オロミア側からみると、「我々は農業州なんだ。都市側の理由だけで勝手に考えられるのは大問題。我々の権利は憲法にも記載されているんだ」と、特に憲法上の原理的な問題にまで触れる議論をしています。
この計画。フランスの協力を得てパリとリヨンのマスタープランに学び作成したもの。アジスアベバの周辺に約110万ヘクタールの土地を拡大して産業用地や住宅用地等を含めた総合的な計画にしようとするものでした。
あまりもの反対および多数の犠牲に、ついにその計画案を2016年1月に撤回。2016年夏には、周辺地域への拡張を大幅に縮小した新しいマスタープラン案が発表され、「参加手続を重視して進めていきたい」と説明されています。

実はこの問題の背景には、国レベルでオロモ人の権利が主力のアムハラ人によって不当に制限され差別されてきたという強い不満があり、アジスアベバが大きくなって得をするのはそういう人達だけであって、オロミアの農地は正当な手続きもなくこれまでも取り上げられてきたという怒りがあります。
運営を誤ればクーデターや内戦にも発展しうる(エチオピアでは大丈夫だと思いたいところですが、両隣には内戦状態の国や「崩壊国家」がある)、まさにアフリカにおける「国」の存立基盤や「首都(圏)」の計画根拠にかかわる重要なポイントといえそうです。
「葛藤を賢くマネジメントする」には相当な能力が必要。工学技術のみならず、人文社会等も含めたトータルな専門性・実践性と、都市や国を良くしたいというときの「良く」「する」ことについての共通目標づくりや遂行全般に関する能力の持続的進化が必要なことを、ひしひしと感じます。

2017-01-04

アジスアベバ開墾(2) : 誇り高き共生都市

エチオピアの周辺は、現代世界の人間の困難がすべて吹き出しているような、出口のみえない、出口どころか入口がまだどこにあるのかさえわからない、悲しい状況でいっぱいです。エチオピアだっていまだに「最貧国」であることは残念ではありますが、今回の「アジスアベバ開墾」ではその残念な側ではなく、希望の側を最大限見い出したいと思います。たとえば街をほんの少し歩くと、物乞いの老女や少女、赤ん坊を抱いた母親、靴磨きの少年、物売りの子供達や少年などに何度も声をかけられ、行き倒れのようにうつ伏せに倒れている大人も時々みかけ、幹線道路の裏側には「スラム」がひろがり(幹線道路に面する間口はバラックのマーケットになっていることも多い)、現実はとても厳しいと感じるのですが、同時に、老い行く日本とは対照的にきわめて子供は多く(15歳未満人口割合42.7%(2013)。日本は12.6%(2016))、その子供達の通学風景に出くわすといかにも楽しげで、実際に街を歩いていても危ないことはなく(幸いにも?)、幹線道路沿いを中心に街じゅうがビル建設ラッシュで若者たちがせっせと未来のアジスアベバづくりに関わっています。

あえてその背後にある大切な特長と思われるものを言葉にすると「誇り高き共生都市」。それは歴史的な蓄積(人類発祥の地 / 宗教上の古い伝統 / 植民地化を免れたこと、など)と、その特質を最大限生かそうとしてきた努力の結果かもしれません。同時に、資源に恵まれない国である(あった)ことが、内外の政治的いざこざに巻き込まれず深刻な内戦にもエスカレートしない条件だったのかもしれません。おかげで「一攫千金」ということもなく1つ1つ努力するしかないのですが、、、。
民族的(オロモ人34%、アムハラ人27%、その他合わせて80以上の民族)にも宗教的(キリスト教63%(大多数がエチオピア正教)、イスラム教34%)にも多様ななかで共生の方法を見いだし、1991年に旧社会主義体制が崩壊した(させた)のち、1995年の新憲法でその共生の国づくりの基盤を築き、約20年をかけてここまできました。現在の与党の名称は今でも「人民革命民主戦線」で、主要各民族のゆるやかな連携によるもの。国名の「エチオピア連邦民主共和国」とともに、エチオピアという現代国家が拠って立つ基盤や国の構成・構造を象徴します。アジスアベバはそうした構造をもつ国家の首都機能を支える場所であるとともに、各民族、各宗教が共生する(べき)空間です。とはいえ、そこは常に葛藤が起こり調整を必要とするコンテスト・グラウンド(競合の空間)。その様子は次の(3)で改めてとりあげます。

2017-01-03

アジスアベバ開墾(1) : “常春の”高原都市

明けましておめでとうございます。2017年です。
そろそろ21世紀後半に向けた新たなテーマの“開墾”にも取り組もうと、アフリカ連合の本部が置かれているアジスアベバから、5回の予定で、できる限りその未来を探ってみたいと思います。

