英語教育の明日はどっちだ! TMRowing at best Twitter

2011-01-31 Sustainable Language-teaching Administration

慶應大学の大津由紀雄先生から私宛に以下のメールが送られてきたので、下書きの段階で添付ファイルを公開すべく取り急ぎアップをしていましたが、その後、大津研究室のブログで最新版に差し替えられていますのでご注意を。添付ファイルは削除しますが、ことの経緯が分かるように私へのメールの引用はそのまま残しておきます。

第7回全国小学校英語活動実践研究大会に参加して

この14、15日に京都市で開催された第7回全国小学校英語活動実践研究大会への参会記を書きましたので、添付させていただきました。わたくしの研究室のブログにも掲載しました。

http://oyukio.blogspot.com/2011/01/7.html

よろしければ、ご一読ください。

「本格実施」直前ということでまたメディアがにぎやかになってきました。添付のエッセイはできるだけことの本質が浮かび上がるように書いたつもりです。

近年の著作や、昨年10月の第3回山口県英語教育フォーラム、そして11月の全英連神奈川大会など、大津先生の発言を知る人にとっては、「批判の矛先をしっかりと踏まえた上で、個人へのリスペクトを忘れない書き方だなあ。」と感じられるのではないかと思いました。

私個人は、「小学校での英語教育」とか「小学校での英語授業」という言い方がメディアで飛び交うのを見聞きするにつけ、やはりきちんとした世論の形成に失敗したのではないか、そして英語教育の世界に住む者の一人として、その責任の一端はあるのではないかと感じています。「何を今さら」ではなく、いつであっても、言語教育に携わる者として、言い続けていかなければならないことはあるように思うのです。

早期英語教育のなかでも学校教育の中で中学校以前に位置づけるとすれば「小学校」ということにはなるのだろうけれども、教員養成、採用雇用の形態、研修の保証、学級担任教師への負担といった制度面での不十分さ、そして「指導法」そのものの不明確さ、不十分さを鑑みるに、現状では行政が思い描いたような成果は難しいように思う。

過去ログでも取り上げた (http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071202)、

  • 『小学生の英語教育』 (国土社、1969年)

などの実践とその検証の報告を読めば、小学校での英語教育は私学では長い伝統を持ち続けてきたことが分かる。成城という一つの学校だけの取り組みや成果を持ち上げるのではなく、小学生に英語を教えるということと正面から向き合っていたことが、1964年に「東京都私立初等教育研究会外国語部」が立ち上がったことを見ると分かる。pp.18-24では、22校の週あたりの授業時数 (日本人教師と外人教師での内訳) 、教材・教具など一覧が取り上げられている。

1965年のこの部会において、小川芳男氏 (当時東京外国語大学学長) は次のように講演している。

  • 戦後の特徴として、米国、ソ連などの大国において外国語の早期教育が重視されている。技術としての語学習得は早いほどよいわけであるが、学校教育としての始期についてはいろいろと問題がある。/ 教育の一貫性という点で、小学校から大学まで各校でその分野を守ることが大切である。すなわち、小学校では音声中心のmimicry、中学校では音声中心の文字、高校では文字中心の音声、大学では内容である。 (pp.26-27、「Communicationとしての英語」に収録)

これをうけて、この部会では、

  • 外国語教育の目標は「国際的視野をもつ人格の育成」にある。この目標に到達するにはCommunicationとしての生きた外国語を教えなければならない。したがって従来のような読解中心的なものではなく、音声を主体とした教授法が重要となってくる。(p. 29、1969年「日本私立小学校連合会」での研究発表から)

という目標が語られている。

カリキュラムだけでなく、pp. 89-165 では「英語学習の記録と分析研究」として、成城小学校での、一回の単発ではなく、同じクラスでの連続した授業が詳細に記録され、その分析とともに残されている。教師の英語・日本語による指示、生徒の英語・日本語による応答、私語などの反応も観察されているところに感心する。

中心となって進めているのは野上三枝子氏と並木登美子氏。

それから40年以上経つ2011年の今、小学校での外国語教育の目標はどのように語られているか、そして教授法は深まり広がったと言えるか。「言うだけではなく、自分の足を運んで小学校の授業を見よ」という声も、実際に小学校で教えている方から届いてくる。一教師として、小川先生の言うように「高校の分野を守って」いるだけでは済まない状況を肌で感じている。

週末の宿題の回答を持って同僚の数学の先生に、

  • 『新英語教育講座 第三巻』(研究社、1948年)

をお見せした時、

  • この戦後間もない時代に、こんな内容を!

という反応があった。しっかりした指導手順が示されていても、教員養成や現職研修は必ずしも機能していかなかったと言わざるを得ない。

人的支援、教授法・教材の確立といった面で不十分不統一なまま、全国的実施になれば、第二次大戦後の中等教育の普及に伴う英語教授力の低下と同じことが、小学校段階で起きてしまうのではないか、という不安が拭えない。

本日はこれにて。

本日のBGM: Challenger (American Music Club)

2011-01-30 stroke and strife あるいは ”cup” men

tmrowing2011-01-30

普通科2年の授業は一進一退。

第5文型といわれることの多い動詞型を扱った。例示で用いた動詞は、makeとcall。

2クラスのうち、一つは大成功、一つは大失敗。「対面リピート」の手順、授業内での位置づけについてあらためて考えさせられた。策士策に溺れる、といったところか。「体面」リピートになってはいかんね。

進学クラスは、テキストの英文に対応した日本語フレーズ訳からの英語フレーズ復元。疑問点をそのままにして漫然と音読を繰り返していてはダメということに気づいたことでしょう。英文復元がただの答え合わせにならないように。

  • 正しい素振りを繰り返すだけ。

という遠藤師範の言葉を反芻。

授業を終え、選抜大会の関係書類を送付。

Faxで送るっていうのは前からあるけれど、今や、メールで選手の写真ファイルを貼付する時代なのだなぁ。

放課後はエルゴと自重での筋トレ。

プル系のトレーニングの見通しがついたのが何より。ベンチプルのように胸郭を固定・圧迫する種目は疲労骨折の誘因となりかねないので避けたかったのと、ケーブルでのロープーリーロウのように、フィニッシュポジションで肩胛骨の位置が必要以上に寄せられてしまう種目は背中が堅くなり腹が緩むような気がしたので、今回苦肉の策で選んだ斜め懸垂のような裏返しでの自重でのプルが最適のように思う。

片足スクワットの深く畳んだポジションで股関節に乗る姿勢をチェック。

自分でお手本を示すというより、そのポジションを確認していたのだが、これを書いている今、殿筋が物凄い筋肉痛。大腿四頭筋には痛みはないので、良いポジションだったということですね。

土曜日は高2進学クラスの課外講座。朝から12時まで。

教科書の新たな課のテクストと和訳例、英語のサマリーを配布し、私が普段作っているワークシートと同じものを各自で自作する課題。語義の理解、文構造の把握といった精読から意味処理の自動化、さらには要約までのトレーニングをどのように機能させるか、私の頭の働かせ方を模倣してもらうことから。和訳が渡されても、なぜそのような意味になるのか、自分できちんと読まなければ身にはつかない。お膳立てされチャンクに切られたものでは逐次意味処理ができても、文、そして段落となると意味の保持が崩れてしまうところこそが、その学習者の「文法」の勘所なので、出来上がっていくワークシートをひたすら観察。途中まで出来上がったワークシートをいったん回収。次回までにどの程度下調べの地道な作業をしてくるかが鍵。出来上がったら、生徒同士でワークシートを交換してのトレーニングの予定。そこが終わったら、flip & writeと最終文書き取りあたりをやってさっさと次の課へ。

お昼ご飯は、そそくさとカップ焼そばで済ませて、午後からは本業で湖へ。

夕方まで天候が持つかな、と期待していたのだが、途中からは吹雪。水面は白波までは立っていなかったので、安定性も鑑み、ブレーキをつけてのパワーロウを9km。ブレーキを外してのDPSトレーニングを6km、ダウンでone by oneを1km、合計16km。日暮れまでに終えることができました。この日は陸上でのアップで大学艇庫のエルゴを借りて漕いだのですが、きちんとしたアップをするかしないか、というか、きちんとやるかやらないかで水上のパフォーマンスが天と地ほど変わってくることに気づいてもらえたのが収穫でしょうか。

日曜日はエルゴの20分測定の指示。

一面雪が舞う中、保護者に迎えに来てもらって終了。

私も安全運転で帰宅。

夕飯後、仮眠をとってアジアカップを観戦。

松井大輔がいないので、一時は興味が冷めかけていた大会だけれども、崖っぷちのような苦境からしっかりと這い上がってくる選手、チームを見て、多分にW杯以上の感情移入をして準決勝、決勝を見ていました。競技やレベルは大きく異なるけれども、試合展開と「監督」の動きに注目。松井に加えて、香川が骨折で離脱、といった背水の陣。試したことが余り無いのでは、というような布陣での前半が機能しにくかったと見るや、岩政の投入で、岡崎を活かす布陣へとシフトさせたことで、素人目にもリズムが生まれ、動きが繋がったように映りました。ゴール前の高さと強さを補ったことで、サイドが動きやすくなったのか、内田を画面で見る時間が増えたような印象。延長の後半、長友からのクロスを李の左足のボレーシュートで均衡を破り、逃げ切り。本当に絶妙なセンタリングに、芸術的なシュートでした。執拗に執拗に上げては落として詰めてくる豪州に再三ゴールを脅かされましたが、最後までゴールを許さなかった川島の働きも賞賛されるべきでしょう。

  • 勝って良かった。

と実感。監督の顔が一瞬、石橋凌に見えました。これで、コンフェデ杯出場権獲得、世界の強豪と相まみえることに。岡田前監督がW杯前にやりたくてもできなかった、格上や強豪との真剣勝負。各選手はこれから所属チームに帰って、そこでの自らの役割を担うわけですが、次に集まる時には万全のコンディションでまた素晴らしいパフォーマンスを魅せて欲しいと思いました。

今大会では解説の松木安太郎氏の発言にネット上でも注目が集まっているようなのですが、私の妻が東京生まれ東京育ちで昔から実家の鰻屋さんを知っているらしく、我が家では「うなぎ屋 (の息子)」と呼ばれ、親しまれ、愛されています。

今日は家で留守番。

同僚の数学の先生からの質問でいわゆる「アルファベット」の筆順を調べています。

山口に来る時に持ってきた資料が限られているので以下のような書籍を読み返しているところ。中学校や、高校でも私のところのように再入門 (期) 指導を行っているような学校の先生には参考になるかも知れないので、以下記しておきます。

