Hatena::ブログ(Diary)

地域が連携し「住みたい都市」をプロデュースする

2018-05-23

琵琶湖疏水(その2) (京都と都市イノベーション(その5))

67年ぶりに琵琶湖疏水の舟運が復活することを知ったとき、2400メートルもあるトンネルをどう抜けるのかと心配しました(←もう乗ったつもり)。しかし日本の近代都市計画史上とても重要なこの遺産を体験しようとの気持ちが上回り「×」ばかりの予約表の中からなんとか大津−山科区間のみの空きを予約。3月のことです。

その真っ暗なトンネルに入ると、はるか前方に小さな「点」のような出口が見えました。まだ近代土木技術も発展途上だったあの頃、大学を出たばかりの田邊朔郎は、まっすぐ、ごくごく少しずつ標高が下がるようにこのトンネルを掘ったのですね。そのことだけでも十分感動的です。思った以上に急流です。その他いろいろな発見や感動もありました。
ここまできたら、是非、蹴上の「インクライン」も上り下りし、ロームシアターあたりまで乗り付けられるようにがんばってほしいです。応援します。

今回、琵琶湖から疏水に入る入り口で水位を調整する「ロック」も見ました。貴重な遺産です。その操作も含めて琵琶湖の湖面まで達することができるようになれば、とても21世紀的な都市イノベーションだと思います!

2018-05-21

「1970年大阪万博」レガシー(大阪と都市イノベーション(その4))

「このハンバーグは、月から持ち帰った石と同じ大きさですョ!」
「……?、……!」
その徹底ぶりに驚き店内を見回してみると、「世界の国からこんにちは」などのディスプレイが全面に。
これは、「エキスポランド」が破綻したあとプロポーザル方式で選ばれた「エキスポシティ(=ららぽーと)」での一駒。ららぽーともここに立地すると〈1970年レガシー的〉になります。というより、「エキスポシティ 」はただのららぽーとではなく、まさしく「エキスポシティ」になるようデザインされた、ここにしかないららぽーとなのでしょう。
そのような目で万博跡地をみてみると、1970年代に描いた未来都市が2018年の今、現実となって「そこ」にあらわれていたのでした。これこそが「1970年大阪万博レガシー」ではないかと。

第一。国土レベルにアクセス可能な広幅員幹線(大阪中央環状線)が中央を貫き、モノレールがスイスイ客を運びます。その姿は、1970年当時よく描かれていた未来都市の姿そのもののようです。
第二。太陽の塔がその中央に輝き、「人類の未来」をみつめます。この芸術作品の内部を再生・公開しようとする動きは前からありましたが、建築基準法上の耐震問題等でなかなか公開できなかったものが、「48年後」の本年から一般公開(予約制)されています。2018年は1970年からみればかなり「未来」ですが、太陽の塔はいまだに未来をみつめているように見えます。
第三。冒頭のエキスポシティ。1970年当時の未来に「オレも入れてくれ」といった感じで万博記念公園に収まっています。レトロであり現在でもあり、おそらく未来も志向した施設。1970年の万博の入場者は6400万人。エキスポシティは年間でおよそ3000万人が来場する施設です。
第四。エキスポシティができたとき、ガンバ大阪の本拠地「パナソニックスタジアム」もその向かいに完成しました。万博が終わった後できた「万博記念競技場」がサッカーの国際基準に適合しなくなり、民間の募金により建設された新時代のスタジアムとされます。昭和初期の大阪城天守閣再建の際も市民の寄付が殺到したとの逸話も引き合いに出される(呼びかけたのは当時の関一市長。『スポーツ事業マネジメントの基礎知識』東邦出版、p125)など、民間レベルのエネルギーをイノベーションに結びつける力の伝統を感じます。

「レガシー」というと何か過去の遺産をそのまま受け継ぐといったニュアンスが先に立ちますが、未来を指向していた過去の遺産を受け取るとき、それは既に未来的であるといえそうです。その「未来」感の中には「1970年の未来観」や「1970年はあのような熱気だったネ」というレトロを伴う未来感や、「これからのスタジアムのあり方」のような未来観などがごったに入り混じり、万博記念公園一帯に独特の雰囲気を醸し出しているのでした。

[関連記事]
難波宮(大阪と都市イノベーション(その3))
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170222/1487760456
・1851年ロンドン万国博覧会と水晶宮
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150629/1435558148

2018-05-17

アベニュー/ストリート/ブロック(その2)

この3月にポートランドに行く際、60メートル四方の小さな街区に驚いたというのが前回の話(⇒関連記事)。
先週、とある仕事の帰り道。関西からきた専門家A氏が、「大阪の街区が70メートル角のため開発が滞っている面がある」と。文献によれば「40間」とされるこの街区の寸法。70メートルとして掛け算すると4900屐ポートランドの60×60=3600屬鉾罎戮譴仟腓いですが、シアトルの(約)80×80=6400屬鉾罎戮襪4分の3ほどの大きさです。
最近再開発ラッシュの東京では標準街区が60間四方(話を単純化して100メートル角とする)とすると、(実際には街区内が分割されているとしても)10000屬鬚匹使うかの自由度は高くなり、また、大きなビルも建てられる分、開発はしやすいのかもしれません。最近オープンした「GINZA6」をはじめいくつかのビルは、(ビル同士を上空で歩廊でつなぐのではなく)街区をまたいだビルを上空に建てているくらいです(銀座の場合は明治初期の都市計画で方形の街区がタテに2分割され、GINZA6はそれを元に戻した格好)。
そもそも日本では震災・戦災復興土地区画整理事業が行われなかった場所では「街区」すら形成されていない場所も多く、また、過去に都市計画を実施したとしても街区の寸法が現代のニーズに合わない場所も。東京でも震災復興により再生した下町の街区はとても小さい。市街地創造論でも取り上げた高松の市街地は「ひとつひとつの街区規模が小さく、細街路が密度高く配置されており、現在の土地利用ニーズには必ずしも合致していない。」(国土交通省資料による)などとされます。秀吉は当時の京都の街区が大きすぎたため、経済活性化のため、方形の街区の中央をタテに貫通する街路をたくさん通しました(天正の地割。これによりタテ120m、ヨコ60mの街区となる)。

街区が大きすぎるとそれを分割したり路地を通したりとの方向に力が働き、街区が小さすぎるとそれらを上空でつなげたり街区自体を統合したりする力が働く。一方、街区が小さい場合は街並みもほど良い加減になりやすいと考えられるのに対し、大街区になりすぎると持続性に欠ける面も出てくる。

60メートルのポートランドに驚いたあと70メートル(40間)の大阪の話を聞いて、書き留めておこうと思った次第です。

[関連記事]
・アベニュー/ストリート/ブロック
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180313/1520913232

2018-05-02

(映画)『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』

4月の都市科学部の授業で30分時間を与えられ「都市とは」について話すことになりました。その中で、『アメリカ大都市の死と生』(⇒関連記事1)はやはり重要で、特に、近年全訳され追加された第3部の、都市が自らアップグレードしていく(居住者が自らの生活環境を良くしようと努力する)描写は凄いと思うと紹介しました。
4月28日にはじまった本映画は、この古典的名著 を主軸としつつ、以前本ブログでも取り上げた『ジェイコブズ対モーゼス』(⇒関連記事2)の格闘などが映像化されています。緻密な表現という意味ではやはり図書が圧倒しますが、1960年代のニューヨークの様子や、モーゼスが高速道路網のために取り壊していく市街地の姿などを実感しやすいのは映像です。また、ジェイコブズの人となりがこの映像からよく伝わってきました。

「都市計画革命」という副題から見落としがちですが、モーゼスの高速道路を阻止された大きな理由の1つは財政問題でした。超高層公営住宅が荒廃し次々に破壊されたのも(破壊シーンは本映像の中で最も印象的)、計画・設計した空間での生活も、運営管理も困難となったためでした。このことは、反対運動を政治プロセスに載せつつ自らの主張のほうが合理的であると判断させる際の分岐点になっていたのだろうと思います。

半世紀後の私たち。猛烈な勢いで環境が変化しています。1960年代のニューヨークも、ある意味、そのような激変の時代だったのでしょう。ジャーナリストとして、母として、ジェイコブズは近隣の様子、なかでも路上で繰り広げられる人々の様子を毎日観察していました。どの時代にあっても、理にかなっていると信じられることを1つでもつかむことができれば、途はひらけてくるのだと思います。

