英語教育の明日はどっちだ! TMRowing at best Twitter

2009-01-30 「お殿様?」「いや、autonomous learners。」

検索語で ”Jennyちゃん” が目立ってきたのだが、いちおうコメントを。

私が「ジェニーちゃん」と読んでいるのは物語で、児童作家のLilian Mooreの作、 ”A Tree For Miss Jenny Miller” のこと。このお話は、

  • Humpty Dumpty’s Magazine for Little Children

の1968年9月発行の号初出、その後、児童モノのアンソロジーに収録されたと思われる。私は、全英連のテスト部委員として仕事をしていた十数年前に、N先生から教えてもらったのが出会い。未だに授業で使っているもの。N先生は、この類の児童文学のアンソロジーなどお宝書籍をたくさんお持ちであった。他にも、T先生、H先生、N先生など、英語のみならず、教材観や目の付け所なども鍛え、育ててもらったと思う。大学入試を全く考えなくてもテストが作れるようになったのは、この時の仕事に負うところが大きい。全英連のテストそのものが各種模擬試験に駆逐されてしまった今では、単なる懐かしい思い出だが…。

高1は、disorderからdiseaseへと至る語彙指導。

  • disorderの意味は?「無秩序」。それってどういう意味?「秩序がない」。それってどういうこと?「無秩序」。それじゃ振り出し。「不規則」。それは説明になっている?「…」。じゃあ、disorderの反対は?「秩序」。それじゃあ、説明にならないでしょ?「整っていること」。そうだね、そこまで来て初めて自分の頭で考えたことばとの接点が出来たわけだ。では、disorderは?「整っていないこと」。

というように、英語以前の問題をクリアしてから、eating disorderの説明に移り、diseaseを板書。意味を考えさせる。「病気」などという訳語はすぐに返ってくるので、再度「意味」を問う。disorderとの共通性を見出させて、 “ease” という語幹を取り出し考えるところまですぐに辿り着いた。ま、これも「反意語を援用した語義の理解」の周辺ということですかね。「…というのはどういうことか?」を突き詰めていくトレーニングでもあります。

高2は、比較の続きから、増減と比率・割合、分数、小数へ。最後は、98年総括票からコメントの読み上げ。

昼に、銀行と郵便局へ。

本業に関わる各種の支払で振り込み。銀行であまり待たされなくてスムーズに進んだ。

午後の空き時間で、

  • 『世界のトップリーダー英語名言集 Business』(Jリサーチ出版、2009年)

を読む。学級文庫には既に、

  • 加島祥造『英語名言集』(岩波ジュニア新書、1993年)、『ハートで読む英語の名言(上・下)』(平凡社ライブラリー、1996年)、岩田一男『英語一日一言』(祥伝社、1970年)

が入っているのだが、それに追加する方向性で思案中。語彙レベルも構文も難しいけれど、こういう本物のことばこそ、繰り返しを経ずとも腑に落ちるものでもあるから。

他にはマーケットプレイスで頼んだ、

  • Webster’s New World Dictionary of Synonyms (Simon and Schuster, 1984)

が届く。こんなにコンパクトだとは予想していなかった。網羅的な一般用辞書と言うよりは、仕事でことばを使う人のガイドブックのような感じ。

  • instance, case, example, illustration
  • strength, power, force, might, energy, potency
  • talent, gift, aptitude, faculty, knack, genius

などのセットを引いてみる。語義はしっかりと記述されているが、実例が少ないので、使いこなすには相当の英語力が必要だと感じた。逆に言えば、英語ができる人にとっては、この位シンプルな方が使い勝手がいいのかも知れない。

放課後は生徒の部活が終わるのを待って面談。

待ち時間を使って、David Littleの講演をシャドウイング。(音源や資料はこちらからアクセス→http://www2.warwick.ac.uk/fac/soc/al/research/groups/llp/circal/12mayevent/david_little/

ハンドアウトを見ずに、初見(初聞?)でトライ。

全部で1時間くらいあるので、疲れました。途中で舌や口の筋肉が電池切れみたいになり、ブレイクを入れながら完遂。

40分過ぎくらい(アイルランドの事例あたり)から、ものすごくおもしろくなるので、講演を聴くだけでもオススメです。Learner Autonomyの分野が不慣れな方、CEFRやELPに詳しくない方は、パワポのスライドを見ながら聴くのがいいでしょうか。

私は、今回の指導要領の改訂に自分が不満を感じている一因が、あらためてはっきりと自覚できました。

さて、

  • 『ユリイカ』2月号、特集「日本語は亡びるのか?」(青土社、2009年)

をようやく入手。

すでに、いろいろなところでこの特集にも反響があるようだ。今回の執筆者に入っていない人の中では仲俣氏の「海難記」でのスタンスが私にとってのbenchmarkとなるだろうか。過去ログでも触れた、松村由利子氏の視点は注目に値すると思う。紅野謙介氏の『週刊読書人』での書評を読んでみたい。

特集も、原典(?)もこの週末に読んでじっくり考えてみようと思うのだが、一点だけ現時点でのコメントを。特集にも寄稿している吉原真理氏が自身のブログで語っていたことにも関わるのだが、

  • 「論理的で」「明晰で」「美しい」文章なら、それを読んだ人はみんなその論を理解し、その論に賛成するべきである。

という「普遍語の論理」に基づいた前提をこそ疑うべきだろう。その3拍子が揃っていたとしても、それが「正しい」保証はどこにもないのだし、さらにはそれが ”popularity” を獲得できるのかは全く別の話だろう。

今回の特集の執筆者では、蓮實重彦氏や、巽孝之氏はもっと切り込んでも良さそうなのに、肝心なところで深くコミットするのを避けているような印象を受けた。巽氏の言及した “Renunciation”に関わるエッセイ(http://minae-mizumura.com/Documents/MizumuraRenunciation1985.pdf)と、コーネル大での講演(http://minae-mizumura.com/Documents/FinishingtheUnifinished20080303Website.pdf)をダウンロードし読んでみることにしたので、何か収穫があれば週明けに書くかも知れません。

今週の月曜日、津田塾大の「英詩の会」にゲストとして阿部公彦氏が登場した模様。大盛況だったとか。

Steivie SmithとWallace Stevensを併せ読む、という切り口だけ聞いて中身を想像するのは誠に焦れったい。そうそう、機会があれば、阿部氏による水村評を聞いてみたいものだ。

寝る前に、『20世紀少年』。最後の最後だけ。

音楽監督が白井良明だったことを初めて知った。もっとも、最初はみんな初めてなのだけれど。この映画を見に行くことはないだろうな、漫画で見てるから。

本日のBGM: The Wreck of the Beautiful (The Divine Comedy)

2009-01-29 ”Between the chances, choose the odd.”

この間は雪だと思っていたら、今度は冷たい雨。キョンキョンの歌と違って優しくはない。

高1スモールトークは、「宜しくお願いします」の比較文化論的考察。『グラセン和英』にもコメントがあるので、用例も併せて読ませる。授業開始、試合開始、言伝やお遣いなどなどそれぞれの場面場面で、その対話のゴールを意識することの重要性を説く。

『バラ色の人生』の歌詞を音読、背中合わせ一行読み、口パクなどの一連の口慣らしを経て、合唱。サビメロの譜割りはちょっと練習が必要ですが、コーラスまで要求しないのなら十分高1で歌えます。私も久々に熱唱しました。

残り時間は、Jennyちゃんの課題をやって終了。

高2は最初の1コマを使って、教科書での新出事項で問われる文法項目をどのように捌いていくか、という目の付け所。雨脚が強くなってきたので、入室後すぐに、

  • rainを修飾する形容詞に使えるのは hardか?heavyか?

というように普段からアンテナを張ることの重要性を説く。続いて、"a matter of great concern" など、Of+抽象名詞からのネットワーク構築。ことばの作られ方、仕組みをどう自分の内に取り込むかを一例として扱う。文法のターゲットに焦点を当てたいのなら、その焦点以外の語彙や文法に習熟していることが求められる、というジレンマをどう超えていくか、という話をだらだらくどくど。例文にちょうど、<否定+比較級>が出てきたので、実数直線での解説。○●の概念は大丈夫そうで何より。数学の担当者に聞いてみたら、まあ、これにもエピソードがあるのだそうだ。ここでは書きませんが。

2コマ目は、05年の高3授業総括アンケートの抜粋を紹介。「はずれくじ10枚理論」をここでも披露。

教師も生徒も1年間の授業で全力を出す、地に足のついた取り組みをする、ということで生まれる化学反応がここから感じられるか。Reality bites. 決して綺麗事では済まないのだけれど。

明日は、1998年の高1の総括アンケートなどなどを紹介の予定。豊かな学びの先輩に学ぶことも重要。

昨日届いたライトバースのアンソロジーはW. H. Audenの編だったが、そのAuden自身のあまりlightではない作品 ”Under Which Lyre A Reactionary Tract for the Times” を読んで寝るとしましょう。

(タイトルに引いた詩句は、The New Oxford Book Of Light Verse chosen and edited by Kingsley Amis, 1978 によるものです。)

本日のBGM: My Mistakes Were Made For You (The Last Shadow Puppets)

D

2009-01-28 Let’s hope it’s not too late.

高1は最近恒例の辞書ワークのスモールトークから。

野球部の生徒がいるので、「直球」「速球」を英語で何というのか?カタカナ語の「ストレート」を引き合いに出したりしながら、a fast ball「速球」、a fast pitcher 「速球投手」を得る。そこから、「a fast runnerだったら?そう『足の速い人』という意味。a fast pitcherっていうのは大リーグの試合みたいにすぐに乱闘する喧嘩っ早い選手、っていう意味じゃないよ」、と雑談。本題は、fastのもう一つの語義。

ここを辞書で確認してから、今月の歌の、La Vie en Roseの出だしのフレーズ、

  • Hold me close, hold me fast / The magic spell you cast / This is La Vie en Rose

を歌う。いや、私がですよ。どうして、1行目はhold me tight などの副詞になっていないのか?ということで、「繰り返し」と「韻を踏む」という生徒からの反応を引き出し、castに着目。語順と語形から、ここでは「動詞」になるはず、という見当をつけさせてから辞書で語義と用例を確認。

  • cast a spell on …(...に魔法をかける)

を参考に、歌詞の2行目に戻る。後置修飾の名詞句にも段々となれてきたので、この2行目が「名詞のカタマリ」であることは納得。三行目のThisが引っ張っていくべき内容を考えさせる。こんな調子で二番へと進み一段落。次回で合唱。コーラスまでは流石に出来ません。

残り時間で、Jennyちゃんの課題の着眼点を確認。範読というか、出だしを読み聞かせ。難しい。児童文学の読み聞かせができるくらい朗読を鍛えないとダメだな。

高2は、前回の読解課題に解説を加える一コマ。教科書の新しい課に基づくハンドアウトで一コマ。久保野先生が筑駒でやった授業ビデオがあったら入手して見せてあげたいと思ったのだが、ビデオは撮っていないとのこと。残念。教科書1課分でおおよそ900語強の分量。付属音源ではおおよそ8分。音源を聞きながら鷲掴み系の活動を経て、このような文章が容易に読めるようになるにはどのような読解力が必要になるかを説く。学級文庫の中からテクストタイプ別に課題となる本を紹介して宝の持ち腐れにしないように「教育的指導」。

先日、『やればできる英文法』を紹介した他校の高3生の話を書いたが、その後日談。

今回のセンター試験、文法語法のセクションは満点で、「基礎からやり直して良かった」とお礼を伝えてもらった。お礼なら、素晴らしい教材を作った福田哲哉先生にお伝えするべきなので、この場を借りて感謝致します。

高3で受験を控えた時期に基礎教材に戻っただけでなく、それを短期間で終えて、自分の本来進むべき地点まで辿り直したことに意味があるのだ、ということを自覚し、自信をもって個別試験に臨んで欲しいと思います。

さて、マーケットプレイスで頼んでいた

  • The Oxford Book of Light Verse (Oxford Paperbacks) by Auden, W.H.

が届いた。英国からの発送で勤務先に届けてもらったのだが、住所の音読みと訓読みがことごとく間違っていて、郵便番号とこの地域の高等学校ということだけで、無事に届いたのであった。日本の流通業者は素晴らしい!流石に経年変化は否めないが、手元にあることに意味がある。

以前、マーケットプレイスの注文で米国の業者から発送された商品が配送途中で紛失したことがあったので、用心のためにUKサイトで新刊を直接購入。

  • Motivation, Language Identity and the L2 Self (Second Language Acquisition)

数日で届く便で注文したので、S & Hが商品価格に迫る勢いだが、発送済みの案内に既にトラッキングナンバーも付されている。今時これが常識だと思っていたが、常識を買うには高くつく時代でもあるのだろう。到着を楽しみに待ちます。

「英学徒の隠れ家日記」でロバート・バーンズの話を読み、偶然に驚くと共に、遅ればせながら、朗読を捧げておいた。手元にはバーンズのアンソロジーがないので、吉竹迪夫『ゴールデン・トレジャリー』(培風館、1956年)から、”My Heart’s In The Highlands” を選ぶ。久しぶりで上手く読めず、注釈とを行ったり来たり。『英語青年』の特集も読み直そうっと。

本日のBGM: Same Old Lang Syne (Dan Fogelberg)

2009-01-27 ”what you can pass on to the next generations”

出勤時、気温がマイナス2度。

車のドアが凍り付いていて開かなかった。

勤務校の一般入試一期の筆記試験と面接が終了。受験生の皆さん、お疲れ様でした。

係り生徒以外の生徒は原則自宅学習日。

センター試験も一段落。出願を一通り終えて、二次へのラストスパート、というのが一般的な進学校の(生徒・教師の)取り組みだろうと思う。

昨年の出題形式・内容の変化を踏まえて、過去1年間で数多のセンター対策教材が高校に、書店に押し寄せてきていたことであろう。予備校の講座に目を移せば、通年講座、夏期講習、直前講習などで、使用教材から「的中!」などと来期へのPRに余念のない人たちも出てくるだろう。

「設問形式別対策問題集」が精選されていればされているほど、出題形式や内容が変わると対応不能に陥りやすい。知識と技能を、出題形式に影響されないように習熟・習得することが何よりの「対策」となるとは考えられまいか?その意味では、「単語集」「連語集」「熟語集」というものも、見直しが求められるだろう。

知識をリストによって整理し記憶に残そう、という段階・局面であれば、

  • 里中哲彦『入試英語Q’s & A’s 入試英語資料集』(学研、1998年)

のようなものが最も便利であったのだが、いかんせん10年前の出版。

  • 古藤晃編著『クラウン受験英語辞典』(三省堂、2000年)

も、充実した内容だったが、その後8年間改訂版が出ていない。日本では「受験英語」というラベルが、実態とこれだけ、かけ離れた形で蠢いているのだから、世間への啓蒙のため、さらには資料的価値も含めて、この辞典は、採算を度外視しても5年ごとくらいに改訂し続ける価値があるとは思うのだけれど…。三省堂さん、頑張りましょうよ!

今年のセンター試験の語彙・語法問題といわれる出題では、既存の単語集がどの程度効き目があったのか、チェックしてみるのもいいと思う。ただし、この時、気をつけなければならないのは、

  • 正答(の選択肢)が得られるか?

だけではなく、

  • 偽選択肢(錯乱肢)の語句にも対応できているか?

