英語教育の明日はどっちだ! TMRowing at best Twitter

2007-12-31 the chief meal of the year

天候が心配される中、妻と一緒に俵山温泉へ一泊骨休めに。

下関の唐戸市場でお正月用の買い出しをするということで、午前中に出発。行きは私の運転。北海道生まれですが、雪の中の運転は初めてで緊張。それだけではないでしょうが、小倉まで行ってしまいました。もう少しで香住っ子さんのところまで行けましたね。

下道で引き返し無事市場へ。さすがに盛況。その日に帰るのだったら伊勢エビとか奮発!という気も起きたのでしょうが、宿では「ふくつくし」で予約していたので欲張らず。私は、正月に準備した地酒に合わせて、最高級地物赤イカのスルメと北浦産無添加干しエビをゲット。市場の食堂はものすごい行列ができていたので、パスして、市場を後に。運転は妻。街道沿いの定食屋で昼食。日本海側を回り線路沿いを走り、「広域農道」という、有料道路かというくらいよく整備された近道を通って、途中でハナッコリーを摘んで、目的地俵山温泉へと南下。途中、あられのような雪の中、無事宿へ到着。

いやぁー、昭和ロマンという感じの温泉街ですな。

旅館に内湯はなく、宿泊客・湯治客も日帰りの客もみな外湯へ。かけ流しで、湯温は41℃とあまり高くないので、私でも20分くらい連続して浸かっていられます。湯上がりで、ふく三昧。寓話か何かにあった、カエルのお母さんのようなお腹になりました(破裂はしなかったけど…)。

朝風呂は、もう一つの外湯に出かけて泉質の違いを体感…って、温度以外の違いはあまりよく分かりませんでした。でも気持ちも身体もリフレッシュできたのは確か。宿の娘さん(お孫さん?)も気を遣っていただいてありがとうございました。三猿まんじゅうも食べました。今度来るなら、年越しで泊まってもいいかも。

宿を発ち、青海島から萩まで。萩で城下町などを見ていたところで、ものすごい雪に。買い物もそそくさと済ませ、早めに帰路へ。途中、道の駅などで食材を買い足し帰宅。

山口以前も、来てからも、週末は本業、そうでないときは正業の大会や講習会・研究会の講師で埋まっていたので、ゆっくりした休日というのは久しぶりかもしれません。

結局、妻の運転の方が長かったので、労いにはなりませんでしたが…。

公立から私立、専任から非常勤と21年間教師として過ごした東京を3月に離れ、山口に赴き、自分の「本業での夢」を漕ぎ出したこの1年。「英語教育はもういいだろう」、と思って引いた大きな選択肢だったわけですが、多くの人に支えられ、励まされ、正業でも依然として、というか以前にも増して私を必要として下さったことに対して御礼申し上げます。

特に、ライティング関連では、いくつかのイベントや研究会の講師を仰せつかったわけですが、私の肩書きや勤務校のネームバリューではなく、これまでの実践、教材やシラバスを評価して頂き、それらが基づく理念・哲学のようなものを理解して下さったことにあらためて感謝します。

年明け早々に、このブログも10万アクセスを突破する模様です。書き始めたのが、2004年の10月ですが、カウンター設置が昨年(2006年) の8月末ですので、実際はもっと多くの方が足を運んで下さったと思います。感謝の意味も込めて、10万キリ番をゲットされた方には、このブログならでは、私ならではのプレゼントをお送りします。(これだけ、「ならでは」を繰り返しているとはいっても「寺田本家の奈良漬け」ではありませんのでご安心を!)このブログの感想と一緒にご報告下さい。プロフィール欄よりメールを下さるか、このブログのコメント欄に書き込みを願います。

いよいよ2007年もカウントダウンへ。

今晩のTVの目玉は、桜庭対船木か?

放送開始は6時だけれど、相変わらずいつどの試合が放送されるのかが全くわからない。このじれったさも含めての格闘技番組なのだな。格闘技番組を楽しめる、というのもある意味平和な国に生きているということか。

今回の温泉宿には、アーサー・ビナードの新刊対訳詩集を読もうと思って持っていったのだが、ほとんど読めずに帰ってきた。で、自宅で落ち着いて頁を繰る。

石原吉郎の作品では『世界がほろびる日に』がとりあげられている。最後の、

  • 電気釜は/八時に仕掛けておけ

の部分が、

  • Set the timer on your rice cooker/ for 8:00 a.m.

と訳されていた。

動詞set、前置詞onとforのコロケーション。日本語では、「朝ご飯」とも「午前」とも示されていないのに、自然に補われるa.m.など、この一行に語彙・語法・文化の翻訳の点で学ぶべきことが凝縮している、などというのは野暮というもの。

ご飯を炊いておくことというroutineに前向きな「生(せい)」の宣言を込める、ギリギリのところで張りつめているからこそ持ち堪える気構えに学びたい。そういえば、邯鄲の夢、の故事でも、人生の栄枯盛衰の儚さを伝えるための物差しが、ご飯が炊けるまでの時間だったなぁ…。


年越しそばを平らげて、あとは今年の終わりを見届けるのみ。

年賀のご挨拶は遠慮させてもらうのだが、お屠蘇の用意くらいはしておこうと思う。

本日のBGM: Dinner With Delores ( the Artist Formerly Known As Prince)

tmrowingtmrowing 2007/12/31 23:44 カウンターに関しては、プロバイダーによって、リロードも全て1カウントになるところがありますが、リロードでのカウント数ではなく、アクセスして、記事を読んでの回数でお願いしたいと思います。あくまでも運だめし。あたればしめたもの。そう、ここでこそ「はずれくじ10枚理論」です。

2007-12-29 Exhibition

冬期課外終了。

しつこく、復習での音読。スクリプトを見ながら2語遅れでリピートをやってから、スクリプト無しのシャドウイングにいく方が、重ね読みをしてからシャドウイングにいく方よりも出来がよい気がした。この辺りの手法に詳しい方、情報をお待ちしております。

復習が一段落したら、筆記編対策も兼ね、「カタカナ語」の発音とアクセント。

いつもは『グラセン英和』で「リスニングの極意」を書いたときに作った一覧(ボツも含む)をつかうのだが、今回は市販教材の「カタカナ語」の一覧を示し、教材としての詰めの甘さを指摘。

  • カタカナでの提示→日本語としての意味&発音・アクセント→英語の綴り字提示→英語としての(正しい)意味&発音・アクセント

というのが、まっとうな提示順だろう。exhibition と exhibit などでわかるように英語で名詞、形容詞はそのままの品詞で定着しやすいが、動詞はなかなか定着しないという傾向を示し、アクセントの位置、二重母音か短音か、派生語による発音・アクセントの相違という基準を示して、生徒自身に再整理させた。こういう部分は、一覧表よりも、むしろ1語ずつカードを作って、まとめ直すのが有効なところだろう。「略し方」という観点が漏れていたのに気づいたので、休み明けに少し扱っておこうと思う。

さらに、グラフ問題を追加し数量表現・増減の表現・比較表現の徹底。空港や駅でのアナウンス問題で〆。冬休み中は、時間のかかるモノローグを徹底しておいてくれればいい。対話文の問題は、会話の決まり文句がわからないとできないものもあるので、休み明けまでに対面リピート用の例文集でも作るか。『グラセン英和』の初版で作った日常会話の例文集はCDがついていたはずなので、まずは選び出しの作業からだな。

心配していたセンター読解用教材は、なんと一字違いのF先生のところに届いていたのだった。これで、冬休みも充分な練習ができる環境は整った。

午後はエルゴ。人数が揃わず、締まりのない漕ぎ納め。

帰宅後、大掃除の手伝い(あるいは足手纏い)。窓ガラスをきれいに、きれいに…。

今日も早い時間からフィギュアの放送なので、手っ取り早く夕飯を済ます。

ジュニアの代表となった、水津選手の演技はとても良かったと思う。この選手は安藤選手にinspireされているのだろうか?『エースをねらえ!』とか『愛のアランフェス』とかの世界なのかね?

  • 目指す頂は高ければ高いほどいい(by 宗方仁(たぶん…))

古いね、私も。

圧巻はなんといっても高橋選手だろう。

いくら「魅せる」競技とはいえ、この高みに多くの選手を送り出すために、どれほどの人が動き、繋がり、支えてきたのか?本業の世界と比べて眩暈がしそうなのは、私が acrophobiaなせいだけではあるまい。

明日から4日まで冬期休業。時間を作って、原稿書きに勤しみます。時間があれば、ブログも更新します。今年6月に父が亡くなったので年賀のご挨拶は遠慮させて頂きます。

  • 英訳は詩を外国へ旅立たせる交通手段になると同時に、日本の読者のためのもうひとつの入り口にもなる。もし過去が一種の外国なら、外国語を通して日本の名詩に分け入ることは、ちっとも不自然ではない。えらい遠回りに思われるだろうが、詩歌の場合は特急や直行便など必要なく、読みの速さより深さが肝心だ。(「過去という名の外国」、アーサー・ビナード著『日本の名詩、英語でおどる』より)

ゆっくりと詩を味わう、ゆっくり歳を味わう

そんな年末年始になれば…。

本日のBGM: 悲しきめまい(Carnation)

2007-12-28 ”Who’s going to save you now?”

夜半から雨。湖に恵みを。

高3の冬期課外は、進路が決まった者も含めて、センター前特講。

事前に頼んでいたテキストが届いておらず、仕方なく、コピーで急場を凌ぐ。

センター過去問の読解問題にCD音源がついているものなので、リスニングで口パクから。重ね読み。個々の音声、アクセントの位置、リズムを確認するために聴くだけで一回。そこから、ペアでの背中合わせ一人一文読み。再度重ね読みと個人でbuzz。2語遅れでテキストを見ながらリピーティング。最後はテキストを見ずにシャドウイング。100語程度のピースは楽だが、200語近いと集中力と持久力の両方が必要。計2題を使って、練習の仕方を徹底。読解用のピースで楽にできれば、リスニング最後のやや長めのモノローグも簡単に感じるでしょう。自分一人でもできるように仕込んで冬休みを迎えてもらおうという狙い。

ウォーミングアップが済んだところで、リスニング用の練習問題へ。グラフ問題。答え合わせの後、スクリプトを見ながら音読。シャドウイングまで。本日はこれにて終了。

昼前に郵便局で古書店の書籍代を振込。一端家に戻り、妻の手伝い。昼ご飯はうどんで済ます。

午後からは本業の練習でエルゴ。

高強度UTのカテゴリーで12km。SRは20/22/20/22で、4km+2km+4km+2kという配分。中盤から、設定スピードを指定レートでキープできなくなってくるが、そこがこの練習の狙いなので、頑張って下さいな。このメニューだとアップ込みでも90分程度で終わるので、日が暮れる前には学校を出られるのが幸い。明日も同じメニューで漕ぎ納めの予定。

その後、タイヤをスタッドレスに替えて年末の天候の変化に備える。

帰宅すると、ポストには広島大附属福山中高の山岡大基先生に送ってもらった、ライティング指導の実践報告資料。

  • いきなり書かせないライティング指導 ---視写と書き換えの活用

今、ライティング指導・実践で一番気になる存在。レジメ&ワークシート集。工藤洋路先生の「sentence level でのopen-endedな活動」もきちんと取り込んでいるようだ。この休み中にじっくりと消化吸収したい。

夕方には、頼んでいた『英詩・選釈 ゴールデン・トレジャリー』(吉竹迪夫著、培風館、1956年)が届く。初版にしては、まあまあのコンディションだな、と思って中を見ると、「出来蔵書」の朱印。まさかね。

今日は、全日本フィギュアのフリーが早い時間から始まるので夕飯を我慢し、演技に一喜一憂しながらTV画面の前をウロウロ。第2グループでは武田の出来が良かった。大きく育つことを期待したい(もう身長は伸びないだろうけど)。

最終グループは、滑走順で明暗。妻の言葉で気づいたのだが、「新世代」と「旧世代」の明暗なのかもしれない。

浅田真央に失敗込みの演技であの得点を出されては、後から滑る者たちは為す術なしでしょう。そんな空気の中、中野由加里はSPの不振を振り払うかのように勇気ある3アクセルから。今シーズン最も気持ちの乗った演技でした。パチパチ。表彰台と世界選手権の切符を勝ち取りました。

モロゾフマジックの炸裂で逆転の期待がかかる安藤は、出だしの3回転のシリーズから安定していたが、ステップでの上半身の使い方などは今ひとつに思えた。しかしながら、プレッシャーのかかる最終滑走で大きなミスをしないところは流石。200点越えで2位。中野と20点の開きは果てしなく大きな断絶という気もする。副音声で良いから、3フリップの解説を誰かしてくれないかな…。

明日は、メダリストの競演。

遅い夕飯は、私のリクエストでスキヤキに。うどんで〆のつもりだったが、その前に満腹。

明日の講習用に語法の確認。センター用の「まとめ本」の市販教材で気になる解説が見られたので、愚ぐったり、入れ句ったりしてました。

副詞の語法で、yetやalmostの解説ってどうしてあんなに分かりにくいのか? yetって疑問文では「もう」で、否定文では「まだ」なの?(ところで、今流行のコアミーニングではこういう語はどう扱っているのだろうか?基本動詞と前置詞とsome/ anyだけしか説明しないのではあるまいて。)

また、大学入試レベルでalmostを解説するなら、数量表現だけではなく、almost finishedとか、 almost deadなどが分かるようにして欲しいものだ。その上で、barely aliveとか、nearly humanとか、実例を捌くのが腕の見せ所だろう。じゃあ、お前はどうしているのだ、と聞かれれば、私はとりあえず、実例を挙げた上で、「almostはそれが修飾するものを100%または0%の基準とみなして、それに近いことを強調する」という説明を与えている。頻度とか、パターンとか、よりもまずは意味でしょう。田島伸悟氏ではないが、一般の学習者で辞書や参考書を引いて「機能に感動する」人はいないだろうから。そこを押さえておいて、意味の共通項を探り当てたりえぐり出したり浮かび上がらせたりするのが、コアミーニングの効き目なのでは?

少し話が逸れたが、助動詞の慣用表現で、 cannot … too を扱う必然性はあるのか?