  • 田中美輝夫 『英語アルファベット発達史---文字と音価---』 (開文社出版、1970年)
  • ローラン・プリューゴープト 『アルファベットの事典』 (創元社、2007年)

前者は、英語学の研究者による図版・写真が豊富な専門書。著者は山口県出身。東大卒業後、山口大学の教授を経て梅光学院大へ移られた模様。梅光学院大のアーカイブには語源考などの紀要に収録されていた論文が一部公開されています。

後者はカリグラファー、文字デザイナーの手による「文字そのもの」の本。起源や歴史を文字を核・軸にまとめたもの。時代と地域によって様々に変化した「文字」を豊富な実例・図版入りで A to Z で紹介している。

実際の教室での指導における「筆順」は?となるとこれはなかなかに難しい。教室で困った時の何とやらでいつも繙く、

  • 宮田幸一 『教壇の英文法』 (研究社)

では、項目数の多かった旧版 (初版、1961年) の第247項 (pp.516-519) では「画順」が扱われていたのだが、精選された改訂版 (1970年) では割愛となっている。もっとも、同窓で元同僚のK氏によれば、初版とか改訂版といっても、著者の宮田氏のこだわりで増刷の折りに記述は細かく変わっているのだとか。旧版には、251「F---この文字の印刷対と筆記体の比較---」, 252「TおよびF---その筆記体の画順---」, 253「横棒と点」、254「What---これを筆記体でどう書くか---」など、参考になる項目が含まれているので、これも機会があれば、旧版を是非。

“handwriting” と言って、私が直ぐに思いつくのは、

  • Rosemary Sassoon & G SE Briem, Teach Yourself Better Handwriting, Teach Yourself

私が好んで用いるフォントの名前でもお馴染みの著者Sassoonによる自習書です。日常の使用頻度が最も高い小文字の筆順が丁寧に示されています。私の所有しているのは1984年の初版ではなく、図版の補充された1993年版と改訂の2003年版。最近、改訂3版が出ているようです。教育書や指導書ではなく、一般書ということを考えるとよく売れているということでしょうか。

handwritingをもう少し詳しく研究したい人は、同じ著者による、

  • The Art and Science of Handwriting, Intellect

が2000年に出ていますので、そちらを見るのがよいかと。slant, proportion, ascenders, descenders, crossbar, entry, exit, archesなどストロークの各部分を何と読んでいるのか、とか英語でhandwritingを語る時に必要な用語を確かめることもできます。

国内のものでは、

  • 『クエスチョンボックスシリーズ XIII 英語一般』 (大修館書店、1960年)

のpp.23-43 で「文字・記号など」がまとめて扱われています。このシリーズは英語科の蔵書として備えてあるところが多かったと思いますので、勤務校の書庫や倉庫に眠っていないか見てみるのも手かと。回答の多くは増田貢氏によるものです。

次にあげるものは、先日の関係詞whomの際にも引用しました。いかんせん、個人で持っている人は少ないだろうから、ここで取り上げてもなかなか参照することが難しいとは思うのですが、

  • 『中学英語事典』 (三省堂、1966年)

では、pp.776 -788 まで、堀口俊一氏によるpenmanshipの詳細な指導手順が示されているので、若い英語教師は年配の同僚の方や英語教師OBの方に所有の有無を尋ねてみて一度目を通してみるのがいいかと。

次も今では入手が難しいかも知れませんが、私が文字指導の拠り所とするものの一つです。

  • 篠田治夫 「英習字」 (『新英語教育講座 第三巻』 収録、研究社、1948年)

pp. 180-183で筆順の例を、その後、pp.183-190で、ストロークや連結の練習・指導の手順を詳細に示しています。広島高師の系譜に連なるものかと。文字指導に興味のある方は是非一読を。

さて、

国公立の出願が始まり、受験シーズン真っ只中という雰囲気ですが、今年も「ライティング再現答案プロジェクト」を引き続きやろうと思います。来年以降は、自分の所属する研究会で大々的に取り組めればと思っていますが、まずは細々としていても続けることから。

再現答案をアーカイブ化する、「ライティング問題再現答案プロジェクト」に協力して頂ける方を募集しています。

これは、受験産業等、web上、商業誌上で示される速報的な大学入試ライティング問題の模範解答の不備を補うべく、「英語教室の教師と生徒による」、「英語教室の教師と生徒のために」企画された、「英語教室の教師と生徒のもの」、としての再現答案アーカイブの構築を目指すものです。

いわゆる偏差値の高い国立大学の出題の模範解答は大手予備校のサイトなどweb上で見ることが可能ですが、必ずしも英文として自然でなかったり、出題の求めに充分には応えていなかったりするものも多く見受けられます。母集団の大きな伝統的進学校であれば、先輩たちの指導資料・学習資料が残っていることが多くとも、新設校や、進学者のそれほど多くない高校の生徒は、「お手本」や「参考」になる英語ライティングの実例をあまりにも知らないばかりか、指導する側にも経験が不足している場合がままあります。このような状況下で少しでも建設的な、健全な英語学習・英語指導を行うため役立てようというプロジェクトであります。

当面は、高等学校や予備校・塾に勤務する英語教師の方にご協力を呼びかけます。大まかな流れは以下のようになります。

• ご自身の受け持つ受験生に、実際に受験したライティング問題の再現答案を書いてもらう。

• 再現答案のうち、合格者の答案を集めて、大学・学部ごとにアーカイブ化する。

• 再現答案アーカイブには氏名・イニシャル・出身校・担当教師などの個人情報に関わる情報は示さない。

• アーカイブは一定の手続きを経て、無料で誰もが閲覧でき、その後の教師による指導や受験生による学習に利用することができるよう保存・管理・公開する。

将来的に、英文としての適否・評価・助言などを加えていくことや、コーパス化して語彙リストやコンコーダンスラインを抽出するなどの発展もできるかとは思いますが、このアーカイブから、書籍化して商品化、教材化したりなどの「営利」に関することは一切考えておりません。その気になった時に、誰でも無料で使えるということを主眼としております。

母語話者に限らず、プロの英文ライターの方、日英語双方に堪能な方のご協力が得られればさらに心強いと考えております。

昨年も多くの先生、さらには受験生の方のご理解とご協力を得て少しずつではありますが、答案が集まってきております。ご協力頂ける方、ご質問のある方、詳しく知りたい方は、左のアンテナの「プロフィール」から、メールでtmrowingまでお問い合わせ下さい。

週末の晩酌: 義侠・無濾過生原酒・槽口直詰め・兵庫県特A地区東条町産山田錦60%精米 (愛知県)

本日のBGM: Division Day (Elliot Smith)

D

tmrowingtmrowing 2011/01/30 19:14 タイトル修正。
冒頭の「本日の一枚」の写真に写っているのは、先日誕生日プレゼントでF先生にいただいた「カップメン」です。

tmrowingtmrowing 2011/01/30 20:47 一部内容を加筆修正。

2011-01-27 ”three cubic feet of bone and blood and meat”

現任校の一期入試が終了。

入試と言うことで、ここでは多くは書けないが、監督と採点を終えての雑感。

  • 英語は難しい。

でも、自分たちで作っておいて不遜に聞こえるかもしれないが、発音とアクセントの出題の解答を見て、先日の大学入試センター試験の “format” を問う発音問題よりは真っ当な出題だな、とは思った。この語を動詞で用いた場合の過去形・過去分詞は、formatted と綴ることから、二音節目は曖昧母音とならないことも推測できるかもしれない。

第一強勢の置かれない音節の母音が全て曖昧母音になるわけではないことは、恩師、竹林滋氏が2音節語のアクセントの四型を示す際にいつも例に出していた次の4語でしっかりと覚えている。

  • comment, female, profile, window

これらの語はとりあえずは基本語とみなすことが可能だと思う。学生当時は、

  • この4語以外にもあるんだよな、きっと。

という程度の理解で過ごしていたのだが、教師になって指導をする立場に立って初めて、この強勢の型というものの難しさを感じてきた。

今回のセンター試験の出題で問われた「第一強勢を得ないけれども、曖昧母音にならない母音 (発音表記の際の記号の名前で言えば ash)」そのものに関しては、

  • combat, contact, contrast, kidnap, program などの接頭辞や複合語で類推の利く語
  • maniac, zodiac など本来は形容詞語尾の一部の語

を見れば確かに納得できる。しかし、だからといって、たとえば外来語のanorak を高校生の発音を試すために出題しようとは思わないのではないだろうか。

語源というものは諸説あり断言は難しいことを承知で書いてみるのだが、format という語の初出は19世紀以降でフランス語 (ドイツ語) から入ってきたものと思われる。

  • 『岩波英和辞典・新訂版』 (1958年、p. 351)

では、見出し語そのものが斜字体となっていて、外来語・借入語であることを示してあり、

  • (F) (書籍の) 型、判 (はん)

という訳語のみをあげ、発音記号には仏音を併記してある。

このashの類例には、3音節の名詞ではあるが、diplomat があげられるだろう。diplomatの場合は、フランス語のdiplomatiqueからの逆成と考えられているようだ。

個人的には、このような調べものは苦にならないどころか楽しいのだが、今回のセンター試験の出題を機に高校生が、上述の強勢の型に興味を持って英語を学んでくれるようになるとは全く思えない。知識が整理されているに越したことはないのは確かである、そうではあっても、整理しておく価値のある知識を問うのがテストであろうと思う。

唯一良かったのは、今回、調べものをしている中で久しぶりに、

  • 竹林滋 『英語のフォニックス 綴り字と発音のルール』 (ジャパンタイムズ、1981年)
  • 宮田幸一『発音・つづり・語形成』 (研究社、1969年)

を読み返し、懐かしさがこみ上げてきたことくらい。教材研究では、分かったつもりになって調べる手間を惜しむのがいけないということを駆け出しの頃教えてくれた先輩の同僚であるF先生に感謝。

授業は淡々と。

普通科2年は、3学期でようやく「文」の学び直し。語順 (動詞型) の徹底。

進学クラスの2年は個人課題に沿っての自学自習。最後の10分間を音読に当てた。

銀行まで選抜大会の参加費を振り込みに出かける。

職員会議が中止になったので少し早く帰宅して仮眠。

『英語教育』の2月号をあらためて読む。

書評で、Van Pattenらによる、

  • Key Terms in Second Language Acquisition, Continuum

が適切に扱われていて我が意を得る。

Forumで「略語としてのSAT」について書かれていた方がいたのだが、このSATは既に「略語」ではなくなっていたのではないか、と思い、

  • 飛田茂雄『探求する英和辞典』 (草思社、1994年)