を併せて見るということ。

たとえば、問3(解答番号10)では、

  • I’m running in the direction of the ticket gate.

という “in the direction (of…)”を完成させられるようなエントリーになっていることはもちろんで(directionという語を扱っていてこの前置詞とのコロケーションを指摘しないことはあまり想像できないので)、「(X) to the direction というのが誤りである」、とか「全く異なる意味となる」ということを併せて確認できることが望ましい。

また、問8(解答番号15)の、

  • In the U.S. smoking is banned in public places such as restaurants or cafés.

であれば、banを扱っているだけではなく偽選択肢の、

  • expire / valid / withdraw

も扱っているか、という見方をするわけである。

先日のエントリーでも紹介した、『アクティブ英単語2100』(学研、2008年)では、

  • He escaped in the opposite direction. (彼は反対の方向に逃げた)

という用例だけでなく、

  • XHe escaped to the opposite direction.としないこと。

という「べからず」情報も盛り込まれている。(pp.154-155)

banでは当然、

  • The government banned average people from possessing guns. (政府は一般の人々が銃を所持することを禁止した)(p.236)

を、validでは、

  • He confirmed how long his credit card was valid. (彼はクレジットカードがいつまで有効かを確認した)(p.316)

withdrawでは、

  • The troops were withdrawn temporarily because of the storm. (軍隊はあらしのために一次的に撤退した)(p.317)

を載せている。しかしながら、expireはこの単語集のエントリーでは示されていない。

ということは、この単語集を使っていれば、「正答となる語句にヒットする」ことは確かだけれども、選択肢の全てを確認し、識別した上で正答を選んでいるわけではないということになる。

そんなこと言ったら、「じゃあ、単語集じゃなくて英和辞典になってしまうじゃないか」という人が出てくるだろう。まさにその通り。大学入試という「英語力の篩」が、語彙のレベルで見た時に、どのようなものになるのか、それを形にすればいいのだ。あれも足りない、これも足りないといって、3万語、5万語と膨らませていくのではなく、どこかのリストで見た数字だが、8000語の辞書なり、1万5千語収録の辞書なりを作ればいいのではないか? このブログの少し前のエントリーで赤尾好夫『英語単語熟語の綜合的研究』(旺文社)の現代版、といったのはこういうことである。

センターの出題に戻るが、問10(解答番号17)の、

  • It runs in the family.

では、偽選択肢の中に、

  • come / go / work

という基本動詞を盛り込むことで何を意図しているのか?「大学に進学しようというのなら、日常的な場面で極めて多様な使われ方をする基本動詞にもっと習熟せよ」、ということであるならば、work一つをとってみても、

  • Our new system works. (我が社の新方式はうまくいっている)

での “function”(上手く機能する)とか、”be effective”(効果的である;効き目がある)という意味での使い方、

さらには、

  • His face worked fiercely. (彼の顔が激しく引きつった)

での、”stretch, twist or pull”(伸ばす、ねじる、ひっぱる)というような意味での使い方まで、どの程度までを射程とするのか、これからはより一層悩ましい時代になるのだろうか。(上記二例は、最所フミ『日英語表現辞典』(研究社、1980年より抜粋))

英語の「使用実態」と日本の「学習者の現実」との架け橋あるいは船頭となるのは、やはり英語教師なのだろうと信じたい。

ところで、問10では、”How do you stay so slim?”という問いに対して、”Just lucky, I guess. It runs in the family.”という「対話」になっているわけだが、これではあまりに文脈に依存しすぎていて、Itが何を指しているのか、ほとんどの高校生は適切に照応したり、自分のことばでパラフレーズしたりできないだろうと思う。そして、センターの解説と銘打った予備校系のサイトでも、ここにはほとんど注記がない。

“the family trait of being overweight” などというのはcommon phraseだろうけれども、その反対は、というと悩むよね。もし質問の”how節”を意識して、 “the secret to staying slim ” とか、”tips on staying trim” などとしてしまったら、secretやtipは遺伝的な性質ではないので不可でしょう?「太らない体質」とでもいうべき内容を想定する時の「メタ言語」はやはり日本語になるのではないかと思うのですが、英語のできる人は違うのでしょうか?

同僚の数学の先生に、英語の質問を受けたので、杉山忠一氏の学習参考書の記述を見せてアドバイスすることに。そもそもは、

  • ”defeat”という語は動詞で「負かす;打倒する」という他動詞だが、名詞になると「負かすこと;打倒すること」だけでなく、「負かされること;打倒されること;敗北」という意味になるのはなぜ?

というような疑問でした。この名詞のもつ「能動と受動」の性質は、『英文法詳解』(学研、1998年)の、「(3)抽象名詞の注意すべき意味」(pp.33-36)でかなり丁寧に扱われているので参照あれ。

私の手元にある用例は、女優メリル・ストリープのインタビュー。(引用元は倉谷直臣『続・誰も教えてくれなかった英文解釈』(朝日イブニングニュース社、1983年)

  • Recognition is a funny thing. I want to be recognized for being a good actress and doing a good job in a role, but I think I have a subconscious desire not to be recognized in public. I tend to do some dramatic haircutting after I finish each role. I might even change the color. I guess, deep down, I have a need for privacy. I hate having my privacy invaded in any way.

これは以前、東京にいた時分にFTCの発表で扱いましたね。

日が暮れる前に帰宅。いくつか調べもの。

夕飯は豚しゃぶとほうれん草。ご飯は少なめで。

身体の欲するものを食するのが一番。

明日の朝は立哨。あまり冷え込まないことを祈ります。でも、予報だと実家はマイナス17度っていうから、マイナスの2度、3度くらいでオタオタしてたら依田勉三に笑われますね。

本日のBGM: Like A Father, Like The Son (綿内克幸/ Watauchi Unplugged II)

tmrowingtmrowing 2009/01/28 05:35 タイトル変更。

tmrowingtmrowing 2009/01/28 06:37 一部加筆。

JunpeiJunpei 2009/01/28 12:54 "in the direction of"言われてみればinですが、
私なんて間違ってtoを使って話していたりします。
しかし、こうして受験英語を見ていると、受験勉強を通してきちんとした語句を学ぶことができた人間は、かなり高い語彙数があるだろうし、理解力も高いと思います。しかし実際香港にいてもその語彙力を発揮して話している駐在員は数少ないです。でもその多くは高学歴者たちです。
こんなに高度な英語を学んでいて、どうしていつまでも日本人は英語が下手と言われなくちゃいけないのか納得できません。香港では日本人が英語が下手と思われているので、私が英語を話していると本当に日本人?と聞かれることがよくあります。
高校で学ぶ英語レベルと実際に日本人があやつれる英語力との差がこんなに出てくるのは不思議ですね。

tmrowingtmrowing 2009/01/28 15:24 >高校で学ぶ英語レベルと実際に日本人があやつれる英語力との差がこんなに出てくるのは不思議

これについて語り始めると大変なことになりますが、現行の指導要領に正直に従って文科省検定の教科書のみを教材としてこなすと、認識(受容)語彙で2500語程度の語彙サイズで高校の授業が終了します。中学での既出も、高校での新出も全てを「習得済み」とみなしても、せいぜい3500語程度。センター試験の出題に限ってみても、選択肢まで含めた時には4000語レベル(JACET 8000などに照らしたもの)の語が出ていますから、高校生にとっては未習の語句が頻出することになります。ですから、認識(受容)語彙だけでも増やそうと「単語集」をこなしたり、読解では全部を読まなくても解けるような「ストラテジー」なるものが幅を利かせたりしてくるのでしょう。この最大の弊害は、意味を読んでいるが、target languageである英語で内容の保持がままならないということです。文字通りでも残せない、言い換えでも残せない。では、いつになったら、自分のモノになるのですか?という問いに、高校英語の授業は真剣に答えを用意して来なかったのではないか?というのが私の反省であり、その裏返しが、今現在持っている回答、私の授業であり、私の関わった教材です。
一方で、私さらにはもっと上の世代ではかなり高度に鍛えられていた文法に関しては、高校での「演習」はほぼ常に、まず完成文ありきの問題しか解きませんから、自分の頭の中に浮かんだアイデアを英語でどう表すか、という練習を、文法の練習ではほとんどやらないまま、「自由英作文」だの「パラグラフライティング」だのといったディスコース単位での発話に跳んでしまっているという印象です。まずは、単文・短文で、どう言い始めても、それを引き受けて文を終えるまでつじつまを合わせられる文法力、というものを鍛えることが望まれると思っています。細かな文法のルールはそうして初めて、理解し覚えるニーズとレディネスができるというのが私の考えです。
この日のエントリーで扱った「それ」を的確に言い表すための「語彙」「名詞化」「名詞句の限定表現」に習熟することも、高校はともかく、上級レベルの学習者には必要だろうと思います。
いずれ、日を改めて詳述できればと思いますが、このコメント欄はdiscussion boardではないので、とりあえず、この話題はここまでということで。

2009-01-26 I’m in a totally different ball game.

中国・台湾・香港など春節で大賑わいなのだろうとイマジネーションを働かせつつも、初代PBG4 12 inchのキーボードの”j”が利かなくなってきて、とっくのむかしに”l”もパンタグラフがぐらついているのと併せてとってもストレスフルな入力を強いられている、どんよりした空と同じくらい浮かない心持ちの今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?

授業は何と0限の高2のみ。多くは語りませんが、

  • 原点に戻るとか、振り出しに戻るとか、そのこと自体には全く意味はない。そこから、本来行くべき所へ自分の力で辿り直すことに意味がある。いつまでたっても、振り出しに戻りっぱなし、というのは甘えに過ぎない。

という趣旨の説教をば。

明日は高校入試で、午後は準備のためカットになるので、高1は授業無しに。入試の時は自宅学習日になるので、課題に恒例の「ジェニーちゃん」を配布。まずは自力で読めと指示。

昼食後に大掃除と会場設営。

学級文庫とCD、ラジカセデッキなどを片付けるのに結構時間がかかった。

係の事前打ち合わせや志願者一覧の確認などなど。公立時代とも、東京の私学にいたときとも流儀が違うので、これも経験だと思って頑張ります。あまり詳しくは書けませんので入試関係はこの辺で。

  • 近藤健一郎編『方言札 言葉と身体 沖縄・問いを立てる-2』(社会評論社、2008年)

をパラパラと読み始める。

私は教師になってから、三省堂のブックレットか何かで中村敬氏が書いたものを読んで、初めて方言札のことを知った。ことばを生業にするものとしては誠に無知というか、無恥というか、お恥ずかしい限りである。

執筆者は6名。テーマは「身体の矯正」だが、それぞれの専門は多様である。音楽を重要な位置づけとしているのが興味深い。

  • 近藤健一郎・村上呂里・三島わかな・仲里効・戸邉秀明・伊佐由貴

シリーズとしては全6巻となるもののうちの第2巻。じっくりと向き合いながら、自分に響いたことばを取り上げていきたい。今日は、小学校の教師が指導の際に用いることばに関して、次の一節を引く。

  • ここには、沖縄語との対訳によってではなく、動作などによって、標準語を教えるべきだという指導方法に関する考え方があり、その指導方法を示すことによって、沖縄語を介する指導法を批判、否定したのであった。それは、字度欧の言語実態について、沖縄語による対訳なしに「十分了解スルコトガ出来マイ」と把握したうえでの指導法が否定されたことを意味している。教授細目において沖縄語による対訳を認めていた尋常小学校第二学年においても、一九0四年段階においてこのような事態が生じていたのである。(同書 p.36、)

さて、

神奈川大学の久保野雅史先生から急遽、「私の授業を見たい」というメールが来たのだが、スケジュール案として示された3月初旬は私の勤務校ではもう授業がなく、期末試験の時期に入ってしまうということで、泣く泣く来年度にお預けに。授業を見てもらうなら『英語教育 2004年1月号』(大修館書店)の「愉快な仲間たち」で紹介した授業以来、お会いするのも昨年9月のフォーラム以来で、せっかく久保野先生とじっくり、しみじみ語り合えるチャンスだったのですが…。このブログをお読みの方で、3月上旬に授業見学の受け入れが可能な方がいましたら、私の代わりに引き受けてくれませんか?

妻が整体に出かけるので、娘と留守番。

予め用意してくれていた鍋をつつく。

『水戸黄門』に若村麻由美。役名は貴和(の方様)。時代劇には欠かせない女優さんですね。『篤姫』での配役はいただけませんでしたが。『御家人斬九郎』の蔦吉姐さんはよかったなぁ。ああ、時代劇チャンネルが見たいっ!

本日のBGM: 国民の煙草新生(鈴木慶一 / The Lost Suzuki Tapes)

JunpeiJunpei 2009/01/26 22:38 方言のお話はさっぱりなのですが、
中国も方言の数はすごいですよ。
昔昔に香港にやってきても同郷の人としか交流のなかった老人は、今でも広東語が話せなかったりします。
若い人の中にも、家では親が方言(福建語や潮州語)を話すので方言ができるという人もいます。

私も時代劇が大好きで実家の父が水戸黄門をDVDに録画して送ってくれます。
時代劇チャンネルもあるので暴れん坊将軍がいやになるほど送られてきます。
最近見たのでは鬼平スペシャルが良かったです。

tmrowingtmrowing 2009/01/27 05:10 一部字句修正。

tmrowingtmrowing 2009/01/27 06:08 『鬼平…』は時々スペシャルがあるので期待していますが、最近の民放地上波では時代劇がめっきり減りました。その反動でしょうか、最近では時代小説も読むようになりました。『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(岩波書店)を書いた関川夏央のいうように、まさに「おじさん」です。
『鬼平…』は池波正太郎、『…斬九郎』は柴田練三郎ですね。

2009-01-25 ジョニーにはなれないけれど…。

土曜日は雪交じりの中朝早く湖に向けて出発。

高校が一つ雪で来られないという連絡のすぐ後で、成年チームの母体となる大学生が午後からしか来られないという連絡があり、しかたなく高校生の6000mタイムトライアルをカタマランから見る。午前中は、辺りの天気からは想像できないくらい絶好のコンディション。12月合宿から随分と成長した選手もいて、高校生の可能性をあらためて感じた。エントリーがもっさりしないのは、この県の選手の大きな強みとなるだろうと思う。午後からは、コーチも合流し、丁寧な指導を見学。一人一人を本当によく見ているのだなぁ。選抜まで秒読みになってきたが、まだまだ速くなる要素はある。高校での競技生活を終え、大学進学後もこの競技を続けることが決まっている高三生も二人参加。久しぶりのトレーニングということで感覚を取り戻すまでに少し手間どっていたが、モーション後半ではかなり良い感じが出ていた。

午後のモーションを終え、宿へ移動。待望のお風呂から上がってきたところで妻からのメールに気が付いた。かなりの積雪が見込まれるとのことで、すぐさま携帯で予報を確認。当初は翌朝早く帰るつもりだったのだが、積雪と道路の凍結を勘案し、急遽帰ることに。闇夜の降雪で、辺り一面真っ白の中、安全運転で帰ってきました。途中、長い下り坂が続くので数台が連なり20kmに満たないくらいの速度で走っていたのですが、大きなカーブのところで1Boxカーが1台、完全に道路から外れて脇の藪に突っ込んでいました。運転手が無事だったことを祈ります。

この土曜日の帰宅時でおおよそ、10cmの積雪。明けて日曜日朝には20cm弱の積雪でした。午前中はまだ雪の舞い落ちる中、終日模擬試験監督の後帰宅。

さて、

根がしつこいので、類義語の話の続きを。

例によって、「自分に馴染みのある扱いは妥当」というご都合主義ですので、その程度なんだな、という寛容な態度でお読み頂くことが肝要かと。

2008年に出た、

  • Oxford Learner’s Thesaurus --- a dictionary of synonyms (Oxford University Press;日本では旺文社からペーパー版の『英語類語活用辞典』が発売されています。私もそちらを買いました。)

でセンターにも類義語扱いのあった、crucial〜importantの一連の語をあたってみました。

まず、crucialが扱われているエントリーが essentialであることを確認して欲しいと思います。類に呼ばれた友はこちら、(p.251)

  • essential / vital / crucial / decisive / indispensable / imperative / pivotal / of the essence

この類語グループへの簡単なコメントは、

  • These words all describe sb/sth that is extremely important and completely necessary because a particular situation or activity depends on them.

essentialの定義は、

  • extremely important and completely necessary, because without it sth cannot exist, be made or be successful

crucialの定義は、グループの最初に示されたコメントの英文と同じです。crucialとcriticalの違いは、

  • There is no real difference in meaning between these words and they can be used with the same range of nouns and structures. However, there is sometimes a slight difference in context.

