「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年10月12日(水) (70歳) 『渡米実業団誌』刊行 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

渡米実業団残務整理委員編纂の「渡米実業団誌」是日付を以て発行せらる。栄一、宮内省に出頭して献納の手続をなす。十二月二十四日附を以て宮内大臣より、御前に差上ぐ旨の通達を受く。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.485-490】

1909(明治42)年9月から11月にかけて米国主要都市を訪問した渡米実業団は、後に残務整理委員会を組織して『渡米実業団誌』を発行しました。編纂にあたっては、幹事長として実業団を補佐したニューヨーク総領事水野幸吉(みずの・こうきち、1873-1914)、記録掛として一行に同行した巌谷小波(いわや・さざなみ、1870-1933。本名:巌谷季雄)、秘書役加藤辰弥(かとう・たつや、1881-1963)の三人がそれぞれに分担して稿を起し、渋沢栄一は団長としてそれらを確認、修正を行いました。
実業団訪米の顛末をひろく世に知らしめ、記録として永く残すことを目的に編纂された本誌には、一行の日々の活動だけでなく、準備段階の公文書、通信録、帰国後の残務手続きのほか、訪問先の概況・統計なども詳細に紹介されています。
『渡米実業団誌』

 『渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10)
(渋沢史料館編『渋沢栄一、アメリカへ : 100年前の民間経済外交』p.36掲載)