英語教育の明日はどっちだ! TMRowing at best Twitter

2013-03-29 前提と焦点

tmrowing2013-03-29

桜が例年以上に早く咲き揃い、すっかり春。

入学式はおろか、「お花見」をする前に、散ってしまいそうな気がします。

課外講座も終了、年度末の勤務を無事終えました。

新高2は、「意味の処理と目標言語での保持」の入り口で終了。新年度にフォローします。資料はこちらから↓。

2013_kagai_03_28.pdf 直

雑談で、「お受験文化」の話しを少ししたのですが、彼らに伝えたのは、

  • 有名大学に合格することよりも、自分の学びに不当にコンプレックスを持たずに、高校を卒業することの方が大切。

ということでした。英語学習も同じですね。

新高3は、『やれでき』には載っていない、<強調>を扱うので、高2教室から、

  • 水光雅則 編著 『ランドマーク高校総合英語』 (啓林館、1994年)

を持ってきて、白板に例文を転記して解説しました。 (PP. 470-479)

今読み返して見ても、音調の指摘もあり、良い記述だと思います。ちょっと昔には、こんなに良い学参が市販されていたのに、絶版とは本当に残念ですね。新しいものを編むのではなくて、この参考書を改訂すれば良かったのに…。

さて、

学校英語というか、受験英語の「用語」では、「強調構文」と呼ばれるものがあります。

  • It was Columbus that discovered America in 1942.

とか、

  • It is not until we lose our health that we realize the significance of it. 

などというような文を指しているようです。

かれこれ十数年前、公立校勤務時代に、0時限の朝補習で、受験対策をしていたことがあったのですが、その頃の資料が出てきましたので、そこから抜粋、加筆して、「解説」をしてみたいと思います。

英語学的には、「分裂文」とか “it-cleft” などと言っているのかな、と思うのですが、

  • It is A that B.

という見た目になる文を「強調構文」と呼んでいるようで、他の構文との識別法として、 「A と B を取り出すと、完全な文になる」などと言われることがあります。 (「同格のthat節」などでも、時折使われる、この「完全な文」という、言い方の問題点はいつかきちんと論じたいと思います。)

市販教材の多くは、特定の英文を示して、その部分に下線を引き、その下線部を強調した英文を、次々と示すだけで終わっていることが多いように思います。豊富な練習問題で、実例を補っている場合でも、「運用」に自信を持てるような展開・構成にはなっていない場合がほとんどです。しかも、そのような問題練習をした後であっても、『〜こそ××である』といった不自然な日本語での和訳練習に終始していたりします。

古い参考書から引いてみます。

It is … that (or who, which) の形式によって文の一部を強めることができる。例えば、

I came on John yesterday. 私は昨日ジョンを訪問した。

は強調する部分によって次のようになる。

(1) It was I that called on John yesterday. 昨日ジョンを訪問したのは私です。

(2) It was John that I called on yesterday. 私が昨日訪問したのはジョンです。

(3) It was yesterday that I called on John. 私がジョンを訪問したのは昨日です。

以上、大塚高信編著 『英語百科小事典』 (垂水書房、1958年)

別な参考書では、見開き2頁構成で、豊富な用例での英・日対照で解説がなされています。

こちらのファイルをご覧下さい→

BB47C22D-4DCE-4158-8147-83479117619B.jpg 直

河村重治郎、吉川美夫、吉川道夫 『新クラウン英文解釈』( 三省堂、1969年)

用例そのものは、厳選されたものを用いて書かれているとは思うのですが、どのような文脈で、この「構文」を使うのか、という部分が余りよく分かりません。元の文が、書き手と読み手、話し手と聞き手の間で共有されていたら、強調するまでもないように思えるからです。

さらに古い参考書だと、次のような興味深い記述が見られます。

Emphatic の “It … that (which, who) ….”

(例)

I am to blame. (私が悪いのです。)

It is I that (or who) am to blame. (悪いのは私です。)

[注意] that の Predicate Verb は Real Subjectの I に応ずる。

(例)

You are wrong.

It is you that (or who) are wrong.

(例)

You love her, not me.

It is she, not I, that (or whom) you love.

[附言] It is she, not I, that you love. が正しいのであるけれども、Relative Pronoun “that” が loveの目的格になっているのにつられて It is her, not me, that you love. というふうに “she”, “I” を Objective Caseの “her”, “me” にした例はかなり多い。われわれはこれを誤りとして退けるわけにはいかないと思う。

(例)

These circumstances induced him to accept the offer. (こういう事情で彼はその申出を引受ける気になった。)

It was these circumstances that (or which) induced him to accept the offer.

(例)

He did not come to his senses till his father had died. (父がなくなるまで迷夢がさめなかった。)

It was not till his father had died that he came to senses.

[注意] It was till his father had died he did not come to his senses. ではいけない。

(例)

We are greatly struck with the deep gloom of the cathedral on our first entrance. (われわれは最初はいった時この伽藍の暗いのに驚く。)

It is with the deep gloom of the cathedral that we are struck on our first entrance.

It is on our first entrance that we are greatly struck with the deep gloom of the cathedral.

[注意] It is with the deep gloom の “with”, It is on our first entrance の “on” を前に出すことを忘れないこと。ただし It is the deep gloom with which we are greatly struck on our first entrance. ならばよい。また It is the deep gloom of the cathedral that strikes us greatly on our first entrance. としてもよい。

以上、古瀬良則『英文法の研究』 (改訂版、旺文社、1956年)

この古瀬の最後の2例での指摘は興味深いと思いました。「not の位置」、そして「前置詞の位置」は、英語として文が成立するために欠かせない条件なのですが、この部分が学習参考書で説明されることは稀のように思えるからです。

この<いわゆる強調構文>を理解するためには、やはり「情報構造」と言われるような考え方の基礎基本、つまり<前提>と<焦点>の理解が役に立つように思います。

次の例を見てください。

(1) It is the bottom line that counts.

この文での前提、当事者同士の了解事項、と焦点、話し手が強調したい新たな、または意外な情報はそれぞれ何でしょうか?