[関連記事]
1.『アメリカ大都市の死と生(全訳版)』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110719/1311046833
2.『ジェイコブズ対モーゼス ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20110719/1311047405
※「ジェイコブズ」を本ブログの「検索」欄に入れると10件ほどヒットします。

『拡張の世紀 テクノロジーによる破壊と創造』

ブレット・キング著、東洋経済新報社、2018.4.12刊。

1つ前の『プラットフォーム革命』が、その動態そのものの描写とその理論化を指向していたのに対し、本書は(プラットフォーム化は前提としつつ、)徹底的にテクノロジーがもたらす人間の未来を描こうとします。それは、Y世代、Z世代と呼ばれる新世代が牽引し、それ以前の世代はむしろそれらへの抵抗勢力になる。Y世代でさえおよそ1980年代以降の生まれなので、私などはその前のX世代(1960年代以降とされる)でさえなく、超抵抗勢力?W世代

あえて「ディスラプション」と表現された、テクノロジーが旧勢力を徹底的に破壊していくさまの描写には凄まじいものがあります。まさにイノベーションそのもの。これらによりもたらされる近未来。人間の能力や生存そのものが「拡張され」大きく変わります。
では、そうした近未来人が住む都市はどうなっているか。本書の冒頭に示される4人の職業やライフスタイルをよく読むと、例えば、大都市都心部では自動運転以外は禁止する法案の審議が進んでいるなど、テクノロジーと法律の葛藤が各所にあらわれます。2023年のニューヨークロンドンでは自動運転法案は「今のところ優勢ではなかった」(p36)とされますが。
しかしそれは2023年の話。先にいくと、土地利用やサービス、その提供者はかなり変化します。ドローンなども含む広義のロボットが等比級数的に普及しはじめ、2032〜33年頃には世界人口(人間)の数をロボットの数が追い抜くさまがp199に紹介されています。

【in evolution】イノベーションの源泉
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885/

2018-04-22

『プラットフォーム革命』(ロンドンイノベーション(8))

P.ホールが『Cities in Civilization』の最後のパート「Book Five」で見通すことが困難だった都市文明の将来。あまりに変化が激しく、人間が置かれた状況が大きく変貌しています。

標題の図書に入る前に、都市の新しい経験から。
ロンドンのロイヤルオペラハウスでつい先日上演されたバレエを日本で観れるというので、行ってきました。といってもこれは映画の話。20数ヵ国の1000館にも迫る映画館で、少しずつ期間は異なるものの、ロイヤルオペラハウスオペラバレエが上演されています。付随してオーケストラも。このシリーズでは1年を前半、後半に分け、観てきたのは後半6演目の1作目。3幕構成のため、ちゃんと幕間もあり、その間は、ロンドンコベントガーデンにあるこの劇場の内部の様子が固定カメラで映し出され、臨場感を演出します。
ブログでは世界中に「住みたい都市」が増えて相互に自由に行き来できることをめざしていますが(Welcome Page参照)、もしこうしたバーチャル化が精度高く進むと、世界のどの都市においてもロイヤルオペラハウスを体験できるのかと思ったりしました。

さて、この『プラットフォーム革命』(英治出版、2018.2刊。読むきっかけとなったのは毎日新聞2018.4.15「今週の本棚」(松原隆一郎の評))。プラットフォームを介してプロデューサーと消費者を結びつけることで、ありとあらゆるニーズをビジネス化します。そのビジネスモデルを、かなり理論に近い領域にまで迫りつつ解説します。何か新しいことがわかるというより、読み手の関心によってその思考にヒントを与えるような整理がされている書、ととらえました。プラットフォームビジネスを成功させたい起業家、売れるアプリを模索する開発者、プラットフォームを構築し業務を新展開したい経営者、こうした経済現象を理論化したい経済学者、、、など、など。

さきほどのロイヤルオペラハウスビジネス、誰がプロデューサーなのでしょう。また、究極の世界展開はどこまで可能なのでしょう。
かくいう私。ロイヤルオペラハウスのリハーサルしか観たことがありません。最後はやはり「本物 」。季節も良し。またロンドンに行きたくなってきました。

【in evolution】イノベーションの源泉
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170318/1489800885/

2018-04-17

「市街地創造論」がはじまっています。

隔年開講の大学院科目「市街地創造論」が先週より始まりました。
市街地創造論2018.pdf 直

前回2016年度の内容を2年分新しくしました。オリンピックなどの都市とイベントを扱うテーマは小さくし、人口減少が進み新たな都市構造をつくる話題を設けました。東日本大震災からの復興を2年分新しくし、その他のトピックもそれぞれ2年分更新しています。横浜市用途地域見直し作業がはじまっているのでその話題を加え、先月訪れたポートランドブータンのかわりに入れました。
こうしてみると、2年というのは短いようでさまざまな変化があります。

[2018.4.24追記:すべてのプロジェクト等について基本的に「その後」をフォローし評価・考察しているため、イノベーションの持続性や評価の変化について毎回議論することになります。このことはこれまでの視点とは異なるため、「都市イノベーションworld(2)」に追加して組み込みます。]

2018-04-01

八戸からいわきまで・2018春(2)

2018年4月1日、嵩上げされた新市街地に、「JR陸前高田駅」がオープンしました。被災した場所から内陸寄りに移動しています。ちいさな駅舎は前駅のイメージを引き継ぐもので、窓口も設けられています。駅前広場はこれから工事が行われ(今は場所だけとられている)、2018年9月にオープン予定。レールの無いBRT(バス)による運用ですが、「陸前高田駅」ができたことは、復興が進んでいる象徴のように感じます。
2年前、延々と高く盛られた土砂を見上げながら、どうしても計画に描かれた復興の姿を想像できなかった自分。
その2年後。嵩上げ部分が平らにされて新たな大地となり、中心部には昨年4月、図書館も組み込んだショッピングセンター「アバッセたかた」がオープンし、その周囲には新たな店舗等が建ちはじめました。公園には三世代で楽しむ市民の姿も。
2年後の2020年をイメージできる段階まできました。丘陵部から降りてくる幹線道路や、丘陵部を横断する新しい道路もかなりできてきたので、都市としての全体のつながりも感じられるようになってきました。

2年前に三次元の復興の姿がどうしてもつかめなかったもう1つの町、志津川
その志津川も、特に、区画整理事業の範囲の川の東側の整地が進んで新しい地盤があらわれ、「まちなか再生計画」の中心施設「南三陸さんさん商店街」が昨年3月にオープンして多くの観光客でにぎわっています。低地部はこの施設も含めて非居住地とされました。
これに対して、町民の復興はむしろ国道45号線に沿って、復興計画で「新志津川駅」と想定していたあたりに至る区域や、台地上の都市機能集積区域などが中心になっています。
前者の目玉は昨年7月にオープンしたスーパーマーケット(アップルタウン)。それまで町外の遠くまで買い物に行っていた町民にとって待望の施設。区画整理事業の申出換地で産み出した大きなブロックへの出店です。また、後者の区域でも高台移転した新町役場が昨年9月にオープン。他の都市機能とともに、町の中心性を高めています。
現在、この2つの区域を直接結ぶ道路の仕上げ段階で、これができると、町の主要部の一体感が出てくるものと思われます。これらを結ぶBRT(バス)の新駅や新ルールも先日発表されました。

以上のように、2年前に最も想像が困難だった、大規模な嵩上げを伴う2つの町の復興がここまできました。
2年前に「もう少し時間がかかりそう」としていた大槌も、嵩上げされた町中に多くの建物が建築ラッシュで、2019年3月に復旧が決まったリアス線の鉄道新駅のプラットホームや線路、駅前広場が姿をあらわしています。

[2年前の状況]
八戸からいわきまで・2016春(その1)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160315/1458029813

[参考]
【統合ファイル】東日本大震災復興
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120305/1330943180

2018-03-30

新しい都市計画システムの構築に向けて(1)

