Never say never.

前回の「不定詞」と「意味上の主語」と「前置詞 of」と「形容詞」の話しは、殆ど反響がありませんでした。気になっているのは私を含めて少数派なんでしょうかね。

関連する内容は、noteの記事で言うと

「形容詞の型」: 不定詞との共起を中心に
note.com

所謂「準動詞」の地図(その1):不定詞を旅する
note.com

がありますので、英語表現や語法に関心のあるかたは是非。

今日の「私の気になる語法」は不定詞とその意味上の主語で

  • <for + 名詞 + to 原形>

の生息域です。

私が高校入試の準備をしていた頃に読んだ学参(『英語ニューハンドブック』研究社、1960年)では、

その本はあまりむずかしくてぼくには読めない。
a. This book is too difficult for me to read.
b. This book is so difficult that I cannot read it.

のペアで理解を図ろうという目論見でした。
その後、私が高校2年のときに手にした

  • 河上道生 『英語参考書の誤りを正す』(大修館書店、1980年)

では、意味上の主語がある場合には、目的語をいうことがあるという言語事実の指摘を読んでいたので、その後の受験生時代も、大学生時代も、そのように理解していたし、教師になってからも、そのように教えてきました。
因に、この項目は、その後河上氏によって、『英語参考書の誤りとその原因をつく』(大修館書店、1991年)の、pp.365-367)でさらに実例を挙げ考察されています。

21世紀になってからも、『詳説レクシス プラネットボード』(旺文社、2004年)
では、

65 The bag was too heavy for me to lift it. は誤りか?

という項目で、次の2つを比較し、インフォーマント調査の結果を示しています。
訊ね方は、次のそれぞれの文で、(1) / (2)の表現を使うか、というものです。

(a) The bag was too heavy for me to [ (1) lift it/ (2) lift].
(b) She was too young for me to [ (1) marry her / (2) marry].
(c) He spoke too fast for me to [(1) understand him / (2) understand].

同書、p. 147 の「成果と展望」では、

不定詞の意味上の主語を表すfor + 名詞句がなければ目的語をつけないが、調査した文のように for + 名詞句がある場合はつける人もかなりいる。学習者は目的語をつけない形を覚えておくのがよいが、for +名詞句がある場合には目的語をつける形も誤りとすることはできないであろう。

という記述にとどまっています。これが20年前の教育的配慮ということでしょうが、使うと答えた人の割合は、1:2の%表示で、

a. 43 : 99
b. 61 :90
c. 73 : 99

と3つの文で、その結果には開きがあったことを忘れてはいけません。
この『プラネットボード』は旺文社の英和辞典『オーレックス』の売りの企画で、第2版、第3版でも独自の100項目を立てています。
第2版 (2013年) では、3文は同じですが、インフォーマントへの訊ね方が変わりました。

88 The bag was too heavy for me to lift it. は可能か.
問題設定 too ... to ... 構文で,不定詞の目的語が文の主語と同一の場合,不定詞の目的語をつけるかどうかを調査した.

Q 次の表現のどちらを使いますか.
(1)(a) The bag was too heavy for me to lift it.
  (b) The bag was too heavy for me to lift.
  (c) 両方
  (d) どちらも使わない
(2)(a) She was too young for me to marry her.
  (b) She was too young for me to marry.
  (c) 両方
  (d) どちらも使わない
(3)(a) He spoke too fast for me to understand him.
  (b) He spoke too fast for me to understand.
  (c) 両方
  (d) どちらも使わない

a:b:c:dの割合を示しておきます。

(1) 5 : 75 : 20 : 1
(2) 17 : 54 : 26 : 3
(3) 18 : 39 : 40 : 3

となっていて、これまた3文での差があらわれています。

最新の第3版では、この項目はプラネットボードでは扱われず、tooの項目で

This box is too heavy for me to lift (it).
この箱は重すぎて私には持ち上げられない
(◆ for me がなければitは必ず省略する)

という記述があるだけになりました。

  • 今時の学参は?

というと、

to do の前に for Aがある場合、to do の後に目的語が示されることがある。
This bag is too heavy for me to carry (it). このかばんは重すぎて持ち運べない。
→ This bag is so heavy that I can’t carry it. (←こちらは itが必要であることに注意)
(『コーパス・クラウン総合英語』初版、 三省堂、2022年)

と適切な記述になっています。

私があれこれ言うよりも、先人が適切的確にまとめてくれたものがありますから、こちらのリンク先をお読み下さい。

27. He ran too fast for me to keep up with him. の him は省略しなくてもいいのでしょうか。(上)
https://www.biseisha.co.jp/lab/qa/27

28. He ran too fast for me to keep up with him.のhimは省略しなくてもいいのでしょうか。(下)
https://www.biseisha.co.jp/lab/qa/28

  • 関西外国語大学教授 岡田伸夫が英文法をQ&A方式で教えます!

と謳った美誠社のサイトでの連載でした。
このページには

  • 大阪大学教授 岡田伸夫 2005年2月28日

というクレジットがついているのですが、私もこの連載をリアルタイムで読んでいたわけではないので、詳細な執筆日時は分かりません。

先ほどは「プラネットボード」関連で『オーレックス』を取り上げましたが、学習用英和辞典で定評のある『ジーニアス』と『Wisdom』での扱いは次のようなものになっています。

『Wisdom和英』ではこんな記述が。

  • もうそろそろ潮時なんじゃないの?

いや、「この項目を文法語法問題で問うて、英語が出来る出来ないを測ろうというテストがその先にある指導法」がです。
それよりも、その表現形式を使う生息域に連れていって、見て、触れて、食べて…という方がよくないですか?

今、「食べる」と書いていて、思いついたもの。

When I was little, eels looked too disgusting for me to eat. But now I found it delicious to eat them as unaju, and I've come to love it.
私は小さい頃、うなぎは見た目が気持ち悪くて食べられませんでした。でも今は鰻重として食べると美味しいと気づき、大好きになりました。

I used to think natto was too slimy for me to eat. But now I found it nutritious to have it with rice for breakfast, and I've come to appreciate its unique texture.
私は小さい頃、納豆はネバネバしすぎて食べられませんでした。でも今は朝食でご飯と一緒に食べることの栄養価に気づき、その独特な食感を評価するようになりました。

のような英文に、所謂「不定詞」で学ぶべき表現形式がいくつも入っているわけです。

ということで、出講先の高1では、このような例に倣って、新たな「気づき」や「変化」を記述する英作文を課題としています。
生徒が参照するモデルとなる英文例は、5タイプの生成系AIの支援で、合計50例を作成してみました。5例でも、10例でもなく50例です。

  • 多すぎないかって?

いや、以前、文科省で指導的な立場にあった人が

  • モデルの示しすぎはよくない。

みたいなことを言っていたんですよ。
でも、そのような指導法のモデルを、文科省が教員に示していたという笑えない話しです。

  • モデルを示すとそれに縛られる。

などと嘯くくらいなら、「これでもか!」というくらい多くのモデルを浴びてみたらいいんですよ。モデルの海で泳ぐでもいい。ひところ「イマージョン」って流行ったじゃないですか。もういっそ、「モデル浴」ですよ。
自分が言いたかったものと同じネタがそこにあったら、それをそのまま言えばいいじゃないですか。

こちらでその50例全部は示せませんが、次のような条件を踏まえるようAIにお願いしています。

使用する表現形式は、
・I used to feel/think やWhen I was little など明らかな過去の時点での自分の思い込み。
・too 形容詞または副詞 + for me to 原形 でのできなかった行為や体験。
・Now I found it to原形 での直接経験を経ての気づき
・現在へと至る認識の変化。

その先で得られるモデルから抜粋。本当に、全部で50例示していますが、異なるAIが、ほぼ同じ例を拵えてくることもあるんですよ。AIだから無限の創造力というわけでもないんです。
プロンプトを受けて、その多くは何かを参照しに行って、帰ってきて、出力を返すわけですから。

ChatGPT 4.1
1. When I was little, coffee tasted too bitter for me to drink. But now I found it enjoyable to have a cup in the morning, and it has become part of my daily routine.
(私は小さい頃、コーヒーは苦すぎて飲めませんでした。でも今は朝に一杯飲むのが楽しいと気づき、日課となりました。)

2. I used to think classical music was too boring for me to appreciate. Now I found it relaxing to listen to when I study, and I really enjoy it.
(私はクラシック音楽は退屈すぎて楽しめないと思っていました。でも今は勉強中に聴くとリラックスできて楽しめると気づきました。)

3. When I was a child, vegetables were too tasteless for me to eat. But now I found it satisfying to cook and eat healthy dishes with them.
(子供の頃、野菜は味気なくて食べられませんでした。でも今はそれらで料理し食べるのが満足できると気づきました。)

Gemini Pro 2.5
12. I used to think spicy food was too painful for me to handle. But now I found it exhilarating to eat dishes with a good kick, and I actively seek out spicy options.
(以前は、辛い食べ物は刺激が強すぎて手に負えないと思っていました。でも今は、パンチの効いた料理を食べるのが爽快だと気づき、積極的に辛いものを選ぶようになりました。)

13. When I was a student, public speaking was too nerve-wracking for me to attempt. But now I found it surprisingly empowering to share my ideas with an audience, and I even volunteer for presentations.
(学生の頃、人前で話すのは緊張しすぎて挑戦できませんでした。でも今は、自分の考えを聴衆と共有することが驚くほど力になると気づき、プレゼンテーションにも自ら進んで参加するようになりました。)

Claude 4 Sonnet:
22. I used to think foreign languages were too difficult for me to master. But now I found it rewarding to communicate with people from different cultures, and I've become passionate about learning them.
私は外国語は習得するには難しすぎると思っていました。でも今は異文化の人々とコミュニケーションを取ることの価値に気づき、学習に情熱を注ぐようになりました。

25. When I was little, vegetables tasted too bitter for me to enjoy. But now I found it satisfying to eat fresh salads, and I've come to appreciate their natural flavors.
私は小さい頃、野菜は苦すぎて美味しく感じられませんでした。でも今は新鮮なサラダを食べることの満足感に気づき、自然な味を評価するようになりました。

26. I used to think reading novels was too time-consuming for me to enjoy. But now I found it enriching to immerse myself in different stories, and I've become an avid reader.
私は小説を読むことは時間がかかりすぎて楽しめないと思っていました。でも今は様々な物語に没頭することの豊かさに気づき、熱心な読書家になりました。

一見「不定詞」がターゲットなんですけど、結局は話題にする「名詞句」の面白さと形容詞のコントラストが肝になっています。深い思考力とか個人の意見は全く求めていません。感じでは同じ「思」でも、私が求めているのは「思い違い」とでもいうべきもの。
どんな英文が出てくるか、楽しみですね。

本日はこの辺で。
本日のBGM: love somebody (Garden)

open.spotify.com

理念先行

一気に夏の陽気になりました。
歳を取るといくらやる気があっても流石に身体がついていきません。
焼け石に水ではないですが、取りあえずの策として、私の持っている一番涼しげなスチアンコルのリネンのシャツを着て、少しでも気持ちを上げてみました。

現在出講中の私学へは電車での長旅になりますが、非常勤講師の私も含めて指導内容に関する情報交換をこまめにしてくれるので助かっています。

私は文法・語法関連で表現の適否を訊かれることがよくあるのですが、最近話題に上がったのが「不定詞」に関わる表現。
教材からそのまま抜き出すことは避けますが、表現形式でいうと、次のようなものです。

1. It was careless of you to leave the door unlocked.
2. You were careless to leave the door unlocked.

英作文を出題すると、別解とか部分点の割り当てなど、採点での悩みが尽きないわけです。上記2例は全く問題なく正答とするでしょうが、例えば、次の3を書いてきたときにどうするか?

3. To leave the door unlocked was careless of you.

個人的には、「英語ネイティブはこう言う」「英語ネイティブはそうは言わない」だけを基準にはせず、各種資料に当たってはいるのですが、「何を見るか」によって、その次のステップも変わってきます。

  • 加賀信弘・大橋一人(編) 『授業力アップのための 一歩進んだ英文法』(開拓社、2017)

では、p.110の用例と解説で、

(19)

  • a. John is foolish to have brought such a thing.
  • b. For John to have bought such thing is foolish (of him).
  • c. It is foolish of John to have bought such a thing.

が併記されているのですね。これなどは、1970年代には既に英語学で言われていた知見等に基づいているのだろうとは思うのですが (安井稔 編『例解 現代英文法事典』(大修館書店、1986年、pp.217-221) でも、安井稔・安井泉 『大改訂新版 英文法総覧』 (開拓社,2022年、pp.595-597) でも1970年のWilkinsonを典拠としています。)、私は、冒頭で示した3の英文や、上記 b. の英文を高校生が表現するものとして薦める気にはなれません。

  • 「形式主語を乱用しない」

という私のエッセイライティング指導の重点やフィードバックの指導実例をご存知の方や、私のライティング関連のセミナーを受講された方は、私の重点としては 2 ≧ 1であることを理解していただけると思います。

今回気になったのは、

  • そもそも、このofを不定詞の意味上の主語と見做す文は、どの程度使われるのだろうか?

というところです。

感謝を伝える表現であれば、言われた方は

  • It’s very kind of you to (have) help(ed) me.

でも

  • You’re very kind to (have) help(ed) me.

でも、大体は嬉しいものでしょう。

でも、面と向かった相手を「嗜める」ような場面では、ちょっと気を使うかと。

  • 2. You were careless to leave the door unlocked.

で、相手となる人を主語にすることで、評価対象が行為であっても、その人がまず話題に上がりますから、ダイレクトな物言いにはなるでしょう。それに対して、

  • 1. It was careless of you to leave the door unlocked.

であれば、形式主語の分、ワンクッション入って、「圧」が減る、とは言えるかも知れません。

ただ、日常の運用では、感謝を伝えるなら、

  • Thank you for helping me. That’s very kind of you.

と言えば、不定詞を全く使わずとも感謝の気持ちは伝えられるものだし、嗜めるとしても、

  • You shouldn’t have left the door unlocked. That was careless of you.

などと言えば、こちらも不定詞は使わずに済む、ということは指導者だけでなく、学習者の皆が知っておいて損はないでしょう。

そんなことを考えてから、文明の利器にお伺いを立ててみました。

以下の3文の容認度、使用頻度、場面などを生成系AIに訊ねた結果です。

1. It was careless of you to leave the door unlocked.
2. You were careless to leave the door unlocked.
3. To leave the door unlocked was careless of you.

