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東京から飛んで学校図書館を考える

2016-09-12

連続公開シンポ「司書教諭資格付与科目の教育実践を検討する」ファイナル

 いよいよ、最終段階にきました。以下のとおり、2度、大阪教育大学天王寺キャンパスにて開催いたします。

2016年9月24日(土曜日)13:15-15:50
「情報メディアの活用」の教育実践@天王寺キャンパス西館第9講義室
パネラーは、今井福司先生、中島幸子先生、森田英嗣先生です。

この日、懇親会を梅田で予定しております。ご参加いただける方は、なるべく事前に、holisticslinfoあっとgmail.comに一言、ご連絡くださいませ。
 
 そして、最終回は以下のとおり。

2016年11月20日(日曜日)13:15-17:00
「学習指導と学校図書館」の教育実践@天王寺キャンパス中央館416教室
パネラーは、足立正治先生、家城清美先生、中村です。
この日は、いつもの進行の後、公開シンポジウム複数回参加者1〜2名にこれからお願いして、問題提起もしていただきたいと思っています。

2016-08-27

香港!

 オハイオから帰国成田に一泊して、すぐに、学生3人といっしょに、香港に渡りました。学生たちはまだ香港ですが、私だけは帰国しました。さて、学生たちの香港行きは何が目的でしょう?---ただの図書館見学ではございません。図書館実習です。今年度から、香港の某大学図書館を実習先の選択肢に入れ、3名の学生が希望して、実施とあいなりました。いちおう、、、本学もSGUでございます。
 実働10日で、2週間の滞在になります。実習の詳細は、そのうち、どこかに英語で報告をしようと、受け入れ先のライブラリアンと話しています。ちなみに香港はすべての大学(名門の高校も)が授業は基本的に英語ですね。でも、英語ではなくて広東語が日常的には話されていますから、母語が英語ということではないので、日本の学生の英語でもあんがいいいペースでお互い話ができます。でも、香港大学の先生とお会いしたときは、もーすごい勢いで話されるので、けっこう圧倒されていたかな?
 私も1日だけ、実習に同行しました(学習の主体は学生たちですよ、もちろん)。内容は香港大学図書館香港公共図書館の見学と現場の方たちへのインタビューでした。香港大学図書館は、テクノロジーの導入が進んでいたなー。席の確保は写真のようなシステムでする。席取り合戦が熾烈だそうで。公共図書館は小さな、公営住宅(マンション)の一角の図書館でした。まだ夏休みのようで、狭いところにご老人から子どもまで人がいっぱい!児童書は半分以上、英語のものでした。英語学習のニーズは明白です。でも、大人のコーナーになると、中国語のものが過半数になる。なんだか不思議な感じです。インドなんかもそうなのでしょうか。まさか、いつか日本の公共図書館もこうなる???
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 海外への図書館実習生送り出しは、今後、本学司書課程で選択肢を増やしていきたいと思っています。やっぱり、日本だけ見ていては、大事なことが見えてこない、という確信に至っている私としては、司書課程の教師である限り、ライフワーク的にこれに取り組もうと思っています。そして、日本のライブラリアン養成の高度化の方はまた別のルートから。そのうち、そのアプローチについても、書ける日が来ればいいなあと思っております。
 いやあそれにしても、香港の食事は本当に美味しい。現地の人に驚かれるような下町のホテルに泊まり、周辺の大衆食堂を回りました。当分、ダイエットモードでいないと、まずい感じです。。