「新しい都市計画システムの研究」として行ってきた「近隣レベルの都市計画を統合する新たな都市計画システムの研究」がまとまりました。
今回は、近隣レベルの「まちづくりプラン」「まちづくりルール」「エリアマネジメント」などの成果を、どのようにしたら都市計画の体系に組み込めるかの研究です。現行の都市計画法が半世紀前のものであるため(1968年法)そこに接続させることには無理が生じると判断し、2018年時点での新しい都市計画法そのものの理念や構成を設定したうえ、その新しいシステムの中に位置づけています。
新しい都市計画システム1.pdf 直

[参考]
【研究ノート】新しい都市計画システムの研究
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150424/1429839716

2018-03-25

八戸からいわきまで・2018春(1) [=「浜通り地域の復興の現状(その6)」]

東日本大震災から7年。
最も困難な課題からの再生を模索している2つの課題に絞り、2020年頃までのプロセスを想像します。1つは原発被害からの復興。2つめが、大規模盛土を伴う復興。

まず、1つめの課題から。「避難指示解除」から1年が経過した町民の「帰還率」は富岡、浪江共に数パーセント未満とされますが、まちなかの状況は、かなり異なってみえます。

富岡。駅が機能し、区画整理事業が駅前から内陸方面にかけ行われて、ホテルや集合住宅・アパートなどが立ちはじめています。富岡川手前には面的に戸建住宅団地がつくられ、入居が始まっています。その奥にはクリニックモールやスーパーマーケットがあり、生活の基盤もできてきています。2018.4からは(生徒数はきわめて少ないものの)小中学校も7年ぶりに再開。その小中学校がこの中心にあるため、再開の意味は大きいと感じます。国道6号をはさんで向こう側(内陸側)が旧市街地。帰還率が低いなか、あちこちで建設工事が行われています。よくみると、空き地が多く、かなりの建物が解体された様子。解体中の建物も見かけます。
目を駅の東側に転じると、鉄道と海にはさまれたスペースは除染土(袋)の仮置き場となっていて、仮置き場が撤去されたあとに、新たな土地利用が計画されています。駅をまたぐ道路も工事中。
このように、「今」という瞬間に町の再生への動きを感じます。(「再生の動き」の中には復興事業そのもののエネルギーも含まれる。)
なお、富岡には1つ北に「夜ノ森」地区があり、「帰還困難区域」の中で先行して除染を行い避難指示解除をめざす「特定復興再生拠点区域」390haの計画が先日認定されました(2018.3.9)。

浪江。富岡を「動」とすると、浪江のまちなかは「静」でした。正確に言うと、国道6号の角にローソンがあり、そこから(以前はバリケードがあり入れなかった)町へ入っていくのですが、その入り口付近を除くと、商店街には人の気配がありません。浪江駅も寂しい雰囲気。町中を回ってみても同様です。ローソンのある国道6号と駅の間の距離がかなりあることも「静」の要因かもしれません。
そのローソンから町に入った所に町役場があり、ローソンとの間に仮設店舗群ができています。そこにもう1つミニローソンが入っていて「お客の多くは町役場の人」と店員さん。
歩いただけでは、2020年を想像することはかなり困難でした。土曜だったからなのか、、、7年後のこの様子は、なかなか言葉では言い表せません。

「特定復興再生拠点区域」はさきの富岡町夜ノ森の390haに加え、大熊町に880ha、双葉町に555ha、浪江町に661ha設定されました。計2466haは「帰還困難区域」33700haの7%。「除染で5年以内に避難指示が解除され、計画的・効率的な公共施設が整備可能な規模」とされます(2018.3.19日経新聞による)。
3つの「特定復興再生拠点区域」を通る
常磐線は「2019年度末」の復旧をめざしています。

[2年前の状況]
八戸からいわきまで・2016春(その3)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160516/1463389716

[参考]
【統合ファイル】東日本大震災復興
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120305/1330943180

2018-03-20

「みうらからはじめる研究会(第3回)」を開催します。

明日3月21日午後に、「みうらからはじめる研究会(第3回)」を開催します。
詳しくは、地域連携推進機構HPをご覧ください。
http://www.chiiki.ynu.ac.jp
facebookはこちらです。
https://www.facebook.com/miuraht/

「ネクストアーバンラボ」が発足し、次々と地域連携活動の報告会、研究会、講演会などが機構HPに掲載されています。
合わせてよろしくお願いします。

[参考]
【研究ノート】豊かな縮減都市研究プロジェクト
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150421/1429585284

2018-03-13

アベニュー/ストリート/ブロック

ポートランドで最も興味をもったのは、およそ60m四方の小さな街区(ブロック)です。事前ミーティングでこのことが話題になり、「本当?そんな小さいわけないでしょ」などと、当初は信じられなかったのですが、歩いてみるとある意味、ポートランドという街の雰囲気を決定づけるのがこのことではないかと思えてきました。少しこのことに注目して都市イノベーションworld的テーマにひろげてみます。実は、今回は「都市イノベーションworld」第50話。いつものようにここで一旦区切り、改めて4月から「都市イノベーションworld(2)」をはじめます。

第一。なぜポートランドの最初の都市計画レイアウトの際、60メートル四方にしたのか。山崎(『ポートランド −世界で一番住みたい街をつくる』p38)によればそれは、「街を開発した地主たちが、角地が多い方が賃料を高くとれると目論んで」計画された、とあります。では、類似他都市はと、おおざっぱに測ってみると、北隣のシアトルはおよそ80メートル角。面積が6400屬搬腓くなるため所々で背割り線が入り2分割されます(6400÷2=3200。ポートランドの60×60=3600に近くなる)。さらにカナダに入りバンクーバーをみると50m×130メートル。面積6500屐少し飛んでニューヨークは山崎の同書で274m×80mと紹介されています。面積21920屐0柄亜薄暗くなったNYを274mの辺に沿って歩いた際、なかなか角までたどりつけず不安になったことを思い出します。「アメリカで最小といわれている」(山崎同書、同頁)60メートル角の街の雰囲気は独特なものです。昨日、バルセロナ帰りのN先生は400メートルを3で割ったバルセロナ市街地は巨大に見えたというようなことをおっしゃっていました。(←道路部分もあるため街区は113.3m四方。ただし街区の角が削られている)
第二。ブロックに注目すると第一のような見方になりますが、そもそもブロックとはアベニューとストリートで切り取られた結果でもある。そうすると、60メートル角という「最小」のブロックを成立させる道路とは、どういうものか。これも歩いてみるとかなりの驚きで、特にストリートはとても狭い。ストリート側が狭いのは一般的とはいえ、そうしたところにLRTがゆっくりと、ゴトゴト音を立てながら行ったり来たり(正確にいうと、「行ったり」or「来たり」。道路が狭くアベニューもストリートも一方通行になっているため)しているのを見ると、「おお、こういう風になるのか。」とまた驚かされます。さきほどの解説を受けるなら「賃料を高くとれる」ようにするにはあまり道路が広すぎるのもよくないし狭すぎるのもいけない。
第三。ところどころに入っているイレギュラーな部分が興味深い。特にポートランドでは第8と第9アベニューにあたる道路の間の街区幅が半分ほどしかなく(ストリート間は60mのまま)、そこが線状に公園化されている(左右の道路部分も含めるとそれなりの幅になる)。その線状公園に沿って大学や文化施設が立ち並び、多様で独特な雰囲気をつくっている。当初計画ではこれをずっとつながる緑道にするはずだったが、民間に売却されてしまったりして一部できなかった部分がある。
第四。この「できなかった」部分について、「できなかった」のか「まだつなげるつもりで事業化の最中」なのか考えるのもおもしろいのですが、逆に、現状の未完成的な部分もおもしろい。例えば一ブロックのみが独立してスクエア風に開発・再生された箇所があり、そこは驚くほど立体的にさまざまな交通機能を支えているほか、スクエアを取り巻く土地利用との関係をつくっている。

以上、まるでパズルのような話ではありますが、横浜関内はどう設計されたのか、ポートランドシアトルバルセロナとどう違うのか、どこが似ているのか、東京都心部はどうか、、、などとこだわってみると、いろいろなことが見えてきそうです。 <都市イノベーションworld・おわり>

[参考]
【コンセプトノート】都市イノベーション
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20141110/1415588957

2018-03-11

『THE PORTLAND EDGE』

とある仕事で、初めてポートランドに行ってきました。ごく短期間のため都市そのものへのコメントは控え、かわりに、ポートランド州立大学の教員らが中心になって2004年に同大学から発刊された標記図書について紹介します。
Conny P. Ozawa編。副題は「Challenges and Successes in Growing Communities」。