Claude 4.0 Sonnet

容認性の判定
1. It was careless of you to leave the door unlocked. ✓ 完全に容認可能
2. You were careless to leave the door unlocked. ✓ 容認可能
3. To leave the door unlocked was careless of you. △ 文法的には可能だが不自然

あなたのご指摘の通り、3番目の文は英語として不適切で実際にはほとんど使われません。
3番目の文が不自然な理由

  • 語順の問題: 英語では重い主語(長い不定詞句)を文頭に置くことを避ける傾向がある
  • 情報構造: 評価される行為よりも評価そのものを先に提示する方が自然
  • 慣用性: この構造での of you の使用は定着していない

"of + 動作主"構文の使用頻度について
現代英語における "It is + 評価形容詞 + of + 人" 構文の実態:

使用頻度の傾向

  • 減少傾向: 20世紀後半から使用頻度が徐々に減少
  • フォーマル性: より formal な文脈で使われる傾向
  • 世代差: 若い世代では使用頻度がさらに低い

よく使われる形容詞

  • 人格評価: kind, nice, good, bad, wrong, right
  • 知的評価: clever, smart, stupid, foolish, wise
  • 道徳評価: careless, careful, thoughtful, selfish

現代の傾向
多くの場合、より直接的な表現が好まれます:

  • It was careless of you → You were careless
  • It was kind of you → You were kind (ただし意味が若干変化)

ただし、 It's kind/nice of you のような感謝表現では依然として頻繁に使用されています。

OpenAI o4 mini

ご指摘のとおり、1 と 2 はいずれも自然に使われる言い方ですが、3 は少なくとも口語・文語ともに非常に不自然になります。以下、簡単に整理します。

1. It was careless of you to leave the door unlocked.
– 英語では最も典型的な構文。
– 「it は形式主語 (expletive)」+ be + 形容詞 + of + 行為者 + to-不定詞(真の主語)
– COCA などの大規模コーパスで数千例単位でヒットします。

2. You were careless to leave the door unlocked.
– 形式主語 it を使わず、行為者を主語にしたパターン。
– 「人 + be + 形容詞 + to-不定詞」で,「…するとは君は不注意だね」と評価。
– 1 に比べるとややフォーマル寄り、あるいは書き言葉寄りですが、日常でも普通に使われます。
– “You’re foolish to…/You’re wise to…” のように他の評価形容詞でも頻出。

3. To leave the door unlocked was careless of you.
– 技術的には文法違反ではありませんが、実際にはほとんど使われません。
– 英語では長い to-不定詞を文頭にそのまま主語にすると読みにくいため、ほぼ必ず it を形式主語にして後ろに「to-不定詞」を置きます(=外観上「it … to …」構文にする=extraposition)。
– もし主語を非人称形式にしたいなら、むしろ動名詞を当てて “Leaving the door unlocked was careless of you.” としますが、これも still marked(<100例程度)で、やはり “It was…” に取って代わられています。

【現代英語における「形容詞評価+of+行為者+to-不定詞/動名詞」の使用頻度イメージ】
“It is Adj of NP to-inf” パターン
– 種々の評価形容詞(kind, nice, careless, foolish, wise, generous, typical …)で非常によく使われる
– COCA 例数:数千~数万

“NP be Adj to-inf” パターン
– “You’re foolish to…/We’re lucky to…/They’re wise to…” など、一定の形容詞に限り頻繁
– COCA 例数:数百~数千

“To-inf be Adj of NP” パターン
– 文法的にゼロではないにせよ、ほとんど見かけない(〈100例未満〉)
– 動名詞なら若干増え “Leaving … was careless of you” のように数十~百例程度

以上より、
– 1 は最も普通の構文、
– 2 もよく使われる変形、
– 3 は実質的に廃用に近い非常に稀な言い方
とお考えください。

Gemini 2.5 pro

1. 提示された3つの例文の容認性について
結論から申し上げますと、1と2は容認可能で自然な表現ですが、3は文法的に誤りではないものの、一般的ではなく、やや不自然に響くことが多いです。

  • 1. `It was careless of you to leave the door unlocked.`

判定:容認可能、自然、一般的。これは非常に一般的で自然な言い方です。仮主語の `It` を使い、実際の主語である `to leave the door unlocked` を文末に置くことで、文のバランスが良くなり、情報がスムーズに伝わります。`careless` のような人の性質や行為を評価する形容詞の後に `of 人` を続けて行為者を示すのは標準的用法です。

  • 2. `You were careless to leave the door unlocked.`

判定:容認可能、自然、一般的。これも非常に一般的で自然な言い方です。行為者である `You` を主語にし、その人が `careless` であったと述べ、その具体的な行為を `to leave the door unlocked` で示しています。1の文と意味はほぼ同じで、どちらもよく使われます。

  • 3. `To leave the door unlocked was careless of you.`

判定:文法的には可能だが、不自然で、使用頻度は低い。文法的には、to不定詞句 `To leave the door unlocked` が主語になることは可能です。例えば、"To err is human."(過つは人の常)のような格言的な表現では使われます。しかし、ご指摘の通り、この文は1や2に比べて不自然に聞こえ、実際の会話や文章で使われる頻度は著しく低いです。その理由はいくつか考えられます。

  • 情報構造 (End-weight principle): 英語では、新しい情報や複雑で長い要素を文末に置く傾向があります。この文では、長い不定詞句が主語として文頭に来ているため、やや頭でっかちな印象を与えます。1の `It` を使った構文 (extraposition) は、まさにこの問題を解決するためのものです。
  • 焦点: 通常、このような文では「誰が不注意だったのか (`of you`)」や「不注意だったという評価 (`careless`)」に焦点が当たることが多いです。文末に近い方が焦点化されやすいため、1の形がより自然です。
  • 冗長性: 1や2という、より自然で簡潔な言い方があるため、あえて3の形を選ぶ必要性が低いと言えます。

したがって、「不適切」とまでは断言できませんが、「一般的ではない」「好まれない形式」であり、特に日常会話ではほとんど聞かれないでしょう。書き言葉で、特定の文体的効果を狙う場合など、限定的な状況では用いられる可能性はゼロではありませんが、まれです。


2. `careless` などの形容詞で評価される行為の動作主を `of` で示すことそのものの使用頻度について
この `of 人` を使って行為の動作主(その行為に対する評価が向けられる人)を示す構文は、現代の英語でも非常に一般的で、頻繁に使われます。

  • 対象となる形容詞: `careless` のように、人の性格、性質、または特定の行為に対する評価を表す形容詞(例: `kind`, `nice`, `good`, `generous`, `stupid`, `silly`, `clever`, `wise`, `foolish`, `brave`, `polite`, `rude` など)と共に用いられます。
  • 構文の形:

・ `It is/was + 形容詞 + of 人 + to do ...`
・ `人 + is/was + 形容詞 + to do ...` (この場合、`of` は現れませんが、意味的には関連しています)

  • 意味合い: この `of 人` は、その行為がその人の「性質」から発したものである、あるいはその人の「人となり」を示すものである、というニュアンスを含みます。

・ `It was kind of you to help me.` (手伝ってくれるなんて、あなたは親切だった。)
・ `It was stupid of him to say that.` (そんなことを言うなんて、彼は愚かだった。)
結論として、`careless of you` のように `of 人` を使って行為者を評価する表現は、古風になったり廃れたりしているわけではなく、現代英語において標準的かつ頻繁に使用される、生き生きとした構文です。 むしろ、この構文を知らないと不自然な英語になったり、相手の意図を誤解したりする可能性があるほど基本的なものです。
ご質問の例文3が不自然に感じられるのは、`of 人` の部分ではなく、文全体の構造に起因すると考えられます。


以下、オンラインコーパスのCOCAでザックリ検索した結果を参考までに
もの/こと主語 行為評価の形容詞 + of + 代名詞

  • * is/was kind/careless/good/stupid/wise of PRON


不定詞が続くものまでを絞り込み。

  • * [be] kind/careless/good/stupid/wise of PRON to _v?i


of の後の代名詞にsomethingなどのノイズも含まれているので注意。
小説とTV映画に顕著。実際の会話ではそこまで多くはない。2000年以降で増加傾向なのはthat主語。

続いて、人主語 行為評価の形容詞 不定詞 を検索。

  • You/I/He/She/We [be] kind/careless/good/stupid/wise to _v?i


上述の、「もの/こと主語」よりも高頻度。
TV/映画が群を抜いて最頻。会話での頻度も高い。全体として、2000年以降で増加の傾向。

単純な使用頻度を指導の優先順位の考慮の材料とするなら、私の指導の重点が 2 ≧ 1 であることが裏付けられた、という感じでしょうか。

古くは

  • レナート・デクラーク 著 (安井 稔 訳)『現代英文法総論』 (開拓社、1994年、pp. 666-667)

で扱われていました。該当する部分のみ引用。

A. You are silly to do that. の型.
このパタンには次の特徴がある.
1. 主節のSは,不定詞の意味上のSでもある.
2. この構文は,It is silly of you to do that. 型の構文に書き換えることができる.この書き換えられた構文は, For you to do that is silly. という構文に外置化が適用されてできたものである(この場合に限って, 外置化を適用すると, for を of で置き換えなければならないことに注意).
3. 変形文法の用語を用いて言うと, You are silly to do that. の型の構文は,外置化の適用された構文に,補部節の主語を主文の主語の位置へ繰り上げる変形(subject raising) を適用した結果得られる文である.
4. 補部節の主語を主文の主語の位置へ繰り上げることができるのはなぜかというと, 形容詞によって表される評価が不定詞節が示す場面に対してのみならず, are sillyのSが指示する対象 (人) にも当てはまるからである。

  • 「この場合に限って」というところは、まあ、そういう説明で納得しろ、ということなんでしょうけど、もやもやしますね。

教室現場としては、形式主語が不定詞を導く英文で、不定詞の意味上の主語を表すforと人の属性を表す前置詞 of とを殊更対比して教えたり、テストしたりすることの適否、是非も考えておきたいものです。

本日はこの辺で。
本日のBGM: foolish (渚のポストマン)/須藤 薫

youtu.be

open.spotify.com

Look at it all as an issue at hand.

スライ・ストーンが亡くなった悲しみに追い討ちをかけるかのようにブライアン・ウィルソンが亡くなりました。個人的には、スライ・ストーンの喪失感の方が大きくて、自分でも少し驚いています。
合掌。

O-LEX英和にこんな用例があるのをご存知ですか?

James Brown is often referred to as the Godfather of Soul.
ジェームズ=ブラウンはしばしばソウルのゴッドファーザーと呼ばれる

よく収録したものだと思います。
これに関連して、スライ・ストーンについては次のように称されることがありますが、まだ辞書には収録されていません。

James Brown may have invented funk, but Sly Stone perfected it.
ファンクの生みの親はジェームズ・ブラウンだろうけれど、それを完成させたのは間違いなくスライ・ストーンだ。

助動詞と過去形のコントラストが効いていますね。

物書堂でこの春リリースのOALDの英英和でrefer toを引き比べ。

refer to の句動詞の項目で、全体としてはCEFRのA2レベルとされてしまい、 「…に言及する」という訳語に縛られがちですが、この写真での最後の用例のように、適切な和訳がつくことでかろうじて救われている印象です。英英和版は和訳のスペースが必要ですから、OALDの全ての用例が示されているわけではありません。この用例をカットしなかった編集部に拍手!

英英和としては先輩のCOBUILDの米語英英和でも、このrefer toは取り上げられています。

V-I 呼ぶ
If you refer to someone or something as a particular thing, you use a particular word, expression, or name to mention or describe them.
• Marcia had referred to him as a dear friend. マーシャは彼を親友と呼んでいた。

別な語の用例でもヒット。

• Her Chinese friends referred to the empress as their venerable ancestor.
彼女の中国人の友達はその女帝を立派な祖先だと言った。

冒頭で引いたO-LEXだけでなく、英和辞典でも用例は見つかります。

They are referred to as troublemakers. 彼らは問題児と呼ばれている (Wisdom英和)
彼女は女性版タイガーウッズと言われている She is referred to as the female version of Tiger Woods.(Wisdom和英)

G6にも用例はあるのですが、次の例を除くと、十数例ある用例の全てが「デジタル+」周りなので、紙版を使っている人は「暴動」を起すんじゃないでしょうか?

The Big Dipper is referred to as the Great Bear. 北斗七星は大熊座と呼ばれる.

このrefer toの語義は、近年の大学入試対策指導界隈では、所謂「見なし動詞」の類型で整理されているようです (動詞は通例「見做す」と書きますね)。
ただ、この表現自体は随分前から入試では見かけたものですよね?

New York is sometimes referred to as a melting pot of races.
ニューヨークは人種の坩堝と呼ばれることがある。

Most of us probably feel “depressed” at some time in our lives. The pressure at work, a domestic crisis, the loss of a loved one---these and many other life events can make us feel as if we were not in control of our destinies. We refer to the resulting “down” mood as depression. This is known as “reactive” depression, and while it may give way to feelings of great sadness at a loss, or to strategies for coping with a change of job, the depression itself does not normally linger.
私たちの多くは人生のどこかで「落ち込んだ」と感じることがあるでしょう。仕事のプレッシャー、家庭の危機、愛する人を失うこと――これらや他の多くの人生の出来事は、運命を自分でコントロールできていないような気分にさせることがあります。このような「落ち込み」の気分を抑うつと呼びます。これは「反応性」抑うつとして知られており、喪失による深い悲しみや仕事を変えるための対処策へと変化することはあっても、抑うつそのものは通常長くは続きません。

refer to の語義に関しては、関連する表現とともに「センター試験」の解説で書いたこのブログの過去ログでも取り上げていますので、この機会に是非。

tmrowing.hatenablog.com

さて、ここからが本題。
今日の「気になる語法」は、この所謂「見なし動詞」です (「」を敢えてつけている意味・意図を感じて下さい)。
受験対策教材では、動詞型を類型化して、関連語の一覧を示していることが多いと思います。
私も高校生には教えますが、次の情報辺りが確かな足場となるでしょう。
左:Oxford類語  右: Wisdom英和

現代英語の使用頻度から言っても、このregardとconsiderの2語を押さえるのが優先順位です。

  • ところがどっこいぎっちょんちょん!

日本の大学入試対策教材では、次のような言い換えが求められるようで驚きです。

My cousin doesn’t like his new project, but he seems to regard it as a learning experience.
1. look after 2. look in 3. look for 4. look upon

出題者は恐らく、「私の従兄弟は新プロジェクトが好きではないが、これも勉強だと思っているようだ」というような意味で、regard /asとlook upon/ asが同意となると考えているようです。
裏返しもあります。

I’ll always look on Arisa Mizuki as one of the best actresses in the world.
1. love 2. regard 3. feel 4. find

「私にはいつも、いつまでも、観月ありさが世界一の女優だ」というような、「推し大絶賛」の一文ですが、ここでも look on/asとregard /as が同意ということのようです。

日本の大学入試でいつからこのlook on /asが頻出なのか、はっきりとは確かめていませんが、随分長いこと、この「見なし動詞」間での言い換えは求められているようです。

Until he showed his real strength, everybody had looked on him as a good-for-nothing.
1. respected 2. found 3. regarded 4. despised

次のように語群からの空所補充で同意関係を成立させる問題もありました。

They looked (on) this as most important. = They (considered) this as most important.

そうかと思うと、look on/upon単独での空所補充完成や整序完成もあったりします。

私たちは親類ではないが、私が彼を兄弟のように思っている。
We are not related, but I (look) upon him as a brother.