2016-08-19

OHIO! II

f:id:to-yurikon:20160814160822j:image:w360:left 今日の写真は、オハイオ州立大学(Ohio State University)トンプソン図書館(Thompson Library)です。こちら、複数の受賞歴があって有名だと思います。なんと約100億円をかけてリノベーションを行ったものだそうで、いやあ、すごかったです。コレクションといい、建物といい。来訪の価値ありです。これからの図書館というものを、どう考えているか、これから100年以上価値のある図書館であり続けることができるか、がよく考えられていると思います。
 一言でいえば、この図書館は、コミュニケーションのための快適な“場所”(“Library as a Place”)なのだけれど、一部の空間(例えば書架が並んでいるエリアや静かなリーディングルーム)に行くと、そこは、おそらく意図的に、古典的な図書館の雰囲気が作られているのが印象的でした。歴史ある“図書”というメディアをこの図書館を作った人たち(設計者だけでなく、ライブラリアンたち、オハイオ州立大学)が尊重していることは明白で、図書館は深い黙考を促す場所でもあるというメッセージを来訪者の身体に伝えてくる。ガラスの先に見える図書コレクションの圧巻!しかも、ガラスを多用した近代建築が、図書というメディアをまるで電子メディアかのように見せている感じもします。写真を見て、みなさんは、いかがですか?ガラス越しに見ると、きれいに並べられた図書は幾何学的で、実は0と1だけの世界なのかなと思わせられるような単純さを私は感じます。一方で、パソコンの置かれたエリアや、メディアはすぐ近くには無く、なんらかのコミュニケーションメディアを利用者自身が持ってきたり、個人的な活動ではなくて、他の人と出会うことを想定しているだろう、快適な椅子の置かれたエリアは、とてもゆったりとしている。この組み合わせ方がすばらしい。
 これから数百年の単位で図書館について考えようというとき、この組み合わせになるのだろうなあと思いました。すごく説得的。過去と未来を同じ空間に収める。つまり、書物なりメディアなりが中心ではなくて、利用者が中心になる、ということ。利用者がどうとでも使える、ということが重要だということですね。フレキシブルかつ利用者が快適にコミュニケーションを進められる空間を作らないとなりません。まあしかし、土地が十分にある、ということも大きいですね。昨日紹介したコロンバス・メトロポリタン図書館本館と言い、広い土地あってこそ、だなあとは思います。日本の狭い空間で、アメリカ図書館のような快適な空間を作るのは簡単ではないのではと思います。やっぱり、パーソナル・スペースつまり人と人との間隔がね、ある程度は無いと…人間の個人としての自立を前提としたコミュニケーションと社会のあり方を模索すると言っても、生物として、何か無理があるのじゃないかなと思いますね。
 今回、図書館2館のほかに、オハイオ州立大学内の漫画図書館・博物館(The Billy Ireland Cartoon Library & Museum)OCLCを訪問することができました。OCLCではデータセンターを見学させてもらうことができ、WorldCatサーバーを見ることができて、ちょっと感激しました。ただ、インターネット時代、無料の情報があふれる時代にあって、OCLCはこれから何をしていくつもりかと同社の重役の方に質問したところ、利用者が使いやすいシステムを作る、というシンプルな答えのみで、それ以上はその話題について話そうとしてくれなかったことに、ちょっとがっかりしました。それだけ危機意識があるのかなあ、とも思ったのですけれど、さてどうなのでしょう。
 最後に、IFLAの2016年年次大会で参加したセッションについてです。ひとつは、目録の電子化に関わるこちらのセッションに出ました。RDAへの展開なんかは、学校図書館の文献だと英語でもまだほとんど見かけないのではないでしょうか。でもこのセッションに3時間強出て、やっぱりもっと勉強しないとだめだなあと思いました。NDCによる書架分類のことしか考えていないのは、ほんとうにもうあまりに古典的すぎて、子どもたちが、というか大人たち自身もですが、要するに一般図書館利用者が今、移動しつつある電子資料の世界(時代)での図書館専門職への接続、展開がまったくできていないことを意味するのかもしれません。もっとも、テクノロジーの発展は継続しているので、VHSが無くなるように、今、AACRなりNDCなりからRDAへと言っていても、これから表れる新しいテクノロジーによって、RDAのような図書館的発想での情報の目録化のようなことは必要性が無くなるということがありえないとも言えないと私個人は思っています。でも、そのようなことが起きるときには、それまでにRDAを学ぶところにまで至っていなかったようなライブラリアンは、完全に変わってしまう図書館の世界、もしくは情報の世界で、新しい立ち位置をすぐに見つけることができるかどうかも疑問ですね。