一言で本書の特徴をいうと、手放しでポートランドは良いとする情報が多いなかで、また、その裏返しとして問題点をあげて、行きすぎたやり方を批判する言説もあるなかで、できる限り客観的に、できる限り進化プロセスをていねいに紐解いて、ポートランドが達成したことは何だったを2004年時点でしっかり押さえていることです。
しかしながら本書の魅力は単に客観的であるというよりも、自らも何らかの形で関わってきたそれぞれのテーマに責任と愛情と誇りをもち、できるだけ正確に、かつ前向きに各章が書かれていることにあると思います。
2004年から14年後の2018年のポートランドにも大きな課題があることを頻繁に聞きました。
なかでも2004年に既に書かれていたホームレス問題は、(おそらくは全米で問題になっている貧富の格差問題を背景としながら)ポートランドで深刻になっているととらえられていて、様々な政策も検討されているようです。

改めて考えれば、課題の内容こそ違えど、当時の深刻な課題に時間をかけて真剣に立ち向かった結果、イノベイティブな成果が積み上げられてきたといえます。このことは、2章全体を通して強く強調されていますし、他の章でも個性豊かに描き出されます。ある意味、各章の著者の顔や研究実践の姿そのものが思い浮かぶような感じがします。

取り組みの結果の指標ともいえる「住みたい都市」度については、またの機会に考えます。

2018-02-22

紀元前後の都市人口

「1500年」からさかのぼって「1200年」「800年」ときました。最後は「紀元前後」とし、「100年」のチャンドラーの推定人口をみてみます。

ローマ 450000
洛陽 420000
セレウキア 250000
アレクサンドリア 250000
アンティオキア 150000
アヌラダーブラ 130000
プルシャプラ 120000
カルタゴ 100000
呉(蘇州) 90000-100000
スミルナ 90000

さすがに???の都市名が多いですね。調べてみると「セレウキア」は「アンティオキア」の前の現イラク地域の中心地。「アラヌラダーブラ」はスリランカ中北部の、「プルシャプラ(現ペシャワール)」は現パキスタンの、いずれも仏教で栄えた都市。「スミルナ(現イズミル)」は現トルコエーゲ海に面する都市。なお、チャンドラーの推計値は低めになっていると評価されていて、ローマの人口「450000」も他の推計では一般に「1000000」とされます。
最後に「洛陽」の420000ですが、以前の記事(⇒関連記事1)で「順帝の時代(125〜144年)には、首都洛陽の「太学」(大学)は240房、1850室の大規模なものとなり、太学生の数はやがて3万人を超えるにいたった」とする文献を引用しています。水道を遠くから引いてきたローマの技術力もすごいですが、大学生が何万にもいたとされる洛陽もすごいです。
念のため、これ以前に人口1000000に達していたと推定されているのは唯一、紀元前100年の頃のアレクサンドリアです(⇒関連記事2)。

[関連記事]
1.纏向遺跡再考〜グローバルな視点から (2017.10.12)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20171012/1507782004
2.Sunken cities (アレクサンドリア開墾)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20160523/1463991285

【in evolution】世界の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168
【In evolution】日本の都市と都市計画
本記事をリストに追加しました。
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170307/1488854757

2018-02-21

800年の都市人口

「1200年」からさらにさかのぼって、まだ古代の帝国的な都市システムが力をもっていた頃の「800年」の都市人口をみてみます。
日本で平安京に都が移された頃、東アジアでは長安を中心とするゆるやかな都市文明が栄えていたのと同じように、コンスタンチノープル(キリスト教の中心地)やバグダード(イスラム教の中心地)を中心とするまとまりが形成されていた、、、その頃の古代世界都市システムの様子を都市人口から見てみるとどうなるか。

チャンドラーの推定都市人口で大きい順に並べてみます。
バグダード 700000
長安 600000
洛陽 300000
コンスタンティノポリス 250000
平安京 200000
コルドバ 160000
バスラ 100000
ラサ 100000
フスタート(カイロの前身) 100000
レイ(イランの古代都市) 100000
ここまでで10都市ですが、もう少しあげると、
アレクサンドリア 95000
蘇州 84000
武昌 84000

洛陽は当時の中国の副都的存在(⇒関連記事へ)ととらえると、上位3都市がそれぞれのサブ・グローバル圏の中心です。とはいえ、「コンスタンティノポリス 250000」というのは他の2つに比べるとかなり小さい。東ローマ帝国の中心都市として建設されたこの都市も7世紀に入るとイスラム勢力に押されて帝国の領土を縮小。上記コルドバ」も711年には征服されたあとの状態です。さらにコンスタンティノポリスの人口は「746年のペストの流行の際には、人口は最低水準(7万人?)に落ち込んだ」(『ビザンツ文明』(文庫クセジュ)、2007、p71)。西ローマ帝国は既に476年に滅亡しており、都市という意味ではヨーロッパは個別分散的なものだった。たとえばロンドンは国内的には主要な交易都市であったものの1100年になっても18000人にすぎません。

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2018-02-20

1200年の都市人口

これまで、都市システムがグローバルに展開しはじめた「1500年」、産業革命に伴う都市の近代化への圧力が高まった「1850年」を都市イノベーションの節目として描いていますが、「1500年」の1つ前の節目を「1200年」とします。

「1200年」の世界の都市人口を、チャンドラーの推計により大きい順にみると、
杭州 250000
フェズ 200000
カイロ 200000
パガン 180000
鎌倉 175000
アンコール 150000
コンスタンティノポリス 150000
パレルモ 150000
マラケシュ 150000
セビリア 150000
ここまでで10都市ですが、参考のためもう少しあげると、
北京 130000
南京 130000
パリ 110000
広州 110000
開封 100000
バグダード 100000
他に100000なのが、ディムヤート、平安京、大理(中国雲南)

中国の諸都市が目立つほか、カンボジア(アンコール)やミヤンマー(パガン)の中心都市の中心性が高かったことも興味深いです。できたばかりの鎌倉が「世界第5位」になっているのも発見です。当時台頭してきた武家が開いた都市としていわば社会実験的なものだったといえるかもしれません(1250年には4位、1300年には5位でしたが1350年には25位までのリストから姿を消しています)。

ここでは文明と文明がせめぎ合っていた西方に着目します。
マラケシュ/フェズ−ディムヤート(ナイル河口)/カイロバグダードアフリカ側の地中海等に沿ってイスラム都市が並び、セビリアパレルモ(シチリア島)が向き合っていた。向き合っていたどころかイスラム勢力からセビリアスペイン側に取り戻したのは1248年。南イタリアに到来したノルマン人がイスラム支配下のパレルモを陥落させたのが1060年のこと。「取り戻した」「陥落させた」などと書くとそうした一面だけに注意がいきがちですが、このような国際都市においてこそ当時最先端だった科学をアラビア語から翻訳して「十二世紀ルネッサンス」が花開いたのでした(他にはトレドやピサ、ヴェネチアなど(『カラー版 地中海都市周遊』(中公新書)などでそうした都市の空間的魅力が味わえる)。

そうしたグローバルなスケールでのイノベーション的葛藤を除けば、どちらかというと国内的な動向、もしくはせいぜい地域的な動向、あるいは地域間交流・交易が当時の都市を取り巻く環境だったと思われます。日本に限れば、907年に唐が滅んだあとはしばらく「外圧」が弱くなり、13世紀末の蒙古襲来もなんとか食い止めると、16世紀前半頃までは国内事情で都市や地域が変化していったと考えられます。
しかしながら「中世に固有な都市類型について、共通認識が得られていない」(『岩波講座 日本歴史(中世2)』(2014)「中世都市はなかった?」p255)状態で、あえていえば「市(いち)・宿・津・湊・寺など」の交易都市(町)に都市特有の景観がみられたとされています(同書p278)。


