なごり雪

 テレビから「なごり雪」が流れてきた。

 歌い手さんが熱唱していたが、違うんだなあ、とおっさんの思考回路が回りだす。

 

 もっと淡々と切なく歌う歌なのに~。やっぱイルカでないとなあ、この歌の情景、いまどき分からない世界なのかなぁ、さだまさしの「案山子」もそうなのかなあ、上京ものだし。今も同じような境遇の人はいると思うけどなぁ。

 昭和丸出しの思考と昔の映像を思い出しながら頭がめぐる。

 

 この歌、「なごり雪」は僕の生まれた3月7日ぐらいの話だと勝手に思っている。

 

 日本気象協会が「なごり雪」を3月の(季節の言葉)に選んで、「立春を過ぎてから降る最後の雪」という説明だそうだが、この歌が出典だから、まちがいではなかろう。

 ところで、季節のうつろいは連続的で曖昧で、行ったり来たりする。その曖昧さが日本人の気質にも表れているのかもしれない。

 「はい、これから春ですよ」と決めたいけど(桜の開花宣言など)実際は、「ああ、まだ春こないね」「あらもう春だね」という行きつ戻りつを楽しんでいるのだ。

 なんか最近は気候が極端になって、三寒四温といえども3月上旬の結構な寒波は珍しくなくなった。でも以前は、3月の雪は珍しかったように思う。

 そしてその3月7日に降ったなごり雪が、この曲とシンクロして聞くたびに思いだす話がある。

 

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  入社して2、3年目のとき、3月7日に東京に雪が積もった。朝降りだした雪が昼にはみるみるビル街を白く染めていった。

 (誕生日に雪か―)って一人で感慨にふけって出社。ちょうどその日、入社予定者の研修で鹿児島から上京してきた高校生の女の子が、あいさつで「生まれて初めての雪なんで感動です」って言って、みんな「おおー!」って。

 その年の冬に会社でスキーに行った時、その子が滑っているのを見て「スキーも生まれて初でしょ?上手だね!」って言ったら「いやいや、転げまくって私だけ冷凍マグロっす。」って大笑い。

 仕事上ではほとんど接点はなかった子だが、この雪がらみの話のおかげでよく覚えている。あれから25年、あの子は元気だろうか。

 

それからもうひとつ思い出す。

 

 私の生まれた、まさにその日は雪が降っていたそうだ。

 当時住んでいたぼろアパートの二階で産気づいた母は、小雪のちらつく中、家から少しはなれた線路の向こうにある産婦人科病院まで、お腹を抱えながら自分で歩いて行ったそうだ。

 そして、僕が生まれた。

「あんたの生まれた日は寒かってん、3月やのに雪が降ってたんやで」って子供のころから聞かされた話。私にとっては直接の記憶ではないが、大切な母の思い出話であり、僕の人生初エピソード。

 

 で、それほどドラマチックな展開でもなく、なにがどうと言うことはないが、「なごり雪」を聞くとこの二つの話を思い出す。

 

 春に降る雪にはなにかしら感じ入ってしまう。そして嘘のように雪が跡形もなく消え、暖かい日差しになる。

 そしてそのときいつも思う。

 ああ、これで今年も春が来たなぁ。みんな元気でいるかなあ。

 桜の季節のほんの少し前の、なごり雪。自分にとっては少しだけ特別です。 

 

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ふるさと

 先日、農業を始めた当時、とてもお世話になった農家の方のお葬式に参列した。

 息子さんがソプラノサックスで演奏する「ふるさと」の曲に送られての旅立ちであった。子や孫たちに囲まれて、本当にその方らしいお別れであった。

 

 戦争も、農村の激変も、経済の浮き沈みも経験した、その方にとって故郷であるこの町は、まさに歌詞のような情景だったに違いない。

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 今の子たちの「ふるさと」とは、どういうイメージなんだろうか。