 最近つくづく、自分が退職する20年後まで、このプロフェッションがあるのかなと思います。日本のように、図書館専門職リニューアルして、進化させていくことに興味をもっている人たちが多くないところで、旧態依然として古典的な仕事をしていて、一方で、図書館の外ではどんどん情報の世界が変わっていっていて。実際、図書館専門職専門職と言えない状況に追い込まれていて、すでに待遇面では官製ワーキングプアと呼ばれるような扱いを受けるまでになっている。RDAなどの話を聞くと、日本の司書課程は歴史を教えているのではないか、とすら思ってしまいます。未来志向のつもりでいても、実際には、図書館の外の世界からあまりにも乖離しているのではないかと。この問題は、今回、この目録のセッションに出る前から考えてはいたことでしたが、そもそもこの時代における情報の、知の目録作成ってなんだろうと、本気で考えさせられますね。一方で、身体性ということを考えると、図書という形態や、書架分類の行われた図書館という知の小宇宙を体感できる物理的な存在の価値というのはあるのだろうと思いますが、図書館専門職の必要性ということと、図書館という物理的な場の必要性は別々に考えられます。なぜ、図書館専門職が、コンビニのバイトよりもラクだなどという意見がインターネット匿名の投稿ではいくらでも出てきてしまうというような現状になっているのか、実際、ワーキングプアになるくらいのお給料しかもらえないことが広まっているのか、日本の図書館関係者はもっと真摯に、深刻に、深く考える必要がありますね。そうじゃないと、表向きは、図書館専門職がいることは大切です、司書教諭のほかに学校司書も配置が必要です、なんて言ってもらえても、裏では、“この人たちは時代がわかっているのか?”“いつ図書館が完全に不要になる時が来るとも限らない状況なのに、この人たちは今もまるで昭和を生きているかのようだ。”“自分たちを時代とともにリニューアルもできず、専門職としてのヴァージョンアップもしなければ、自分たちが専門性があると主張する情報の分野で社会においてリーダーシップも発揮しないのに、専門職を主張するこの集団は何だ?労働運動か?”と内心で多くの人に思われてしまうのではないでしょうか。やっぱりもっと、日本で図書館職がここまで待遇が悪くなったことについて、本気で考えてみる必要がありますね。
 目録のセッションのほかは、3つの、教育関係のセッションに出ました。今年、私は、勤務先から研究助成金をもらっていまして、百万あるとそれなりのことができそうです(久しぶりにまともな額の研究費がある、うれし〜)。この助成金で検討しているのは、日本の学校図書館専門職養成を世界の図書館情報学教育で行われているe-learningプログラムと接続することで、レベルアップできないか、です。日本の中だけで考えていたら、やっていたら、だめなのですよ、と私は思うのです。図書館情報学教育に関わる教員の“質”の問題がありますし、日本という社会が変化に対して常に慎重で、情報の世界に関して言うと、完全に図書館職が後れを取っている状況にあって、外を見ないでどうする?と。図書館関係者が内へ内へ逃げ込んで行っているような状況から、発想を、姿勢を、転換しないと。
 今回のIFLAで教育関係のセッションに出てみて、自らについてもそういう内向きの思考があったなと改めて反省しました。そして、現実の動向で言うと、北米図書館情報学教育のiSchool化という方向性は間違えていないのではないか、という印象を今さらですが、もちました(iSchoolについては改めて書きたいと思います)。シラキュース大学のiSchoolの人たちと、コロンバスでも一緒に食事に行くことができ、いろいろ話すことができたのですが、iSchoolに入学したいという学生が世界中にたくさんいる一方で、図書館職員養成のコースの縮小が続いている印象です。日本でもこれって起きているのだと思うのですよね、司書課程の数は確実に減ってきているし、ポストも非正規化している。大学が潰れる時代だということもあるけれど、どこを減らすかと言ったら司書課程になってきているわけですよね。うちの大学は大丈夫、などと司書課程の教員が思っているような大学は、大学そのものがやばい状況にある(なる)かもしれないよ、、、
 さて、長々、日本の状況について否定的なことばかり書いたようですが、私個人としては問題の認識ができた、それがクリアになったという感じです。未来予想を完璧にできる人なんていませんし、私も未来のことは常にわからない気もちでいますけれど、自分で切り開いていくっていうのが重要かなと思っています。なんとなくまずいと思いながら考えることから逃げる、内向き(後ろ向き)とかっていうことをしていて、ハッと気づいたら、なんでこんなことに、、、みたいなのは、プロフェッションとしてもまずいよね。やったけど、だめだった、の方がまだいい(と私は思う)。私個人としては、前向きになることができた旅だったと総括しています。