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2018-02-19

雪山の大景観と地域イメージ

昨年1月早朝、横浜の研究室から南アルプスらしき雪山(甲斐駒ケ岳など)が見えていることを発見しました。一般にこの時期の景観はうっすらと冠雪した丹沢山系の左手にひときわ高い白妙の富士というもので、皆が見ているこうした都市景観は、それぞれの地域、それぞれの季節によって大切にされてきたものと思われます。先日、はじめて藤沢市新市庁舎での会議があった際、そのフロアの廊下の正面に冬の午後の光を浴びた大きな富士が構えていて感動しました。最上階には議会関係施設とうまく住み分けながら配置された展望施設があり、湘南の海までかなり広角に「わが町」を展望できます。

この季節の地域の大景観。冠雪した山がくっきりと見えることで、いつもは気づかない新たな発見があります。少し前に書いた近江商人の湖東(⇒関連記事1)からはじめ関東方面に向います。
この季節、湖東から湖西方面をみると、まるでバンクーバーのようです(←イメージ。現在開催中の冬季五輪に影響されているかもしれない)。その山々はずっと奥の日本海方面まで連なっていて地域の広がりを感じます。雪に覆われた伊吹山が転換点となって関ヶ原を抜けると、前方に御嶽山が、その少し左手に北アルプスの(と思われる)峰々が見えてきます。御嶽山は角度をかえつつ、手前の状態(山の高さや眼前の土地利用等)によってさまざまな見え方をして、岡崎を少しすぎたあたりで山かげに隠れます。ここから愛知/静岡界を越えて富士山(および南アルプス)の冠雪が見えてくるようになるまで「遠景が見えない区間」なのですが、1ヶ所だけ、豊橋の少し手前あたりでアルプスの(と思われる)峰々が見える区間があります。今まで気づきませんでした。また、静岡県に入ってほぼすぐのあたりから富士山が見えていることに気づいたのもつい最近のことです。富士山は単独でも景観としてすばらしいですが、「南アルプス富士山」「富士山愛鷹山」「富士山丹沢」などのさまざまな組み合わせによって、地域ごとの景観を個性的なものにしているのでしょう。

本日は雨水。こうして地域ごとの景観をくっきりと浮かび上がらせた冠雪が解け始めて、次の季節にはどのような景観が心に残るようになるのでしょうか。

[関連記事]
1.『コミュニティー・キャピタル論』
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20180122/1516620969
2.三島富嶽三十六景
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140428/1398651165
3.海の県道223号(静岡県)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20140412/1397269299

2018-02-06

「ネクストアーバンラボ」発足

来たる2月14日(水曜)午後2時30分から開催予定の『地域連携推進機構シンポジウム』の第1部で、本年度に発足した「ネクストアーバンラボ」を紹介します。
この「ネクストアーバンラボ」。横浜神奈川地域で地域連携を進める18のユニットで構成されます。
ユニット名だけあげますので、「関係ありそう」「どのような連携を模索しているのか?」「地域と研究との関係は?」などなどにご関心のある方は、是非当日、関内の「情文ホール(横浜情報文化センター6階)」まで足をお運びください!
第2部はパネルディスカッション。本日の「日経コンストラクション(ウェブ会員メール版)」で配信された「羽沢横浜国大駅」にも関連する新しい地域連携の話題なども取り上げられるかもしれません。

[地域連携推進機構HP]
http://www.chiiki.ynu.ac.jp/
[地域連携推進機構シンポジウム(2/14)チラシ]
NextUrbanLab.PDF 直
[ネクストアーバンラボ 18ユニット名]
創薬NMRユニット/地域アウトリーチ活動を通したエネルギー技術に関する市民の環境・安全意識調査/かながわ観光・まちづくり/みうらからはじめる研究会/都市の自然環境とひとの生活/ローカル・ブランド・ラボ/モビリティと情報のローカライゼーションユニット/官学リエゾンが果たす保育現場支援/地域社会共生ユニット/ヨコハマ海洋環境みらい都市研究室(仮称)/「もっと横浜」プロジェクト/地球環境未来都市YNU拠点とみなとみらい21地区の連携研究ユニット/洋光台駅前商店街活性化ユニット/長期経過集合住宅の健康・低炭素配慮型再生居住モデル/左近山団地住まいみらい研究プロジェクト/郊外住宅地における地域空間再編手法(相鉄線沿線等)ユニット/ヨコハマ型リノベーションの実践/常盤台まちづくり応援団。

2018-02-02

1850年の日本の都市人口

NHK大河ドラマ西郷どん』では先週、島津斉彬が新しい薩摩藩主となり、鹿児島に戻ってきました。1851年のこと。これからいよいよ西洋列強を意識した近代化に着手しますが、横浜にはまだペリーはあらわれず「漁村」状態。
城下町という都市形態が出てくる以前の「1500年」、各地の城下町が拠点として確立される「1650年」のあと、近代化直前のこの「1850年」の都市人口をみることで、都市イノベーションの大きな流れをとらえる節目とします。大きい順に並べると(カッコ内は1650年値。25000以上に限る。データが無く抜けている都市もある。斎藤誠治「江戸時代の都市人口」『地域開発』1984.9号による)、
江戸 1150000 (430000)
大坂 330000 (220000)
京都 290000 (430000)
金沢 118000 (114000)
名古屋116000 (87000)
江戸時代を通して江戸は巨大化。商都大阪が伸びて京都は衰弱。このあと、
仙台 48000 (57000)
伏見 46000 [京都の一部と考えれば上記京都は336000となる]
鹿児島42000 (50000)
熊本 41000
堺  41000 (69000)
福井 39000 (48000)
弘前 37000
松江 36000
鳥取 35000 (32000)
富山 33000
福岡博多32000 (53000)
長崎 31000 (37000)
盛岡 30000
彦根 29000 (38000)
高知 28000
秋田 27000
新潟 27000
奈良 27000 (35000)
会津若松25000 (27000)
なお、1650年に25000以上だった山田、岡山甲府山形は25000未満に減少。どちらかというと江戸時代初期に政治的拠点だった都市群は人口規模を減らし、大坂を筆頭に、経済力をつけてきた地方拠点都市がそれらにかわって伸びてきた感じがします。しかし、その伸びは200年の変化としてはむしろ「安定していた」と言うべき範囲です。日本全体が「太平の眠り」についていた(むしろ政治的にもそうさせていた)ことを人口が示しています。

けれども世界の先進諸国は市場を求めて世界に進出してきます。母都市の人口増は、どれだけ世界市場を飲み込んだかにかかわっているといえなくもないと思います。以下、チャンドラーの推定値。
1850年の世界の都市人口。ロンドン2320000、北京1648000、パリ1314000、広州875000、イスタンブール785000、江戸780000、ニューヨーク645000、ボンベイ575000、サンクトペテルブルク502000、ベルリン446000。
1875年の都市人口。ロンドン4210000、パリ2250000、ニューヨーク1900000、ベルリン1045000、ウィーン1020000、北京900000、イスタンブール873000、フィラデルフィア791000、東京780000、サンクトペテルブルク1418000。
1900年の都市人口。ロンドン6480000、パリ4242000、ニューヨーク3330000、ベルリン2707000、ウィーン1717000、北京1698000、東京1497000、サンクトペテルブルグ1439000、マンチェスター1435000、フィラデルフィア1418000。

[関連記事]
・1650年の日本の都市人口
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20171107/1510024675
・1500年の日本の都市人口
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170619/1497858969
・1500年の都市人口
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170502/1493734131

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2018-01-30

『文化資本 クリエイティブ・ブリテンの盛衰』(ロンドンイノベーション(7))

2017.10に公表された「世界の都市総合ランキング2017概要版」(森記念財団)では、ロンドンが2位以下をさらに大きく引き離して1位となりました。
Brexit」であんなに右往左往しているのになぜそんなに引き離せたのか? 右往左往しているけれども最後は「元のさやにおさまりました」などというストーリーもあるかもしれない。いやいや、何を言ってるんですか。単なるタイムラグであって、そのうちロンドンと2位以下との差はぐっと縮まるはずです、、、
などと考えていたとき、本書が2017.11.10に出ていることに気づきました(ロバート・ヒューイソン著、小林真理訳、美学出版)。
そもそも「2位以下を大きく引き離して」の部分をスコアで客観的に説明すると、「経済」「研究・開発」「文化・交流」「居住」「環境」「交通・アクセス」の6分野のなかで、「文化・交流」による差が激しく、それが大きなファクターとなってロンドンが1位になっています。たとえば2位ニューヨークとの差は173.8ポイントですが、文化交流だけで100ポイントの差があります(差の57.5%)。3位東京との差は205.4ポイントですが、文化交流だけで146.8ポイントの差があります(71.5%)。この部分を単純にいうと、「文化・交流の東京スコアロンドンの約半分しかない」。ちなみに「文化・交流」は16指標で構成され(22番〜37番)、全70指標の4分の1弱となるため、仮に指標ごとのスコアの割り振りが同じとすると「文化・交流」の差がかなりものを言う評価方法といえます。さらにこの「文化・交流」はスコア差が激しいので、2重にものを言うことになります。