として簡潔に説明されています。

  • Critical is often used in technical matters of business or science; crucial is often used to talk about matters that may cause anxiety or other emotions.

多くの「英英辞典」でcrucialのパラフレーズに使われる、decisiveに関しては、

  • of the greatest importance in affecting the final result of a particular situation

という定義だけでなく、

  • Decisive is NOT USED simply to mean ‘extremely important’. It is used when you are making a judgement that sb/sth was or will be the most important fact affecting the result of a particular past or future situation.

のように太字と大文字を使って注意を促しています。個人的には、この「最上級感覚」がとっても大事だと思います。

ちなみに私の授業を受けた人には「なんだよ、またかよ」というくらい「耳タコ」でしょうが、私の普段の授業では、

  • main, major, chief, leading

の4語を足がかりに、最上級感覚の形容詞(principal, top, basic, foremostなど)をその都度おさえて行きます。表現においても、理解においても最重要語彙という位置づけですが、説明は英文の用例と日本語の解説、または「日本語を視覚化した」図解です。


今回のセンター試験が苦もなく読めて正答が得られるような学習者・受験生の皆さん、どうせa “find-the right-word” dictionary を選ぶのなら、こういう辞書を選んでみてはいかがでしょう。センター試験の作問者(あるいはライター)も、もっと早く、この辞書をご覧になっていれば、より良い英文にすることが出来たことでしょうに…。

高校生や受験生にそこまでの感覚を求める必要があるのか?と訝る人がいるかも知れませんが、今時の単語集といわれるものであれば、この辺りは押さえていると思いますよ。

今、私の手元にあるのは、昨年、山岡憲史先生から送って頂いた、

『アクティブ英単語2100』(学研、2008年)

ですが、このエントリーの1900番が”crucial”です(p.310)。そこで示されている訳語は、

  • 欠くことのできない、決定的な

例文は、

  • Isolation of the patients is crucial to preventing the spread of the infection. 伝染病の蔓延を防ぐためには患者の隔離が欠かせない。

となっています。流石に、山岡先生や米原高校のSELHiチームが精魂傾けて作った単語集です。この示し方であれば、essential のグループに括るのはそれほど難しくないと思われます。

妻が娘と散歩に出かけている間に、試験監督の合間に検索で見つけたLeni Damの講演 (2007年のIATEFL Learner Autonomy SIGのイベントにて)を聴く。

久々に聞くRichardの声。懐かしいね。この時のイベントにはDavid Littleも来ていて、CEFRとEuropean Language Portfolioの話をしている。資料はこちら、

Richardは、Warwickに行っても、着実に大切なものを育てているのだなぁ。Richardと一緒に始めたNEWはG大の府中移転で実質FEWとなり、今では休止してしまったようだけれども、志だけは持ち続けていようと思う。高校でも英語科などで潤沢な予算のある方は、最新の理論に傾注するのもいいでしょうけれど、思い切ってこちらを購入されてみてはいかがでしょうか?私?流石に個人では無理です。お持ちの方はご一報を!

本日のBGM: Irish Blood, English Heart (Morrissey/ Live at Earl's Court)

ohapuruohapuru 2009/01/25 20:22 かなり古いものですが、私の持っているWebster's NewWorld Dictionary of Synonymsには、crucialはacuteの所にacuteとcriticalと共に載っています。
興味深いのは、Critical is applied to a turning point which will decisively determine an outcome.とあるのに続いて、Crucial comes into cotrast with critical where a trial determining a line of action rather than a decisive turning point is involved.とあり、a crucial debate on foreign policyが例として挙がっていることです。

JunpeiJunpei 2009/01/25 23:50 TMRowingさんの授業おもしろそう〜
ブログにもはまってしまいました。
うちにあるThesaurusはCollingsのポケットとOxfordのChildren'sだけです。
Collinsのはポケットらしくわかりやすいです。
Essayを書くのにすぐに使えて便利だったのかな?(娘のです)しかしa “find-the right-word” dictionary で簡単に意味がわかった言葉はその時わかりやすいかもしれないけれど定着しにくいですね。
私は言葉は何度も読んだり使ったりしながら覚えないと定着しません。
そういう意味で最後の例文は素晴らしいですね。
ついでに私のOxfordの辞書の例文は
Winning this contract is crucial to the future of our company.です。これはこれでわかりやすいと思います。

tmrowingtmrowing 2009/01/26 03:44 ohapuruさん、Junpeiさん、コメントありがとうございます。
今回の(一連の) crucialについてのエントリーは、センターの出題で使われた、"play a crucial role in sth"というコロケーションでの "crucial"って、あんまり"crucial"って感じがしないんだけど、という違和感からきたものです。いわゆる母語話者、第二言語話者の「使用実態」から、"very important" くらいの意味合いに薄まって使われているのだろうと納得してはいますが、やはり気になるのですね。
Webster's とOxfordのChildren's のシソーラスは機会があれば入手して見てみようと思います。
授業に関しては、
-もし自分の教室に15歳の、18歳のtmrowingがいたとして、満足・納得させられるか?
と思ってやっています。そうでないと、「自分でおもしろくない、と感じる授業をしているのか!」と鬼籍の師匠に一喝されましょうから。
それでも、学習者によって、受け取り方は様々でしょう。「ことばっていうものはおもしろいなぁ」などという知的好奇心の部分と、「うむむっ」と、ことばへの畏れ多さを感じる部分と、両方への働きかけがあれば、とは意識しています。

2009-01-23 マニア vs. オタク

朝からどんよりとした空模様。未明に目が覚めて、ゾクゾクしたので麻黄湯エキス顆粒をお湯で溶いて飲んで布団に戻り小一時間ほど様子を見る。アスリートは決してマネをしないように。

0限は高1。朝のHRで『P単』のテストをやってもらっているのだが、100個一気食いの回にあたっており、私の入室時にもコロケーションを書いたり音読したり英訳したりしていたので、あいさつに続いて、

  • 順調?

と日本語で問う。頷く者、首を傾げる者いろいろ。すかさず、英問。

  • 「順調」を英語で何というか?

これは結構悩んだ模様。ヒントで、「順風」の話をふる。「順風の順ってどんな意味?」

  • in the direction of your destination / goal

を経て、「順風」を受けると、ゴールへとより近づくことができるのだから、と

  • I feel I can reach the goal.
  • I’m going to reach the goal.

あたりの表現を確認。

で、窓の外に目を移し、

  • Look at the sky. It is going to snow.
  • Judging by the look of the sky, it’s going to snow.

へ発展。

”be going to” と”will” の使い分けはどのような判断基準だったか?と既習事項に戻る。

残り時間で、今月の歌第二弾。

山下達郎の歌う”La Vie en Rose” を初採用。タイトルは繰り返し聞こえているのだが、高1では、

  • Love be alone.

などと品詞、文法的にも意味としてもいびつなものに聞こえていた模様。

今の若い世代は圧倒的に、ボイスパーカッションなどをふんだんに取り入れた某グループの音楽に馴染んでいるので、こういうコーラスのみのDo Wopはほとんど初体験らしい。

一連の書き取りの作業は、

  • これが本物ですよ。

という私のコメントで締めくくっておいた。

高2は、しつこくセンター試験ネタ。しつこく”crucial”でいっておきたいことはあるのだが、今日は今年の出題で少々目立った口語表現というか決まり文句というか大佛次郎的知識に言及。

1995年の夏期講習で私が使っていたプリント教材、よくいえばコンピレーション、正直にいえば多くの資料からのいいとこ取りの「パクリ教材」から、基本動詞の語法を解説。

巷で「高校生が知らないだろう」などと言われているらしい、”run in the family” の用例も示しておいた。95年の夏と言えば今から13年も前。まだ、私が某O社の入試問題正解に執筆していた頃だ。語法マニアとかオタクとかを作るわけではないのだから、語法偏重の出題は今世紀に入って是正されたと思っていたので、今更、このような成句がセンターに出るとは予想していなかったけれども、センター試験に出ないからといって「高校生が知らない」とか「知る必要がない」という判断には、『グラセン英和』(三省堂)の旧版から載っている I couldn’t disagree with you more. を引いておきましょう。

私のプリントの例文は、おそらく、ケリー伊藤氏の著作か、小西友七氏の『高校英語研究』(研究社出版)の連載から引いたものだと思う。(小西氏の連載は、その後『英語のしくみがわかる基本動詞24』(研究社出版)となって1996年にまとめられたのだと思われる。)

Runのエントリーから一部を紹介。

  • 一定刻みで連続して動く
  • 首尾良く機能する・働かせる

という基本義に集約するように例文を配置し、

  • Your nose is running. I’ll get you a Kleenex.
  • The dress needs dry cleaning. If you wash it at home, the color will run.
  • A talent for languages runs in her family.
  • Cab drivers are usually too sensible to run risks when they are driving.
  • The recovery is going to run out of steam some time during the summer.

などを対訳で示している。このような基本動詞や前置詞・不変化詞に関しては、高校の英語教師であれば私家版英和・和英辞典よろしく、用例集やカードなどを作成していること思う。最近でこそ、「ハート」とか「コア」とか賑やかであるが、1980年に初版が出ている最所フミ編著『日英語表現辞典』(研究社)では、「家系のなかにある」として、run in the familyをとりあげ、

  • Dramatic talent seems to run in their family; he is a third-generation actor. (役者の血があの家には流れているらしい。彼の祖父も父親も役者、彼は役者三世だ)(p.142)

という用例を載せている。このエントリーの最初に述べられている最所のことばを引いておく。

  • run この言葉は英語のなかで最も使用法の多様なものの一つで、ここにあげるものはほんの一部にすぎないが、ごく日常的なものばかりである。(p.141)

結局のところ、入試におけるイディオム・成句の類は、「自分が慣れ親しんだもの」が出題されていれば妥当、そうでなければ疑義〜批判、といったところなのではないか?

午後は、教頭と一緒に中学校訪問。

本業の勧誘の一環。まずは、正しく知ってもらうことから。

土曜日は朝から県合宿なので、学校に戻り、日曜日の模擬試験の仕分けを済ませる。

週末は今シーズン一番の寒気到来とか。高確率で雪の予報。

合宿が滞りなく進むと良いのだけれど…。

日曜早朝には学校に戻って、朝から終日模擬試験の監督です。

Scotland Martにシャツを頼んでおいたのを思いだし、急いで道場門前まで車を飛ばす。閉店前に到着して安堵。他にも心惹かれるモノもあったのだが見て見ぬふり(英訳候補、1. ignore, 2. turn a blind eye to, 3. look the other way, 4. pretend not to see のうちどれが最適か?)。

書店に寄って、散財。

  • 『中島敦』(河出書房新社、2009年)

「中島敦アンソロジー」というコピーがあるのだが、「中島敦論」のアンソロジーということだろうと思う。

武田泰淳、吉田健一、澁澤龍彦などの文章も収録で楽しみ。

  • 小池昌代・林浩平・吉田文憲編著『やさしい現代詩 自作朗読CD付き』(三省堂、2009年)

意外に若い詩人が少なかったが、入沢康夫が入っていたので即購入。

今月は某書評に影響され、古本で取り寄せた篠田一士『詩的言語』(小沢書店、1985年)、『ノンフィクションの言語』(集英社、1985年)もあるので、しばらくは充実した生活が送れることと思う。

遅い夕飯は、ホウボウのカルパッチョに大根と小烏賊の煮物、キャベツと落とし卵の味噌汁。

晩酌のお供に本鮪の刺身。

本日のBGM: Few And Far Between (10,000 Maniacs)

JunpeiJunpei 2009/01/24 01:24 はじめまして
英語関係のブログをのぞいていてこちらにたどりつきました。難しすぎて意味がわからないものもありますが、興味深く読ませていただきました。

>”be going to” と”will” の使い分けはどのような判断基準だったか?と既習事項に戻る。

高校でもこの使い分けをきちんと習うのですね。
私も習ったのかもしれませんが、ぜんぜん記憶になく、
英語話者とつきあうようになって自然と覚えました。

英語の授業
先生の取り組み方、先生の英語力によって大きく違っているのでしょうね。
きっと英語好きな生徒さんたちが、tmrowingさんの授業を楽しまれていると思います。日本の英語教育って日本を離れすぎてよくわからないのですが、英語を必要としない場所だけに難しいものがあると思います。
そのくせ受験問題などは難解ですしね。
不思議な国だとつくづく感じます。

ohapuruohapuru 2009/01/24 03:21 私も以前、マニアとオタクはどう違うか考えたことがあります。
「切手マニア・切手オタク」など鉄道・漫画・歴史・サッカーとどちらでも使えるものが多いのですが、性的な分野(書くのは控えますが)では圧倒的にマニアしか使えないようです。
そこから得た結論は、オタクは知識だけだか、マニアは行動を伴うというものです。
下らなくてすいません。

tmrowingtmrowing 2009/01/24 06:06 Junpeiさん、日本以外の地で英語教育に関わっていらっしゃるのでしょうか?実際に、日々英語を使っている人の目に、日本国内の英語使用の実態というか現実がどう映るのか、英語教師は受け止めておく必要があると思います。全てに責任が持てるわけではないのですが…。お時間のある時にでも、過去ログをご笑覧下さい。

tmrowingtmrowing 2009/01/24 06:24 ohapuruさん、節度ある書き込みに感謝します。
「オタク」は "Otaku" としてWikiにもエントリーがありますが、言葉として世界の市民権を得たと見ていのでしょうか?
個人的には、本業でmaniacと呼ばれても、別に嫌な気はしませんが、geekとかは勘弁して欲しいですね。
nerdというのは専ら科学やIT志向者を指すことばなのでしょうね。こちらはgeekに比べればすいぶんと新しい言葉のようです。

LucyLucy 2009/01/24 09:21 「見て見ぬふり」は、3.turn a blind eye toですか?
"run in the family"という表現は最近見たアメリカのテレビ映画"HEROES"で少年が使っていました。センター試験前にこのDVDを見ていたので、試験問題見たときには、作問者もHEROESを見ていたりして、と思いました。

JunpeiJunpei 2009/01/24 11:48 香港で日本語を教えています。
オタクは日本に興味のある人は誰でも知っている言葉です。知らない人にはmaniac, geekと言えばだいたいわかるのですが、必ず秋葉原のことも一緒に説明しています。
個人的にはオタク=geekと思っていますが。

ここにたどりついたのは、最近日本人の中学生にアメリカ人Tutorを紹介したのですが、英語を短期間で教えなくてはいけない状況+学校のテストの準備もしないといけないのでどうしたものかな?とあちこちの先生ブログにお邪魔していたからです。テストって私が中学のころと変わりないのでしょうか?30年前のことですが…

今 過去の投稿をあちこち読んでいるところです。
英語の勉強の仕方が斬新でびっくりしました。
私は努力せず遊んで覚えた英語ですからたいしたことないです。今は読書が主な勉強法です。

2009-01-21 D.I.Y.