(1a) What counts? 「何が重要なのですか」           前提

(1b) The bottom line counts. 「最終結果が重要なのです」    焦点 

このように「前提」から「焦点」へ、という順序で情報が提示されるのであれば、聞き手は、自分の知っている、分かっていることがらを基準に、話し手の焦点を待ち受けることができますから、準備する余裕があり、情報の流れとして、ごく当たり前のもので、理解に全く問題を生じないでしょう。

ですから、より自然な談話、一般には会話では

(1c) What counts / is the bottom line. 「重要なのは最終結果です」

  前提     焦点

といった、旧情報であり、前提となる部分を主題として文を作ります。これは、疑似分裂文などと呼ばれることがありますが、話し言葉ではごく普通に見られる<強調構文>です。音調の関係で、副詞 (句) を補ったり、助動詞の助けを借りたりして、

(1c’) What really counts is the bottom line.

(1c’’) What does count is the bottom line.

となることもあるでしょう。

では (1) の文ではどうなっているでしょうか?

(1) It is the bottom line that counts.

     焦点       前提 

焦点が前提に、新情報が旧情報に先立っています。この情報構造の一般的な順序を破ることで焦点を際だたせるからこそ、強調という働きを持つのです。したがって、前提と焦点の確認を経ていない、文法のドリルは無意味であるばかりか有害です。次の英文で前提と焦点を考えてください。

(2) It was in the morning lessons that I first learned the information structure.

(2a) I first learned the information structure sometime in the past.

(2b) When did you first learn the information structure?

この場合、(2a) の内容が前提であり、(2b) の質問の答えに相当する内容が焦点となります。whenという疑問詞で取り出すことのできる内容・情報が答えとなるのですから、当然 in the morning lessons というように、<前置詞+名詞 = 副詞句>でなければならないことがわかるでしょう。次の英文は非文(容認されない文)です。

  • *It was the morning lessons that I first learned the information structure.

これでは the morning lessons という名詞句ですから when ではなく what に対応してしまいます。

このように考えてくると、(2) の英文の和訳で in にあたる日本語はちょっと分かりにくいのですが、英語では in がなければ文として成立しないことが実感できるのではないでしょうか。

では、古瀬も指摘していた、<It is not until A that B. >という構文で、なぜ、not がこの位置になければならないのか、予測がつきましたか?

Aの内容に焦点を当て、情報の流れと相反する提示をするためには、Bの部分は事実、一般論または話し手の主張・聞き手の理解の「前提」として「肯定・断定される」ことが必要になります。したがって、この部分に否定のnotを残しておくことはできません(それでは話が自己矛盾となってしまいます)。次に、untilの節内の動作・行為は、「線」として継続・持続している主節の活動や状態が途切れる「点」として基準となるべきものですから、この untilの内側にも否定を置くことはできません。ですから、untilで導かれる節を越えて、文法上の主節の述部である、be動詞の位置まで繰り上がった、とは考えられないでしょうか。情報構造の原則を守り、なおかつ文法上の整合性を保つという二重の意識が働いたため、と考えれば、苦肉の策とは言え、なかなか良い落としどころだと思います。

 くれぐれも、

  • It is not until we lose our health that we realize the significance of it.

という英文を読んで、(×)「我々が健康の価値に気づくのは、我々が健康を失う時までではない」などという訳をしてわかったような振りをしないでください。

前提と焦点を確認することで、命題として適切なまとめができるはずです。 

入試問題から例文を示します。確認してください。

 Language is certainly an important factor in understanding others. As my Japanese language ability improves, so does my understanding of the people. This was also true in learning French, my major in graduate school. It was not until I was fluent in French that I really got to know French people. I do not say this is always the case, but language does give insights into a foreign culture, that would not be possible otherwise, especially in the case of Japan.

この表現は、いかにも構文めいているために、現代英語で使われないと心配する向きがあるかもしれません。COBUILD のコーパスからの用例です。

  • However, it was not until he was well into his twenties that he began to show signs of potential beyond club level.
  • It was not until the late 19th century that the influence of Jewish artists, patrons and dealers would become a pivotal force within the mainstream of international art.

この朝補習を行っていた90年代末期は、まだまだオンラインコーパスも充分に整備されておらず、私が示した実例でのサポートも吟味が不十分だなぁ、と思います。not の位置の考察も、詰めが甘いところがありますが、何もしないよりはまだマシだったかなという気はします。今なら、どうするか?何が出来るか?歳をとっても研鑽が必要だということですね。

今の生徒には、『ランドマーク』を1人1日借りて帰って良いから、熟読して回し読みしなさい、という指示を与えておきました。

さあ、あと10日ほどで新年度。振り返ってばかりでもいけません。志も新たに、でも、あんまり高く掲げすぎることなく、自分の学びと向き合い、自分の学びを全うしましょう。

本日のBGM: 我に返る (小声バージョン) / TOMOVSKY

2013-03-25 今そこにある課題

tmrowing2013-03-25

今年度も、残すところあと僅か。

今年度は自治会長をしていたのですが、その自治会総会もなんとか終了し、新たな役員への引き継ぎを残すのみ。『市報』配りなど、実務面で尽力してくれた妻に感謝です。

昨晩は、総会を終えて帰宅し、録画してあった『泣くな、はらちゃん』の最終回を再度見ながら、妻と乾杯しました。

正業では、仮入学など、新年度の対応と並行して、進学クラスの春期課外講座。

高1、つまり新二年から始まりました。

こんな感じです。

matsui_kagai_2013_03_22_ver2.pdf 直

主として「時制・態・法」と「修飾」を扱います。「番付表」と「とじかっこ」と「四角化」って、そういうことですから。

高2、つまり新三年は『やれでき』の総復習と、発展的な文法・表現を扱います。所謂『大学入試頻出本』での問題演習は今まで全くと言っていいほどやっていないので、新年度、高3の1学期に集中的に取り組む予定です。

私が、敬愛する英語教師のお一人で、英語の文字指導・発音指導の第一人者として全幅の信頼を寄せている手島良先生から、今年度、中学校1年生、入門期の授業で実際にお使いになった、「英語の綴りと発音の話」のファイルを送って頂きました。手島先生は、ご自身のブログでも、授業実践・指導案を惜しげもなく公開されています。

英語導入期のシラバス再考

http://t.co/nG0YeUJkiV

ブログを辿れば、それぞれの授業で、何を、いつ、どのように扱うのかが分かります。ただ、こうしてまとまった資料として手にすると、全体像が見えてきて、基礎から発展への伏線の張り方、スパイラルに繰り返し復習させる工夫など、多くのことに改めて気づかされます。