客観的にみるためにはその16指標を1つ1つ点検しなければなりませんが、とりあえずここでは、「2位以下を大きく引き離して」「文化・交流」スコアが飛び抜けるロンドンはすごいネという単純理解型と、いやいやそうじゃないですという懐疑型の2つの面でこのスコア差の解釈を書いてみます。単純理解型では22番から37番の16指標と対応させます。

単純理解型。『パディントン2』観ました?あいかわらずロンドンのブランディング力強いですね(26番ユネスコ世界遺産(100km圏)。ちゃんとシャードも取り上げられていました。パディントン駅はもちろん最終場面近くで(27番文化・歴史・伝統への接触機会)、、、。また世界のファンが増えることでしょう(24番コンテンツ輸出額)。映画に限らず、スポーツも劇場も(30番スタジアム数、28番劇場・コンサートホール数)、美術館や博物館の多様さも(29番美術館・博物館数)やはりジワジワと強くなっています。どれも世界が相手なのです(22番国際コンベンション開催件数、23番世界的な文化イベント開催件数)。しかもロンドンがおもしろいのは、世界中の人々が暮らしていること(35番外国人居住者数、37番留学生数)。訪れたいと思っていること(36番海外からの訪問者数、31番ハイクラスホテル客室数、32番ホテル総数、33番買物の魅力、34番食事の魅力(イギリスの食事はまずいと言われるが幸いにも世界中のシェフが集まる))。以上にかかわるものに投資したり自ら関わりたいと思えること。さきの6分野の「環境」もなかなかのスコアです(25番アーティストの創作環境)。そのような都市こそが「クリエイティブ・シティ」といえるでしょう。
懐疑型。イギリスでは国の政策によって文化さえもが商品化され市場に流通するツールと化してしまった。『文化資本 クリエイティブ・ブリテンの盛衰』ではその顛末が綴られています。ミレニアムの際に(←2000年を国をあげて祝ったイベント)たくさんつくったハコモノ建築は次々と閉鎖されたでしょ。政府が文化に近づきすぎるとこうなっちゃうんです。「クール・ブリタニア」を「クール・ジャパン」などと模倣しているようですが、失敗したことに学んでどうするんですか。「文化・交流」のスコアが高いと言いますが、結局それはネオリベラリズム的な偏った評価でしかないのです。

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2018-01-28

ロシアのゴーストタウン

ロンドンへの直行便がその上空を通過するシベリアの大地には、ロシア近代化を進めるための多くの単一機能都市があります。
BBCで本日放送された標記番組では、ロシアでは「12人に1人」「319都市」がゴーストタウン化で生活が危機に瀕しているとのこと。
羽田から7時間ほどで近くを通るオビ川河口部の炭鉱都市ヴォルクタ、8〜9時間で過ぎるフィンランド国境に近い鉱山都市キロフスクが紹介されます。後者では鉱山会社の手により、閉鎖されていた空港を再開。観光にも力を入れだしたと。けれどもこうした特定企業への依存は結局単一機能都市の問題を克服していないとのナレーションも。
その他、既に「廃止された」炭鉱都市カディクチャン。この都市は日本からの航路をかなりはずれた樺太北方の大陸部に。この街で過ごした良き思い出の強さがインタビューから伝わってきます。

シベリア寒波に襲われたこの1週間。その大元の都市生活の困難さを身近に感じる映像でした。

[関連記事]
ハバロフスク
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120823/1345706423
・2050年の世界地図 迫りくるニュー・ノースの時代
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120403/1333416322

[一応関係ある記事]
・極北
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20120828/1346120813

2018-01-23

レッチワース再訪

毎年この時期に「理想都市」をテーマに90分の話をしています。産業革命と「近代化」に伴う都市問題を解決するべく、ニューラナーク、ソルティア、ボーンビル、ポートサンライトなどの試みがあり、やがてハワードにより「田園都市論」が提唱されレッチワースで実践される、、、

昨年暮れ、およそ四半世紀ぶりにレッチワースを訪ねました。ちょうど『明日の田園都市』の新訳(山形浩生訳、鹿島出版会、2016.10.10刊)がとてもわかりやすかったと「理想都市」の授業で学生が教えてくれたこともあり、すぐに確認し、「都市イノベーションworld」的観点で改めて重要と感じたことを書き留めることにしました。
第一。新訳の「訳者あとがき」でレッチワースは「ニュータウン」につながるとされていますが、実際にその場に行ってみると、普通の町(「タウン」)に出会います。「ニュータウン」につきものの画一性や大量性、空間の劣化はみられず、最初に設計・計画された際に入念に、1つ1つの建物、1本1本の街路が多様につくられています。100年を経てもその姿は受け継がれています。建築家の役割が町のレベルで大きな意味をもつイノベーティブな先進事例といえます。
第二。そのように書くと更新も起こっていないのではと心配になりますが、持続性を保つためにタウンセンターや諸施設には手が加えられており、地代を中心とする豊かな収入が町に再投資されることで、持続的な経営が行われています。「エリアマネジメント」が100年以上前から行われている。さりげなく「普通の町」にみえるその仕組みについてはこれまで多くの研究論文が書かれてきました。今日においてもこの分野でのパイオニアでありつづけているのだと思います。職員の規模からみるとこれは「エリアマネジメント」のレベルを超えて、自治体経営そのものに近いものかもしれません。
第三。「ニュータウン」についてみると、それが公的主体であっても、普通の民間主体であっても、「開発利益を回収して再投資する(し続ける)」仕組みを構築し持続的に維持することはなかなか難しい。あるいはそもそもそうした発想が無いのが普通です。今この時代に実践せよと言われてもとても困難なこの課題を実践し続けているレッチワースに今でも訪問する人が絶えないのは、この部分をなんとか学びとりたいと思うところが大きいのだと思います。
第四。昨年暮れの12月29日の記事『THE VILLAGE NEWS』と関連しますが、レッチワースの雰囲気は少し大きな「ビレッジ」という感じです。まさに「都市」でもなく「いなか」でもない、「都市」と「いなか」のよい点だけをとって融合させた新しい「田園都市」。
第五。ここは多様な住戸が選択できるという意味でも、「普通の町」に近いのかもしれません。
第六。今回歩いてみて特に感じたことは、田園都市建設前の地形や水系をうまく活かして設計・計画を行っていることです(第一の点)。そのことによって空間に多様性や自然に囲まれた雰囲気が生まれ、周囲の風景との連続性が生まれ、「ニュータウン」感を低減させているように思います。

2018-01-22

『コミュニティー・キャピタル論』

光文社新書921、2017.12.20刊。副題は「近江商人、温州企業、トヨタ、長期繁栄の秘密」。
この本が主題としている「コミュニティー・キャピタル論」からそれてしまいますが、売り手も買い手も世間も「三方よし」となる近江商人そのものの普遍性に惹かれ、「都市イノベーションworld」に加えます。
特に、なぜ「近江」商人なのかという点と、どのような商売なのかという点。
前者について本書では、いろいろな説があるとしつつ、近江交通要衝説、楽市楽座などの商売経験説、天領小分割ゆえに外に市場を求めざるを得なかった説をあげます。現地に行ってみるとこれらに加え、天領等で地域が小さく分割されているがゆえに藩政治経済に取り込まれず自由に動き回れた説が強調されていました。また、国の経済政策に入り込みやすかったのではと想像します。
後者については、時代順に高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人が活躍し商売方法にも内容にもそれぞれの特徴がありそれ自体にたいへん興味が湧きます。
都市イノベーション的視点というのは意識して書かれていないのですが、高島商人と盛岡の関係、八幡商人と松前江刺、そして近江八幡という都市そのものの形成、日野商人と地方拠点形成、湖東商人と大都市近代化産業振興などなど、興味深いテーマがたくさんねむっていそうです。
本書は集団内部のコミュニティー・キャピタルと資本蓄積が分析対象なのですが、「三方よし」精神が作用して都市が成長・成熟していくさまも描けるのではないかとワクワクします。

