エヌ氏の成長・円錐

小胞輸送研究をはじめて18年めの分子神経科学者の日々雑感

意識の存在理由

ここしばらくM2の学生さんと彼の進路について相談している。彼はもともと意識とか自己といったものに興味があって神経科学を志したのだが、学部4年の時の卒業研究でそちら寄りのラボに行き、何だか違う(あるいは、これでは食っていけそうにない)と思って、私のところで分子レベルでの神経科学をやっている。

どこかでもともとの志に少しでも近いところにシフトしたいという気もあり、手に職をつけるような科学の方がポストには近いという気もあり、博士課程はどうしようという相談だ。

私としてはどうしたって自分の利害も絡むのでニュートラルに助言するのは難しいが、自分の若い頃を思い出しながら、一緒にいろいろな選択肢を検討している。「こうした時の一番いいシナリオはこうこうで、一番悪いシナリオはこうこうだろう」といった感じだ。そういうことで迷えるのは限られた時期なので、うらやましくもあり、自分の時の不安な気持ちを考えるとかわいそうでもある。特に、若い人の競争率の高い時代になっているので、私の時とは状況も変わっている。難問である。

ニコラス・ハンフリーの「赤を見る」を読む。

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

ニコラス・ハンフリーは「心の哲学」者だそうだ。盲視をはじめて報告した心理学者でもある。自分で、「心の哲学」者としては、味方の少ない非主流派と言っているが(理解者はダン・デネットくらい)、どうしてどうしてこの本はいくつもの魅力を持っている。

ニコラス・ハンフリーは感覚と知覚をそれぞれ別個の心的プロセスと考える。盲視の発見者としては当然その権利はありそうだ。その上で彼はこう言明する。
「盲視の分析から、たくさんの答えが明らかになった。感覚の役割は、主体と外の世界との個人的な相互作用を探知すること、そこに存在して直接関与しているという、各自が持っている感触を生み出し、今この瞬間の経験に、今、ここで、自分が、という感触を与えることだ」

「私たちは自信を持って次の議論に進むことができる。すなわち、感覚は意識にとってどういう意味を持つか、という議論だ。「意識とは何か、その目的は何か、その目的をどう果たすのか、について少しでも分かっている人は一人としていない」というフォーダーの言葉を思い出してほしい。私たちはまだ最終的な答えは得ていない。しかし、感覚を持つことで主体は意識を持つことになるという出発点を受けいれれば、私たちは二つの面で前進しつつあるといえる。もしこの「おまけ」の創造が感覚を持つということならば、意識の正体を理解するための、第一歩を踏み出したことになる。そして、もし私たちが確認した重大な「副作用」が感覚の存在理由の一部だとすれば、意識の目的を理解するための、第一歩を踏み出したことになる」

こういう部分も誠に面白い。再入力なり、自己言及というのは何かしら創発的な性質を持つらしい。
「違う方向からこの問題に迫っている学者にも、意識の特殊な性質の謎を解く鍵は、じつは脳の「再入力回路」にあるという直感を持った人が何人かいる。彼らによれば、この神経活動がループを形成しており、ある種の自己共鳴を引き起こすのだという。−感覚反応は、生物学的に余剰になると潜在化されるというのが私の主張だった。指令信号は体表に到る前に短絡し、刺激を受けた末端の部位まではるばる届く代わりに、今や、感覚の入力経路に沿って内へ内へと到達距離を縮め、ついにはこのプロセス全体が外の世界から遮断され、脳内の内部ループとなった。−もちろん、これこそがフィードバック・ループ形成に必要な状態を生み出してくれるのだ」

そして、意識の進化論的説明を試みた後、ハンフリーはこう言う。
「私はみなさんに、次のように答えたい。そのとおり、意識が重要なのは、まさにその不可解な性質のゆえなのだ」
この結論が、哲学者としてのものなのか、心理学者としてのものなのか興味がある。