その都市像は(意外なことに)、一言でいうと、「“常春の”高原都市」でした。
アジスアベバ標高は2400m程度です。日本でいう冬場は乾季にあたり、毎日快晴。日中は20度をいくらか上回り、歩きまわると汗もかきますが、日陰に入ると低湿度のためさわやかで、“初秋の軽井沢”ともいえそうです。景観的にも、緑に包まれた高原の中に、ビルがポツポツ点在するといった感じ。明け方になると10度前後まで気温が下がり、この調子が1年じゅう続きます。
軽井沢だって冬になれば0度付近まで冷え込んでしまうので、「常春の高原都市」というのは貴重です。アジスアベバという都市自体は、実は1886年に創設された若い都市。1つ前の拠点はエントト山という、アジスアベバ北の標高3200mほどのエリアにあったのですが、当時の皇帝メネリク2世に皇妃が、「こんな寒い所はやめて、あそこに見える花の咲くあたりに町をつくりましょう」と提案。「新しい花」を意味するアジスアベバが誕生したとのことです(やや脚色している)。

赤道に近い場所にどうやって都市を開墾するか。そういう目でみると、エチオピア歴代の首都の多くはどれも高原都市で、隣国のナイロビ高原都市(1600m)。中南米には最高標高首都ラパス(3600m)があるほか、メキシコシティ高原都市(2200m)。古くはマチュピチュも高く(2400m)、当時の首都クスコはさらに高い場所にある(3400m)ばかりでなく現在でも人口30万人を擁する都市です。普通であれば近代化の中で「そんな高い所にあったら不便でしょうがない」と、港があるか港までほど近い場所が都市として成長するのが一般的だったと考えられますが、赤道付近で「住みたい都市」にしようとすると、防御機能も兼ねて、高い場所に都市をつくることが合理的だったのでしょう。エチオピアは国全体が高原的。アフリカの中で植民地化を免れたほぼ唯一の国であることもこれに関係しているかもしれません。

2015年の春、成田からアジスアベバへの直行便が飛ぶようになりました(途中香港に降りる)。現時点で日本からアフリカに直結する唯一の路線です。注目されるのは、アジスアベバのボレ空港がハブとなり、その先の乗り継ぎでアフリカ全体をほぼカバーしている点です(⇒乗継資料)。隣の席の方はカメルーンに「妻を連れに帰り、また日本に来る」とのことでしたが、カメルーンだけでもヤウンデ便とドゥアラ便がすぐに接続します。エチオピア航空は100%政府出資の優良企業でボレ空港を拠点としています。アジスアベバが、「そんな高い所にあったら不便でしょうがない」と思えた時代は過去のもの。ボレ空港をハブとして世界各都市がネットワーク状に結ばれていて、それは日々進化。ようやく日本もそれに直接つながったという感じがします。

[乗継資料(GSAのHPより)]
http://www.gsa.co.jp/et/newsdl/Transitchartwin2016.pdf

2016-12-14

『GLOBAL GENTRIFICATIONS』

Loretta Leesら編、Policy Press 2015刊。
このタイトルを見たとき、「えっ?」「グローバルな視点でジェントリフィケーションを考えようということは、A国の富裕層がB国に押しかけた結果、B国の低所得者層がはじき出されてC国に行かざるを得なくなる、、そうするとC国の低所得層と新たにC国にやってきた人々との間に軋轢が生じ、、、」などという恐ろしい未来像に関する研究なのかと思いました。けれどもどういう本か読んでから注文するわけにもいかず、「ともかく新しい都市現象を論じているにちがいない」とA社に注文。
読んでみると、、、
第1章が総論、第22章がまとめで、その間の20章はあえてカテゴライズせずに各国の「gentrification」をそれぞれ論じる、という内容でした。アテネにはじまり、リスボンアブダビ、リオ、インドカイロイスラエルソウルカラチブエノスアイレスタイペイイスタンブールプエブラベイルートラゴス中国サンティアゴマドリードダマスカスケープタウンです。(国名の場合はその国の諸都市)

本書の特徴は、取り上げられている都市名・国名からわかるとおり、いわゆる英米その他の先進都市の観察にもとづく「gentrification」が果たして普遍的なものなのかについて疑問を持ち、さまざまな国で「gentrification」とはどうとらえられているか、そもそもそのような概念が無い場合にはどのようにとらえられそうか、とらえるべきか、そのとらえたことはどのような次元、枠組みで評価できるか等について、20種類のglobal gentrification「s」を描き出したところにあります。
その内容ですが、20種類の「global gentrifications」が単に並んでいるというよりも、1つ1つの「gentrification」が結局、その国、その都市の社会階層の集合の仕方、市街地のつくられ方、最近の都市計画の仕方などとかかわっていて、「gentrification」という「切り口」を通してその動態を観察することによって、その国(の都市や都市計画)の特徴が、グローバルな文脈の中で明確に浮かび上がる、という読み方もできます。さらにいえば、現在大きな課題・話題となっている「格差拡大」「EU離脱」「トランプ現象」などの出発点にある、ベルリンの壁崩壊以降のグローバリズムが、各国都市でどのように表れているかについて、かなり具体的に、ある意味理論的にそれぞれの章でとらえられていると思います。
たとえば、かつては低所得者のニーズや声は地域の自治体議員が吸い上げていたインドでは近年、ひとつには「世界都市」をめざすエリート層中心の中央政府の政策等によって、もうひとつには台頭してきた中間層によって相対的にその力が弱まり、そのあらわれとして「gentrification」が起こっているとされます(⇒関連記事)。そこでは「gentrification」がテーマのようにも見えますが、実は、ここで示されているのはまさにベルリンの壁崩壊以降のグローバル化に対応しようとした政府と、経済成長によって台頭してきた新たな中間層とがメインプレーヤーとなって、これまでの都市を大きく変えていく(transformation)動態そのものであるととらえることができます。「gentrify」される側の様相もさまざまで、「gentrify」する側もさまざま。従って、都市にあらわれる姿もさまざまなものに。そこだけ見ると単に「gentrification」が20例並んだつまらない本になってしまう。さらにいうと、副題の「Uneven development and displacement」を文字通りとると「よくある月並みな」本に思えてしまいそうですが、まさに読み方次第。ラゴス都心部近くのMaroko地区11425ヘクタールの住民ががまるごと立ち退かされた(p320-323)と書かれている箇所だけみても(まだ詳細は未確認)、それが横浜市(43740ヘクタール)の4分の1の規模(市街化調整区域4分の1を引くと、市街地の3分の1)と考えると、他国のこととはいえ、無関心ではいられません。