入試に出るから、という点で譲歩しても、未だに “cannot thank you enough = cannot thank you too much” というのはいかがなものか。河上道生氏の『英語参考書の誤りを正す』(大修館書店)、『教師のためのロイヤル英文法』(旺文社)などで該当箇所を繙けば、問題の所在が分かろうというものだ。

他にも、may (might) as well など本来実例と解説が不可欠なところが全く持って舌足らず。学習用の文法書である、杉山忠一氏の『英文法詳解』(学研)の該当箇所で勉強すべし。

関係代名詞と関係副詞の識別に、関係詞の後に「完全な」節と「不完全な」節という基準を当てはめるのはちょっと首肯できない。『和英大辞典』(研究社)より例を引く。

  • Her mind went back to the day when she first saw him. (彼女の思いは初めて彼に会った日に帰っていった)

という文で、when以下が「完全な」節、文として成り立っているのだとしたら、もし、この文意で次の文だったらどう説明するのか?

Her mind went back to the day on which she first saw him.

<前置詞+名詞>という「句」が副詞の働きをする、という基本を押さえて、実例を吟味することこそが必要だろう。

多分、センターを間近に控えたこの時期に売れる本なのだろうけれど、私がこれまで教えてきたような一般の生徒には勧められない。最も困るのが、「さくいん」がないこと。「え、これって○○じゃなかったっけ?」「このあいだ、XXって出てきたけど…」という混乱を収拾して、知識の整理に活用すべき「まとめ本」なのに…。

文法と語彙が英語学習に限らず、語学学習の基本であり、王道であることには異論はない。しかしながら、「文法と語彙はちゃんとやっといてね」などと言われてできるものでもあるまい。その「ちゃんとやる」という部分でこそ現場は悩んでいるのだから。生徒に文法を理解させ身につけさせる、ということにどれだけ現場の中高の教師が苦労しているのか、こういう教材を見るとその温度差を痛感する。

本日のBGM: Francesca (Richard Thompson)

倫太郎倫太郎 2007/12/31 08:33 生徒の中には、「ちゃんと」ということが分かっていない生徒が少なくないのですから、何が「ちゃんとか」という学習スキルをどう伝えるかが悩みなんですよね。そんな生徒が過半数はいるのでは?
話は少しそれますが、この視点が欠如してはいけないのに、その視点を取り入れようとすると、生徒指導的な問題が最初に話題に出てしまうところが、辛いところです。現場が突き破らなければいけない課題です。

tmrowingtmrowing 2007/12/31 16:29 倫太郎さん、コメント深謝。
たいていの場合、「ちゃんとやっておけ」という先生の指導は、リスト網羅型になりがちで、そのリストをいかに体系的に精選するか、いかに無駄なく導入するか、というところに命をかける、という印象があります。私が普段からいうように、「その体系を、教師であるあなたが身につけたのは本当に高校2年生の時ですか?」、「精選する際にそぎ落とした、ふるいにかけた項目があったおかげで、その大事な核が残ってくれたのではなかったのですか?」、「本当にその順番で文法は身についたのですか?3歩進んで2歩下がったり、『ラブストーリーは突然に』のように、どこかでAHA!が来ることはなかったのですか?」と自問自答することが、「指導力に自信がある」と思っている教師にこそ求められるのだと思います。
リストの列挙ではなく、活動の行きつ戻りつ、tried and true な方法論を作れるような教師の現場でのwisdomの連携に役に立ちたいと思っています。

2007-12-27 ♪わ〜かめ、好き好きっ!♪

「書評空間」の阿部先生、今回は大江健三郎。先日、「苦手」と言った私に、「こういうところ、苦手でしょ?」と応えてくれたかのような記事。脱帽。同じ世代に、こんな知性の持ち主がいることを素直に喜びたい。

本業は年内最終乗艇。2か月近く練習していなかったために合宿も散々だった「後から来たの」を昨日のエルゴを休んだエースキラーと2Xに乗せドリルを一通り。センスは良いのだが、体幹が弱い。昨日、エルゴでも6000mのトライアルをしたものの低調な記録に終わったエースは1Xで腕漕ぎから。腕漕ぎ2本+フル1本を経て、メインメニューへ。今日は疲れたでしょう。明日明後日とエルゴです。漕ぎ納めたくない人は、持って帰っていいですからね。

冬期課外の教材研究の合間に、斎藤兆史著『翻訳の作法』(東京大学出版会、2007年)を読んでいる。センター試験に使われる文章とのあまりの違いに、「ビックリだよっ!」と叫びたい気分なのだが、「18. 英語の中の日本」の一節で、北海道の「床の間」と「仏壇」のある部屋で客をもてなすことの違和感に言及していて、私もびっくりした。実家は、床の間に仏壇があったし、東京でも、こちらでもアパートや賃貸のマンション住まいだったので、じっくり床の間を観察してはこなかったが、普通の日本家屋では仏壇は床の間にないものなのか。不覚。

この章では、カズオ・イシグロを題材にしているので、飛田茂雄氏の訳文と翻訳の姿勢が引かれている。高校生の頃から『翻訳の世界』の飛田氏の課題の回はいつも楽しみだった。確かに「石黒和男」だったら、イメージ変わるでしょうね。今、名前を入力し変換した私自身、即、「石立鉄男」を思い浮かべましたから。

Activity 12 で、『灯台へ』(Virginia Woolf)を扱っている。Exercise10でも取り上げられており、良いところを課題にするなぁ、と思ったのだが、斎藤氏の前振りのあまりの丁寧さに、「今は読まれない作品なのかなぁ…」と複雑な心境。Exercise 19ではイブリン・ウォー(Evelyn Waugh)の『ブライズヘッド再訪』のエピローグが使われている。この課題の訳文の処理と言うよりも、文芸翻訳のテキストにおけるWaughの扱いに関してはferrierさんのコメントを聞きたいものだ。

高校の英語教師としては、「12. 精読する」でのActivity 14辺りで内省を深めるといったところか。精読にあたる用語がintensive readingではなく、 close readingとなっていることから、あらためて目次を眺めていてちょっと気になったことを最後に。

目次にある全24章の各章のタイトルと英語訳を眺めてみると、いろいろな発見があるだろうと思う。たとえば、

  • 1. 文脈を理解する Understanding Contexts では、動名詞。
  • 8. 構文を分析する Analysis of Sentence Structures では、動作・行為を表す名詞。
  • 14. 文学的素養を身につける  Knowledge of Literature では?

日本語の文末処理は「〜すること」とはなっていないし、「文脈の理解」「構文の分析」ともなっていない。これが、もし「〜せよ」だと変わるのは印象だけ?内容や意図は?

そんなことまで含めて、「文芸翻訳入門編」とはいえ、奥行き「感」のある一冊。

年末年始の読書に、

アーサー・ビナード『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房、2007年)

を入手。全てビナード氏による英訳である。

翻訳を語るなら、こちらの側からも歩みを進めなければ、ね。

詩人でもあり、翻訳家でもある岩田宏の作品もビナード氏によって英語に訳されていて、興味を持ってページを繰ったのだが、その左頁にある竹内浩三の解説 (p.60) で立ち止まる。「けれど」という接続助詞にまつわる一文。これだけでエッセイとしてのクオリティが高い。

この本は急がずじっくりと読みたいものだ。もっとも、急いで読んだとしても、何回も読むことになる本なのだけれど。

本日のBGM: デモ ケド ノニ (TOMOVSKY)

2007-12-26 「出直しライティング塾」

『英語ニューハンドブック(新訂新版)』(長井氏政編、萩原恭平改訂、研究社、1967年)より抜粋。

  • 学生の中には英作文とはすなわち和文英訳のことだと考えている人が多い。それならば、英作文とはなんのことなのであろうか。わが国で英作文という場合には主として和文英訳の形式を通して行われるからである。/しかし、真の意味における和文英訳というものは、英語の達人の場合だけにできる高等技術なのである。しかし学生諸君の場合には、むしろ与えられた日本文の内容だけを英語の習慣にかなった言い回しで、すなわち英語の考え方に置き換えてみて、それから英語で表現するという習慣を養うことが大切である。/自分の使いこなせるだけの英語を使って楽に自分の思うことが言い表せるようになって、はじめてじょうずな和文英訳を心がけるべきなのである。(「英作文と和文英訳」)
  • 英作文の根底となるものは、(1) まず英文の構造に通じていること、(2) 次に単語を豊富にもち、語句の運用になれていることなどがあげられる。このうち、第1要素は英文法の教えるところによるのであるが、第2要素の単語の蓄積は主として英作文眼による平素の多読と精読によるものが多い。(「英作文の根底」)

『和文英訳の修業(四訂新版)』(佐々木高政著、文建書房、1981年)より抜粋。

  • 和文英訳について大学受験に必要な最小限度の知識と技術を伝授するということを唯一の目標としないで、もっと広い見地に立ち、読者に英語的なものの考え方を身につけてもらいなんとか達意の英文が書けるようになっていただくために内容に考慮を払った(「はしがき」)

『新研究 英作文』(長谷川潔著、旺文社、1979年)より抜粋。

  • なんといっても英語は外国語である。したがって英作文、とくに和文英訳では、日本語と英語の共通した点、ちがった点を知ることが大切である。そこで、まずは英作文の誤りの原因となる日本語と英語の相違をはっきりと区別して、いわゆる「くだけた日本文」を英語らしい英語に訳すためのコツを、全体的に詳しく説明し、暗記用例文も数多くあげておいた。(「はしがき」)

『ルール48 英作文の解法』(金子稔著、洛陽社、1979年)より抜粋。

  • 一見するとつまらないほどの細かな点について正確な知識が要求されます。このように正確な知識が要求されるのですから、英作文に絶えず関心を持ち、練習を重ねていると、知らず知らずの間に正確な知識が身についてくるということになります。これは長年にわたる持論なのですが、英作文ができる人が本当の意味で英語ができる人なのです。英語全般の力を高めるためにも英作文の勉強にはげんでいただきたいと思います。(「はじめに」)

『ハイベーシック英作文』(倉谷直臣著、研究社、1993年)

  • 日本的発想を客観的に分析できない人、逆に英語ではこう言うんだから覚えるしかないと初めからあきらめてかかる人、どちらも英作文の上達が望めない人と言えます。日本人が作った辞書や参考書よりも、生身のネイティブが、こんな時どんな表現を持ってくるかを、謙虚に考え、取捨選択していくバランス感覚、これがなんといっても肝腎です。(中略)日本語に盛られた内容を過不足なく英語で表現しようというのですから、ネイティブが荒っぽく捨ててしまう部分にストップをかけ、ネイティブが余計なものを加えようとするときにチェックを加える、その過程が必要です。(「まえがきにかえて」)

『大学入試英作文辞典』(木村哲也他編著、SEG出版、1995年)

  • 日本人が英訳を行うと、どうしても原文の日本語表現にとらわれてしまい、単語レベルでの対応を求めがちです。その結果、文法的にはどこも間違っていないけど、ネイティブならあまりそういう表現は使わない、といった不自然さが残ってしまう場合が往々にしてあります。/ネイティブ・スピーカーに容認される、誤りのない英訳を示すことが編集の大きな目標ですが、「正確な英語」にとどまらない、「英語らしい英語」の例文という点も本書の大きな特色です。/そこで本書では、日本人が英訳した文章をたんに「ネイティブ・チェック」したのではなく、ネイティブ・スピーカーの観点から表現した例文を収録しました。
  • 単純な短い文では誰が英訳してもあまり顕著な違いは生じませんが、長い文章となると、日本人には想像もつかない様な表現の差があらわれます。(「はじめに」)

『使える英語へ 学校英語からの再出発』(ケリー伊藤著、研究社、1995年)より抜粋。

  • 日本の学校教育では英文和訳、あるいは和文英訳ということをやっているようですが、この方法自体は悪いことではありません。母語の体系がすでにでき上がってしまった中学生からの英語教育に、その母語である日本語を媒介として教えること自体は、私は理にかなっていると思います。(中略)ただ、それを行う視点が間違っているのです。(中略)日本語と英語の一対一対応ではなく、ideaとしてとらえて学習することです。つまりある一つのideaがある時、単語単位ではなく、ideaを中心として「日本語ではこう言うが、英語ではこう言う」という対比学習をするのです。(「はしがき」)

『英作文要覧』(安井稔、角谷裕子著、開拓社、1998年)より抜粋。

  • しかしながら、そもそも、英作文の本というものをどうして書くことが可能なのであろうか、という疑念を持つ人も少なくないのではないかと思われる。その疑念は、長いこと筆者たち自身のものでもあった。英作文には、哲学がないのである。英作文の参考書というのは、それを組み立ててゆくべきわく組もなければ、原理もない。この考え方には、現在でもかなりの説得力があると思われる。
  • しかしながら、英作文の世界は本当に無定形、無秩序な、整理の余地は、いっさい残されていないものなのであろうか。そうではあるまい。(中略)英作文というのは、ものを表現する際における、最も骨太のわく組に基づいて組み立ててゆけばよいことになる。(「はしがき」)

『英語で日本語を考える』(片岡義男著、フリースタイル、2000年)より抜粋。

  • この本の材料である百とおりのひと言はすべて、音声によるひと言として想定してある。だから僕は、英語の言いかたとか、英語で言うときにはなど、言うという言葉で全編をとおしている。本来ならこれは言うではなく、英語で書くには、あるいは、英語による表現のしかたを作るには、としたいと僕は思う。/なぜなら、外国語として英語を学ぶにあたって、もっとも重要なのは、そして最後まであらゆる意味でもっとも有効なのは、英文をきちんと作っていく能力、つまり簡単に言うと書く能力であるからだ。(中略)学習して身につけることに意味があるのは、高度な英語能力だけだろう。ある程度にまで高度でないことには、たとえ誰となにについて喋っても、馬鹿馬鹿しいだけではないか。/そのような英語能力の習得に向けて勉強していくとき、すべての基本となるべき最重要なものは、日本語の能力だ。およそなにを理解するにしても、その理解は、自分の日本語能力によって培われた頭の中で、なされるのだから。/英語らしい言いかたの中で実現される、英語という言葉の機能のしかたを、自分の日本語能力と不可分なひとつのものとして、習得しなくてはいけない。(「まえがき」)

長々と種々の書籍から引用したのは、ある新刊書に次のような一節を見つけたからである。

  • ここでは自由英作文の本質について触れておきます。わたしたち3人は共に予備校の模擬試験を出題する側であり、解説を書き採点基準を作る側でもあります。そのような仕事を通してわかったことは、和文英訳の得意な生徒は自由英作文も書きこなし、高得点をとっているということです。今日、和文英訳ができる人で自由英作文が書けない人はほとんど皆無です。自由英作文の出題自体が稀であった頃は、そのような人が存在していたのは事実ですが、今日のように自由英作文の出題が一般化し各大学の傾向が定着している状況では、書く上でのルールを知り、類題をきちんとこなしていれば、全く心配はいりません。結論を言えば、自由英作文も和文英訳も同じ英作文だということです。