 「ふるさと」は決して山河の風景やのどかな田園風景のことだけではない。子供のころ、遊んで遊んで、いろんなことを体験したことが、そのまま鮮明な記憶となり愛着となり、いつまでも心のなかに残る、その経験の投影だと思う。

 その愛着こそが、帰る場所である「ふるさと」ではないか、そしてそれは人間の深いところにある感情の一部だと思う。

 

 なぜそう思うのか。

 振り返って自分の「ふるさと」は、どうだろうかと考えてみる。

 ウサギもいるし、清流も水田もある童謡に描かれる田舎の中で暮らしているけれども、この歌詞に共感し、ぐっと心にくる「想いをはせる故郷」から浮かぶイメージは、雑多な路地裏であり、住宅街であり、小さな公園であり、水は汚くても桜並木の堤防と松の緑がきれいな川であった。思い浮かぶ風景は全く違うが、童謡「ふるさと」が歌う心情に共感し、同じ心持になる。

 

 また、アメリカのロック歌手ブルーススプリングスティーンの歌う名曲「MY HOME TOWN」も、同じだと思う。

 

(MY  HOME TOWN)

 子供のころ、おやじの運転する車の膝の上で、頭を撫でられながら「息子よ、よくみておくんだ、ここがお前の生まれた町(HOME TOWN)だよ」と。

 

 65年、青年時代、白人と黒人との争い、ショットガンが火を噴き、暗い時代になっていく。

 

 やがて、つぶれた店や閉鎖された工場が立ち並らび、もうだれも戻ってこないだろう。そして彼女とともにこの街を離れる決意をする。

 

 いま俺は35歳。子供もできた。昨夜、子供を車に乗せてこう言った。

「息子よ、よく見ておけ、ここがお前のふるさと(YOUR HOME TOWN)だ」

 

 この歌を聞いた時、やはり何とも言えない深い共感とぐっとくるものを感じた。やはり人間にとっての「ふるさと」は風景やイメージではなく、その下の深いところにある感情なのだと思う。

 

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 いま、地元の町で一番小さな小学校が、長年統廃合の対象になっている。平成21年、最初の統廃合案のとき、ある会合での児童の親の意見がとても心に残っている。

 

「統合がいいのか悪いのか、教育のメリットデメリットとか難しいことは自分には判断できません。でも、自分が子供のころ、学校帰りに田んぼの畔道を寄り道しながらゆっくり遊びもって帰ったことがとても楽しかった思い出として残っています。町の小学校へのスクールバス通学になってしまうと、そういうことを子供に経験させてやれないので、残念です。」

 そう、大人たちが言っている屁理屈なんかより、こういうことのほうが大事なんだと、はっとさせられた。

 

 いま、世の中はイメージで溢れている。イメージやアイデアだけで終わっては単なる虚像のままなのだ。

 なんでもいい、実体験し、経験をし、繰返し繰返し、あっちに言ったりこっちにいったり、うまくいったり失敗したり。進んだり戻ったり。そういうことを積み重ねた時にはじめて深く愛着をいだく。

 そしてつらいとき、ふと振り返るとそこに故郷がある。

 

 童謡「ふるさと」も、「ふるさとは遠きにありて思うもの」と歌った室生犀星も、故郷を離れて苦難の状況にあって歌われるこの心情は、社会も変わり、出稼ぎや、都会への就職だけが生きる道ではなくなった現在でも、多くの人の共感をもたらす、とても大切な感情だと思う。

 

 そんなふるさとを今の子供たちは持てるのだろうか。

いや、すでに大人たちもそのような故郷を持てずにいる人が大部分なのかもしれない。

子供にも、大人にも、そんな心のよりどころは必ず必要だと思う。

 そしてそれは全世界共通だとも思う。

 