2016-08-18

OHIO!

f:id:to-yurikon:20160816141610j:image:w360:right シラキュースで4泊ののち、オハイオ州州都コロンバスに、2016年のIFLAの年次大会に参加するために移動して、あっという間にまた4日が過ぎました。
 さて、今年のIFLAですが、アメリカ図書館およびアメリカライブラリアンシップをモデルとしているようなところのある私にとっては、非常にproductiveな会合でした。参加したセッション議論のあったことについてはこの後書きますが、まず、昨晩出た、Cultural Eveningのイベントが私には大変に興味深かったです。Cultural Eveningは、以前にも紹介したことがあったかもしれませんが、IFLAの年次大会中に1度あるイベントで、夜に、その開催地の文化について紹介する、たいていはちょっとした食事も提供されるというようなイベントです。
 今年のCultural Eveningの会場は、COSIというところを会場として開催されました。COSIは、Center of Science and Industryの略で、ここに歴史が書かれていて、そうは書いていないのですが、私の見たところでは基本的には子ども向けなのではないかと思いました。この歴史の説明の最後に、今の建物は35年前の磯崎新さんの建築とありますね。ちなみに、公立ではなくて、NPOによる経営ですね(こちらに予算のことが書いてあります)。Parentsなる雑誌に、全米でもっともよい科学館と認定されたこともあるようです。
 この科学館での開催というのが、次の2つの点から私にはとてもアメリカ文化の紹介として適切だったなと思いました。
 1.過去に私が出たIFLAのCultural Eveningは、たいてい一つの大きな会場(部屋)で行われ、全参加者が一つのところに集まる形でした。今回は、そういう一体感の演出は無し。科学館を貸し切って、参加者は自由に施設内を回りました。誤解を恐れずに端的に言えば、アメリカ個人主義が表れていたかと思います。自分の国のすごさを全員に一斉に見せつける、みたいな発想じゃないのですね。かつ、会場が「Science(科学)」と「Industry(産業)」のショーケースのようなところ、というところ。これが極めつけ?!ですね。自分たちの文化は=近代科学と工業化社会、と言っているようなものじゃないですか。いっぱんに、その国の文化を示す、というと、多くの国は、伝統文化を出してくると思います。まあ、スウェーデンABBAっていうのがありましたけど(笑)。すでにほとんど見かけなくなった、過去の遺産にフォーカスをあてる。嫌みなほどに、古いものを出してくる気がするのですが、アメリカはもうそこは諦めているのでしょうねえ?彼らがそこにフォーカスを当てようとすると、ネイティブ・アメリカンになってきますね。(カナダは、最近は、そこに光を当てまくって、アイデンティティの再構成をしようとしていると感じます。)
 2.科学館の各所でいろいろなエンターテイメントが提供されてきました。例えば、Two Left Feet Line Dance Instruction(ダンスが下手な人向けのラインダンス指導という意味のようですが、カントリミュージックを流して列に並んで簡単な踊りをみなで揃えてしていました。もちろん誰でも入って踊れますよ!)、Columbus Gay Men's Chorus(きれいなおねえさまがバンドを背に歌って、みなが自由に踊るという。と言うか、ゲイってアメリカ文化という自己認識なのね、と)etc.。同時に、各階に設けられた会場がEast Coast;Midwest;South;Mountain West;West Coastの地理区分それぞれにあてられて、それぞれのお料理をバッフェ形式で提供していました。私は、East Coast(東海岸)、Mountain West(ロッキー山脈周辺部)、West Coast(西海岸)に行って食べましたが、それぞれ、ニューヨークスタイルのピザとシーザーサラダとニューヨークチーズケーキナチョス、ビーフ・ブリスケット、コールスロー、チョロス;お寿司、冷たい緑茶といったものが人気でした。特にお寿司はすごい人気ですねえ、驚きます。この形式のお料理の提供は、アメリカは地域(州)毎に違うのよ、っていうことを食事を通して示していたように感じました。つまり、多様性(世界中から人の集まる移民の国)ということが、アメリカ文化なのだというメッセージを、このお料理の提供方法に私は見ました。いいですねえ。
 といったことで、Cultural Eveningがほんとうによくできていたなあ、というのが私の今年のIFLA体験一番の感想でした。
 ところで、写真はColumbus Metropolitan Library本館(Main Library)児童室です。現在、州立図書館群(うち10館)は、なんと約135億円をかけて新館建築リノベーションを行っている最終段階だそうです。入口に寄付を出した人のリストがありました(3つの団体が1億円を寄付)。この中央館は、かなりの広さ(3階建)で、新館建築とリノベが終わっていました。人が写っていませんが、左奥も右奥も、棚の向こう側の快適そうな空間に子どもがいました。とっても快適そうな床、椅子が向こう側にあるのです。特に椅子は、個人で軽く横になりながら本を読むことができるようなものだったりして、とっても快適そうで、どれも子どもたちで埋まっていたので、写真が撮れず、お見せできないのが残念です!この本館近くはダウンタウンで、黒人も多く住んでいるようで、利用者もそうでした。特に児童室は黒人の子どもばかり。パソコンのゲームをしている子もいましたが、多くの子どもが快適そうな椅子に座って、集中して本を読んでいました。大人のフロアで勉強している黒人の高校生も複数、見かけました。もちろん、白人などの利用者も、半数以下だったと見えましたが、いました。見た感じでは多様性のある利用者層だったと思います。しかも、私が過去にアメリカで見た公共図書館の中でも、もっとも雰囲気がよかったと思います。図書館の設計案としても、サービスのあり方の参考例としても、訪問の価値があると思います。
 さて、これから飛行機の中で、IFLA2016で参加したセッションで考えたことについて書いて、明日、アップしたいと思います。今日はこのくらいで。
 あ、話が思いっきり変わりますけど、デンマークからの参加者が集団で、男女ともに、Cultural Eveningの会場(屋外のエリアですけれど)の食事の列に並びながら、私のすぐ前で、タバコをもうものすごい勢いで吸っていまして。ほんと北欧の人たちって思いのほか吸うなと改めて。大嫌煙家の私はよっぽど、こっちに煙がかかってんだよ!!!I am forced to smoke with you!!!とでも、喧嘩をふっかけそうでしたけれど、さすがに同じライブラリアンの仲間が集まる場で喧嘩はないかと諦めました。北欧の社会(空気)があまりに正しい(いい)から、あえて害(煙)にでも触れたくなるのでしょうか。誰か、彼らがなぜあんなに吸うのかを教えてください。って、この部分、炎上しそうだな(笑)。とにもかくにも、私は、小池百合子センセーが、選挙期間中に言っていたとおり、東京都タバコの規制を進めてくれることを信じています。一刻も早く!受動喫煙のない社会の実現を望みます。