『全解説頻出英作文完全対策』(瓜生豊、早崎由洋編著、早崎スザンヌ監修・英文校閲、桐原書店、2007年)

よりの抜粋である。

いよいよ日本の大学入試の和文英訳も自由英作文もそのレベルまで達したのか、と、内容を吟味してみて首を傾げた。ここで著者が力説する「自由英作文の本質」が、次に示す解答例の英文のどこに現れているか、よく眺めて欲しい。

  • I agree that it is not necessary to teach English in elementary school. This is because I do not think that it is necessary for Japanese students to learn English. Most people living in Japan will never need to use English in their daily lives, so it is much more important to focus on essential subjects like Japanese and math. (以下略、上掲書、p. 204より抜粋)

この第2文が出てきた時点で「出直しライティング塾(?)」だろう。このあと、ダラダラと主題に絡まない英文の羅列である。<主題の表明(=賛否の明示による意見の表明)+事実での支持・論証+表現の言い換えによる再主張・再強調>というpersuasive writing/ argumentationの型にも収まっていない。入試問題に明るい方にはおわかりのように、これは今春の神戸大の出題(過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070728)に対する解答例である。

一つ一つの英文には文法的な誤り、語法上の誤りはない。しかしながら、これは英語の意見文にもなりきれていないだけでなく、課題として与えられた筆者の意見に対する賛否の表明にもなりきれていない。筆者らはどこを取り上げて「全く心配ない」と喝破できるのだろうか。英文の校閲にネイティブスピーカが携わっているようなのだが、この英文をどのように評価しているのかをじっくりと聞いてみたい。この本の著者が言うように、「和文英訳ができる生徒が自由英作文も書きこなし」ている実例が、ここにあげられた解答例だというのであれば、監修・校閲も含めた著者チームは、その自由英作文で解答として求めている英文をその程度のものだとしか認識していないということである。

英作文やライティングに携わっている方は、是非次の一節と比較されたし。

  • 英作文の練習に和文英訳をひどくきらう人があるが、その理由はまことにもっともなことである。すなわち和文を英訳するとなると、とかく原文にこだわって、それを直訳しないと物足りないように考える。(中略)だから和文英訳というような練習をせず、むしろ自由作文(free composition) として、題を出して、その題意内容などを説明して、最初から英文で書かせる方が、あまり苦しまずにかえってすらすらとした英語らしい文が書けるというのである。/これはまことにその通りである。しかし、初歩の間はなかなかそれは望めないし、また、相当上級になっても、教授上の都合から自由作文ということは困難がともなうので、高等学校、大学を通じて、英作文といえば大体、和文英訳をやっているのである。しかしまた、和文英訳ということも、これを巧みに活用すれば、これにより和文と英文との相違点を明らかにさせて、原文に対して、つかず離れず忠実で、しかも立派に生きた英文を作る練習としてきわめて有効なものであり、また実際上非常に必要な練習でもある。/しかし、何といっても和文英訳は英作文上の数多くの方法中の一つに過ぎないのであるから、英作文=和文英訳というように誤解してはならない。和文英訳さえやっていれば、それで英作文に上達するものと早合点をしてはならない。(「和文英訳と英作文」、『英語研究者のために』(田中菊雄著、講談社学術文庫収録、1992年))

本日のBGM: Look Around (Roger Nichols & the Small Circle of Friends / Full Circle, 2007)

tmrowingtmrowing 2007/12/27 08:23 引用追加。

自由堂自由堂 2007/12/27 14:25 現在生徒と一緒に英作文に取り組んでいます。自分もまだ英作文においては学習者と言った方が良いようなレベルです。今日書かれた英作文についての文章はとてもためになりました。このうちにいくつかは所有していますが,さっと読み飛ばしていたものでした。

日本語をじっくり読み模範解答の英文と比べるといろいろ感じます。読解の感覚で見ているところもあり,自分の中の英文を見る感覚が単一では無くなってきているのが興味深いところです。

これからも勉強のため拝読させて頂きます。ありがとうございました。

tmrowingtmrowing 2007/12/27 18:36 自由堂さん、コメントありがとうございます。
私も専門がライティングといっている割には英語のライティング力は貧弱です。ただ、自分の言葉は育てて、鍛えて、豊かにして、楽しみたいと思っており、それにはライティング(作文)が極めて有効だと実感しています。これは、実作と指導・評価の両面で、ということです。長井氏のいう「英作文眼」、金子氏のいう「英作文的読書」を呑み込んだ精読こそが、骨太の英語力を築くのだと思っております。
今後ともコメントよろしくお願いします。

2007-12-25 Father Christmas

年内最後の県の合宿が終了。

初日は朝、ホテルまでOコーチを迎えに。私の運転で湖まで。

こっちの湖はまだまだ豊かな水位で羨ましい。

初日は簡単なミーティングを経て、ホームグラウンドのチームは乗艇、乗り込んできたチームはリギングから。

クリスマスということで(?)いつも以上に熱心に指導してくれたOコーチに感謝。今回も、指導のスキルだけではなく、理念・哲学のレベルでも大きく揺すぶられた。(でも艇は揺らしちゃダメ!)

「速さと、大きな力を、正確に」発揮するためのリラックス。特に「正確に」というところに今回は納得。エントリーの局面での身体の反応・ダイナミズムに関しては、古武術の甲野先生の話を聞いているかのような錯覚を覚えた。(でも眠くはなりません!)

エルゴを用いてのサスペンションドリルはどのコーチもやったことがあるだろう。ポジションを確認し予備動作無しでON! という例のヤツである。しかしながら、そのドリルをリラックスのために使うという発想が自分にはなかった。衝撃的です。私も含めコーチというものは「ドライブでの加速の弛み」のを嫌うのだが、「弛ませたくない」から、予備動作無しとはいえポジションを決めたらガチッとロックされた状態でドライブさせることになる。ところがこのロックが肩や背中の緊張を生むと大きな出力を出せず(もしコアから出力できたとしても伝えきれず)、結果として「加速が弛む」ことになる。逆説的だが、リカバリーで弛ませておいても、すぐ繋がり続けられるくらい、Onに変わる際の下半身の反応速度を上げ、体幹を強く使う、ということだ。自分でやると、ドライブに入るところでピタっと決まった瞬間から体幹がミシミシいうのがよく分かる。

乗艇練習では、他校の選手が一人だけ、延々と腕漕ぎをしていたのだが、その際の「力の拮抗」に関する指示が素晴らしかった。「これができるまで先に行かないぞ」、とでもいうように愚直に課題をこなす選手も選手。おかげで腕漕ぎの何たるかを知る。ありがとう!その選手が艇から上がってきたのを見たら、手の甲が真っ赤だったけど…。

二日目は、基本中の基本。「レーンのセンターを直進」「ラインを引く」。身体の使い方をあれこれ指示しなくても、このテーマに集中するだけで劇的な進化を遂げる選手を目の当たりにするとこの本業の世界は止められませんね。

二日間の練習を締めくくるのは6000mのTT。うちの選手は初。現時点での力量は見られたかな、というところ。

明日からまた、地道にトレーニングです。年内は29日まで。年明けは5日から。その間は自主トレなので、エルゴを自宅に持って帰っても構いませんから。

途中、穴場のセルフで給油し帰路へ。こんな値段で大丈夫なのか?

帰宅して、原稿の整理。

調べものがあり、『クラウン受験英語辞典』(三省堂、2000年)と『実戦英単語活用事典』(英教、1981年)との引き比べ。収録語数の差は大きいが、20年を経ての大学入試問題の実態を間接的に比較しているようなものだ。辞書の記述が気になりだし、田島伸悟著『英語名人河村重治郎・新版』(三省堂、1994年)、田中菊雄著『英語研究者のために』(講談社学術文庫、1992年)と泥沼。この行動パターンは現実の課題を避け、自分の居心地のいいところに逃げてきたといったところだろう。警戒警戒。

karisimaさんから、携帯にメール。絵文字もないのに文面が嬉しそうに見えた。「イカソーメン」を授業で試してみて、生徒の反応がよかったとのこと。

  • 日本中の学校でイカソーメンがされたら、楽しいと思います!

タスクの何たるかを知っている人にこう評されるのは嬉しいものだ。もっとも、私のアイデアの部分は、はさみをその場で入れるというところだけなのだが…。

夕飯は、ここに来て円熟のカレー。唐揚げは水菜とクレソンでいただく。肉豆腐はお酒が欲しくなる位美味。でも封を切るのは我慢。原稿を書いてから。「後でね、後でね」(by 清水かつぞー)

本日のBGM: When you finally gonna come through (Jules Shear)

2007-12-22 寺田寅彦のへその緒

マヨネーズが苦手だ。

学生時代、1年間で約10か月、計3年半と日常生活のほとんどを合宿所で過ごしたわけだが、サラダにかけるマヨネーズがダメだった。主将になったときには、マヨネーズを使わないポテサラを作らせていたくらい。苦手なものを克服するのはストレスになる。

高いところが苦手だ。

高校の学校行事で何が困るといって、林間学校などでの登山。

東京にしばらく住んでいたが、東京タワーも登らないし、遊園地に行ってもすることがない。ディズニーランドは遠足の引率以外で行ったことがない。

行列が苦手だ。

行列してまで、食べたいものはほとんどない。週刊情報誌では、日本人の食文化にはカレーとラーメンと回転寿司と焼き肉しかないかのような特集を組むが、こういうものを放置しておいて学校で食育などというのは笑止。過去ログでも書いたが、「ファイト餃子」に並ぶんじゃない!買って自分の家で焼いて食え!

坂本龍一が苦手だ。

矢野顕子の音楽は聴くが坂本龍一の音楽は聴かない。細野晴臣はキッチュ、坂本龍一はアート、高橋幸宏はポップ。80年代前半、自分なりの物差しでYMOを計っていた。未だに聴いているのは、細野晴臣と幸宏。

ビジネス書が苦手だ。

書店で平積みされている、啓蒙書・啓発書の類も苦手。『週刊東洋経済』は読むけれど、『プレジデント』は?『プレジデントファミリー』のようなものは論外。

仕事を懸命にする人よりも、ビジネスモデルを売り物にする賢明な人が勝ち組に回る構図そのものが苦手だ。

真夏の太陽のように一点の曇りもない、屈託のない笑顔が苦手だ。

shyでawkwardなアメリカ人をいっぱい知っているだけに、「アメリカ人はYes/Noをハッキリ言う」とか「小さい頃からコミュニケーション能力を鍛えている」などという紋切り型のコミュニケーションスタイル評や類型化されたポジティブシンキングが鬱陶しい。

根が自虐的なので、冷蔵庫の灯りのような照度に惹かれる。吉本ばななは頼まれない限り読まないが、冷蔵庫の部分だけは共鳴した。そうそう自虐的といえば、業田良家(ごうだよしいえ)の『自虐の詩』、今再評価されているそうな。

小説家が出てきたついでに、村上春樹と大江健三郎の小説が苦手だ。

この人達の講演や対談とか批評は読み応えがあると思うのに。

読むといえば、一年に何度か、無性に寺田寅彦を読みたくなる。決まって読みたくなる随想があり、気がつくと同じ文庫が家から何冊も出て来たりする。大学の後輩のOと談笑していたときに、寺田寅彦の話題になり、

  • 赤ん坊って、へその緒を通じてしか、酸素を取り入れて来なかったということは、それまで口や鼻から肺を通じて呼吸をしてこなかったということなのに、なぜ、生まれてきてすぐに呼吸が出来るのか?

という議論になったことがある。Oがまだ学生の頃だから、もう、20年位前だろうか?

結論はよく覚えていないが、「根拠はないが前向きな自信の象徴」として「寺田寅彦のへその緒」というキーワードだけが残ったのであった。

自分にとってのポジティブな姿勢の証は「寺田寅彦のへその緒」くらいで丁度良い。

2学期の終業式も済み、名ばかりの冬休み。

高3はセンターに向け補講の嵐で毎日朝から晩までぎっしり入っているのかと思いきや、意外に思いやりのある時間割だった。いえ、生徒に対しての思いやりですよ。高3の担任と相談しテキストを発注した。教材の選定は生徒も教師も気になるところだろう。

  • 合格者の誰もが使っているが、使っている者が皆合格しているわけではない教材

には注意が必要だ。

単語集を例にとると、『ジーニアス』であれ、『ウィズダム』であれ、『レクシス』であれ、入試で問われる語義・語法が英和辞典に収録されていない、というケースはまずない。

イディオムや熟語と言われるようなものも同じだろう。

ではなぜ、単語集なのか?

類型を一覧で眺めたいのだろうか?