彼らは彼のことを立派な学者と思っているが、私の意見は違う。
They look upon him as an eminent scholar, but I think otherwise.

確かに、look on/uponは現代英語で句動詞として使われています。
マクミランの句動詞辞典から

to think of someone or something in a particular way = THINK OF, REGARD AS

  • We’re not related but I look on his as a brother.
  • I look on it as a challenge.

あれっ?何だかまるっきり同じ例文が上述の入試出題例にあったような…。

Cambridgeの句動詞辞典から

to consider something or someone in a particular way
(usually + as)

  • You shouldn’t look upon this as a failure.

COBUILDの句動詞辞典から

If you look on something or someone in a particular way, you think of them in that way.
[+ as]

  • If she went out with Mark, John would look on it as a great insult..
  • I look on her as a friend.

私が気になるのは、

  • 「こと」「状況」の判断や評価の文脈でlook on /as をそんなに使うものなのか?

という部分です。

個人的には、「こと」「状況」で思い浮かべるのは、look at の方ですね。

私が授業で高校生に見せているのがこちらの物書堂の検索結果。

物書堂での用例検索でも、このくらいしかヒットしないのが悩ましいところ。

ただ、左のOxford類語でのregardの仲間たちで、look on/uponではなく、look atが入っていることの意味を考えてみて下さい。

Wisdom英和の扱い

1d[~ at A as C]A <人・物・事>をCと見なす (!Cは名形)

  • I don't look at him as a bad guy. 私は彼を悪い人だとは思っていない.

G6の扱い

c) SV at O as C O <人・物・事>をCとみなす (◆Cは名詞・形容詞)

  • look at her as a role model 彼女を手本とみなす.

句動詞としての扱いも見ておきましょう。
Cambridge

to consider something in a particular way

  • I suppose if I’d been a mother, I might have looked at things differently.

asが続く用例はありません。

COBUILD

If you look at a situation in a particular way, you judge it or consider it in that way. = SEE
[+as]

  • She looks at life as a series of challenges.

look at/asは今一つ扱いが薄い印象です。

今は忘れ去られた、マイナーな部類の書籍ですが、次のような扱いをしてくれているものもありました。

look at (a matter)   (何事か)を思う、判断する、観察する、みる、…ととる。
1. I look at it this way. 僕はこれをこう見るのだ。
2. I look at this Weaver case as a national nonsense. 私は、このウィーバーの件は、国家的な笑い草だと見ている。
金重三子雄 『英語慣用語句ハンドブック』(培風館、1958年)

でも、大学入試では既に問われているんですね。
私が嫌いな「誤箇所指摘」問題で。

(a) のwhoを消すのが一番簡単ですが、(d) のlook at them as …を見て、look on に直さなきゃ、と思った受験生がいなかったことを願います。

読解素材。


さあ、ノイズも含まれますが、以下ざっくりと検索した結果を。

COCAで look + on/upon + 代名詞 + as

2000年代以降、減少傾向という印象。

COCAで look + at + 代名詞 + as

ケタ違いとはこのことか、というくらい先ほどとは異なる分布。

COHAでも見てみました。

COHAでon/uponを。asの後は不定冠詞縛りで。

今は昔… ですね。

COHAで at

2010年代では、 on/upon : at = 2: 20 = 1 : 10 でケタ違いにまでなっています。

TVコーパスで、台本のある話し言葉の実態を推測。

TVでon/upon

UK/IEでのヒット数がありますね。

TVでat

均衡コーパスではないので、単純なヒット数の比較は出来ませんが、全然違うな、ということはわかるでしょう。

as以降を単数形の名詞に絞って、 a/anで並べて検索。

COCA

ケタ違いですね。アカデミックではほぼ使われず、とりわけspokenでは圧倒的にat。on/uponの多くは90年代のものです。

TV

英国でon/uponのヒット数が増えますがatが優勢です。

GLOWBE

英文化圏で若干upon/onのヒット数が増えますが、6大メジャー以外でも広く使われているのはatですね。

NOW

2016年、2017年, 2022年の upon/onの一時的増加は気にはなりますが、atの方はケタ違いにも程がある印象。

COCAで aの先をもうちょっとだけ見ておきましょうか。

look on/upon でasの続き。33例中、spokenとTV/Movieを足して10。アカデミックは1例のみ。

look at /as でaの続き。

中略

アカデミックは1例で同じですが、spokenで56例、TV/Movieで26例となっていて、その差は歴然でしょう。

なぜ、日本の教材やテストはこのlook atを取り上げないのでしょうか?
私は高校生相手の授業で、「look on / asばかりが取り上げられるテストや教材は『異常』だ」とまで言っています。

NOWコーパスのCLから。

COCAから

コロケーションもみておきましょう。asに続く名詞の特徴ですね。

GLOWBE

opportunityが群を抜いて多い印象。

COCA


こちらはissueを見ておきましょうか。

ざっくりとした検索では、“as a whole” や "as +SV" などはノイズとして除去する必要がありますが、それを差し引いても、このような情報に照らし合わせれば、英語ということばの「現状」とか「実態」を理解することは可能でしょう。

  • 神のみぞ知る

などとは言わせません。

ただ高みを目指せばいい、というものではありませんが、それでも、学習者も指導者も、英語の実態に見合わないテストや教材から早く脱却して欲しいと思います。

本日はこの辺で。

本日のBGM: I want to take you higher (Sly and the family stone)

youtu.be

AI ≠ Al

まずは夏のセミナーの告知から。

指導者対象 7月26日(土)英文ライティング:AI時代に呑み込まれない確かな指導のあり方passmarket.yahoo.co.jp

注意
2025年春のセミナーと6〜7割方同じ内容を含みますのでご注意下さい。

「指導者対象」のオンラインセミナーです。
ChatGPTに代表されるAI支援では行き届かない、人間のライティング教師ならではの、関わり方に関して実践例を紹介し、知見を共有したいと思います。

以下の観点に留意して、主として高校生や大学受験生の指導者を対象とした、適切で効果的な「和文英訳」「英文ライティング」の指導のあり方を考えます。
・今春の入試問題の和文英訳、英文ライティングの出題を診て、出題そのものの適否から精査する
・和文英訳での英文の「つながり」と「まとまり」
・DeepLなどの自動翻訳やChatGPTに代表される生成系AIの活用例
・オンラインコーパスとアプリ辞書の活用例
・教師自身の「英文ライティング上達」への取り組み

こんな方にオススメ:
・和文英訳の指導に疑問を感じている方。
・生成系AIへの丸投げに疑問を感じている方。
・テスト対策だけでなく、ライティング力、英語力を向上させる指導法を知りたい方

よろしくご検討ください。
既に、春のセミナーを受講された方で、有益だったと評価して下さる方は、お知り合いの先生にお奨め下さい。

さて、
今日の気になる語法は easyとeasilyとその仲間。

私が身につけた表現としては、

  • <モノゴトcome easily (to 人)>

ですね。
私が1995年に当時の勤務校で行っていた夏期講習の資料には次の問題がありました。

正答は②でcome。次のような意味ですね。

Leonard Bernstein was a sort of genius. Everything seemed to come easily to him.
レナード・バーンスタインは一種の天才でした。何事も彼にとっては容易くできるように思えました。

副詞のeasilyの部分が、諺にもなっている

  • Easy come, easy go.

のように、

  • <モノゴト come easy (to 人)>

のバージョンを見聞きすることもあるでしょう。

Peter Sagan (Tinkoff) won the power sprint at the finish above Cherbourg and pulled the race leader's yellow jersey over his world champions' rainbow jersey, but he denied success comes easy to him and took his moment in the spot light to warn his fellow riders about the huge risks they are taking.
ピーター・サガン(ティンコフ)はシェルブールでのフィニッシュ直前のパワースプリントを制し、ワールドチャンピオンのレインボージャージの上に総合首位のイエロージャージをまとった。しかし彼は成功が簡単に手に入るものではないと語り、注目を浴びる中で仲間のライダーたちに彼らが冒している大きなリスクについて警告する機会とした。

辞書での扱いをちょっと眺めてみましょう。
easyとeasilyに関しては、学習用英和辞典の多くが “come easy (to)” で成句扱い。

còme éasy
<事が>(人にとって) 簡単である(to, for) (Wisdom)

Wisdomは前置詞のコロケーションで for も載せていますね。

còme éasy (to O)
(O 〈人〉 にとって)簡単にできる, 難しくない. (G6)

còme éasy
動 自 (人にとって)簡単である (to). (コンパスローズ英和)

コンパスローズや研究社の一般用辞書では、easilyも成句として取り上げています。

còme éasily to …
動 他 …には楽々とできる[たやすいことである], …に向いている.

O-LEXは動詞comeの語義本編で扱っています。

(+副+to 名)(技能などが)〔人〕に身についている(◆ 副は easily,naturally などの様態の副詞)

  • Singing comes naturally to her. 歌を歌うのは彼女にはわけないことだ

その一方で、WisdomもG6もO-LEXも、naturallyを成句として取り上げています。
Wisdom

còme náturally to A <事が> A<人>にとってたやすい

  • A scientific way of thinking came naturally to him. 彼にとって科学的な考え方はごく自然なものだった.

G6

còme náturally (to O) <事が>(O<人など>にとって)たやすい, 楽にできる <◆naturalに交換可>

  • Practice until it comes naturally. すらすらできるようになるまで練習しなさい
  • Singing always came naturally to her. 彼女にとって歌うのはいつも簡単なことだった.

O-LEX

còme náturally to ... …にとって簡単だ,お手のものである

  • The job comes naturally to him.その仕事は彼にはたやすい

コンパスローズ

còme náturally to … 動 他 …にはすらすら[楽々]とできる.

OALD(英英和も)では、否定文脈での成句として、not come easy (to) を取り上げています。

not come ˈeasy (to somebody) (人にとって)難しい
to be difficult for somebody to do

  • Talking about my problems doesn't come easy to me. 自分の問題について話すのは私にとって難しい.

OALD(英英和)では、副詞でeasilyとnaturallyを取り上げて成句を示しています。

come ˈeasily, ˈnaturally, etc. to somebody (人)にとってたやすい
(of an activity, a skill, etc.) to be easy, natural, etc. for somebody to do

  • Acting comes naturally to her. 彼女にとって演技をするのはたやすいことだ.

COBUILDではnaturallyのみを項目として立てている。
COBUILD (10th)

If something comes naturally to you, you find it easy to do and quickly become good at it.

  • With football, it was just something that came naturally to me.

同じCOBULDでも米語版(英英和)での用例はつぎのもの。

  • Humanitarian work comes naturally to them.  人道的活動は彼らにとってたやすいことだ。

LDOCEでは、easilyとnaturallyの併記。定義は素っ気ないもの。

come easily / naturally (to somebody)
to be easy for someone to do:

  • Public speaking does not come easily to most people.
  • Writing came naturally to her, even as a child.

Cambridgeでは C1相当で naturally。

come naturally (to sb)
If a particular sill comes naturally (to you), you are able to do it easily, with little effort or learning:

  • Dancinf seemed to come naturally to her.

今はなきマクミランの上級学習者版 (2002年) では、次のように、定義では naturallyとeasilyとeasyを併記していますが用例はなし。

come naturally / easily / easy (to sb)
to be easy for someone to do, without them needing to try hard


ということで、様々なバリエーションがある表現ですが、高校段階で扱う「読解用素材」では結構な数の例を目にしているのでは?

Writing has never come easily to me. My words do not flow onto the page or screen in a steady stream. It has taken me years to find my voice as a writer, and I am not done yet.
私はずっと文章を書くのが苦手でした。言葉がすらすらと紙や画面に流れ出てくることはありません。書き手として自分の声を見つけるのに何年もかかり、今もまだ道半ばです。

Taking an active interest in another person takes a certain generosity of spirit and energy that doesn’t always come easily, especially when you’re tired or have a lot on your mind. But it’s worth making the effort because (う)at the most unlikely moment you could meet the person who holds the key to the success of your venture.
他人に積極的に関心を持つには、ある種の心の寛大さとエネルギーが必要で、特に疲れていたり頭がいっぱいの時には簡単ではありません。しかし、努力する価値はあります。なぜなら、最も予期せぬ瞬間に、あなたの事業の成功の鍵を握る人物に出会う可能性があるからです。

At age eight, he got his first commission ― from the British prime minister. Language didn’t come easily until the next year, but by age 13, he had published his first book of drawings.
彼は8歳の時に初めての依頼を受けた---イギリス首相からのものだった。その翌年、9歳になるまで言葉をうまく使えなかった彼だったが、13歳までには最初の絵本を出版していた。

easyのバージョンもあります。

Although learning to communicate well in a foreign language does not come easy, few of us realize that verbal communication is just the beginning.
外国語でうまくコミュニケーションを取れるようになるのは簡単ではありませんが、言葉によるコミュニケーションはほんの始まりに過ぎないと気づいている人はほとんどいません。

Writing doesn’t come easy, it’s agonizing work, very hard, and you have to break your neck doing it. I read many years later that Tolstoy said, in effect, “You have to dip your pen in blood.” I used to get at it early in the morning and work at it and stay at it and write and rewrite and rethink and tear up my stuff and start over again.
文章を書くことは簡単ではなく、苦痛を伴う作業で、非常に難しく、首が折れるほど努力しなければなりません。何年も後になってトルストイが「ペンを血に浸して書かなければならない」と語っていたことを知りました。私はかつて朝早くから取り組み、執筆に没頭し、書き直し、考え直し、原稿を破り捨ててはまた最初からやり直していました。

私のオンライン個別指導で取り上げたことがある、次の巨匠の書いた一節にも登場しますが、easilyではなくeasyとなっています。そして、自分語りのためもあってか、<to 人>は表されていません。

I like to get ten pages a day, which amounts to 2,000 words. That’s 180,000 words over a three-month span, a goodish length for a book – something in which the reader can get happily lost, if the tale is done well and stays fresh. On some days those ten pages come easily; I’m up and out and doing errands by eleven-thirty in the morning, perky as a rat in liverwurst. More frequently, as I grow older, I find myself eating lunch at my desk and finishing the day’s work around one-thirty in the afternoon. Sometimes, when the words come hard, I’m still fiddling around at teatime. Either way is fine with me, but only under dire circumstances do I allow myself to shut down before I get my 2,000 words.
Stephen King.(2000). On Writing: A Memoir of the Craft (p.154). Hodder & Stoughton. Kindle 版.

