『竜門雑誌』 第308号 (1914.01) p.83-84
○渡米実業団記念会 旧渡米実業団は、去明治四十二年米国より帰朝したる十二月十七日を期し毎年記念会を開くを例とせるが、昨年 [1913年] 十二月十七日は帰朝後第四回記念日に相当するを以て、同日午後五時より日本橋倶楽部に於て其会合を開きたり、出席者は元団長青渊先生・委員長中野武営の両氏を始め、日比谷・佐竹・岩原・小池・町田・渡瀬神田男・増田・加藤・名取・田辺・上田諸氏・又横浜より大谷・左右田・亀田の諸将にて京浜に於ける旧団員の殆んど全部出席したり、宴将に終らんとするや青渊先生は起ちて今昔の感に堪へざるものゝ如く
行を終つて茲に四年星霜、爾来日米問題の経過に鑑み、渡米団の効果如何を問はるゝ時、吾人は私かに赤面する次第なるが、其の間日米国交の問題は、遂に一日として吾人の心頭を去らず、出来得る限りの力を致し、聊かにても其効果ありたるを信すれば、亦聊か慰むるに足る云々
と述べ、次で中野会頭は、昨年京都に於ける同団記念会の顛末を報告し、永久に同団員が日米問題の為に尽瘁せむ事を誓ひ、最後に大谷氏は元団長青渊先生並に委員長中野氏の旅行以来の尽力を謝し、同氏の発声にて万歳を三唱し、十時散会したる由なるが、当日の決議に依り青渊先生には其後一同を代表して、当時同団旅行に密接の関係ある米国の人々に記念の書翰を発せられたりと云ふ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.473掲載)