にあたる。pp. 256-257にエントリーがあり、私が知りたいことがこの辞典にまとめられていた、というより、この辞典でまとめられていた知識をただ自分で仕入れていたわけである。

少々長いが、秋山敏氏の言葉を引いて自戒。(『秋山敏---その人と言葉』 あぽろん社、1991年)

  • 外国語を学ぶのに文法が大切だということは決してウソではない。だが文法とは何か。又どうしたら文法が会得できるのか。市販の安参考書に収録してある事柄位が文法ならば知れた話だ。あれを知っても英語がよく読めも書けもするものではない。語形の変化、語と語、文と文、段落と段落の連関などの一切を支配しているもの、それは一文法書などに規定されている事項位でカタのつくものではない。その代わり、難しいとは言っても言葉というものは、学者の考案に成るものでもなく平々凡々たる市井人の日常道具に過ぎないのだから、感覚さえ鋭くしておけば、そこに支配している語法なり思考の流れなりを感じ取ることは必ずしも困難ではない。人間はある共通法則に支配された定例に三つ以上接すれば、その法則を発見し感受できる筈だ。自分で発見したものは、よしんばドロ臭くとも、自分にとっては生きたものであり、感覚的に捉え得たものだ。ただ単に先人の発見した法則を記憶しただけでは、血も肉も出来はしない。われわれは血にも肉にもなり難いものに頼り過ぎはしないか。片カナの栄養剤や小ぎようにまとめた解説の類に権威を感じ過ぎはしないか。そもそも他から与えられる権威は一応不信の念を持って接するのが健全ではなかろうか。食物とは栄養とは、血肉とは、一体何物か。われわれはもっと旺盛な食欲で雑多なものをあさり、もっと困り、考え、あがき、くやしがって問題を抱き続けるのがよいのではあるまいか。覚えるとか忘れるとかいう如きことはあまり苦にするに及ばないのではないか。(p. 17、「英語教師三十年」)

とはいえ、ナンパオを飲んで早めの就寝。

本日のBGM: One man guy (Loudon Wainwright)

2011-01-24 関係代名詞: who, whom, that or nothing?

「英語授業工房」で取り上げられていた、関係詞の扱いが気になったので調べもの。

自分の考察を備忘録代わりに抜き書きするのがこのエントリーの端緒でしたので、大幅な加筆部分は最後に回してあります。ご面倒をおかけしますがお付き合い下さい。

中学段階での指導にどのような制約と配慮があるのか、過去の指導要領とその解説書を見ると何か分かることがあるかも知れませんが、今は手元にないので、手元にある資料にだけ当たってみます。

指導に関して、現行の中学校の指導要領では「疑問詞」としてwhomを扱っていないということ、人を先行詞とする制限用法では、英米共に省略 (いわゆる接触節) が優勢だが、米語法ではthatが多く用いられ、英語法としてはwho/whomの使用を正統と考える人が多い、という英語の実態・英語母語話者の特徴は念頭に置いておくべきだと思います。

『クエスチョンボックスシリーズ XI 句と節・疑問詞・関係詞』 (大修館書店、1962年)

現在の英語においては、人間を表す語に対する関係代名詞にはなるべくwhoを使おうとする傾向があります。これは多くの学者や文法家の認めるところで、「thatでは人間をいかにも無生物に扱うようで、軽べつの感じが含まれるから」と、Fowler (Usage, p.716) がその理由をあげています。(中略)

2. 関係代名詞が目的語になる場合

口語英語としてもっとも普通なのは、関係代名詞を省略した形です。省略しないとすれば、thatかwhomですが、どちらが優勢であるかは判定がむずかしいところです。ただ、whomは文語的色彩をもっていることはたしかで、会話ではめったに用いられません。また、上で特例としてあげたpeopleの場合もthatが用いられます。

i) The man (that) you see at the desk is the secretary. (机のところにいる人は秘書です)

j) Can you remember the person (that) you took it from? (君がそれを取った人を覚えていますか)

k) The people (that) you met at my house yesterday are Moslems. (きのう君がぼくの家で会った人は回教徒です)

以上はもちろん関係代名詞が制限用法の場合で、非制限用法の場合は省略も不可能だし、thatも用いられませんから who [whom] が使われるのが当然です。

l) The gardener’s wife, who has been married for ten years, has just had her ninth baby. (庭師の女房は、結婚生活10年だが、こんど9人目の赤ん坊を生んだ)

m) Mr. Green, whom you met at my home last month, is my music teacher. (あなたが先月私の家でグリーン先生に会われたが、私は先生に音楽を教わっています)

(pp.85-86、この項の回答者は江川泰一郎氏。)

最後の2例で分かるように、「who [whom] が使われるのが当然」というものの、それぞれ「主格」「目的格」に対応していると考えるのが自然だろう。whomという語の扱いを考える時には疑問詞との関連も考え合わせなければいけないだろうということで、

中島文雄主幹『中学英語事典---語法から指導法まで』(三省堂、1966年)

疑問詞としてのwho; whomの用法は次のように規定できる。

(1) 単独で用いられる場合、すなわち前置詞を伴わない場合は、主語であっても目的語であってもwhoを用いるのが普通である。

Who do you mean? (誰のことを言っているのだ。)

Who are you looking for? (誰を探しているの。)

これに反して

Whom do you mean?

Whom are you looking for?

は’unnatural English’ (Evans) である。

(2) 前置詞が伴う場合

For whom are you looking?

は文法的に正しい。しかしこの表現は、殊に口語では絶対にと言ってよいほど起こり得ない語順である。

(3) whomが用いられる場合

‘I saw Mr. Yamada.’ ‘You saw whom?’ (「山田君に会ったよ。」「誰に会ったって。」)

上のように相手の言うことを聞きもらすか、あるいは意外に思って反問する場合にはwhomが用いられる。(中略) 要するに疑問文の冒頭にwhomを用いるのはLatinistsが作り上げた奇妙なpurismであったわけである。その原因についてはいろいろ考えることができるが、何よりもことばはsymmetryを求める傾向があること、また語形変化はanalogyによって影響されやすいことを考えるべきであろう。他の疑問代名詞what, which が常に同一形である場合に、whoにかぎってwhomとの使い分けをする不便があれば、なるべく早く取り除こうとするのが言語本来の傾向である。ましてや前置詞が文頭に置かれることが少なくなってはなおさら抵抗は少なくなって来る。かくして英語の基本的な疑問代名詞 who, which, whatのいずれもほとんど単一形で統一されることになるのである。 (pp. 355-356、この項の執筆者は松浪有氏)

この『事典』は英題が"A Cyclopedia of English for Junior High School Teachers" というだけあって、複数の著者によって指導法についても詳しく書かれている。

先行事例を詳細に調べてまとめてくれているのは、次の書物。

綿貫陽 『教師のためのロイヤル英文法』 (旺文社、1994年)

昨今では、whomは、書き言葉や堅い言い方に限られ、会話では、目的格でもwho [that] を用い、しかもこれは省略されるほうが普通である。

He paid the man (who/whom) he had hired. [Frank]

非制限用法でも、省略はできないが、whoを用いてよいことには変わりない。

I was in the same group as Janice, who I like a lot. [CBDSG]

These papers belong to Bernard, with whom I am sharing a room. <formal>

…, who I’m sharing a room with. <informal> [A-Z]

したがって、whomを省略できない例文は、次のようなある限られた形になる。

Two men, neither of whom I had seen before, came into my office. [GIU]

The two workers, both of whom were exhausted, sat down. [EGC]

(中略)

結論として、話し言葉ではwhomは使うことはまずないと言ってもかまわない。ただ、Web U (p.959) が言うように、書き言葉の場合は、主格のwhoと目的格のwhomを使い分けるほうがよいという注意は、現時点でも妥当である。(p. 179)


吉田正治『続 英語教師のための英文法』 (研究社、1998年)

以上の議論から、英語教育的観点から言えば、「人」を表す名詞句が先行詞になった場合には、制限的用法と非制限的用法とを問わず、関係代名詞はwhoが用いられ、「人」以外を表す名詞句が先行詞になった場合は、(前置詞を伴わない) 制限的用法であればthatが、前置詞を伴った制限的用法および非制限的用法であればwhichが用いられると指導してよいでしょう。(p. 115)

教室での文法指導方法を説く指南書で、

George Yule (1998),

Explaining English Grammar, Oxford university Press

では、以下の実例を元に考察を記している。

[11] b. Where is the person to whom you talked?

[12] b. Where is the hotel in which you stayed?

[13] a. Can I meet the person that you talked to?

b. Can we find the hotel that you stayed in?

When a preposition is stranded, it is even more common to find clauses with zero relative, as in [14].

[14] a. Mary knows the person φ I talked to.

b. And she’ll remember the hotel φ we stayed in.

It is still possible to find grammar handbooks that warn students not to end a sentence with a preposition, as happens in [13] and [14]. However, these structures with stranded prepositions are much more frequent in contemporary English usage than after-preposition relative in [11b] and [12b] with fronted prepositions. Neither is ‘better’, but those with fronted prepositions (to whom, in which) can sound very formal and stuffy. (pp. 242-243)

初学者用の英文法といえば、

Michael Swan & Catherine Walter (2001),

The Good Grammar Book, Oxford

We can use whom for people when the relative pronoun is the object of the following verb.

I’ve just got a postcard from a women whom I met on holiday last year.

But whom is formal and unusual. In spoken English, we more often use that, who or nothing.

I’ve just got a postcard from a woman who/that I met on holiday last year.

OR

I’ve just got a postcard from a woman I met on holiday last year. (p. 239)

日本人学習者の弱点を熟知した著者のものとしては、次が有益。著者はCambridge大卒の英国人ということを踏まえて。

T.D. ミントン 『ここがおかしい日本人の英文法 III』 (研究社、2004年)

「人」を修飾する制限用法の関係詞にはwho とthat (とwhose) があります。私個人はwhoを好んで使いますが、会話やインフォーマルな文書ではどちらを使ってもかまいません。よりフォーマルな文書ではwhoを使うことをお勧めします。whomは制限用法では省略される (非制限用法では省略されない) か、thatで置き換えるのが一般的です。間違ってwhoで置き換えられていることもありますが、読者のみなさんは真似をしないようにしましょう。 (p. 135)

八木克正 『世界に通用しない英語』 (開拓社、2007年) では、次の2つの問題を例にとり、学校の指導でwhomを求めることを戒めています。

(2) John is the man (who, whom) I was talking with. (ジョンは私としゃべっていた人です)

(3) The man (who, whom) I thought to be my best friend deceived me.