2018-01-12

品川フィールド(その3) : 見えてきた面的イメージ

品川フィールド」のプロジェクト群を自分なり名前をつけて列挙すると、1)旧車両基地区画整理事業(とビル建設事業)、2)泉岳寺駅改造事業(関連する再開発事業)、3)山手線新駅開発事業、4)環状4号線事業化(および品川駅北口広場設置)、5)リニア新幹線品川駅工事、6)京浜急行連続立体化事業(特に品川駅部分平面化事業)、7)品川駅前国道(放射19号線)拡幅事業および国道上デッキ化事業、8)品川駅西口一帯再生計画(地区計画)の8つの要素となります。
うち、2016.1.14の記事(その2)ではまだ1)だけが決まった時点でした。それから2年。2)3)5)がかなり具体化し、4)も進捗。昨年後半からは6)7)が具体化してきました。
今朝の港区都市計画審議会では7)のうち品川駅前の出っ張り部分を廃止する都市計画変更案の審議(東京都案件)がありました。その場において、8)についても1月10日から地区計画案の縦覧が東京都ではじまったと報告されました。(あえて9)番目をあげるとすると地下鉄南北線品川駅乗り入れ事業があるかもしれませんが、まだ構想段階。)

さて、1)から8)はいつ完成するか興味がもたれるところ。早いものではたとえば3)は2020年春暫定開業、2024年に本開業を目標。2)も2024年。5)は2027年開業を目標。6)の事業完了は2029年度を目標。1)と4)は2032年度目標。7)8)もそれまでにかなりの程度見えてくるものと思われます!

2018-01-05

(講演)「変わる密集市街地整備」

あけましておめでとうございます。
本日お届けするのは、2017年11月に開催された「密集市街地再生フォーラム2017」の報告です。
http://www.ur-net.go.jp/missyu-saisei/
この中で「変わる密集市街地整備」と題する基調講演の機会をいただきました。その概要がアップされましたのでご覧ください。
http://www.ur-net.go.jp/missyu-saisei/pdf/missyu_forum_kouen.pdf

フォーラムに合わせて、学芸出版社から『密集市街地の防災と住環境整備 実践にみる15の処方箋』という図書も刊行されています。
http://book.gakugei-pub.co.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-2657-3.htm
さらに、来たる2月9日には大阪にてこのフォーラムの‘関西編’が予定されています。

ところで、関東では本日「大きな地震が来ます」との誤報がありました。震度3地震はあったにはあったのですが、、、
ブログの「災害に備える」も1年半くらい間が空いてしまっていました。昨年11月のフォーラムは関係者が一堂に会して密集市街地整備について考える機会となり、私自身も、これまでの整備の成果を振り返るとともに、これからの方向を考える貴重な機会となりました。

2017-12-29

『THE VILLAGE NEWS』 (ロンドンイノベーション(6))

TIM FORT著、SIMON & SHUSTER刊、2017。
都市に暮らすことで失ってしまう田園の豊かな環境。都市が拡大することで失われる田園の風景、、、。
しかし待てよ。そのような認識や嘆きは本当なのか?
と疑い、自転車に乗ってさまざまなビレッジを回り、しぶとく生き続けるその姿を描き出した快作。副題の「The truth behind England’s rural truth」が本書の内容に迫ります。22章で構成される本書のおもしろさをあげると、、

第一。田園居住がメインで都市内の住宅はセカンドハウスにしている人も大勢いるようで、そのようなこだわりの強さがビレッジを支えていることを強く感じます。「ビレッジ」を「村」と訳してしまうと失われてしまうその精神というか、失われまいとするレジリアンスな生き方に興味が向かいます。
第二。確かにビレッジはかつては村で、農民が耕作する田園地帯でした。ある章の分析によれば村の人口が増える際、農業に従事する人口はさほど変わらない中、その他人口がぐっと増えるため、ビレッジは村というより「田園生活を大切にする都市住民が暮らす田園拠点」のような感じになってくる。
第三。その過程で、他の中心の一部だった村が「parish」となり、村(ビレッジ)」の経営を行うようになる。必ずしも民主的とはいえない運営や、やりがいのある職務ともみなされない傾向もあるようですが、この筆者の住むパリッシュではそのような旧勢力に選挙で勝って、近隣計画の意義に注目。(筆者はあまりちゃんとは関わらなかったようですが)昨年、公式のディベロップメントプランになっています。
第三。そのビレッジがもつ「公共財」ともいえる基本要素。パブ、売店、クリケット場、教会など。「もつべき」とまでは言えないけれども、これらがあることでコミュニティが持続しやすくなり、一定の変化の範囲であれば新しく更新されながらも受け継がれていく。
第四。こうして、都市が拡大し息の詰まる環境が拡大するほど田園居住へのニーズも高まり、購買層もかなり高所得となっている。油断していると、大手ビルダーにより画一的な「郊外」「田園居住」がつくられてしまう。ビレッジの良さはその空間的多様性にある。ビレッジが引き継がれていくためには新たな住宅開発も必要。その折り合いをつけることが大切。と筆者は、各地のビレッジを訪ねて将来への意気込みをも語っています。

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http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20170309/1489041168

2017-12-22

「地域実践アワード2017」が開催されます(2018.2.16)

連続してもう1つ、シンポジウムが開催されます。
こちらは地域と連携して取り組む18の「地域課題実習」成果の発表とポスターセッションなどで構成されます。
地域実践アワード2017.pdf 直

特に「アワード2017」ではさまざまな賞が用意されているようです。どのような取り組みがどのようにとりあげられるのか楽しみです。
こちらも情報が追加され次第、紹介していきます。

地域連携推進機構シンポジウム〜地域連携推進で新たな未来を切り開く〜が開催されます(2018.2.14)

大学と地域の連携につき議論するシンポジウムが2018年2月14日に開催されます。
http://www.ynu.ac.jp/hus/sangaku/19396/detail.html

まだその概要が公表されたばかりですが、「第1部 地域連携のエンジン「ネクスト・アーバン・ラボ」」では、本年度に立ち上がった「ネクスト・アーバン・ラボ」の紹介があります。このラボには18のユニットがあり、「地域連携」をテーマにさまざまな研究活動を模索・展開中。ご期待ください。
第2部は地域の各ステークホルダーによるパネルディスカッションです。

情報が追加され次第、紹介していきます。

2017-12-20

新しいロンドンプランの案が公表されました

2016年5月にロンドンの新市長となったサディク・カーン氏のもとで改定中のロンドンプランの案が11月29日に公表され、12月1日より協議に入りました(2018年3月2日まで)。
https://www.london.gov.uk/what-we-do/planning/london-plan/new-london-plan/draft-new-london-plan/
提出された意見をもとに2018年秋にEiP(Examination in Public)を開催。プランの採択は2019年秋の予定です。
最初のロンドンプランが2004年、現行のものが2011年(⇒関連記事)と、市長交代に合わせて策定されています。
今回のプランの特徴は、ロンドンにどんどん集中する諸機能(住宅含む)をさらに受入れやすくすること。イギリスEU離脱でいくらかのダメージが予想されるため、「是非ロンドンにとどまってくださいね」という気持ちも込められているのではと想像します。計画年は2019-2041。2041年のロンドンの人口は1千万人を超えると想定しています。

[関連記事]
・新「ロンドンプラン」の評価
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20111003/1317642751

2017-12-06

メイフェア近隣計画がまもなく地元区に提出されます(ロンドンにおける近隣計画の最新動向(4))

メイフェア」といえばロンドンを代表する都心部の高質エリア。
以前より、このようなエリアでどのように、どのような近隣計画を策定するのかに注目してきました。ここにきて計画素案の協議も終わり、いよいよ計画書の提出の段階にさしかかっているので、この機をとらえてその特徴を紹介してみます。