巷では「フォニックス」と呼ばれる指導法で編まれたと思しき書籍が売れています (私は個人的には、phonicsと英語表記するか、「フォニクス」という仮名表記をしています) が、手島先生の凄いところは、「手書き文字そのもの」の考察と指導手順が考え抜かれていることです。

例えば、次のような回。

小学校で教えられている文字 (1)

http://t.co/hdZntFm6zX

文字の形、書体・フォント、運筆など、「読む・見る」文字と、「写す・書く」文字とのギャップという入門期の指導での留意点がここには示されています。

裏返せば、このような基本的な考察があまりなされていない、「入門期の文字指導」が余りに多すぎるのだと思います。

偶然と言っていいでしょうか、私の職場には、京都大学の田地野彰先生から、某ラジオ局の『基礎英語1』4月号テキストが送られてきました。

田地野先生は、「意味順」の連載 (pp. 117-123) を始められたということで、私のところに送って下さったのですが、その直後の「Q&As」「相談室」的な連載 (pp.124-127) は、本多敏幸先生が担当されています。この4月号が『基礎英語1』の年度最初、開始の号なのですが、いきなり英語の文字の「書き方」の指導助言です。しかも文字の形や書体、運筆への言及のない、大まかなものとなっていて、複雑な気持ちでした。

昨年まで担当されていた、専修大の田邉祐司先生の講座でも、この「手書き文字」の指導手順で、何にどう配慮すべきか、という部分にはあまり光が当たっていなかったように思います。

手島先生のブログを読む若手英語教師が増え、「手書き文字」の問題・課題が正しく認識されるとともに、その適切な指導手順が普及し、入門期に限らず、「英語の文字を手で書くこと」への指導がより確かなものに、より豊かなものになる日が近づくことを願ってやみません。

本日のBGM: Reach out (I'll be there) / Four Tops

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2013-03-20 ”All ’n’ All”

tmrowing2013-03-20

今日は、新入生の「仮入学」で配付する、資料の差し替え。

毎年新入生は変わるので、前年度のものをただ使い回すわけにもいきません。[この冒頭の写真の詳細はこちら↓

音声指導_綴り字.jpg 直

教科書や教材の「トリセツ」も大事ですが、「発音と綴り字」「音読の基礎基本」などをどこまで扱うか。

学年指定の採択英和辞典は、『エースクラウン英和』 (三省堂) です。

学習頁の「リスニングのコツ」を、私が書いていますので、痒いはずのところに気づいてもらうのには重宝します。

「弱形」についての詳しい解説は、水光雅則先生の『文法と発音』 (大修館書店、1985年) に見つかります。「音声学」をきちんと学んでこなかった人には、音声表記がやや難しいと感じるかも知れませんが、日常の平易な語彙を用いて、身近な具体例を援用して解説されています。(「黒柳徹子」さんが出てきた時はちょっと驚きましたが。) 第3章「機能語の発音」 (pp. 105 – 193) が詳しく、かつ分かりやすいでしょう。

『ファンダメンタル音声学』 (ひつじ書房、2007年) では、4.4 (pp. 121-140) が、「弱形と強形」の使い分けに当てられています。

今井 (2007).jpg 直

音源は、トラック数の限られる音楽CDではなく、CD-ROMにmp3で収録されています。細かく練習するには便利です。豊富な練習文例は、「練習73」(pp. 135-140) 。音声ファイルにして、17分に及ぼうかという長さですが、「例文」としてはそれ以前に全て扱ったものが再利用されていますから、復習にも活用できます。私も今でもやっています。

こういった音源のない時代、カセットやテープ、ソノシート、レコードもなかった時代の音声指導は、さぞ大変だったことでしょうね。

私がよく読み返すのは、恩師竹林滋先生のものは勿論ですが、古いものでは、青木常雄『英文朗読法大意』 (1933年) です。

過去ログのこちらでも言及しています、

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20061222

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20080131

文脈・対比を効果的に用いて、「イントネーション」や「強勢」の説明も明快です。

青木 (1933) .jpg 直

私の手元にあるのはリーベル出版からの復刻版 (1987年) で、浅野博先生の「改題」がついています。過去ログでも引きましたが、やはり必読です。

http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20071217

「弱形」に関しては、宮田幸一『発音・つづり・語形成』 (研究社、1969年) に極力、専門用語に頼らない丁寧な記述が見られます (pp. 87-92)。

先ずは、人称代名詞など、こちらの記述。

宮田 (1969)_1.jpg 直

続いてこちら。

宮田 (1969)_2.jpg 直

andなどの接続詞にも言及がありますが、宮田氏の手になるものですから、テスト対策などではなく、あくまでも教室の指導用、しかも「受け売り」を排した、現場目線の考察に裏打ちされています。

青木氏のものは80年前、宮田氏のものは40年以上前に書かれた本です。いつの時代にも、きちんと学び、きちんと教え、そしてきちんと研究していた人はいるわけです。

私が1982年にG大で学んだ「大家」「達人」は皆、この領域の指導には長けていたように思います。当然、当時18歳の私に教える大家・達人の中には60歳を数えようか、という方もいらっしゃいました。その方たちが学生だったのは、そこから更に40年前。1940年代といえば、戦中・戦後です。当時は、iPodやiPadはもちろん、CDやカセットさえ利用できない中、音声も含めて英語を「身につけていた」という事実の重みを痛感します。

さて、

フィギュアスケートの世界選手権も終了。

男女とも、チャンピオンは予想通り。

「ミスをしない」ということの重みはエッジの深さくらいの意味がある。

個人的には、男子SPでデニス・テン選手が滑り始めた瞬間の、氷の捉え方、姿勢の良さが鮮烈で、「この選手にいったい何があったのだろう?」、と思った。

フリーの演技では、やはり長年のファンである、キム・ヨナ選手の身体操作に注目していた。

復帰後はとにかく、背中が硬く、動きのしなやかさが失われているのが気になっていたけれど、今大会に向けて相当にトレーニングしてきたことを伺わせる滑りであった。どのくらいの人が気づいただろうか、フリーの3つ目のジャンプである3S。基礎点が低く、トップ選手がそれほど心血を注ぐとは思えない、このジャンプの出来が本当に素晴らしかった。演目全体をトータルパッケージとして見た場合に、綻びを作らないことのエネルギーは、突き抜けるエネルギーと同じくらい重要である。ロス、バンクーバー、そして今回のロンドンと得点のGOEでの盛り具合には異論はあるだろうが、浅田選手の今回の出来では完敗というしかないだろう。