私自身、英語の学習で単語集を用いて英語の語彙が増えたという経験がないのだ。「だからお前の語彙力がそれだけ貧弱なのだ」というご批判は甘受する。リングで繋ぐカードの単語帳というものも作ったことがない。過去ログでも書いたと思うが、中学3年の12月くらいまでほとんど英語の勉強をしていなかったのだから無理もない。ひたすら洋楽を聴いていたくらいの英語との接点しかなかった。

語彙の整理の方法として定着したのは、読んだり(聴いたり)した英文の中から、気になる表現をタイプライターで打ち出すというもの。これは、高1から大学2年くらいまでず〜っと続けた。(これが『表現ノート』の原点でもある)

先日、浦島さんを訪問したときに、音楽関係の仕事もしている兄も一緒に話をしていたのだが、頷いてくれたのが、

  • 好きなアーチストでも、新人でもそうだけど、新しいアルバムを買って聴いてみて、そのうち、1曲でも、1フレーズでも、いいところがあれば、買って良かった、と思う世代なんですよ。

ということ。

「はずれくじ10枚理論」を強要するわけではないが、無駄打ちがあるからこそのアタリなのである。

教材で「精選モノ」を求める人は、言ってみれば、「究極のコンピレーション」とか「ベスト・オブ・ベスト盤」を求める人なのであろう。捨て曲があっては困るのである。

でも、ハズレの価値が分からずして、どうしてアタリの本当の価値が分かるのか?歌だって、サビだけで書けるものではあるまいて。

はずれくじを引きたがらない人、捨て曲があっては困る人が、結果勝ち組として社会の要所を押さえているのが日本の現状なのかと思うと、打ち拉がれてしまう。

土曜日は本業。

ようやくまとまった雨が降ったのは良いが、モーターに乗る方は大変。今日も2X。

午前は約15km。アップ2kmに続いて3分漕。当初6発やってからダウンで6kmの予定だったが、レストで体温が下がるのを避け4発にして、ダウンは高めの強度で9kmに変更。

昼はピザを挟んで大学のコーチと打ち合わせ。

午後は12km。SR20-22のキャッスル。ようやく練習になった。エースキラーは午後上がってきて開口一番。

  • 今日は充実していました。

などと吠えていたが、これが最低線。覚悟を決めなさい。

明日は晴れていたら1Xで強化合宿前の最終確認でもしようかと思うが、まあ、様子を見てからだな。

午後、大学生はエルゴメニュー作成の基礎データをとるということで、500m Maxと20分のスコアを記録していた模様。この後どうなりますか。

合宿に備え防寒具を見繕ってから帰宅。

夕飯はカレーうどんとクレソンなどハーブ入りのグリーンサラダ。当然、ドレッシングはマヨネーズではありません。

正月用に京都の津之喜に頼んでおいた地酒が届く。年内に封を切らないよう自制せねば。

某出版社編集部より、他の著者の初稿ゲラが送られてくる。年内に執筆にかからねば。

他の出版社の編集部から、編集会議の日程案が送られてくる。年明けに動けるよう、今抱えている仕事を終わらせねば。

Mコーチの見ている大学チームの年明けの練習日程がメールで届く。1月の連休を上手く使えば行けそうなので返信。

といろいろ見通しを立てても、明日のことは明日にならないと分からない。でも、明日になった時点でそれはもう今日なのだ。明日は来ることはないし、今日は二度と来ない。

  • 一曲目の「大寒町」は二十二年前に作った。この新録音で僕は歌も生ギターもやり直しをしていない。歌う前に「二度目はないぞ」と心に誓って、一度だけギターをかき鳴らし、歌った。まだまだやる気はあるようだ。このアルバムはベストアルバムではないけれど、ちょっと立ち止まった時に心の中を廻っていた曲達を集めたものだ。そして僕はこのアルバムを八年間にわたって拘ってくれた様々な人に捧げます。(『鈴木博文 1987-1994』より)

本日のBGM: 大寒町(鈴木博文)

2007-12-20 Anniversary

最近の日本の生徒・学生そして教師の多くが、

  • 問題集を何周する。
  • 教材をつぶす。

という表現を用いている。これが気になる。

私の、ライティング指導シラバス、否応なしに受験指導を呑み込み、それを超えたところにある授業シラバスを構築したいという衝動もこの違和感と根が同じかもしれない。

英語という教科に関していえば、どんなに優れた大学入試問題にも、解答がある(ことになっている)。それを集めたり元にしたりした教材を何周しようが、所詮、誰かが用意した答えをなぞるだけであり、出題者・作問者の意向を汲み取りそれにいかに近づくことができるかという「ニアピン」を競うゲームに参加しているわけである。

ライティングの実践を例にとると、予備校の先生(や「進学校」の先生もかな?)などは、

  1. 正確な構文の知識
  2. 文法の理解
  3. 語い力

が必要だ、と力説してくれる。そして、「高2の終わりまで、どんなに遅くとも高3の夏までには、この3つを全部終わらせよ!」などと発破をかける。がしかし、どうしたらこれら3つがマスターできるのかについては、あまり教えてくれない。とにかく、これが大事なのだから、と高1から高2くらいまでに『英語の構文XXX』とか『精選必修文法語法○○』など教材を指定されて、テストを繰り返したりしてひたすら覚えるという学習が主となる。とすれば、教材は「周回トラック」となるのも無理はない。ただ、誰かに精選してもらった知識をひな鳥よろしく口を開けて呑み込むことを学びだと思わない方がよい。学習者は心のどこかで、「他人が精選した教材ほど警戒すべきものはない」という意識を残しておいた方がよいのだ。

  • 学校の授業は本来、その前年までに習得しておくべき知識や技能が習得出来ていないところからスタートするものだ。

と思ったらどうなのだろうか?とにかく、全部やり終えてからライティングをスタートするのではなく、ライティングをやりながら全て身につけてもらうのである。かつ進み、かつ戻り、教師の敷いたレールを時々落ちたり、こっちが落とされたりしながら、一緒に授業を作って行く方がお互いに精神衛生上健全ではないのか?

  • 大学入試問題にいかに効率よく、効果的に解答するか

という最終目標を据えるのではなく、

  • もっと得体の知れない、出口がどこにあるのか、そもそもゴールを目指しているのかも怪しいような足取りの中で藻掻き苦しむ間に入試というハードルを既にクリアーしている

そんな取り組みが出来ないものか、と本気で思う。

今日は母の命日。

午後は年休を取って、普段平日に出来ない銀行窓口や郵便局巡り。

12月分の原稿のノルマを計算。少しだけ速いペースで進めておく。

北海道イベントで参加してくれていた私立のH高の先生から相談のメール。あの学校の先生が、こんなに悩んでいるとは思わなかったので、ちょっとびっくり。誠実で切実だからこその悩みなのだろう。

立命館大の山岡先生からメールが届く。送った資料が大学の授業で役に立ったようである。もし、私の実践が大学入試を最終目標にしていたら、その実践から大学生が学ぼうとは思ってくれないだろう。では、難関大学の学生が、中堅レベルといわれる公立高校での実践を下敷きにしたシラバスや実践例から何を学ぶのか?そんなことを、山岡先生と今度ゆっくりと語ってみたい。

さて、

中教審が「論文博士」の制度を廃止し「課程博士」に一本化しよう、という提言をすると報じられてからしばらく経つのだが、いつごろ実行に移されるのだろうか。日本では「博士」自体が何か特別なものであるらしい。最近も、公立校の教員採用の段階で「博士」を別枠で採ろうという自治体が現れた。全国学力テストで好成績を修め意気軒昂な秋田県である。自然科学系ならともかく、人文系であれば、小中高の教員の資質が学士と博士とに雲泥の差があるとはとても思えない。むしろ、教育現場での経験を積みながら、それと並行して学究の道を進める制度をこそ普及、保証すべきではないのか。

このニュースを聞いて、真っ先に思い浮かべたのが、G. スタイナー『言語と沈黙』(せりか書房、1971年)の一章。

「英国紳士の教化ために --- <<英文科>>はこれでいいか」(上、pp. 123 - 150)

原著の出版から40年。スタイナーは、今ではあまり誰も相手にしていないようなのだが、人文系の学問・研究に関するこんな一節がある。

  • 文学の場合、もともと博士論文のための学問的研究といえば、価値あるテキストを校訂することだったが、校訂するだけの価値あるテキストは、ますます少なくなってゆくし、明らかにすべき歴史的諸問題・専門的諸問題は、ますます内実のないものになってゆく。それにつれて論文作成全体が、ますます貧相なものになる。だいたい主題らしい主題を探すことさえ、すでに一苦労なのだ。多くの博士論文、とりわけ無難といわれる論文は重箱の隅をつつくような事柄を扱うか、恐ろしく狭い事柄だけを扱うから、論文を作成する学生当人が、自分のやっていることに敬意を払えなくなっている。

日本の現状はどうなっているだろうか?

  • 第一級の文学について何かきわめて新しいことをいえる者などはほとんどいないのだし、若いうちにそんなことができるという考えからして、ほとんど逆説的である。文学をやるには、文学とともに生き、文学によって生きることが、大いに必要なのである。

この「文学」のところを「教育」と置き換えて読んでみたらスタイナーに叱責されるだろうか。

  • あたりまえの日常生活をしながら読んでもよく、また世に教養人と自任するほどの人なら当然読んでいる小説・詩・戯曲---こういうものを人が読むとき、正確に言って、いったい何がおこり何がなされているのだろうか。

このあたりは、まだ誠実というか、ナイーブというか、単なる問題提起、と受け流すこともたやすい。が、次のような言葉が出てくると、反応に困る。

  • われわれが訓練や研究で具体的に行うことは書かれたテキストに意識を集中させることだ。この意識集中は実生活でのわれわれの倫理的反応の鋭さと迅速さを減退させてしまうことが、少なくともありうる。この訓練によって、想像上のもの・戯曲や小説のなかの登場人物・詩の中から把みとった精神状態のほうを心理的倫理的に信用してしまうようになっているために、現実の世界と一枚のものになること・現実経験の世界を心にとめることのほうがかえって難しくなりかねないのだ(中略)こうして、詩のなかの泣き叫ぶ声は、現実に外の往来で泣き叫ぶ声よりも、より大きな・ずっと火急の・ずっと現実味のある声に聞こえるようになりかねないのだ。小説のなかの死は、隣の部屋で起こった死よりも、ずっと力強くわれわれを感動させかねない。
  • 書かれた言葉に、遙かな昔のテキストの細部に、死んで久しい時の経つ詩人の生涯にうまりこむとき、うまりこんだわれわれの感情は、目前のなまなましい現実と必要にたいする感覚を鈍らせてしまうということ、このことは少なくともありうることであろう。(以上、由良君美訳)

現実と真理の鬩ぎ合い。

「人間が人間らしくある」ために、学問には何が出来るのか?学ぶということがどのように、われわれの人間性を豊かにするのか?

私の師匠は「大学で学ぶことは須く机上の空論で良い」と喝破した。「その論が何故、現場で窒息するのかを身をもって体験する」ことを私(たち弟子)に求めていたのだと思う。では、「教育学博士」は教室に何をもたらしてくれるだろうか?紋切り型ではないとはいえ「答え」を求めている時点で、すでに泥沼に嵌っているのかもしれない。問い続けることにこそ意味があるのだろう。

  • 本当の自分の現実はどこに?

かつて、高校に入ったばかりの頃、「こんなに充実した、日々の生活、やりがいのある自分の人生が、もし、誰かのフィクションだったら?」という主題で小説まがいのモノを書いていたことがある。その誰かのフィクションも、ロシアの人形よろしく、入れ子の中に入れ子…と続いていくことで、畏れのようなものを出したかったのだが、青かったなぁ。

  • <コトバの哲学>は、文学批評やアカデミックな文学研究が習い性となって忘れてしまっている、あの根底からの<驚き>をこめて、つぎの事実に回帰してゆくことになろう。すなわち、言語は人間というものを明確に限定する秘蹟であるという事実、言語においてこそ人間の正体と人間の歴史的な風貌が他に求めがたいほどくっきりと現れる、という事実に。(『言語と沈黙』上、はしがきより;由良君美訳)

本日のBGM: Trade in (Lou Reed)

2007-12-18 『エミリー・ディキンスンの着衣を剥ぐ』(国文社)

今日は高1の「奉仕活動」。

朝方は霜が凄くて、自動車のフロントガラスが凍り付いていた。早めに出ようと思っていたのだが、結局いつもと同じ時間に出校。

先日の北海道イベントで知り合ったK先生が東京の高校で英語教育で成果を上げているところを視察したいというので、私の尊敬するK先生に打診。朝イチで出勤しているはずなので、学校に電話。快諾を得る。後は、学校間での調整。刺激的な出会いになることでしょう。北と東と西と南が繋がることで何かが動くような気もします。

奉仕活動は9時に出発式。校長の挨拶に続いて、諸注意など。

私の担当は、校外清掃活動引率指導。近隣の駅までの通学路を生徒と共にゴミ拾い。駅では周辺の清掃。捨てられたビニール傘など多数。その後、別ルートで学校まで戻る間沿道のゴミ拾い。帰ってきて職員室で休憩。N先生にお歳暮で頂いた葛湯で暖まる。

午後は進度表の記入を全クラス終え提出。冬期休業中の課外補講の教材作成に時間がかかる。基本的にはリスニング演習だが、スクリプトの音読・シャドウイングは必須。生徒の復習の便を考えると、CDのついたテキストを新たに買った方が楽なのだが、全員となるとそんなにサクサク教材買わせられる学校ばかりではないのですよ…。

昨日の「私家版『英語教育』時評」に続いて、『新英語教育』(三友社)の1月号を取り上げる。

まずは、「今月の詩 (Poetry for this month)」。今月は Emily Dickinson。なぜ,数あるEmily Dickinsonの中でこの詩なのか、というところが新英研らしい。ディキンソンといえば、阿部公彦氏の『英詩のわかり方』(研究社)での次の評は授業で詩を扱う人に目を通して欲しいと思う。

  • とくに、ディキンソンのような詩人の場合、自分の感覚とか、気分とか、妄想のようなものを自分でもよくわからないまま言葉にする傾向があります。(中略)つまり、自分の感覚や言葉や理性までもが自分のものではなくなっていくような違和感こそ、ディキンソンの表現したかったものなのかもしれません。そうすると、そのわからなさを変に理解してしまうことよりも、わからなさ具合そのものを読み取ることが大事になってくるわけです。(『英詩のわかり方』 p.123)

1月号に戻って、特集は『入試を超える』。申し訳ないが、食い足りない論文、実践報告が多い。

巻頭論文の柳沢民雄氏「世界の課題と結んだ受験教育を」( pp.7-9)で紹介されている、新英研の授業実践は私も高く評価している。しかしながら、高校のうち、半分くらいの高校では「受験」や「入試」がドライブとはならないのだ。「入試を超える」と言ったときに、その半分の高校生達に対しても英語を学ぶ意義・価値・歓びを与えてきた新英研の実践を進学実績で置き換えているような書き方はいかがなものかと思う。大学への進学実績を超える「豊かな実り」を提示することが今の英語教育に求められていることであり、私が新英研に期待することでもある。

高校入試問題分析では、「都立高校」の一般入試が取り上げられている(pp.10-12)。

そのうち、「2. 自由英作文問題」では、採点方法がどうなっているか知りたいという素朴な要望が示されている。都立高校の場合はこの作文の採点のみ各学校に採点基準が任されており、実際にどう採点したかという詳細を教育庁に報告するという流れになっていると思われるので、各高校に個別に打診するか、都議会で取り上げて都民への情報公開というような動きにでもしてみてはどうだろうか。それよりも気になるのは、そこでの実践報告である。サッカー大好き生徒の作文例 (p. 11) で、

  • I like playing soccer. I want to pay it in England like S. Nakamura. So it is important for me to study English.

という英文が示されているのだが、この紋切り型作文では入試を超えた「自己表現」にならないのではないかと危惧する。この後に、一文を足して、

  • However, it is (all the; even) more important for me to practice soccer every day.

などと「熱さ」「身震い」などの生身の思いを引き出してきたのが、新英研実践ではなかったか?