四万十川の風力発電

風力発電機の外国の施工例です。見てみるといろいろ思いますね。 
 四万十川の山の尾根沿いに40いくつも、本当に建てるつもりなんすかね。外国のように土地が広大ならいいけど。
 地元に電力を供給するためでもなく。
  よそでは、出力抑制でほとんど止まってたり、災害時の停電では風車は回れど電力供給できなかったり、という話も聞きます。
 潜在的に、太陽光も風力も非同期電源だから、単に増やせば良い訳でもないとおもうのですが、そこらへん世の中先の事など考えない風潮だから致し方ないか。
 伊方原発廃炉の代替という言い訳ならまだましですが(代替なしの廃炉でも電力足りてるけど)、家地川堰堤の撤去(佐賀発電所の代替)や火力発電所の代替とか、そうでもないし。
まあ、特に地元には必要無さそうなんですけど。
 
 目的が発電より売電、売電より投資、の太陽光しかり、輸入木材燃料で稼働中の木質バイオマスしかり、日本の自然エネルギーはどうしてこんなことになったんですかね。
 
  いかにして大量生産、大量消費から離脱して、自然から得られるエネルギーを人間の使うエネルギーに効率よく変えていくか、その技術開発こそが肝であると思ってました。
 今後はその方向に行くのでしょうか?行くのであればなおのこと、大規模風力発電は違う方向性だと。
 
  「木一本、首ひとつ」といわれた木曽檜の山。資源保護のため入山、採取を厳しく制限された御留め山。
 山に価値を作るのが人の営みならば、時代とともに変わるのは当然でしょうが、変えてはならない考え方、失ってはならない価値があります。
 
 「今だけ、金だけ、自分だけ」と言われる経済優先社会の価値観の中では、自然エネルギーもこうなるのは必然なんでしょうか?
 確かに市場拡大の見込める分野ではありますが、自然エネルギー利用とはこういうのではなかったんだけど、と思う。持続可能とかCO2削減といいつつ、実は欺瞞に満ちた施設が建つことには、ああ嫌だなぁ、と心底思う。
 
  近未来の宇宙を舞台にした「プラネテス」というマンガに風力発電が少し出てくる。そのシーンが実に良い。
 
 デブリ回収船の宇宙飛行士タナベの幼少期の回想シーン。捨て子の彼女は、風力発電のメンテナンスの仕事をしているお父さんと学校の先生であるおかあさんに迎えられていた。
 「今日、生活科で風力発電のこと教えたよ。あまり役にたってませんって」
「まーねぇ、核融合発電にはてんでかなわないからなぁ」
「でも私は好きよ。生徒たちも好きだって」
 元パンクロッカーのお父さん、風力発電風車の下でのんびり煙草を吸いながら、
 「いーい天気、、、今日もロックンロール日よりだなぁ、、」とつぶやく。
 
数年後。成長し、宇宙飛行士となり帰郷したタナベは、おとうさんのもとにお弁当を持っていく。
 「相変わらす風車は働き者だねぇ、私、風車は好きよ」
 
 そう、自然エネルギー利用は、人の生活により近く、より優しくなければならないと思う。

ウイルス その3

 「分からないものはわからない」とたびたび書いたが、なぜそこを強調するかを書いておこうと思う。

 

 毎日のように報道される感染者数から、経済への影響、いろんな報道に接していつも頭に引っかかっているのは、統計データーの読み方のことがあるからだ。

 つまらん陰謀論は必ず出てくるが、それは置いておいても、わからないことを分かろうとしたくなるのは心情だし、どうなっていくのか知らないと不安ばかり募るのは当たり前だ。

 そんな時に頼りになる目安がデーターである。しかし統計はもろ刃の剣である。分かりにくいものを分かりやすくするためのすばらしいツールだが、(いままで品質管理や安全性評価試験をかじったこともあるので言えるのだが)作成した経験のある人ではなく、一方的に受け取るだけの一般市民にとっては、よっぽど注意してかからなくてはいけない。

 【※当然、感染症対策には数理統計の専門性も要求されるので、現在の統計データーの数字やデーター、それに基づいた対策は信頼性はあると思うし、それをうんぬん言うのではない。一般論です】

 

 統計データーは実は前提条件次第いくらでも操作できる。因果関係、相関関係、それらを裏付ける統計データーを示されると消費者はコロっと騙される。だから騙そうとまでいかなくても、こうだろ、と「思わせたかったら」簡単だ。