[関連記事]
・CONTESTING THE INDIAN CITY(都市イノベーション開墾 第31話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160121/1453346049

2016-12-08

「縮減市街地における地域コミュニティ関与による住環境マネジメントに関する一考察」がアップされました

博士課程のYさんらと行っている“豊かな縮減都市”研究(⇒研究ノートへ)に関連した論考が、昨日アップされました(都市計画報告集No15)。
[No15目次へ] http://www.cpij.or.jp/com/ac/report/2016.html
[直接pdfへ] http://www.cpij.or.jp/com/ac/reports/15_156.pdf

人口減少が加速している横須賀市のなかでも谷戸地域について、町内会にアンケート調査を行い100%の回答を得たものの分析が中心になっています。
現在、こうした成果をもとに、最も「地域力」があり「地域コミュニティ関与による住環境マネジメント」の可能性が高いと考えられるエリアにおいて、こうした地域力にもとづく“豊かな縮減”の方向性や方法について模索しています。先日は町内会で空き地・空き家の見回りをする機会に同行させていただきました。驚いたことに、一見人が住んでいそうな家でも「ここは○年前に△△さんが□□となって空き家になっている。時々××さんが手入れに来ているけど、このままいくと♯♯になりそうだとおもうナ。」のように、1軒1軒の様子をかなり正確にとらえているのでした。別の方が地図をもっていて、なにやら前回調査からの「変化」等について書き入れているのでした。
近隣計画をウォッチしているのも、こうした地域からの力や知恵やデバイスをもとに、新たな都市計画制度や条例や施策等がうまくかみ合うような新たなシステム構築ができないかとの考えにもよります。インフラ投資等の大きな資金が必要な「建設」の時代にはこうした力は相対的に小さかったと考えられますが、管理運営が中心とならざるを得ないこれからの日本の都市計画においては、こうした地域の力がとても重要になってくると思います。

研究室横断チームで行っている「みうらからはじめる」と合わせて、次なる成果をめざします。

『イノベーションはなぜ途絶えたか』

あさって12月10日が発行日となっている、ちくま新書1222。著者は山口栄一(京都大学大学院思修館教授)。
昨晩、駅の本屋で「イノベーション」という文字が目に入り、気がつくと読み終わっていました(注:一応立ち読みではなく購入しております)。
一冊の本だけで社会が変わるわけではありませんが、「科学立国日本の危機」という副題に示された著者の思いが伝わってくる重要な書です。
解説はしませんが、p109の図にすべては集約されます。また、「都市イノベーション開墾」的視点からみると、「都市イノベーション」に関係する知はこの図書で中心的に扱っている狭義の「(自然)科学」というより(一見)雑多な広い領域とはいえ、p109の図における地面の下を耕すことが重要という点では同じです。まだまだ開墾作業は足りませんが、この記事で既に83話となりました。

2016-12-06

『ヨーロッパ・コーリング』とイギリス都市計画

ブログで「イギリス都市計画定点観測」をはじめたのが2011年8月11日。その冒頭で「初回は、今回の都市暴動とも関係しそうな議論」として、 「大きな社会(Big Society)とローカリズム法案(Localism Bill)の行方」について書きました。
ここで「今回の都市暴動」としているのは、2011年8月6日から13日まで続いたとされ、5名の死者を出したものです。ロンドンではその沈静化のために1万6000人の警察官を配置。この暴動の背景には、財政削減政策によるアンダー・クラスの増加や若者の失業など、現代イギリスヨーロッパに共通する社会問題があったとされます。ブログを書いている8月11日は沈静化しつつあるとはいえまだ暴動がおさまっていない日本時間の14時頃、現地時間では10日から11日に移ろうとする深夜です。