神奈川だけでなく、全国的にも活躍するH先生と秋のELEC大会で上京した折にも似たようなテーマで話したのだが、これまでの財産を若い世代ももう一度学び直してみてはどうだろうか。今後の展開に期待しているファンだからこその苦言である。

今晩歴史は凍えるほど寒い墓地で忙しい

金槌とノミで死の日付を墓石に刻み込み

人生を抱え込んでくれる括弧を閉じる

長い文章の後に添えられる付け足しのように

(ビリー・コリンズ『ノートン英詩選集』

小泉純一訳)

本日のBGM: I’ll wear it proudly (Elvis Costello)

tmrowingtmrowing 2007/12/19 08:04 引用の背景色の変え方をご存じの方はご一報を!
引用の詩の出典は表題の書です。

2007-12-17 Utilization

今日はいわゆる「マラソン大会」。男子6km、女子4kmと例年よりも短い距離で実施とのこと。私は最後尾を自転車で追い立てる係。Rest of the day off!

毎月恒例(?)中旬の「私家版『英語教育』時評」。

今月(2008年1月号)で真っ先に目を通したのは、「FORUM(読者論壇)」(pp.90-91)。八木克正氏が安藤貞雄氏の先月のコメントへの回答を寄せている。正直噛み合わないですな、これは。突き抜けようがありません。

そこから前へとページを戻る。

吉田達弘氏の「海外論文紹介」(p. 89)はD. KellogとShin Ji-eunの共著の2007年論文を取り上げている。論文の内容以上に興味を引いたのが、学習者が英語を学ぶ環境の比喩(metaphor)に関して。「水 (aqueous)」のメタファーは適切でなく、でこぼこな地形を表す「大地(terrain)」メタファーの方が適切、という指摘は熟考に値するのではないか(過去ログ参照 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060303)。

「研究と実践」の中では、

  • 松浦伸和・重山光貴「外国語教育における到達目標に関する日英比較」

が英国のナショナルカリキュラムのMFLで示されるAttainment Targetsと日本の指導要領の比較分析から重要な切り口を提供してくれている。評者は松沢伸二氏。結びの一節に絞って、松沢氏自身のもう少し突っ込んだ評が読みたいものだ。

pp. 53-55は、「コア理論で文法指導を」。この連載で主張・提示されている理論的枠組みが地に足のついた実践となるか否か、10年後、いや、5年後の評価を待ちたいと思う。

  • 1語1語のコアを融合させることで頭の中で意味が構成され、それを読者を想定した発言として文脈に適応させて自由に訳出した結果得られた訳文(p. 53)

を解説するのに全て日本語を用いていることをどう説明するのだろう。良い手がかりの作り方であり、個々の指導の効果が一般化しやすいとは思う。しかしながら、これは「英語を英語で、英語の発想順で考える!」のではなく、「英語の語義・発想・手触り・実感・ロジックを日本語を効果的に用いて考える」というアプローチであろう。日本人教師の活躍できる手法であり、教室での普及に期待は出来るが、これを「英語→意味→訳出」だとナイーブに信じ切る勇気は私にはない。

特集の「脳科学」にはまったく興味がないので、「リレー連載英語教育時評」の「恥ずべき教育予算」(江利川春雄)(p. 41) を繰り返し読む。データや引用を踏まえ、

  • こうした実情で、なぜ小学校英語の必修化に踏み切るのか。作戦開始前から、失敗が目に見えているのではないか。

と論じている。推進派だけでなく、論拠に乏しい反対派・消極派も含めて充分な議論を尽くしてもらいたいものだ。『英語教育』誌は、このリレー連載が本当にリレーになっているか、そろそろ自己評価をするべきであろう。バトンや襷を受けた評者・論者が同じゴールを目指しているのだろうか?そうでないのなら、お互いの論に切り込んでいるのだろうか?この江利川氏の声に誰がどう応えるのか?

同じ小学校英語に関する切り口でも、教育系雑誌、『総合教育技術』(小学館)の1月号では、渡邉寛治氏(文京学院大学教授)が

  • 「小学校英語活動」授業に備えるためのポイントは?

と題して、4ページに渡り寄稿している (pp.18-22) 。引き合いに出して申し訳ないが、あまりにも理念の上滑りで読むに堪えない。この雑誌の発行元である小学館の出している小学校英語活動教材の監修が渡邉氏。『総合教育技術』はこんな寄稿者・執筆者の登用でいいのだろうか。渡邉氏は自らが監修した教材や著書を引用することで結論づけるのではなく、元文部省国立教育研究所・外国語教育研究室長、元文部科学省国立教育政策研究所・総括研究官として、政策に関する責任のある発言が求められてしかるべきだと思う。

  • 理念は崇高、政策としても優れています。でも予算も人もつけられません。

というのでは現場からは悲鳴しか上がらないのではないか?

小川図書に頼んでおいた、

  • 青木常雄著『英文朗讀法大意(復刻版)』(リーベル出版、1987年)

が届く。初版は昭和8年。前任校の書棚で見て、重要なところは大方コピーしていた(過去ログ参照 http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061222)が、今回届いてみてコンディションが良いので満足。さらには、復刻版の解説を浅野博氏が書いている。(pp. 129-132)

  • まず第一に注目しなければならないのは、著者の明快な解説である。著者には決してはったりがなく、自分が納得し熟知していることだけを、読者の必要に応じて提示するという教育者に不可欠の才能があったと思われる。この才能は、著書ばかりでなく、授業にも遺憾なく発揮された。(p.130)
  • 今日、音読や会話的な発話の指導は盛んであるが、何をどこまでというminimum essentialsについての議論や成果は十分とは言えない。学習指導要領も、文型・文法事項の指定には熱心すぎるくらいであるが、音声に関しては、「現代の標準的な発音」とか「文の基本的な音調」といった程度である。一方では、オーラル・インタープリテーションのような高度の技術まで教えられようとしていて、現状は少なからず混乱している。(p.131)
  • 著者の英語教育に対する姿勢を他の著作も参考にして推測してみると、そこには、教養か実用かといった理屈などなく、英語を読むためにも書くためにも、音声言語の習得なしには進歩はないという確信が感じられる。(p.131)

復刻版が出てからも、早20年が経つが、今読み返しても学ぶことは多い。

夕飯は、白菜と豚バラの鍋。玄米ご飯にサラダ。

グランプリファイナルを見て小休止。夕べのフリーとは一変。リラックスした表情と演技。中野は今シーズンずっと安定した演技をしてきたのに、今ひとつ得点が伸びていないのが残念だったが、今日は充実の演技。キム・ヨナは肩鎖関節や胸骨を弛めるのが上手いなぁ。軸がしっかりしているのに背中の上の方が柔らかく見える。腕を伸ばすのではなく、身体を弛めることで長さと柔らかさの両方を得ることができるのだろうか。キャロライン・ジャンはなぜあの高さで回りきれるのか、と思って見ていたが、テイクオフの前にカウンターを入れて回転力を増しているのだな。畏るべし。

本日のBGM: Listening to old voices (John Hiatt)

tmrowingtmrowing 2007/12/18 05:13 『英文朗讀法』の過去ログリンク追加。去年の今頃も読んでいました。

tmrowingtmrowing 2007/12/18 08:41 一部加筆。

2007-12-16 「老若男女古今東西」(仮題)

土曜日は8時出発で午前練のみ。湖の渇水は深刻。

テスト明け最初の乗艇なので、2Xでエントリーでのオールの解放をドリル。後、1時間半ほど放牧。秋のレースの時よりは2Xも様になってきたが、まだまだ。

学校で生徒を降ろし、昼前にいったん帰宅。着替えて、おにぎりを一つほおばり、妻の運転で新山口駅へ。鹿児島を朝の6:30に発ったというkarishimaさんをpick upしてから県庁へ。初参加する勉強会での講師。

参加者は私を入れて30名弱。主宰のY氏も含めてほとんどの方が、私にとっては初対面。よしやすさんの他、お一方、中学校の先生だったと思うのだが、広大附属福山の研究会で姿を見かけた方がいたくらい。途中で若干の休憩を挟み計3時間少々。質疑も入れると4時間。参加された方々もお疲れ様。とりあえず、持ってるもので見せられるものは見せた、という感じ。教材研究で使う書籍や、Obituaryの実例というわけではないが、POSTと1980年12月22日号のTIMEも実物をお見せしたし、dictoglossで使う「イカソーメン」の用紙もお見せした。表現ノートも3冊持参。引っ越しの段ボールで開けていないものがあるので、その奥にもまだ何かあるかも知れないが、英授研の2007年新春福袋企画でやった「何はなくともライティング、何をやってもライティング」、夏のELEC協議会でのワークショップ、先々週の慶應義塾高校とのセッション、先週の札幌での研究会で扱ったものはだいたいカバーしたと思う。今回、一番勉強になったのはたぶん私。同じ基礎資料を基に4回話を組み立てていく過程で、本当に自分のものになっているものと、そうでない、まだこなれていない発展途上のものとが峻別できてきた。繰り返すことが大切ということでもある。感謝。

私の実践のほとんどは、高校段階でのライティング指導なので、質問をしてくれた中学校の先生には申し訳ないと思うのだが、私の実践がヒントくらいにはなってくれたことを祈ろう。

文字指導・書写指導・視写指導に関しては、中学校の先生というよりは、高校の先生に再考して欲しいという狙いがあって、今回も敢えて強調させてもらった次第。

質問の中で、印象に残ったものをいくつか。

「ヨコ糸」の仕込みに関連して、

  • コロケーションを単語集のようなもの(『P単』など)で覚えても、それをライティングで実際に使えるものなのか?

「音読の徹底」に関連して、

  • 音読指導を徹底することで、既習の言語材料を自動化できるという理屈は理解できるが、初出・初見の英文を処理する能力は高まるものなのか?

ライティングにおける文法指導に関連して、

  • 中学校段階で、これだけは身につけてきて欲しいという文法事項とか文法力というものがあるか?

こういう質問に『英語教育』などの全国誌は答えられているだろうか?

今回のファイルを希望者のフラッシュメモリーにコピー。

疑問点やあらためてのご感想・ご意見は遠慮なくメールをお願いします。

夕方からは、会場を移して懇親会。懇親会は翌日のことを考えると、躊躇することもあるだろうが、こちらになって俄然「渾身」の人もいるので、とにかく出るべし。20人を超える参加。現在SELHiの高校からも複数の先生が参加。「こういう席に複数で参加している、というところが重要」とkarishimaさんから指摘を受け、頷く。

全員の方とは話せなかったのだが、若い先生からは、意外にも指導技術や授業運営よりも、「自分自身の英語力の養成・Brush up」に関する質問を受けた。このあたりは、主宰Y氏のカラーだろうか。この勉強会のねらいというか、存在意義で優れた点だろう。

  • 英語教師。まずは英語力ありき。自分が学び続ける姿勢を持つことから。

若い先生からもそんな空気が感じられた。明日の授業で使える小ネタの収拾にとどまらない、ダイナミックな勉強会なのだろうと思う。

「いつ寝てるんですか?」「睡眠時間はどのくらいですか?」という質問もあったのだが、これは、「ドラフトが水曜日の午後に出てきて、同じクラスの次の授業は翌木曜日の午前中にある」というような場合には寝ていられない、ということなので、1週間ずっと睡眠不足なわけではないですよ。念のため。合宿でも遠征でも、飲み会の席でも(?)いつでもどこでも寝られるから、どこかでmake up しているものです。

「どうやって自分の研究を深めるのか?」という点に関しては、同僚・先輩に恵まれたというしかない。とりわけ、私が駆け出しの頃の同僚Y先生には、

  • どんな学校に勤めていたって英語教師としての研鑽を積むことは可能だ。

ということを教わった。これまでの全ての職場がバラ色だったとは言わないが、信頼できる同僚・先輩がいたことで、自分の輪郭線を少しずつ拡げていくことができたのだと思う。自分の求めているものを既に体験・体現されている人が必ず現れる、求め続けていればそういう人との出会いを誰かがもたらしてくれるものだと思う。今回、講師として招いてくれた主宰のY氏に感謝。そしてY氏を紹介してくれたT先生にも感謝。そういえば、香住っ子さんとT先生は大学の同窓なのだとか。人は繋がるものですね。

懇親会の1次会終了で、karishimaさん、よしやすさんらとお別れ。遠いところを本当にありがとうございました。私は懇親会の2次会までお付き合いして、タクシーで帰宅。次回参加の折にはカラオケまでつきあいたいものです。家に着いたら、どっと疲れが出て、着替えずに寝ていました。喝!

翌、日曜日は本業の日。朝食は納豆と玉子かけご飯に、みそ汁。いただきものの椎茸のソテー。内臓から活力を!

午前、午後と2部練。午前はふらふらしていた2Xも午後の後半はかなりいいスピードを出せるようになってきた。「ふわふわ、トン、ギュイーン」という感じをダイナミックに表現して欲しい。今日はまだ「中ナミック」位の出来と評価すべし。

明るいうちに学校に戻り、帰宅。

疲れました。今日は早く寝たいものです。

本日のBGM: Saturday Rolling Around (Richard & Linda Thompson)

zenconundrumzenconundrum 2007/12/16 22:34 密度の濃い研修の機会をありがとうございました。
まだ十分に消化しきれてない部分もありますが、
考えたことを思いつくままいくつか挙げてみます。
(具体的な指導のことについては敢えて避けてます)
・「効率」に囚われると深みがなくなり学習者の潜在能力を活かしきれなくなる。
・訓練と実践のバランスというよりは、実践につながる訓練、訓練が活きる実践。
・具体性を伴ってこそ本物の細やかな配慮。
・他教科・他校種の実践にしっかりアンテナを向けておくこと。
・懇親会まで含めて研修会。(これが今回一番の教訓!)
また、お話をお伺いできる機会を楽しみにしております。

tmrowingtmrowing 2007/12/17 05:38 zenconundrum さん、初コメントありがとうございます。
こちらこそ、またとない機会を与えてくれた様々な出会いと人の繋がりに感謝です。
懇親会の重要性を共有できて嬉しいです。
気軽にコメントして頂ければ幸いです。

2007-12-14 Life is full of might-have-beens.

