影浦峡先生の講義から


インドネシアイスラム(宗教)の小学校3年生向け教科書。これと別にキリスト教ほかの宗教の教科書もあるわけです。

 連続講座第2回として,影浦先生に,「メディアとメディアリテラシー論者と図書館:3.11 後の放射能「安全」報道をめぐって」と題して講義をしていただいた。それ以来(もっとも,影浦先生の最新刊『3.11後の放射能 「安全」 報道を読み解く:社会情報リテラシー実践講座 』(現代企画室,2011)を読んでから少しずつ助走してたはずね),情報リテラシーの育成を語ること,それについて授業をすること,が,とても苦しい。授業に関しては,少しずつでも,変えようとしているが。。
 おそらく影浦先生が私(たち)に問うているのだろうことで,今,私が苦しいのは--それは,リテラシーとは日常的な行為,ふるまいであるはずなのに,なぜ,情報リテラシーの育成を提唱してきたあなた(たち)は,3.11の後の情報の混乱の中で,指針を示すべくすぐに行動しなかったのか,ということです。影浦先生はそのような言葉を,ただ私(たち)に突きつけておられるのではなく,実際に,ブログの更新,『3.11後の放射能「安全」報道を読み解く』の出版で,自らは行動をすることで,問いかけておられる。これって,中尾先生もおっしゃっていた,ただ,人の行動を批判し追究するだけでなく,自ら正しいと思う行動する必要があるのではという趣旨の問いと同じかと思います。
 情報活用のプロセスモデルとか言って,私(たち)は,課題の認識,情報の探索,情報の収集,情報の活用,自らの生み出した情報の伝達,そして自らの情報行動の振り返りまで,を教えましょう,と司書教諭課程の中で,学生さんたちに指導している。だけれども,これを教室の中で教えることはなんのためか,って言ったら,現実に,子どもたちがその身につけた力を使って生きるっていうことのためなんだよね。あたりまえだけど。私たちも,その力を教えるっていうくらいなんだから,実際,その力をもっているはずで,3.11後,怪しい,専門家による情報発信,マスコミによる報道が続く中で,誰よりも,クリティカルにそれを整理し,発言,行動するべきだったんだよね。--それを,私(たち)ができなかったのに,影浦先生はした,というふうに私は受けとめている。
 それから,先日のご講義の中で,影浦さんが,絶版になった本を含んで,いくつかの本を紹介してくださった。そして,図書館ができることとして,そういった絶版になっているものも含めて,特別展示をしたりしていい本を紹介していく,というような提案をされた。これはさらっと起きたんだけれども,私はこれを聞きながら,ある学校図書館で活躍する司書さんの数ヶ月前の発言を思い出していました。彼女は,3.11より少し前,学校図書館の蔵書の整理をしていて,廃棄する候補の本として,70年代かな?に出版された原発についての本を見つけ,相当古くなっているしと,その本をとりあえず開架から下ろして廃棄準備の棚に移していた。そして,原発の事故が起き,その本を改めて見たら,捨てるべき本じゃないんじゃないか,と思ったと。そして,社会科の先生かな?にその本を見せて相談したら,原発の政策が推進一色になる前の本で,改めて読むと貴重な資料に思えるね,ということで廃棄をやめたということだった。人は,今,自分が生きている時代,社会と完全に離れて考えたり,言動をしたりということはできない。けれども,残すべき本,後世に伝えるべき本というものを,判断できて,その力を社会で言動をもって発揮できる,図書館専門職でありたいよね。
 3.11のあと起きていることは,水俣で起きたことと,近代の社会の問題であるという意味では同じ,と私は思う。水俣病のときより,規模は大きく,深刻になっているのだろう。ここで私たちが行動できなければ,社会が変わらなければ,もっともっともっと大きく,深刻なことが起きるかもしれない。図書館専門職として,情報に関わって,社会のあり方に対して,責任をもって,発言,行動して,社会の一員として,専門職として,使命をまっとうしていきたいよね。
 ところで,放射線に関する文科省作成の副読本についての足立先生のブログ記事を読んで共感した。今回の副読本が,福島第一原発の事故に一切ふれなかったことで,私は,学校というところは真の探究的な学びを受けとめる度量のないところなのかもしれない,とすら思ってしまった。。以下,足立先生のブログから。

だが、実際に副読本をダウンロードして読んでみると、私の期待はたちまち裏切られた。今回の事故とは切り離された形で、放射能に関する一般的な事柄を述べてあるにすぎないのだ。そのような教材を無批判に与えることは、現実に起こっていることから子どもたちの目をそらし、放射能の問題を自分たちの生活に直結するリアルな問題としてとらえることを妨げることになりかねない。副読本が、その作成意図や「生きる力」を培うという学習指導要領の理念とかけ離れた「問題点のすり替え」ともいえる内容になってしまったのは、なぜか? 

「生きる力」を唱える文科省の行動(本心?)がこれじゃ,悲しいよね。
 ただ,現在進行形の問題って,いろいろな意見があり,統一見解を示すことは難しい。百歩譲って,そのために文科省は一切,現在進行の事故については触れなかったということにしよう。であるならば,この副読本以外の多様な資料,情報源で,そこを埋めて行くことになろう。学校図書館こそが,風穴を開けられると思う(いつものとおり!)。
 最後になってしまって恐縮ですが・・こだませんせーは,影浦さんのご講義の直後に,こんな感想をアップしてくださっていた(12月1日にはこちらを追記してくださいました。「最後に。」以下がみょーに印象的。)。足立先生は,影浦先生のご著書『3.11後の放射能 「安全」 報道を読み解く』についてを中心に,ここに感想を書いておられる。
 さて,連続講座第3回は,和田敦彦先生のご講義です。今からでもお申し込みいただけますので,ぜひご参加ください。