本書『ヨーロッパ・コーリング』は、まさにそのあといろいろあったヨーロッパの、なかでもイギリスにおける庶民目線での(副題では「地べたからの」)レポート。ネットでもかなり話題になったブレイディみかこ著。岩波書店、2016.6.22刊。イギリス国民投票EU離脱を決めた前夜までの、あの結果を読み解くための貴重な現地レポートです。2014年3月18日の「こどもの貧困とスーパープア」という記事からはじまり、岩波書店が出す本でこんな言葉を載せて大丈夫かとこちらが心配になるような表現に満ち溢れたエネルギッシュな書です。
ここではこの図書の紹介はこれくらいにして、本ブログ記事「大きな社会(Big Society)とローカリズム法案(Localism Bill)の行方」でとりあげた、キャメロン政権が進めようとしていたこの政策に対する4つの批判的視点からみて、その後のイギリス社会がどうなっていったかを達観的にまとめてみます。

第一の「複雑な社会だからこそ多様なステークホルダーのチェックを受けて中央で議論し決定しているのに、ローカル化を進めすぎると分割され、そうした声が反映しづらくなるおそれがある」との批判については、国民投票によって「EU離脱」という選択ができた(選択をしてしまった)という意味において、国民の声がローカルに分断されることなくとりあえずは突破口が開けたといえるかもしれません。もう少し正確にいうと、「多様なステークホルダーのチェックを受けて中央で議論し決定している」と思っていたことが実は中央では現実は正確にとらえられておらず、投票予測も正確にはできず、国民投票によって国民の(とりあえずは)真の声を聴くことができた、という結果でした。
第二の「代議制にも問題はあるとしても、直接民主主義を強めると力のあるところのみメリットを享受し、それ以外は中央の財源カットの格好の材料になる」については、例えば近隣計画のその後の策定状況をみると、そういう傾向がなくはないといえそうです(⇒関連記事へ)。
第三の「ユビキタスなローカリズムでなく選別的なローカリズムが進み近隣間の分裂が進むおそれがある」については、『ヨーロッパ・コーリング』の中で、ローカルな場面におけるさまざまなコンフリクトがリアルに描写されています。ただしそれらはローカリズム政策の結果というより、ジェントリフィケーションの結果であったり、さらにその背後にある現代資本主義システムのローカルへの反映とみたほうがよいように思います。
第四の「「大きな社会」とは聞こえはよいが、結局は保守党が常に掲げる「小さな政府」のための方便にすぎない」については、「EU離脱」という結果そのものが雄弁に語っているように、かなりの程度そうだったのではないかと思います。それは直接的にはキャメロン首相の辞任という形に結果しました。あとを継いだメイ首相のこれまでの言動を見る限り、この姿勢はかなりの程度是正される方向に向いているようです。しかしながら現実の経済状況等によってはその実現には困難が伴うことも予想され、現時点ではまだ「気持ちの方向」といった段階かもしれません。

[関連記事]
・近隣計画を立てる気配の無い自治体はなぜそうなのか?
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160302/1456880824

2016-12-01

『江戸の都市力 地形と経済で読みとく』

「都市イノベーション開墾」第82話です。
建築・土木系の解説書では空間構成そのものに力点はあるがその政治経済的意味づけが弱い。政治・経済系の解説書では政治経済的解釈や数値には強いが思考が空間化されておらず物足りない。そんななかで本書は、江戸の形成と進化について、あまたある建築・土木系の解説書にはないほどの正確な空間把握を試みつつ、同時に、主要な都市施設についての軍事的・政治的意味や、港を通した大坂をはじめとする全国との経済交流等について、テンポ良く解釈・解説しています。
推測にとどまっている箇所も多いのですが、「地形と経済で」「江戸の都市力」を「読みとく」6章構成のこの図書のうち、特におもしろかった点をあげると、、、
第一。歴史教科書にある京都中心視点ではない、江戸そのものの歴史が通史として書かれていて、特に鎌倉時代以降の記述から、江戸につながる社会経済的・空間的変遷がよく理解できる。
第二。その江戸城下の建設についても、図面上で正確に「従前」「従後」が重ね合わせて理解できるように工夫されており、さらに、歴史を一気に進めることなく、1段階ずつじっくりと空間が進化・変容していくさまが、その意図の読み取りとともにていねいに解説されています。秀吉勢力と家康勢力の江戸におけるせめぎ合いの視点も提示されていてワクワクします。
第三。それらを通して、従来の学説であった渦巻状都市計画などを「合理的な根拠を欠く」と一蹴。「明確なマスタープランがはじめからあって「町割」がなされたのではない」(p73)と、自説が展開されていきます。
鈴木浩三著、ちくま新書1219、2016.11.10刊。

[関連記事]
・『家康江戸を建てる』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160503/1462258948

2016-11-26

近隣計画に関連するコール・インが発動されました(近隣計画をめぐる新トピック(2))

昨日のトピック(1)に比べると、こちらはかなり本格的な議論が必要なケースです。そしてまだ進行中の話題であるため、現在わかっている状況を書き留めます。Town and Country Planning誌8月号の記事がその時点までの経緯を綴っています。