2学期の授業も終了。

今日は進学クラスのみ。

1年は、音読40回の確認から。昨日の今日、でできるかどうかが伸びるかどうかの分かれ目なのだが、半分くらい。まだまだ、一人一人を育てないといけないレベル。

短縮授業になっていたので、入試の読解用問題集のファイルから、チャールズ・シュルツの伝記的な内容の短いパッセージを選び、課題に。

各段落のトピックセンテンスと最低限の補足のみを抜き出し「イカソーメン」。各担当者会議を経てホームグループで文整序。例によって、英文は見せずに音読のみでの整序。今回は、howeverでプラスに転じる部分の処理で、案の定躓いていた。簡単に解説して、並び直してグループ内読み合わせ。各自自分の席に戻してから、全文をハンドアウト。今さっき、グループ内で読み合わせた英文の部分だけに、色ペン、マーカーで下線を引く。これがなかなか上手くできない生徒がいる。

  • ここで、下線が引けないのは、その前の読み合わせがしっかりとできていないから。読み合わせができていないのは、きちんと聴き取りができていないから。聴き取りができていない原因の半分は、分かるように音読できていない、読む側にある。なぜ、自信を持ってきちんと読み上げられないのかと言えば、担当者会議の時に、人任せで受け身で活動しているから。その前の段階、その前の段階、とできなくて戻るくらいなら、最初から「命がけ」でやることだ。大げさでも何でもなくて、「この一回しか読めない」、「この一回しか聞けない」、というくらいのつもりでやんなさい。

と指導。早8か月経つとはいえ初年度ならではのジレンマでもある。

  • グループワークは自分がやらなきゃ始まらない。みんなでやらなきゃ終わらない。
  • この先生の授業では、「この活動にどんな意味があるのか」は教えてくれない。テンションを下げている暇があったら、とにかく課題をこなすこと。どっちにしろ、後になれば分かる。指示は一回しか言ってくれないからちゃんと聞いた方がよい。

などと言ってくれる先輩の存在は大きいのだ。

英文に色を付けてみると、大事な内容が必ずしも、各段落の冒頭の一文だけではないことがわかる。具体例でのサポートにも、親と子と孫がいることがわかる。こういった学習者目線でのパラグラフの処理を経ずして、トピックセンテンスだのサマリーだのを教えるのは効き目が薄いと思うのである。

3学期での目標は「指定箇所パラフレーズ」と「サマリー」。確実な成長に繋げたい。

昼休みには、このクラスを担当する数学の先生(この方は3年の担任でもある)が、いつものように英語の質問に。その際に、授業で、私の指導方針や授業の進め方に言及したと言う話をしてくれた。

  • 授業を聞いていうるうちはまだまだ。「行列をつくらにゃ。」って言っておきました。

有り難いことです。ただ、これ以上、忙しくして欲しくはないのですが…。

午後は、高2のオーラル。JFK。

朝から、資料を印刷していたら、進路指導の先生が、

  • ケネディですか。『プロジェクトX』のDVDあるよ。使う?

といってわざわざ持ってきて下さいました。

授業の序盤でDVDの映像をとびとびに流す。中島みゆきのエピソードも交えて、時代背景の導入とJFKの映像と音声を紹介。ある程度仕込んだ段階で、大統領就任演説のスクリプトを配布し、リスニング。2回聞いて、対訳を見ながらの「字幕スーパー」方式でもう一回。

参考資料を配付し、JFKの人物・業績などについて補足。以前の教え子が『表現ノート』で、ケネディ家にまつわる不審な事故や死に関して記事を作っていたので、それをコピー。その他に、今回使ったのは、The Saturday Evening Post の追悼号。

  • IN MEMORIAM: A senseless tragedy

というカバータイトル。表紙はNorman Rockwell。 追悼でArthur Schlesinger Jr. が寄稿しているので、その部分もコピーして配布した。オリジナルはA3で見開きをB4に。右ページには大きなイラストがあるので、英文としてはおおよそ2300 wordsくらいだろうか。

  • 今は読めなくても、そのうち、読もうと思う日が来るから、とっておきなさい。

と一言。

最後は演説の音声に合わせて口パク練習。

今や、なんでもネット検索で分かったつもりになってしまう時代。本物に触れて、何をどうinspireされたか、彼らの内省に期待したい。私も、”A Thousand Days” を買って読んでみようかと思った。

高3は、3学期にまとまった授業はなくなるので、談笑と行商。進路が決まった生徒にも、英語修行を続けるように良い教材を紹介しておいた。残り15分くらいで、前回配布した、「物語文」を一題読む。最後の下線部に該当するエピソードの要約の部分を残して、終了。

  • ここまで来たら、あとは自力でよろしく。

と解答解説を配布。

短縮授業で浮いた時間は、大掃除に。階段・踊り場の床を洗剤でゴシゴシと。今日の担当生徒は「え〜っ」などといいながらも素直に雑巾がけまでやってくれたのですぐに終了。ありがとう。

放課後は、エルゴ。エースは500m maxに続いて、2000m x 2。エースキラーは60分。テスト期間のブランクを取り戻すまでには至らず。エルゴタイム相関表を見せ、高強度UTと20分、さらには2000mのTTの予想などを説明。病み上がりだったエースキラーはクリスマス合宿までにどの程度精彩を取り戻せるか?

明日は、朝から本業。昼からは、県庁での勉強会に招かれライティング指導の講師。忙しい一日になりそう。

今日、高2の資料で使ったPOSTは、発行が1963年の12月14日だった。

本日のBGM: Watching the wheels (John Lennon)

よしやすよしやす 2007/12/15 22:52 本日は、念願叶って、tmrowingさんの講義をお聴きできた上、懇意にお話までさせていただき、ありがとうございました。
今後は、もっと奥深い話ができるように勉強をしておきたいと思います。
取り急ぎ、お礼まで。

tmrowingtmrowing 2007/12/16 16:28 よしやすさん、懇親会までお付き合い頂きありがとうございます。今回は潤沢な時間をいただき、それに見合った中身だったか少し不安ですが、とりあえず、今できることを全て出したという感じです。本業との鬩ぎ合いで、勉強会の方はコンスタントな参加とはいかないと思いますが、地道に英語教育を支えている人たちのネットワークに貢献できればと思います。

2007-12-13 Who guarantees the mileage that makes a champion?

答案返却。

進学クラスは、練習量の話。

本業で大学のコーチをしていたときの例をあげた。シブケンにもいつもいわれていることでもある。その意味では「王道」だろう。

  • 1回の練習で、一番遅い女子の1Xでも21km、速い4Xなら、24kmとか27kmとかを漕ぐ。選手には、「インターハイや国体で勝ったり、ジュニアの世界選手権に行ってきたようなやつと、インカレや全日本で戦うんだから、12km とか15kmとか漕いで、濃い練習をしたと思っているところより速いのはあたりまえ。そういうところとは違うリーグで試合をしていると思え」、といっている。自分で、だめだ、だめだという奴は、それだけの練習をしていない。

そういって発破をかけて、ライブリスニングで使った「高校入試リスニング問題書き換えスクリプト」2題、約180語x2を音読。範読に続いて斉読。「音読40回」を実際にやってみよう、ということでBGMの ”Top of the world” に負けないように音読三昧。それでも、さすがに、40回は遠い道のり。いったん中断。早いものは、それぞれ、15回くらい、計30セットこなすくらいは読めているが、遅いものは合計でもやっと10セット。これだけの差があるという現実からスタートするのが、普通の学校現場なのだ。

本業でシブケンにメニューを見てもらっていた頃、大学の選手達によく言っていたのは、「長い距離を漕いでいることに安心してはいけない。少しでも高い強度で漕ぐことが大切。」ということ。

今回の音読はリスニング用スクリプト。高校入試問題を書き換えたとはいえ、英語Iの教科書で言えば、第一課のレベル。大事なのは、発達段階、学年進行に見合ったレベルの英文でも「スラスラ」感を得られるまで音読を繰り返すこと。比喩ばかりで恐縮だが、飛行機の離陸と同じ。英語IIでも、Readingでも、入試用の長文でも、「スラスラ」感がでるまで、助走スピードが上がらないと、「この感じ」は得られないのだ。そのためには、英語という教科にどれだけ時間を割けるか、という現実との戦いである。

公立時代も痛感したが、授業時数も含め数学に充分な時間を取れないと、理科も伸びないので国公立進学は難しい。公立も私立も2番手校、3番手校に来る生徒は、概ね理数系の学力が劣る。苦手の克服にエネルギーを割くか、少しでも見込みのある英国に力を注ぐか、といったときに、英国で、という選択をすると、英語はできるが、私大文系の選択肢となる。早慶上智などに行ければそれなりに高いレベルの英語の授業になるが、それでも高校の「英語科」や「英語コース」の授業の方が、多くの大学の一斉授業よりも、「高い強度で、長い距離」のトレーニングを課しているので、高校に戻ってきては不本意を漏らすことになる。

高校入学段階で、理数系の科目に苦手意識がないような生徒を抱えているのなら、英語も「ガンガン漕がせる」指導がいいだろう。英語のトレーニングに割く時間的余裕があるのだから。でも、そうではない生徒を抱えているときの教科指導は全体の進路設計などを勘案する必要が出てくる。担任をしていて、「英語はそこそこでも良いから、もっと数学ができていたら…。」と自責の念にかられたことも数知れない。

現任校で現在受け持っている3年生には、すでにAOや推薦で地元国公立大に合格している者がいる。防衛大も4人合格通知をもらっているとのこと。推薦で私大に合格した生徒の中には、センターでも英語は180点以上はとるだろうと思える者がいる。そういう生徒達には、これからが本当の英語力の問われる時期と励ますのだが、心境は複雑である。

本業で「王道」を漕ぎきった者たちは、年間10か月にも及ぶ期間を合宿所で過ごす。寝食を共にし、朝は、4時半から、2時間半。午後は夕方の4時、5時から、日が落ちる7時、8時まで。英語教育でいえば「イマージョン」のような日々を送るからこそ保証できる練習量でもあるのだ。当然、それに付きっきりで指導する指導者がいるから高い強度が維持できる。恵まれた環境で10年以上も指導ができたことに今更ながら感謝したい。

練習量をこなさなければ、成果はない。しかしながら、その量を保証できるか否かは学校のレベルや環境に大きく左右される。ゴールを気にして後ろを振り返ったり、先行するクルーや追いかけてくるクルーを過剰に意識したとたんに艇速は落ちるもの。多くの高校はまだまだ悩みの中でひたむきに、がむしゃらに漕ぎ続けていることと思う。

本日のBGM: JITABATA (鈴木博文)

2007-12-12 二足歩行

北海道イベントで知り合った、函館中部の今井先生の話を、筑駒の久保野先生と立命館大の山岡先生にメール。繋がれば繋がるものだ。山岡先生が今回の資料を見たいとおっしゃるので、朝イチでExpack。細かいことを申し送らなくても、資料を見てもらえば私の意図は通ずるだろう。

試験採点終了。残るは答案返却と成績処理。

答案返却だけの授業でもクラスの差は歴然とする。集団として機能している場合でも内実は多様だ。その集団を育て損なった場合に、リセットは利かないので、いびつな、ごつごつ、とげとげ、ざらざら、ちくちく、ねばねば、冷え冷えした「亜」集団とでもいうものを丸ごと引き受けることになる。かなりタフな仕事になる。Aspects of acceptance。その違和感こそがリアリティ。自立と自律は意味するところが違う、てな具合に悩んだときは倫太郎さんの「英語教育にもの申す」を開く。

結局、人マネではダメということはわかるのだが、「自分らしさ」という突破口は紋切り型で安易すぎる。

中学校とは違い、高校は相性の良いものだけで人間関係を作らせてはダメだと思う。ストレスを排除するのではなく、ストレスだらけの海でも泳げるようなスキルも身につけさせねば。そのためには他者への関与・干渉ができる生徒層を作ることも高校段階の教師の仕事。そう考えると、「上位層」というラベルを貼りやすい生徒がすぐには見つからない困難校でこそ、教師は教師となるのかもしれない。いつもながら倫太郎さんに学ぶことは多い。

高2のオーラルはまだ今学期最後に1コマあるので、本物のスピーチを聞く時間を設定することにした。教室がネット環境にあれば、今では動画などいくらでも活用できるのだが、そんな夢のような話は脇に置いて、現実的な解決策を考える。まあ、CDかDVDに落ち着くのだろうなぁ…。

さて、

和田中の「夜間塾営業(?)」が世間では話題になっているようだ。

これだけ、media exposureを戦略として効果を上げてきた教育施策だが、ここらできちんと評価してあげることが大切だろう。

今回はSAPIXとの提携ということで、塾が前面に出てきたのでみな大騒ぎしているようだが、これまでにだって、私が指摘してきたように、英語は土曜日寺子屋(「ドテラ」というのだそうです)を利用して、英検協会から講師を派遣させ、有志の生徒にのみ、月6000円で英検対策を施し、さらには平日も一日を使って放課後に同様に補習を行っているのである。

この取り組みに関しては「英検の合格者を飛躍的に増加させた」、とその成果を校長が自画自賛している。

http://www.wadachu.info/data/fujihara_report_070714.pdf

こちらのとりくみはどうして誰も問題視しないのだろう?

この校長のレポートでも示されている「このコースで育った英語エリートが平日の授業ではリーダーとなり他の生徒に教えるなど、いい刺激を与えています。」という内容がメディアには上がってこない。私が知りたいのはこういう普段の授業の内容だ。知っている人は教えて欲しい。一般公開が時折あるようなのだが、そこで目にすることができるのは、外付けの講座や補習。保護者参観や研究授業では、普段着の授業が見られるのだろうか?

週4日の平常授業を受けている生徒と、外付けで意欲的に学びを強化する生徒との差はなんだろう?意欲の他に、時間とお金があるだろう。月6000円の負担である。杉並区の平成18年度の給食費月額が4971円。給食費の滞納や不払いが話題になる昨今、この金額負担ができない家庭は少なくないと思う。

そしてさらに、今回の「夜スペ」で塾との提携である。受講料は18,000円から24,000円。教育委員会は、「地域本部が運営するというのなら、希望者全員を対象とするのが筋」などといっているらしいが、「英検対策」ですでにその建前は崩されているのだ。それでも運営するのは和田中の「地域本部」という建前なら、最後まで筋を通すべし。経済的にこの費用負担ができない家庭には、「地域本部奨学金」「地域本部基金」などを設立してバックアップをすればいいのだ。

以前も指摘したが、気になることを再度。

まず、この英検対策講座や、進学対策用の講座の講師は和田中の教員ではなぜダメなのかということ。和田中の教員を働かせて、その分多く給料を払ってはどうなのか?