 最も単純な方法は、サンプル数やグラフのスケールを意図して小さくしたり大きくしたりして、「都合のいいような図」として見せるすることで、「そう思わせる」ことは簡単にできる。

 また、極端なことを言えば、十分な性質や病理など基本的なこともはっきりしていない新型コロナウイルス感染症も、今なら自説に都合のいい統計データーから信用(誤解)させることは簡単なのだ。そしてそんなのがしばしば見られる。

 今までも、温暖化や放射能、発がん性など、環境問題や人の健康といった関心が高くて生活に近くて、なおかつ複雑さが半端ではない事象に関しては、そのような事例をさんざん目にしてきた。

 悪意がなくても、実社会、というあまりに複雑な要因が関係する中では、統計データはあくまでデーターであり、そこから何かを導こうとすれば、誤解を生んでしまう危険性は大いにある。

 根拠のない説や数字に騙されないのはもちろんだが、事実に基づいた数字であっても注意が必要だと言いたかったのだ。特にリスクと安全性については、示される数字よりとらえ方の問題となってしまう。思い込み、無視、深追い、条件反射、等々、私たちが注意しなければならい「とらえ方」に対しては、不安が増せば増すほど「分からんもんは分からん」と一定の距離を置き、目の前の事象のみに重きを置くことは必要だと思ったからだ。

 

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 そしてもう一つ、わからんものに、「ウイルス」というのがある。生物なのか、無生物なのかもわからない。昔、生物でウイルスのことを習うと必ず「タバコモザイクウイルスの結晶」の話が出てくるが、細胞でもないタンパク質でできた殻に包まれており、結晶する、のに感染して病気をおこしたり、自らの意思があるかのように戦略的に増殖する。はっきり言って得体のしれない「もの」というのがわたしのとらえ方だ。

 人間に寄生し、増殖する粒子。なぜそうするのか。生態系内のでの役割は何なのか。考えれば考えるほど「わからない」ものなのである。だから、ウイルスを細菌と比較したり混同したりすると、思わぬ間違いを犯すこともある。だから、「わからない」と認めたほうが良いと思ったからだ。

 

  昆虫記で有名なアンリファーブルに「植物記」という著書もある。その中の一節に単細胞生物、カビについて書かれた文章がある。生態系の視点からミクロの世界をのぞくことのできるすばらしい文章だが、その中でジャムに生えたカビの話がでてくる。

 「カビでジャムが傷むのは、カビが持つ浄化の使命、死んだ成分を生に還流させる偉大な使命を持っているからだ」と表現する。「そして、そんな事が何になる、と愚かな質問はしないことだ、創造の摂理を推しはかれるほど私たちの目は先がみとおせるだろうか」と言う。

 そしてカビに対峙するとき、私たちには

「ものごと全体を判断するほどに、われわれは炯眼(けいがん)であろうか。自己防衛はしよう、だがうらみごとはいうまい」

 と唱えて用心しよう、と呼びかける。

 これは、私たちが生物に接するときには、とても大切な視点だと思っている。そして今、ウイルスに対しても同じだと思っている。

 

(おわり)

 

(参考:「単細胞生物」ファーブル著、日高敏隆、林瑞枝訳、「自然と人生」筑摩書房 より)

 

 

 

ウイルス その2

 ウイルスの対策も分かっているけど、実際どう行動したらいいのかはわからないと思う。

  こればっかりは、防護服を着て生活できないし、警戒にも限界はあるし、感染したかどうかもしばらくは分からないし。潜伏期間という厄介なもののせいで対策の効果があるのかないのか、余計にわかりにくくなっている。そこで、一つ大切なことがある。

 