Kagi Translate訳:
私は一日十ページ、つまり二千語を書くのが好きだ。三ヶ月で十八万語になる。これは本の長さとしては申し分ない。物語がうまく書かれていて、新鮮さを保っていれば、読者が喜んで迷い込めるような長さだ。調子の良い日は、その十ページが楽に書ける。午前十一時半には仕事が終わって出かけ、用事を済ませている。まるでレバーヴルストの中のネズミみたいに元気いっぱいだ。年を取るにつれて、昼食を机で済ませ、午後一時半頃にその日の仕事を終えることが多くなった。言葉が出てこない日は、お茶の時間になってもまだあれこれいじっている。どちらでも構わないが、どうしてもという場合を除き、二千語に達するまでは仕事を切り上げないことにしている。

ここでは、come easyとなっており、後半のcome hard とコントラストをなしています。

近年では easilyやeasy以上に、<come naturally to>や<come natural to>に遭遇する頻度が増した印象があります。
上述の辞書での扱いにもそれが現れているのでしょう。

Walking comes naturally to humans. It’s one of the earliest skills we develop, long before we learn how to talk (or invent excuses to avoid walking).
歩くことは人間にとって自然な行為です。話す方法を覚える(あるいは歩くのを避ける言い訳を思いつく)ずっと前に身につける、最初期のスキルの一つです。

Collecting things comes naturally to human beings. Some people collect cars, comics, insects or stamps. One popular collectible item is coins.
物を集めるのは人間の自然な習性です。車や漫画、昆虫、切手などを収集する人もいます。コインは人気のある収集品の一つです。

Our curiosity about and care for our home planet comes naturally to many of us, and we can learn much from Earth about the fascinating past, the unpredictable present, and what may happen in the future.
私たちの故郷である地球への好奇心や関心は、多くの人々にとって自然なものであり、魅力的な過去、予測不能な現在、そして将来起こりうることについて、地球から多くのことを学ぶことができます。

<to 人>のないバージョンも。
次の英文の原典となる記事は、複数年にまたがって、いくつかの大学で出題されていましたね。

www.theguardian.com

Reading a book or a lengthy article used to be easy. My mind would get caught up in the narrative or the turns of the argument and I’d spend hours reading through long stretches of prose. That’s rarely the case anymore. Now my concentration often starts to drift after two or three pages. I get restless, lose interest, and begin looking for something else to do. I feel as if I’m always fighting to keep my brain focused and reading. The deep reading that used to come naturally has become a struggle.”
以前は本や長い記事を読むのは簡単でした。物語の展開や議論の流れに引き込まれ、長い文章を何時間も読み続けられたものです。しかし今はそういうことがほとんどありません。2、3ページ読んだだけで集中力が途切れ、落ち着きを失い、興味が薄れ、他のことをしたくなります。常に脳を集中させて読み続けるのに苦労しているような気がします。かつては自然にできていた深い読書は、今や困難な作業となってしまいました。

Some jobs can and have to be run in parallel, but one person should probably not be doing more than one thing literally at the same time, or quality may suffer. Rapid task switching, which may look like multitasking, is common and required for many types of activity. Some types of multitasking come naturally: a soccer player has to run down the field and assess the situation at the same time, adjusting his or her path as necessary.
一部の仕事は並行して進めることが可能であり、必要でもあります。しかし、一人の人間が文字通り同時に複数のことを行うべきではありません。そうしないと品質が低下する可能性があります。多くの種類の活動では、マルチタスクのように見える迅速なタスク切り替えが一般的で必要とされます。ある種のマルチタスクは自然に発生します:サッカー選手はフィールドを走りながら状況を判断し、必要に応じて進路を調整しなければなりません。

オンラインコーパスの知見も視野に入れておきましょうか。
NOW

naturallyが優勢ですね。easilyとeasyはそれほどの差はない印象。naturalになると頻度が下がりますね。

GLOWBE

ここでもnaturally 優勢。easilyとeasyだと若干easilyの方が多いか。naturalの例はここでは拾えず。

COCA

こちらもnaturallyが優勢。easilyはアカデミック中心でかなりの頻度となっていて、easyよりも優勢です。

COHA

歴史的(通時的)に見ると、naturallyは(そしてnaturalも)かなり以前から使われていることが分かります。

TV

naturallyが優勢なのは変わりませんが、話し言葉になると、easilyよりもeasyが多く使われていることが見て取れます。

Ngram Viewerでも見ておきましょう。


naturally優勢なのはCOCA系と同様の結果ですが、easilyの使用頻度を見ると、近年でもかなり使われていることが見て取れますから、学習用英和辞典のeasilyの扱いと、naturalの扱いは要改善ではないかと思います。

語彙学習、語彙指導って、一筋縄ではいかないものですね。

本日はこの辺で。
本日のBGM: if it doesn’t come naturally, leave it (Al Stewart)

open.spotify.com

辞書や教材には「ふさわしい」用例を!

私にとっては、心身ともに鬼門の6月、このブログの更新もようやくできました。
今日は「気になる語法」を2つ。
一つ目は、

  • 動詞のlook

普段、ツイッターで学ばせていただいている

の引用RTでこの項目で『ジーニアス英和』(第6版;G6)で用例が追加されていることを知りました。

私の元ツイも、そもそもコロケ先生の4年前のクイズに端を発するものでした。
この辺りを遡って見て下さい。

「物書堂」のアプリ辞書では結構な数の用例がヒットするので、この機会にブックマークも更新しました。私のブックマークフォルダー内の25例全ては流石に見せられませんが、先にitが来るパターンと、先行文脈を受けるパターンとを比べると、先にitが来る方が多い印象です。


何にせよ、この項目は用例も解説も要加筆修正の辞書が多いと思います。

yarnから動画を。
先行文脈を受けないitを含むlook like itの例。

https://getyarn.io/yarn-clip/9570e8e0-caa6-4c8b-a216-c8a589855558

このコマの次のコマも確認。
こちらがitの表す主題。

https://getyarn.io/yarn-clip/87d6ba90-c40c-4491-8759-4948609a39e3

先行文脈を受けないlook itを含む例。 一文を一コマで。

https://getyarn.io/yarn-clip/b222d8fe-41ef-4486-b72d-9948e7e7a9f9

このlook it/look like it は恐らく「入試に出ない」「英検に出ない」ので、「教材にも出てこない」のだろうと推測します。勢い「知識」として整理される機会が稀ということに。

一方、「入試に出る」ので「教材にも出てくる」ものが、現実の英語使用でそれほど高い頻度ではない、というものもまだまだたくさんある印象です。
二つ目の「気になる語法」は、

  • 否定の文脈での so much as とeven

これもツイッターのTLで目にしたのですが、

  • without so much as …

を「成句」扱いして、重視しすぎではないのか?
という疑問を持っています。
英和辞書では殆どが成句扱いです。
Wisdom英和(三省堂)から

She left without so much as glancing [a glance] at my face.
彼女は私の顔をちらっとさえ見ることなく立ち去った.
He walked past without so much as a nod.
彼は1度もうなずきもせず通り過ぎて歩いて行った

ジーニアス (大修館書店)から

She came into my room without so much as knocking the door.
彼女はノックもしないで私の部屋に入ってきた. (G6)
彼は振り向きもしないでつっけんどんに返事をした
He replied bluntly [gruffly, curtly] without so much as turning around to face me. (G和英)

コンパスローズ英和(研究社)から

He left without so much as saying goodbye [a nod].
あの人は 「さよなら」 も言わず[会釈もせず]に行ってしまった.

O-LEXは成句扱いせず、用例を示すのみ。

宿の予約もとらずに気ままな旅をしてみたい
I'd like to take a freewheeling trip without so much as making hotel reservations. (O-LEX和英)

一方で、次のような表現が成句扱いされることは稀です。

彼はノックもしないでいきなり中へ入ってきた
He burst in without even knocking. / He didn't even knock as he burst in. (W和英)

They left in haste, without even saying goodbye.
彼らはさようならさえ言わずにそそくさと出て行った (G6)
彼女はろくに考えもしないで答えた
She answered without even giving the matter any real thought. (G和英)

さよならも言わずに立ち去るのは失礼だ
It's rude to leave without even saying goodbye.
彼は振り向きもせず,すたすた歩いて行った
He walked away in a hurry without even looking back. (O-LEX和英)

Bill drove away without even saying goodbye.
ビルはさようならも言わずに車で走り去った.
They walked away from each other without even saying goodbye.
彼らはお互いにさよならとも言わずに別れて行ってしまった. (コンパスローズ英和)

COBUILDにもこのパターンの用例は収録されています。

Many people add salt to their food out of habit, without even tasting it first.
味見もせずに習慣で食べ物に塩をふりかける人が多い。 
We wash our cars and hose our gardens without even thinking of the water that uses.
我々は使用する水のことを考えもせず、車を洗い、庭に水をやる。
Alice had been so deep in thought that she had walked past her car without even seeing it.
アリスはあまりに深く考えごとをしていたため、自分の車に気付かずに通り過ぎてしまった。
(米語英英和)

OALDにもあります。

She beat me without even breaking (a) sweat.

She completed the routine without even working up a sweat.
彼女はひと汗かくことさえなくその日課をやり終えた. (OALD英英和)

そして、辞書でも、教材でも、この without so much as とwithout even の比較対照をしているものは稀。

個人的な観測範囲で言えば、動名詞が続くのは even に多い印象なので、むしろそちらを-「教材」
で示し、

  • 「テスト」

で問うべきではないかと思います。
SKELLで “without so much as” の100万語当たりの生起頻度は、0.23です。

without even
100万語当たりの生起頻度は1.99ですから、ケタ違いに近い差ですね。

Ngram Viewerで見てみると…。

without so much as の頻度が高いのは、後続が名詞句で a/anが続くもの。-ing形(=動名詞)が続くものは、最下層に密集しています。一方、without evenに-ing形が続くものはそこそこの頻度で、かもbe動詞以外の動詞も複数見られます。

私がnoteで公開している「比較」の記事では、次の用例を示して、こんな解説をしています。

  • How did they manage such remarkable journeys without so much as a compass?

関連事項も含めて詳しくは記事をお求め下さい。

比較の基礎基本から発展まで (2023年12月改訂版修正)
note.com

evenに触れないわけには行かないと思うのですよね。因に私は高校生対象の英文ライティングの指導であっても、evenを使った簡潔な表現の方を薦めています。

関連表現で次のようなものも、教材では取り上げられ、テストでも問われている印象です。

He cannot so much as write his own name.
彼は自分の名前さえ書けない. (コンパスローズ英和)
彼は電話一つまともにかけられない
He can't so much as make a phone call. (O-LEX和英)

大昔には大学入試の和訳問題でも問われていました。

He didn’t so much as take his eyes off the book to look at me; you’d have thought he didn’t hear me.
彼は私を見るために本を読んでいる目線を外すことさえしなかった。傍から見ればまるで私の声を聞いていないかのようだったでしょう。

近年の入試出題では、次のようなものがありました。

Betty hates spiders. She can’t so much as touch a small one.
1. can no other
2. can no more
3. can’t too
4. can’t even

正解は勿論4.の can’t evenでしょう。逆を求めるよりはまだマシかな、という印象です。

一方で、Wisdom和英(三省堂)では、次のような貴重な注記をしてくれています。

彼は自分の名前一つ書けない
He can't even [so much as] write his own name. (!前の方が普通)

本当にevenの方が普通でしょう。
これは、上述の without の差どころではないくらい、現代英語ではevenが優勢だと思います。

教材は勿論、辞書でも殆ど反映されていないので、まだまだ改善が求められるところです。

「定評がある」とされる語法書でも、こんな注記があるのですから。

4. special structures with so much
We can use not so much … as or not so much … but to make corrections and clarifications.

  • It wasn’t so much his appearance I liked as his personality.
  • It’s not so much that I don’t want to go, but I just haven’t got time.

In negative and if-clauses, so much as can be used to mean ‘even’.

  • He didn’t so much as say thank you, after all we’d done for him.
  • If he so much as looks at another woman, I’ll kill him.

SwanのPEU (第4版;2016年)の 587. so much and so manyの項目から引いています。
最後の、

  • can be used to mean ‘even’

のcanが効いていますね。

本日はこの辺で。
本日のBGM: I don’t even try (John Hiatt)

open.spotify.com

「悲しい人は 悲しいままで」

5月も終わります。
某連ドラでは竹野内豊さんが既に「回想」の扱いとなりました。
「寛先生ロス」の最中に、某鉄道の広告や某タクシーの広告で竹野内豊さんを見ると、安堵するでもなく複雑な感情が湧くものです。

心の滋養にと、久しぶりに高橋徹也さんのライブを配信で観ました。
ギブソンのセミアコでの弾き語り。
トークも実は面白いんですよ。この日は会場の「lete」の床の話なども。
そして会場では山田稔明さんが照明操作までされていたとか。
高橋さんの書く曲の世界観も好きなんですが、本当に「声」が好き。
以前にも書きましたが
from behind their back - 英語教育の明日はどっちだ! tmrowing at second best
所謂「邦楽」で括られるpopsとかrockなどの日本人アーチストの男性歌唱で私が好きなのは

浜崎貴司 (1965年6月生まれ)
綿内克幸 (1965年7月生まれ)
高橋徹也 (1972年1月生まれ)
佐藤良成 (1978年10月生まれ)

の4人。
誰が誰に似ている、というのではなく、でも皆、声に色気があると思っています。
機会があれば、ではなく、機会を作って聴いて欲しいです。

「声の良さ」=「喉の良さ」だと思うかも知れないんですが、私たちが耳にする、体感する「音声」はいろんな成分ででき上がっていますので、その人の骨格にも大きく影響を受けるものです。

「喉」といえば、先日、次のようなツイートをしていました。

#河合優実
日付が変わる前に言っておかねば。
今日は神回。
表情が凄い、と皆さん言っておられるが、本当に凄いのは顔の表情ではなく「喉」です。

某連ドラですね。

「うなじ(頸)」とか「くび(首)」ではなく、やっぱり「のど(喉)」だと思います。

昨日今日とまた「のど」が凄いな。

「喉」って声を出していないときにも動きますから。

  • 何かを言おうとして準備しているとき
  • ことばにならない思いがこみ上がってくるとき
  • 言いたいことばがうまく出てこないとき
  • 言おうとしたことばを飲み込んだとき

などなど。当然、そこには「表情」があることでしょう。

舞踏家の最上和子さんがこんなツイートをしていました。

NHKの朝ドラは見たことないのですが、河合優実さん? の写真をたまたまSNSで見て「おお」と思いました。演技を見たことなくても、顔が素晴らしい。生きた人間の顔で、役者さんの顔。静止画でないというか。こんな本格的な女優さんが出てきたのかと。

顔つきは確かに山口百恵さんに似ているけど、全身の印象は田中裕子さんだと思いました。この手の顔と体はただものでないのかな。いつかドラマで見ることもあるでしょう。楽しみです。まともな顔を見てホッとした。

2万回RT案件ですね。

今日は気になる語法ではなく、気になる「顔」と「身体」。

  • 紙の辞書の「紙」

です。

今朝方、ここから始める一連のツイートをしていました。

インディアペーパー
日常語でないことは確か。インデアの表記はアイデアと同じパターン。
どの辞書も、もとの英語はIndia paperで示している。
大辞泉と明鏡は「インディアンペーパー」も併記。
NDLで見る限りは「インディアン」が近年見られるようになった誤用というわけではないことがわかる。

写真も再録。




辞書と「インディアペーパー」に関しては、是非こちらのコラムを。

dictionary.sanseido-publ.co.jp

英語でもIndia paperそのものは日常語ではない印象。
CollinsでIndia paper とBible paper

MW’s v ODE

AOD v AHD

研究社英和大 v ランダムハウス英和

こういう類の語の使用頻度とか一般の普及度を調べるのにCOCAはあまり効果的ではないのが悩ましいけれど、 India/Indian/Bible paper で比較。
“Indian paper industry” など後続の語句で紙そのもの以外のノイズを極力排除するためにピリオドかカンマで言いきりにしているのでヒット数は少ないです。

一例のみ引用。

Several of the works obscure the subject's features entirely, such as Dana James's " Truth and Myths " (2015), in walnut ink on India paper, which depicts an old portable television in the upper portion of the sheet and a bather disappearing into a tub underneath.
https://hyperallergic.com/221273/the-other-side-of-portraiture/

Glowbeでは英のみで1例。

この1例はこんな文脈。

The other joy of the old book is that you return to it like an old friend. I have an OUP edition of War and Peace in the Louise and Aylmer Maude translation, printed on India paper, which accompanied me, aged 17, across Europe on a winding road to the isles of Greece in the late 1960s.
Reasons to look at secondhand books again | Books | The Guardian

COCAではヒットせず。

COHAで見ると、米語でも昔は “India paper” という語を使っていた時代があることが分かりますね。

1940年代のTIME誌から引用。

Unlike the Daily Mail's weekly transatlantic digest (TIME, Dec. 27), whose U.S. circulation has now reached 4,500, the Thunderer's new edition is daily, full-sized, complete-but printed on India paper.