セントラルミルトンキーンズ(CMK)ビジネス近隣計画は、ビジネス近隣計画の第1号として、2015年5月7日にレファレンダムを通過しました。住民投票とビジネス主体による投票の2つの投票を行わなければならないなど、相当大変な策定過程をたどって「やれやれ」と一息つこうとした矢先、近隣計画の内容を逸脱する(と策定した当事者たちが考える)開発計画が持ち上がりました。許可を与えてはならないと当局に働きかけたものの、当該自治体においてその計画が承認されてしまったことから注目されているものです。
「コール・イン」とは、大臣が、当該自治体の判断に待ったをかける制度で、これまでも主要な場面で使われてきました。近隣計画を制度化して適正な運用を期待する国の立場からみて、その初動期における問題の芽は大臣としても早く摘み取るべきと判断。けれども本当にその芽が問題なのかどうかを公正に判断する必要があります。「コール・イン」は2015年11月に発動されました。審査官が任命され、5日間の公開審問が2016年9月6日にスタートしました。争点は、商業施設等の11000屬料床による公共空間の変化が、近隣計画の内容に反するとして許可が覆されるのか、自治体の判断通りとするのか。実は、この5日間だけでは決着がつかず、再度公開審問が予定されました。それは2016年11月30日から12月2日の3日間です。さらに、それとは別に技術面の検討を行う2日間の「technical inquiry」が組まれる予定で、どうやら決着をみるのは2017年に入ってからになりそうです。

近隣計画の内容のどこがどう争点になっているのか。資料は限られているので、2015年9月3日の開発コントロール委員会で許可となった際の事務局案から、許可が適当とした理由を5点整理しておきます。
第一。確かにこの開発によりセミパブリックスペースは減少するものの、空間の質を著しく高める。(事務局の言葉で、「officers are of the opinion that..」と強い調子で書かれている。)
第二。計画されている新たな公共空間は、現在重要視されている小さなオープンスペースが無くなることによるロスを上回る効用があると考えられる。
第三。増築により(建物間の)道幅が20mから15mに減少するものの、公共交通に支障はなく、その「15m」も都市計画手法でしっかり担保できる。
第四。グレード2の登録建築物となっている空間の雰囲気に害を与えるとの指摘もあるが、プラスの面も踏まえれば、バランスからみて、空間の質を害するとはいえない。
第五。保存樹を切り倒すのは忍びないが、この開発はそれによる損失を緩和できるものである。

さて、この議論の行方は、、、

2016-11-25

初のレファレンダム不通過事例が出ました(近隣計画をめぐる新トピック(1))

近隣計画については、運用も含めて一通りの成果をウォッチしてきましたが、ここにきて、新しい話題が出てきました。2件続けて取り上げます。まずはその(1)。
本日届いたPlanning誌2016.11.4号によると、250ほどのレファレンダムが滞りなくなされて近隣計画が次々に誕生している中、運用上はじめて、レファレンダムを通過できなかった近隣計画事例が出ました。
場所はダービー県のダービー市に北接するAmber Valleyという自治体にあるSwanwickというパリッシュ。85%が「no」の投票だったということで、いったい何が起こったのでしょうか。

Swanwickは牧草地が広がるイングランドらしい田園地帯の村ですが、1970年代より開発が進みその面積が2倍になってしまったため、開発抑制的な内容の近隣計画を立案。しかしその内容がさまざまな上位計画等に適合せず、2016年4月25日に提出された審査報告書(Examination Report)では、多くの政策を削除するか大幅に書き換えるよう勧告がなされました。そればかりか、近隣計画の根幹をなす「aims and objectives」までもが削除すべしと勧告されてしまったのです。けれども審査報告書では、それら勧告に従って修正したものをレファレンダムにかけることも勧告していました。
近隣計画案が当該自治体に提出されたあと審査官に審査を依頼したり審査報告書に基づいて修正をほどこしたりレファレンダムの手はずを整えるのは当該自治体の仕事とされています。修正にあたっては、当然、近隣計画策定主体の意志を確認するなどの手続きがマニュアルには書かれているのですが、6月に当該自治体内で修正を行ったあとで、近隣計画を取り下げたいとの意思が地元から伝えられたため、それは後の祭り。取り下げは6月の当該自治体の修正の前にしなければにらなかったと。当然、「そんなズタズタにされた近隣計画なら採択されないほうがマシ」と、地元では「投票でYesにしないで」運動を展開。結局、2016年10月20日のレファレンダムでは上記の結果になったのでした。

特殊ケースといえば特殊なのですが、何とも後味の悪い結果です。不名誉な記録と言えなくもありません。地元では現在、「もう何もする気になれない」とのこと。それはそうでしょう。
少し間を置いて、このSwanwickの人たちが何を考えどう行動するか、、、しばらく見守りたいと思います。

2016-11-24

『FROM THE OUTSIDE IN』

CAROLYN T. ADAMS著、Cornell University Press刊、2014。
タイトルだけではよくわからないその内容は、副題の「Suburban Elites, Third-sector Organizations, and the Reshaping of Philadelphia」で少しヒントが得られます。けれどもそれでも十分とはいえないので、以下にこの図書がいかに「都市イノベーション開墾」的かを整理してみます。(前提として書かれていないことも補足します。)