 人間はよくわからないことに出会ったり、非常時、非日常に放り出されると、攻撃的になるか、見ないことにするか、逃げるか、という反応をする。

 ストレスや恐怖から攻撃的になるのが一番良くない。怒りは非生産的で何も得るものはない。周りにも迷惑をかける。これは一番気を付けたいことだ。

 見ないことにするのは、正常性バイアスといい、これは誤報だ、大丈夫だ、自分には関係ない、と思ってしまう認知バイアスのことだ。これは危険をさらに深めてしうので注意しなければならない。

 そして、逃げること、は守りに徹するという意味もある。実際に、はいさよなら、とは言えないときは守りに徹する。わからないことに対処する一番安全な方法ではないだろうか。わからないものを無理に分かろうとしてストレスを深めるよりは、目の前の対策を注意深く実行するしかないんだと思う。

 幸い、戦争や震災と違って、感染し発病しない限りは、健康で衣食住には困らない環境は継続されているのだ。

 

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 昔はウイルスのことを「ビールス」と言っていた。インフルエンザビールス、である。(ちなみに農家の間では植物のウイルス病のことを大まかにひとくくりにして「バイラス」と言ったりしている。「バイラス」とはウイルスの英語読み)

 「ビールスにかからんようにせなあかんで」とよく言われていたし、インフルエンザとも言ったが「流感」とも言った。熱が出たら「流感ちゃうか?」と母が心配そうによく言ってたのを覚えている。

 

 思い起こせば、目に見えないウイルスに対処する方法は、子供の時から教わっていた。手洗い、うがいは口やかましいほど言われていたし、学校には必ず石鹸が水道にぶら下がっていて、給食の前だけでなく、休み時間外で遊んで戻ってきたときも手を洗う指導がされていた。めんどくさいのでやらなかったり、ハンカチではなく服で拭いたりしてたら注意される。

 もちろん、家に帰ったら「手を洗いなさい」「うがいをしなさい」は必ず言われていて習慣づけられていた。

 また、インフルエンザによる学級閉鎖はたびたび起こった。インフルエンザが流行すると「はい、5分間の換気」とかいって休み時間に窓を全開にさせられ、寒くてとてもいやだった。さらに流行が進み欠席者が増えると、朝に保健の先生が来て全員に検温をし、熱が出ていたのが数名出て、「はい、今日からこのクラスは学級閉鎖です」と言われて、授業せずに家に帰されたときはとてもうれしかったので今でも鮮明に覚えている。

  このコロナ騒動で思い出してみると、子供の時には繰り返しインフルエンザ予防については教育を受けていたし、小学校での対処方法は正しく行われていたと思う。

 ふと、なぜこんなに念入りだったんだろう、と記憶をさかのぼってみると、子供の時に聞いていた「A香港型」というワードから調べてみた。

 すると、1968年香港で発生した新型インフルエンザはパンデミックを起こし、アメリカで400万人が死亡し日本でも13万人の感染と4000人の死者を出したということだ。香港かぜ、香港かぜ、ニュースではA香港型が、、とさかんに言っていたのはこういうことだったのだ。

 そしてさらに、1977年ソ連かぜ、と言われていた新型インフルエンザがパンデミックを起こし、世界で2000万人の方が亡くなっている。ソ連かぜ、も子供の時よく聞いたワードだ。

 冬になると、学校でも家庭でも、口うるさく言われていたのはこういう背景があったんだと、いまさらながら分かった。単に「バイ菌」でおなかを壊すから、程度に当時は思っていたのだが、それだけではなかったと思うと、納得がいった。

 

 インフルエンザは抗体やワクチンができるまでは、まさに今日のコロナウイルスと同じようにたくさんの死者を出し、パンデミックの脅威をまざまざと見せつけられた歴史があったのだった。

 だから、自分たちの世代は、うがい手洗い、換気、予防注射、など基本的な公衆衛生管理をおしえられていたのだろうと思う。もし、その教訓のおかげで知らず知らずのうちに手洗いをこまめに行うことが、今日の日本での感染者数抑制につながっているとしたら良かったと思うし、そうではなかっても、死者を出しつつインフルエンザと戦っていた自分たちの子供の時の教訓は生かさなければいけない。