高1はあいさつからスモールトーク。私が入室しようという時に慌てて黒板を消していたので、その生徒たちを指して、

  • What were they doing just now?

と問う。そこから、

  • 黒板を消す

を英語で何というのか?という問いを英語で。「消す」にあたる英語は何?と英語で問う。マジシャンのマネをしてみたりしたのだけれど、すぐに、

  • clean

という答えが出て来たので良しとする。少し前の授業で、

  • (to) clear the table と (to) clean the tableの違い

を扱っていたので、それほど難しくはなかったようだ。こんな感じで少しずつ英語の語彙と発想が身についてくれればよいのだけれど…。その後『グラセン和英』で該当する表現を調べて確認して一件落着。

サイドリーダーを順調にこなし終了。

高2は、センターの続き。

読解問題は私の ”think aloud” で終了。

和訳をいくら繰り返してもらってそれを写したところで、新たな英文に自分が素手で格闘する役にはたたないことに早く気づくべし。と同時に、授業で扱うある文章での、「読める人」の頭の働かせ方、をいくら写したところで、新たな英文に対して、自らがそれを「試用」しなければ、決して自分が「読める人」になることにはつながらない。結局は自分の頭を働かせ続け、磨き続けるということに尽きるのでしょう。

さて、

『一個人』(KKベストセラーズ) という雑誌の、大人の購買意欲・消費衝動を増大させ続けようという企み(戯れ?)にまんまとそそのかされ、「世界で一番おいしいコーヒー II」という特集号を買いました。

  • 全国縦断! 日本一おいしい珈琲ショップ厳選21軒

ということで、「日本一」が「21」も存在するという記事なので、英語の「最上級」の「級」という感覚を育てるのに役立てようと思います。

私は最近では、ジャルダンで買った豆をゴリゴリ挽いて、妻にドーナッツドリッパーで淹れてもらっています。私が自分で淹れるより遙かにおいしいので、淹れ方で味に違いが出るというのはよく分かります。

カフェプレスなら簡単そうだから一つ買って職場で飲もうかなぁ。いつもいつもT先生が淹れてくれるのに便乗しているだけというのも悪いし、ドリップパックの珈琲はすぐに飽きるからねぇ。

『相棒』は新年スペシャルの後の通常話の2回目。

引き算の難しさ。

「いない」ことをあからさまにひきずってはおしまいだが、補って過剰な演出も歓迎できない。

本日のBGM: Drip Drop (山下達郎 / On the street corner)

f:id:tmrowing:20090122060727j:image

↑の白いのがドーナッツドリッパー。デザインも可愛らしいので、オススメです。

2009-01-20 パブリックコメント締切は1月21日(水)。必着。

高2は、昨日の続きで第6問の解説。「読むこと」へのこだわりというより、「使い物になる読み方」へのこだわり。”crucial” を学級文庫の英英辞典数冊で示し、各自確認。『ワードパワー英英和』(増進会出版)の特徴を補足し、見た目は悪いがコンセプト、理念は他とは一線を画することを指摘。英英での定義説明が必ずしも語義の本質にアクセスできるとは限らないことは例えば、『COBUILDスクール版米語中級辞典』の次の ” few and a few” の記述でも分かろうというもの。

  • Be careful to use few and a few correctly. Few means “not many,” and is used to emphasize that the number is very small: He had few complaints about his workload. A few means “more than one or two,” and is used when we wish to imply a small but significant number: He had a few complaints about his workload. (p.342)

このような解説だったら、英和辞典の記述の方が余程語義の本質に迫れると思うのである。

高1は、サイドリーダー『Chris Moon』(啓林館)でほぼ同様の趣旨の活動。少々手取り足取りで、読む際の頭の働かせ方を、問いかけ、「範読を披露」し、実感、共有してもらう。レベルとしては検定教科書のBook 1よりも少々難しいですから、こんなところで容易に躓きます。

  • I am sometimes asked, “Can’t the work be done more scientifically, or with machines?” I have to admit that doing the work manually seems slow and ineffective. But if machines are used, the success rate is only 90%. Besides, vibrations from the machines may cause mines to explode.

引用符の中の受け身の必然性、more scientificallyの比較の対象、scientificallyという一語の副詞とwith machinesという副詞句のバランスなどを解説するのは日本語です。ここで、「もっと科学(の力)を使って」と「機械を使って」という日本語を援用して副詞のイメージを持たせることが、次のdoing the work manuallyでの副詞 “manually” を”done by hand”とか”with your own hands”というパラフレーズに繋がり、段落後半のif machines are usedの”use” の伏線となる。というようなことは流石に私にも英語では上手く説明できません。もっとも、このサイドリーダーの英文を読んだ後で、教科書のBook 1に戻りますから、そうすればもっと容易に (=effortlessly) 「英語は英語で」読解ができるのではないかと期待はしているのですが。slowのマイナス評価から、ineffectiveとのペアを確認し、Butでの筆者の焦点の在処を問い、onlyに着目し(下接否定とか否定対極表現などという用語は使いませんが)、besidesではそのマイナス評価の更なる積み重ねを予測させる。こんな風に自分の守備範囲を少し超える素材文でも、何とか対処できる読みの視線、基本姿勢を育てているところです。最後は理解した範囲の黙読と音読。

そうそう、授業と並行して『P単』での語彙学習は教科書レベルより1,2歩先行しています。

さて、

「パブリックコメント」をまとめました。

平成20年12月22日に発表された高等学校指導要領改定案の外国語・英語に関して以下の4点に関して私の意見を提出しましたので、ここに報告します。

意見:

1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をお願いします

2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直して下さい。

3. 母語の積極的な活用を明示して下さい

4.「文構造」の定義・実例を明示して下さい


以下、詳述します。

1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をお願いします

  今回の改訂案では、「コミュニケーション英語I」という必修科目を設定している一方で、「英語会話」という科目も作っています。ということは、「コミュニケーション」=「英語会話」ではないということを示している、ということだと理解します。新たな科目の「英語会話」の方が現行の「オーラルコミュニケーション」の発展的解消になるのだとすれば、新たな科目の「コミュニケーション英語I」は現行の必修科目である「英語I」と「OCI」を併せたものであってはならないと思います。

   「コミュニケーション英語I, II, III」という階層で示されている一連の科目で養成する「コミュニケーション力」とは具体的にどのようなものなのか、そして、それが、高校卒業段階で求められる「英語力」の総体とどのような関係にあるのか、その関係、整合性を指導要領のどこかできちんと記述するべきだと考えます。もし科目名の「コミュニケーション」という言葉で他の科目との指導内容の差をはっきりと示すことができないのだとすれば、科目名は中学校と同様に「英語」のまま、階層を「I, II, III」とするだけで十分であると考えます。

   欧州のCEFRのような参照枠を模するにせよ、英国のナショナルカリキュラムのattainment targetsを模するにせよ、Canadian language BenchmarksのようにCan-do型の記述を模するにせよ、日本の言語教育政策・外国語教育政策が目指している技能・能力の発達段階の大まかな目安を示すことこそ、学校種が多様で、習熟度に大きな幅のある日本の高等学校現場、教師、生徒の双方にとって優しい指導要領になると考えます。

2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直して下さい

 中教審の外国語専門部会の第18回の審議では山岡委員から、「読むこと」の言語活動が退行しないように、という意見が出されていたと記憶しています。しかしながら、「コミュニケーション英語II、III」でも「英語表現I, II」でも、「読むこと」が持つ優れた学習活動としての側面を過小評価しているように思えてなりません。

 どの言語であっても、「ネイティブスピーカー」は存在しますが、「ネイティブリーダー」や「ネイティブライター」は存在しません。「読むこと」(そして「書くこと」)は須く学習や教育の成果であるのですから、外国語教育においても、とりわけ学校教育で扱う限りは「読むこと」(そして「書くこと」)に特段の配慮を欠かすことは本来的、本質的に誤りであると考えます。

 とかく批判を受ける訳読や遅読を排除しようという意図は理解できますが、そのことで「読むことによって語彙や文構造に習熟する」という重要な学習活動がカリキュラム、シラバスから抜け落ちてしまうことを危惧します。この部分の言語材料そのものの「学習」が保証されて初めて、読んだり、聴いたり、学んだりした内容について意見を持ち、それを表現できる力を養うことが可能になるのだと考えます。

 とりわけ、新語数が増えている改訂案では、教科書での新語の出現率を低く押さえる意味でも、繰り返しの学習に堪える「読むこと」の教材の見直しが必須の課題であると思われます。単純に教科書のページ数を二倍にするというのではなく、言語習得の分野での専門家の叡智を活かして欲しいと考えます。

3.母語の積極的な活用を明示して下さい

 「英語の授業は英語で」という文言がメディアでも大きく取り上げられていますが、巷でいわれる「オール・イン・イングリッシュ」に固執することで失うものも出てくると感じます。

 日本語を母語とする生徒であれば、すでに身につけている日本語の知識を活用する、日本語と対比させる、または日本語で説明した方がわかりやすいことにまで、英語を使う必要はないと思われます。教師が英語を使うこと以上に、生徒の活動の時間を多く確保し、その時間を使って行う多種多様な活動を通して、いかに充実した豊かな学習を生徒に保証するか、ということが最も大切なことだと考えます。

 そのためには、高校段階においても、いや高校段階だからこそ「ことばへの気づき」を促し、強化することが望まれます。生徒が既に持っている母語を活用する、という視点こそ、明文化を望むものです。

4.「文構造」の定義・実例を明示して下さい

 すでに公示されている中学校編で「文型」という用語が消え、「文構造」という用語に取って代わっています。今回、これが高校でも踏襲されたようです。第3款の3.で示される文言を読む限り、いわゆる五文型の指導が重箱の隅をつつくようなものとなり弊害があるという評価がされたのかと推測しますが、ここでいう「文構造」というものが、動詞型だけでなく、名詞型や形容詞型も含めた構成概念なのか、また、その他の「文法事項」で示されるものは全て「文構造」を持たないものなのか、など詳細・全体像がよくわかりません。  

 どのようなものに「文構造」というラベルを貼り、整合性をもって説明しようというのか、中学編の「文構造」の記述を踏まえた上で高校編においても実例をあげた上で発展的な記述をすることが必要不可欠であると考えます。

 総じて、今回の改訂案の記述からは、言語材料は「扱う」もの、「用いる」ものであって、「学ぶ」ものではない、とでもいうような理念・哲学を感じますが、「学習指導要領」である以上、「学習の支援」「学習の学習」といった側面により多くの光を当てた記述が盛り込まれることを希望します。

 未来を造り、担う新たな世代に豊かな学びを保証するためにも、市民の声を反映した、より良い指導要領が作られることを祈っております。

パブリックコメントを提出しようという方へ、様式は以下のアドレスでpdfをダウンロードし、ご確認下さい。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1030&btnDownload=yes&hdnSeqno=0000047271

夕飯は私のリクエストで久々のカルボナーラ。ちょっと身体の節々に違和感があり、風邪の気配がしていたので、大蒜を少し利かせてもらった。美味。ワインが欲しいくらいだった。

『中央公論』2月号が「大学の絶望」という特集だったので、買ったのだが、

  • 生誕100年の作家たちを読み直す

という加藤典洋・関川夏央・高橋源一郎の座談会に心惹かれて…。

『文藝』春号も、遅ればせながら入手。これはもう少し後で読もうと思う。

本日のBGM: Eventually (Carole King / The Carnegie Hall Concert)

f:id:tmrowing:20090121062651j:image

yashimaiyashimai 2009/01/21 00:05 tmrowingさん こんばんは。
パブリックコメント作成、ご苦労様でした。興味深く拝見させていただきました。見識の深さに感銘を受けています。ちなみに我が家の夕食もカルボナーラでした。いつかまたお会いしたいですね。

tmrowingtmrowing 2009/01/21 05:18 yashimaiさん、コメント深謝。
自分にできることを続けていこうと思います。
再会を楽しみにしております。
カルボナーラ、食べ過ぎました…。

tmrowingtmrowing 2009/01/21 06:27 ↑写真を追加。

2009-01-19 隔靴掻痒

英語の授業を英語で進める授業のことをカタカナ語では「オールイングリッシュ」と形容・叙述していることが多いように思う。私は普段、”all (in) English” というようにかっこ付きで使っている。過去ログでは、おおよそ、2年半前になる →http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20060528 のエントリーで言及している。その前にも「英英派」「AAO」に関して思うところを書いている(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20051203)。こちらがおおよそ三年前。この争点は自分の中では既に決着が付いていたかに思えていたのだが、今回の指導要領改定案、そして、今年のセンター入試での出題をみて、再び違和感が噴出してきた。

今年のセンター試験の第6問では、いわゆる「英英辞典」、monolingual dictionariesの効用を説く内容の文章が出題された。読解問題の素材文として、である。この文章の内容、そして、大学入学志願者を弁別する試験の読解問題で出題されたということがものすごく皮肉だな、と私には感じられたのである。

(私の違和感は、第8段落の結論めいた提案に至ってピークとなるのだが、詳しくは、この問題文を入手して読まれたし。翌々日の朝(19日午前9時現在)になってもまだ、大学入試センターのサイトでは他教科も含めた著作権の問題をクリアーできないためか、問題文自体が公開されていないのだが…。)

徒然なるままに、

  • そもそも、この文章を読んで理解できる高校生はどのくらいいるのか?
  • その理解している高校生のうちどのくらいが、「英語を読んで英語で理解している」のか?
  • その「英語を読んで英語で理解している」と思っている高校生のうち、どのくらいが、「英語を読んで日本語の助けを借りて理解している」生徒の理解度よりも高く深いのか?

今暫く私の違和感にお付き合いを。

  • では、このような文章が理解できない高校生がまずやらなければならないことは「英語を英語で理解する」ことなのだろうか?

私が、いわゆる「英英辞典」を使い始めたのは高校生の頃である。

LDCEの初版 (1978年) を買って使い始めたのが、1980年。高校1年生から2年生になる頃だったと記憶している。それと前後して、三省堂の『コンサイス英英』(これはいわゆる旧式の英英和)もラジオ『百万人の英語』の懸賞か何かでもらって使っていた。ただ、その頃には少なくとも英検でいう2級以上の英語力を既に身につけていたのは確かである。

当時のわたし自身の英語学習に関しては過去ログを→

そして、当時の大学入試を控えた高校3年生の授業で求められた語彙力の目安はこちら→ 

週が明けて月曜日の今日、0時限の高2で、まずこの第6問を扱った。

  • 問題文は見ずに聴き取り。第一段落のみ2回聴いて、主題を書き出す。ペンを置いて1文ごとに聴いて聴き終わってからペンを取って書き出す。2回ずつ。全文をこの手順で終えてから、3分間時間を取って、欠落した情報や文法的な整合性の修正。個人での見直しを経て、全文を1回通して聴く。その後、日本語により内容を問う設問を4つ与え、自分の書き出したメモの該当箇所に下線を引く。その後、確認のために通して全文を一回聴く。

この作業でおおよそ30分。この作業が上手くいかない者は、「英語は英語で」の授業を続けていけばそのうち出来るようになるのだろうか?しかもこの文章はあと7段落続くのである。少なくとも、この段落の最後の1文、

  • Now, after studying English at university for three years, I understand that monolingual dictionaries play a crucial role in learning a foreign language.