公務員である和田中の教員を放課後の補習や土曜日の講座で働かせるには法規上制約がある。多くの教員は、自分の抱えている生徒のためなら、と基準となる労働時間を超えて「仕事」をしていると思う。善意であるうちはいいのだが、これが制度として、システムとして運用されるとなると話は別である。その講座が行われる時に、生徒に事故があった場合、教員に事故があった場合など、地方公務員法や学校管理運営規則は一見無駄にも思えるほど、細かな項目の整備をしているものである。

民間校長は、そういう柵を取っ払うことに手腕を発揮したわけだが、結局のところ、それで現在得られたとされる英検対策の成果、今後得られるであろう、進学実績は、和田中の教育力の成果といってよいものなのか?肖像権も認められないくらいだから、メディアへの露出などは覚悟しているであろう和田中の英語教員から、率直な意見、生の声を聞きたいと思うのは私だけか?

私が公立校勤務時代に、「地方自治体からの予算も削減され、保護者に受益者負担も期待できないのなら、セブンイレブンなど企業や地元商店をスポンサーにして、制服にロゴを入れたりしてPRに貢献し、サポートしてもらえないか?教育の成果が上がるのなら、『セブンイレブン○○ハイスクール』という名前だって結構ではないか」と本気で提案したことがある。「学校の目指す夢を売ってその夢に乗っかってもらう」という理念であった。当然、周囲の誰もそんなことに耳を貸さなかった。企業側にとってメリットがない、「うまみ」がない以上、私企業は動かないのである。しかしながら、公教育というのは、こういう「おいしくない」仕事を請け負うものでもあるのだ。その当たり前のことがどこかに置き忘れられてはいまいか?

今回のSAPIX側の談話がこの点を浮き彫りにしている。

  • SAPIX東京本部は、「採算を取ろうとは思っていない。学校との連携から新しい事業展開にもつながる」と期待する。

http://www.asahi.com/life/update/1208/TKY200712080219.html

結局、新しい事業展開から「うまみ」が転がり込んでくる、という皮算用に支えられているのである。

民間校長として大いなる成果を上げた和田中の校長も今年度で退任とのこと。新たに、別の大変な中学に行って改革をして欲しいものだ。新校長の任期は3年。今度の校長もリクルート系とか?

競争原理を持ち出して煽られなくても、生徒一人一人の成長のために藻掻ける教師でありたいと思う。地に足をつけて、地道に歩める生徒を作りたいと思う。

今日のところはそんな印象批評である。

「書評空間」の阿部先生、ついに、小島信夫。しかも、絶好調。いつくるか、と待っていたのは私だけではあるまい。小島信夫を語らせると、この人は輝きを増すのだなぁ。以前の『水声通信』でも「言葉はいつもジャストミートせず、芯を外している」という名言を残した阿部氏だが、今回は

  • 小島信夫を読むための4つのコツ

が秀逸。これを読んで、私自身なぜこんなにも「わからなさスペースシャトル級」の小島信夫が気になるのか、が少し分かる気がした。

ここでの4箇条は、いってみれば小島信夫を経験した先輩からの「アドバイス」。ことごとく、私の英語の授業で生徒が後輩に書くアドバイスとそっくりなのだ。

  • 前のめりでいいじゃないか

そう思えただけでも今日の生き甲斐はあったというものだ。

夕飯は海鮮チゲ鍋にほうれん草のごま和え。

デザートは『相棒』。大滝秀治出演。今回は新しい監督か?

本日のBGM: Mr. Step (TOMOVSKY)

倫太郎倫太郎 2007/12/14 15:31 紹介をしてくださり、ありがとうございました。誉められすぎて、ちょっと照れくさい気もしますが(^^;;
 和田中での試みは、スタート地点では、斬新にさえ見えてしまった角度の違いが、進むにつれてその距離が開いてきて、目視できるようになっただけなのでしょう。日本という文化の中で、公教育はどうあるべきかを考えるきっかけを与えてくれているという意味では、和田中学の実践には感謝しています。
 民間神話の中で突き進むと、公立学校でも経済格差が成績格差につながります。近頃の行きすぎた経済格差が社会にもたらす弊害を学校(教員)が感じるならば、社会のセーフティーネットとして行動をした方が良く、どっかの団体の新たな商売チャンスとの利害の一致は考えなくてもいい問題だと私には思われます。

tmrowingtmrowing 2007/12/14 15:46 倫太郎さんコメント深謝。
東京の中学校で素晴らしい指導をしている多くの英語教師を知っているだけに、この和田中の「普段の」実践が見えてこないことが気になります。「民間」の英語教育団体や学会で、いくらでも発表のチャンスはあるはずですが、そういった場での exposure は許されていないかのようです。
私は個人的には教育批評なら尾木直樹氏だのみ、のようなメディアの切り口には辟易していますが、今、藤田英典編『誰のための「教育再生」か』(岩波新書)に目を通しているところです。

2007-12-10 「帯広コネクション」

札幌から、スーパーとかちで約2時間半で帯広へ。11時前に着。近くなったものだ。駅まで迎えに来てもらった上に、兄からJoy English Academy (English House Joy) の浦島久さんに連絡を入れてもらい、直行。

私の方は浦島さんが編集発行していた、”Northern Lights” の創刊号を通じて高校を卒業する間際に一方的に知っていたし、久保野雅史氏がJoyでのイベントに参加したことを契機に、浦島さんとはこれまでもメールでのやりとりはあったのだが、直接お会いするのは初めて。私よりも、私の兄が仕事での付き合いが長く深いということにビックリした。今回の接点を作ってくれた兄に感謝。

私も一応、英語教育の世界に身を置いているので、この業界の様々な方とお会いするのだが、「帯広出身です」というと、「じゃあ、浦島さん知ってるでしょ?」「Joy通ってたの?」と聞かれることが本当に多いのだ。これで、やっと質問に答えられると一安心。

日曜日ということで、教室はお休みのところ、時間を割いて頂き、気がついてみると1時間以上もお邪魔することに。著書の最新刊と30周年記念の冊子をいただく。記念冊子には英語教育関連の著名人が名を連ねる。いやあ、「帯広コネクション」を実感しました。前日の研究会に参加されていた先生が「こんなにコミュニケーション能力の高い人はいない」というような形容をしていたのがよく分かる「生」浦島氏でした。

30年も帯広の地で英語教育に携わり続けてきた先達のオーラを浴びて、リフレッシュ。奥の手(?)も惜しげもなく披露していただき、本当に感謝。浦島さんも最近ライティング関連の書籍を上梓されたばかりで、ライティング教材作成の難しさを共有しただけでなく、

  • いつか一緒に仕事をしたいね

と声を掛けて頂きました。私もいつの日か「帯広コネクション」に名を連ねられるように地道に活動を続けていきます。

午後は兄夫婦のところに寄って、両親の仏前に座り近況報告。

ゆっくりする間もなく、とかち帯広空港へ。北海道を後にする。

羽田で乗り継ぎの合間に夕食を済ませ、山口まで。途中、赤ん坊の泣き声と、おむつを替える臭いとに挟まれながら、機内放送の落語で気を紛らしていました。バス最終便で新山口駅。妻に迎えに来てもらい、無事帰宅。

北海道イベントでお世話になった方々にメールをして、就寝。

明けて今日、月曜日の試験は高1、高2のオーラル二本。ライブ・リスニングテストなので、口慣らしをして、巡回待ち。2クラスともとりあえずは大きな失敗もなく読み上げ終了。これで、担当科目の5種類全て答案が出そろったことになる。あとは採点と成績提出。厳しい日程だが、なんとかなるでしょう。

「つながり」といえば、数研の「チャートネットワーク 11月号」でピアレスポンスに関して、藤枝豊氏が寄稿していた(http://www.suken.co.jp/subject/eigo/cnw/54/54-3.pdf)。コンパクトにまとまった良い小論だと思う。北海道イベントの分科会でも指導事例の発表に続いてpeer responseの活用について質疑応答があった。私もコメントしたのだが、ESLやEFLでの諸外国の事例をそのまま日本の高校英語教室に当てはめても上手くいかないことが多い。ほとんどのresearchは大学生以上の学習者を被験者としていること、多くの授業者はライティングのみを教えている教師であることなどは割り引いて考えねばならない。後期中等教育段階の日本の高校生を指導する場合と、大学に附設する教育機関での授業が多いとはいえ高等教育の段階とではあまりにも環境が異なるからだ。(レメディアル教育の必要な大学生の英語力とSELHi等で濃密な訓練を経た高校生の英語力が逆転現象を示していることはここではひとまず置いておく。このブログの過去ログでも、ピアレス(peer response) 、ピアフィードバック(peer feedback) で検索してもらうと、高校段階での指導事例がヒットするので、お時間のある方は是非どうぞ。)

こういう部分こそ、単に研究発表を聞いたり、論文を読んだりするだけではなく、国内の中学高校の実践例を突き合わせ摺り合わせる価値があるのだと思う。その意味では、「追試」の繰り返しや「他人の褌で相撲を取る」ことだって大切な初めの一歩。まずはとにかく、実践の記録を残し、振り返ることから自分の授業を揺すぶってみることです。Peer responseに興味を持ったら、まずは、それを実践している人とコンタクトを取ることから。雑誌であれば、編集部に問い合わせ、紀要であれば学会や学校に問い合わせれば著者まで辿り着くのはさほど難しいことではないでしょう。地理的に近ければ、実践を見せてもらうことも可能かもしれません。

私の場合は現任校のカリキュラムに「ライティング」という科目が設置されていないので、今しばらくはお待ち頂かないとライブでお見せすることは適いませんが、優れた実践を続けている人と、その実践から学ぼうという人同士を繋げる手助けはできるかも知れません。何かあれば、ご一報を。

帰宅すると、広島大の柳瀬先生と筑駒の久保野先生からメール。沖縄での「ゆかいな仲間達」も盛会だった模様。流石、濃い面々ですな。

週末の県庁でのライティングワークショップの資料(=自分の控え)を印刷し、流れを確認。通してリハをやってみるとやっぱり、神奈川イベント用に撮ったDVDの方が構成が分かりやすい。何とか、早いうちに、あのDVD用の資料を再編しておきたいものだ。Yさん、Dさん、よろしくお願いします。今回は、夏のELEC協議会で上手くできなかったところをきちんと持っていくのが課題。柳瀬先生は都合が着かず今回もお会いできず残念だが、鹿児島からはkarishimaさんが駆けつけてくれるそうなので、ここでも新たな拡がりが。 今回の参加者には、私の資料でファイルのあるものは全てコピーを差し上げます。Pay it forward!

本日のBGM: JOY [Album version] (綿内克幸)

karishimakarishima 2007/12/11 05:59 息子も無事退院し,ぎりぎりですが,なんとか調整できました。本当に楽しみにしています。ライティング指導をさらに充実させることが可能になると考えています(最近では,ライティングよりスピーキング指導ばかりですが)。よろしくお願い致します。

tmrowingtmrowing 2007/12/11 12:52 ご多忙の折、無理を言って済みません。地元では初のワークショップです。いい出会いにしたいものです。

2007-12-08 A day in life

北海道イベント終了!

先日頭を打ったときは心配しましたが、穴を開けずに(頭蓋骨ではないですよ)済んでほっとしました。ブログやメールだけで交流を続けていたM先生とも初顔合わせ。ブログを読んで心配してくれていました。お気遣いありがとうございました。

故郷である北海道の先生方との交流は本当に楽しいものになりました。前半は、私からの情報提供。入試過去問演習に支配されず、いかに、ライティングの授業を授業として成立させるか、それぞれの学校の置かれた状況でその可能性を探る手がかりくらいは与えることができたのでは、と思っています。私の高校時代の恩師であるM先生もイベントの参加を許されたので、二十数年ぶりにお顔を拝見し、私の発表に関してのご意見などもお聞きすることができました。発表前に、M先生と控え室でお会いし、お元気そうな顔と変わらない声を聞いて、涙が溢れてきました。私が今日あるのは間違いなくこの人のおかげです。

後半は、分科会。私は若手・北海道の英語教育の次世代を担う先生方での情報交換会に参加。各校での指導事例、質疑応答など、盛り上がりました。並行して、ベテランの先生方での情報交換会があったのですが、こちらは、北海道の進学校のトップ校が顔を合わせることもあってか、お互いに様子見のようなちょっと遠慮がちな会になったとのこと。ただ、英語に関して、道内各地からこれだけの高校の先生が集まる会というのは初めてということだったので、横の繋がりを始める第一歩に私も立ち会えたことを嬉しく思います。

3時間はあっという間に過ぎ、夕方からは懇親会。こういう企画では、懇親会でお互いの本音が顔を覗かせるので、絶対に懇親会まで残らないとダメです。SELHiのH高、A高だけでなく、北大合格者数で常に上位を占める進学校の先生方が英語教育に関して、自分自身の英語修行に関して、熱く語る姿を目にして、気持ちの良い時を過ごすことができました。深謝。

明けて日曜日は、帯広に寄ってから帰る予定。兄に連絡したら、「Joyの浦島さんが会いたいってさ。」というメールが。いよいよ帯広コネクション。またしても人の繋がりが広がる予感。

ともあれ、充実した故郷の一日でした。

本日のBGM: Homesickness (Donovan)

2007-12-07 初冬の花火

今週のテストも終了。残すは、オーラル二本のみ。

昨日は、大変でした。朝イチで、立哨で裏門へ。中庭を抜けて行こうと、駐車場のスペースに入るところで、頭部にもの凄い衝撃が走る。渡り廊下の下をくぐるわけなのだが、半二階というか、160cmくらいの中途半端な高さのコンクリート部分をすっかり忘れていて直撃。全く無防備というか馬鹿。本当に火花を見ました。これまでの人生でこのような衝撃を受けたのは初めて。高校生の時に、体操のマット一枚敷いただけのステージでジャーマンを受けたときも、大学生の時に横断歩道を歩いているときに内輪差で都バスに撥ねられたときにもこんなダメージはなかったのだから。脳震盪の様な状態でその場に暫しうずくまる。その後、眩暈も収まり頭部の痛みを気にしつつも立哨を終え、保健室で冷却剤をもらい、頭部を冷やして自分の出題した試験の巡回へ。

ところが、ここで生徒から受けた質問が即座に聞き取れないばかりか、すぐには理解できず、「ああ、まだ脳が揺れているんだなぁ」と現実認識。ちょっと眠たくなってきたので、念のためにと、妻に電話して、学校まで来てもらい病院へ運んでもらう。脳神経外科で人生初CT。

頭蓋骨の骨折もなく、硬膜下出血もなし。映像からは脳の異常は見られないということなので、頭皮から出血したところを消毒し化膿止めを塗ってもらい、残り一日自宅で静養することに。

明けて、雨の朝。こぶがまだ痛むのと、首回りの筋肉がこわばっている以外は回復。車を学校に置きっぱなしだったので、妻に送ってもらう。監督1コマ、出題巡回1コマ。高3は採点終了。48時間は様子を見て、と医者にいわれていたので、おとなしくしています。今日はあんまり深いことは書けません。

明日は、札幌へ。

先日の東京での慶應セッション後に書籍類は送ってもらっていたので、パッキングも少し楽。

発表に関しては、現時点でできる限りの準備はしたつもりです。あとは、現場の磁場におまかせ。

良き出会いになりますように。

本日のBGM: The Ballad Of Peter Pumpkinhead (XTC)

柳瀬陽介柳瀬陽介 2007/12/07 23:21 お怪我、大丈夫ですか?
くれぐれもお大事になさってください。
コンクリート部分には、色を塗るとかの安全対策が必要ですね。

tmrowingtmrowing 2007/12/08 02:34 柳瀬さん、お気遣い誠にありがとうございます。色は既に塗ってあってこのザマです。いやあ、お恥ずかしい限り。

2007-12-05 蕾でも柱でもなく

期末試験スタート。

教務の締め切りに追われつつもなんとか、3本試験を書き終える。あとオーラルが二つ。ライブ・リスニング形式なので、楽と言えば楽だが、シナリオを作って練習をしておかねばならないので喉の調子をキープしないと。

  • 岡田ではダメでトルシエ。トルシエでもダメで、ジーコ。ジーコでは埒があかずにオシム。オシム、志半ばで病に倒れ、再び岡田。

世の中は動いている。世界は回っている。歴史は繰り返す?いや、繰り返すからこそ歴史?