 

 外から帰ったら石鹸で手あらい、うがい、食べる前にも石鹸で手あらい。ハンカチを持っていること。くしゃみ、咳をする人はマスクと休養。

 

 残念なことに、まだ、風邪と同じだから高齢者だけ気を付けてればいいとか、コロナはインフルエンザより死者が少ないから怖くないとか、いまだにいっているアホウがいるが、決して自分が良くかかっている風邪レベルと思ってはいけない。

 インフルエンザはもともとは風邪とは比べ物にならないくらい恐ろしい病気で、その病気の中でも、新型インフルエンザ、今日の新型コロナウイルスパンデミックはワクチンも抗体も獲得していない限り、まだまだ脅威であり長い戦いになるのだと思う。

ウイルス その1

 新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大し、脅威となっている。経済に大打撃を与えているし、オリンピックも延期になった。どれだけ感染が広がるか、いつ収束するのか、心配している人は多いと思う。でも、専門家でもはっきりわからないことを考えてもしょうがない。

  専門家は、感染を広げないように、早く収束するように、ということを考えているのである。先を読みながら対策を考えているのであって、私たちが先のことをとやかく言っても意味はない。信じてそのアドバイスに従えばよい。占い師ではないんだ。

 この先、一人一人が感染リスクを減らすような生活を心がけるしかないと思う。

 

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東京のホテルより。実は1月と3月中旬、私事で東京に滞在していました。ウイルス対策を厳重にしていましたが、3月はいつもと違う人の少ない東京に妙に安心しました。

 なのに、である。(たぶん、細菌とウイルスの違いすらわからないような人が)感染率や重症化率や死亡率などを取り上げて、風邪と変わらんから脅威をあおるな、心配いらない、とか、高齢者よりも、大切な家族や隣人の健康よりも経済活動の方が重要だとか、経済が停滞し自殺者が出る、そのほうが深刻とか。検査しろとか、しないとか。いろんな問題をまぜこぜで書くのは勝手だが、ワイドショーにしろブロガーにしろ、薄っぺらい内容の記事を流しながら、「文句たれ」市民を大量に生産してしまっていると思うと、暗澹たる気持ちである。

 

 情報が手軽に手に入り、行き交う現代では、自分の思いや本当に届けたいと思って発信された情報と、反応だけを意識している自己満足の発信とを見抜く力が求められていると思う。商品のマーケティングならそれもいいかもしれないが、事は人の健康と人命にかかわるという想像力の欠如が、もう絶望的だと思った。

 恐怖を煽ろうが楽観的になろうが、そんなことを問題にする時期ではない。現実にするべきことはもはや明らかなのだ。

 

 そしてもう一つ。経済対策に商品券を配るとか、それも消費を促すための対策だとか。消費税増税の対策として低所得者に商品券を買わせたのもびっくりしたが、どうやら本当に景気対策になると信じているようである。そしてこの静かな非常時にも、やはりこんな発想しか出てこない国にいると思うと、本当に気分が沈んでしまう。

 

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  この国には助け合いや、弱者の視点はなくなってしまったのだろうか。マスクがないと言えば先を争って買いあさり、はては転売して一儲けしようとたくらむ。医療機関や介護現場の人々のことなど考えない。人間はやがて年老いて肉体的にも精神的にも社会弱者となって、誰かのお世話になりながら死んでいく。自分だけいつまでも健康だと思っているのだろうか。経済活動は次の世代のためにあるということすら、考えも及ばない人ばっかりなのだろうか。

 人々の往来で経済が打撃を受けたなら、そうではないあたらしい経済活動を今から模索しなくてはならない。どうやら2、3か月でもとに戻るという幻想は捨て、長期戦を覚悟したほうがよさそうだ。2.3か月なら買占めは起きてしまうだろうが、買占めはやめよう!という動きは、長期戦に備える正しい判断だ。

 

 もし、日本で緊急事態宣言を発令する事態になったら、誰かさんの記者会見ではなく、もう、メルケル首相の演説をVTRで流してくれ。これ以上つまらん話を聞いて、気分が沈みたくない。