少なくとも話し言葉の中ではwhomはますます姿を消す運命にあるように思われます。学校教育の中でも、少なくとも(2), (3) のようなものを試験に出したりすることはやめるべきです英米の語法辞典類ではこのwho/whomの違いについて触れていないものも多く、すでに問題にもならない事項になっているのです。 (pp. 86-89)

新しいものでは、

小林敏彦 『口語英文法の実態』 (小樽商科大学出版会、2010年)

口語では疑問詞のwhomが英語の母語話者には堅苦しく聞こえるために避けられる傾向にある。今日ではWhom did you see yesterday? と言う人は稀で、Who did you see yesterday? が一般的な言い方である。関係代名詞の目的格のwhomも文語でも口語でも今日は避けられる傾向にあり、He is the man whom I met yesterday. ではなく、He is the man I met yesterday. と省略するのが自然である。幸い、この点はたいていの教科書や文法書に記載されている。

また、前置詞の後にはwhomを用いるのが文法的であると解説する辞書も多いが、Biber et al. (1999) のコーパス研究によると、文語では by whomは一般的であるが、次の例にあるように口語ではby whoが一般的であると報告している。

[1] The question is, by who? [Blakes 7, 1978]

しかし、洋画やTVドラマのセリフの中には以下の例にあるようにby whom の使用も多く観察されている (用例略)

口語では疑問詞のwhomは疑問文の冒頭で使われることはほとんどないが、by whom のような前置詞が前についた形がいわば定型として未だに健在である。また、関係節 (relative clause) における関係代名詞の目的格のwhomはますます廃れてきているが、thatは文語ではまだ使われることが多い。

ここで問題になるのは、現代の日本の中学生に関係代名詞を教える際のwhomの取り扱いである。一般に特定の語彙の使用頻度に比べて文法項目の使用頻度について教室ではほとんど触れられておらず、教科書にもほとんど記述がない。ゆえに、学習者はどの文法事項もいずれも同じぐらい重要なものとして受け入れている。口語ではby whom の形でしかまず耳にすることがない現実を踏まえると、現場の教師はどう教えてよいか戸惑うかも知れない。関係代名詞の主格、目的格、所有格を教える際は、それぞれの使用頻度に関しても触れるべきである。 (pp.81-82)

こういった文法書・概説書以外に、研究論文なども有益な資料となる。

ただし、研究は新しければ良いというものではなく、分析対象は何か、きちんとした考察が加えられているか、という点が重要である。

私が英文法の関係代名詞で特に重視して参考にしているものは、織田稔氏のもの。

大阪教育大のアーカイブには織田氏の研究資料が公開されている。

まずは、このあたりが必見だろうか。

織田稔 「関係詞節と教科書の英語」 (1972年)

追記:

中学校段階での指導内容はいわゆる「週3体制」で激変していることが予想されるので、指導要領を振り返ってみた。

指導要領に関する解説である、

平田和人編著 『中学校新学習指導要領の展開 外国語科英語編』 (明治図書、2008年)

では、文法事項の解説を文科省側で二度の改訂に関わった平田和人氏自身が執筆しているが、そこでは当然、目的格のthat, whichのみが示されており、

なお、関係代名詞が現れることのない接触節については、先行詞による使い分けなど学習上の負担も比較的少ないことから、関係代名詞とは異なる後置修飾の節と考える。しかし関係代名詞と併せて指導し、後置修飾としての類似性を指導すればよい。 (pp. 97-98)

と補足するだけで、どのように「類似」していて、どのように使い分けるのかの解説はなく、その後、高等学校段階でどのように「格」の問題と、前置詞と共起する際の整合性を図るかなど、指導上の困難点は先送りされている。

昭和52年度改訂の指導要領では、「別表1」にwhomが記載されているのだが、文法事項は学年配当がなされており、その第3学年で、

ウ 文法事項

(ア) 関係代名詞which,who及びthatの制限的用法(これらが省略された場合を含む。)

とあるだけで、「格」に関する記述はない。

では、whomはどこで指導するのだろうという疑問が浮かぶが、第1学年で、

イ 文

(ア) 単文

(イ) 肯定及び否定の平叙文

(ウ) 疑問文のうち,動詞で始まるもの,助動詞Can,Do及びDoesで始まるもの,orを含むもの並びにHow,What,When,Where,Which,Who及びWhoseで始まるもの。

となっていて、whomは文頭では指導しないものとされている。結局、同じ第一学年の、

オ 文法事項

(イ) 代名詞のうち,人称,指示,疑問及び数量を表すもの。

の部分で扱われるものとされているのではないかと思われる。

さらに遡り、昭和44年改定では、第3学年に、

エ 文法事項

(ア) 代名詞のうち,関係代名詞 which,who および that の格の変化,制限的用法および省路された場合。

とあり、「格」や「省略」に関しても記述がある。また、第1学年の文法事項の記述で、

オ 文法事項

(イ) 代名詞のうち,人称,指示,疑問および数量を表わすものならびにそれらの性,数および格の変化。

とあり、疑問詞の格を扱うことが明記されている。興味深いのは、

3 内容の取り扱い

(2) 内容の(2)のエの(ア)については,名詞のうち,不規則な複数形および複合名詞,代名詞の性,数および格の変化の語ならびに形容詞および副詞のうち不規則な変化の語は,それぞれ1語として数える。

とあることから、「関係代名詞」のwhoの格変化である、whomは当然扱われ、しかも1語として数えられているという建前であることがわかる。

昭和52年度版でも、「内容の取扱い」で、

内容の(2)のエの(ア)については,名詞のうち不規則な複数形及び複合名詞並びに代名詞の性,数及び格の変化の語は,それぞれ1語として数える。(第2学年及び第3学年において同じ。)

という記述はあるが、その前段階の、「文法事項」の記述が変化していることがわかる。

この当時の指導要領執筆者の文法観、それぞれの項目の関係をどう考えていたかが窺い知れる。

上述の44年度版、52年度版の記述は、「学習指導要領/評価基準」(http://www.nicer.go.jp/guideline/old/) より転載したものであることをお断りしておく。)

英語の実態の補足としては、Biber 他による、コーパスを元にした比較的新しい (1999年刊) 文法書である、

  • Longman Grammar of Spoken and Written English (8.7.1.4, pp. 614-615)

によると、

While who can also occur with object gaps, this option is rare (and stigmatized in written texts):

There’s a girl who I work with who’s pregnant. (CONV)

That is more commonly used than who as a viable alternative to whom. This choice is especially preferred in colloquial discourse, apparently to avoid the formal overtones of whom, and possibly to avoid making a choice between who and whom:

There might be people that we don’t know of. (CONV)

<note the stranded preposition: 2.7.5.3.>

She took up with the first boy that she came near to liking. (FICT)

Then the woman that they actually caught and pinned down would not have been Margot. (FICT)

However, with non-subject gaps it is much more common to completely avoid the choice among relative pronouns by omitting the relativizer altogether. Interestingly, this alternative is the preferred choice in both spoken and written registers:

You’re one person I can talk to. (CONV)

She was the most indefatigable young woman he had ever met. (FICT)

He’s one of the most unpretentious people I’ve met. (NEWS)

For the most part, that and zero relativizer are alternatives to whom only with restrictive clauses; non-restrictive clauses with animate head nouns and non-subject gaps almost always take whom:

This man, whom Elthia never saw, opened a locally famous restaurant. (FICT)

Ivan said Sue, whom he met two years ago, had spent almost every hour with him during and since the operation. (NEWS)

という記述があり、参考になる。

whomそのものに関しては、

金子稔『現代英語・語法ノート II』(教育出版、1997年) に、

  • 「関係代名詞の用法について」(pp.15-21)

という実際の用例を踏まえた興味深い考察が示されているので、高等学校段階以上を対象とする指導者は機会があれば読んでみて欲しい。

梅田巌 『学校英文法と現代語法の世界---フィールドワークとコーパスに基づく研究---』 (リーベル出版、2001年)

では、「関係代名詞who/thatについて」(pp. 53-62 ) の「英語教育への示唆」において、

2. Greenbaum & Quirk (1990: 369) の言う「主格の場合whoが、目的格の場合はthatが好まれる」という記述は上表の検索結果を見る限りにおいては正しいとは言えないようである。thatにしても who(m) にしても特に改まったスタイルでなければ目的格の場合は省略されるのが普通であろう。今回の検索結果から見ても、目的格としての who(m) の生起率は極めて低い。

3. 英語教育の観点から言えば、特に中学校段階では「先行詞が人の場合、どの語 (句) によって限定されようとwhoを用いる」と指導するのが望ましいと思われる。

という著者の見解が示されていて興味深い。

本日のBGM: 四分の一ではなく、一回休み

※1月25日 補足:

The Columbia Guide to Standard American English (1993)

Only in Oratorical and Edited English and other Formal uses are these cases always distributed according to those rules. Conservative practice adheres to them in all levels as well, and such use is always appropriate, though not required: English has long given us Conversational, Informal, Semiformal, and occasionally even Formal uses where, at the beginning of clauses where whom is called for, who occurs instead, and at the ends of utterances where who is called for, whom occurs instead. Thus, at the lower levels of usage, such diametrically opposite uses as these are Standard: Who was the lady I saw you with? You asked who to go with you? The only exception to the frequent occurrence of who toward the fronts and whom toward the ends of sentences: the closer a preposition is to its object pronoun, the more likely we are to use objective case: Who did you go with? but With whom did you go? I saw who you were talking to but I saw to whom you were talking. Unfortunately, this sort of divided usage has led to much hypercorrection. (p.466)

tmrowingtmrowing 2011/01/25 06:10 大幅に加筆。

tmrowingtmrowing 2011/01/25 16:33 さらに加筆して補足。

2011-01-23 最高の誕生日プレゼント

tmrowing2011-01-23

1月期の県合宿も終了。

山口に来て、丸々二日間、こんなに良いコンディションでトレーニングができたことはないのではないか、というくらいに恵まれた水面。何よりの誕生日プレゼントである。

今回、二日目のトレーニングは近いスピードの艇、または種目での追い抜きをメインに、より高い出力を発揮し、長く加速させ、低いレートで、艇にブレーキを掛けず、どれだけスピードを出せるかという課題にそれぞれ取り組んだ。一艇身先行する艇を追い抜くためにスピードを上げるので必然的にレートが上がる、追い抜いた後は、1枚でも2枚でも低いレートでそのスピードを維持しようと頑張る、というのが狙い。UTトレーニングのalternateのように、ただ2枚の上げ下げで行うトレーニングでは、若い選手はとかく、レートの管理に意識が移ってしまい、艇速とリズムとの関係がおろそかになってしまう、という弊害を防ぐことも可能である。もっとも、このトレーニングも慣れていないと、前に出よう、出よう、としてレートが徒に上がってしまうので、経験知を高めるべく、トレーニングの狙いを忘れないことが肝要。