の意味が理解できていなければ、主題を掴むことは難しいだろう。逆に言えば、ここでのcrucialという「主観的な」「反証可能性を含んだ」形容詞が正しく理解できていれば、その論証責任が次の段落以降で求められるというのが、英語の文章の「建前」であるのだから、内容を推測しながら読むことが少しは容易となるかもしれない。

最後まで読みきったと仮定して、最終の第8段落での提言を簡潔にまとめると以下の通り。


  • 一般の英和辞典→文章の大まかな意味が分かればよくて、自分の考えを表現する必要のない人向け
  • 特殊な英和辞典→通訳者・翻訳者として働く人には必要になる
  • 英英辞典→意味を明確に理解し、多様な語彙を駆使して話したり書いたりすることを求める人向け。ただし、基礎的な語彙を完全に使いこなせるようになってから。

最後の「英英辞典」のススメ、の部分は、第5、第6段落で述べられる「学習用英英辞典」の効用とそれよりも一段階上にある第7段落での「シソーラス・類義語辞典」との効用が一緒くたになっていて、必ずしもこの筆者が述べてきた内容を正しくまとめたことにはならないと思われる。さらには、第6、第7段落で指摘される「英語による表現」に関しては、もう一つのbilingual dictionaryである、「和英辞典」の効用にも限界にも全く言及がないまま論が進んでいるのである。

センター試験など、そんなものだ、と譲歩したとしても、最終段落でのただし書きの部分を無視してはいけない。

  • once you have command of a basic vocabulary

私が思うに、ここでいう「英英辞典」を使うことが「極めて重大な」英語学習というのは、この第6問の文章が苦もなく読める程度の語彙力(= a basic vocabulary)を身につけたあとのことを指すのではないだろうか。「決め手となる」”crucial” の「本当の意味」が英英辞典を引くことによって得られるのか、ちょっと見てみよう。

旧版で申し訳ないが、LDCEの第4版(2003年)から定義を引く。

  • crucial: something that is crucial is extremely important, because everything else depends on it (p.377)
  • significant: having an important effect or influence, especially on what will happen in the future (p.1536)
  • influential: having a lot of influence and therefore changing the way people think and behave (p.833)
  • essential: extremely important and necessary/ the essential part, quality, or feature of something is the most basic one (p.531)
  • major: having very serious or worrying results/ very large or important, when compared to other things or people of a similar kind

この定義を読んで、crucialとmajorの「本当の意味(= the real meaning of a word in English)」が「明確に (= clearly)」わかるだろうか?

旧版で申し訳ないが、MED (2002年、米語版) から定義を引く。

  • crucial: something that is crucial is extremely important because it has a major effect on the result of something (p.426)
  • major: 1a. more important, more serious, larger, or greater than other things (p.1095)

これらの語義を照らし合わせて考えた時、第一段落の最後に述べられる、

  • monolingual dictionaries play a crucial role in learning a foreign language

の ”crucial” という語彙選択は適切だろうか?

この文脈では、せいぜいが、significantとかinfluentialどまりであって、majorを最上級のように使ったり、essentialを用いたりした場合には、bilingual dictionariesの効用を過小評価するような印象を与えかねないので感心しない。では、crucialだったら?

今は亡きWBDの定義を引く。

  • crucial: very important; decisive; critical

と至ってシンプル。

『COBUILD 米語版英英和辞典』(2008年) から定義を引く。

  • crucial: If you describe something as crucial, you mean it is extremely important. 重大な (p.250)

言ってみれば、この文章でのcrucialはこの程度の漠然とした語義の理解で用いていると推察されるのである。であれば、「極めて重大な」という既存の英和辞典の訳語を用いた理解でも十分ではないのか?

Oxford Dictionary of English(電子辞書SII SR-E10000収録版)の定義を引く

  • crucial: decisive or critical, especially in the success or failure of something / of great importance

この語義だと、やはり二つ目の意味合いで理解するのが適当だろう。

第8段落の, However以下が筆者の焦点であるという解釈をすれば、ここで示される内容が筆者の考える外国語学習の目的とみなせるので、

  • to understand a foreign language clearly and to speak or write the language using a variety of words

に適した辞書である「英英辞典」の使用に重点を置いた解釈が妥当なものといえるのかも知れない。しかしながら、「英英辞典を使わないと英語学習に失敗する」という裏付けは、この文章のどこにもないのだから、冒頭の段落での crucial を「何はなくとも」「これが全てを決定づける」というような意味に解釈するのは勇み足となるだろう。

そう考える時に、問7(第50問)の解答が本当に適切なものなのか、ネット上でも議論になっていないのがものすごく気になっている。用意された正答を当てはめた英文がこちら。

  • The writer implies that by continuing to use only bilingual dictionaries, learners are less likely to achieve a good command of a language.

最後の a languageは文脈からL1ではあり得ないので、a foreign languageとか another languageとか、a target languageの意味だろうとは思うのだが、この文章で筆者が言っているのは、せいぜいが、

  • The writer implies that using monolingual dictionaries and bilingual dictionaries according to your purposes is very likely to help you achieve a good command of a foreign language.

あたりではないのか?

  • えっ?お前が今示した英文だと「示唆」ではなく筆者の「明確な主張」だろう?

その通りかも知れません。ただ、私には何故、論説文とはほど遠い、論拠が隙だらけのこの英文を読んで、「はっきりとした言葉で言わずに、間接的に示されたことがら」の適否をわざわざ論じているのかがよく呑み込めません。

  • 大学の4年生くらいになれば、この位の英文が書けることを日本の英語教育は目指しているんですよ。

というアピールが「言外に隠されている」のであれば、この出題はこの出題でいいことなのかも知れませんが…、ああ、そうか、 “the progress I have made in English” とあるだけで、どこにも「高い英語力のある」という記述がなかったのに、なぜ問7では ”a good command of a language” と言い切っているのかが気になっていたのだが、この英文が書けるような日本の大学生はたしかに、英語ができるといって良いでしょうね!

今回のセンター試験では、前半の第3問のBの出題で、教師と生徒3人の僅か4人によるディスカッションを素材にした「読解」と「要約・換言」の問題があるのですが、今回の第6問の内容はむしろ、そちらで扱う方が良かったのではないか、というのが私の偽らざる「感想」です。

くれぐれも、今回の出題、この第6問を持ち出して、「高校の英語の授業は英語で」という方針に軌道修正することを支持するための材料に使うのは慎重にして欲しいものである。今回、私がここに引いた全ての英語による定義が、もし日本語で示されていたら、もっと容易にその語の「本当の意味」が分かるかも知れないのだから。

その意味では、最新の『COBUILD米語セミバイリンガル版(英英和)』(2008年)も『ケンブリッジ英英和』(小学館、2004年)も、定義文を日本語で説明しているわけではないので、『コンサイス英英』(三省堂、1978年)から大きく進化しているわけではない。『ワードパワー英英和』(増進会出版、2002年)では、この点、日本語による解説へとかなり踏み込んだ努力がなされていたように思うが、活字の組み方や色遣いなど伝統的な辞書の紙面とかなり異なる印象を与えており、極めて読みにくく、引きにくいのが誠に残念である。

monolingualのシソーラス、類義語辞典が本当に外国語の能力向上に効果的であるのか、を考える材料としては、例えば日本語の類義語辞典で良いものがあるかを想像してみると良いのではないか。そして、その良い教材を外国語(第二言語でも結構)として日本語を学んでいる学習者が使いこなすのにどのくらいの日本語力が必要なのかを想像してみるのである。私の手元には、

  • 松井栄一編『ちがいがわかる類語使い分け辞典』(小学館、2008年)

がある。たとえば、「ひょうげんする」(p.417)では、

  • 表現する・表す・表出する・表白する・描写する

の5つの表現をコロケーションによる共起制限を利用して使い分けの目安を与えている。使用例は、

  • A 心中の悲しみを
  • B 情景を的確に
  • C 怒りを顔に
  • D 尊敬の意を

の四つ。Aの補足説明は以下の通り。

  • Aのような心の内面のものを外に示すの意の場合は、どれも使える。しかし「描写する」は客観的に描き出す意(たとえ自分自身のことについても)をもっていて、他の四語とはこの点で異なっている。

この日本語解説を読んで理解できる学習者の日本語のレベルとはどのようなものだろうか?

さて、

自分自身のパブリックコメントへの最終の詰めを行う中で、改めて、中教審の外国語専門部会での議論を振り返ってみた。

最終回である、第18回 (2007年9月14日) の議論だけ、詳しく読んでいなかったのを猛省した。

(第17回のまとめがこちら→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/015/siryo/07100309/001.htm、第18回の審議内容がこちら→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/015/siryo/07100309.htm

中教審のこの部会の審議だけで見るのならば、「授業は英語で行う」というテーマが議論に出てきたことはないように思われる。ということは、中教審の答申(提言?)から改訂案作成の間に、どこかから、誰かから入ってきたということなのだろうか?真偽のほどは定かではないが、審議されていないことが、鶴か亀か分からない、一声(あるいは二声か双声か両声か複声か混声か大声か…)で文言が付け加わるというのであるならば、極めて異例のことではないかと思われる。

この第18回の審議の過程で山岡委員が言う次の内容は、改定案でどのように反映(修正、吸収あるいは却下?)されているのか、読み直してみた。

  • 資料5につきまして、私も「案の2」がいいなと思います。「案の1」でも同じなんですけど、現実的な履修形態としては、コミュニケーションIを1年生で選択をし、あわせて、英語表現Iの2単位で5単位のような形式になるのではないかと思います。2年生ではコミュニケーションIIをとって、英語表現IIの2単位、3年生でコミュニケーション英語IIIと英語表現IIのもう2単位、分割履修ということが可能ですよね。そのような形態におそらく多くが落ち着くのではないかなと思います。そういう意味では非常にすっきりしていますし、段階的に履修できると思います。ただ、心配なのは、「案の3」にある英語理解、いわゆるリーディング、リスニングの部分がどうも薄くなるような印象が確かにあります。そこで、コミュニケーション I, II, III、の部分で、少なくとも現状のリーディングの量が減らないような手だてが必要ではないかなと思います。ただでさえ高等学校で読む量が減っていると思われますので、そこの部分がより弱くならないように工夫が必要ではないかなと思います。それと、コミュニケーション英語基礎と英語会話とのやはり差別化が必要でありまして、コミュニケーション英語基礎をとる学校ですと、1年生でコミュニケーション英語基礎と英語表現Iの2単位をとるような感じがします。ですから、かなりダブりが、コミュニケーション英語基礎と英語会話云々の重なりがあって、その部分でもう少し特色が、松本委員が仰ったように、特色があればこれが生きた科目になるんじゃないかなと思います。

パブリックコメントを既に出された人も、これから出す予定の人も、出すつもりのない人も、今一度、この審議会の模様を振り返ってみてはどうだろうか?

私の最終的なコメントは明日20日にはアップしたいと思っています。

本日のBGM: Middle of Nowhere (Dreams Come True)

福田哲哉福田哲哉 2009/01/20 10:31 松井先生、ごぶさたしております。先生のご活躍を拝見して、私も勉強しなければと励まされます。

2009-01-17 済んだ話

かつて、経済概況・景気動向を「文学的」な表現で語る経済企画庁(現内閣府)長官がいた。官僚から作家となり、大臣を経て今も言論活動・執筆活動などをしているのではないかと思う。公示済みの小中の指導要領と高校の指導要領(案)の文言を照らしていてこの大臣のことばを思い出した。

『英語教育』(大修館書店)の2月号の連載記事で、文科省で英語教育の政策立案にも関わる菅正隆氏が次のように述べている。

  • 小学校の「コミュニケーション能力の素地」、中学校の「コミュニケーション能力の基礎」、高等学校の「コミュニケーション能力」をそれぞれ養うことで、子どもたちのことばと心を育てようとするものである。(中略)日本語がいくら流暢でも、漢字を読めないのでは笑われてしまう。正しく英語を綴れたとしても、相手に的確に話せないのでは、自分の気持ちが伝わらない。英語教育は、子どもたちの「ことば」を育てるものであることを、再度、意識してもらいたい。(「英語教育ここだけの話。」(p.56)

詳しくは是非、同書にあたられたい。

申し訳ないが、このような舞台裏開陳、楽屋話のようなものを有り難いと思えないのだ。改定案を世に問う際に、改訂の趣旨も同時に世に示せば済むことではないか。

氏名肩書きのついた原稿であるから文責はあれども、文科省の示す公的な文書ではないところでいくらこのように言われても、

  • だったら「指導要領」の本文にその記述を含めるか、責任を持って公的な「解説」を同時にだせばいいだろうに…。

と思ってしまう。現場の英語教師も含めて、市民は「パブリックコメント」というコミュニケーションの手段でしか、「自分の気持ち」を伝えることができないのである。情報の送り手が「後出しじゃんけん」宜しく、このような補足を重ねることで適切なコミュニケーションが成立するのか懐疑的にならざるを得ない。

英授研の関東支部春季大会の案内が届いた。


4月5日(日)9:40〜17:00(受付は9:00〜)神奈川大学・横浜キャンパス(16号館セレストホール)

講 演(15:45〜16:55)

「新学習指導要領と小中高英語教育 コミュニケーション能力の素地と基礎をふまえた高校英語を中心に」

講 師: 菅 正隆(文部科学省初中育局教科調査官)

司 会: 久保野雅史(神奈川大学)


すでに公示も終わり、新年度の準備で大忙しの時期ではあるが、なんとしても直接話を聞きたいと思う。この春季大会のプログラムの中に、加藤京子先生の発表もあるので、神奈川まで行く価値はあると信ずる。詳しくは英授研サイトを参照されたし。(左のアンテナから入れます)

2月号の話しに戻ると、特集は「インプットからアウトプットへ」

再三言っているが私が最も期待する上智大の和泉伸一氏が「フォーカス・オン・フォームの指導」について述べている。(pp.28-30)。

肝心なところで結ばれていて悩ましい。

アウトプットの持つモニター機能を活かして「気づき」が仕掛けられている授業観への転換を果たした後、教材と授業の立案、限られた授業時数と年間の指導計画といった「シラバス」の中で、30人〜40人のそれぞれ異なるプロフィールを持った学習者の内面での「気づき」をどう育てていくのか?私の悩みはまさにそこにある。(過去ログ参照→http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061123; http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061224; http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061230; http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20070303; http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20080207

  • 教え込まずに「気づき」を促せ

という提言に異論はない。

ただ、編集部への注文が一つ。それぞれの執筆者に書いてもらう内容が重複し(すぎ)ないように段取りをして、和泉先生には、29ページの図2について4ページくらいで解説してもらえなかったのだろうか?というのも、これに続く村野井仁氏の論考「インプットをアウトプットをつなぐ教科書中心の授業」(pp.31-33) にも、図2(p.33)として「第二言語習得の認知プロセスと英語指導」のしくみが示されているのである。

この2つの図の整合性をどのように保ちつつ F on Fの理論を「インプット」処理して、適切な理解を経て自らの血肉化し「インテイク」するのか、そこがよく分からないのである。

F on F 派に問いたいことは多々あるのであるが、

  • 「ストーリーリテリング」や「要約」や「ディクトグロス」はどのような現実の場面でのコミュニケーションなのか?