 

 

   ひとしきり毒を吐いたので(これでも半分)、話題を変えます。

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 とにかく新型コロナウイルスはまだ治療法のない、免疫力の弱い人は重症肺炎になって死亡することもある、恐ろしい病気だと思う。

 ワクチンができて広くみんなが免疫を獲得し、治療法が確立し、それにより感染が収束するまでは、その脅威は決してなくならない。また、それよりも恐ろしいのが、感染が拡大することにより、強毒化タイプに変異してしまう可能性だ。

 

 以前の鳥インフルエンザの騒動を覚えているだろうか。鳥インフルエンザの発生は養鶏農家においては死活問題であり、また、人間への感染から、変異により強毒性をもったままヒト-ヒト間の感染能力をもってしまうことが最大の脅威とされている。この新型インフルエンザの誕生により、今日のようなパンデミック、想定死者5億人ともいわれるシナリオを最も警戒する。

 

 そのために、鳥インフルエンザの発生が見られた農家では、徹底的な防疫処置が求められる。養鶏場は封鎖され、半径数キロにわたって移動を制限し、出入り口では車両も何もかも徹底的に消毒する。そして処理にあたる養鶏農家や家畜衛生保健所や県の職員は感染予防の訓練を受けている。消毒や防護服の着脱手順などである。ゴーグル、マスクはもちろん防護服はインナーとの2重で、手袋も2重。手首、足首、その他つなぎ目はガムテープ等で厳重に目張りをする。

 汚染養鶏場から出てきた場合、テントにて全身消毒後、さらに脱衣時にインナーに防護服の外側が絶対触れないように脱衣手順を厳しく指導されるそうだ。そしてインナーを脱いで新しい防護服を着てテントの外に出る。

 

 感染症の脅威となるウイルスへの対策はこんなもんだと思っていた。

 だから、今回、武漢で爆発的感染の脅威に接していても、空港等の検疫体制やクルーズ船の対応など見ると、「なんか、こんなのでいいのかなあ」と思ってはいた。実際2月3日の時点で感染症学会は「本邦にウイルスが入り込み、すでに市中において散発的な流行が起きていてもおかしくない状況」とアラートを出していたし、すでに水際対策は不可能だと思っていたのかもしれない。

 また一方で、農家の間では、ヒトには感染しないとはいえ、中国、韓国で発生したアフリカ豚コレラに対して、日本の空港等の検疫や危機意識は低すぎるという指摘は確かにあった。とにかく軽く考えていたことは否めない。

 

 そして今、人から人に感染する新型コロナウイルスと向き合わなくてはいけなくなったのは私たち一般市民だ。検疫体制ではなく、日常どう行動するかが試されている。

 ウイルスを絶対に人に感染させないという対策はもはや不可能だ。しかし、感染を拡大させないために一人一人の心がけで封じ込めることも可能だとわかった。ある程度の経済活動と両立できる知恵もわたしたちにはあるはずだ。子供たちにも安全に教育と遊びの場を提供することもできるはずだ。

 難しいことではない。不特定多数の密室空間を避け、石鹸での手洗いを徹底して行い、しんどいと思ったら早めに休む。感染症対策専門家会議等が出している注意喚起、行動指針はその通りだと思う。そしてきちんと実行されるべきことだと思う。何もしないのも、なんでもしてしまうのもよくない。用心しつつも新しい発想で行動することが大事である。

 

                                  (続く)

 

「春」?なのか

 3月生まれなので春は好きなのですが、今年の暖冬には参りました。1回(半日)しか雪が降らない、1月には毎日のように凍る屋外の水道も1回しか凍らない、車のフロントガラスの霜はすぐ融けるし、高知に来て以来、今までで一番暖かい冬でした。

