今そこにある課題

土曜日は朝5時半から本業。土手を自転車で降りる際に、霜で湿った芝生で転倒。手をつくと危ない気がしたので、肩・背中から受け身を取ったのだが、少し頭を打った。機敏に反応できなくなってきているなぁ。練習後、コーチングスタッフとファミレスで朝食。大掃除を前に、仕事組は引き上げ。いったん自宅へ戻る。
妻と簡単に昼食を済ませ、昼過ぎから英授研へ。筑駒。
前半は、和田さつき先生の、「話すための英文法」の提案。資料満載。『新英語教育』(三友社出版)で連載されていた「英文法ルター」のご本人に会えてなんか嬉しかった。主として、時制・助動詞とsomeにこだわってのプレゼン。私は常々「高校英語教師は文法の指導が下手なのだ、という自覚を持つべし」と指摘しているのだが、和田氏の資料を見ると、指導の拠り所となる「英文法」の記述にブレがあることがよくわかる。プログレスの旧版を絶賛していたのだが、そこだけは首肯しかねた。
後半は、工藤洋路先生の授業研究。
授業と学校の概要、指導の背景などを工藤氏から補足してもらい、私から、「英語教育ではinput→ intake →outputという流れが自明のものとされていますが、高校英語の教材でintakeってそんなに簡単におこるものなのでしょうか?」という問題提起をして、30分短縮版ビデオの観察。
質疑・協議には約30分を割くことができたので、司会としては最低限の仕事を果たせたと思う。

  • 語彙・語義の扱い
  • 流れるような素晴らしいoral introduction, Q & Asからexplanationに移ったところで急に日本語モードになってしまうのが残念。教師・生徒間でinteractiveに英語を使って理解させることもできるのではないか
  • 十分な口頭活動から書く活動へという手順が望ましいのでは
  • readingに入る段階では、いきなり教師が範読をするのではなく、黙読をして学習者自らが、読み取る・読み解く機会を保証すべし
  • 構文解析の必要な箇所に関して、教師がoral introductionで英語をパラフレーズしてしまうのではなく、考えさせる機会を持った後で、パラフレーズなどで「腑に落ちる」指導を経て、最後に十分な音読活動へとつなげるのがよいのではないか

などのフロアーからの声に工藤氏が答え、司会の私が一部補足した。
中学に比して、高校英語のいい授業を見る機会はそれほど多くない現状にあっては、今回の工藤氏の授業は、「授業を英語で進める指導技術」「生徒が腑に落ちる学習活動」の両方を考える材料を持った良い授業だったと思う。そもそも、安易な自己表現に逃げずに授業を成立させているところが良い。高校レベルの教材をオーラルで進めてみれば分かると思うのだが、personal involvement型の発問を使わずに理解させ、腑に落ちるように指導するのは骨が折れるのである。
当日の資料をみていない人には分からないだろうが、質疑でも出た、complementaryとoppositeの扱いは、高校英語のレベルでのoral introductionやparaphrasingを考えるのに良い契機だったと思う。Oral introductionの段階で、complementaryは提示され、しかも教科書の注で「complementary colors 補色」と扱われている。そして、ビデオではカットされていた日本語による解説の段階で、oppositeを扱う際に、生徒からの疑問としてこの二つの語の理解が不十分であることが明らかとなる。では、ここは英語でパラフレーズしたり、具体例を英語で説明したりすれば生徒は「腑に落ち」たのだろうか? oppositeという似た概念の形容詞が提示され、新たな学びが成立したがためにおきた疑義であるから、complementaryを他の形容詞に置き換えただけでは解決しないだろう。ここではやはり、日本語による解説と併せて、complementary colors同士が何をcompleteするのか?という部分を指摘しておくことが有効だったのではないかと思われる。私がここで何を言っても後知恵なのだが、「白+黒=灰色」というoppositeの具体例の提示がチャンスだったかもしれない、という指摘にとどめておく。
WBDではパラフレーズで、completingという語をあげ、以下の用例を提示している。

  • The four seasons are complementary parts of the year.

Oxfordの定義では、

  • complementary = combining in such a way as to form a complete whole or to improve or emphasize each other’s qualities

とあり、LDCEの定義では、

  • complementary colors of light are very different and combine to make white

とある。教材研究のしどころではあるだろう。
今回の新教材の教科書の英文では、等位接続詞のbutが気になってしょうがなかった。工藤氏自身が指導のポイントとしてあげていた、引用符の ”see” に関しては、butに着目させて、対比の構造を読み取らせれば手がかりはつくれるのだろうが、最後の段落の

  • A little knowledge about color and our eyes takes away some of their mystery but, luckily, none of their beauty.

のところは、文構造を理解した後の指導手順に悩むだろう。質疑では、筑駒の久保野先生が、luckilyの文修飾副詞の意味合いも含めた、極めて優れたパラフレーズを示してくれたが、多くの高校生が、If we know a little about color and our eyes, の後の主節をどうするかで戸惑うだろう。ここでの英文の難しさは、
colorはなぜ無冠詞単数なのか? some of their mysteryでは、theirの複数が照応するのは何か?では、なぜmysteryは無冠詞単数なのか、their beautyというのだが、eyes自体の美しさは本文では言及がない、このtheirは何を示しているのか?
という部分にあるのではないのだろうか。せっかく、前半の和田先生のプレゼンで、someや冠詞に敏感になっていたはずなのに、今回の英授研の参加者から、この部分に対する疑義が何も出てこなかったのは残念であったので、時間が押している中、司会の最後に「教科書の文章で、最後のこの段落は不要だったのでは?」「ここがあることによって却って難しくなってしまったのでは」とだけ指摘をさせてもらった。
今回、工藤氏との事前打ち合わせの段階で、私が工藤氏に問いかけておいたのは次のようなことであった。

  • 最後の、 but, luckily, none of their beautyは難しいところで、someとnoneがどう対比されているのかを英語で説明しても分からないと思います。省略された動詞句を補うとしても、theirは実際に所有や帰属を表すわけではないので、but that knowledge takes away none of the beauty color and our eyes produce [create/ bring you] などというパラフレーズとの対比を持ち出して考えさせることになるかな?と思います。最終的には、if you have a little knowledge about color and our eyes, you will ...で書き換えられるか?高校1年生として、それは教科書でのターゲットとしている言語材料より易しいか?ということを考えてもらえば有益なのではないでしょうか?

高校英語が克服しなければならない課題がまさにここにある。『英語青年』でも指摘したことの繰り返しになるが、paraphrasingが有効であることは確かである。では、そのパラフレーズで用いる英語の語彙・構文を生徒はいったい、いつ「身につける」のか?そして、上手くパラフレーズできなかった生徒は、どのように、教師のrecastやreformulationを処理していけばいいのか?「パラフレーズすれば解決するわけではない」という真意が伝わってくれていることを願います。
それにしても、久保野先生のパラフレーズは上手かったなあ。
懇親会を経て、9時に本業、チームGの納会に合流。いつもお世話になっているKO大監督S氏、競合する他チームにもかかわらず元U23日本代表で北京、ロンドンを目指すN選手、K選手も参加して盛会。恒例となった、選手制作によるショートムービーの上映後、今シーズンの新人賞、MVPの授賞式。私のコーチ業、足かけ12シーズン、最後の納会も無事終了。明けて、4時に帰宅。疲れました。
さあ、この後年末年始は、原稿執筆という私にとっての最大の課題。こちらに集中しますので。ブログの更新にはあまり期待しないで下さい。
本日のBGM: When White Was White (Doug Powell)