是日、明治四十二年渡米実業団員主催、アメリカ合衆国議員団一行歓迎会、芝紅葉館に開かれ、栄一出席して歓迎の辞を述ぶ。是より先同月三日、貴族院議長徳川家達・衆議院議長奥繁三郎主催、同議員団招待午餐会帝国ホテルに開かれ、栄一出席す。又同月十一日、栄一、同議員団中のスモール外六名を、渋沢事務所に招きて午餐会を催す。尚この前後に催されたる各種の同議員団招待会にも栄一臨席す。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.200-205】
アメリカ合衆国議員一行が来日した1920(大正9)年、日本は国際関係調整の局面にありました。アメリカでは反日感情が高まり、それまで西部の地域的な問題であった排日運動がアメリカ全土に広がって、憂慮すべき事態となっていました。
そのような背景のもと、アメリカの議員団はフィリピン、中国、韓国を経由して9月2日に東京に到着、視察のかたわら午餐会、晩餐会、茶話会など各種の会に招かれ、盛大な歓迎を受けています。
来日議員の一人、ヘンリー・オズボーン(Henry Zenas Osborn, 1948-1923。実業家、下院議員)は、かつて渋沢栄一ら渡米実業団が訪米した折に接待員として現地で一行を迎えた人物でした。実業団渡米から11年後の1920(大正9)年9月7日、旧団員たちはオスボーンをはじめとする議員らを紅葉館に招き、歓迎会を開催しました。
『竜門雑誌』第389号(1920.10)p.68-69によれば、主人側として出席したのは栄一のほか渡米実業団旧団員19名と、栄一の通訳兼秘書の小畑久五郎、主賓側にはオズボーンほか米国議員が10名と、日本の官僚等も名を連ねています。
なお、同誌には歓迎会で栄一の歓迎の辞とオズボーン氏からの答辞があったと記されていますが、残念ながらその本文は掲載されていません。
参考:オズボーン関連資料 "Finding Aid for the Henry Zenas Osborne Papers, 1869-1947"
〔The Online Archive of California〕
http://www.oac.cdlib.org/view?docId=kt4m3nb25v