 本当なら冬の寒さが緩んできて、少しずつ、少しずつ、芽が出て、鳥が鳴いて、桜が咲いて、っていう春のわくわく気分を味わいたかったのですが、なんかいつの間にやら月日は過ぎ、そしてこの、コロナウイルス騒動。私事でもバタバタが続き、この余裕のない流れといい、気分的にも、春を満喫できそうにはありません。

 そして畑では、前後左右100mに人はいませんので、不特定多数の濃厚接触など無縁の職場。通常どおり営業中につき農繁期に突入。残念。

 

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 しかし、そんな俗物どもの都合など知ったものかと、春の花は咲いております。でも、いつもの農事暦と比べると今年は順番がちぐはぐです。

 梅のあと鶯の初鳴き、早い遅いはあるんですが、その後は気温の上昇とともに、コブシ、スイセンタンポポ、菜の花へと、開花が続き、モンシロチョウ初見で桜の開花、さあ、種まくべ。という順番になります。

 しかし今年は梅に鶯、そのあとモンシロチョウが出て、菜の花開花、タンポポ開花、そして今、コブシ、スイセン開花と順番が逆にいっております。桜も早咲きのはとっくに終わり、ソメイヨシノも日当たりのいいところからぽつぽつと。植物も混乱しているのか、今年はごちゃまぜの印象です。

 

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 これは異常気象ではなく、温暖化でこれからは平年値、このようになっていくのかも知れません。少なくともこの20年で、ミクロな、ローカルな気候も変わりました。

 ただ、気候側だけの話ではなく、農事暦も季節の花も長いスパンでみると、時代とともに移り変わっていくものかも知れません。一番の目安としてシンボリックなソメイヨシノも、江戸時代に作出された品種です。それ以前はまた違った花木が目安になっていたのでしょう。農家のほうでも、品種や作付け方法は年々変わっていきます。種まきの目安としては、気が付いたら修正を加えながら新しい農事暦が出来上がっていくのでしょうか。それとも、そんな目安など必要としない農業になっていくのでしょうか。 

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 季節の移り変わりを肌で感じることは、これは純粋に、暖かくなる心地よさに加え、きれいなものを見ると心がなごむという、なんでそうなのかわからないけど、本能だと思います。だから人類共通の価値観ともいえます。好みの違いはあってもです。

 

 つい最近、ルイ・アームストロングの「WHAT A WOUNDERFUL WORLD」を久しぶりに聞く機会がありました。

 子供のころはトランペットの曲のほうをよく聞いていたので、なんで歌?歌よりペットの方がいいのに、と思っていてちっとも良さがわかりませんでした。

 でも大人になってからこの曲の作られた背景を知り、サッチモの歌声と相まって名曲としてインプットされました。その後、この歌単体で映画やCM で頻繁に使われて、なんか有名になりすぎて、耳慣れてありふれた曲、という印象ももってしまいました。 で、今回、何年かぶりにしみじみ聞くことがあったのですが、うーん、やっぱり名曲だなあ!人類共通だなあ・・・と改めて感動したことでした。

 

 歌のように、私も心の中でこうつぶやくことができればいいのですが、いまそれやると、しらじらしさしか出てこない、どうしょうもない俗物なのです。でも、いつの日か全く意識せずに、自然に口から出てくるようになれば、そんな境地になれればなあ、なんて思っています。

  歌詞の訳は、ああいいなあ、と思うのも、ちょっと、と思うのもそれぞれあるので、あえて載せませんが(YouTubeでいろいろ訳付きで聞いてみてください)、最後の3番の歌詞がいいです。心にしみますね。

 

I see trees of green red roses too. I see them bloom for me and you.

And I think to myself,
What a wonderful world. 

 

I see skies of blue, and clouds of white. The bright blessed day,The dark sacred night.
And I think to myself
What a wonderful world.

 

The colors of the rainbow, so pretty in the sky.Are also on the faces,
of people going by,  I see friends shaking hands,
Saying, "How do you do?"
They're really saying,
"I love you."

 

I hear babies cry,I watch them grow,They'll learn much more,Than I'll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.

 

Yes, I think to myself,
What a wonderful world.