自チームの1Xは、合宿前日の練習が不甲斐ない出来だったので、早朝から学校でエルゴを目一杯引き、その結果をもとに、今回の合宿、さらには選抜、高校総体、そして国体への覚悟を再確認させて、合宿入り。初日は結局3部練ということになった。午前は、ブレーキをつけてのパワーロウ。午後はUT。

二日目の追い抜きでは、大分国体の覇者、成年のH選手の胸を借りることに。

どう考えてもベースのスピードで叶わないので、基本的に、2枚高いレートで併漕させて貰った。

午前中は8km、午後は7kmを併漕で追い抜き。電池が切れるのがまだまだ早いのですが、この日は果敢に食らいついていて力感が出てきた模様。艇速のムラは少なかったのでよく頑張ったと言えるでしょう。本当に良いトレーニングができたことに感謝。H選手は流石に、追い抜く時も、抜いた後も、できるだけ低いレートでのスピードアップ、スピード維持ということができていて勉強になった。

合宿明けのトレーニングでこの集中力を発揮することが何より大切。

来月期の合宿は2週間後。成年の選手とも連絡を取ってスケジュールの調整。

選手を自宅へ送り届ける車中で、今回の厳しい併漕から何を得たかを聴き取り。楽をしてはダメ。このきつさを楽しめるか。まずは、ひたすらに、ひたむきに、それでいて明るく、というところから。

次の合宿の前に、エルゴの20分トライアルがあるので、一日一日、高い志で臨んで欲しい。

すっかり暗くなってから帰宅。

娘は遊び疲れてもう寝ていました。

妻と遅い夕飯。

ロールケーキを作ってくれていたのだが、明日のおめざにお預け。

多謝深謝。

本日のBGM: Mayer Hawthorne (Your easy lovin’ ain’t pleasin’ nothin’)

2011-01-20 Sufficient unto the day is the evil thereof.

まもなく50万アクセス。

far from reader-friendly なこのブログを辛抱強く読んで頂いている方には心より感謝します。

普通科は実力テストで4限の監督のみ。

進学クラスは二年生のみで、7限。リスニングと音読とRead & Look upとシャドウイングと反訳と。今日はペアワークを一切用いず、自力で賄うことを求めました。ペアワークは相手の力量に依存・影響されるので、少人数クラスではマネジメントが難しいですね。私とできるようになれば苦労はないのですけれど。

空いた時間で本を読んだり、本を読んだり、本を読んだり。

過日、『英作文の実際的研究』 (開拓社、1973年) を読んでいて、その新装版が出ていることを知ったので、

  • 『αプラス 実力がつく英作文』 (開拓社、1987年)

を入手。「わずかではありましたが、用語の不適当や印刷の誤りなどを、できる限り訂正いたしました。」とあり、複数の著者による書籍の改訂という難しい作業を丁寧に行った執筆者の苦労が伺える。

偶然にも、この教材の著者代表と思しき、秋山敏氏を偲ぶ本が出ていることを知り、古書店で入手。

奥付には非売品とある。

  • 『秋山敏 その人と言葉』 (あぽろん社、1991年)

編集は同僚や教え子が中心になって行ったと思われる。秋山氏は工業高校の出身で、理系からの転向。外語大の前身、東京外国語学校で岩崎民平氏やメドレー氏に師事。在学中の昭和十四年に文検合格とある。秋山氏本人の生前の原稿に加え、寄稿者には、柴田徹士、渡辺均二らの名前も見られる。このお二人も、教材や辞書でしかお世話になってはいないので学恩と呼ぶのは憚られるが、受け止めて消化できるものがあることを嬉しく思った。

職員会議に合流し、終了後は仕事を片づけて帰宅。

空には満月。(たぶん)

夕飯は水餃子。

スープと一緒に菠薐草も茹でてみたのだが、この菠薐草が美味であった。以前、北浦和でよく買い求めていた有機無農薬の菠薐草の味わいを思い出した。この味わいに合うお酒も選んで晩酌。

娘は私が相手をしてくれないので不満そうな顔をしていたけれど…。

渡邊先生のtweetで友部正人の曲に触れていたので、それに関して返信したら、思わぬ反響があり私の方がびっくり。

今日読んだ、柴田氏の話で印象深かったところを引いて今日のエントリーを締めたいと思う。

  • 次のテクストを選ぶときに、秋山さんがヴァージニア・ウルフの『灯台へ』を候補にあげた。それまで英語の本はすべて英米版を使っていたが、この作品は沢村寅二郎注釈の研究社版があって手に入りやすい。この女流作家も有名になりかけていた。それで内容も知らずに賛成したが、私にとってはそれが重大な決定となった。ショー氏がどんどん読んでいく。我々がときどき質問をする。また、読み続ける。たいてい二、三十ページが一日の分量である。それは楽しい時間であった。今までの小説、いわゆるリアリズムの小説にないリアリティーがそこにあった。別世界の発見である。このテクストの選択が秋山さんの私に対する最大の恩恵であったろう。その開眼で私の研究方向は確定し、以後、五十年以上もウルフ読みが続いているのであるから。(「秋山敏---その人」、p.10)

本日の晩酌: 小左衛門・純米生・おり絡み・美濃産瑞浪錦 (岐阜県)

本日のBGM: すばらしいさよなら (友部正人)

2011-01-19 王様の入っていけない所にある王国

選抜に向けて、本業で頭が痛い時に限って、教育関係でとんでもないことばかり起きるもの。

まずは、大阪の知事が言い出した「高校でのTOEFL 得点争い報奨金」。続いて、東京の特定大学の合格実績を上げるために、部活の時間を減らすよう迫ったり、予備校関係者や特定大学の大学生をコーチとして雇ったり、実績ある教員OBを活用したりという施策。大阪や東京の公立の教員は自分の身に降りかかる火の粉ということで静観なのだろうか?

東京都って相変わらず、特定の都立高校の特定大学の合格者数を計上して自分たちの教育行政が上手くいっていることをアピールしたいようなのだが、定員のある限られたパイを奪い合うようなもので「数値目標」をいくら立てたところで、総数は決まっているわけだから、どこかが増えればどこかが減るゼロサムゲームを演じているに過ぎないということがなぜ分からないのだろうか?

大阪は知事が自分の英語力の無さの鬱憤を晴らすかのように、TOEFLを持ち出したのだが、TOEFLを基準に高校生の英語力を図ろうというのがそもそも、英語力というものを分かっていない証左。東京都が頻りに気にする「都立高校の進学実績」を鑑みる時、せっかく近畿圏の私学に対抗してここまで頑張って来た府立高校の地盤沈下に繋がりかねない施策であろうから、府教委の担当部署が首を縦に振るとも思えないのだけれどね。

どの学校も、自分たちの教育目標を掲げてそれを実現しようとしているのだから、それをサポートするのが公教育の教育行政の役割でしょう。進学とか、留学とか、そういった「外付けではない」充実感をどうやったら生徒に持たせられるかに苦心腐心している高校の方が多いということもお忘れなく。高校生の英語力を伸ばしたいのだったら、まずは、専任の教員を確保し、学校が組みたいカリキュラムを組めるよう保証するのが知事の仕事だろうに。その上で、教員の自由裁量をもっと増やして、とことん授業に打ち込めるようにすればいいだけのこと。教員に英語力があることが大前提ですけれど。

もう一つこれらの話題に関連して言っておくと、新聞はこのような教育問題に関して、教育現場を離れて久しい評論家の尾木直樹にコメントを求めている場合じゃないと思う。尾木は小西真奈美のファンだと言うから、人を見る目はあるのだろうけれど、「国際社会じゃ通用しない」っていう反論がどうしようもなく紋切り型。

メディアも、まずは、都立なら進学校として老舗の日比谷と新興の八王子東の校長、府立なら北野や大手前あたりの校長から、リスクを孕んだ談話をとるくらいの気合いが入った取材をしてきて欲しいものである。

放言で終わっても仕方ないので、「つぶやき」から自らのことばをここに引いておきます。

  • critical thinking というものをまずは教師がきちんと身につけないといけないなと実感。言葉は世界を切り取るナイフ。美味しいものを愉しむのにも使えるし、他者を傷つけるのにも使われ得る。自分の吐いた言葉は常に刃として自分に向かってくるものという覚悟でものを言い続けます。

授業は高3の進学クラスが自宅学習期間に入ったので、高1、高2で淡々と。

本業は、火曜日になんとか湖まで行って、日が落ちるまで乗艇。

腕漕ぎを延々と。クラッチ加重しながらターン、という局面で、「イルカさんご一緒に」のブレードワークになるまでしつこく。

今日は、7限終了後、体育館でエルゴ。最大出力のトレーニング。

最後は、ローマンチェアーを逆から使ってぶら下がり自分の体をプルする広背筋のトレーニング。足は固定なので、グリップが縦の斜め懸垂みたいなもんですかね。

桐英会ブログで松山薫氏が紹介してくれた、

  • 菊谷彰 『日本語のすすめ』 (三修社、1984年)

を古書店で購入。一気に読んだ。音声の記述が具体的で精緻。菊谷氏は開成から東京高等師範の英語科に進んだとのこと。アナウンサーとしての訓練・研究の前に確かな素養が磨かれていたわけである。

本編読了後、後書きを眺めていて暫し凝視。

  • 二十年あまり前の「FMことばの教室」のころから、方言取材や日本語の発声・発音についての指導方法を教えてくださったのは、東京外国語大学の吉沢典男教授です。(p. 238)

嗚呼、言葉の先生であり続けた吉沢先生の薫陶を受けていた方でもあったのですね。何か、こみ上げてくるものがありました。

英作文、ヨコ糸紡ぎのための例文集研究も細々と続けています。

  • 池田義一郎 『文型中心 英作文例文記憶法』 (洛陽社)

これは核になる英語表現として、構文が25、機能別表現を含む文法事項で70、重要語法が94、和文英訳の練習問題が16題、という構成である。巻末に日本語表現の索引があり、確認テストとしても使えるよう配慮してある。