ということで、紙の辞書の紙に多く用いられてきた

  • Inida paper

の「表情」をちょっと覗いて見ましょう。

  • Oxford India paper

を見せられれば良かったのですが、残念ながら、私の手元にあるSODはApp版で、紙の辞書もPODはリプリントなので普通の薄手の紙。
次善策で、上述の「三省堂」さんのものをみておきましょう。
こんな透け具合です。

paperの項。

これらは左から順に、表音小英和、コンサイス英英、コンサイス英和です。

コンサイスの第13版は革装。以前、三省堂の中の人に、「革装で箔押しができる職人さんが…」という話しを伺ってすぐさま買い求めたもの。

日本の他社のものも。India paperを探してみて下さい。

左から

  • 岩波英和辞典・新版 (岩波書店、1958年)
  • 学習英語辞典 (令文社、1962年)
  • ハンディ英和活用辞典 (研究社、1960年)

です。

本当は、紙の手触りや頁を繰る音を感じてもらえるとよいのですが、ブログではこの辺で。

本日のBGM: 犬と老人 (高橋徹也)

open.spotify.com

"違う 違う 嘘じゃない"

twitterでのやり取りから、このブログの記事になっているものは結構多いのです。
先日の「チャンクセミナー」でも、

  • このブログが謂わば現代英語のデータベース。

というような話しをしましたが、数年前の「東大シンポ」の後の反省会でも、目利き腕利きの英語系出版物の編集者の方にこんなことを言われたことがあります。

先週のシンポジウムの後に、プチ打ち上げを少人数で行ったのですが、そこで私が信頼し、これまでに一緒に仕事もしてきた「先達」に言われた言葉が、「この人がブログで書いていることって、業界からしたら,ヒントの宝庫みたいなものじゃない、ねえ?」というものでした。
自分でも時々そう思います。

今日の「気になる語法」は

  • different

の界隈です。
過去ログではこの辺りで少しだけ言及していましたが、まとまった話しはしていませんでした。

動詞enrichは例によって、それ自体に比較級の意味を含む動詞ですが、その次の文の、

  • different and deeper understandings

でdeeperの比較級とペアになっている、differentという形容詞も、実質比較級に相当するものですので、そのつもりで読むとそう思えてくるでしょう。differentの語法で差を示す際に前置詞でfrom以外に、thanを用いる人は多いのですが、その心理を掴むのにも有効でしょう。
tmrowing.hatenablog.com

  • thanを用いる人は多い

というのは今では、日本の英語教室でも認識されているのではないかと思います。
私が大学生のとき(1982年か1983年)に読んで、「言語学者でも、まあ、米語の母語話者という括りで見ると、さもありなん」と思ったthanの使用がこちら。

It is this overlap of entailments between the two metaphors that defines the coherence between them and provides the link between the amount of ground the argument covers and the amount of content it has. This is what allows them to “fit together,” even though they are not completely consistent, that is, there is no “single image” that completely fits both metaphors. The surface of a container and the surface of the ground are both surfaces by virtue of common topological properties. But our image of ground surface is very different than our images of various kinds of container surfaces. The abstract topological concept of a surface which forms the overlap between these two metaphors is not concrete enough to form an image. In general when metaphors are coherent but not consistent, we should not expect them to form consistent images.

Lakoff, George; Johnson, Mark. Metaphors We Live By. The University of Chicago Press. Kindle 版.


今回、この機会に “different界隈” をまとめておこう、と思ったきっかけはこちらのやりとり。

持つべきものは良いFFsですね。

指導する側としては、「テスト」での前置詞の扱いでヤキモキさせられるわけです。
実際にこんな出題がありました。

I found her to be ( ) usual.
a. not different as
b. no different than
c. no difference from
d. differed from

正答は恐らく b. で、

  • I found her to be no different than usual. 彼女は普段と全然変わらないように思えた。

という意味になると思います。
ほぼ同じ文例が、『ランダムハウス英和』(第2版、小学館、1994年;オリジナルは1987年) にあります。

  • She was no different than usual. 彼女はいつもと全然変わってはいなかった.

Oxford 類語辞典では、

  • He saw he was no different than anybody else. ⦅米⦆彼は自分が他の人たちと全然違わないことがわかった

と「米語法」である注記のラベルが貼られています。

個人的には、節が続く場合に限らず、もはやthanの使用に異議を唱えるのは無駄な抵抗だと思っています。
節が続く例を2000年代の入試読解素材文から。

One of the most basic spiritual principles in many philosophies is the idea of opening your heart to what is instead of insisting that life be a certain way. This idea is so important because much of our internal struggle stems from our desire to control life, to insist that it be different than it actually is. But life isn’t always the way we would like it to be; it is simply the way it is. The greater our surrender to the truth of the moment, the greater will be our peace of mind.

(多くの哲学において最も基本的な精神的原則の一つは、人生とはかくあるべしと主張するのではなく、現実を受け入れるために心を開くという考えです。この考えが非常に重要なのは、私たちの内なる苦悩の多くが、人生をコントロールしたい、現実とは違うものであってほしいという欲求から生じているからです。しかし人生は常に私たちが望む通りにはなりません。あるがままに存在するだけなのです。その瞬間の真実に身を委ねれば委ねるほど、私たちの心の平安は大きくなっていきます。)

次の例ではthanの比較節での省略と同じパターンです。上述の “than usual” も同じ括りができるでしょう。

The actual impact of the Chernobyl accident on the citizens of Ukraine appears to be very different than originally predicted. In fact, the total release of radioactive products at Chernobyl produced far less radioactive effect than has been predicted in the past for accidents that were much smaller in size.
チェルノブイリ事故がウクライナ市民に与えた実際の影響は、当初予測されていたものとは大きく異なるようです。実際、チェルノブイリで放出された放射性物質の総量による影響は、過去に予測されていた小規模事故の場合よりもはるかに少ないことが明らかになりました。

次の例では、節ではなく名詞句が続いています。

But the additional cardiovascular protection they gain over someone who is regularly active and gardens, walks the dog, or takes the stairs, for example, may be smaller than you think. ‘Health’ benefits of physical activity are different than ‘fitness’ benefits.
しかし、普段からに体を動かす人で、ガーデニングをしたり、犬の散歩をしたり、階段を使ったりしている人と比べて得られる更なる心血管保護効果は、思っているより小さいかもしれません。「健康」のための運動のメリットと「フィットネス」のためのメリットは別物なのです。

読解素材文ではなく、設問の英語にも出てきます。

  • How are current ads different than before?

そうかと思うと、同じ大問の設問で、fromとthanの両方が使われていたりもします。

2.Conversation Two is different from Conversation One in that
4.How is the mother’s response to Anna’s problem in Conversation Two different than in Conversation One?

この例などを見ると、初版のCOD (= Concise Oxford English Dictionary) での次の注記の “inconvenient” が実感できますね。

  • from, to , than, all used by good writers past and present, than chiefly where a prep. is inconvenient

CODを引き合いに出したついでに、英語ネイティブが使う辞書ではどんな扱いか見ておきましょうか?
SOD (= Shorter Oxford English Dictionary; MacApp版2011年) では

Different from is now regarded as the standard construction, and is the commonest. Different to and different than are often regarded as incorrect, though used by many well-known writers since 17; different than is now almost exclusively used in North American English, where different to is rare.

となっています。北米語法としてのthanとtoには言及がありますが、英国語法での一般度には特に注記はありません。

1990年のCODでは、

Different from is generally regarded as the most acceptable collocation; to is common in less formal use; than is established in US use and also found in British use, esp. when followed by a clause, e.g. I am a different person than I was a year ago.

となっていたものが、2011年版だと、

There is little difference in sense between different from, different to, and different than, and all have been used by respected writers.
Different from is traditionally held to be the correct structure, and is the commonest in written evidence. Different to is common in Britain, but is disliked by traditionalists.
Different than is used chiefly in North America. It has the advantage that it can be followed by a clause, and so is sometimes more concise than different from: compare things are definitely different than they were one year ago with things are definitely different from the way they were one year ago.

と詳しくなっています。

AHD (= American Heritage Dictionary; 第5版、2011年) では、Usageの注記で、2004年のパネル調査結果を示しています。

USAGE NOTE: The phrases different from and different than are both common in British and American English. The British also use the construction different to. Since the 18th century, language critics have singled out different than as incorrect when used before nouns and noun phrases, though it is well attested in the works of reputable writers. Traditionally, from is used when the comparison is between two persons or things: My book is different from [not than] yours. Note that noun phrases, including ones that have clauses in them, also fall into this category: The campus is different from the way it was the last time you were here.
The Usage Panel is divided on the acceptability of different than with nouns and noun phrases, with a majority finding several of these constructions unacceptable. In our 2004 survey, 57 percent rejected the use of different than with a gerund in the sentence Caring for children with disabilities in a regular child-care setting is not new and, in many cases, is not particularly different than caring for other children. Roughly the same percentage (55) disapproved of the construction with a noun phrase containing a clause in The new kid felt that the coach's treatment of him was different than that of the other players who were on the team last year. Some 60 percent rejected the sentence New York seemed very different than Rome, where they'd been on good terms. There should be no complaint, however, when the object of comparison is expressed by a full clause: The campus is different than it was twenty years ago.

Merriam Webster’s のオンライン版では次のような注記。

Numerous commentators have condemned different than in spite of its use since the 17th century by many of the best-known names in English literature. It is nevertheless standard and is even recommended in many handbooks when followed by a clause, because insisting on from in such instances often produces clumsy or wordy formulations. Different from, the generally safe choice, is more common especially when it is followed by a noun or pronoun.
www.merriam-webster.com

今ではかなり古いものですが、米国の辞書で教育に配慮されたWBD (= The World Book Dictionary; 1989年版)では、

The standard American usage with different is from: His second book was entirely different from his first. Informal usage is divided, using from occasionally, sometimes to (which is a common British usage), and more often than: She was different than any other girl I had ever known. Different than is becoming more common when the object is a clause: The house was a good deal different than he remembered it.

となっています。
このWBDとほぼ同じ時代に編まれたと思しき『ランダムハウス英和』の語法注記は次のように柔軟なもの。

different の後に句がくるときには,from のほうがよく用いられるが,than を用いてもかまわない:New York speech is different from [or than] that of Chicago.(ニューヨークの話し言葉はシカゴの話し言葉と異なる). 後に節がくるときには,一般に than が用いられる:The stream followed a different course than the map showed.(その川は地図に出ていたのとは違った所を流れていた). 上のどの場合にせよ, ⦅米⦆ ではあらゆる種類の話し言葉と書き言葉において,from と than は共に標準用法である. また ⦅英⦆ では,different の後に to がくることもよくある:The early illustrations are very different to the later ones.(初期の挿絵は後のとずいぶん違っている). さらに different を「風変わりな」という意味で用いるのは,アメリカ英語で十分に確立した用法である:The décor in the new restaurant is really different.(その新しいレストランの装飾は本当に風変わりだ).

餅は餅屋で、「語法」のことは「語法辞典」を見るのがいいでしょうか?

私がちょうど、検定教科書の著者をやっていた1990年代にお世話になった、1993年のK.G. Wilson編著の米語の語法書 “The Columbia Guide to Standard American English” では、次のような扱いでした (p.140)。

different from, different than, different to
These three have been usage items for many years. All are Standard and have long been so (different to is limited to British English, however), but only different from seems never to meet objections:
She is different from her mother in many ways.
He feels, from the way he did yesterday.
You look different from him.
Different than has been much criticized by commentators but is nonetheless Standard at most levels except for some Edited English. Consider
She looks different than [she did] yesterday.
He's different than me (some additional purist discomfort may arise here).
You look different than he [him].
The problem lies in the assumption that than should be only a subordinating conjunction (requiring the pronouns that follow to be the nominative case subjects of their clauses), and not a preposition (requiring the pronouns that follow to be the objective case objects of the preposition). But Standard English does use than as both preposition and conjunction: She looks different than me is Standard and so is She looks different than I [do]. And with comparative forms of adjectives, than occurs with great frequency: She looks taller [older, better, thinner, etc.] than me [than I do]. Still, best advice for Formal and Oratorical levels: stick with different from.

『詳説 レクシス プラネットボード』(旺文社、2004年)では、「40  be different に続く前置詞に何が用いられるか」(pp.94-95) で、次の3つの英文でインフォーマント調査をしています

Q. 次の(a)~(c)で使用可能な語を選んでください。(複数回答可)
(a) Your ideas are different [from / than / to] mine.
(b) His address is different [from / than / to] what it was in the past.
(c) His address is different [from / than / to] it was in the past.

詳細は引きませんが、最後のまとめにはこうあります。

成果と展望
thanとtoの使用率において, 通説どおりはっきりと米英差が見られる. (c) についてはいずれも使えないという人が, than の使用の確立していないイギリスにおいて特に多い。 学習者は (c) の形は避け, what を用いた (b)の形にすべきであろう. what節は名詞句と同等の扱いになるので, (a) と (b) の使用率はほぼ同じ傾向になっている。 学習者は, than やtoも使われることを知っておいた方がよいが, 発信用には, (c) の形を使わない限り from だけで十分である.