年間を通して、必須の競技会である「選手権」に加えて、「国別対抗戦」、さらにはスポンサー対応でもある国内でのショーアイスにも借り出される日本選手の疲労度を考慮すれば、ピークが合わないのも致し方ない。ただ、来年は五輪年。連盟として、選手最優先の強化をお願いしたい。

来期に向けて、浅田選手はSPはローリー・ニコル、LPはタチアナ・タラソワによる振り付けを表明したとのこと。今なら『鐘』が美しく響くはず、と思うのは私だけだろうか。競技演目では無理だとしたら、Exでもう一度見てみたいものだ。

来期のGPファイナルは、なんと、2013年12月5日(木)〜8日(日) マリンメッセ福岡にて開催。

五輪直前の、まさに前哨戦となるだろうか、チケットをとらねば。

本日のBGM: Everything’s gonna be alright (Al Green)

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2013-03-19 「振り出しに戻るだろう」

tmrowing2013-03-19

成績提出・会議も全て終え、新年度への準備。

私家版の『前置詞・副詞(不変化詞)のハンドブック』の改訂作業。

教員になってすぐ、4択の穴埋め演習などでは身につけられない「語感」を教える必要に迫られて作成したこのハンドブック。初版にあたるプリント集は1987年か。

当時はCGELに付箋を貼りまくって、語法解説の文言を考えたり、LOB Corpusの結果をコンパクトに纏めた2冊刊の緑のハードカバーからデータを引き引き、共起制限や頻度の比較を注記していました。G大2年の時の英語学系の授業で使っていた教科書が、当時、出てまだ2年くらいだったでしょうか、Lakoff & Johnson の “The Metaphors We Live By” で、前置詞や不変化詞を考える際の「比喩」というものには馴染みはあったのですが、やはり1987年の G. Lakoffの “Women, Fire and Dangerous Things” が自分で纏め直す契機となっていました。

この私家版「ハンドブック」の初版は、G大でお世話になったN先生にも見てもらって助言をいただき、すぐに改訂しました。

その後、同僚として働く優秀なALTの方たちと膝突き合わせで用例の差し替え、補充、新たに手に入った辞書や資料を見て解説の加筆修正などを繰り返して、1993年で4訂版。冒頭の写真の右下にある見開きのものがそうです。写真詳細はこちらで→写真 2013-03-16 13 43 02.jpg 直

扱った項目は、次の通り。(数字) はそれぞれの項目で扱っている基本文例の数。コラムは除いていますが、それでも500近くの例文があります。

  • at (23), on (34) , in (28) , about (14), to (31), into (17), from (21), for (34), of (31), after (16), across (9), by (26), out (31), up (30), down (18), through (16), around (18), over (23), under (21), along (11), with (32)

当時のサイクルから言えば、2校目に異動した1996年あたりが改訂のはずでしたが、その頃、英語学習環境に大きな動き、変化が訪れました。

そう、インターネットの普及です。

それによって、オーセンティックな英語素材を授業で提供することが遥かに容易になってからは、実質の改訂版を作っていませんでした。用例の補充や、語法の見直しなどは細々と続けていましたが、最近の巷の「英語本」の内容や記述を見るに付け、やはり「教材」としてきちんと改訂しておかねば、ということで今年度は進学クラスの生徒にも配布し、授業で折りに触れ使いながら、痒いところを見つけては掻き、足りないところを見つけては補い、綻びを繕っています。

awayやoffなど項目そのものの補充も勿論ですが、既に纏まっていると思っている各項目も再度吟味しています。

今ちょうど考えているのは upの扱い。

不変化詞と呼ばれる語の中でも、使用頻度の高いものは近年のコーパス言語学の研究成果でよく分かっています。

  • up, out, on, in, off, down

では、句動詞やイディオムでこれらの不変化詞が含まれた用例を見て、初学者がすぐにその意味を理解し、自分で使いこなせるか、というとそれはかなり難しいでしょう。outやoverは資料が比較的多いのでplausibleな解説が出来ないことはないのですが、up/downはやはり難儀。

改訂での例文補充だけでなく、コラムで扱う予定の up の項目に、

  • come up with

があります。「(アイデア、答え、解決策などを) 思いつく」という日本語に対応する表現ですが、このupはつくずく厄介だなぁ、と感じます。

他動性の強い think of/hit onとthink upを同義で捉えるのは容易でも、come up withをinventのカテゴリーに入れるのは?

日本語の発想をスライドさせようにも、日本語で「浮かぶ」のは「考え」のほうだから、(?)「考えが浮かび上がってくる」というのは全くの間違い。人が主語となり「絞り出す」とか「捻り出す」という「イメージ」「フィーリング」と、comeの自動性との間で、 どのように折り合いをつけるか。

あたかも「最適解」は既にどこかに存在していて、そこにたどり着く「達成感」をupが担うとか、つじつま合わせは可能だけれど、どうしても後知恵になります。

学習の過程では、日本語の発想で「思いつく」からスタートするものだとしても、hit onとthink ofとcome up with を単純に、同義・類義で纏めてしまうのはとっても危険だと思うのです。

upをparticleとしてどう捉えるかということをもう少し俯瞰的に見るとすれば、

  • come up with, keep up with, put up with

といった他の句動詞でのupと比較することで、自動性・他動性の問題、共起制限を考えることもできるでしょう。例えば、

  • put up with = stand; endure; tolerate

のputは本来他動詞ですが、句動詞としてput up が用いられる場合には、同様に目的語を取るわけです。

  • put up an umbrella [a tent; a flag; a sail; a net]
  • put up a poster [a notice; a sign]

この場合、目的語に共通するのは、

  • 丸められたり、折り畳まれていたりする状態では機能せず、put up され「ハリのある状態」になって初めて、その機能を果たす。

というような性質です。

put upが目的語に取るべき再帰代名詞(-self) が本来はあると仮定すれば、その目的語が

  • 「ハリのある状態」となって、「外圧」に対しても機能する。

というような語義の成立を「拵える」ことで、put up withという句動詞の意味を「説明」することは可能かもしれません。多くの表現同様、再帰代名詞の省略、で逃げられるようにも思います。でも、自動詞のcomeとup とwithの組み合わせでは?

Lindstromberg (2010年)は、come up withを「獲得(acquisition)・採択(adoption)」で捉える根拠に、写真 写真 2013-03-17 10 52 52.jpg 直 の「16.1bの図」を挙げている(p. 196)のですが、come upする主語にあたるものが「答え」ではなく「人」ということをどう説明するのでしょうか?