2016-08-10

シラキュースから学校司書のモデルカリキュラムに一言

 調査をしようと、シラキュース大学に昨日から来ています。車を借りなかったら、思っていたよりも田舎というか、ド大学町のようで、キャンパスに止め置かれているかのようになっております(笑)。アメリカでLISの名門校とされるところって(一例としてUS Newsのランキングはこちら)、多くが、田舎というか、なんというか、アメリカの典型的な大学町の大学にあるような気がしますねー。このUS Newsのランキングで4位のSyracuseより上にある3校すべて行ったことありますが、シアトルワシントン大学以外の2校とも、なかなかの田舎でございました。これをどう理解したらいいのかな。私はハワイ大でLISに行ったので、特殊な土地でLISに行ったと自覚していましたが、ハワイ大マノア校ってけっこうな街中にあるという意味でも、アメリカの典型的なLIS名門校とは違うなあと思ったり。ちなみに私は、2年目夏の1学期は、メリーランド大学で過ごして単位を取って、その単位をハワイ大に認めてもらったのですが、メリーランド大学も、DCが近くて都会的な雰囲気の大学でしたが、あれもまた特殊だったのね、と今になると思います。日本ももっと、地方都市で大学が一つの産業というか、町に活気をもたらす存在になれたらいいのにね。なんでそうならないのかなーー
 前置きなのかなんなのか、が長くなりましたが、文科省学校図書館の整備充実に関する調査研究協力者会議に置かれた学校司書の資格・養成等に関する作業部会が第3回の会合をもって、学校司書のモデルカリキュラム案が出てきたんですね。やっぱり、司書資格、司書教諭資格、教員免許状のための科目をつまみ食いする構造を基本として、2科目だけ新設科目が提案されていますね。これらの2科目は、以下のように、司書課程の選択科目として開講することもできるとしています。