ということをもっと大きな声で言ってもらえないだろうか?私は自分の実践から、これらの「アウトプット活動」は、英語力を高めるのに極めて効果的であると信ずる。しかしながら、それらは決して「日常の言語使用」と同一ではない。学習(習得)にとって有効な手段であるからこそ、教室で、授業の中で時間を割いて行っているのである。指導要領が「コミュニケーション」一色になりそうな今だからこそ、最先端の研究者、実践者に期待する。

  • language awarenessが重要である。

そこまではいい。ただ、かつてKrashen や Swainなどに乗っかって「文法的能力 (= grammatical competence)」などを語っていた際に、日本の英語教育界は

  • 「正確である (accurate)」ことだけでなく「流暢である (fluent)」ことが大切だ

とか、

  • 「正しい (correct)」だけではなく、「適切である (appropriate)」ことが求められる

はたまた、

  • 「宣言的な知識」から「手続き的知識」へ

などと異なる学者の説く異なる次元の理論から次々と新しいことを輸入しては、その指導や成果を評価していたことを忘れていないだろうか?

今から5年後の英語教育界で

  • 「正しい」気づきと「適切な」気づき
  • 「宣言的」気づきと「手続き的」気づき

などを議論していないことを切に望む。

今日は大学入試センター試験初日。

心配された天気は雨のち晴。昨日の1限に教室でひと言伝えたので、特に会場に激励に行ったりはしない。

そろそろリスニングの終わる頃。

明日は明日の風が吹く。

風邪だけは引かないように。

自由堂さんの日記に触発され、

  • 前川清治『三枝博音と鎌倉アカデミア 学問と教育の理想を求めて』(中公新書、1996年)
  • 廣澤榮『わが青春の鎌倉アカデミア 戦後教育の一原点』(岩波同時代ライブラリー、1996年)

を読む。

『週刊東洋経済』の1/10号、特集「若者危機」を読んだ後だっただけに、学舎というものの存在をあれこれ考えていた。

『AERA』の1/12号の総力特集「100人の予言」で出てくる100人の顔ぶれを見てゲンナリ。世界不況を江副浩正に語らせたり、教育を榊原英資に語らせたりしてどうしようというのか?

注文してあった、HARQUAのアルバムが届く。明日18日にはライブがあるとか。東京近郊の人が羨ましくなるのはこんな時くらいだな。

妻と娘と一緒に夕食の買い出し。

今夜は牡蠣フライ。

ナポレオンかビスマルクか。

待つ間食卓で、

  • 久世光彦『百�*先生月を踏む』(朝日文庫、2009年;*は門の中に月)

とにらめっこ。

装幀がシンプルで配色も好感が持てた。

未完の作品でどうしようか悩んでいたのだが、そろそろ読み始めてもいいころか。

本日のBGM: A man is in love (The Waterboys)

D

tmrowingtmrowing 2009/01/17 19:30 タイトル変更。

tmrowingtmrowing 2009/01/18 07:04 一部加筆修正。

井上大輔井上大輔 2009/01/21 09:49 下記の疑問面白いですね。今日ちょうど和泉先生のfocus on formの授業があるので、直接聞いてみたいと思います。

「ストーリーリテリング」や「要約」や「ディクトグロス」はどのような現実の場面でのコミュニケーションなのか?
ということをもっと大きな声で言ってもらえないだろうか?私は自分の実践から、これらの「アウトプット活動」は、英語力を高めるのに極めて効果的であると信ずる。しかしながら、それらは決して「日常の言語使用」と同一ではない。学習(習得)にとって有効な手段であるからこそ、教室で、授業の中で時間を割いて行っているのである。指導要領が「コミュニケーション」一色になりそうな今だからこそ、最先端の研究者、実践者に期待する。

2009-01-15 言葉をなくした後に見えるものは何?

未明に雪、朝の冷え込みは記録的。校庭は完全に凍結。野球部は大変だろうなぁ。

推薦で1日空いて、本日の授業は高1のみ。

サイドリーダーの英文が高一には歯ごたえがあるので、

  • 段落数と分量の確認→内容理解の設問を利用した本文の該当箇所確認→主題を確認しながらの読み

という流れ。

  • 新出語句で立ち止まる場合に、その後の見通しを立てること
  • 不明点を後戻りして確かめる時に、主題を忘れないこと

を地道に。頭の働かせ方を覚えて、それを何度も繰り返し適用することで未知の英文、自分の守備範囲を少し超えた英文とも格闘できることを実感してもらう。

  • 自分の守備範囲を超えた英文、レベルの高い英文にも、自力で取り組める道具を用意しておくことも必要。でもそれだけしかやっていないと、スラスラ感がなくなってしまうので、復習の音読で既習素材のスラスラ感を味わうこと。それと並行(または先行)して、新たに読む英文素材を、守備範囲の真ん中に近い、自分のレベルよりも少し下のものにして、大量に読むこと

を強調。

高2は、自分の担任するクラスなので時間割をずらして自分の授業を2コマ連続で使い、外部講師を招いての進路ガイダンス。2学期末に学年全体で行ったガイダンスでは業者と大学とこちらの希望の摺り合わせが出来なかったためHRで代替したので、今回は違う業者の方にお願いした。結果としてこれが正解。週末にセンター試験が迫っているので、リアリティのあるレクチャーとなったことと思う。講師のOさん、無理を言ってご多忙な中スケジュールを入れて頂いてありがとうございました。

今日は夕方からFTCで「高校指導要領改訂案」の勉強会とのこと。

流石に平日に東京では、私は参加できないので、前日までに参考資料のアドレスを送っただけ。盛会を祈りつつ、自宅で「コミュニケーション英語」という科目名について思いを巡らせていた。

過去ログのコメント欄でのferrierさんのことばが思い出された。(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20050905

  • しかし、いうまでもなく、詩だけが大事なわけではありません。歌詞だって大事だし、演劇の言葉だって大事。すべて英語は教材となりうる。会話文だけにするっていうのが困りますよね。言葉ってのが面白いってことを、もう一度みんなで確認する必要があると私は思います。コミュニケーションも言葉の面白さの一つ。が、それがすべてではない。こういうことを何度でも繰り返して言っていかないといけないと思っています。

昨日のエントリーのBGMはHARCO。HARCOがBGMの時は結構冴えているように思う。

自己評価では、昨日のエントリーを入れて、7打数4安打(うち2ランホームラン1本)、打点3といったところか。

音楽的に大所高所から見ればPico(樋口康雄)の方が日本の大衆音楽史に残るのかも知れないが、個人的には断然HARCOなのである。彼の「ん」の発音が大好き。幸福は音に宿れかし。

下北沢のmonaにミニライブを見に行って以来、HARCOを生で見ていないので今はどんな歌声なのか少し気になるけれど…。

夕飯は、蟹の茶碗蒸しと風呂吹き大根・柚子味噌風味

本日の晩酌:佐久乃花・山田錦純米・熊本酵母・無濾過・原酒

本日のBGM: Snow Man (HARCO)

tmrowingtmrowing 2009/01/15 21:56 本日の晩酌、銘柄追記。

ohapuruohapuru 2009/01/16 00:28 私は、「コミュニケーションを教える」ことがどういうことかさっぱりイメージが湧きません。言語を教えるには教えるための「メタ言語」が必要ですが、コミュニケーションを教えるための「メタコミュニケーション」など存在するとは思えないからです。コミュニケーションとは人から教えられるよりは自然に身に付けるものではないのかと思ってしまいます。

tmrowingtmrowing 2009/01/17 07:48 改定案では「コミュニケーション活動」の実態を記述しきれていないので、推測がさらなる推測を、解釈がさらなる解釈を生むのだと感じています。
『英語教育』の2月号の特集「インプットからアウトプットへ」で、例によって「フォーカスオンフォーム」を取り上げている方々がいますが、その「最新のSLA研究の成果」で推奨される「アウトプット活動」である、story retelling、(oral) summary, dictoglossなどは、決して日本の教室内外で「日常、頻繁に目にする言語によるコミュニケーションの場面」ではありません。しかしかながら、英語力をつける、高める上では、私自身の実践からも極めて効果的であると確信しています。
この「ズレ」には、また日を改めて言及したいと思っています。

2009-01-14 「指で描ける未来」

雪交じりで今季一番の冷え込みの中、勤務校の推薦入試。

受験生は廊下での待機など寒かったことでしょう。実施内容等については一切触れませんので悪しからず。

さて、

パブリックコメントのための覚え書きなぞを準備。

来週に迫ったパブリックコメントの受付締切を前に、今のところ考えていることを書き出してみた。当局の意志決定に影響力のある方たちに読んでもらうためには、ここからさらに絞り込んで簡潔なアピールをする必要があるだろうが、まずは、自分のための覚え書きである。

1.「英語力」「コミュニケーション力」に関わる具体的な記述をすべし

 「外国語を通じて」という文言が第1款の「目標」に見られるのだが、実際の使用場面を演出し「言語活動」を行うことで身につけるものは「コミュニケーション能力」なのか?必修科目の「コミュニケーション英語」で示される「目標」も、「情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりする基礎的な能力を養う」ことであるが、この能力は高校卒業段階で求められる「英語力」全体とどのように関わっているのか?新たな科目名で「コミュニケーション英語」といいながら、その実態が科目の「内容」を見ただけではよく分からない。何故、「英語」だけではダメなのか?現行課程での必修科目である、「オーラルコミュニケーション I」と「英語 I」を併せたものであるなら、「英語会話」という科目を設定し「オーラルコミュニケーション」を発展解消する必要はないわけであるから、現行の「英語 I」が養成してきた英語力の何処に不備があり、新たな科目ではどのような英語力を養成するのかを示す必要があろう。

 必修科目として「コミュニケーション英語 I」を設定しているのであるから、まずこの科目のみを履修した生徒がどのような英語力を身につけるのかについて、個々の技能別にせよ、技能統合の観点にせよ、「内容」「内容の取り扱い」のどちらかで記述しておくべきだろう。

 「英語を通じて」という灰色の文言にすべてを語らせようとすると、多種多様の解釈と疑義を生じるのではないか。英国のナショナルカリキュラムの外国語(Modern Foreign Languages, Key Stage 3)も2007年に改訂されているが、そこで示されている技能別の8段階の到達度指標 (attainment targets) 程精密でなくとも、ある程度の到達度の幅を「許容」することが、多種多様な学校種での授業実践に対するガイドラインとしての必要条件であろうと思う。

2.「読むことにより目標言語を学ぶ(Read to learn (the target language) )」ことの過小評価を見直すべし

 1.で示した「英語力」の記述や発達段階に関わる疑義のうち、もっとも大きいのが、「読むこと」の技能に関わる記述である。単独で「読むこと」を扱う科目の廃止に伴い、「読むこと」の技能が、高校卒業までにどのように発達していくのかという道筋が見えない。「コミュニケーション英語 I」の内容記述から「英語表現 II」の内容記述まで通してみられるのは、「読んで何かをする」という記述のみであり、まず「読めること」がその前提にある。「精読」「速読」という記述が「コミュニケーション英語 II」で出てくるが、そもそも「精読」とはどのような技能なのか、という定義や説明がないだけでなく、「どのようにしたら読めるようになるのか」という記述がない。さらには「読むことにより何が身につくのか」という観点の記述も皆無である。これでは、学習指導要領としての必要条件を満たしていないと感ずる。Learn to read vs. Read to learnのバランスをとるどころか、これまで以上に曖昧となってしまったのではないか。この背景には、「訳読」を排除しようという意図があるのかも知れないが、これではシラバスの中でいつまで経っても、英語のままで理解できる水準・難易度の英文しか扱わないことになりかねない。

 これまでの指導要領で何度もかたちを変えながら「読むこと」が取り上げられてきたのは、「教科書」が「読むこと」をその基本として作られてきたからである。とりわけ、語彙と文法の習得に関して「教科書」を「読むこと」の果たしてきた役割は大きい。

 語彙のみを取り上げても、戦前・戦後直後の教科書と比較して現行の高校課程の教科書では「新語」の出現する割合が著しく高いため、学習者は常に未知語との格闘を強いられている。中学校の指導要領でも「別表」が消え、「必修語」の実態は不明となった。高校でも同様である。では、何をもって「3000語」と言っているのか、実態のない議論が現場を混乱させることとなる。「語彙指導」「語彙習得」に関しては、高校段階の方が学習者にとっての負荷が高いと思われるのに、指導要領で具体的な記述がない。

 英語会話を除くすべての科目を履修した場合に、新語を高校卒業までに3000語示すことになるわけだが、まがりなりにも「読み」が潜在的に意図される教科書を使用していながら、新語の出現する割合が著しく高い現行の教科書よりも多い新語数を、「読み」を意図しない科目でコミュニケーション活動を通じて習得することが可能であると想定している根拠を知りたい。

3.母語の積極的な活用こそを明示すべし

 「英語は英語で」という基本の明示と「母語の活用」は矛盾するものではない。

 「学習指導要領」といいながらも、「英語を学ぶ」「言葉を学ぶ」「日本語と異なる言語を学ぶ」という具体的な記述が何処にも表されていない。「学習活動」という用語が指導要領から消えて久しいが、必修科目の「コミュニケーション英語I」週3単位の授業中の指示を英語で行う程度では、学習者の内部で学習を司る「メタ言語」は日本語が主となることは想像に難くない。一人一人の学習者の学習を保証する意味でも、「母語の知識、母語の技能」を積極的に活かすことを指導要領に明示すべきであろう。中学校編では日本語との対比に該当する記述があるものの、高校編では「授業は英語で行うことを基本とする」という文言がメディアに取り上げられることで世間が過剰反応している印象を受ける。

 英語の運用力が低い教師に逃げ道や口実を与えるためではなく、「新しい言語を学ぶ」という学習のモデルとして「自分の用いていることばへの気づき」を促し、その気づきと比較対照することは極めて有意義かつ効果的であると信ずる。

 上述の英国ナショナルカリキュラムのKey Stage 3の記述には、以下のように明記されている。

  • Learning languages gives pupils opportunities to develop their listening, speaking, reading and writing skills and to express themselves with increasing confidence, independence and creativity. They explore the similarities and differences between other languages and English and learn how language can be manipulated and applied in different ways. The development of communication skills, together with understanding of the structure of language, lay the foundations for future study of other languages and support the development of literacy skills in a pupil’s own language. (p. 165, The importance of languages)
  • During the key stage pupils should be offered the following opportunities that are integral to their learning and enhance their engagement with the concepts, processes and content of the subject. (a.-c.略) d. make links with English at word, sentence and text level (p. 169, Curriculum opportunities)

CEFRにおいても、自律学習、学習者の自立の側面が取り入れられている昨今、「学習の支援」「学習の学習」に関わる内容の取り扱いを再考し、「母語の積極的な活用」こそを明示するべきと信ずる。