今のところの私の落とし所は、映画『地獄の黙示録』のあるシーンのイメージ。画像はこちらからお探し下さい。

http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2&ei=UTF-8&rkf=1&imt=&ctype=&imcolor=&dim=large

come up withでは<ideaやplan, solutionが頭の中に浮かび上がる>のではなく、<「人」が、どこかに存在する「最適解」のところにたどり着く、浮かび上がる>、という解釈でもしないと意味が整合しません。ただし、その場合でも、浮かび上がってくる人が、「海女」というような比喩では説明が不十分でしょう。

<海女の比喩>であれば、どこか海中で「最適解」を採取することにしておくとして、浮上する際のイメージを<come with 最適解 + up>とすることは可能でも、では、そのあと、<to + 目的地=現在地>となるはずの、「どこへ浮上するのか?」という疑問に答えることができないように思います。

come up withの場合は、「努力」とか「紆余曲折」を含意する時もあれば、「偶然」の感じもする表現なのでやはり難しいのです。

類義表現の、hit on=find a solution by chance でも少し考えておきたいことがあります。

このhitの語義・意味が

  • (cause or allow to) come into hard contact with (Chamber’s Universal Learners’)

だと考えると、自動詞として使われるcomeとの接点が見えてきます。いったん、日本語の「思いつく」という言い回しから離れて、英語の語義の肝にどれだけ迫れるか頑張ってみることも必要。

Oxford系の辞書 (OALD) では、

  • (of a moving object or body) come into contact with (someone or something stationary) quickly and forcefully

という定義。

“hit” の語義を見ると、「意味」がわかったつもりになりがちですが、では何故「解決策を偶然見つける」という語義の際に hit を他動詞で用いて (X) hit a solution とは言わないのか?ここが悩みどころ。Lindstrombergはpp.63-64で 'softer' なcontactと説明していますが、苦しい後出しじゃんけんです。偶然性、出会い頭感をこそ説明しないとダメだろうな、というのが実感。

確かに、

  • knock the door [down; off; over; away]

と、

  • knock on the door

とは全く違う意味合いです。その対比で得られる知見もあります。しかしながら、その考え方が、

  • hit a solution

  • hit on a solution

の対比に当て嵌まるか、というと「?」です。

“hit” の語義でもう一つ注意が必要なのは、他動詞は他動詞でも、主語に「アイデア」とでもいうべきものが来る次のような例。

まずはMEDから。

[transitive] if an idea or the truth hits you, you suddenly realize it: It suddenly hit her that she would never see him again.

次は、Cambridge

[T] If an idea or thought hits you, you suddenly think of it: That's when it hit me that my life would never be the same again.

で、Webster’s Essential Leanrers’

[T] informal: to become suddenly or completely clear to (someone): It suddenly hit me [=I suddenly realized] that I was wrong.

この意味では、strikeと同義で、interchangeably で使えるように思います。

主語に何をとるかという違いがありますが、ODEでは、

  • (of a missile or a person aiming one) strike (a target)

という定義の下に、

  • be suddenly and vividly realized by: [with obj. and clause] it hit her that I wanted to settle down here.

と、

  • [no obj.] (hit on/upon) discover or think of, especially by chance: she hit on a novel idea for fund-raising

を並べています。この語義の配列を考えると、「語義」と一口に言っても、「意義素」「コア」の輪郭線を明示するというのは難しいことが分かると思います。一知半解にもかかわらずドヤ顔での解説は避けたいものです。

改定作業は、春休み期間中もまだまだ続きます。

愉しいね。

本日のBGM: All over, Starting over (高野寛)

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※ 2013.03.20 追記

FBでのやりとりの私のコメントの一部を備忘録代わりにこちらに残しておきます。

come up の主語が「植物」であれば、growと同義なので、もし「人」を主語にとるとしても、「その人が、花を咲かせる = 成長、成熟する;成功する」という比喩として捉えられるので、あまり悩まないように思います。私がしつこく気にしている come up with では、主語が「人」で、目的語に相当するのが「アイデアなどの最適解」なのですね。同じ人を主語にとる句動詞であっても、come up againstであれば、againstが、その目的語に相当する語を、「望ましくないもの」として捉えるのでしょうから、他動詞のencounterとか、face, be confronted with といった表現との相互乗り入れがまだ容易だと思うのですが、 withをcome with your wife = bring your wifeなどの「付随」、その発展で agree withや go well withなどの「対応」と捉えるにしても、upをcatch up withや make up forでの「凹みや欠落、隔たりを埋め合わせる」と捉えるにしても、comeする主語にあたる「人」は「もともとどこにいて」「どこに辿り着くのか (=今どこにいるのか)」をうまく説明できる「比喩」が欲しいところです。

tmrowingtmrowing 2013/03/20 07:25 FBでの有益な情報交換から生まれた「気づき」を、追記として残しました。

2013-03-15 はずれくじ、すごろく、そして風呂敷

今日は追試指導です。

該当者は「チャンス」を得た訳ですから活かしてください。

私には私の実作。

春期課外講座のメニュー作成が完了したところです。これから旬の素材を探して「風呂敷」包み。風呂敷は使わない時、畳んでおかないとね。何時でも、何処でも、何にでも広げているのは感心しません。

自分の呟きで知ることになった自分のteacher's beliefsにちょっと驚いています。

文科省等の指定校・拠点校で頑張っている先生も多数知っているけれど、教員全てが同一・統一の指導法を採る職場には魅力を感じない。「一枚岩」の如く同じというのは「硬直」と紙一重。大き過ぎるのも困るけど風呂敷の様に中身に応じて形も変わり、不要の際には畳んでしまえるのが理想です。比喩です。

そう、学びとして求めているのは「はずれくじ10枚理論」と「すごろく理論」だけれども、指導法としては「風呂敷理論」を求めていた訳ですねぇ。

読解・作文ではあれほど「日本語の段落は風呂敷、英語のパラグラフはブリーフケース」と生徒に対して説いてきたのがちょっと皮肉に感じました。

さて、

国公立大の後期入試も終了しました。

今、九州大学の後期試験を見ています。

気になったのは、やはり和文英訳での「主題」と「論理」でした。

出題の日本文は以下の通り、そのうちの (1) の1文と、(2) の1文のみを英訳するものです。

自分の仕事に責任を持つのは当然です。(1) 一般に、責任をとるということは自らのミスの償いをするという意味ですが、仕事上の失敗に金を払ったり、辞職をしてもそれですむものではありません。むしろ一面では無責任のそしりをまぬがれないでしょう。

責任は “とる” ものではなく “果たす” ものと考えるべきなのです。仕事をするということは、自己の責任において仕事を完成させることなのです。(2) たとえミスを犯したとしても、最善の方法で対策を講じ、仕事を完成させるよう努力しなければなりません。同時に、なぜ誤りが発生したのか、その原因を追及し、二度と同じような誤りをしないよう研究することが、責任を果たすことなのです。

「責任」のコロケーションを取り上げた出題なのですが、そもそも日本語で、

  • 責任を持つ
  • 責任をとる
  • 責任を果たす

はそれぞれどのように定義づけられ、使い分けられているのでしょうか?