第一。結成されたフォーラムの構成メンバーから。居住者も多いビジネス近隣エリアであることから、その構成に注目してフォーラム認可時の51名の肩書きをみると、居住者系34(個人19、団体15)、ビジネス系17(一般6、不動産2、トレーダー団体2、博物館等3、まちづくり団体4)です。「まちづくり団体4」の内訳はNew West End Company1、Bond Street Association2、Regent Street Association1。フォーラムはオープンにされていることから、このあと出入りがあったと思われますが、特定の団体等に偏ることなく、まんべんなくメンバーが集まった(を集めた)様子がわかります。
第二。近隣計画素案(2017.6。⇒関連資料1)の特徴。きわめて高質なデザインと内容です。また、目次をみると、第1章のイントロに続き、第2章から5章が政策。第2章「Transforming Public Realm」、第3章「Directing Growth」、第4章「Enhancing Experience」、第5章「Building on Heritage」とメイフェアならではの内容が続きます。第6章から9章がマネジメント等に充てられています。今、「メイフェアならではの」と書きましたが、こうした目次構成はこれからの都市計画の主要な内容になっていく予感がします。
第三。この素案を地元協議に付したところ(2017.6.13〜8.1)多数の意見が寄せられました。概ね計画内容には強い支持が得られたものの、1つだけ半数程度しか支持のなかった政策があり、その政策だけに絞った再協議が2017.10.28〜11.15の間に行われました。その政策とは、グリーンスペースにおけるイベントを扱った政策MGS3(のうち()の(c))で、イベントを開催してよいのは最もグリーンの利用が少ない時期(10月から3月まで)のみである、との内容でした。あまりに厳しすぎる内容との指摘が多く、それは再協議でも同様な傾向を示したため、最終案においてはこの政策は削除することにしたようです(2017年11月末時点)。
第四。第3章第3節「Park Lane」で提案されている政策は大胆です。ハイドパークとメイフェアの間を走るこの幹線道路は、その中央に公園のような分離帯をもつのですがあまり使われていません。一方でメイフェア側の歩道は安全上も環境的にも問題があるので、政策MPL1では、道路部分をハイドパーク側に寄せて、いらなくなった道路部分と歩道部分を一体化して公園付き歩行者空間にしようとする政策です。しかしプロジェクトとしてそれを書こうとすると「それはディベロップメントプランには馴染みません」とされてしまうため、政策内容としては、「Park Laneに関連する範囲の開発から負担金をとって基金をつくり、それを用いて実際に採用されうる提案へと高めるとともに、承認が得られたならばそれを実行するために使います」というものです。かなりイノベイティブな内容にみえます。しかしイノベイティブな分、近隣計画提出後に行われる審査官のチェックでいろいろ言われるかもしれず、また、政策として認められたとしてもこれを実行するためにはかなりの努力が必要と思われます。

まだこの近隣計画は策定途中。最終的に住民による投票とビジネス主体による投票の2つの投票があります。しかしおよその骨格は現時点で出そろっていると考えられ、これまでの近隣計画と比較してもいくつもの進化がみられるこの近隣計画に注目していきたいと思います。


[関連資料] 下記ページの右にある「Download the full plan」より。
https://www.mayfairforum.org/the-plan/

2017-12-01

策定した近隣計画を維持するためのフォーラムの重大な役割 (近隣計画をめぐる新トピック(6))

近隣フォーラムは指定されてから5年間で指定が失効するとなっていることから、これまで、「その後はどうなるのか?」ということばかり気になっていました。しかし実際には、近隣計画は常に最新の状態にしておかなければならないので、近隣計画そのものをどのように見直しするかが大きな課題となり、「Neighbourhood Planning Act 2017」により、微細な変更は地方計画庁がおこなえること(ただし策定主体の同意が必要)、少し大きいけれども計画の主旨を大きくは変えないようなものは近隣計画策定主体が地方計画庁に修正案を提案できそれを審査官が審査。レファレンダムが必要と判断されなければ計画を修正できるなどの規定ができました。それ以上の変更を要するものは策定時の手続きが必要となります。また、これに先立つ「Housing and Planning Act 2016」の第142条により、近隣計画がらみの開発について通知するよう近隣フォーラムが求めた場合は、地方計画庁はその都度通知することが必要という形で、フォーラムの役割が強化されていました。

実際上どうなっているか。フォーラム指定第1号だったエクセター市のSt James近隣フォーラム(⇒関連記事)が最も早くこれらの状況に達していると考え、フォローしてみると、、、
このフォーラムが近隣計画策定後も熱心に活動していたことは既に紹介していますが、2016年7月2日の年次総会にて、今後このフォーラムをどうすべきかの投票がなされました(2012年6月29日が近隣フォーラム指定日)。選択肢は(a)存続、(b)別組織に移管、(c)廃止です。結果は全員(a)を選択。フォーラムとして存続することになりました。(制度上の指定フォーラムは計算上、2017年6月29日に失効となったかもしれませんが、存続すると決議した実態上のフォーラムがどういうことになっているのか未解明)
このフォーラムはたいへん熱心で、近隣計画策定後も計画本体に書ききれなかった「プロジェクト」も含めてその実現に取り組んでいます。また、2016年法142条の規定により開発に関する情報を積極的に得て、計画で描いた方向に開発誘導できないものかと取り組んでいます。いずれ近いうちに、2017年法の規定を使って近隣計画の改定に取り組んだり、それが大幅な修正を要する場合は本格的な見直し手続きに入るかもしれません。

近隣計画の運用がはじまって5年。第2ラウンドともいうべき新たな次元に入りつつあります。

[関連記事]
・近隣計画の運用(その3) 近隣フォーラムによる場合
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20150118/1421577689

2017-11-30

居住者が多様なため近隣フォーラムが設立できない場合の代替策 (近隣計画をめぐる新トピック(5))

2017.8.22の記事『Localism and neighbourhood planning』の論点の2番目であげた、居住者が多様で複雑なため近隣計画の策定主体「近隣フォーラム」を立ち上げられないケースについて、ロンドンハックニー区のケースがこの本で紹介されているので書き留めておきます。実は横浜にもそのようなケースがあり(最初は主体が認定されていたがいろいろあって不在になっている)、複雑な大都市部などでは同様な悩みがありそうです。

ハックニー区はロンドン下町のさまざまな人が暮らす地域です。近隣計画にも取り組もうとする動きが出てきたのですが、2013年7月には「North Hackney」として申請したエリアが広すぎるという理由で却下され、かわって「Stamford Hill」という狭められたエリアが近隣計画区域とされました。しかしその区域に対して2つの団体からフォーラム申請が時間差を伴ってあり、それぞれが我こそはこのエリアのフォーラムになると主張。考え方の隔たりが大きいため、区としては両方とも却下せざるを得ませんでした。最後の却下が2014年11月24日と今から3年ほど前です。
区としてはそのままにすることもできず、区が主導する「Area Action Plan」という法定計画を策定しようと決意します。2015年春のこと。ボトムアップで計画をつくろうとするとどうしても対立してしまうため、また、かといって全体をまとめてくれるありがたい主体がすぐにできそうにないので、区が呼びかける形で各ステークホルダーの参画を呼びかけ、2016年12月には「Towards a Stamford Hill Plan」というタタキ台の公表までこぎつけました。1年前のことです。このタタキ台に意見募集をしたところ2000件を超える反応があり、現在、それらを踏まえた素案を作成中。2018年中にはその素案が公表される予定です。
最終的に採択されると、「Area Action Plan」は区の「Local Plan」の一部となります。
近隣計画とは異なり行政が主導して策定するエリアプラン。
実は、ハックニー区では「Area Action Plan」を「London Overground」の駅周辺等4地区で策定済み(2012年2件、2013年2件)。そのような経験はあります。しかしどちらかというと一般的な住宅地区と思われる「Stamford Hill」で「Area Action Plan」を使って計画を立てるというのは、難しい作業かもしれません。けれども、ハックニー区では「Stamford Hill」に続いて「Future Shoreditch」という名称の「Area Action Plan」の策定を最近Shoreditchエリアではじめました。
一方、近隣計画の策定は芳しくありません。「Chatsworth Road」地区で唯一フォーラム設立までこぎつけていますが、他は、小エリアをとりあえず区域設定したもの、フォーラムが却下されたものなどです。
このようにみていくと、「居住者が多様なため」という面と、むしろアクションが必要な地域であるという面において、ハックニーでは近隣計画の制度構成には馴染まない(あまりメリットがない)と考えるべきかもしれません。