この「fromだけで十分である」という結論は流石に20年前の編者だなぁ、というのが率直な感想です。例えば「英文化圏」で育って英語を身につけた中高生が発信する場合には、(a)や(b)で、fromではなくtoを使う可能性があるのだから、発信とはいえfromだけでは不十分だし、不適切ではないかと思います。また米語法で考えても、(a)で83%、(b)でも70%のインフォーマントがthanを使うと回答していることは軽視すべきではないでしょう。

同じ旺文社の『O-LEX英和』では、第2版も、最新の第3版も記述は変わりませんが、「fromだけで十分」などといった雑な扱いはしていません。むしろ、上述の (c) のタイプへの注意喚起を促している、とも受け取れるものになっています。

Wisdom とG6も比較しておきましょう。

続いてCOBUILD米語英英和とOLAD英英和での記述を比較。

イマドキの辞書はこんな感じです。

語法書でいえば、Michael SwanのPEU 第4版(2016年)では、以下のようにコンパクトにまとめられています。

433. different
2. prepositions: different from/to
From is generally used after different; many British people also use to. In American English, than is common.
American football is very different from/to soccer. (AmE … different from/than soccer.)
Before a clause, different than is also possible in British English.
The job’s different than I expected. (or … different from/to what I expected.)

COBUILD English Usage (2019年)ではどうなっているかというと、

1. 'different'
If one thing is different from another, it is unlike the other thing in some way.

  • The meeting was different from any that had gone before.
  • Health is different from physical fitness.

Many British people say that one thing is different to another. Different to means the same as different from.

  • My methods are totally different to his.

! BE CAREFUL
Some people object to this use. In conversation and informal writing, you can use either different from or different to, but in formal writing it is better to use different from.
American English speakers, and some British English speakers, sometimes say that one thing is different than another. This use is sometimes considered incorrect in British English, but it is often the simplest possibility when the comparison involves a clause.

  • I am no different than I was 50 years ago.

現代英語の実態に即した解説ですね。

Garnerの語法書も既に米語だけではなく英語全般を視野に入れた記述となっていますが、第5版(2022年; Garner, Bryan A.. Garner's Modern English Usage (pp.1692-1695). Oxford University Press. Kindle 版)では、

Language-Change Index different than for different from: Stage 3
Current ratio in print (different from vs. different than): 8:1

とあり、different thanは「ステージ3」の扱い。ステージ3は

Stage 3: The form becomes commonplace even among many well-educated people, but it’s still avoided in careful usage. Examples include *adopted mother for adoptive mother; *gladiolas for gladioli or gladioluses (or simply glads); idyllic for ideal; *miniscule for the correct spelling minuscule; the supposed contraction *’til for the good old word till (as in We’ll be here till noon); peruse used to mean “scan hastily” rather than “read carefully”; and using a nominative pronoun in compound objects such as *between you and I rather than between you and me.

というガイドがついています。
旧版の第4版(2016年)でも同じステージ3でしたが、その時の比率は 11:1でしたので、thanの使用がかなり拡がっていることが窺えます。

Garner’sはさらに、副詞のdifferentlyでの比較考察もしています。

Language-Change Index
1. differently than preceding an independent clause: Stage 5
Current ratio in print (differently than they did vs. differently from how they did): 15:1
2. differently than not preceding an independent clause: Stage 2
Current ratio in print (differently from him vs. *differently than him): 8:1

こちらも、旧版では、それぞれ、21:1と10:1 でした。揺り戻しですかね?

このGarner’s の第5版は2019年版のGoogle BooksのNgramViewerを参照しているのですが、このNgram Viewerのデータも既に2022年版に更新されていますので、そちらでざっくりと見てみましょう。

different from が優勢であることは明白なので、Ngram Viewerではそれ以外で経年比較。
それぞれ、名詞(句)が続いているのか、節(S+V)が続いているのかは不問ですのでご注意を。

全体




続いてオンラインコーパスからの情報を。
まずは、最近のデータから。
NOW (世界20エリアをカバーする最大のニュース英語コーパス)での「今」のメディア英語の実態。

COCAは1990-2019年までの米語。話しことばも反映した「均衡」コーパスなので、これをベンチマークに。

20250601追記:
通時的に米語を眺めるにはCOHA。こちらも均衡コーパス。

古くは米語でもtoが続いていた時代があったことが見て取れます。

TVコーパスは1950-2017年まで。台本のある話しことば、といえばいいでしょうか。

Glowbeは世界20エリアの英語の実態を推測する大きな手がかり。2012-13年のデータで、今ではちょっと古いのですが、エポックでした。

前置詞の前にくる環境でもざっくりと見ておきましょう。

NOW

COCA

TV

Glowbe

BNCLab での英国語法の変化を最後に見ておきましょう。
データは少ないですが "different than" で。

新旧比較。左が1994年版、、右が2014年版

speechとwitingの比較

年齢分布

長い記事にお付き合いいただきありがとうございます。
さあ、いかがだったでしょうか?

こういうデータや実例を示しても尚、

  • そういうのは読んでわかればいい語法であって、発信での運用を求める必要はない。

などと言う英語教育関係者がいたりするのですが、

  • 「あなたが読んでいる英語は、どこかの誰かが書いた[話した]もの」

という事実を忘れてはいけません。

私も昔は「それもそうだな」などと考えたりしていたかもしれませんが、今では、

「その英語表現を読んで意味が分かる」ために、それ以前に、それ以外のどれだけの英語を身につけておかなければならないか、その間に流れる川は広くて深くて、流れは速いことだってあるでしょうに…。

という思いです。

本日はこの辺で。
本日のBGM: 違う、そうじゃない (鈴木雅之)

open.spotify.com

追記:
形容詞の比較級とdifferentの共起具合をざっくりと見ておきます。
NOW

COCA

Glowbe

250602追記:
differentが先行する環境では<more different +比較級>のノイズを排除したいので、次のような検索で。

COCA

米語法以外も概観

NOW


GLOWBEはざっくりと。



止めたいのは時間か世界か?

私の英語の文法指導実践の核に「助動詞の番付表」があります。
80年代の終わりくらいからずっとやっているので30数年は続けているものです。

先日の、薬袋善郎先生とのツイッターでのやり取りをこちらにも。

こちらのマガジンでは「番付表」の組み合わせと並べ方、形合わせも含め、豊富な実例で助動詞の世界の全体像が掴めることと思います。

note.com

この番付表の「大関のhave」が時制を持って S+ have (has) + -ed/en形で使われる場合は「現在完了形」と呼ばれるのですが、その「単純形」には、ポジティブな内容なら「達成・成果」、ネガティブな内容なら「被害・損失」という、典型的な「生息域」があります。

最近の英語ニュースからポジティブな例を。

現在完了形の生息域。
単純形はプラスなら成果・達成、マイナスなら損失・被害。
時の上流からイマココに至る余波を確認。
次の展開は、寄せる波にがこれから先どこへ行くのか、または来し方を具体的に振り返るか。
ここでは懸念される「国からの補助金」に関してputtingで結果の分詞構文的に言及。

元ツイ。

Harvard University has rejected the Trump administration's demands for policy changes, putting nearly $9 billion in federal funding at risk

ということで、本日の「気になる語法」は、その「達成」「成果」の話し。

大学入試問題や、某英語検定試験では、同意語・類義語での言い換えが求められることが多いので、受験生は対策を余儀なくされます。

教材で使用している某問題集に次のような問題がありました。

When he was a manager, his first accomplishment was to create better working conditions.
彼が支配人だったとき,彼が最初に達成したことは,より良い労働環境をつくり出すことだった。

下線が引かれたaccomplishment をほぼ同意の表現で言い換えるものです。選択肢が与えられていて、どう考えても正解はachievementしかありません。この問題集では囲みの形で、「同意語問題に頻出」という注意喚起でもこのaccomplishmentとachievementを挙げています。
もし、この問題でこの2語を覚えた学習者は、
achievement 達成・業績・偉業≒accomplishment
というような知識のネットワークができ上がる可能性があります。
私が「気になる」のは、この言い換えの適否です。

確かに、随分昔の入試問題では、このような 下手な ベタな出題が見られました。

下線部の意味・内容にもっとも近いものを次の1~4の中からそれぞれ一つ選び,その番号を記入しなさい。
Learning about this distant period of time was one of the great scientific achievements of the 20th century.
achievements
1. publications 2. enjoyments 3. accomplishments 4. descriptions

10年ほど前の入試問題の読解系素材文でも、次のように、同じ段落にaccomplishmentとachievementが出てきます。

In 1952, Emil Zatopek recorded one of the greatest Olympic accomplishments of all time ― something that will probably never be reproduced. He won gold in the 5 km, 10 km, and then at the last moment decided to run his first ever marathon, winning it by over two minutes. This triple gold remains an unprecedented achievement.

Kagi Translateだと次のような和訳となります。

1952年、エミール・ザトペックはオリンピック史上最も偉大な功績の一つを達成しました。おそらく二度と再現されることのない偉業です。5kmと10kmで金メダルを獲得した後、最後の瞬間に初めてのマラソンに出場することを決意し、2分以上の差で優勝しました。この3種目制覇は未だに前人未到の偉業として残っています。

比較的新しい入試問題でも、次のように同じ文脈の中で、先にachievementが、その後でaccomplishmentが使われています。

Grammy Award-winning musician and Oscar-nominated actor Will Smith has thought a lot about talent, effort, skill, and achievement. “I’ve never really viewed myself as particularly talented,” he once observed. “Where I excel is in having a ridiculous and sickening work ethic.”
Accomplishment, in Will’s eyes, is very much about going the distance.

Kagi訳ではこうなります。

グラミー賞受賞ミュージシャンであり、アカデミー賞にもノミネートされた俵優のウィル・スミスは、才能と努力、技術、そして達成について深く考えてきた。「自分を特に才能があるとは思ったことがない」と彼は語った。「私の強みは、ばかげているほど病的なまでの仕事への情熱にある」
ウィルにとって、成功とはとことんやり抜くことなのだ。

もう少し長いディスコースで眺めてみましょうか。これも比較的新しめの大学入試問題からです。
冒頭の “describe” の使い方など、学びたい表現は他にもあるのですが、achievementからaccompishmentへの流れを見て下さい。

The third category of creativity, and what Bartok considers the most appropriate use of the term, describes the activities of individuals like da Vinci, Edison, Picasso, or Einstein, who have changed our culture in some important way. This kind of creativity is not seen as simply a more developed form of the first two. The three types are actually different ways of being creative, each to a large degree unrelated to the others. It happens very often, for example, that some persons who are filled with brilliance, whom everyone thinks of as being exceptionally creative, never leave any lasting achievements, any trace of their existence ― except, perhaps, in the memories of those who have known them.
On the other hand, some of the people who have had the greatest impact on history did not show any brilliance in their behavior, and yet they left impressive accomplishments behind. Leonardo da Vinci, for example, certainly one of the most creative persons in Bartok’s third sense of the term, was apparently a loner, and lived his life in a routine way. If you had met someone like him at a party, you would have thought that he was a bore and would have left him standing in a corner. It is perfectly possible to make a creative contribution without being “personally creative” or brilliant, just as it is possible ― even likely ― that someone personally creative will never contribute a thing to the culture. Bartok believed that all three kinds of “creativity” had the potential to enrich life by making it more fulfilling, but he felt that the third type was the one that had the most genuine claim to being truly creative because recognition by society of the value of the output is a key component.

以下、Kagi訳です。

創造性の第三のカテゴリー、そしてバルトークがこの言葉の最も適切な使用法と考えるものは、ダ・ヴィンチ、エジソン、ピカソ、アインシュタインのような、私たちの文化を重要な方法で変えた個人の活動を指します。この種の創造性は、単に最初の二つのより発展した形態とは見なされません。三つのタイプは実際にはそれぞれ大きく異なる創造的な在り方であり、互いに関連性がほとんどありません。例えば、非常にしばしば、誰もが非常に創造的だと考える輝かしい才能に満ちた人々が、自分を知る人々の記憶の中に残る以外、何の永続的な業績も存在の痕跡も残さないことがあります。

一方、歴史に最大の影響を与えた人々の中には、その行動に何の輝きも示さなかったにもかかわらず、印象的な業績を残した人々もいます。例えば、バルトークの第三の意味で間違いなく最も創造的な人物の一人であるレオナルド・ダ・ヴィンチは、明らかに孤独な人物で、日常的な方法で人生を送っていました。もしパーティーで彼のような人物に会ったら、退屈な人物だと思って隅に立たせたままにしたでしょう。「個人的に創造的」であることや輝かしい才能がなくても創造的な貢献をすることは完全に可能であり、個人的に創造的な人物が文化に何も貢献しない可能性さえあります(むしろその可能性が高いです)。バルトークは、三種類すべての「創造性」が人生をより充実させることで豊かにする可能性があると信じていましたが、第三のタイプが真に創造的であると主張する最も正当な権利を持つと考えました。なぜなら、社会がその成果の価値を認めることが重要な要素だからです。

こうして見てくると「同意語」「類義語」の扱いで「言い換え」ればいいじゃないか、と思う人も多いでしょう。
まあ、多くの場合はそれでもいいのかもしれません。

最近改訂された某単語集では、ある頁にaccomplishment が出てきて、その訳語として

  • 業績、成果、達成、成就

が示されているのですが、
achievementの訳語には、

  • 業績、偉業、達成、成就

が示されています。その違いは

  • 成果

  • 偉業

だけで、解説などはありません。

以前、このブログでも取り上げたことがある、速読への対応を謳った某単語集では、英文読解素材では、

  • a sense of pride and accomplishment

を示していて、解説の頁では、その類語として、achievementとattainmentを載せています。この単語集の基本的姿勢として、読解素材では既に文脈が示されているので、類語の扱いで用例を示す場合は、読解素材とは関係のないあらたな文脈を示すことに拘っているようです。ということで、achievementを含む文用例が示されているだけで、解説等は一切ありません。

私が気にしているのは、「文化差」「地域差」と「コロケーション」になるでしょうか。
次のような例での、accomplishmentとachievementは本当にinterchangeableと捉えて「いいのだろうか?というところです。

Some of the best gifts for 7-year-olds foster a sense of accomplishment and challenge them to think strategically.


7 歳の子どもに最適な贈り物の中には、達成感を育み、戦略的に考える力を養うものがあります。

National Volunteers Week - @ChesterCath
The oldest serving voluntary choir in the UK ...
“Volunteering in the Nave Choir gives me a sense of achievement ..."


全国ボランティア週間 - @ChesterCath
英国で最も古くから活動しているボランティア合唱団です。
「聖歌隊でのボランティア活動は私に達成感を与えてくれます..."

上記、2例の背景が分かったでしょうか?
上の例が米、下の例が英になります。

(aなど) sense ofに続く場合accomplishmentは主として北米文化圏で優勢で、achievementは英文化圏で優勢というのが私が持っている印象でした。
良い機会なので調べてみます。

Glowbeは2012/13年のデータなので、ちょっと古いのですが、地域差・文化差をみてみます。
全体では、achievementとaccomplishmentが同じくらいの数値ですが、所謂「英/米」の文化圏でこのくらいのコントラストが見て取れます。

このくらい濃淡の差があるものを「イコール」として大丈夫でしょうか?