第一。アメリカの都市、とりわけ大都市では所得の高い世帯は郊外に転出してしまい、それらが集まって大都市周辺部に小さな郊外自治体を次々につくることが繰り返され、事業所も郊外や超郊外に転出した結果、中心部は衰退し、破たんする自治体もあるなど、深刻な問題がみられる。フィラデルフィアも例外ではない。中心部に投資がなされない構造が固定されてしまった。
第二。ところが、近年フィラデルフィアではそれとは逆の現象が顕著にみられるようになった。
第三。それは「第三セクター」によるさまざまな特定目的の事業展開による成果としてあらわれている。「第三セクター」というと日本では「あの非効率な、役人の天下り機関」というレッテルが貼られてしまっているが、フィラデルフィアでも“準公的”機関という意味では別の理由で新たな課題に対処できないことが分析の結果わかった(第1章)。別の理由というのはたとえば交通関係でみると、道路も鉄道も維持・修繕コストが財源の大半を占めてしまい新規投資に回せないこと、広域課題に対処すべくつくられた“準公的”機関のメンバーが各自治体等からの代表により構成されているためどうしても公平な決定にならざるをえないためである。
第四。しか本書でいう「第三セクター」というのは、“準公的”機関ではなく、非政府機関であり、民間主導の新たな機関である。第2章には、多数のそうした機関による取り組みが整理されていて、それらは都心部および準都心部に集中していることがわかる(51頁の図3)。Delaware River Waterfront Corporation、University City District、などなどである。
第五。そうした機関の理事会メンバーの多くは現在は郊外(の別の自治体。さらに調べてみると、フィラデルフィアの西に隣接する富裕層が集まる自治体にかなり集中)に居住するエリート層であるが、彼らは機関の運営によって「フィラデルフィアを再生しよう」などと思っているわけではなく、それぞれの機関のミッションを忠実に遂行し、国内において、できれば国際的にもトップレベルの質の高い事業を行おうとしているにすぎない。

これまで、瀕死の都心部を再生しようとする民間版マスタープランの話(デトロイト。関連記事1)や、郊外化の波が反転して「Great Inversion」を起こしている話(⇒関連記事2)は紹介してきましたが、本書のように、郊外と都心部を一体的にとらえ、さまざまな新しい形の「第三セクター」群の活動によって都市再生がこれだけ大規模に進んでいることを紹介した図書には初めて出会いました。

[関連記事]
1.DETROIT FUTURE CITY (2013)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151210/1449723037
2.THE GREAT INVERSION
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151225/1451022584

2016-11-18

『アフリカ希望の大陸 11億人のエネルギーと創造性』

エムボマのゴールシーンを見るような、さわやかでファンタスティックな快作。
ダヨ・オロパデ著(松本裕訳)、英治出版、2016.8.31刊。著者はニューヨーク在住の、ナイジェリア系アメリカ人のジャーナリスト
ある意味、前記事『Urban Planning in Sub-Saharan Africa』と表裏一体の関係になるともいえる、蟻の目視線からみたアフリカ像・アフリカ論です。「カンジュ」と「しくじり国家」がその根底にある視点・キーワードとなっています。特に「しくじり国家」というとらえ方および訳が絶妙。「しくじり国家(fail states)」は「失敗国家(failed states)」とは実質的に異なるとしつつ、「しくじり国家」に暮らす何億という人々のイノベイティブな「カンジュ」魂が綴られています。

ここでは「都市イノベーション開墾」的視点から、アフリカ(の空間)認識について取り出します。そもそも「アフリカ」とはどういうところか。11頁に掲げられた紀元前5世紀のヘロドトスによる世界地図から話ははじまります。この地図を見るだけでも、人間の世界観が「おお、なんとこういうものだったのか??!!」と思わされるのですが、「ナイル川が発見されるまでには、2000年もの歳月が必要だった」(p10)と述べつつ、すぐそのあとに「もっとも、それを発見と考えるのはおかしな話しだ。ウガンダ東部からエジプトの広大なデルタ地帯まで伸びるその穏やかな流れは、人類が存在する前からずっとそこにあったのだから」として、私たちの空間認識・地域認識というものの性質をあぶり出します。そうした意味では、続く76-77頁に掲載されている2つの図が貴重なものに見えます。p76は「アフリカ分割」がはじまる前の1872年に描かれた植民地以前の王国を示した図。p77のほうが、民族と言語を基準にグルーピングされたアフリカ図(1959年作成)です。
最新の動きとしては、2007年以降グーグルアフリカの情報を取りこみはじめ、「どうにか2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会に間に合わせた」(p13)。
そのおかげで、著者の祖母が暮らすナイジェリアの「イレ・エキティ」という昔ながらの町や、そこから30キロほど離れた「アド・エキティ」という州都も、グーグルを使うとかなりの精度でつかめます。「しくじり国家」に頼れない中、こうしたデジタル革命によりある意味世界最先端の独特な電子取引や決済システムが構築され、雇用が生まれ、経済循環がジワジワと形成されていくさまを描いたのが第6章の「テクノロジーの地図」。けれどもナイロビにあるスラム地域キベラの空間情報はグーグルでもお手上げ。それどころかナイロビ大学の都市計画特別チームでさえお手上げで、「キベラの売店やトタンの家の塊をざっくり「居住区域」と分類しただけだった」(p374)。しかしそのキベラの住民たちは、簡素なGPS機器と「オープンストリートマップ」を使ってキベラの詳細な地図を作成。住民向けに事業やサービスの名簿までつくったことが紹介されています。「この地図には、21世紀のアフリカにおける新たな物語が凝縮されている。国家よりも小さな宇宙を定義しつつ、大きな、ことによるとグローバルでさえあるコミュニティを住民たちの定義で地図に描きこんでいるのだ」(p375)と。