○ なお、「学校図書館サービス論」及び「学校図書館情報サービス論」は司書資格の科目の選択科目「図書館基礎特論」又は「図書館サービス特論」として、開講することも可能である。ただし、単位数はそれぞれ2単位であることに留意する必要がある。

 この新設2科目を設置する大学がどれだけあるか、がこれからの鍵ですね。これは、大学の余力の問題でもあるだろうと思います。科目新設のコストを学校司書に対して割く力のある大学がどれだけあるか。もしくは、司書課程の2つの選択科目で新設の代わりとするとして、これらの科目の方針を過去と大きく変えるのは科目新設のコストほどではないとはいえ、2012年度以降すでに一定の方針のもとで科目開設してきたものを変えることができるか。また、司書教諭資格の4科目(「学校図書館メディアの構成」以外。ちなみにこの科目は、司書資格の2科目で代替できることになっている)が学校司書カリキュラムとされることで起きてくる混乱、つまり、教員免許状取得予定者ではない学生がこれらの4科目を受講することの混乱を引き受けられるかどうか。このあたりが検討の中心になりましょうかね。どういう大学がこれを引き受けられるか、注目ですね。本学も検討することになるのかな、さて如何に。

(2015.9.17追記)第3回の議事録を読み、そして、この親会議である「学校図書館の整備充実に関する調査研究協力者会議」の第7回の配布資料を見ました。独自科目3科目は、司書教諭資格科目と司書資格科目と読み替え可能という結論になったらしいですね。私はこのオチ、気に入りました(笑)。第3回の議事録を見ると、だから言ったこっちゃない、学校司書の法制化は悪夢なんだよ、とは思いましたけれど、でも、全委員の発言はそれぞれに納得できました(各人の観点が違うのだけれど、言っていることはわかる)。ただ、とある方が、「議論をしているほとんどの方々は,細かいことに対処するのが精一杯で,たいした理念もないことにがっかりしました」って短い一言。
 この「学校司書のモデルカリキュラム」は、アメリカ、オーストラリアやフランスで起きている教員免許状+図書館情報学=学校図書館専門職という養成モデルのいわゆる廉価版ですよねー。教員免許状を前提としないで、教員免許状科目を部分的に履修した人が想定されている。まあ、私は、教員免許状+図書館情報学=学校図書館専門職という養成モデルでもともとは考えられた司書教諭にこだわっていますので、教員免許状をぜひ学生にはとってもらって、それを前提として、司書教諭科目を実施する本学のあり方は、私はやはり変えたくないと思います。でも、実際には、司書教諭資格科目を含んでこの学校司書のモデルカリキュラムはできあがっているから、もう司書教諭の独自性(学校図書館のマネージャーであるという)は消えたと思う人が世の中には出てくるね、きっと。司書教諭資格がレベルダウンさせられた一面がある。ひーー
 私は、教科教育法を前提としない「学習指導と学校図書館」って...と、本気で思うのですよ。それやっちゃったら、司書教諭資格の授業、理念が崩壊するよ。。。私は、司書教諭資格を取っていく中で、ほんとうに司書教諭になりたいと言い出した学生には、司書資格を取るように勧めてきたので、これからもそうするつもりです。あ〜あ、学校司書資格はいらなかった、司書教諭資格をレベルアップすればよかったんだ、とやっぱり思いますね。そうしたら、学校図書館専門職としてのレベルアップになったのに。司書教諭資格が法制化されているがために、それができなかった、ということなのかな〜
 そうそう、3科目の読み替えって、法的な根拠のないこの学校司書カリキュラムについて、文科省が管理できるのかしら。いったい何をもって、読み替えできるとするのか、実際のところは大学の課程の判断と責任になるっていうことだよね。いい加減なところが出てくるかもね...アクレディテーションの話は出ていたけれど、親会議の第7回の議事録がまだ出てないから、どうなったかまだわからん。
 とにもかくにも、これからは、私は、司書司書教諭の資格付与の課程も差別化の時代だと思ってます。覚悟を決めて、質の高い課程の実現のために努力したいと本気で思っています。そして、本気で学びたい人に、選んでもらえる課程、大学になりたいと思いますね。