NOWコーパスだと、achievementもaccomplishmentも10000越えヒットで、他とは段違いだけれども近年ではaccomplishmentが2倍近くのヒット数で優勢であることがわかります。

地域差が少しは反映するであろうTVコーパスで台本のある話しことばの実態を推測。

このTVコーパスの結果のように、米語では、sense of achievementとは言わないのでしょうか?

COCAで話しことばも含めた米語の状況を。

全体では、accomplishment : achievement = 565 : 109 でaccomplishmentが5倍強。
spoken では 34 : 7 で5倍弱となっています。

COHAで歴史的な推移を眺めて見ましょう。昔は米語でも achievementが優勢でしたが、近年でaccomplishmentに傾いていることが見てとれます。

英文化圏の情報がもう少しほしいところなのですが、COCAで検索できるBNCは1994年版なので-1993年までの古いデータ。

sense of achievementが優勢だということはわかりますが、そもそものspokenのヒット数が少ないのが悩ましいところ。

SKELLでも見てみました。
まずはsense of achievement

続いて sense of accomplishment

0.19 vs 0.23で若干ながら sense of accomplishmentの方が多い。NOWコーパスに近い印象。でも、これだけだと文化差、地域差は不明なんですね。

ツイッターのタイムラインで、藤原先生がBNC Labがリニューアルしているとの投稿をしていたのを見て、早速調べてみました。

まずは

  • sense of achievement

で検索。

2014年版ではsense of achievementは若干ながら増えているようです。

もう一方のsense of accomplishmentは?

  • ゼロ

一例もヒットしませんでした。
しかも、単語のaccomplishmentで検索してもヒットせず。
accomplishmentがヒットしないというのは、コーパスのサイズの問題なのか、文化差がさらに顕著になったのか?悩ましさがさらに募りました。

2025年5月26日追記:
BNC Lab でaccomplishmentがヒットしなかったのは、Spokenの枠組みだったからのようです。

Writtenではトータルで4例ヒットしていましたが、それでも “sense of” に続く例はありませんでした。

仕方がないので、NOWに戻って、コンコーダンスラインから、英文化圏でのsense of accomplishmentの例を見ておきましょう。






2025年のGB & IE だけで85/617例がヒット。
約13.8%ですから、英文化圏でもsense of accomplishmentは結構使われている印象。

もう一方で、米文化圏での “sense of achievement” の例 (2025年)。
US & CAで39/377例が見つかりました。約10.3%ですので、英文化圏でのaccomplishmentの使用に比べると少ない印象。




「米では sense of achivementとは言わない」「英ではsense of accomplishmentとは言わない」とまでは言い切れませんが、傾向というのは見て取れるかと思います。
これだけ調べても、明確な結論が出ず「達成感」「爽快感」はあまりありませんが、過度の単純化で「ドヤ顔」するよりはいいでしょう。
個人的に気になっている「ネタ」の大元にはかなり迫れたと思うので不満はありません。

ついでといってはなんですが、「達成」の関連語としての名詞 "feat (=偉業)" もみておきましょう。
英和辞典の多くが、

  • no mean feat

で成句扱いして、「至難の業」などとしていると思いますが、meanのところには他の形容詞がくることも多いでしょう。
因に、『Wisdom英和』には次の例があります。

no mean [small, easy] feat  至難の業

流石です。

さらに因に、山﨑竜成先生の『Idiomatic』(アルク)には、この3つとも取り上げられています。
流石です。

こんなところにも文化差が出るかどうか?
ざっくり見ていきます。

NOW コーパスだとヒット数はそれほど変わらず。

これだけヒット数のある、 no easy featや no small featを載せていない辞書はその基準を再考すべきでは?

GLOWBEでざっくりと。

これを見る限りでは、文化差・地域差がありそうですよね?

TVコーパスで見ると、英文化圏ではno mean featが優勢という印象。

でも、COCAで見ると、米語でも no mean featは使われていることがわかります。

BNC Labのフレーズでの検索では何もヒットしませんでしたが、Spoken と Writtenの比較から、コンコーダンスラインを見ると、no mean feat/ no easy feat/ no small featの例がそれぞれ見つかりました。





確かに、英文脈では “mean” の割合が高そうとは言えると思います。
BNC Labでのフレーズ検索でヒットしなかった原因がわからないのがもどかしい限りですが、もう少し継続して使い、機能を使いこなして、英文脈の英語の世界の解像度も上げたいと思います。

2250526 追記:
こちらも新たに検索してみてSpokenのカテゴリーではゼロでしたが、Writtenのカテゴリーでは3例ヒットしました。


この実例は、上述のコンコーダンスラインから採取したものとは異なるようで、悩ましさは残ります。

本日はこの辺で。
本日のBGM: 時間よ止まれ(矢沢永吉)

open.spotify.com

私の "フェイ・ダナウェイ" は何処?

訃報にめげず、体調も回復傾向。
「作問祭り」も盛況のうちに終了。
今日は、「現代英語での気になる語法」というよりは、「日本の英語教育界隈での気になる物言い」です。

1980年代後半に都立高教諭として教壇に立ち、80年代末期から高等学校段階での英語のライティングに関わり続け、今でも公教育での英語教育の「授業」に「非常勤講師」として関わり続けている人間の1人として、次のような物言いには強烈な違和感を覚えます。

今、AIの普及を受け、多くの生徒や教師が英語ライティングを学ぶ・教える意義を失いかけています。「AIに任せればいいじゃない」というのがその理由です。

これは、京都大学の柳瀬陽介先生の発表資料を紹介するソーシャルメディアの投稿にあった文言です。

発表の概要はこちらから。
edx.nii.ac.jp

私の違和感はツイッターとFBで表明していました。
こちらがツイッターのもの。

これってどこの現場のことなんですかね?もしそうだとするなら、その程度のライティングしかやってこなかったってだけのことでは?

柳瀬氏は、英語教育・言語教育における生成系AIの利・活用に関する発言を多くされているのですが、最近でも、このような「論」を目にしました。

栄光学園中学高等学校の林 真理子先生による素晴らしい授業。こういった授業を普及させるために重要なのが、学習者一人ひとりが制限なくAIにアクセスできること。少し暴論を述べるなら、学習者が自由にAIを使い始めたら英語教育は変わる。というより変わらざるを得ない。

私の違和感はこちら。

確かに暴論だな。

素晴らしい実践を持ち上げるために、その他大勢の教壇に立つ方たちを脅したり貶めたりする必要は全くないんですよ。

柳瀬氏の公開している「高校生の英文ライティングに対するフィードバックを生成系AIに求めるプロンプト」は、私も使ってみたことがありますが、私の求めているものとは内容・水準とも異なるものでしたので、今は使っていません。

柳瀬氏のブログの当該頁には次の文言があります。

似たようなプロンプトはすでに多くあるでしょうが、私としては文体改訂の重要性を訴えかけたくてこのプロンプト/カスタムGPTを公開しました。原文の綴りや文法の「間違い」だけを添削してもらうだけでは、どうしても原文の発想内に閉じこもってしまい、自然な英語を書けるようになりません。マルかバツの語法添削を受けるだけではなく、「こうも書ける」「ああも書ける」という創造的な文体改訂から学ぶことがライティング力向上のためには重要だと私は実感しています。
yanase-yosuke.blogspot.com

高校での英文ライティング指導って、本当に次のようなところで止まっているんでしょうか?

・原文の綴りや文法の「間違い」だけを添削
・原文の発想内に閉じこもり不自然な英語のまま
・○か×の語法添削だけで「こうも書ける」「ああも書ける」という創造的な文体改訂を学べない

もし、いまだにそのレベルで止まっているとか、もっと、後退しているのだとするなら、その原因は指導法・評価法が普及していないからなのでしょうか?

むしろ、もっと構造的な「その先の指導を取り入れる時間的余裕がない」という理由とか、その「理由」のもっと前段階で「そもそも教える人がいない・足りないから、そのカバー・埋め合わせをする方が先決」といったことがあるのではないかと思っています。

私も文字指導・handwriting指導法から、チャンク、そして和文英訳や英文ライティングの指導・評価・フィードバックの方法まで、指導者対象のセミナーなどを開いています。

教える人が足りない、というところをカバーしてあげることはできませんが、「自分の目の前の児童・生徒の英語力伸長」に尽力している人の一助になれば、と思って「方法論」の提供と、その「方法論」を支える「視座」を伝える努力は、受講者が少なくとも細々と続けています。

私自身の実践での生成系AIの「利・活用」に関しては、過去ログでも取り上げていますので、お時間のある方はお目通し下さい。

まずは視座を整えるところから
tmrowing.hatenablog.com

生成系AIや機械翻訳/自動翻訳の利活用で最近個人的にやっていることは、

  • 巨匠の技の凄みを味わう

というもの。
某検定で「要約」が入ってきたことに対する危機感から、「置き換えられないことば」の重みとか立ち位置、立ち振る舞い、運動性能などを感じ取りたいと思ってやっています。

たとえば、Stephen King の “On Writing” の一節を取り出して、それをKagi Translateに和訳してもらいます。
翻訳の精度はまちまちですが、一般的な日本の高校生の英語力と比べれば、十分に優れているように感じています。
ただ、それほど個性的な言葉遣いでは翻訳しませんので、その日本語の文章を、複数の生成系AIに入力し、英訳してもらいます。
それぞれのAIがそれなりの英訳を出してきますので、それらを比較検討し、イイトコドリしてベストな英訳案を作るように求めます。ときには、他のAIの英訳をより高く評価し譲歩するし、ときには自分の英訳がベストだと言い張ります。
そうしてでき上がったファイナルアンサーの英訳を巨匠のオリジナルと比べて、巨匠ならではの言葉遣い、リズムを味わう、というものです。
その後、日本の英語学習者が、巨匠のような英文を書こう、などと思ってしまったときのハードル、障壁、課題についても考察してもらっています。
ここではその最後の考察のみ紹介。

Gemini 2.0
CEFR B1レベルの日本語母語話者がこのエッセイを翻訳・作成しようとすると、下記のような点で苦労する可能性が高いと考えられます。

1. 表現形式:**

**比喩表現の理解と適切な翻訳:** エッセイには比喩表現が多用されています。例えば、「perky as a rat in liverwurst」(レバーヴルストの中のネズミのように元気)や、「story begins to take on an odd foreign feel, like a dispatch from the Romanian Department of Public Affairs, or something broadcast on high-band shortwave during a period of severe sunspot activity」(物語が奇妙な異国情緒を帯びてくる、ルーマニア広報部の報告書や、太陽黒点活動が活発な時期に短波で放送される何かのように)。B1レベルでは、これらの比喩表現を正確に理解し、日本語で自然かつ適切な比喩表現に置き換えることが難しいでしょう。直訳してしまうと不自然な日本語になる可能性があります。

**ユーモアの理解と再現:** エッセイにはユーモラスな表現が散りばめられています。B1レベルでは、著者の意図するユーモアを理解し、それを日本語で効果的に表現することが難しいでしょう。ユーモアは文化に依存する部分も大きいため、翻訳時に工夫が必要です。

**文体の模倣:** エッセイ全体を通して、著者の独特な文体(やや皮肉っぽく、自虐的なユーモアを含む)が感じられます。B1レベルでは、この文体を理解し、日本語で模倣することは非常に難しいでしょう。

2. 語彙や構文の選択:**

**特定の語彙:**

* "synapse enhancer"(シナプス増強剤)のような専門的な単語の知識不足。
* "goodish length"(まずまずの長さ)のような、口語的なニュアンスを持つ単語の理解と適切な訳語の選択。
* "dire circumstances"(切迫した状況)のような、ややフォーマルな単語の理解。
* "fiddling around"(だらだらと時間を潰す)のような、イディオムの理解と適切な訳語の選択。

**複雑な構文:**

* 倒置構文の使用(例: "Any longer and – for me, at least – the story begins to take on an odd foreign feel...")。B1レベルでは、倒置構文の意図を理解し、自然な日本語に変換することが難しい可能性があります。
* 関係代名詞節が複雑に絡み合った文の使用(例: "That’s 180,000 words over a three-month span, a goodish length for a book – something in which the reader can get happily lost, if the tale is done well and stays fresh.")。
* 挿入句の多用。B1レベルでは、挿入句を正しく理解し、文全体の意味を把握することが難しい場合があります。

**接続詞:** 文と文とのつながりをスムーズにするために、適切な接続詞を選択することが重要です。このエッセイでは、対比(Still, of course)、理由(because, since)、条件(if)など、様々な種類の接続詞が使われています。B1レベルでは、これらの接続詞のニュアンスを理解し、適切に使い分けることが難しいかもしれません。

3. 特定の文法項目の過剰使用、または過少使用:**

**受身形:** 日本語は受身形を多用すると不自然になる傾向があります。原文の能動態の文を受身形に過剰に翻訳してしまう可能性があります。

**指示語:** 日本語では指示語(これ、それ、あれ、どれ)を多用すると、文章が不明瞭になることがあります。原文の指示語を安易に翻訳してしまう可能性があります。

**敬体/常体の混同:** エッセイ全体を通して、筆者は読者に対して親しみやすい口調で語りかけています。B1レベルでは、このニュアンスを理解し、日本語で適切な文体(常体)を選択することが難しいかもしれません。敬体と常体の混同が見られる可能性があります。

4. 論理の隙間や飛躍:**

**喫煙と執筆速度の関連性:** 著者は喫煙をやめたことが執筆速度の低下につながったと述べていますが、その根拠は「ニコチンはシナプス増強剤だから」というものです。B1レベルでは、この主張の論理的な飛躍に気づき、それを日本語で適切に表現することが難しいかもしれません。

**季節と物語の異質さの関連性:** 著者は、執筆期間が3ヶ月(1シーズン)を超えると物語が異質なものになると述べています。B1レベルでは、この主張の根拠を理解し、それを日本語で分かりやすく説明することが難しいかもしれません。

**著者の個人的な経験に基づいた主張:** エッセイ全体を通して、著者の個人的な経験に基づいた主張が展開されています。B1レベルでは、これらの主張の主観性を理解し、客観的な視点から評価することが難しいかもしれません。

総括:**

B1レベルの日本語母語話者がこのエッセイを翻訳・作成するには、語彙力、文法力だけでなく、比喩表現の理解、ユーモアの解釈、文体の模倣、論理的な思考力など、高度な言語能力が求められます。そのため、上記の点を中心に、様々な困難に直面する可能性が高いと考えられます。翻訳する場合は、辞書や翻訳ツールを活用するだけでなく、日本語ネイティブスピーカーの添削を受けることが望ましいでしょう。

Claude 3.7
# CEFRレベルB1の日本語母語話者がこのエッセイを英語で書く際の難点
このモデルエッセイは、Stephen Kingのような経験豊富な作家による、文学的で複雑な英語表現が含まれています。B1レベルの日本語母語話者が苦労すると思われる点を具体的に分析します。
## 1. 語彙の複雑さ
B1レベルでは以下の語彙が難しいでしょう:

