「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1909(明治42)年10月24日(日) 日本への発電「工場・学校の参観」(竜門雑誌)

竜門雑誌』 第258号 (1909.11) p.43-46

△工場・学校の参観(ボストン十月二十四日発電)
我実業家一行は二十三日午前二隊に分れ、ウオルサム時計製造所及びフオール・リバー造船所を参観し、午後は一同ハーバート大学を訪ひ、総長代理書記官グリーン氏・商科大学長ゲー氏の歓迎の辞、並に渋沢団長の答辞交換あり、後同大学対ブラウン大学のフツトボール試合を観たり、夜はアルゴシユイル倶楽部の晩餐会に招かれ、席上ペルリ提督の令孫にて商業会義所会頭なるストラウ氏・州学務委員フヰッシユ氏・モーセー教授及び渋沢団長・神田男等の演説ありて夜半散会せり
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.260掲載)


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