ほとんど同じissueを扱う、こんなコラムを目にしました。

豊田尚吾 「責任を『とる』と『果たす』の違い」 (http://www.osakagas.co.jp/company/efforts/cel/column/management/1193870_1647.html)

このコラムの中で豊田氏は広辞苑を引き、

  • 責任には、「とる『責任』」と「果たす『責任』」と二つの意味がある。

という趣旨のことを述べています。私の理解、語感も、豊田氏の引いた広辞苑に近いものです。

このような語感をもつ日本語話者にとっては、今回の九州大の出題は難問です。日本語の記述が、

  • 「とる責任」だけでなく、「果たす責任」を重視するべき。

というようなものであれば、論旨を理解するのが容易であったかと思われますが、そうであっても、英語に直す時に、”responsible” という形容詞、または “responsibility” という名詞を用いる際には、注意が必要だと言えるでしょう。

形容詞responsibleの定義を見てみます。

  • morally liable for the carrying out of some duty; in a position where one will be blamed for failure (ISED)
  • having a duty to see that something is done etc, and likely to have to report to (a particular person) when it has not been done etc: We’ll make one person responsible for buying the food for the trip; He is responsible to the manager for the way his staff behave. (Chambers Universal Learners’)
  • 1. obliged or expected to account (for, to); accountable; answerable 2. deserving credit or blame (World Book Dictionary)
  • 1. deserving to be blamed for something that has happened 2. someone who is responsible for someone or something is in charge of them and must make sure that what they do or what happens to them is right or satisfactory (MacMillan English Dictionary - American)
  • 1. having an obligation to do something, or having control over or care for someone, as part of one’s job or role 2. being the primary cause of something and so able to be blamed or credited for it (Oxford Dictionary of English)
  • 1. if someone is responsible for an accident, mistake, crime etc, it is their fault or they can be blamed 2. having a duty to be in charge of or to look after someone or something (LDOCE)

注意点が見えてきたでしょうか?

Longman Activator Thesaurus では、"be responsible for / have responsibility for" の定義として、

  • if you are responsible for or have responsibility for doing something, it is your job or your moral or legal duty to do it

をあげています。

また、Oxford Learner’s Thesaurus では、"be responsible for sb/sth" の定義として、

  • to have the job or duty of doing sth or taking care of sb/sth, so that you may be blamed if sth goes wrong

をあげています。

英語で responsibleを用いる際も、その語義が

  • やり遂げる仕事、責務、使命がある
  • 功であれ、罪であれ、起こったことの主因となる

と「二義的」であることに注意が必要である、ということです。日本の学習者は前者の語義を的確に把握していないことが多く、さらには後者の語義では「功」にも用いることがあまり分かっていないようです。(過去ログ、 credit の語義参照 → http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130221)

大手予備校などでは解答速報を出しているところもあるでしょう。その模範解答で、(1) の英訳、つまり、「取る責任」の英訳に “responsible” や “responsibility” という語が使われていたなら、その語義とどのような対比で、(2) の英訳、すなわち「果たす責任」の英訳を記述し纏めているのか、というところが、解答者の腕の見せ所となるでしょう。

今回の出題文では、日本語文をそのまま英語にすると、一体何を言っているのかがよくわからない文になりがちなので、正直なところ、ケリー・伊藤氏にでもバッサリ斬って欲しいところです。

私自身が受験生だったのは約30年前ですが、市販の英作文問題集はほとんどやっていません。その代わり、当時英語を教わっていたM先生のところに、新聞や雑誌に載っている私が好きなスポーツ選手や俳優、作家などのコラムやインタビュー記事をレポート用紙にスクラップよろしく貼り付けては英訳し添削してもらっていました。そのM先生に、

  • ここは英語としては全く論理になっていないから書き直し。

とバッサリ斬られ、何度もダメ出しされた「文章」があったことを覚えています。日本語として、何か分かったような気になるけれども、英語に直す際に、論理の飛躍や、崩れに気がつく経験をさせてもらっていたわけですから、受験勉強も有り難いものです。

九州大学は初夏になれば、標準解答例を公開してくれる良識ある大学なので、この後期の問題は是非「標準解答」の英語を見てみたいと思っています。

前期試験でも一橋大学の出題文の変更など、いくつか気になるものがありますので、また日を改めて取り上げてみたいと思います。

今は、フィギュアスケートの世界選手権を見届けることが先ですかね。

男子はSPで興醒めの採点でしたが、女子は見応えのある演技を期待したいところです。

本日のBGM: はだかにはさせない---はだかにはならない (Carnation)

2013-03-10 To sum up, there should be ....