  • "synapse enhancer"(シナプス増強剤)
  • "accomplishment"(功績)
  • "dispatch"(通信)
  • "severe sunspot activity"(激しい太陽黒点活動)
  • "perky as a rat in liverwurst"(独特な比喩表現)
  • "fiddling around"(もたもたする)

## 2. 構文の複雑さ

  • 長く複雑な文構造(例:「I think it was quitting smoking...」から始まる文)
  • 挿入句の多用(括弧内の説明や「for me, at least」のような副詞句)
  • 条件節と結果節を含む複雑な構造

## 3. イディオムと文化的表現

  • "get happily lost [in a book]"(本の世界に楽しく没頭する)
  • "perky as a rat in liverwurst"(非常に元気である、という独特な比喩)
  • "the words come hard"(言葉が出てこない)
  • "under dire circumstances"(切羽詰まった状況でのみ)

## 4. 論理展開

  • 作家としての執筆習慣について、タバコの影響から日々の執筆目標まで話題が展開する流れをまとめるのが難しい
  • 主観的な経験と客観的な執筆アドバイスの混在

## 5. 日本語母語話者の典型的な問題

  • 冠詞(a/an/the)の正確な使用
  • "I used to be"のような過去の習慣を表す表現
  • 仮定法や条件表現("if the tale is done well")
  • 自然な接続表現の選択(however, still, either way など)

## 6. 過剰使用の可能性がある要素

  • シンプルな接続詞(and, but)への依存
  • 基本的な時制(単純現在形・過去形)への偏り
  • 日本語的な論理展開(結論を最後に持ってくる傾向)

B1レベルの学習者は、基本的なコミュニケーションは可能ですが、このような個人的見解を織り交ぜた複雑な文章の産出は難しく、より簡素な表現や構文に頼りがちになるでしょう。

OpenAi o1 mini
CEFR B1レベルの日本語母語話者が、提示された英語のモデルエッセイを日本語で執筆しようとする際に直面する可能性のある主な困難点は以下の通りです。
### 1. **表現形式の複雑さ**

  • **複合文の使用**: モデルエッセイではセミコロンや括弧を用いた複雑な文構造が多用されています。B1レベルでは単純な主語+述語の文が中心となるため、これらの複雑な構造を自然に使いこなすのは難しいでしょう。
  • **句読点の使い方**: セミコロン(;)やカンマ(,)の適切な使い分け、括弧内の情報挿入など、英語特有の句読点の使い方に慣れていないと、同様の表現を日本語で再現するのが困難です。

### 2. **語彙の選択**

  • **高度な語彙**: 「synapse enhancer(シナプス強化剤)」、「dispatch from the Romanian Department of Public Affairs(ルーマニア公共事務局からの通信)」など、専門的かつ抽象的な語彙が含まれています。B1レベルではこれらの語彙は習得が不十分なため、適切な日本語の対応語を見つけるのが難しいです。
  • **イディオムや比喩表現**: 「perky as a rat in liverwurst(レバーウォルストにいるネズミのように元気)」のような英語特有のイディオムや比喩表現は、直訳では意味が通じず、適切な日本語表現を考える必要があります。B1ではイディオムの理解と使用が限定的です。

### 3. **構文の選択**

  • **条件文や比較の表現**: 「I think it was quitting smoking that slowed me down(禁煙が私を遅くしたと思う)」や「Any longer and – for me, at least – the story begins to take on an odd foreign feel(もう少し長くなると - 少なくとも私にとって - 物語が奇妙な外国的な感触を帯び始める)」など、複雑な条件文や比較表現が使用されています。B1レベルではこれらの構文を正確に使いこなすのが難しいです。
  • **接続詞の多用**: 「although(~だけれども)」、「still(それでも)」など、多様な接続詞を用いて文と文をつなぐ必要があります。適切な接続詞の選択と使用が求められるため、流暢な文章構築が難しくなります。

### 4. **特定の文法項目の扱い**

  • **冠詞の使用**: 英語特有の冠詞(a, an, the)の使い分けは、日本語には存在しないため、B1レベルの学習者にとっては理解と適切な使用が難しいです。
  • **時制の一致**: 過去形や現在完了形など、時制を適切に使い分ける必要があります。エッセイでは時間の流れに応じて時制を変化させるため、時制の一致が求められます。
  • **助動詞のニュアンス**: 「would perhaps have appreciated」など、助動詞を用いた仮定や推量の表現は、B1レベルではまだ習得が不十分です。

### 5. **論理の展開と一貫性**

  • **情報の整理と展開**: エッセイは個人の執筆プロセスや過去の経験について論理的に展開されています。B1レベルでは、情報を論理的に整理し、一貫した流れで展開することが難しい場合があります。
  • **論理の飛躍**: 例えば、「nicotine is a great synapse enhancer. The problem, of course, is that it’s killing you at the same time it’s helping you compose.」のように、原因と結果が密接に結びついていますが、この因果関係を明確に説明する能力が求められます。

### 6. **文章の流れとつながり**

  • **スムーズなつながり**: 文と文の間を自然につなげるための接続表現やトランジションが多用されています。B1レベルでは、こうしたスムーズなつながりを意識的に作るのが難しいです。
  • **段落構成**: 各段落で異なるテーマやポイントを展開しています。適切に段落を分け、それぞれに主題を持たせる能力が必要です。

### 7. **文化的・背景知識の理解**

  • **特定の文脈や背景知識**: 「The Running Man」や「John Creasey」など、特定の書籍や作家に関する知識が前提となっています。B1レベルでは、こうした文化的背景を十分に理解していない場合、文章の意図や内容を正確に再現するのが難しいです。

以上の点を踏まえると、CEFR B1レベルの学習者がこのモデルエッセイを日本語で執筆しようとすると、語彙力、文法知識、文章構成能力など、多方面での課題に直面することが予想されます。ただし、これらの困難を克服することで、より高度な表現力や論理的な文章構築能力の向上につながるでしょう。

  • 学習者が自由にAIを使い始めたら英語教育は変わる。というより変わらざるを得ない。

っていう前に、指導者が自由にAIを使いこなせるように、インフラを整備して、指導者側の費用負担をなくす/減らすような補助・支援をするのが先決では?

正直な話し、こんなことを決まった教科書を扱う日々の授業中にできるわけがないし、非常勤講師だったら、授業の前後でそんな準備をしたり、自分の研鑽を積んだとしても、その分のペイはないわけです。
それでも、「教える意義を見失」っている場合なんかではなく、自分にできることだけをただ続けていくだけなんですよ。

・原文の綴りや文法の「間違い」だけを添削
・原文の発想内に閉じこもり不自然な英語のまま
・○か×の語法添削だけで「こうも書ける」「ああも書ける」という創造的な文体改訂を学べない

それぞれの現場で、この先の地平を進んでいる実践者がたくさんいるはずです。
そんな皆さんは、フィルソン社じゃありませんが、

  • Might as well have the best

といいたい気分でしょ?

本日はこんなところで。
本日のBGM: ある平凡な男の一日 (JAGATARA)

open.spotify.com

「仮面」の告白

ツイッターのタイムラインに、英語の授業での「自己開示」を巡るあれやこれやの声が流れていました。(そもそもの発端は、某『英語教育』雑誌の連載での奥住桂先生の記事らしいです。)

私の視座は、教員になりたての頃から「それほど」変わってはいません。
ツイッターではこんな投稿をしておきました。

英語教育関係のTLで「自己開示」の話題が流れているけど、英語教育というものが「自己表現」みたいなものにより高い価値を見出しがちなところが問題なのでは? 天満美智子氏の言葉を引いておきましょう。
『子どもが英語につまずくとき』(研究社、1982年) 過去ログ参照。
tmrowing.hatenablog.com

この過去ログからもうすぐ20年ですからね。
なーにやってんだか…。

「よりよい自己」 vs. 「よりよい表現」
tmrowing.hatenablog.com

そのちょっと前にはこんな記事を書いていました。

『発信』はなぜ強調されるのだろうか?

tmrowing.hatenablog.com

源流はここかな。 2005年の2月ですから、もう東京の私学で非常勤やってた頃ですね。

現代「自己表現」批判
tmrowing.hatenablog.com

本当に、「なーにやってんだか!」って言いたい気持ちですけど、その後にこのツイートをしていました。こちらも本音です。

そこから反す刀で、こちら。
engagement
とか
well-being
とか、イマドキの英語教育って大変ですね。

「初恋の味」
tmrowing.hatenablog.com

冒頭で

  • 私の視座は「それほど」変わっていません。

とかっこ付きで述べましたが、一つだけですが、大きな変化と言えるのが、

  • 授業で英語の歌を使わないことにした。

というものがあります。
かつては年間で20曲近くを使っていて、授業の大きな柱にもなっていた「今月の歌」実践ですが、ある年から封印しています。
文字通り「封印」。
私が以前授業で使ったある曲がきっかけだったのですが、「自己開示」の問題と、大きく関係しているな、と今にして思いますね。
恐らく、今後も私の授業で英語の曲を教材として使うことはないだろうと思います。

さて、先日の「チャンク」関連セミナーのフィードバックが新たに寄せられました。
匿名でお1人を紹介。

今回のセミナーには「チャンクで積み上げ英作文Standard」を今年度より新たに採用させていただき、指導していく中で生じた疑問を解消する目的で参加させていただきました。「解答・解説編」の記述の節々に感じ取られる断片的な意図が、松井先生のお話の中で繋がっていく感覚を得ました。実を言うと、採用に関しては、「文法を整理してほしい」という学年団からの依頼に(一見明示的には)的確に応えられていない(と誤解されている)教材なので、同僚からも訝しがられていました。そんな中、随所に文法・語法の知識が埋め込まれていること、そしてそれらの意図をも今回のセミナーで確認できました。何とか点いたこの火を絶やさずに次学年にも継承できるように横並びにも今回のセミナーの知見を共有していきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

匿名での開示ですが(だからこその?)、正直な感想だと思います。
私が出講している高校でも、この方の同僚と同じで

  • 「文法を整理してほしい」

という声の方に耳を貸して、採択に至らないという状況は目のあたりにしています。
前回のブログ記事で書いたこととも重なりますが

「体系的に文法を学ぶ必要がある」と謳って、高校の1年から3年までずっと授業の一部で「文法」の問題集をやっているような「シラバス」の学校こそ、思い切って『チャンクで積み上げ英作文』に取組んで欲しいと思っています。『チャンクで積み上げ英作文』は網羅的ではありませんが、この教材のBasic 編とStandard編の2冊だけでも、高校段階でカバーすべき伝統的な英文法の項目の多くを取り扱っているので、この教材の一つ一つのチャンク、そしてその構成と配列で、「文(=センテンス)未満の文法の単位」がどのような類型をとるのか、そしてそれらがどう積み上がっていくのか、という部分を理解してもらえたら、と思います。

もうお1人は、私の「文字指導/handwriting指導法」セミナーをこれまでにも受講してくれている、山下桂世子先生。英語を教えている方なら、ジョリー・フォニックスの指導者としてもお馴染ですね。

先生のセミナーに参加するといつも感じるのが、先生が言葉を大変大切に扱っていらっしゃるということです。
私は文法を指導するときに子どもにわかりやすい単語を使って指導していたと思っていましたが、その文・単語がどのような状況であるのか、そこから何を学ばせたいのか、丁寧にみていく必要があると感じました。そして、私の英語の知識のなさに愕然としました。語彙が少ないということだけでなく、文法も理解していないということを実感し、ショックを覚えています。ここから、自分の英語学習をスタートさせなければと思っています。先生の学ばれる姿を見習って、自分もまた子どもたちのためにがんばろうと思います。
さて、四角化ドリルは本当に勉強になりました。
自分自身、一文字→単語→長い単語 という順番で子どもたちに読みを指導していますが、このあと、文に行く前にチャンクが必要だということを実感しているのがここ数年です。
今回は高校生対象のチャンクでしたが、ここに結び付けるために、これをしていけばいいんだ、ということがなんとなくみえてきました。それを具体化するにはもう少し自分の中で勉強が必要になります。早速、名詞句の限定表現 前半・後半 を購入させていただきましたので、じっくりと勉強していきます。
あの先生のご著書が学校だけでなく、一般書籍として手に入ったら・・と思います。

ありがとうございます。
一般書籍化、是非実現したいですね。

「史上最強のコロケーション」でよく知られたアカウントで、私は「コロケ先生」と呼んでいる方のツイートにこんな「チャンク」が流れてきました。

透明自由関係代名詞what
☞ what節の末尾に位置する「名詞句」(画像内の例では the best interest や hours)を中心に解釈すると上手くいきます。
「事実」ではなく「個人(or第3者)の意見」や「体感」を明示するために what we believe is や what seemed like を使用!

ちょうど、私のチャンク関連セミナーで取り上げたチャンクが、この「透明自由関係代名詞 what」に該当するものだったので、こんなツイートをしていました。

そんな名前がついてたんですね。
私は「仮のラベルを貼るwhat」と読んでいました。
先日のチャンクセミナーのスライドから抜粋。
拙著だとStandard編(緑本)で取り上げています。


詳しくはStandard編の「ドリル24」を見て欲しいのですが、コロケ先生の言う「透明」のwhatの他に、少数ですが、「透明ではない」whatも収録されていて、教材を作っていた私自身、若干の「違和感」を持っていたのですが、コロケ先生のツイートのおかげで、その自分で書いた台本に、演出上の注意書きのような補足が書き込めた気がしています。ありがとうございました。

以下、ドリル24から抜粋。

1. 悲劇にも似た状況で in what looks like a tragedy
2. 一瞬とも思えた短い経過時間で in what seemed like an instant
3. 今はカナダとして知られている地域で in what is now known as Canada
4. 今日我々が月食と呼んでいる現象で in what we call a lunar eclipse
5. 後に歴史的となるスピーチで in what would be a historic speech
9. 思春期といわれる年ごろに during what is thought to be the awkward age
11. 致命的となる過失と引き換えに for what would turn out to be a fatal mistake

このような「透明」のwhat方は、「核になる名詞」がある「仮の名札」パターンです。
それに対して、少々異質に映る14、15のチャンクは「ピタッとくる名詞がない」または「その名詞の直言を避ける」際に作る便宜上の名詞チャンクの「名札」パターンと言えるでしょうか。

14. ここ数日彼がしてくれたことのおかげで
thanks to what he has done for me in the last few days
15. 彼の無実を証明すると彼らが思うものによれば
according to what they believe would prove his innocence

ここでの 14.で “thanks to his favors to me” では、時系列での有り難みは表し切れないので、もどかしさが残るでしょうし、15.では、 “according to conclusive evidence of his innocence” では「直言」「断言」し過ぎになる、という思いがあるでしょう。

たかがチャンク、されどチャンク、ってか?
本日はこの辺で。

本日のBGM: 感情線 (UEBO)

open.spotify.com