原題は「THE BRIGHT CONTINENT」、その副題は「Breaking Rules and Making Change in Modern Africa」。原文と訳文の息の合ったテンポの良さにも感謝です。

2016-11-04

『Urban Planning in Sub-Saharan Africa』

近代都市計画思潮の影響を、誰が主役となって、どのような都市化の段階で受けたかによって、今日の都市をめぐる状況が大きく左右される、、、前回とりあげたラテンアメリカでは、16世紀前半に植民地化された地域が18世紀初頭に独立、その後にヨーロッパの近代都市計画の影響を独立国として受け、20世紀に入ってアメリカあるいは国際建築・都市計画運動の影響が強まる、という段階的推移がみられました。
今回の図書は、19世紀末にアフリカ植民地化されるなかで、既にその頃ヨーロッパで普及していた公衆衛生重視の都市計画が導入され、やがて、ゾーニングやマスタープランといった都市計画ツールが植民都市に適用されて、そのあと1960年代になってアフリカ諸国が独立していく、という歴史過程を扱っています。植民地化から独立まで100年に満たないことから、植民地化がもたらした影響を、断絶(rupture)か継承(continuity)か、という視点から読み説いているのが本書の特徴です。
CARLOS NUNES SILVA著、Routledge、2015刊。副題は「Colonial and Post-Colonial Cultures」。

16章の構成のうち1,2章が総論。3章に興味深いIFHTP(:現在のIFHP)を舞台にしアフリカの都市・住宅計画について議論した1938年のメキシコシティ会議の分析。4章から12章が、イギリスフランスイタリアドイツ、スぺイン、ベルギーによるアフリカの分割と都市計画の歴史です。サハラ以南の現在のアフリカ諸都市がほぼすべてカバーされます。13章のクロアチアの章は、フランス植民地独立の際、唯一完全な独立の道を選んだギニアに対するクロアチアからの専門支援の話。14〜16章が相互協力や教育等の話です。

今までほとんどわからなかったアフリカ都市計画の全体像(地中海沿岸のアラブ都市は除く)がその導入の歴史とともに「わかる(きっかけになる)」図書。1つの章だけでもおもしろいものもあり、断片的ですがいくつかあげてみると、、、
第一。第3章のIFHTPの議論、あるいはIFHTPが果たした国際都市計画運動上の役割(と限界)が研究対象としてはかなり興味深いです。
第二。「断絶と継承」という視点が全体を貫いて冴えます。特に、一般的には「断絶」が強調されやすいなかで、エチオピア諸都市がイタリアの一時的侵攻にもかかわらず「継承」を保ったとする第9章の分析が印象的でした。その前の第8章が、アジスアベバに全体主義的イタリア都市計画を適用しようとしてマスタープランが描かれた場面を詳細に描いていておもしろく、その象徴となる1936年プランは本書の表紙にもなっています。
第三。「継続」という意味では、植民地時代につくられた法制度がそのまま独立後もほとんど形を変えずに運用され都市問題がどんどんひろがっていく様子(この部分はあまり実証されていません)も、それが法制度そのものによるものなのか、運用側の問題なのか、都市の状況がそうしているのかをさらに知りたくなります。
第四。総体として、例えば「日本の近代都市計画」がどのようなものだったかを考えるための刺激にもなります。ペリーがやってきて居留地として開港した横浜の都市計画を、こうしたグローバルな視点からもう一度読み直すこともできそうです。また、これはどちらかというと前回のラテンアメリカ首都計画(⇒関連記事)に近いかもしれませんが、明治初頭の東京の都市計画を、国際的近代都市計画運動の文脈の中で読み直すのもおもしろいかもしれません。

[関連記事]
・『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』(都市イノベーション開墾 第77話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161026/1477460946

2016-10-31

進化する和田べっぴんマーケット(11月12日に第41回開催)

2003年12月14日にスタートした「和田べっぴんマーケット」が第41回目となり、11月12日(土曜)に開催されます。本ブログでも、ブログ開設から4日目に「和田べっぴんマーケット 第25回を迎える」という記事を書きましたが(⇒関連記事)、その後も続き進化中。
今回のチラシを見ると(下記URL)多方面と連携しつつコンテンツも増えていて、イベントが進化しているさまがわかります。
http://livedoor.blogimg.jp/wadamachishotengai/imgs/5/9/59e4d4ee.jpg

ちょうど今朝(2016.10.31)の朝日新聞に「学園都市神奈川 課題解決に取り組む大学のいま」という特集記事が組まれています。この中で横浜国立大学学長は、和田町商店街との取り組みなどの実績をあげながら、来春新設される「都市科学部」に言及。最後の方で、取り組んだ事例を国内外に発信することが重要としています。

進化の姿を是非体験してみてください。

[関連記事]
・「和田べっぴんマーケット 第25回を迎える」
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110520/1305884919