作問を全て終え、今シーズンの祭りは終了。

すぐに訪れる「採点天国」の準備もそこそこに、名古屋まで。

今回が記念すべき「友の会」第1回。

残念ながら、この企画当初からのメンバーのお一方が参加できませんでしたが、しがらみもなく、初対面も含み、愉しい集まりでした。こうして声を掛け合って折に触れて、集えれば嬉しいですね。「群れ」で何かする、というのはどうにも…。

CamScannerを使ってiPad miniに収めた「高校入試」問題を、往路の新幹線で読みながらあれこれ思案。

地元県立高校の出題では、今年から、共通問題以外に、オプションで使える、やや難易度が高いことを伺わせる問題も登場。

「全国縦断リスニングテスト制覇の旅」を一通り終えてみて感じたことでもありますが、現行の「実践的コミュニケーション」を謳った指導要領で、何が成果として残ったのだろうか、と考えていました。高校入試問題でも、「表現力」を求めているのだろうという出題が含まれています。ただ、「書くこと」の求められる機会は「メール」以外にもいろいろあるはずのに、入試問題では余りに画一的・紋切り型の出題が多いと感じます。何も出題されないよりはまだマシなのかも知れませんが。

今回、再考を要する問題は、読解問題でしょうか。

読解のピース (英文) の本文に空所を設けて、補充完成やら、下線部の内容の言い換えを求めたり、内容に一致する英文を選択させた後に、

  • 本文の内容を英語で要約せよ。

というのは、二重に理解と表現を問うている点で、「問題」があるでしょう。その前の設問に正解しなかった受験生は、当然、正しく内容を理解できておらず、本文中の語句を自分の言葉で言い換えることも覚束ない状態で、「要約文」に対峙することになります。

確かに本文の冒頭は、

Yesterday, Keiko visited her grandfather and said to him, “Look! I got a new camera. It’s digital. I joined the photo club and my parents bought it for me.”

とあり、補充完成すべき要約文では、

Keiko (b ) a member of the photo club and got a new digital camera. When she visited her grandfather to show her camera, he told a story about his old camera.

となっていますから、要約以前の設問の出来不出来がこの空所補充に影響はしていない、という言い訳はできるでしょう。しかしながら、ここまでの設問にことごとく答えられなかった受験生が、要約文を読み進める際に、本文で設問に該当している個所としていない個所の見極めが出来るとは思えません。「お題」の設定に関しても、後日振り返り日記を書くとか、それこそ、誰かにレポートするなどといった「必然性」「もっともらしさ」の演出は無し。潔いと言えばよいのですが、だったら、リスニングからライティングまで他の設問も含めて、一切、その調子で「演出なし」で4技能を問えばいいのです。もし、今回のように「本文の内容理解、表現の習熟」を「要約文作成」により見たいというのであれば、本文には、ゼロとは言いませんが、空所や下線はできるだけ設けずに、まとまった内容を通しで読ませる方が望ましいように思います。

その昔、入試問題の作成にも関わったことがあるので、指導要領と、検定教科書と二重、三重に制約があるのはよくわかるけど、もっとシンプルに、聴かせて、読ませて、書かせてみてもいいんじゃないのかなぁ、と感じた次第。私の勤務校のように私学であれば、受験生が、

  • 可笑しな問題を出す学校だ。

と思えば、受験しなければ済むので、被害はないし、学校は学校で淘汰されるのだろうけれど、公立の一般入試は、流石にそういう訳にはいかないでしょうから、共通問題は受験生の習熟度に配慮し、オプションの問題に弁別力を求める方向で頑張って欲しいと思います。

前回のエントリーでは、「全国縦断…」の授業で扱った、大阪の出題のスクリプトに「批判的」に言及していました。私が気にしているのは「文と文の繋がり」「テーマ、主題に収束する内容の纏まり」です。

出題形式は、空所の書き取りとか、内容理解を問う英問英答、日本語で答える設問などいろいろありますが、私のクラスの高1の学年末試験では、実際にどのようなスクリプトに書き換えたかだけ示しておこうと思います。

最初のスクリプトは、京都の方が読まれると、お気を悪くするかもしれませんが、所詮フィクションですから、何卒ご勘弁を。

Hello, everyone. I have to say good bye to you today. I’ll leave Japan next week. …. Yes, so soon. I’ll come back home. I have been teaching you English for four years, and I’m loving every minute of it.

I came to Japan five years ago and taught English to high school students in Kyoto for a year.

I couldn’t speak Japanese well, and I always tried my best to communicate with the local people, but …. I don’t want to talk much about the year in Kyoto, though.

Then, I moved to Osaka. I hoped that people in Osaka would be cheerful and friendly. And here, I met you. …. In fact, everyone was really nice to me. Here in Osaka, I enjoy, for the first time, yes, it’s true, I enjoy talking with you in Japanese. My Japanese is much better now. I’m really happy I have been with you for four years.

So, I’ll give you the last advice or maybe some request. When you have some trouble about learning English, don’t think it’s too difficult. You don’t have to enjoy “speaking” English. Go and look for someone who you can enjoy “being with”. If you “are” with such people, you will soon start talking with them.

When I come home, I’m going to tell my family and my friends a lot about Osaka, the city I’m most proud of.

Thank you for listening.

もう一つは、こちら。

Hello, everyone. I have been in Japan for about ten months now. I am really happy I have had a great time here. We share a lot of good memories.

Among them, I remember the school festival last September most clearly.

I don’t know why, but our class decided to sing an English song at the festival.

One day, the teacher of our class asked me to help her. She wanted to teach us how to sing the song, but the words in the song were too difficult for her to pronounce.

Of course, I’m a native speaker of English and I can speak English, but I didn’t think that I could sing well enough to teach others. In addition, the song was not popular and I didn’t know the song at all. So, deep in my heart, I thought, “Why did she choose this song? There are many other Japanese songs that I can sing along!”

However, I tried my best, and every one of you practiced very hard with me for about a month before the festival.

At the school festival, we were very nervous in front of so many people in the hall, but we sang very well.

As soon as we got off the stage, one student came to me and said, “Thank you very much. I enjoyed singing because you taught me how to sing ‘English’”

I was glad to hear that.

「ライブリスニング」テストの利点は、自分で読みをコントロールできるところ、難点は、2回読む際の差を極力小さくすることです。

定期試験での出題のあとも、出来不出来を見るだけではなく、オリジナルの英文と、今回の英文との比較対照で吟味することによって、語彙や語法、文の繋がりと纏まり、さらには話形への習熟も図る予定です。

本日のBGM: We can work it out (TULIP)

2013-03-06 作問祭り、ひな祭り

怒濤の一週間でした。

卒業式を終えて、すぐさま自宅に戻り、着替えて空港へ。

本業関連、G大関連で上京していました。

せっかくの機会ということで、前夜には、かつての教え子たちとも一献。

iPad miniが活躍したのは嬉しいのですが、ファイルの整理やiCloudを使っての動画の管理など、操作がまだよくわからないので、若い人に訊こうと思います。

作問祭りは、大賑わいというか、大童。

高2ライティングは『表現ノート』持ち込み可のテストです。自分が興味のある話題で英語で何かを書く時、しゃべる時に、これを見れば役に立つ、というのが『表現ノート』ですから、私がひとり一人のノートを読んで、原文への突っ込み、コメントの肝、グロサリーを用いての作文、「ネタ」に切り口を作っての「意見・感想」などを引き出せるように、英語で発問していく、ということで、割り当ての問題が全員異なるわけです。