上手くいっていると思える競技団体の施策でさえ、このように指揮官は次々と替えられる。変わらないのは某キャプテンだか、チェアマンだか、チェホンマン(?)だか…。

サッカーにしろ、野球にしろ、指揮官が替わるたびに、そのつど、「○○ジャパン」といって、指揮官の名前をチームに冠する慣習(?)とそろそろ決別してはどうか。

PISAの結果を受けて「それみたことか」とばかりに、右往左往する教育行政。黒船か?もともと、教育の世界ではなく、OECDで行われているテストなのだということをまずは押さえるべし。各国で課された問題とその翻訳過程など、もっと注目されてもいい情報を出すことも必要だろう。

文部科学大臣の答弁は初中局メルマガで読む。前倒しは理数科目で、ということにお墨付きを得たかのようだ。小学校英語の必修化に伴う予算措置などいっぺんで吹っ飛ぶのではないのか?

町村官房長官のコメント「ゆとりを緩みにしたのは現場の責任」がニュース系サイトでも公開されているが、厚顔無恥のそしりを免れないだろう。どこかの競技団体の強化委員会と同じようなスタンスでの物言いだ。

矛先を向けられた現場教師として、世間に支援するとすれば、どのような関わり方を選ぶべきか思案。

日曜のセッションを終え、慶應高校の先生方からもメールをいただく。良い意味で実践の共有と拡がりが感じられたようで何より。Acrosticの活用など、どんどん試していって欲しいものだ。

今回は、Critical thinkingやlogicの指導だけでなく、「英詩」や「文学」などcreativeなライティング指導を併せ持つことが言葉を育てるのだ、という確信が得られたし、「きちんとした」ライティング指導・評価を推進していく過程で、生徒も教師も「書くこと(そしてその書いたものを読むこと)がだんだん、楽しくなくなってくる」という誠実な悩みを聞くことができて本当にリアリティがあった。お題目や建前で終わるのではなく、地に足のついた、実感として授業のダイナミズムを捉え直す契機としたい。

世の中が、「実践的コミュニケーション能力」や「パフォーマンス」に目を奪われている間に、本物はその先へと向かっているとも言える。まだ、適切・的確な言葉が見つからないが、「豊かさ」とか「味わい」とか「肌触り」などを感じるセンサーが自分の中で増えた(精度が増した?)気がする。

とはいえ、多くの高校現場では、その前の「スキル」の部分、更にその前の「知識」の部分が身につけられていないというジレンマがあるのだろうから、ライティング指導の普及・浸透による実践の共有を図るためには、早く「スキル」と「知識」の部分に関する見通しを与える必要があろう。

文科省のKさん、夏休みには少々荒っぽく焚きつけましたが、早くCDSのたたき台を示して下さいね。もう冬休みになってしまいますよ。

夕飯はスルメイカのバターソテー。久々によつばのバターで食べる。舌に行き渡る触感が心地よい。

慣れ親しんだ味は美味に感じるもの。では、その味はどこで感じているのか?

味わいがクオリアを生む。

本日のBGM: 名案があるんだ(solamo-lens360°)

2007-12-03 『満足できるかな』

未明より雨。湖に恵みを!

出勤時には止んでいた。トホホ。

私の尊敬する女性アスリートにイングリッド・クリスチャンセンとアニカ・ソレンスタムがいる。本業の世界では、コーチはゴルフ好きが多い。先日の強化合宿の折りにOコーチとの話題に上ったのが、アニカ・ソレンスタムの身体の使い方。力みのない自然体とでもいうべき姿。「姿勢」とは「静止」しているときでさえ、「勢いを生む姿」なのだということがよくわかる。私もたまたま名古屋への新幹線の中で隣の客が残したと見られる『アルバ』の分解写真特集号で目にしていた。自分でも買おうと思っていたら書店では既に最新号に変わっていた。今度誰かに借りることにしよう。

高3はディスカッションや論文で頻出の名詞の整理。以下のリストを自己チェックして辞書を引いて、重要度を確認。

  • idea: image/ concept/ notion/ thought/ theory/ hypothesis/ belief
  • opinion: judgment/ view/ viewpoint/ principle/ faith
  • hint : suggestion/ indication/ advice/ implication /intimation
  • proof: evidence/ confirmation / certification/ verification
  • research: analysis/ investigation/ examination /study/ inquiry/ exploration/ scrutiny/ probe
  • manner: style/ fashion/ mode/ form/ way/ means/ method/ process/ procedure
  • type: category/ kind/ sort/ variety/ class/ family/ species/ genre
  • degree: extent/ level/ measure/ range/ ratio/rate/ scale/ scope/ proportion
  • part : portion/ fraction/ fragment/ share/ allotment/ division/ element/ component/ factor

などなど私が恣意的に類型化した計115語。なんのデータ分析も経ていない単なる一覧です。結束性などという用語は市民権を得てきたように思うが、指示語や代名詞以外の、このような一般名詞で成立する結束性にはあまり意識が向いていないような気がする。そのため、相変わらず「難易度の高い」語として認識されてしまったりするのではないか。

高1はサマリー音読チェックの後、教科書本文全文の重ね読み。その後、教科書の練習問題。

普通科は試験範囲が終わっているので、テスト勉強で自習。

放課後は職員会議。

早めに帰宅し、5種類の期末試験問題作成と並行して、学年通信の執筆・編集。

文科省の中教審意見募集にメールを送る。

一つは小学校英語活動に関して。

「誰が担当するのか?」に関する明確な見通し、計画を求めた。教員養成を考えると、専科の問題は極めて大きいのではないかと思われる。すぐに「英語」は専科で、などという人も以下の資料で教育全体・教員養成全体の大まかな状況が掴めるかと思う。少し古いがリンクを。

東京学芸大のプロジェクトチーム作成による『「小学校の教科に関する科目」の授業の意義と方法』(教員養成関係)。http://www.u-gakugei.ac.jp/topics/hasegawa/02.pdf

もう一つは、高校の英語科目再編に関して。

こちらでは、明確な技能の発達段階・到達目標の記述枠組みの整備を求めた。Can-do statementsでもband scalingでもrubricsでも attainment targetsでも何でも良いので、早く英語教育の専門家と教室現場と言語教育行政とを繋ぐべし。今年の夏の英授研でK氏に問いかけをしていたのだが、少しは動きが出て来たようにも聞いているので、今後の進展に本当に期待したいものだ。

夕飯は牛テールと大根のポトフ。プラス、地元産シジミのみそ汁。

本日のBGM: 待ちすぎた僕はとても疲れてしまった(遠藤賢司)

2007-12-02 Probability revisited

土曜日は、新幹線。道中、S台とK塾の九州大に特化した模試の問題分析。

こういう問題をたくさん集めて、何周したところで、英語のライティング力は向上するものではないと思った。授業でしかできないことにもっと精力を善用したいものだ。

上京早々に湯島天神へ。忘れないうちにお守り購入。4時間半空気が乾燥した新幹線の中にいて、喉鼻が風邪っぽい感じがしたので、神保町へ。共栄堂でスマトラカレー。風邪を引きそうなときは学生時代からいつもこれ。そういえば、先日披露宴に招いてもらったT氏の奥様を、結婚前にシブケンとGMと一緒に連れ回して、スマトラカレーに無理矢理つきあわせたことがあったなぁ。

日が落ちてからは旧交を温める夕餉。魁のSELHi担当として孤軍奮闘とも言える働きをしたT氏と東大合格者数大躍進の立役者K氏と私という、ほぼ同世代の三人。まあ、私の行く店だから相も変わらず地酒三昧なのだが。近況を語りつつも、お互いにインスパイアされること多し。今読んでいる本、といってペーパーバックを2冊出すK氏からは、香住丘に視察にいった時の話なども聞く。私はといえば、木原研三氏の『呼應・話法』を出す。T氏は、古色蒼然とした表紙を見て「君、遠いところにいっちゃったね…。」などと呆れていたが、「描出話法」の資料を揃えたかったので、小川図書の外のワゴンから買ってきたもの。読みにしろ、書きにしろnarrativeのクオリティを上げるべし、聴き取りをするにしても「ミステリー」とか「英詩」の聴き取りが出来るような力をつけられないものか?と持論を展開しておいた。酒癖の悪い客だなこれじゃ。

あっという間の三時間。最後は、へぎそばで〆。

明けて今日は、慶應義塾高校、いわゆる「塾高」の先生方との情報交換会へ。前の晩が食べ過ぎだったので、朝はミネラルウォーターとエスプレッソダブルで目覚まし。

会場に少し早めに行き、担当者と簡単に打ち合わせ。GTECのスコア、学年比較などの資料を見せてもらい概況を把握。これだけの規模の高校で、これだけのスコアというのは驚愕。

先方の先生方3名も到着し、名刺交換からスタート。

詳細は後日詳しく書こうと思うのだが、とにかく楽しい会だった。

  • これでこそ英語の授業、英語教育!

と感じられる実践であり、それを支える教師の姿勢があった。ライティング指導と一口に言ってもPersuasive/ argumentative なライティングで生徒を伸ばしている高校が増えている中、本当の意味でcreativeな実践が出来ているところはそう多くないと思うのだが、生徒作品を見る限りにおいては、間違いなく国内トップレベルの優れた成果と言える。そもそも授業でソネットを書かせている先生って、そんなにいませんよね?

英語教育や英語の授業に関する情報交換でこんなに充実感を得たのは昨年の博多イベント以来。私からの情報提供がどの程度役に立ったかは定かではないが、私の方は、私学の底力というか、器の大きさというか、大いなる可能性を感じられた。揺すぶり読み、ならぬ、揺すぶり聴きとなった。本当に感謝感激。

来週の北海道イベントに向け、書籍類の資料を送ってもらうことにして、担当者にお預け。少し鞄の中身の減量に成功。

帰路につく前に、いくつか買い物をして新幹線。帰りは、広島大の模試分析。グラフ問題の解説が稚拙。早々に切り上げ、読書。

  • 『小学生の英語教育』(国土社、1969年)

タイトルに注意。「小学校」ではなく「小学『生』」です。成城学園小学校英語研究部編。野上三枝子氏、と並木登美子氏を中心に編まれたもの。

昭和40年の東京都私立初等教育研究会外国語研究部会の議事録が興味深かった。

第8回の「語学教育研究所全国大会の小学部の報告(野上)」から引く

「中学校側から見た小学校英語」

  • 長所―発音がよい点
  • 短所―安心感があり、努力に欠ける
  • 希望する点―音感になれるように、natural speedを望む。小、中、高の連絡を密にする。1時間(50分)を20分ぐらいにして回数を増やす。中学校の教科書をそのまま使用することをさける。

他にも小2と小4の授業をそれぞれ4回記録したもの(指導案ではなく、授業記録)は多くの若い教師に見て欲しいものだ。

一番面白かったのは、最終章の「成城学園初等学校における英語教育の諸相」(pp. 185-210)。

  • This is I. では「先生、Iって胸のこと?」と問われる。なるほど、私としては極めて自然の姿勢のつもりで、私の胸のあたりを指してThis is I.をくりかえしていた。生徒の側からすれば、むりからぬ質問と反省させられた。(宮川治子)
  • そして、教育というものの意味は、生徒の中にプロバビリティーとしてある素質を、いろいろな方法や手段を使って、現実の能力に育てあげてゆくことであって、その動力になるものは、生徒に対する愛情ではないかと、私は私なりにいろいろと考えてみました。(並木登美子)
  • この子ども達が卒業して、ずっと経ってから振りかえった時、小学校でどんな英語の授業を受けたか、おぼえているかしら。皆、百点とって遊んだことぐらいしか思い出さないかもしれない。私自身も幼い頃、アメリカの婦人の家に英語を習いに行ったのに、おぼえているのはお手製のケーキのおいしかったことだけ。それでいいのでしょう。子どもの頃は、自覚があるなしにかかわらず、恵みが多ければ良いのだと思います。(野上三枝子)
  • 最近、子どもの英語グループなどが盛んになり、はっきりした教授法がないままに、中学校のやきなおし、もしくはオリンピック向けのいいかげんな会話などを教えているところもあるようである。弊害の大きくならないうちに、この問題に対して、権威ある指示を得たいと思う。(野上三枝子)

最後の野上氏の意見は、『英語教育』昭和38年9月号からの引用となっている。

今から44年前のことである。

本日のBGM: Tired and emotional (and probably drunk) / Billy Bremner

tmrowingtmrowing 2007/12/03 08:56 先方の許可を得て、高校名を記しました。

tmrowingtmrowing 2007/12/04 04:31 小川図書。店名を間違えて記しておりました。誠に申し訳ございません。謹んで訂正いたします。