2016-10-26

『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』

スペイン植民都市計画史も「是非読んでみたい」(⇒関連記事)と探したところ、「そのもの」は見つからなかったものの、本書は、19世紀初頭にスペインポルトガルから独立した中南米各国が、それぞれの国の顔となる首都を、植民都市の状態からいかにつくりなおそうとしたか、そしてそのあとすぐにやってくる「近代化」の時代に何を考え、どう葛藤しながらそれぞれの首都を形成していったかが語られていて、たいへん興味深い内容です。

とりわけ19世紀中盤に大改造されたパリが多くの首都で参照され、プロジェクトとして取り組まれていく様子や、やがて、そうしたパリ贔屓が国内勢から批判されて立ち行かなくなる様子、しかしながらそうはいっても「わが国の独自文化」とは何かについて思い悩むエリートたち、そうこうするうちに次第にアメリカの影響が強くなり、さらには近代建築・都市計画運動が活発になってル・コルビュジェやバリー・パーカーなどがやってきて、ヨーロッパからも、自国の伝統や歴史からも独立し開かれてゆくさまが、多くの図面、計画案、写真などとともに解説されていきます。とくにリオデジャネイロサンパウロの両者をとりあげつつ、「ブラジル首都にふさわしい都市とは」との問いに答えるべく新都市が選択されていく過程は読みごたえがあり、また、「首都」というものはどういうものかを考える刺激を与えてくれます。
編著者による総論の2章につづき、ブエノスアイレスリオデジャネイロサンパウロサンチアゴメキシコシティ、リマ、ハバナカラカスサンホセが取り上げられます。

Routledge、2002刊。編著者はArturo Almandoz。
なお、2015年にこの本の続編ともいえそうな『Modernization, Urbanization and Development in Latin America, 1900s-2000s』が同じ編著者・出版社により出ています。

[関連記事]
・『OF PLANTING AND PLANNING(Second edition)』(都市イノベーション開墾 第73話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160914/1473824634

[現代中南米都市計画関係]
・『LATIN AMERICAN URBAN DEVELOPMENT INTO THE 21st CENTURY』(都市イノベーション開墾 第17話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151202/1449040479
・『SOCIAL URBANISM AND THE POLITICS OF VIOLENCE』(都市イノベーション開墾 第16話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151201/1448941928
・『Happy City』(都市イノベーション2020 第53話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141001/1412117063

[他地域の類似するアプローチの図書]
・『Planning Middle Eastern Cities(2004)』+『The Evolving Arab City(2008)』(都市イノベーション開墾 第13話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20151029/1446087590

2016-10-24

『(地図)浪花の繁栄』『(地図)近代都市の構築』(大阪と都市イノベーション(その2))

大坂を特集していると一瞬思った『秀吉の普請』(季刊大林No57)が京都の特集だったこともあり(⇒関連記事)、今度大阪にいったら是非そのあたりをと思っているとたまたま大阪に行く機会ができたので、その日の夕刻、インバウンドで一気に増えたといわれる外国人にはさまれながら大阪城に登ってきました。NHK大河ドラマ真田丸大坂の陣がはじまったこともあってか(??)、かなりのにぎわい。
秀吉による大坂の普請は、大坂の陣を境に徳川政権で改造され市街地も拡大。これが400年前。

『(地図)浪花の繁栄』は、財団法人大阪都市協会(当時)が発行した縮尺1万分の1の地図で、19世紀初頭の大坂の様子が現在の地形図に重ねられてよくわかります。今から200年ほど前のこと。まだ「大坂」の範囲は“三郷”と呼ばれた範囲にとどまり、南は道頓堀川付近までとなっています。土佐堀に沿って立ち並ぶ各藩の蔵屋敷の表記が圧巻です。有力町人の立地を示すマル印も、一般の地図には無い表記で興味深いです。近代以前の大坂の都市計画がいかに整然と計画的になされたかがよくわかります。
『(地図)近代都市の構築』は、大阪都市協会(当時)が発行した縮尺12500分の1の地図で、大正10年代の大阪。おおざっぱにみると、市街地は現在の大阪環状線のあたりまで拡大しています。よく見ると、「学校」という大きな敷地をもつカテゴリーがこの範囲を越えて先行的に当時の郊外に拡大していく様子も感じ取れます。この地図の副題が「大大阪の生活と文化」となっているように、凡例も「寄席」「風呂屋」などというように生活感があふれています。この頃がおよそ100年前。

そして現在。上記2つの地図を発行した「大阪都市協会」は解散させられ、その後(の一部の機能)を継いだと思われる「大阪市都市工学情報センター」も最近解散したようです。さらに、もしやと思い調べてみると、1925年に関一(当時の大阪市長御堂筋を拡幅。大阪都市協会の創設者)が創刊した雑誌『都市問題研究』も2012年春号にて終刊していました。

[関連記事]
・『秀吉の普請』(都市イノベーション開墾 第72話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160912/1473662656

[大阪と都市イノベーション]
大阪駅の第九(都市イノベーション読本 第78話)=本日より、「大阪と都市イノベーション(その1)」とします。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20130122/1358861442