高2リーディングでは、選択問題を排したのですが、ちょっと易しすぎたようです。

まあ、あと試験のコマはあと3つ、作問祭りはあと一つ残っていますけれど、山を超えたところですので、高1のオーラルコミュニケーションでの「リスニング」テストのスクリプトに関して少々コメントを残しておきたいと思います。

授業では、「全国縦断…」企画の流れで、大阪の出題を取り上げました。

  • グリーン先生が生徒に話しをしています。その話しを聞いて…。

という設定です。スクリプトは、

Hello, everyone. I’ll leave Japan tomorrow. I enjoyed teaching you English for three years. I came to Japan five years. I came to Japan five years ago and lived in Kyoto for two yeas before coming to Osaka. I couldn’t speak Japanese well when I came to Japan but I tried to speak Japanese with many people. People around me were always nice to me. I enjoyed speaking Japanese with them and my Japanese is much better now. So, when you learn English, please enjoy speaking English. Don’t think it’s difficult. When I go back to America, I’m going to tell many people about Japan. Thank you.

となっています。オリジナルの設問は、

  • How many years did Mr. Green live in Kyoto?
  • What does Mr. Green want the students to do when they learn English?

なのですが、授業でまず、生徒に振ったのが、

  • 問題の状況設定で「グリーン先生」と読んだ時に、性別は男性・女性のどちらをイメージしたか?

ということでした。音声が男性のナレーションとなっているので、設問では “Mr. Green” としているのでしょう。このあたりの「人の名前」の扱いは、日本人が登場する場合でも、英語ネイティブが登場する場合でも、配慮すべきことが多々あります。全国の各都道府県での出題を見ていると、勉強させられますね。

今回着目したのはスクリプトの第2文。 “I’ll leave Japan tomorrow.”

  • これを発している「場面」は?

と生徒に問うて、「終業式」とか「離任式」などの集会だろうという「内容スキーマ」を確認。であれば、「明日日本を発ちます」という、”will” の持ち味「その場のその気」が出てしまうと、物凄く「唐突」な感じがして、そのショックを和らげる材料を前後に入れないと落ち着かない感じがします。というのも、その次の文が、”I enjoyed teaching you ….” という、「過去形」で述べられているから。この「隔たり感」が、

  • グリーン先生は何か嫌なことがあって、もう日本にいたくなくなったので、急遽帰国を決めた。
  • 嫌なことの原因は、きっとこの学校に関わる何かで、それをこの場で吐き出して帰国しようとしているから、帰国の前日に話している。

というような邪推を生んでしまいます。そう思ってしまうと、

  • なぜ初めは京都にいたのに、大阪に引っ越してきたのか?
  • “people around me were always nice to me” と過去形なのも、これまではずっと良くしてくれたのに、最近何かあったのか?
  • 生徒や同僚教員の立場からすると、”I enjoyed speaking Japanese with them” と三人称の “them” を使うことで、自分たちは「niceに接してくれた良い人たち」の中には含まれないのか?
  • 最後に、”I’m going to tell ….” のところは、もう既に心に決めているんだ、でも私たちのことはどんな風に帰国後のアメリカ人たちに伝わるんだろうか…。

と、邪推が邪推を呼んでいくことに…。

大阪では、別の問題で、

  • 次の表は「あなたはどの季節が一番好きですか。」という質問に対する生徒たちの回答結果を示したものです。ホワイト先生の話しを聞いて、その話しの内容と…。

というものがありました。スクリプトはこちら。

There are four seasons in Japan. I like summer the best because I can enjoy swimming in the sea. I asked you about the season you like the best. Now I’ll tell you about it. Summer is more popular than winter. But, fall is more popular than these two seasons. And the most popular season is spring.

英語に親しんでいる受験生は、この “I asked you …” “I’ll tell you…” の “you” のところで、びくっとするのではないでしょうか。語りかけているのは、生徒ですが、「受験生」はその中には当然含まれていませんから。もっともらしい場面設定・状況設定をすることが逆に内容の理解に当たって混乱を生みかねない要素となってしまう、という例と言えるでしょうか。もっと、「無味乾燥」であっても、客観視できる記述にするか、「どんな場面で」「どのような生徒を相手に」話しているのか、まで記しておくべきだと思います。そうそう、「ホワイト」先生の性別は分からず終いでした。

もうひとつ、こんな問題も。

  • 留学生のジョンが英語でスピーチをしています。そのスピーチを聞いて…。

という設定。名前に「色」がつかなければいけない、というルールはなかったようです。

Hello, everyone. I have been in Japan for about ten months. Our class sang an English song at the school festival last September. The teacher of our class asked me to teach other students how to sing it. Of course, I can speak English, but I didn’t think I could sing well.

Every student in my class practiced very hard with me for about a month before the festival. At the school festival, we sang very well. One student said to me, “Thank you very much. I enjoyed singing because you taught us how to sing.” I was glad to ear that. Thank you.

やはり、今へと繋がる振り返りには「現在完了」の出番でしょう。ただ、そこから、「文化祭での合唱」の繋がりが唐突過ぎるように感じます。違和感があったのは、その次、

  • the teacher of our class

とここで敢えて「名前」を出さないことに、いったいどんな意味があったのだろうか?と思います。”class” は、面倒なので、日本的な意味での「クラス」としておきますが、ここは「大爆笑」とか「失笑」を誘うところか、はたまた「名前」を言うことが憚られるような…。

  • 成功した合唱の後、ジョンの所には生徒がひとりしか礼を言いに来なかったのだろうか?それだと、最後の “Thank you.” の言葉は、そのひとりに向けられたものなのか?

などなど、考えさせられる良い出題でした。中学校の学習指導要領の制約下では、自然な話しを書くことが難しいことは重々承知しています。だからこそ、

  • より良い英語で、より良い教材
  • より良い英語で、より良いテスト

を目指す意味があるのだと思っています。

実際の「高校1年」での試験問題は日を改めて、抜粋し紹介したいと思います。

3月3日は「ひな祭り」の日ですが、その前日の2日は、恩師の

命日でした。その日に東京にいられたということで、勘弁してもらえるでしょうかね…。

本日のBGM: マーライオンの口は今日も開いたまんま (TOMOVSKY)