  • 坂本正 編著 『学習者の発想による 日本語表現文型例文集 初級後半から中級にかけて』 (凡人社、1996年)

入試の過去問をデータベースにするのではなく、現代の日本語で必須の表現文型をもとにした和文英訳のデータベースを考えるための材料として購入。現代を生きる我々が普段当たり前に使っている日本語表現や文型の客観視が必要だと感じているから。「学習者の発想による」というところに着目してみました。こういう分野で日本語教育や国語教育ともっと意見交換をしないといけないのだろうと思うので、よろしくお願いします。

『相棒』は戸田山氏の脚本。途中のコメディタッチもご愛敬。前回がちょっと首を捻る話しだったので、脚本家がいかに劇を支えているかを実感。気持ちよく就寝。

本日のBGM: けらいのひとりもいない王様 (友部正人)

tmrowingtmrowing 2011/01/20 10:36 一部加筆。

tmrowingtmrowing 2012/01/17 10:15 誤記訂正。謹んで関係者におわびいたします。

2011-01-16 寒中お見舞い申し上げます

金曜日は、学校まで出版社の方が足を運んで下さり、いろいろな話しを聞くことができた。というより、私の話を聞いて頂いたというのがより適切かも知れないのだが。県内の学校を回ったそうだが、センター試験前日ということで、冷ややかな応対の学校もあったとか。いくら進学校とはいえ、前日に教師がじたばたしてもどうにもならないだろうに。土壇場までじたばたするのは受験生の権利でしょう。侵害してはなりません。そもそも、センター試験を受ける高校3年生って、全高3生の半分もいないんですから、高校によって温度差があるのは当然で、国民的行事のように思う心理は少し修正しておかないと。

雪の心配された土曜日は本業で、厳寒の朝からいつもの湖へ。午後からの天候悪化を懸念し、午前中のモーションで乗艇を長めにとって、午後はエルゴメニューに。

乗艇は、ランニングからエルゴでのアップを30分ほど行い、岸を蹴って約2kmのアップの後、1500mを8発。スタート5本+10本+10本に続けて指定レートはSR28だったのだが、4セット目あたりは中盤で26程度に落ちていてなかなか強度と艇速をキープすることができず、カタマランで追い回すことに。6セット目が非常に良い出来だっただけに、質を揃えられなかったのが残念。最後は、スクエアでダウン。駅まで送り届けて終了。今日の練習から、新兵器を導入して様子を見てみたが、なかなか良い感じである。次回の合宿でも投入しようっと。

夕方はまだ雪が酷くなる前に、妻の防寒着の買い物のために阿知須のペンブロークまで。

インナーのパンツやアウターのソフトシェルなどをあれこれ。やはりパタゴニアの製品は質・デザイン共にいいですね。自分のものも物色したのですが、予算の関係で、ネックウォーマーと防水スプレーだけ買って帰宅。

夕飯は、合い挽き肉の団子と無農薬栽培大根の鬼おろしみぞれ鍋。

これは近年で最大のヒットと言える美味&滋養。身体が内側から洗われていくかのよう。写真を撮るヒマもなくあっという間に完食。

妻にレシピを書いて貰ったのですが、

  • これはこの大根じゃないとこの味わいにならないと思う。

とのこと。この冬の仕事が一つ増えました。大根を選ぶ眼です。

夕飯の後は、宇多田ヒカルを見て就寝。

日曜日は大雪の予報なので選手が移動する交通手段を考慮し、最初から自宅でエルゴの指示。自分にどこまで厳しくなれるかが問われますよ。

明けてみたら、積雪10cm弱といった感じでした。積雪よりも、気温が上がらないことの方がきつかった。洗面所の水道は蛇口を捻ったところで水が止まり、お湯をチョロチョロと出し続けてしばらくして開通。事なきを得ました。実家にいた頃は、就寝前に元栓を落としたりしてたけど、山口で水が出なくなるとは思いもしませんでした。

月曜日もまだ雪が残るようだと練習内容も少し考えないとなぁ…。

土曜日に行われたセンター試験の英語に関しては、もう、ネット上でも情報が飛び交っていると思いますが、新課程を見据えてそろそろ現行の出題形式ともお別れになるのでしょうから、この手の試験で英語力を図れていたのかどうか検討する部署が出てきて良いように思います。公的な機関や部署がないのであれば、テスティングが専門の大学の英語教育学者の方たちに、利害抜き、ルサンチマン抜きでセンター試験の英語のテストの分析講評を宜しくお願いしたいと思います。全国の現場の英語教師も、これまでの変遷を実際に見てきた年配の先生方が声を上げることが大切だと思います。

作成側、実施母体へのお願いとしては、「サンプル」の公開。共通一次試験実施、リスニングテスト実施に当たっては「試行テスト」があったのですから、戦後最悪の改訂と私の評価している新課程ではありますが、その課程で学んだ卒業生が受験に臨む前には「サンプル」くらいは出しても罰は当たらないだろうと思うわけです。

以下、現行の問題点改善点などを。

個人的には、まず第1問の語の発音を問う設問は廃止すべし。もし譲歩して出題を残すという場合でも、強音節と弱音節の音を比べるというナンセンスな設問は辞めていただきたい。

現行の出題を「重箱の隅をつつく」のではない良問、などと評する人がいるが、近年、どのような基準で重要な語句・表現だとみなしているのかよくわからないまま、語彙・語法に関しての出題比率が高まったように感じる。第2問は昔ながらの「文法」を正面から問うものに変えることで、受験を意識するという高等学校に対してはシラバスを組んだり教材を選んだりするのに適切な波及効果が生まれるように思う。今の出題の比率では、文法を授業で扱うことが不十分なまま、進学実績の高い高校や予備校の講師の言うことに影響されて「速読力」だの、「概要把握」だのを求め、長文読解の演習の数をこなすことばかりに汲々として実際の生徒は復習も徹底できず、文法も身につかないというまま試験を迎えてしまうのではないかという危惧がある。第2問、第3問で時間を使いすぎるから、読解の時間がなくなるというのが平均的な受験生の実態だろうと思う。

第2問のC、整序完成は所詮、名詞句の限定表現と動詞・助動詞の活用がチャンクを作る鍵を握るのだから、共通一次の昭和61年以降あたりで出ていた、状況設定を簡単な英語で与えての単文完成で充分だと思う。

最もこれ見よがしな出題が、近年続いている第3問のA。これを「文脈から語義を類推する良問」などと評している人の良識を疑う。この下線部の「なじみのない」語句を、単なる空所補充にしたら何か変わるのだろうか?もともと、下線部の引かれた「平均的な高校生はおそらく守備範囲にない語彙・イディオム」を用いる必然性など全くないのである。表面的に、今風のテスト形式を装っても内実が伴わなければ意義はない。こんな設問を入れるよりは第3問のCを3題課した方がまだ良いだろう。

第4問も、文章の読解とグラフ・図表とを絡めたいのであれば、擬似的実用性を前面に出した文章ではなく、「報告文」「叙実文」のパラグラフをグラフ・図表を元に完成させるというような、expository passageの理解と習熟を見ることで、ライティングの潜在的な力を試すような設問を工夫して欲しいものです。

第5問でも必ず、図や絵とのマッチングを求める出題があるのだが、どうにも中途半端。「求めているのは訳読ではありません」というアピールだけ。いっそのこと、第4問はexposition、この第5問でargumentation (論説文) の読解を問い、第6問は早く、内容スキーマに影響されにくい narrative (小説・物語) の読解を求める出題に戻すことで、テクストタイプにも配慮でき、もう少し真っ当な英語のテストになるような気がします。

センター試験も問題が多いのですが、それよりも問題なのが、毎日新聞での記事。

私は基本的に新聞を読まない人間なので、この記事に関しては和歌山大の江利川先生のブログで知りました。

http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/22780510.html

東京本社版の記事はこちら。

http://mainichi.jp/life/edu/highschool/news/20101204dde041100028000c.html

事実誤認といい、現場に責任があるかのようなmisleadingな論調といい大いに問題がある。英語教育界は記事の訂正を求めてしかるべきだろう。新聞雑誌などの既存のメディアに頼らずとも、真っ当な声を人びとに届けることが可能なネット時代である。良識ある英語教師が自分の考えをネット上で表明してくれるものと期待している。

さて、

この記事に署名のある「篠原成行」氏は、毎日新聞の教育関係で多くの記事を担当している。

「大学入試:センター試験 リスニング、また不具合 初日、97人が再試験」

http://mainichi.jp/life/edu/news/20110116ddm041100122000c.html

という記事も彼の署名によるもの。「また不具合」という描写で、管理責任を臭わせるようないかにもな物言いなのだが、今回のセンター試験の英語聴解試験は、実受験者513576人、不具合申告者105人。率にして0.002%ですよ。今年度からはICプレーヤーのリサイクルが始まり、不具合が増えることが懸念されたにもかかわらず、昨年より大幅に不具合が減り、劇的に状況が改善されたことを報じるべきでしょう。

迅速な対応をしてくれた係の皆さん、会場で連日遅くまで働いて下さった方たちに心より感謝です。

本日の晩酌: 臥龍梅・純米吟醸生・袋吊り滴酒・五百万石・55%精米 (静岡県)

本日のBGM: 温度 (石野田奈津代)

2011-01-13 Surf & Snow

MacBook Air 11インチ欲しい!