4.「文構造」の定義を明示すべし

 

 総じて、今回の改訂案の記述からは、言語材料は「扱う」もの、「用いる」ものであって、「学ぶ」ものではない、とでもいうような理念・哲学を感じる。

 すでに公示されている中学校編で「文型」という用語が消え、「文構造」という用語に取って代わっている。今回、これが高校でも踏襲された。第3款の3.で示される、

  • ィ. 文法については、コミュニケーションを支えるものであることを踏まえ、言語活動と効果的に関連づけて指導すること。
  • ゥ. コミュニケーションを行うために必要となる語句や文構造、文法事項などの取り扱いについては、用語や用法の区別などの指導が中心とならないよう配慮し、実際に活用できるよう指導すること。

というような文言を読む限り、いわゆる五文型の指導が重箱の隅をつつくようなものとなり弊害があるという評価がされたのかと推測する。しかしながら、ここでいう「文構造」というものが、動詞型だけでなく、名詞型や形容詞型も含めた構成概念なのか、「文法事項」で示されるものは全て「文構造」を持たないものなのか、など詳細が全く持って不明である。どのようなものを文構造というラベルを貼り、整合性をもって説明しようというのか、中学編を踏まえた上で高校編での発展的な記述は必要不可欠であろう。


むーん。

人の言葉に乗っからず、もたれ掛からずにモノを言うのはやっぱり大変。

もう少し自分の頭で汗をかかないとダメですな。

元日のスペシャルに続いて『相棒』。

右京さん孤軍奮闘。

でも、彼らしい。

本日のBGM: 国境のジェントルマン(HARCO)

aihashiaihashi 2009/01/15 10:55 「読むこと」に対する過小評価に対する見直しという提言にはとくに、溜飲が下がる思いがしました。リーディングもライティングも(自学の習慣づけも含めて)徹底的に鍛えていく必要があるものだろうに、「コミュニケーション」という枠にくくってしまうという学習指導要領のあり方には強い不満があったものですから。
私の場合、「英語力をつけるか」ということの以前に「英語に関心を持たせるか」ということが課題だと感じています。就職や進学というキャリア形成ということではなく、英語ということばや英語をとおして表されるものへの関心を涵養することをやっていけたら・・・と考えています。そのような個人的な課題という点からも、「読むこと」を重視していきたいし、「読むこと」の重要性をうったえたいとも思います。
長々ととりとめのない感想をつづってしまいましたが、失礼します。

tmrowingtmrowing 2009/01/15 13:46 aihashiさん、コメントありがとうございます。
「読むこと」は、ただ単に情報を得たり、書き手のメッセージを受け取ったりという「コミュニケーション」のためだけのものではないということは繰り返し言っていくべきでしょう。
「読む」という行為は繰り返しに堪える学習方法でもあるわけですから、
>英語ということばや英語をとおして表されるものへの関心を涵養する
ためにも重要になってくると思います。
高等教育ではそのレベルで、中学入門期であれば、そのレベルで、「読むこと」の重要性、可能性を考えることが大切なのであって、高校や大学のレベルだと、「文法訳読」「英文和訳」とそれに対する「TOEIC」「TOEFL」のスコア、といった切り口でしか議論にならない突き抜け無さ加減がとても気になります。
多様な現場で様々な学習者に接している現場教師の切実な声で、大メディアではなくとも、同時多発的に世に問うことが可能なのが、ブログのメリットでもあると思います。
今後ともお気軽にお立ち寄り下さい。

2009-01-12 Now, Row Away!

西地区指導者研修会終了!

四国に入ったら暖かいかな、などと思っていた私が間違っていました。防寒対策はばっちりと思っていたのですが、まだまだ甘甘。

1日目乗艇時は雪、あられ、2日目乗艇時は強風とあられ。府中湖の地形に助けられ、2モーションしっかりこなせましたが、選手は寒かったことでしょう。これをいい思い出にできる人はどんどん伸びていくのでは?来る選抜大会や新シーズンの大会で再会できるのを楽しみに、日々のロウイングをたっぷりしっかり味わって下さい。

地元香川の選手、姉妹校のように合宿をしている京都の選手が率先して動いてくれたお陰で、初めて顔を合わせるメンバーとクルーを組み、親交を深め、ロウイングの神髄に触れるという、選手指導者合わせて170名近い大所帯の研修がスムーズに進んだと思います。教科教育だけではとてもこの様な体験をさせることも、このレベルで指導することも出来ませんね。部活動の底力に脱帽です。

かつてのC級コーチ研修時代に一緒だった方々が各地で顧問をしているので、それぞれのチームでどのようにそのコーチならではの指導の仕方、育て方、伸ばし方ができあがっていったのか勉強になります。T先生、Y先生からは指導者としての心構えを改めて教わりました。鳥取から急遽参戦のH氏とも久々のご対面。

講師のM氏のこだわりも再確認。奥様直々にお土産も届けていただき深謝。お兄ちゃんへ数年前に私がプレゼントしたD&Gのニット帽を今では弟さんがかぶっていて、その様子が私への何よりのプレゼントです。写真とっておくんだったな。

懇親会では地元の魚介類で鍋を堪能。〆はうどん。お腹周りがちょっと立派になったかも。

今回の研修の企画運営に尽力された、I先生、S先生、本当にお世話になりました。今度はチームをしっかり作り直して参戦したいと思います。

往路は明け方早く出たので、雪の心配もなく3時間半でついたのですが、復路は強風で大変。安全運転で昼食を挟み5時間かけて帰ってきました。途中の瀬戸大橋を渡るだけで上腕部から三角筋、大円筋あたりが筋肉痛。リラックスって難しいなぁ…。

というわけで、本業三昧の連休もおしまいです。

本日はこれにて失礼を。

本日のBGM: 空模様のかげんが悪くなる前に(Char)

2009-01-09 I don’t know who you’ve been talking to, but ....

0限は高1。

授業へと職員室をあとにしようという時に電話で欠席連絡。

5分少し遅刻で教室へ。

スモールトークから辞書指導。おおよそ20分。

  • 流行のことをファッションといっているが、「風邪が流行っている」は何と言えば良いだろうか?

という意味のことを英語で投げかける。当然「」の部分は日本語で言っていますが。

高1レベルですから、 辞書に頼らずに言えるのは

  • A lot of students have colds.

くらいです。『グラセン和英』(三省堂)を引いて、

  • Colds are going around in our school.

を得る。Substitution drillsで意味の拡がりを確認。そこからさらに、「流行の兆しを見せている」だったら?と問う。

  • Few students had colds last year, but more students have colds now.

などと対比で二文に分ける手も可としておいた。

冬期課外で扱った、「推移」の進行形の活用で、

  • More and more students are having colds these days.

までの道のり、ギャップをどうしたものかなぁ。

  • 和英辞書を使う前に、自分に6,7歳の妹弟がいたとして、その言葉をどう説明するか考えてから、英語に取りかかる.

という心構えを二つ三つ、他の例をあげて説く。体系には未だ遠いが気休めくらいにはなるでしょう。

教科書はクリス・ムーンの話なので、サイド・リーダーとの連動企画。教科書のタイトル ”One Step Beyond” のみを用いて、どのような話しになるか推測させるオーラル・イントロダクションから。教科書のリード文とサイドリーダーのリード文を読んでから、サイドリーダーの英文を速読。ここまででおおよそ20分。

英語の使用比率は40〜50%くらいですかね。もっとも私が話している時間自体が全体の40〜50%ですから。

高2は副詞と副詞句と副詞節。

フレーズのディクテーションから。<前置詞+名詞>単独では副詞として働くが、その直前に名詞が置かれた場合に、ひとかたまりの名詞句を作るのか、それとも名詞との間に切れ目があるのかを瞬時に判断する練習。

  • in the U.S. / in England /in English

のそれぞれが、

  • I study Math in the U.S.
  • I study English in England.
  • I study Math in English.

という環境に現れる時を想定。単純に頭の体操ですな。他にも、名詞句の扱いを揺すぶる活動を盛りだくさん。

高3はセンター直前で最近出題の、語義類推問題への対処をば。

テキストには有り難いことに「因果関係」に着目などとストラテジーが示されているのだが、実地で使いこなせるほど因果関係に習熟しているか、という問いかけである。

まずはbecauseのロジックと語法を確認。何のことはない空所二つのうち一方に入れて英文を完成させるたとえば次のような課題。

1. ( 1 ) he was late for school ( 2 ) he overslept.

2. ( 1 ) we are very busy ( 2 ) we have a lot of homework.

「高3のセンター直前にもなってこんなことを?!」という人は現実を知らなすぎる。多くの高校生がこのレベルの課題を瞬殺出来ないのだから。時や条件、譲歩なども含めて、副詞節(従属節)が怪しい生徒にはこの練習は効果がありますよ。とにかく思考のスピードをあげさせることです。一つの接続詞につき数題の例文を用意してwarm up。節をシャッフルして、補充すべき接続詞をalthoughやunless, until やby the time, in case 辺りまで含めれば相当に鍛えられます。上級者・習熟度の高い生徒であればリスニングでどうぞ。

ところで、このセンター試験の語義類推問題。英語ができる受験生は下線部の成句を知っているので、意外にもパラフレーズの適否で悩んでいるって、ご存じでしたか?個人的には、「受験生が意味の分からない語句」を問うのであれば、いっそのこと空所補充にしたらいいだろうに、という見解です。

『英語徹底口練』(実務教育出版、2007年)で自分のトレーニングをしている話は前から書いているが、コラムでおもしろいものがあった。

日本語で「何番目」にあたる的確な表現が英語にはなく、whichを用いざるを得ない、という趣旨の話。(上掲書、p.100)

  • あなたの席は前から何番目ですか

などの順番における発想の違いは今までにいろいろなところで目にしてきたが、

  • 何の絵を描いた学生が一等賞をもらいましたか

  • 一等賞をもらった学生は何を描きましたか

の差異を経て考察された、

  • 左から何番目の絵を描いた学生が一等賞をもらいましたか

という例示が秀逸。このコラムの執筆は外池滋生氏。このようなwh-疑問での疑問点を以前、同僚だったriverson氏と話したことがあったのだが、「この例文」、というのを忘れてしまった。

仲俣暁生氏の「海難記」で「2008年小説ベストナイン+1」のエントリー冒頭に、片岡義男氏と柳父章氏の作品に言及した箇所があって、すぐに水村美苗『日本語が亡びるとき』の批評が思い出されて、頷くことしきり。リストされた小説の評価以上に、この部分に反応した私も私だけれど…。

  • 広田照幸『21世紀の社会と教育』(アドバンテージサーバー、2008年)

読了。ブックレットの版型で、40ページ弱の講演録の体裁。「幻の…」などといわれているとは、これを読むまで私は知りませんでした。

連休は西地区の指導者研修会で香川県府中湖へ。

指導者30人強、選手140人強の参加。天気が少々心配ですが、旧知のMコーチが講師ですからとことん学びとことん懇親です。うどんを食べる時間があるといいのですが…。

連休明けは推薦入試が待っています。志願者がいてくれて何よりです。

本日のBGM: Boat of Fools (Keiichi Suzuki)

LucyLucy 2009/01/10 10:07 「まずはbecauseのロジックと語法を確認。何のことはない空所二つのうち一方に入れて英文を完成させるたとえば次のような課題。」のところで教えていただきたいことがあります。私の勤める学校の生徒は1年生も3年生もbecauseやwhenを間違えたところにおいてしまうので、説明や練習に工夫しているところです。ここに示されている練習問題のほかに、どのような練習が考えられるでしょうか?tmrowing先生はほかにどんな練習をどのくらいの時間をかけていらっしゃいますか?本校の1年生、3年生は英文を読むときはするりと通ることができるようですが、書くときに必ず日本語に引きずられてしまいます。(ブログのどこかにすでに記載されていたらすみません。)

tmrowingtmrowing 2009/01/10 10:15 『スーパーゼミ』(文英堂)の一部に似た意図のドリルを入れてあります。高校生は従属節を作って、主節に繋げるのは結構難儀すると思います。
このエントリーにある空所補充以外には、becauseを中央に配置し、その前後を空所にして、原因の節と結果の節を補充させる練習もさせたりします。学級文庫で辞書も教材もうんざりするくらいあるので、そこからbecauseやwhenなど接続詞を含む文を抜き出し、生徒同士お互いに練習問題を作る、というのは言っていますが、実際にそこまでこなす生徒は稀ですね。
どのくらい時間をかけるか、というのは一概には言えず、授業中に20分程度とって一通りさせたら、具体的な練習方法を指示して、あとは各自に取り組みを促し、時々出来具合の様子を見るという感じですかね。すべて手とり足とりというわけにもいかないので。

倫太郎倫太郎 2009/01/10 10:54 「風邪が流行っている」という話題からの広げ方は勉強になります。"A lot of students have colds."で、主語をA lot of studentsともってこれることに、感心しました。このような表現を集めたノートは、生徒は作っているのでしょうか?

tmrowingtmrowing 2009/01/10 12:37 主語をa lot of studentsと持ってこれる生徒は少しずつ増えてきました。毎回、期待を裏切られつつも少しの進歩に喜ぶ展開です。オーラルの時間にスピーチを課しているため、生徒は表現用のノートは作っていると思いますので、こういうスモールトークからの表現の発展は蓄積されていくことと思います。以前からお話ししている『表現ノート』の課題まではまだ進んでいません。何と言っても、『表現ノート』の場合は、まずある程度読むことができないと適いませんので。
和英辞典は万能ではないが、とても有効である。ただし、自分のアクセスの仕方を工夫しないとヒットしないということを高2くらいまでに実感させたいと思っています。

ohapuruohapuru 2009/01/10 14:25 「はやっている」とは逆の例えば「日本人の間に米離れが進んでいる」も六才、七才の弟や妹にその意味を説明しようとすれば「米を食べる日本人が減っている」とか「日本人はますます米を食べなくなっている」となり、それぞれ
Fewer and fewer Japanese people are eating rice.やJapanese people are eating less and less rice.で表現できますよね。
そうなるとやはり、日本語の意味をより簡単な日本語で説明する訓練をどこかで行う必要があるような気がします。

tmrowingtmrowing 2009/01/10 17:02 "plain Japanese" というか「基礎日本語」という体系化は先人も試みているのだろうとは思うのですが、中高レベルのシラバスに落とし込んだものはあまりないように思います。
先日のエントリーでも示した高橋正夫氏の著作(『身近な話題を英語で表現する指導』(大修館書店、1991年))は表現のリストが豊富でヒントになるようにも思いました。

2009-01-08 是々非々

新学期の会議づくしを経て、始業式に続いて平常授業。

教師が12月より忙しい場合は何と呼べばいいのだろう?超師走?師駆?師飛?

