『アステカ王国』『インカ帝国』

今から500年前の1517年、最初のスペイン人の探検隊がユカタン半島に到着。その2年後にコルテス率いる隊が上陸。人口30万人を擁し当時世界最大だった都市テノチティトラン(現在のメキシコシティ)に迫り、1521年にアステカ王国は滅ぼされたのでした。
というのが一般的な世界史の説明だとすると、1つめの図書『アステカ王国』(文献1)は、副題が「文明の死と再生」とされるように、たしかに〈王国〉という入れ物は滅ぼされたものの、その後、スペイン人との結婚や伝統の堅持等のあらゆるプロセスを経てやがて文明が「再生」され今日までつながっていくさまを、「エスノヒストリー」という学術的方法によって描き出しています。
インカ帝国』(文献2)の方も基本は同じ。
コルテスに征服のノウハウを教えてもらいつつ、ピサロは1533年、首都クスコに無血入場。ここにインカ帝国が滅びたのでした。
というのが一般的な説明だとすると、特にインカ帝国の場合、その帝国システムを支えていた地方のリーダー(カシーケ)をうまく活かして帝国を統治したこと、高原の標高の上部、中央部、低層部に立体的に使い分けられていた土地利用システムや、高原から海岸につながる道をはじめとするインフラシステムを受け継ぎつつ、徐々にスペイン風のやり方を導入していったことなどにより、たしかに〈インカ帝国〉という入れ物は滅ぼされけれども、人的資源や文化的・伝統的資源は形を変えたりスペイン文化に融合しながら今日までつながっていることを強調しています。

これら2つの王国・帝国が旧世界に取り込まれて世界のウェブが1つに統合されたと解説するのが『世界史 人類の結びつきと相互作用の歴史(Ⅰ・Ⅱ)』(文献3)。現在のインターネット「www.」の原型がこのときに生まれ、webの要である都市が世界的に結びつけられたといえそうです。エチオピア付近で「約400万年前、類人猿に近い彼らが意を決して木から降り、サバンナに足を踏み入れ」(文献3、Ⅰのp17-18)てから世界中に散らばった人類が4億人ほどにまで増え、ついに世界が一体化したのでした。

[文献]
1.知の再発見双書19、創元社1992
2.同06、創元社1991
3.マクルーニ親子著(福岡洋一訳)、楽工社2015

[関連記事]
・『Planning Latin America’s Capital Cities 1850-1950』(都市イノベーション開墾 第77話)
http://d.hatena.ne.jp/tkmzoo/20161026/1477460946