3学期の高3の授業は1コマ。

センター直前ということで、第4問のB、いわゆる「非連続型テキスト読解問題」だけ類題の演習をしておいた。このタイプは、普段ベネッセのGTECを受けていれば過去問演習などを気にすることはないのだろうが、現任校では実施していないので、目の付け所だけ。解答は4分が目標だが、今回は6分で解答を締め切る。非連続型テキストなので復習しろといっても、音読には向かないタイプの設問なので、各問いの判断の根拠をテキストの該当箇所と照合するのに3分、錯乱肢となっている選択肢のどこが矛盾、言及なしなのかの書き出しに3分を使ってから答え合わせで3分。15分1セットで2セット。

高2は冬期課外での自分の取り組みの自己評価をもとに、自宅学習での使用教材を決定、

  • 何を・どれだけ・どのように

やるのかを自分で決める。これが自分で具体的に書けない者は、何が身についたか自分でわからないまま、「英語の勉強をしました」という既成事実を残すことに時間を費やすことになるもの。とはいえ、そろそろ『P単』と『コーパス』『やれでき』は完璧にしておいて欲しいものです。3学期は教科書を一気に読みますので。

高1のオーラルは『國弘・藤本本』から音源だけを与えてディクテーション。3学期のメイン教材はこれになるので、第一課のみ音源を再生し、ごくごく簡単に取り組み方の指示。範囲を決めた小テストもやらないし、内容確認の英問英答も特には考えていません。お膳立て無しの状態でどれだけできるのか、それを見極めてから。

推薦入試があるので、本業はエルゴの指示。

少し前の「常時英心」のエントリーで、a spelling bee (つづり字競技会) が話題として取り上げられていた。私も少しコメントしたのだが、この “bee” という言葉の由来など気になることは残っていたので、学級文庫に入れてあった『カラーアンカー英語大事典』 (学研、1984年) を引いてみた。

bee

  • (5) bee はアメリカで大勢の人の寄り合いや集まりの意味でも使われる。たとえばアメリカのhusking bee はトウモロコシの皮むきのための集まりで、一種のパーティーを兼ねている。ほかに、編み物のknitting bee、 刺し子ぶとん作りの quilting bee、糸つむぎの spinning bee、棟上げの raising bee などがニューイングランドで行われた。 (→ spelling bee) [由来] 古いゲルマン語からきた。ドイツ語では Biene という。 (p.84)

spelling bee

  • (2) 学校ではつづり字の正しさを競う競技よく行われるが、1832年からspelling school、1845年からspelling match、1872年からspelling beeとよばれるようになった。マーク・トウェーンは『トムソーヤーの冒険』 (1876) でspelling-fight と書いている。
  • (3) つづり字競技で相手を負かすのをspell a person downということから、つづり字競技を1943年からspelldownともよぶ。アメリカでは毎年全国の学校から選出された生徒がNational Spelling Beeというトーナメントに出場する。 [由来] beeはミツバチの群れのように集まってブンブンとしゃべったりする会をさすアメリカ英語。昔は sewing bee (お裁縫の会) もあった。(→ bee) (p.743)

どちらのエントリーも執筆者は堀内克明氏である。この事典から10年後の刊行となる、田崎清忠編著 『アメリカ日常語辞典』 (講談社、1994年) での、spelling bee の説明は以下の通り。

  • 「綴り字競技 (会)」 綴りの正しい語を口頭で競う競技会。spelldownともいう。参加者全員が立って競技会を始め、綴りを間違えた者は座り、最後まで立っているものが勝者となるゲーム。個人戦と団体戦がある。(p.350)

アメリカ英語ということで、MEDやCOUBUILDの米語版にあたるものの、spelling beeの記述はごく簡単なもの。beeそのものを引いても「会合・集まり」の語義は扱いなし。

COBUILDの学校英語辞典 (COBUILD School Dictionary of American English, 2008) の方には、spelling bee のエントリーで、

  • A spelling bee is a competition in which children try to spell words correctly. Anyone who makes a mistake is out and the competition continues until only one person is left. (p.874)

と競技方法まで書いてあった。

ここから先の詮索は、wikiにでも任せて、昨年度のチャンピオンのインタビューをYouTubeでどうぞ。

(http://bit.ly/hVwarW)

今年はヨコ糸紡ぎのための先行事例研究のために、古い教材から学ぼうと思っている。今日職場に届いたのは、

  • 木曽栄作 編 『英作文必修基本文型集』 (山口書店、1966年)

和英対訳の例文集で、770の例文が収録されている。編著者の木曽氏の肩書きは小樽商科大学教授とある。小樽高商では「基礎英作の木曽栄作」と呼ばれ学生に慕われ、その指導には定評があったそうである。岩田一男と同僚だったということは、こちらの資料を読むまで知らなかった。(http://bit.ly/elMFo9)

基本例文集というのは、駿台の『700選』が有名だが、単語集ほどではないにせよ、屋上屋が如く数多の書籍がこれまで世に出ていると思う。近年では、例文が多すぎると覚えきれない高校生に対応すべく『300選』にまで無理なダイエットをしているような印象もあるが、依然、受験を見据えた高校生が使う教材の定番でもある。しかしながら、どんなに英語ネイティブの校閲や協議を経て、整備されたコーパスを活用して、クオリティの高い英文が収録されていたとしても、初学者こそ「耳で覚えて書ける」ようなリズムの良さが求められるのであるから、例文が長いものはその良さを充分に発揮することが難しい。編著者の言葉のセンスが問われるところでもあろう。

この木曽の『…基本文型集』は左ページに和文、右ページに英文のレイアウト。同じく山口書店から同時期に刊行されている、『英作文の栞』 (高校英語研究会編、1964年初版、1975年改訂版) は左に英文、右に和訳である。この二冊に共通しているのは、例文が短いということと英語表現で必要不可欠な基本文型・文法事項を扱うこと。それでいて、木曽のものは第1編「基本構文篇」、第2編「文法篇」という構成で典型的な例文集なのだが、第3編「表現公式篇」では機能表現にも配慮しながら第1編、第2編の総復習となるように編まれているところが大きな特徴。版型は17.5cm x 10cmで、ダイアリーでいうとバイブルスリムサイズのカバーと同じくらい。携帯性も申し分ない。私の入手したものでは、第1編の例文100にだけ、赤鉛筆でチェックがつけられていた。どんな人がどんな使い方をしたのか興味のあるところである。

ラジオで耳にした松任谷 (荒井) 由実の『恋人がサンタクロース』のギターソロが松原正樹のような気がしたので、CDを入手しライナーを見てみたがクレジットはなし。でも、この音は多分そうだろうなぁ…。

夕飯は担々麵。晩酌で鯨の畝須。

本日のBGM:一回休み

※代わりにこちらの動画をご覧下さい。

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2011-01-10 ウィンターズ・カップ終了

この大会は今年で第3回となる高校生 (を中心とした) レース。

もともとは冬場に乗艇のままならない地域の強豪校が菊池に遠征に来ていたことから始まったもので、M先生発案とのこと。今年は、37チーム総勢300名の選手が集結。2日間に渡り熱戦が繰り広げられた。

初日の午前に行われた1500mタイムトライアルで、個々の選手のスピードを把握し、午後のレースの組み合わせを決め、1500mを二発。平均タイムで初日のランキングを発表。それをもとに、二日目のレースの組み合わせを決め、最終のタイム・順位を争うわけである。なにせ2分間隔で行っても30レースがあるので、1時間、次から次へと艇が出てはゴールするので、スタートの管理、ウォーターマン、タイム・着順の計測と集計は本当に大変だろうと思う。伴走する審判艇は無しで、約500m毎に監視艇としてカタマランを待機させ、蛇行や沈への対応をする。気温水温共に低いので、細心の注意観察と迅速な処置が肝要。私も二日目のレースでは監視を担当し、1名、沈の救助にあたりました。無事でなにより。

自チームで参加した男子の1Xは、初日に頑張りを見せ、平均タイムは6位からほとんど横並びの8位で、二日目の組み合わせでは上から2組目に入ることができたのですが、この二日目の第一レースで岸蹴りが遅れ、発艇時間2分前に間に合わないという大失態。大急ぎで回漕レーンを力漕し、スタートにつけるのを待ってもらってのレースとなりました。当然、スタートの準備も不十分で大きく出遅れ、タイムのロス。第二レースでは、全体の7位のタイムで漕げただけに、悔やまれます。これまで、お膳立てなどをほとんど私がやっていたために、選手が自分で判断して何かをしなければならないという肝心な局面で大きなミスに繋がったと言うことでしょう。正業の英語の授業では、段取りやお膳立てを排することで学習者の自律・自立を促す私が、こと本業では選手の成長を妨げていたという体たらく。斑蛇口湖よりも深く反省します。

レース終了後は、迅速に艇積み込みを済ませ、表彰式。各県各チームが持ち寄った特産品や名物を入賞者を中心として景品として持ち帰るという面白い形式でした。

正式な記録等はこちらの「全国高体連ボート専門部」のサイトをご覧下さい。 (http://www.hs-rowing.jp/topics.2011dai3kaiwinterscup.html)

正月明けから、事前合宿を組んでこの大会に備えているチームもあり、3月の静岡県・天竜川での選抜大会、そして山口国体で他県の強豪クルーを迎え撃つにはまだまだ精進が必要だと思い知らされた大会となりました。

そうそう、初日の夕方には、各チーム指導者の情報交換会も設定され、愉しく、熱い一時を過ごしとたことを書き添えておきます。

帰山して艇庫に到着したのが、夕暮れ時。国体に向けての会場整備で、現在艇庫には電気が通っていないため、艇の積み降ろしで、日没との競争が最後の最後に待ち受けていました。引率の先生、選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。

私は選手を送り届けて、帰宅。

夕食と酒の肴を妻に作ってもらい、疲れを癒しました。

連休最終日は午前を休息にあて、午後から乗艇。

ウィンターズ・カップの反省をもとに、エルゴでファイナルとエントリーポジションの徹底から。骨盤を振り切って股関節の極められる姿勢を身体が覚えるまでにはもう少し時間が掛かりそうです。30分ほどエルゴで格闘した後、出艇。

エントリーからのレッグ1/2での4本+フルスライド1本のドリルで、約1km、その後、SR22の定常漕。ドライブ途中での緩みがないように、ラダーで20本ずつSRをあげ、24/26/28/30/32まで。その後、SR28/30/32、さらにスタート練習をして、最大出力と加速を確認してから再度SR22の定常漕へ。低レートでも全力で艇を運びきることを求めました。少しでもまったりしてくれば、スタート5本+10本を入れて、最大出力から定常漕へ。生理学的に見れば、フォーカスが散漫でロスの多いメニューとなっていますが、この選手の「今」には必要な対応と判断して取り組んでいます。約2時間のトレーニングの後、揚艇。陸でカニとニーベントウォークをやって撤収。

選手を駅まで送り、私も家路へ。

2011年最初の3連休は本業三昧で終了。

明日は始業式。3学期の授業も開始となります。

本業は一日オフ。腹筋だけは必須。歯磨きと同じですから。

本日のBGM: 涙をふいて (風味堂)

2011-01-06 Silence potential moaners.

今年の初詣は地元の神社へ。妻と娘と一緒にお参りし、家族の健康を祈ってきました。おみくじは大吉。「おめでとう」は、10月の国体が終わった時にとっておきたいと思います。新年のご挨拶を戴いた方々へのお返事は寒中見舞いにて失礼させていただきます。何卒ご理解願います。

本業も新春は3日から。

エルゴで初漕ぎ。4日から乗艇。晴天に恵まれ絶好の乗艇日和の予定だったのだが、近い方の湖が雪解け水の増水で、船台までの通路が水没。夏ならまだしも、この厳冬下では船台へ腿まで水に浸かって艇を出すのを断念。急遽車で移動し、アクトビレッジという親水施設の規格艇をレンタルすることに。レンタル料を払って借りたのはいいのですがK社の女子艇で、県の備品でした。どういうこと?