高1は「今月の歌」。

思うところあって、John Lennonの ”Grow Old With Me” を使った。10年ぶりくらいか?私的な歌ではあるけれども、祝福の歌でもあるはずなので。ブラウニングまで行けるかどうかは「?」。Youtubeの画像はビデオを切り貼りしたもののようだったが、Yoko & Lennonを知らない世代にはちょうど良かったかと。

高2は、短文のディクテーションから転換練習。冬期課外の言語材料の「名詞句」の把握、「助動詞の番付表」の定着を見る課題。極めて機械的操作的な内容。

勉強会の余波もそれぞれのフィールドで生まれつつあるようで何より。波紋はJOJOに拡がるものなのですよ。無駄ではないのです。

「ことば(へ)の気づき」ということばが言語教育で聞かれるようになってきた。Language awarenessの訳語「言語意識」という日本語が今ひとつピンと来ない人に、どのていど「気づき」ということばが効いているか、まだまだ専門家がやらなければならないことは多いように思う。今風の取り組みも視野に入れておきたいと、

なぞを読んでみる。昔読んでいたSharwood Smith は今どんなこと言っているのかネット上をいろいろ探してみたり。

外国語大学の出身としては多言語主義の流れに抗うつもりはないが、棹さすほどには日本の中高の言語教育や政策は成熟できていないのではないかと渋顔。

『英語教師の常識 I』(大修館書店、1986年)再読。

大谷泰照氏曰く、

  • われわれはこれまで外国語の問題を考える場合に、とかく国際語や大国語や友好国語といった、いわば政治・経済的なモノサシにとらわれすぎていたようです。しかし、学校教育科目としての外国語は、移ろいやすい政治・経済的尺度よりも、むしろ本来、純粋に言語・文化そのものの尺度で考えられるべきもののはずです。言いかえれば、母語とは遠く隔たった異質の文化圏の対照的な言語の学習という視点を欠いてはならないはずです。(pp.13-14)

高梨康雄氏曰く、

  • 日本の学校における英語教育を中心に考えてみることにします。「日本の」と限定したのは、日本語の中で生まれ育った人に英語を教える場合、日本語の特色をよく知っていることが必要だからです。また、学校における英語教育を主として考えるのは、それが日本の英語教育の中心であり、そこで使える指導法や指導技術は他の英語教育機関でも立派に通用するからです。さらに、日本の学校で英語を教えている英語教師は「日本人のための英語教育はこれだ!」と世界に向かって堂々と主張できるようでないといけないからです。このように考えますと、「英語の学習が成功するカギ」は、日曜日を除く毎日、日本の各地の学校で行われているであろう英語の授業の中にこそ存在しなければなりません。(pp.21-22)

安藤昭一氏曰く、

  • なお「技能」というと、とかく「聞き話し読み書く」という伝達の4技能のことのみを考えがちですが、それだけでは不十分です。そういう外的言語活動の他に、その4つを統一して内から支える内的言語活動――認識し思考する能力――をも、中学1年は中学1年なりに、また高校3年は高校3年なりに、総合的に育てることが大切です。(p.27)

その後、IV章「英語学習指導のあり方」、にある後藤忠勝氏の

  • 6. 「『言語活動』のあり方」(pp93-94)

に始まる「言語活動」と「学習活動」を自分の頭でもう一度考えて、続いて安田一郎氏の、

  • 7.「『言語材料』の指導のあり方」(pp.111-114)

に始まる「言語材料」の扱いの変遷を辿り直す。

主だった項目を読んで、巻頭論文の編者の一人でもある伊藤健三氏に戻る、

  • 英語教育が関連科学の研究成果を利用するためには、できるだけその発達に接触していなければなリませんが、同時に、必要なものをすくいとる自らの網を持つことです。その網はお互いの実践経験を確かめ合いつつ得られる問題意識の蓄積によって編んでゆかなければなりません。その網こそ待望の英語教育理論で、これによってすくいとった関連科学の研究成果を、教師一人一人の判断によって実践に移すべきものは移してゆくわけです。さもなければわれわれの実践は関連科学に振りまわされる ’a child of fashion’ の地位にいつまでも甘んじていなければならないでしょう。早く、われわれは、「この網にかからないものは必要なものではない」と、独善と偏見なしに、自信をもって言えるようになりたいものです。そういう認識を新たにし、「教えつつ学び、学びつつ教える」という理念を日常的に実現していくよう努力する以外にはありません。そのような教師の真摯な姿は、また、必ずや生徒に感得され、生徒誰しもがもって生まれてきている知的好奇心を燃え立たせる引き金になるであろうと確信しています。(p.7)

理想論に聞こえるだろうか?

次の言葉と自分の中ではシンクロした。

  • このように私たちが今日生きていく上で、直面するいろいろな問題は、言葉の問題も含め、日本文化全体の問題として考えなければ理解できないし、解決できないことがたくさんあります。(中略)たとえば、人類の平和といったような、抽象的な理想というものは、世界中のどの国でも同じように持っていると思います。ただしその理想は抽象的だから、そこから、日本でいえば憲法第九条の問題といった、いろいろ具体的なことが出てくる。そのとき、その理想が実現されない、できない中で、本当の理想をどうやって自分が作り出し、発見して、それをどうやって追いかけていくのか。それが理想なんだと思うのです。/つまり、そういうふうに考えて理想を追いかけていかないと、理想はそこにあるものでもないし、宙に浮いているものでもないですからね。僕はそう思います。(木下順二『日本語について』、pp.48-49、(抱樸舎文庫、1997年))

karishimaさんのブログで決意(のようなもの)を受け取った。

東京ではFTCで新たな動き。「しみじみ」とは良い形容だなぁ。

こういった偶発も連なれば「なんです山脈」になるかも知れませんし、ならないかも知れません。

本日のBGM: 恋の追跡(ラブ・チェイス)/欧陽菲菲

2009-01-06 like a blackbird ”sighing” in the dead of night

勉強会第二弾終了。

今回は、

  • 「愚者の千慮」でもお馴染みの前田啓朗氏
  • 「地道にマジメに英語教育」の山岡大基氏
  • 「『志』の英語教育」のzenconundrum氏

前回に引き続き、

  • 「英語教育の哲学的探究」の柳瀬陽介氏

そして私の総勢5名。

雑談から始まり、おおよそ3時間。例によって、結論めいたものも ”a united voice”もなし。

新科目それぞれの対照表を作ってきてくれた方がいて助かる。私からは、現行課程と新課程の必修科目のみを単純に対照したものを作成し配布。加えて、文科省作成の『中学校編の解説』から気になるところを抜粋。「授業は英語で行うことを基本とする」ことそのものに関する疑義や意見は特に無し。もっとも、今回の顔ぶれを考えれば、英語で授業を行うのに困ることはなかろうが。

既に公示となっている中学編と比較して、評価「規準」への落とし込みなどの視点を持つことで見えてきたものがあったのは収穫。中学編の作成チームのチーフと、高校編の作成チームのチーフが異なる理念を持っているのではないかなどとも考えてみたり。

むのたけじ氏は「憲法は守るものではない、使うものだ」と言っていましたが、その言を借りれば、「指導要領は守るものではなく、使うもの」。それに見合った「使いでがある」か、下世話な言葉を使うならば「使い物になる」か、あと、1週間ばかり考えを寝かせてパブリック・コメントの内容をまとめるつもりです。

今回お集まり頂いた皆さん、この場を借りて再度感謝いたします。

終了後は懇親会。覚悟を決めて牡蠣づくし。

小ぶりでプリプリした食感に満足。塩辛はご飯が欲しくなる絶妙の味わい。アルコールが入ってしまったので、駅からはタクシーで帰りました。

明けて今朝は娘との散歩から。

駅前の駐車場に車を取りに行き、家に戻って読書。

「今何でその本を?というような本をよく読んでいるよね」という趣旨の最大級の賛辞を得たことに気をよくして、頓挫していた、

  • George Steiner (2008), My Unwritten Books , New Directions, New York

を少し読み進める。歯ごたえしっかり。ふう〜。

Aimee Mannを聴いていて、加藤典洋が映画『マグノリア』について何か書いていたな、と思いだし『文学地図』を速読。うーん、”Almost.” って感じだなぁ、という上から目線。

3学期の授業に備えて、社会復帰のリハビリも。

スピーチ集の再読から。

まずはSarah Brady の1996年のDemocratic Convention でのスピーチ。前任校では使ったことがあるが、今のところでは初の試み。音源を探しているが見つからず。

安藤貞雄『現代英文法講義』(開拓社)で気になる語法を調べる。中身は充実しているのだが、索引がどうにも見にくいのだなぁ、この本は。

コウビルドの学習米語辞典の語源の記述に少々萎える。”wordlink” という囲みがあるのだが、英和辞書の記述と比べてもかなり貧弱な印象。米国で学ぶ外国人生徒や留学生はこのレベルで満足するとも思えないのだが…。

昼食は外で蕎麦。過日訪れた、徳地の蕎麦屋の方が自分の口には合う。

妻を迎えに娘と駅まで。娘も大喜び。

帰宅してネットに接続。

青磁社の週刊時評の松村由利子

  • 小説家の慨歎__『日本語が亡びるとき』を読んで(12月15日)

は重要な視点を与えてくれた。加藤の『文学地図』でも、「母語で書く」ことに関する考察があったが、自分の中で道筋が見えた感じ。

内田先生経由で読んだ、

「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」

  • 「内向き」礼賛(1月4日)

での勝間評は我が意を得たり。

新聞やテレビの政治にかかわる報道では、政治家の「失言」や「舌禍」ばかりが取り沙汰されている印象。政治報道ではなく、政治家報道なのだと実感。

『海皇記』を読んで寝る。

冒頭の見開きページに驚く。よく見ると、闇の中の海。読者もその闇の中で目を凝らせば、戦艦や小舟などの細かい描き込みが見える。よく、この紙質の頗る悪い媒体でこれをやろうと思うなぁ、と感心。

眠りもまた闇の中か。

本日のBGM: One (Aimee Mann)

zenconundrumzenconundrum 2009/01/07 12:45 先日も貴重な勉強の機会をありがとうございました。不勉強でただ乗り状態でしたが、自分なりにじっくり考えてみるきっかけになったと思っています。とりあえず、大津先生の「ことばの力を育む」と小中の指導要領解説を何冊か注文し勉強してみることにしました。またの機会を楽しみにしております。

tmrowingtmrowing 2009/01/07 15:35 現場に限っても、それぞれの先生がそれぞれのスタンスで動ける風通しの良さがあると有り難いですね。
ちゃんと読むといろいろなことが見えてくる、そして他の人と話すことで、独り善がりから少し先へ進むことが出来る、まずはそんなところから始めるのでもいいのではないか、と思っています。
次回は、懇親会まで宜しくお願いします。

tmrowingtmrowing 2009/01/08 17:16 勉強会参加者追記。敢えてリンクは張りません。この場を借りて再度御礼申し上げます。

tmrowingtmrowing 2009/01/08 21:10 記述一部修正。

2009-01-03 「省くのかよっ!!」

父の死で喪に服していた昨年とは違った意味合いで、今年は落ち着いた正月です。

時間はたっぷりあったのですが年賀状の印刷で四苦八苦。人間、手を動かさなければダメですね。ご挨拶頂いた方々、返信が暫し遅れますので、平にご容赦を。礼。

元日は、例によって『相棒スペシャル』。

昨年と比べても脚本が今ひとつな感じ。薫ちゃんがいないことに慣れるまでちょっと大変ということか。

TVに飽きたらYoutubeで今シーズンのフィギュアを一通りおさらい。

あとは、読書三昧。

年末に読み始めた、加藤周一『読書術』(岩波同時代ライブラリー、1993年)に続いて、加藤典洋『文学地図 大江と村上と二十年』(朝日選書、2008年)。

新春のお笑い番組は見ていて呼吸が掴めず、鶴見俊輔『太夫才蔵伝 漫才をつらぬくもの』(平凡社、2000年)に逃避。漫才を語るのに、C.K. オグデン、I.A. リチャーズの『意味の意味』を持ち出す人はこの人くらいなものだろう。

意を決し、小島信夫『私の作家評伝 I, II, III』(新潮選書、1972年)再読。

北烏山さんの年間Best 5 で有島武郎が気になっていたので、「女の伊達巻/有島武郎」から。「狂気と羞恥/夏目漱石」に戻り、第二巻の「男子一生の事業/二葉亭四迷」、ときて第三巻へ。疲れた。それにしても、次のような言葉には翻弄されるがままという感じ。(『私の作家評伝 III』 あとがき)

  • (宇野)浩二についてのものが雑誌三カ月分の分量になったので、浩二だけを特に問題にしているように見えるかもしれませんが、別にそういうわけではないのであります。そうなったについては理由は二つばかりあるのですが、それは省きます。

そうそう、第二巻の「不易の人/岩野泡鳴」冒頭で引かれる、小島と吉行淳之介、大江健三郎三氏での座談会のエピソードがおもしろかった。機会があれば読まれたし。

今朝は、仕切直しの原田宗典『小林秀雄先生来る』(新潮社、2008年)読了。

読了というか、娘に読み聞かせるつもりでなんとか読み終えた。戯曲と考えるにしても、途中の講演(原田自身が「創作」といっているが)をどう扱ったものか。講演の前の対話の中の言葉も、下敷きにしている原典(原点?)が何なのか小林の著作を繙かせようという算段か?まさかね?

秀雄 しかし、君たちは自分が何を知らないのか、知らないだろう?

一佐・作太郎 はい。

秀雄 僕だって知らないよ。自分で自分に問うしかないじゃないか。どうして自問しないんだ、君たちは?何か質問してるか、君、自分自身に?覚えてばかりいなさんな。答えなんかどうでもいいじゃないか。問う時に僕らの頭は働くのであって、答える時に頭は働いていないんだからね。そうだろう?(飲む)

一佐 そうですね。

秀雄 何が?

一佐 え?(作太郎に)何が?

作太郎 分がんね。

一佐 分かりません。

秀雄 そうだろう。

(pp.88-89)

この部分を読んでいて、高校英語指導要領の改定案と旧版(現行版)との対照表を作ろうと思った自分の意識がどこから来たのかに気が付いた。

  • 授業は英語で行うことを基本とする。

という明文化以上に、自分の中にひっかかる何かがあり、その違和感の源は何なのか、それを知りたいのである。そう、誰かに答えてもらう以前に、「問いを立てる」そして、「自問する」ことが自分にとって意味のある行為なのだ。(答えがでればそれはそれで素晴らしいことだが。)

某所でも1951年の試案(http://www.nicer.go.jp/guideline/old/s26jhl1/)について書いたのが、この冒頭の「委員」の顔ぶれを見ると、当時の日本の叡智を集めようとしたことがよく分かる。人材が首都圏に偏っていることは否めないので、各地で不満のある人はいたのだろうけれども…。

年も明け、パブリックコメントの締め切りまで3週間足らず。高校現場も進学校や受験校といわれるところであれば、センター試験や推薦入試で大忙しな時期であり、校内などであっても十分な議論をする余裕のない時期であろうと思う。だからこそ、一人一人が自分にできることを冷静に進めることが大切。独善的、感情的にならず、諦観するのでもなく、誰かの言説にもたれ掛かって安心するのでもなく、今を生きる一教師として、かつてのまたこれからの一英語学習者として、一市民としての「自分の声」をきちんと届けることから始めたい。署名活動のように数に語らせるのとも違い、シンポジウムのようにスターに代弁してもらうのとも違って、自分の足で歩き、理想は低く、そして志しだけは少しだけ高く持とうと思う。

とりあえず、正月くらいは英語教育はお休み。

今夜は年賀状の返事を書くのが最優先。

犬山先生から、「プレゼントのプレゼント」のお礼のメールが届く。さてさて、彼の地でどんな展開を見せますか。

本日のBGM: ひとりに戻るんだ(TOMOVSKY)