リギングをそそくさと済ませて、日が暮れるまでなんとか小一時間の練習を終え納艇、返却。

翌日は、もう、朝から遠い方の湖へと出かけてリギング&乗艇。

霰は降るわ、風は吹くわで散々なコンディションの中、午後は1000mの異艇種並べ。レート指定のSR24、SR26ではパワーの無さが浮き彫りに。SR28とopenではそれなりの加速を見せたのですが、やはり、低レートから中間レートで全力を発揮できないのは、端々の精度が低いから。

明けて今日は課題をクリアーにして、1モーション。レースに向けて、スタートスパートまで練習するはずだったのですが、なんと雪吹雪。4kmのアップに続いて、1往復スタ練をやって、さあ、これからメインメニューというところで、300m位先が見えず、カタマランで伴走する私のメガネに雪が付着し、視界がなくなるのでやむなく揚艇。エルゴで続きを行って2時間の練習終了。

他校の選手とともに艇の積み込みをするころにはすっかり雪も止み、明るい空。こういうものですね。陽のまだ高いうちに解散。

明日から、2泊3日でウィンターズ・カップ。熊本に行ってきます。西日本を中心に、約300人の高校生が終結しスピードを競います。どこまで突き抜けることができるか、絶好の機会なので、良いコンディションで戦わせてやりたいものです。

本日のBGM: アーリーモーニング (堂島孝平)

2011-01-02 This can wait.

tmrowing2011-01-02

2011年の始まりを慶びたいと思います。

今年は本業の山口国体。

心身共に良い状態で迎え、送ることができればと。

妻が麩以外のおせちを手作りで準備してくれたので、気持ちよく新年の食卓を囲むことができました。氷頭なますには感激。本当に有り難うございます。私に日本酒の奥深さを教えてくれた、花園神社隣の今は亡き地酒の店のマスターに想いを馳せて、八海山の赤越後を合わせてみました。

旧年最後の読書は、

  • 伊藤一彦、堺雅人 『ぼく、牧水---歌人に学ぶ「まろび」の美学』 (角川Oneテーマ21、2010年)。

これは、英語授業工房で取り上げられて早速購入して一気に読んだ。著者二人の師弟関係を羨ましく思った。今、高校とはいえ、このような濃密な師弟関係を体現できる学校現場は希有だろう。

新年最初の読書も新書。かなり前に購入していたが、そのときから新年第一冊はこれと決めてとっておいた、

  • 鶴見俊輔 『思い出袋』 (岩波新書、2010年)

反芻すべきと感じた言葉を抜き出しておく。

  • 小学校から中学校へと、自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一の正しい答えを念写する方法に習熟する人は、優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうあることを不思議とは思わない。 (p.6、「学校という階梯」)
  • 賢い者の移りゆく観察のつづりあわせとして現代日本史を書くのではなく、知恵遅れの天才児の、時代にふりまわされない心を通して、戦中・戦後の現代日本史を、小沢信男は描いた。(pp.25-26、「その声がとどく」)
  • 自分で定義をするとき、その定義のとおりに言葉を使ってみて、不都合が生じたら直す。自分の定義でとらえられることができないとき、経験が定義のふちをあふれそうになる。あふれてもいいではないか。そのときの手ごたえ、そのはずみを得て、考えがのびてゆく。明治以降の日本の学問には、そういうところがあまりなかった。試験のための学習は、そういうはずみをつけない。ヨーロッパの学問の定義ではこういう、というのを受けて、その適用をこころみ、その定義にすっぽりはまる快感がはずみとなって学習がすすむ。すっぽりはまらないところに注目して、そこから考えてゆくというふうにはならない。(pp.36-37、「あふれでるもの」)
  • 明治の学校制度のはじまりから百三十年。欧米の先生の定義に合う実例をさがして書く答案がそのまま学問の進歩であるという信仰が、右左をこえて今も日本の知識人にはある。そこから離れた方向に、私たちはいつ出発できるのか。 (p.56、「はみだしについて」)
  • 高い位置に昇ったことのある人は、引退してからも話しが長い。結婚披露宴などに呼ばれて、話のまとまらない人は、高い位置に昇ったことのある人だ。(p.70、「知られない努力」)
  • ドーアの日本語はやわらかい初来日の彼に到着から数日後に会ったとき、彼は吉田松陰の話しをした。R.L.スティーブンソンが世界で最初に松陰の評伝を英語で書いたことからすれば不思議ではないが、そのとき、やわらかい日本語だったことが半世紀後も印象に残っている。おそらくそれは、彼が小樽高等商業学校の教授だったダニエルズとその夫人 (日本人) から、戦時の英国で日本語を伝授されたことからきている。/ふたたび池澤夏樹に戻ると、彼の日本語が自然科学の知識を駆使しながら、やわらかい印象を与えるのは、彼が立原道造についで定型押韻詩を日本語で実現した母親の原條あき子に、はじめに言葉を教わったからではないか。戦時中の閉ざされた国家の中の、閉ざされた結社の中で使われたマチネ・ポエティークの日本語が、半世紀間熟成されて、今日の日本に再び現れた。そう考えていいのではないか。 (p.105、「夢で出会う言葉」)
  • 夫 (=アルフレッド・クローバー) の死後、クローバー夫人シオドラは、夫の遺したノートに基づいて、生前会うことのなかった男イシについて伝記を書く。その娘、ル=グゥインは、イシの活躍する別世界をつくりだして、ファンタジー『ゲド戦記』を書いた。二人の息子は人類学者になり、イシについての考証に基づく著作を出した。(pp.124-125、「彼は足をふみだした」)
  • そのとき、こなしたほうの問題がなんだったか、一九三九年六月から六十八年たった今、きれいに忘れており、落とした問題だけが心に残っている。(p.141、「できなかった問題」)
  • ここには、自分を越える道だけでなく、自己を保つ道が語られている。私は、日本に八十五年暮らして、この国の知識人が学校を通ってくりかえし卒業してゆくことに不信感をもっている。ここに、高学歴にもかかわらず、たやすく卒業しない知識人を見つけて、勇気づけられる。(p. 152、「自分を保つ道」)
  • 師のエマスンが牢獄をたずねて、「そんなところにいて、はずかしくないのか」と言うと、ソローは、「あなたは、この外にいて、はずかしくないのか」と問い返したという。(p.203、「メキシコから米国を見る」)
  • 東郷とのつきあいは、長くとだえていた。それとちがって、つきあいがケネス・ヤングと私のあいだに続いたのは、日本社会では身分がつきあいの底にあり、それが避けられないということだ。アメリカ化した六十四年後の日本に、そのことが今もあるのは残念だ。アメリカ人とのあいだには、自分の身分を越えて、友人のつきあいはかわらない。それとも、米国内でも、つきあいのかたちは、もうかわっているのか。(p.224、「書き切れなかったこと」)

読了後、書棚にあった、『不逞老人』 (河出書房新社、2009年) を読み返した。私の持っている鶴見の本の多くは学級文庫に入れているので、次に出校した時にちょっと引き取って再読しようと思う。

正業関係で読んでいるのは、

  • 秋山敏、渡辺均二 他『英作文の実際的研究』 (開拓社、1973年)

本来は昭和40年代の学習者に向けて編まれた「自習書」なのだが、今では指導者向けの選書として読むのが適切であろう。この当時の開拓社は、『…実際的研究』をシリーズで出しているが、実物を見たことがない。

  • 『学習英語辞典』 (令文社、1962年)

これは、懐の深い学習辞書だと思う。英語教育史的にどのような位置づけになるのか、有識者に訊いてみたいと思っている。収録語数は約3万語。十大特色として、

  1. 科学的原理と実践記録の活用
  2. 学習本位
  3. 運用本位
  4. 語いの重要度の5段階の表示
  5. 語義の重要度11段階の表示
  6. 英和双解
  7. 念入りな解説
  8. 実用的な見出し語の配列
  9. 豊富な付録
  10. 無駄を省いた圧縮版

とある。

語い選定の基準は、

  • Interim Report on Vocabulary Selection---Carnegie Report (King & Co., 1936)
  • Thorndike-Barnhart: Junior Dictionary, (Scott, Foresman and Company, 1936)
  • Michael West: A General Service List of English Words (Longmans, 1957)
  • Thorndike-Lorge: The Teacher’s Word Book of 30,000 Words (Columbia Univ., 1960)

を重視していたと書かれている。語義の重要度を踏まえ、段階的な表示をした学習辞書というのは珍しいと思われる。特に、WestのGSLが出てから僅か数年でそれを学習辞書に取り込むというのは大変な苦労があったのではないかと推察される。今日のコーパスを活用した辞書編集でも、語義ごとの重要度をどのように反映させるか、というのは大きな課題であろうから、そういった視点からの再評価にも意味はあるように思う。帯というか表紙には、石橋幸太郎、梶木隆一、待鳥又喜、そして西脇順三郎の推薦の言葉がある。

この辞書の英名は、

  • Reibunsha’s English Dictionary for High School

この当時、高等学校の教壇に立っていた先輩たちの聞き書きなどが残っていたら、と思うのである。年末のriversonさんのブログで、サイドリーダーの訳者が稲村松雄先生だったことが書かれていたが、英語教育が大きく動いた戦後の60年くらいの間のこともどんどん忘れ去られていくようではいけない。その先哲先達の足跡を留め、その志を少しでも受け継いで行きたいと思う。

それにしても、駆け出しの頃お世話になったY先生は機会を見つけて、使用教材とGSLを確認されていたのを思い出すにつけ、その慧眼、卓見に脱帽するばかり。

日本語も英語も、もう、どれだけ多くの本を読んだかを他人と競ったり、自分に課したりする年齢ではないように思う。それよりも、読み流せない、聞き流せない言葉を、自分の中に住まわせるための読みを続けることに集中したい。 鶴見を読むととりわけそう感じる。

昨年末に読み返しの波が訪れたのは中野好夫だった。この新春に読み返す人としては、この他に、米原万里、荒川洋治、そして辺見庸が待っている。待たせるだけの自分でありますように。

本日の晩酌: 玉川・コウノトリラベル・生モト純米原酒・無濾過生 (京都府)

本日のBGM: I’ve been waiting (Matthew Sweet)